« 石井徹也の落語きいたまま2013年4月号 | メイン | 石井徹也の落語きいたまま2013年6月号 »

2013年07月15日

石井徹也の落語きいたまま2013年5月号

暑いですね。みなさま如何お過ごしでしょうか。
今回はおなじみ石井徹也さんによる、ごく私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2013年5号をUPいたします。今回はいつもの寄席評に加え、神田松鯉初演の「柳田」論が必読。また、オマケとしてきりやんの『マイ・フェアレディ』評もあります。長文ですので、どうぞお茶お菓子などとりながら鷹揚にご覧頂ければ幸いです。

このコーナーに関する皆様のご感想、ご意見をお待ちしています。twitterの落語の蔵(@rakugonokura)か、FaceBookの「落語の蔵」ページ
http://www.facebook.com/rakugonokura)にリプライ、投稿をお願いいたします。
FaceBookのイイネ!ぽちもお願いします!

---------------------------------------------------------

◆5月1日 池袋演芸場昼席

遊雀『悋気の独楽』/ぴろき/笑三『てれすこ』/圓『鍬盗人』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『息子の万引』(正式題名不詳)/楽輔『元帳』/味千代/圓馬『試し酒』

★圓馬師匠『試し酒』

目白型よりも持ち味で権助が終始明るいのが長所。芸骨格の大きさと相俟って、面白さを出している。高座に落ち着きも出てきたし、酔って行く過程の表現など、話術の基本はちゃんとしているから、この所の進歩は目覚ましい。名前負けなんかしていない存在になれる可能性愈々高し。


◆5月1日 池袋演芸場夜席

たが治『子褒め』/宮治『強情灸』(交互出演)/マグナム小林/米福『大安売』/昇太『悠々雄三』(漫談・交互出演)/マジックジェミー/鯉昇『粗忽の釘(ロザリオ編・
下)』/桃太郎『私の幸せ』(漫談)//~仲入り~//ひでややす子/遊馬(蝠丸代演)『蛙茶番(中)』/笑遊『蒟蒻問答(中)』/まねき猫(南玉昼夜代り)/文治『幽霊の辻』

★鯉昇師匠『粗忽の釘(ロザリオ編・下)』

主人公が遂にお向かいの家ではなく、一軒空けた隣へ行ってしまい、隣の主人はそれをすっかり聞いてた、という展開に発展。先代馬生師以来の「変人奇人爆笑落第」になってきた。只管主人公の「静かで奇天烈なキャラクター」が凄く、「頭を叩け」と言われて主人公が扇子で頭を叩く件の可笑しさなんてものは筆舌に尽くし難い。

★宮治さん『強情灸』

また少し手を入れて面白さが増している。「本当は川越生まれなんだ」の呟きは相変わらず愉しい。熱くなってから、まだ上体の動きがやや激しく、見ている側の視線が動いてしまうのは惜しい。顔とセリフが面白いから動き過ぎは損しないかな。

★遊馬師匠『蛙茶番』

往来で兄貴分に下半身を見せて去る件まで。深く良い声と高っ調子な跳ねっ返り声の使い分けが可笑しく(遊雀師の影響かな)、こんなに面白い遊馬師の高座は初めて。遊馬師の『蛙茶番』自体、四年ぶりくらいだけれども、遥かに面白くなった。また、追いかけなきゃならない人が増えたかな。

★笑遊師匠『蒟蒻問答』

道具屋を呼びにやろうとする件まで。試演段階なのか、さほど手を入れていないとはいえ、権助の引いた可笑しさは出色。先代柳朝師や小三治師の「自棄っ八みたいな権助」は何度も聞いて知っているし、大好きだけれど、『問答』でこういう風に演出されて面白い権助は初めて。これも好きだなァ。

★文治師匠『幽霊の辻』

旅人はいつになく妙にこわもてなのだが、遊び沢山で茶店の婆さんは「内海桂子師匠に似ている」って具合だし、父追橋に掛かると、女好きで人柱が嫌で三鷹へ逃げた柳昇の倅で人柱にされた「桃太郎(の幽霊)が“ととよ、ととよ、せこい茶碗だね”と声を掛けてくる」には笑った笑った。権太楼師の枠から工夫して逃れつつある。


◆5月2日 池袋演芸場昼席

ぴろき/笑三『頭ン中ァカラッポ』/圓『神奈川宿』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『オカマ幽霊』(正式題名不詳)/楽輔『天狗裁き』/味千代/圓馬『お見立』

★圓馬師匠『お見立』

言葉を繰り返す癖があり、やたらと真面目な杢兵衛大尽と「墓参りとは思わなかった」と慌てる喜助の自然な遣り取りが実に可笑しい。作り物の落第でない本格の愉しさ。

★楽輔師匠『天狗裁き』

ネヴァーエンディングサゲ。この演出で楽輔師から聞いたのは初めて。

★圓師匠『神奈川宿』

今日は人物それぞれに活気があり、「朝這い」のトボケた味わいからサゲまでちゃんと噺が繋がっている。考えてみれば、朝餉の膳を用意させたお梅って女も洒落たキャラクターである。洒落た旅噺なんだな。


◆5月2日 池袋演芸場夜席

たが治『道具屋』/小蝠『人形買い(上)』(交互出演)/マグナム小林/米福『幇間
腹』/昇太『短命』/マジックジェミー/鯉昇『ちりとてちん』/桃太郎『唄入り金満家
族』//~仲入り~//美由紀(ひでややす子代演)/夢花(蝠丸代演)『欠伸指南』/笑遊『蒟蒻問答(中)』/南玉/文治『疑宝珠』

★鯉昇師匠『ちりとてちん』

寅さんの可笑しさに磨きが掛かって、凄くナンセンスになってるのが愉しい。鯛をパクバク食べる無言の表情の可笑しいこと。

★米福師匠『幇間腹』

軽く、弄らず、素直に馬鹿馬鹿しく愉しい。基本的な噺の捉え方が確りしてるなァ。

★昇太師匠『短命』

昇太師の『短命』は二度目か。八五郎がかみさんの「御飯をお食べよ」というセリフを「誘われてる」と勘違いするのが可愛くて可笑しい。

★文治師匠『疑宝珠』

寄席で聞くのは初めてかも。若旦那が宝珠を舐めて青かった体に下から赤みが射してく(枝雀師のSRの逆みたい)ってのと骨ばかりの体に肉が付いてくるってのは文治師の工夫だろうか。視覚的で、ちょいグロ、ちょいSFで面白い。最初に文治師から聞いた時に比べると、喬太郎師がキッチリ噺の骨格を作ってある上に、文治師が受け継いで落語らしい馬鹿馬鹿しさを加えて来た印象。噺の面白さが活き活きしてきている。

※『藥罐舐め』といい、舐める噺は生々しさが馬鹿馬鹿しさに変わると愉しい。『なめる』も文治師で聞きたくなる。

★笑遊師匠『蒟蒻問答(中)』

「大僧正、御名前は?」「蒟蒻・・・高野山弘法大師」まで。試してるなら強引にサ
ゲまで演っちゃえば良いのに。「寺は古いが」の言い立てが入ってないのかな?

