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2009年11月30日
オヤジ魂「南極観測の歴史」
1957~58年に計画された国際地球観測年。
未知の世界だった南極大陸を各国が協力して、観測・調査を実施する事が大きな目的になっていました。
日本は第2次世界大戦が終わって10年。ようやく国際社会に復帰を始めたころでした。
主食のお米も十分でなかったこの時代に、国際共同観測の大事業に参加することを決めました。
日本が基地を設けるために割り当てられた大陸沿岸地域は人跡未踏の地。
何もかもが手探りの状態で、1956年11月8日、観測船「宗谷」で第1次南極観測隊は出発しました。
1957年1月29日、南極大陸にあるオングル島に上陸した観測隊は、「昭和基地」を置き、越冬しました。
これが日本の南極観測の第1歩になります。
ところで、南極観測ってどんな事をしているんでしょうかね?
南極観測についていくつか紹介しましょう。
①南極大陸にはペンギンはいますが、白クマはいません。
白クマがいるのは、北極です。
②南極大陸の面積はおよそ1400万平方キロメートル。
オーストラリア大陸の面積はおよそ760万平方キロメートル。
世界に2番目に小さい大陸。地球の全陸地面積の8.9%を占めます。
③南極大陸にある昭和基地。
日本から真下(真南)に行った所にありそうなイメージですが、
オーストラリアと南アフリカの間。この下を南に行った所にあります。
その他にも、あすか基地、みずほ基地、ドームふじ基地の3つがあります。
④今回の観測隊では、国立極地研究所の小島秀康教授ら7人が9年ぶりに隕石採集を行います。
日本はおよそ1万6200個の隕石を保有し、世界一を誇っていましたが、アメリカがおよそ1万7300個に達し、抜かれてしまいました。
今回の採集にあたって「世界一を取り戻したい」「水星や金星からの隕石が見つかったら大変な騒ぎになる。難しいが発見を目指したい」と話しています。
南極大陸で隕石がよく見つかるのは、氷床上で目立つほか、氷床の流れに運ばれて山地付近に集まるため。
⑤タレントの小堺一機さんのお父さんは、南極料理人として第9次と15次の食事係りとして参加しています。
⑥南極観測船「しらせ」は、今月10日に、東京・晴海ふ頭を出港していますが、南極観測隊は、成田空港からオーストラリアのパースへ行き、パース近郊のフリマントル港から観測船「しらせ」に合流し、南極を目指して出発します。
全員がそうという訳ではありませんが、最初から船で行くのではないんですね。
⑦南極は病原体を持ち込まないように、風邪を引いている人は、上陸をしてはいけないことになっています。
菌を持っていってはいけないので、食材に「まつたけ」を持っていくのも禁止されています。
⑧南極の暑い氷の下には、大陸があります。
南極大陸の中心部にあるロシアのボストーク基地の近くにボストーク湖という湖があります。
大きさは1万4000平方キロメートル。琵琶湖の20倍もあります。
分厚い氷が断熱材となって熱を閉じ込めているので、凍ってはいません。
最も深い所で1000メートル。3500万年~10億年も前にできたものと考えられています。
⑨今回の南極観測隊は南極から授業を行う。
今回の観測隊に教員2名を同行させ、昭和基地から衛星回線を使い「南極授業」を実施します。※スケジュールは未定。
南極の自然や隊員の姿などを全国の小中学校、高校に向けて発信します。
派遣されるのは、千葉県習志野市立大久保小学校の長井秀子先生と奈良県立奈良高校の森田好博先生。
南極への国民の理解を深めてもらおうと、南極から授業をしてくれる現役教員を初めて募集。
全国から18人の応募がありました。
「南極」という特別な自然環境で暮らしながら、隊員がどんな夢を見るのか、南極では日時計の影はどのような軌跡を描くのかなどの実験も行われます。
⑩南極大陸は氷に覆われていて、高い所は3000メートルを越える。
南極大陸の平均標高はおよそ2300メートルもあり、南極大陸は標高の高い大陸となっています。
昭和基地ではマイナス10度。最低気温ではマイナス90度という記録も出ています。
これであなたも南極通!
投稿者 たまなび : 2009年11月30日 17:00