(千葉県市川市・梅干ばばさん)
背広で思い出すのは、もう50年以上前のことです。
関西の田舎で、父は書店を経営していました。
ですから、父は殆ど背広を着ることもなく、
着る時といえば、同業の集まりや何かの
会に出る時、それに汽車で何処かに
出かける時くらいです
当時は生活も豊かではなく、質素倹約の毎日でした。
2枚ぐらいしかない背広が色褪せてくると、
今では考えられませんが、近所に裏返して
縫い直してくれる方がいまして、母は色褪せた
背広を風呂敷包みにくるんで持っていくのです。
子供の時、母と一緒に付いていきました。
そうすると、出来上がってくる背広は、
胸ポケットが右に付いているのです。
でも、父は平気で、その背広を着て
何処にでも行っていました。
父と一緒に撮った右ポケットの背広の写真を
見ると、懐かしく、ほろ苦い思い出が蘇ってきます。
投稿者 ごぜんさまスタッフ : 2010年04月08日 10:50
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