◆5月3日 池袋演芸場昼席

翔丸『初天神・団子』(二ツ目昇進披露)/遊雀『悋気の独楽』/ぴろき/笑三『ぞろぞろ』/圓『猫と金魚』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『おかず道』(正式題名不詳)/楽輔『天狗裁き』/味千代/圓馬『妾馬』

★圓馬師匠『妾馬』

特に工夫と言える箇所がある訳ではないのに、夢楽師系の演出らしい臭みが消えており、非常に明快な落語になってきた。「ここを聞け!」的な演出・話術の嫌らしい押しもなく、素直な八五郎の能天気ぶりを軸に、三大夫さんはオロオロ、殿様は泰然としている違いが面白い。去年聞いた時とは別の噺みたい。

★圓師匠『猫と金魚』

圓師では初めて聞いた演目か。先代文治師のような初代権太楼師口調でなく、普通の喋り方なんだけれど、却って会話の内容の馬鹿馬鹿しさが際立つ。今の一蔵さんの『猫と金魚』を渋くしたような面白さがある。


◆5月3日 池袋演芸場夜席

蝠よし『元犬』/小蝠『人形買い』/マグナム小林/米福『看板のピン』/昇太『悠々雄三』(漫談)/マジックジェミー(交互出演)/鯉昇『千早振る・モンゴル編改』/桃
太郎『金満家族』//~仲入り~//美由紀(ひでややす子代演)/笑遊『ん廻し』蝠丸/『お花半七』/南玉/文治『不動坊火焔』

★文治師匠『不動坊火焔』

笑遊師の爆笑を蝙丸師が鎮めて(蝙丸師が二日間休演だったのでヒザ前に回った笑遊師は抑えてた訳ね)すっきりと『不動坊』へ。吉公の銭湯での独り気違いの可笑しさと、後半、幽太(今日は「体格の良い柳家小蝠・笑」)を含めた四人の大馬鹿者ぶりとのバランスが取れて爆笑。特に屋根の上で徳さんと萬さんが声を抑えて喧嘩をする件が滅茶苦茶に可笑しい。時間の関係でか「塵紙に目鼻」の顔の件が無いので存在感の薄かった金物屋の鐡さんがここで徳さんから「其処で笑うな!」と叱られる事で存在感を示すのは良い工夫。萬さんは鯉朝師の感じだな。

★笑遊師匠『ん廻し』

「お題は“踏切り”」からの与太郎には場内馬鹿ウケ。笑遊師のホンワカした与太郎も独特の愉しさである。

★鯉昇師匠『千早振る・モンゴル編改』

また改訂され、「(龍田川に突き飛ばされた)女乞食がチョモランマの峰を越えて、モンゴルの草原に静寂が戻った」といって手の上で龍田川が豆腐を切る件は笑った笑った。「とわ」は「豆腐のモンゴル名」で際限なく転がり続ける噺になってきた。

★米福師匠『看板のピン』

臭みがなくて、サラサラと愉しい高座。年齢の割に声質で親分に違和感がない。


◆5月4日 池袋演芸場昼席

翔丸『甘味屋女房』(二ツ目昇進披露・正式題名不詳)/遊雀『宗論』/ぴろき/笑三『ぞろぞろ』/圓『近日息子』//~仲入り~//Wモアモア/遊史郎(柳太郎代演)『厩火事』/楽輔『風呂敷』/味千代/圓馬『蒟蒻問答』

★圓馬師匠『蒟蒻問答』

圓馬師の定番主任ネタ。毎年、聞く度に内容が落ち着き、レベルアップしてくる。今年は六兵衛、八五郎、権助の真面目に暢気なノリがチロリン村の連中みたいで面白い。落語国の田舎と設定出来れば安中である必要もないんだね。


◆5月4日 池袋演芸場夜席

明光『平の陰』/宮治『つる』(交互出演)/マグナム小林/米福『蜘蛛駕籠』/昇太(交替出演)『悠々雄三』(漫談)/扇鶴(マジック・ジェミー&花代演)/鯉昇『馬のす』/桃太郎『お見立』//~仲入り~//ひでややす子/笑遊『不精床』/蝠丸『首の仕替え』/南玉/文治『御血脈』

★文治師匠『御血脈』

「義光寺の由来」で終わるかと思ったら「御血脈」まで行った。40分強。「御血
脈」に入ってからは殆ど新しいギャグ無しで、前半は地噺、後半は芝居掛かりの多い落語、という雰囲気の違いが味わえた。

※落語協会の中堅より若い真打で『御血脈』や『義光寺の由来』で夜席を(浅草は一寸外して)ハネられる噺家さんが今、どのくらいいるかな?出来るならしん平師くらいだろうか。笑いの量の問題でなく、「演目に対する区別意識の有無」の違いが両協会にはある。小三治師なら、現在の立場で『千早』や『粗忽長屋』『厄払い』でもハネられるが、先代小さん師の『芋俵』、彦六師や先代馬生師の『しわい屋』みたいなハネ方は今の落語協会の主任高座ではまず出来ないだろう。

★鯉昇師匠『馬のす』

鯉昇師からは初めて聞いた演目か?明日休みで釣へ行く、という前振りから。「電車混むね」などなく、「寄席へ来て笑わない人はなんなんだろうね」等の世間話で可笑しく。サゲも「馬の尻尾を抜くとね」を繰返したりしないって具合に真に粋なものである。

★宮治さん『つる』

かなり手を入れて可笑しい。隠居が胡散臭く、八五郎が大馬鹿者で友達から丸で相手にされておらず、聞いて貰うために土下座するまでに至るのが面白い。

★笑遊師匠『不精床』

笑遊師匠では珍しい演目(志ん五師が亡くなってから、寄席では意外と聞かないのも事実)。遊三師同様、先代文治師型。植木鋏でバサバサ切る様子が似合って可笑しい。小僧も頼りなく可愛い。


