いよいよ2020年に迫った、東京オリンピック。
私は前回大会、1964年の市川崑さんによるドキュメンタリー映画「東京オリンピック」が大好きっす。
あの作品はまー、アートです。
どのシーンを切り取っても、ナイスなポスターができる感じ。
で、その、前回大会。
国立競技場では立派な壁画でお迎えしたのをご存じですか?しかもその数、13点。
もともと国立競技場の壁は真っ白だったんですって。
1964年の東京オリンピック開催が決まったことを受けて、世界中の皆さんを華やかにお迎えしようと、壁画が作られることになりました。
戦中・戦後を代表する作家の皆さんが、当時最先端の技術だった"タイルを貼る"という方法を使って、配置や色合いも、国立競技場でのバランスを考えて作ったんだそう。
壁画、こちら。はいどーん。
(写真ご提供:この作品の作者である大沢昌助さんのお孫さん、昌史さん。)
選手や観客の皆さんと一緒に東京オリンピックを過ごした、1964年の顔ともいうべき13点の壁画...ですが、バブルの時代からだんだんと存在が薄らいでしまいます。
そして再び決まった、2020年の東京オリンピック開催。実は13点のうち、11点の壁画は、保存の検討すらされておらず、そのまま廃棄処分される運命にあったんです。
かろうじて処分を逃れた壁画の保存期間は、3年。
3年以内に保存先が決まらなければ、1964年の顔は姿を消しちゃうんです・・・。
で、作品の保存には、この壁画ならではの課題が色々あるんですって。
まず、その大きさ。一遍の長さは、なんと8m。一時保管するにも、小さく分割しなくちゃいけない。(一つの作品を2週間かけて切り出す作業が行われています。)
そして壁に張り付けたタイル壁画は、額縁のように作品だけを動かすことができないんですよね・・・。
建物の鉄筋も含んだ競技場の壁ごと切り取る必要がある、と。
当時と同じように13点を一緒に展示するためには、十分な広さのスペースが必要。
また、分割した壁画をもとに戻す費用もかかる・・・。
何より、保存先は、分割される前の実物を見ることなく引き取りを決めなきゃならない・・・。
2020年の東京オリンピック。
再び壁画を見たいなぁ・・・・・。
ページのトップへ △
投稿者 涙子 : 05:46 AM
花粉がババーンと飛びまくっていますが、大丈夫ですか?
私も予防として(症状が見られますが認めん!)毎日マスクをしています...。
そんな花粉舞う中、昨日は取材を待つ沢山のカメラクルーさんにまじって外に並んでおりました。
取材対象は・・・・クロマグロ。
そうです、葛西臨海水族園のクロマグロが昨日の朝、1個体(単位、"個体"なんですね)死亡。
去年12月には165個体もいたのに・・・・遂にラス1になってしまいました。
てことで、会見が行われることになったのです。
がらーんとした水槽の前に、ズラリと並んだ各社のカメラ。
ラス1マグロを見ていたチビちゃんたちは
「ねーねー、かわいそうー」
「なんで死んじゃったの???」
「でもさー、みんなが写真撮ってくれたりするからさー、うれしいんじゃない?」
「ほかの魚を入れたらいいんじゃない?」
「ペンギンー」
など、色んな言葉をかけてくれました。かわいい。
副園長さんによると、昨日死亡したマグロの体長は147.4センチ、体重67.87キロ。年齢は不明だそう。
背骨が折れていたんですって。
ちょっと前から食欲が落ちていて、水槽の下の方を泳ぐようになってたみたい・・・。
他のマグロたちの死亡の原因も特定はできてないみたいなんですよねぇ。
ラス1のマグロには、ずっとずっと生きていてほしいです・・・。
てなわけで、そのラス1マグロ。はいどーん。↓
ラス1マグロは、葛西臨海水族園の「大洋の航海者:マグロ」のコーナーにいます。
是非、応援の声をかけに出かけてみて下さい。
ページのトップへ △
投稿者 涙子 : 10:46 AM
オウム真理教の一連の事件で最後の被告人となった、高橋克也被告の裁判に取材に行く機械を頂けることが多くなって、やたらとオウム関連の書籍をポチッとしているのですが...本屋さんは何事かと思ってるでせうか...。
その地下鉄サリン事件から、20日で20年です。
1995年、というと、色んなことがありました。
ワイドショーがこの年に放映したニュースの長さランキング、第一位はオウム真理教関連事件だったんですって。
また、「みんなで選ぶ警視庁140年の十大事件」でも第一位に選ばれたのはオウム真理教事件でした...事件当時、私はアナウンサー2年目。同期の記者が現場に行き、レポートを聞きながら無事を祈っていたことを思い出します...。
今日から、京橋の警察博物館で「地下鉄サリン事件発生から20年~企画展」がスタートしました!
