3月11日で、東日本大震災から4年。
どんな思いで過ごされましたか?
4年前。
震災発生から3日間、私はアナウンサーとしてマイクの前でひたすら情報をお伝えしていました。
実際に被災地を初めて目の当たりにしたのは、3か月後の6月。
福島第一原発まで(正確には行けるギリギリまで)で、通行止めだから引き返すよう言われた時の緑がいっぱいの景色、今でも目に焼き付いています。
雨が降ってきた時。
傘がなかった私に、おじちゃんやおばあちゃんが、「あんたー、東京から来たのー?ここの雨は怖いんだよー。そんな濡れたらダメだよー。」...こんな言葉が交わされる時が来てしまったという現実が、現実のように思えませんでした。
あれから4年。
今度は記者として、福島と宮城をまわりました。
気仙沼市の小泉海岸。
ここでは月命日の11日に、まだ行方が分かっていない方の捜索活動が行われています。
気仙沼市では、225名が行方不明のままです・・・。
今回は全国から訪れたボランティアの方など、総勢193名が参加。
これまでなかなか参加の声を上げることがなかった地元の方も、70名が加わりました。
(ここに広がっている地面。この手前、ここの倍くらいの広さすべてを津波が襲い、半分以上のお宅が流されてしまいました。すごい高さまで津波が押し寄せたことに驚愕でした・・・あ、あんなとこまで?!?!と...)
捜索活動の前に、皆さんで黙とうを捧げます。
強風と雪が舞う極寒の中、数センチの骨らしき手がかりなどを、砂や草の間からひたすら探し続けます。
地道ですが、とてもとても大切な作業。
いっやー、みなさん、本当に優しいのです。
「おれの家はあそこにあったんだよー、でも流されちゃった。でもくよくよしても仕方ないから、また頑張るんだよー。だろう?」遠くの、何もなくなっている高台を指さして、笑いながら寒そうな私の心配をしてくれるおじいちゃん。
「帽子ないの?ほら、この毛糸の帽子をかぶるとだいぶ違うから。」と団子頭の上からずぼっと被らせてくれた、お姉さん。震災で心身の調子を崩されて、先月から初めて参加できたと話してくれました。
毎月11日に行われている、この捜索活動。
ご興味を持たれた方は「気仙沼復興協会」で検索してみて下さい。
私も今度は、ボランティアスタッフとして参加しようと思います。
・・・・・・・・・・・・・長くなっちゃいました、すまんこってす(^^;)。