◆5月5日 第五回柳家小満ん在庫棚卸し

小満ん『寝惚先生一代記』/小満ん『紙屑屋』//~仲入り~//小満ん『長崎の赤飯』

★小満ん師匠『寝惚先生一代記』

『蜀山人』だけれど紹介される狂歌数が家元演出より桁違いに多く、小満ん師の人柄と蜀山人の洒脱の重なりが愉しい。

★小満ん師匠『紙屑屋』

ショートヴァージョンか?手紙・都々逸・新内。『梅雨衣酔月情話』の途中で詞が曖昧になっちゃったのは残念。

★小満ん師匠『長崎の赤飯』

終盤の侍・渡辺喜平次の機知・情が無ければ(この機知も唐突といえば唐突)、金田屋親旦那の身勝手とその言いなりに舌先三寸を使う番頭の他律性が先立ってしまう嫌な噺だなァ。親旦那の身勝手は親馬鹿といえば親馬鹿なんだけれど。若旦那本人が嫁さんを二人持つ方がまだ分かる気がする(『白ざつま』的なデカダンになるか、成都・上海・東京と職場の変わる度に三人の妻を持った陳建民氏~陳建一氏が書いている~みたいにエネルギッシュになるか)。小満ん師としても試演出段階の噺だろうが、お染と金之助をもう少し描かないと「世話講釈の筋を聞いてるだけ」みたいな噺になりかねない。おもちゃ屋の馬生師から圓生師が受け継いだ長く込み入った筋物に共通の欠点かもしれない。上方落語に時々ある「とってつけたような終盤」の一例なのかな。『匙加減』や『髪結新三』が大家の噺であると理解出来るような意味で、この噺は主人公不在のまま、噺が展開してしまっている。「いったい誰が主人公の噺なのか」という点、圓生師も台本上の整理をつけないまんまで演じていたのではないだろうか。
これなら、『上方芝居』の方がまとまってはいると私は思う。


◆5月5日 第七次第回圓朝座(お江戸日本橋亭)

馬桜『牡丹燈籠~お札剥がし』//~仲入り~//喬太郎『宗悦殺し』

※玉々丈さんと馬桜師の前半は聞けず。

★喬太郎師匠『宗悦殺し』

四谷三丁目から慌ただしい掛け持ちで三越前へ。「宗悦殺し」(こけだけでは余りに短い)から「奥方殺し」で「宗悦長屋」はカット。宗悦は新左衛門に明らかに喧嘩を仕掛けて、怒鳴りあった揚げ句、斬られる展開。従って宗悦は名人圓喬風に脂濃くはない。チラッとしか出ないが、志賀・園の可憐さは伺える。奥方が病づいて最初に来る按摩は落語の雰囲気で『幇間腹』の若旦那が落魄したみたいなキャラクター。コメディ・リリーフって感じか。新左衛門が奥方を斬ってから「いずれお熊と一緒になる心算。お前は邪魔者」と伝えて二撃目を加える。の、お熊と出来てから、奥方を殺害するまでの新左衛門の身勝手さに一番特色があった(伊右衛門より身勝手)。但し、二撃目もただ斬り下ろすよりは、侍らしく止めを刺すべきではあるまいか。新左衛門の狂死を語らずにサゲたのでターミネーターみたいな新左衛門がこれからもまだまだ出て来そうな後口が面白い。


◆5月5日 池袋演芸場夜席

昇太(交替出演)『権助魚』/マジック・ジェミー・花(交互出演)/鯉昇『持参金』/桃
太郎『受験家族』//~仲入り~//ひでややすこ代演/笑遊『ん廻し』/蝠丸『のっぺらぼう』/南玉/文治『らくだ(上)』

★鯉昇師匠『持参金』

仲人の甚兵衛さんがお鍋の容姿について、詳細に真実を告げれば告げるほど(ある意味、仲人として妙に細かいとこが誠実なのである)、噺の灰汁が抜けて大笑いになる。この噺の中で一番困ってるのはお鍋を嫁にやる羽目になった仲人ってのが分かるからだろうか。欠陥商品のセールスマンみたいなとこに共感出来て可笑しいのである。

★文治師匠『らくだ(上)』

40分。かなり演出が変わった。寄席用への改訂か。兄貴分が頚の骨を鳴らす演出はなくなり、舌をチロチロだして屑屋を脅かす。印象的なのは大家の因業さなど今まで比較的陰になっていたキャラクターの表現が精密さを増したこと。文治師は実は気を配った芸で、細部が常に丁寧な噺家さんだが、今まで『らくだ』に関しては兄貴分の脅かし方が軸だった。それを屑屋、兄貴分、大家夫婦(かみさんが八百屋に野菜を買いに来たってのが可笑しい)、月番、八百屋などの人間関係にシフトした感じ。かといって、大家が屑屋を蔑むという人間関係ではなく、前半に関しての、らくだの死を巡る人間関係の変化だから重くならない。屑屋の酔っ払い方も二杯目で味が分かり、三杯目をせびる辺りでキャラクターが変わり始め、三杯目、四杯目はかなりのスピードで呑み出して、肴を吐き出したりしない。愚痴も言わない(月番へ行く前に皿を高値で買わされた話だけする)。飽くまでも酔ってキャラクターが変わるだけだから、落語として無駄に重くなり過ぎないのも良い。考えてみれば、六代目松鶴師、先代馬生師、先代小染師と図抜けた『らくだ』は、いずれも凄いけれど重くはなかった。そりゃ重かったら、六代目松鶴師みたいに85分もある高座は聞いていられない。逆に言えば、家元の演出は「火屋まで行けない悲劇的重さ」に支配されている『らくだ』って事なのかも。


◆5月6日 池袋演芸場昼席

ぴろき/笑三『頭ン中ァ空っぽ』/圓『権助魚』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『伝説のカレー屋』/楽輔『ちりとてちん』/味千代/圓馬『井戸の茶碗』

★圓馬師匠『井戸の茶碗』

圓菊師の型が大分残っているけれど、清兵衛や千代田卜斎などは人柄の良さが出て安定した出来。屑屋仲間もふざけずに面白い。高木のみ、些か老けた印象が口調にあり、落ち着き過ぎなのが気になる。

★圓師匠『権助魚』

「網打ちだから水に流して下さい」オチ。権助が如何にも権助らしいので、無理にギャグっぽく会話をしなくても十分に面白いのは老巧。


◆5月6日 池袋演芸場夜席

蝠よし『やかん』/小蝠『初天神・団子』(交互出演)/マグナム小林/米福『猿後家』/学光(交替出演)『試し酒』/花(交互出演)/鯉昇『餃子問答』/桃太郎『学歴詐称家族~生きてて良かった』(漫談)//~仲入り~//ひでややすこ/笑遊『強飯の女郎買い』/蝠丸『お七の十』/南玉/文治『青菜』