事件が発生したときの地下鉄の状況や、教団の拠点を捜索する模様など、様々な写真が展示されています。
今回初めて公表された写真もあります。
こんな感じ↓
しゃ、写真、でかっ!!!
修正方法が分からないので(^^;)、このままいきます!
サリンがまかれたあと、霞が関駅で空気を採取してる模様..."気体"を採ってるっていうのが何ともリアルですね...
そしてこんな石碑。
オウムの一連の事件に出動した警視庁の方々の名前が。
で、ココ↓
カナリヤ 2羽。
十姉妹 16羽。
鳥カゴをぶら下げてサティアンに入る様子をご記憶の方も多いかと思いでせう・・・
この企画展、5月6日(水)まで開催されてます。
入場無料ゆえ、ぜひ!
20日で地下鉄サリン事件から20年、そして23日からは高橋克也被告の被告人質問が始まりまっす。
ページのトップへ △
投稿者 涙子 : 04:37 PM
3月11日で、東日本大震災から4年。
どんな思いで過ごされましたか?
4年前。
震災発生から3日間、私はアナウンサーとしてマイクの前でひたすら情報をお伝えしていました。
実際に被災地を初めて目の当たりにしたのは、3か月後の6月。
福島第一原発まで(正確には行けるギリギリまで)で、通行止めだから引き返すよう言われた時の緑がいっぱいの景色、今でも目に焼き付いています。
雨が降ってきた時。
傘がなかった私に、おじちゃんやおばあちゃんが、「あんたー、東京から来たのー?ここの雨は怖いんだよー。そんな濡れたらダメだよー。」...こんな言葉が交わされる時が来てしまったという現実が、現実のように思えませんでした。
あれから4年。
今度は記者として、福島と宮城をまわりました。
気仙沼市の小泉海岸。
ここでは月命日の11日に、まだ行方が分かっていない方の捜索活動が行われています。
気仙沼市では、225名が行方不明のままです・・・。
今回は全国から訪れたボランティアの方など、総勢193名が参加。
これまでなかなか参加の声を上げることがなかった地元の方も、70名が加わりました。
(ここに広がっている地面。この手前、ここの倍くらいの広さすべてを津波が襲い、半分以上のお宅が流されてしまいました。すごい高さまで津波が押し寄せたことに驚愕でした・・・あ、あんなとこまで?!?!と...)
捜索活動の前に、皆さんで黙とうを捧げます。
強風と雪が舞う極寒の中、数センチの骨らしき手がかりなどを、砂や草の間からひたすら探し続けます。
地道ですが、とてもとても大切な作業。
いっやー、みなさん、本当に優しいのです。
「おれの家はあそこにあったんだよー、でも流されちゃった。でもくよくよしても仕方ないから、また頑張るんだよー。だろう?」遠くの、何もなくなっている高台を指さして、笑いながら寒そうな私の心配をしてくれるおじいちゃん。
「帽子ないの?ほら、この毛糸の帽子をかぶるとだいぶ違うから。」と団子頭の上からずぼっと被らせてくれた、お姉さん。震災で心身の調子を崩されて、先月から初めて参加できたと話してくれました。
毎月11日に行われている、この捜索活動。
ご興味を持たれた方は「気仙沼復興協会」で検索してみて下さい。
私も今度は、ボランティアスタッフとして参加しようと思います。
・・・・・・・・・・・・・長くなっちゃいました、すまんこってす(^^;)。
ページのトップへ △
投稿者 涙子 : 07:15 AM