★文治師匠『青菜』

植木屋も旦那も調子をズーッと張っているので可笑しさの陰陽に乏しい。友達の大工が登場して漸くメリハリが付く。とはいえ、植木屋はちゃんと職人だし、植木屋がかみさんに言う「井戸端へ行くな、呼ぶとき手間が掛かるから」や、大工が言う「おめえのかみさんは鰯を焼かせると名人だ(また食べて)随分焼いてるな」など、様子の目に浮かぶセリフがある良さは得難い。「分かるかなァ~、分かんねえだろうな」をギャグとして繰り返すのは野暮ったくなる。あと、植木屋に釣られて旦那が体を動かし過ぎる。目白から教わった遊三師の旦那はあんなに動かないのが旦那らしさに繋がっている。

★米福師匠『猿後家』

サラッとしていて、おかみさんの喜怒哀楽に無理がなく、この噺にありがちな嫌らしさを全く感じさせない巧さがあって面白い。お世辞の男や番頭も的確だし、冒頭、小僧を猿若町へ遣いにやろうとする番頭と小僧の遣り取りも愉しい。

★学光師匠『試し酒』

マクラを長く振ったので本題はかなり短い。『馬のす』のように、世間話をしなが
ら、あっという間に五升飲んでしまう。併し、世間話が面白く、短く演るにはこうい
う演り方もあるなと感じた。井上が戻って来た時にチラッと酔いを感じさせるのも巧い。

★鯉昇師匠『餃子問答』

故郷の浜松は餃子の町で、というマクラから「餃子屋の親分がいて」と本題に入った時は「趣向・改訂」の可笑しさに声を出して笑った。元噺家が浜松で御難に遇い、餃子屋の親分に助けられて和尚になる。展開の基本は『蒟蒻問答』そのままで時間の関係から、「お経はいろは」(設定が噺家だから「お経は「寿限無」か「垂乳根の」になるかな)「大僧正の御法名は?」「旗天蓋は」などは全てカット。最後の仕科をどうするのか?と思ったが「お前ェんとこの餃子の中身はこれっぱかりだ」でクリア。鯉昇師の改作力・想像力の凄さは段々と、鼻の圓遊師みたいになってきたな。

※圓馬師の『蒟蒻問答』を聞いて「安中の必要があるのかな?」と感じた疑問の答えとこんなに早く出会って驚いた。

★笑遊師匠『強飯の女郎買い』

笑遊師らしい手はまだ全く入っておらず、多分、教わったままの試演段階だろうけれども(かなり古風なセリフの多い演出で、誰のだろう?雲助師の好きそうな「隠れ下セリフ」も幾つかある)、非常に丁寧で、就中、人物が的確で巧くて面白い。熊さんの鬱積、紙屑屋の軽さ、妓夫の軽さと文句なしの優れた『強飯』。ちゃんと受けてたのも巧さゆえ。

★蝠丸師匠『お七の十』

笑遊師がちょいと長目に演った後を受けて、「オチが二つある噺なんですが、どちらでもお好みの方をどうぞ」とマクラで話してから、サラリと面白く。「吉三さん、
わしゃ本郷へ」と芝居掛かりのセリフになると、ちゃんとメリハリがつき、変な所がないのは文治師にも共通する事だけれど、先代文治師の教えなのかな?


◆5月7日 池袋演芸場昼席

笑三『悋気の火の玉』/圓『禁酒番屋』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『神のアプリ』(正式題名不詳)/楽輔『錦の袈裟』/味千代/圓馬『青菜』

★圓馬師匠『青菜』

昨夜の文治師と出所は同じだと思うが大分雰囲気が違う。前半は旦那と植木屋のスケッチになっていて、後半は植木屋夫婦のスケッチになっているのが落語らしい。大工の友達が現れて植木屋のテンションが上がってから些か調子が粘っこくなるがちゃんと面白い。かみさんが鯉の洗いを知っていて「洗っただなんて御屋敷で言わなかったろうね」と突っ込まれた植木屋が「言ってない」としらばっくれる辺りの面白さは秀逸。旦那に上方訛りがあるのは一寸珍しい。江戸の「のっこむ」と上方の「弁慶」が同じ意味というマクラも初めて聞いた。

★Wモアモア先生

JRの隠語で「お客様が線路に入った」が「痴漢が捕まった」という意味だとは初めて知った(例え、本当でなくても面白い)。「中村紀洋苦労の果ての千本安打は長島国民栄誉賞の裏、谷繁最年長二千本安打は新聞休刊日は、どちらも気の毒だけどそういう運命なのかな」という話も含めて、最新の情報とその捉え方、そして定番ネタの組み合わせの美味さでは東京の漫才の中でも図抜けている。

★圓師匠『禁酒番屋』

上方の『禁酒関署』型に近く、漏斗を使って女子衆も仲間に入り、最後に番屋の侍が少し口に含む。尺は短いが番屋の侍が徳利の栓の匂いを嗅いでニヤリと笑う。だから最後に栓を放ってしまうのが生きる。酔い方の変化もくどくなく、如何にも酒呑みらしい。酒屋の連中の「カステラの顔をして」「油の顔をして」も愉しいくすぐり。

★柳太郎師匠『神のアプリ』

今日の演目は初めて聞いた噺だけれど、続けて何日も違うネタを聞いていると「新作として発想は面白いのに消化不良」という感じがしてならない。「聞こえやすくと言う意図」なのか、終始キンキン声で登場人物の誰彼が分かり難いのと、いつも急いで話してるみたいで慌ただしいので笑いが起き難い。体格同様、声も大きく、調子が高いのは別に構わないけれど、常に力を入れてキンキン声にするというのは聞いてて草臥れる(笑三師と清麿師を足したみたいである)。毎回同じ内容であるマクラを少しばかり削って、本題にもっと時間を割いた方が面白くなるのではあるまいか。


◆5月7日 池袋演芸場夜席

たが治『芋俵』/小蝠『薬罐舐め』(交互出演)/マグナム小林/米福『羽織の遊(上)』/鯉昇『粗忽の釘(下)』/花(交互出演)/学光(交替出演)『手水廻し』/桃太郎『桃太郎流茶の湯(上)』//~仲入り~//ひでややすこ/笑遊『蒟蒻問答(中)』(問答に入る直前まで)/蝠丸『死ぬなら今』/南玉/文治『蛙茶番』

★文治師匠『蛙茶番』

鳴り物入り。定吉の可愛さに比べ、半ちゃんに迫力があり過ぎて一寸怖い。定吉もやや引いた感じになる。小柄な先代文治師と違い、大柄な文治師では憤然としてる半ちゃんの感じが強くなり過ぎるのかな。芝居の合間に半ちゃんが半畳の上で騒いでる件が一番可笑しい。『天竺徳兵衛』をタップリ見せるのは今の小文治師と同様。満祐の幽霊に雰囲気がある。

★米福師匠『羽織の遊(上)』

伊勢六の若旦那の奇怪さより、町内の若い衆がワイワイやってる様子が主体で、それが軽くて愉しいのは結構なもの。

※学光師に限らず、東下りの師匠方はどうしても囃子の入らない噺にならざるをえない。折角、今夜のように見台・膝隠しを使っても結果的に東京の噺家さんが演っている上方ネタと被ってしまうのが如何にも勿体無い。

※先代文治師の『蛙茶番』は誰から伝わった演目なのだろう?三代目三木助師と同じく先々代燕路師かな。遊三師と演出が違うし。たが治さんの『芋俵』は当然文治師のだろうが、目白型より古風かつ丁寧で(手間はかかるけれど理にかなった演出が多い)、細部の設定も違う。これも元はどの師匠からだろうか?


◆5月8日 『マイ・フェアレディ』(日生劇場)

霧矢大夢(Wキャスト)・寺脇康文・松尾貴史・田山涼成 演出・G2

★演出は25点。演出のミスというか、大劇場演出の分からない演出によって小劇場ミュージカルに転落した大劇場ミュージカルの典型。謝珠栄が大地真央の作品をちゃちに演出して失敗したのを思い出した。舞台と演技がスカスカ、チマチマして薄暗いなんてのは話にならない(脇役の動きの方が大劇場っぽい)。翻訳・修辞の改訂で笑いの部分は分かりやすくはなったが(『スペインの雨』が『日向のひなげし』という題名になっている。但し、小劇場的な笑いで英国が舞台のシニカルな笑いではない)、大劇場作品演出の素養に乏しく、この作品に必要と私が想う華麗さは殆ど失せた。コックニー訛りなのに「ヘンリー・シギンス」ってのも江戸っ子だよそれじゃ。「H」の発音が出来ないのがロンドンの下町訛りで「エンリー・イギンズ」になるから怒気が強く発せられるので、「ヘンリー・シギンス」じゃ気が抜ける。稽古場で気が付かないのかね。演出家は耳も悪いらしい。霧矢は演技面ではイライザが怒りをぶつける場面の切なさが良く出た。近年のイライザは大地真央オナリーだったから(尤も、大地の初演で舞踏会に行くためイライザが二階に現れた瞬間が私の見た最後の「ジワが来る」)、演技の品が悪くないのと体のキレは霧矢の方が遥かに良い。歌はキーが違って殆どファルセットのため音を目一杯に出せないのが辛い。『ミー&マイガール』のサリーが見たいな。ヒギンズの寺脇康文は体の切れはあるけれど、役が違うのと品が悪いので感心せず。英国紳士でシニカルでマザコンで変人という役だから、これはどう考えても今なら阿部寛向きだ。昔、『ピグマリオン』でヒギンズを演じた橋爪功が絶品だったのも思いだされる。田山のピカリングは英国紳士にしては砕
け過ぎ。松尾のドゥリットルは『運が良けりゃ』が駄目で『時間どおりに協会へ』はマズマズ(私の考えるドゥリットルのベストはスタンリー・ハロウェイそっくりで歌えて演技の出来る笹野高史)。発音が重要な話なのにヒギンズとフレディの平方が揃って鼻濁音の出来ないってのは失笑物。寿のピアス夫人は出演者の中で芸が一番大舞台で歌も立派。このレベルで考えないと『マイ・フェアレディ』にはならない。

 ※今回観ていて感じたのだけれど、『マイ・フェアレティ』のオリジナルスタッフ
は『ミー&マイガール』を知ってたんじゃないだろうか。余りにも似た点が多すぎ
る。それとも演出が『ミー&マイガール』のパクリっぽいのか?


◆5月8日 喜多八膝栗毛~壱之噂~(博品館劇場)

鯉八『おじさん』(正式題名不詳)/喜多八『唖の釣』/喜多八『跛馬』//~仲入り~//松本優子&太田その『』/喜多八『猫の災難』

★喜多八師匠『猫の災難』

 歯の間の酒を吸出したり、酒を口の中で回したりと滅茶苦茶にセコイ酒呑みなのだが、あんまりにも酒好きなので面白くなる。最後に「猫に詫びをしてくる」だけ、いきなり良心的になったみたいで変。兄貴分が「イヨッ!」と入ってくる笑顔が既に酒呑みそうで嬉しそうで堪らなく良い。

★喜多八師匠『唖の釣』

一朝師の与太郎を喜多八唖が演じてるみたいで、可愛さに違和感がある。七兵衛が唖の振りをする件は可笑しい。

★喜多八師匠『跛馬』

馬好師譲りとか。『旅行日記』の宿主人みたいな馬子でチャチャクリチャチャクリと可笑しいが長閑さとは余り縁がない。

★鯉八さん『おじさん』

 前半かなり受けたが、後半のおじさんと部下の場面は観客ややボカン。

◆5月9日 池袋演芸場昼席

笑三『大師の杵(上)』/圓『強情灸』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『テレクラ爺さん』(正式題名不詳)/楽輔『火焔太鼓』/美由紀(味千代代演)/圓馬『鹿政談』

★圓馬師匠『鹿政談』

奈良田中町の豆腐屋で起きる設定であり、先代圓馬師⇒圓師経由の原型『鹿政談』。まだ、豆腐屋の描き方が粘っこいのは気になるけれど(年寄りにし過ぎる。圓馬師ならそんなに老け込ませる必要はない)、京都所司代から演ってきた設定の「臨時奉行」が如何にも侍らしい闊達さで(圓馬師は本当に侍が似合う)、塚原出雲をテキパキと遣り込める辺りの情ある正義漢ぶりが気持ち良い。いわゆる「御奉行ぶった大仰さ」がないのである(鹿の袋角を奉行が繰り返さないのも賛成)。芝居にし過ぎない面白さと落語らしい恬淡とした味わいになる。

★楽輔師匠『火焔太鼓』

スイスイ運んで気負いが全くなく、如何にも『火焔太鼓』の調子であり、夫婦像である。変に神経質な作りでないのが『火焔太鼓』を成り立たせている。楽輔師の持っている落語味故の良さであり、愉しさである。こういう風に演るべき噺なんだよなァ。


◆5月9日 池袋演芸場夜席

たが治『やかん』/宮治『弥次郎(上)』(交互出演)/ひでややすこ/米福『身投げ屋』/かい枝『老婆の休日』(交替出演)/花(交互出演)/鯉昇『ちりとてちん』//桃太郎『唄入り善哉公社』//~仲入り~//マグナム小林/笑遊『鰻の幇間』/蝠丸『洒落番頭』/南玉/文治『線香の立切れ』

★文治師匠『線香の立切れ』

声の活け殺し、という大きな課題はあるけれど、久乃家の女将が回想で小久に話し掛ける言葉に親の情があり、お仲が見事に女中である。番頭の大きさなど、目白庭園で聞いた時より「文治師の立切れ」を作る上での切り口を感じた。感傷的な性格の反映で後半、泣きに抑制が掛からないのも課題だけれど、お仲の存在をもっと大きくすれば糸口が見つかるのではあるまいか。女将の言う「お仲、調子合わせて」などは稍理に走りすぎ。調子をあわせていない三味線でも小久は『黒髪』を弾けるのが落語。

★米福師匠『身投げ屋』

十二分に巧いんだけれど、演出が比較的古風なまんまなので噺の展開に違和感がある。金語楼師のとも違う演出だし、誰のが元だろう?


◆5月10日 池袋演芸場昼席

ぴろき/笑三『安全地帯』/圓『長短』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『伝説のカレー屋』(正式題名不詳)/楽輔『火焔太鼓』/味千代/圓馬『居残り佐平次』

★圓馬師匠『居残り佐平次』

前半、トントンと軽く運べる口調を持っているのは結構なれど、佐平次が妙に立派過ぎて表情、言葉も堅く、セリフで言ってる面白さが前に出ない。特に佐平次はもっとぬらりくらりとしてるとか、愛嬌があるとかの面白さでありたい。勝の部屋に佐平次が湯飲みを持参するのは面白い。悪党ぶると野暮になる。逆に妓夫連中は少し強面ぶりが欲しい。終盤、「神田の白壁町で」以降の忠信利平のセリフを忘れてシドロモドロになったのは御愛嬌。「貰いを掛けろ」が無かったように佐平次の廓での働きぶりは少しカットしたかな。店の旦那は品格があって立派で結構なもの。袴無しでも立派に見える。

※霞花魁の客が勝次郎ってのはモデルが四代目圓生師かしらん。となると、忠信利平のセリフは入っていても、原型は盲の小せん師以前の二代目圓馬師系統の『居残り』なのかも。

※帰りがけ、新聞社のN井氏と会って話して意見一致したが、楽輔師連日の『火焔太鼓』には志ん生師本来の「駄目夫婦ぶり」を楽々と描いた面白さがある。かみさんには矢来町の怖さが少し残っているが甚兵衛さんがドンピシャリのだらしなさ。省みて、矢来町一門をはじめとする落語協会の『火焔太鼓』は構えすぎではあるまいか(違う夫婦像の白酒師は除く)。尤も近年、フワフワと演じてる筈の雲助師と一朝師の『火焔太鼓』を聞いてないのは残念。矢来町の幻影が残っている上に、何の内容も無い愉しさだから(家元の好きだった映画『のるかそるか』と似てる)、現在の落語会のお客さんには分かって貰いにくい演目の一つだけれども、三田落語会で一朝師に演じて戴けないかな?

※落語協会だと先代柳朝師系『火焔太鼓』は一朝師、権太楼師、正蔵師に、独自演出の『火焔太鼓』はさん喬師と白鳥師になるかな。

※『芝浜』って、本来は『火焔太鼓』に似た夫婦像の噺でなきゃいけないんじゃないかな。


◆5月10日 落語教育委員会(なかのZERO小ホール)

喜多八・歌武蔵・喬太郎『コント~屋根の上』/こはる『四銭小僧』/歌武蔵『五貫裁き』//~仲入り~//喜多八『居残り佐平次』/喬太郎『梅津忠兵衛』

★喜多八師匠『居残り佐平次』

先日の紀伊国屋ホールとは別人のような出来。尺は掛かっているけれど、佐平次が最初から図々しくて剽軽な奴で憎めず、妓夫や勝が巻き込まれてしまう展開で、無駄な重さがないのが良かった。言えば、佐平次活躍が、小満ん師ほど具体的に語られないので洒落っ気が妓夫の会話に留まるのが物足りないけれども、スイスイと聞かせて嫌みなく、喜多八師らしい誇張と馬鹿馬鹿しさが色々あって愉しい。

★歌武蔵師匠『五貫裁き』

歌武蔵師の持ち味で徳力屋も番頭も嫌な奴にならないため、些か噺の面白さが曖昧になっている。また、最後に大家がジックリ説諭する、という演出もありかな?

★喬太郎師匠『梅津忠兵衛』

喬太郎師版の彦六師風文芸物で、落語と人情噺の中間風の面白さがある。但し、忠兵衛がサムソン並に周囲の木をベリベリと薙ぎ倒す可笑しな件があるだけにストンと落とすオチが欲しいのは以前と変わらない。「胸に思案があるからは腹に腕が」くらいの洒落っ気で良いのだが。

★こはるさん『四銭小僧』(『真田小僧』の前半)

三か月ぶりにきいて「巧くなったな」と思う所と、「妙に達者になったな」と思う所が相半ばした印象。

------------------以上、上席-----------------

◆5月11日 第二回鶴川落語会「らくご@鶴川“権太楼たっぷり”」(和光大学プ
リモホール鶴川)

おじさん『子褒め』/権太楼『素人義太夫』//~仲間入り~//ほたる『初天神』(飴と団子)/権太楼『居残り佐平次』

★権太楼師匠『居残り佐平次』

権太楼師の『居残り』を生で聞くのは物凄っく久しぶりなんじゃないかな。45分。
非常に面白かった。妓夫を最初から「楽しめたのも君のおかげ!!」とおだてて、更に「お引けの時、四人で話してる側にいたろ?」「気を利かして外してたんです」「それで“お題を”なんて言ってたんだ!」と妓夫を明るくたぶらかす誘導の仕方が独特かつ巧妙で、矢来町ほど詐欺師っぼさを出さなくて面白い。勝っつぁんを持ち上げる惚気話も明るく楽しいが、二階を稼ぎだした佐平次が真っ赤な襦袢にステテコ、真っ赤な鉢巻きをして「唐辛子踊り」を客にも踊らせる辺りは絶妙絶品。「遊び」の分かってる強みだ。終盤、旦那相手には泣き落としを使うなど、騙りに変化があるのも良き工夫。忠信利平のセリフだけでなく、「高飛びといやあ北海道から樺太」「遠く北海道の地で旦那のことを思う時には、上と下の瞼を確り閉じりゃあ」と『瞼の母』まで入るのも独特の工夫である。小満ん師の佐平次にも言えるが、此処に独自の工夫がなきゃ長丁場の噺は飽きてしまう。「裏のせどや」を歌って気楽に品川を去るのも楽しく、妓夫に問われて種明かしをして、最後の一瞬だけ「悪」をチラリ見せるのは一朝師同様の良さ。目白や鈴々舎から学んだ「遊びの世界」が見事に活かされている。目白のお弟子さんの育成方法の幅と奥行きを改めて感じた。

★権太楼師匠『素人義太夫』

義太夫が語りたくて語りたくて滾っちゃって、何だか分んなくなってる旦那(こういう人物像が出せるのは枝雀師と権太楼師、そして遊雀師くらいだろう)の可愛さ、可笑しさは変わらないけれど、繁蔵の困り方の表情が変化に富んで面白い。全体に、以前より少しだけゆっくり加減なのかも知れないが、その分、表情や語調子の変化が一艘楽しめて面白い。


◆5月12日 小三治一門会(北とぴあ)

小はぜ『道灌』/燕路『笠碁』//~仲間入り~//小雪/小三治『大切なのは了見~厩火事』

★小三治師匠『厩火事』

マクラから70~75分くらいあったかな。長生きはしたいもんである。『厩火事』
の前半は旦那って「男」と、お崎さんって「女」の判断力の違いの面白さが一杯。旦那がお崎さんに同情しながらも「こいつは何で分かんないんだ!」と焦れてくる(『結婚出来ない男』の阿部寛みたい)。それを聞いてて「分かんないよ、お崎さんは男じゃなくて女だもん」と感じさせてくれる見事なスケッチに驚く(バーナード・ショー並の炯眼である)!八五郎とお崎さんの遣取りも基本の食い違いは同じだけれど、八五郎には旦那と違い社会的責任感や勤労意欲はからっきしない。でも「俺は間違ってない」と思ってる「ヒモの了見」と、お崎さんのズレのスケッチで、いやあ愉しかった。チューリップの歌詞だっけ?「我が儘は男の罪、それを許さないのは女の罪」は名言だなァ。

※昔、小三治師が演劇落語を熱演してた頃のこと。あるファンの女性に「先日はとても良い人情噺を聞かせて戴いて」「人情噺?いつです?」「いついつです」という応えだったそうな。「その人はあたしの『厩火事』を聞いたんですが」ってな事をマクラで怪訝な顔付きで話をしてたのが忘れられない。確かに、当時の『厩火事』はやたらとドラマにされていて、心理描写ばっかりで息苦しくて、無闇と会話の間合いの長い『厩火事』だった。それが今日みたいな『厩火事』になるのだから「長生きも芸のうち」「年取ないと分からない事はある」のは事実である。

※『了見』のマクラで『火事息子』の喩え話から某一門の話は無茶苦茶面白かった。言ってから「長生きはするもんですなァ」と破顔一笑した笑顔がまた良かった。怖いものなしの人でないと見せられない表情である。

★燕路師匠『笠碁』

2月に寄席で聞いた時と少し印象が替った。オチに関しては小里ん師の演出を教わったのかな。但し、全体の雰囲気は小里ん師とはかなり違う。寄席(池袋)の時は時間がなくてテンポが良かったけれど、今日は時間があるがために却ってテンポが落ちてリズミカルな落語とは言い難い。最初の遣り取りが二人とも商人でなく、学校の先生と真面目な勤め人みたいに感じられた。二人とも「変に真面目な同士」で、それはそれで一つのキャラクター付けなんだけれど、途中からコロコロ変わって、不明瞭なキャラクターになってしまった。店にいる側の旦那が番頭をはじめ、店の者相手に口をきき過ぎるので、老人の寂しさの感じがしないのもどうかね?。目白の小さん師の『笠碁』は友情と独りごとの面白さ、そのベースにある二人の老いた男同士の普遍的な孤独だと思うけれど(先代馬生師のは孤独感が友情より先立つ)。


◆5月12日 上野鈴本演芸場夜席

市楽(市江・市弥交互出演代演)『手紙無筆(上)』/仙三郎社中/一之輔『加賀の千代』/圓太郎『強情灸』/紫文/琴調『徂徠豆腐』/小袁治『百川』//~仲入り~//遊平かほり/正朝『祇園祭』/ダーク広和/柳朝『蛙茶番』

★小袁治師匠『百川』

全体に静かな展開。祭を背景にした江戸っ子の噺にしてはカラッとした所に欠ける。中でも百兵衛が陰気で、あれでは客席も大きくは受け難い。

※品川の圓蔵師の十八番⇒圓生師経由の幾つかの噺に関して疑問がある。『派手彦』『百川』『一つ穴』『弥次郎』『大山詣』『花見の仇討』など。圓生師だと40~50分掛かる噺だが品川の師匠だと30分掛からないんじゃないかな。品川の圓蔵師は「全身が舌」と言われたくらいの能弁家だから、噺も本来そのスピードが必要なんじゃないだろうか。『三人旅』のお婆さんの件なども品川の師匠の能弁が残った一例だろう。圓生師は唄い調子ではあったけれども、能弁家とは違う芸風だったから、その分噺が長くなったのではあるまいか。従って、上記の演目を能弁家でない人が演じる場合は30分前後にまとめるために刈り込む必要が出てくるんじゃないかなと私は思う。品川の速記の場合、活字を追うだけではではスピードが分からない事もあるだろう。速記分の言葉を何分で演じていたのか?というのを誰か、圓生師にもっと聞いておいて欲しかったと思う。圓生師の速記や百席のレコードがある種の権威になってしまっているため、スピードに関する課題が戦後の落語研究家諸氏や戦後育ちの師匠方からから現代の噺家さん方にちゃんと伝わっていないと思う。実際、ベテランでも能弁家としては小柳枝師がいらっしゃるくらいで、中堅から下の世代で能弁と言えるのも菊志ん師くらいだけど、目白の小さん師匠だって速い時は速かったからね。あれは四代目の能弁の名残かもしれない。

★柳朝師匠『蛙茶番』

奇声連発で却って聞きダレしちゃった。番頭のキャラクターが登場毎に変わり、定吉は愉しそうでも面白がってもいないから、お店の芝居のハレ感覚も計略の楽しさも出ていない。半公がデブってのは初耳だが、跳ねっ反りなりにミィ坊の件でマジになってなきゃいけないのに奇声で分断される。序盤で番頭が定吉に「井出の玉川」の場を解説するのも寄席サイズで必要かなァ。定吉が歩いてる最中、地に戻った件も定吉のセリフで言わせれば済むと思う。「受けたい」意識で噺が逆に受けなくなってるのは惜しい。奇声抜きで普通に演じた方が受けると思うんだけど。

※知り合いに「柳朝さんの噺は気味が悪い」と言われた事がある。それも奇声が逸れた印象ではあるまいか(もう一つの要因は、なまじ表現力があるから『荒茶』などがリアル過ぎて「髭の脂が浮かんだ茶」の絵が浮かび、気持ち悪くなる所にもある)。芸質的に柳朝師は、一朝師以上に「巧さから可笑しさが出る噺家さん」だと私は思う。細身で可愛らしい顔をしていて声も高く細い、また陽気ではないが端正である。本来は『線香の立切れ』(演った事があるのかどうか私は寡聞にして知らない)などに向いた芸質なんじゃなかろうか。落語らしい軽い味がちゃんとあるのにも関わらず、『お菊の皿』の「皿屋敷へ向かう件」で闇の怖さが出せる表現力の持ち主だから、『立切れ』を演じると「怖くて美しい噺になるのではないか?」とも感じる。『庖丁』みたいな、圓生師の噺など演じて「巧さ自慢」になっちゃ困るけれど、扇遊師や扇辰師にお稽古を付けて貰って、本来は綺麗な噺を愉しく演じる噺家さんじゃないのかなァ。「春風亭柳朝なんだから先代と同じ芸でなきゃいけない」なんて、落語を古典芸能扱いする「真面目バカ」の視点には鳴って欲しくない。


◆5月13日 上野鈴本演芸場昼席

半蔵『そば清』/扇遊『手紙無筆(上)』/ストレート松浦/喜多八『短命』//~仲入り~//ホームラン/白酒『六銭小僧』/才賀『松山鏡』/二楽/燕路『抜け雀』

★燕路師匠『抜け雀』

宿屋の主人がボーッと系の甚兵衛さんでリアクションのボンヤリした表情、セリフも含めて気の利かない感じが面白い。かみさんも釣り合いの取れた小柄な夫婦でチャチャクリしてる夫婦の日常が面白い。若い絵師は威張り方が軽いのが結構。父絵師のみ、セリフに妙な抑揚の付くのが惜しまれる。

★才賀師匠『松山鏡』

 聞いた事のない演出。或る意味、芝居として田舎者たちがリアル。半面、何だかドリフのコントっぽさも感じる。


◆5月13日 第260回小満んの会(お江戸日本橋亭)

おじさん『狸の札』/小満ん『道灌』/小満ん『五百羅漢』//~仲入り~//小満ん『付き馬』

★小満ん師匠『道灌』

四天王~児島高徳~小町(深草少将抜き)~道灌。一々、噺を溜めない遣り取りの中に趣味人・隠居の教養とそれを混ぜっ返す八五郎の洒落っ気が浮かび上がる。

★小満ん師匠『五百羅漢』

開祖・祥雲の苦心を軸にした『五百羅漢寺由来』に、参詣人のスケッチを三組ほど加えたエッセイ噺。第二の羅漢像が安置された寺として、私の実家の大家、芝白金・瑞聖寺の名が出てきたのは驚いた。終盤は田舎者・元女郎・敵討の小噺的スケッチ。敵討ちの田舎侍が品川の圓蔵師版『庚申待ち』の一部分かな。

★小満ん師匠『付き馬』

30分。前半は割と普通だけれど、店を出てからが快速快弁!「いい菜漬け」から「おじさんったって前座じゃない」まで洒落・穿ち沢山の能弁で面白い事この上ない。洒落に門も無ければ勝手口も無い勢いで投げ捨てるように可笑しな饒舌は四代目小さん師か品川の圓蔵師を思わせる。「肉豆腐?脂っ濃いもの食うね」は先代柳朝師で聞いて以来の大好きなセリフ。『居残り』同様、悪をチラとも見せない洒脱さ。早桶屋の主まで洒落てるという、江戸廓噺の醍醐味あり。


◆5月14日 池袋演芸場昼席

小菊/志ん橋(雲助代演)『看板のピン』//~仲入り~//小せん『欠伸指南』/小勝『漫談』/正楽/一朝(川柳代演)『宿屋の富』

◆5月14日 池袋演芸場夜席

まめ平『転失気』/ぼたん(交互出演)/馬石『粗忽の釘(下)』

★志ん橋師匠『看板のピン』

親分に騙された若い衆の「五だ!」の了見だけの面白さに代表されるように、全編、登場人物の了見だけで展開して抜群に面白いという、芸を聞かせよう見ようなんて色気は全く無い素晴らしさ!こんな『看板のピン』、聞いた事が無い。

★一朝師匠『宿屋の富』

スイスイとテンポ良く進むから、二番富の男の妄想の繰返しでキャラクターが出るだけで、笑いを無理押ししないからダレないのは流石(この件は意外とダレ易い)。周囲の呆れ方も愉しい。ホラ話がテンポ良く進んだ挙げ句、客が一分の金を取られて一文無しになる困り具合がサラッと面白いのも特徴。宿の主人は最初の客との遣り取りのボーッとした感じと、湯島天神から戻った時(「懐が無い!」と慌てる件の仕科の可笑しさも印象的)、頭がハッキリして驚いてる感じに変わるのは、一朝師の『宿屋の富』でも珍しい。

★馬石師匠『粗忽の釘(下)』

最初のうち、かみさんの言葉が妙に説明的に感じられて、「?」と感じたが、主人公の粗忽ぶりが愈々可笑しく盛り上がった。周囲が多少まともなのとの主人公のギャップが更に際立って面白い。

★ぼたんさん『悋気の独楽』

明るくて面白いのだけれど、妾がすまして冷たく見えるのには噺の展開上、違和感を覚える。「良い女ぶってる」ニュアンスかな。御内儀は対照的にかなり年寄り臭い。


◆5月14日 らくご街道雲助五拾三次之内二番宿~吉例~(日本橋劇場)

雲助『髪結新三・発端~葺屋町弥太五郎源七内』~仲入り~雲助『髪結新三・富吉町新三内~深川閻魔堂』

★雲助師匠『髪結新三』

つけ打ちに吉住誠一郎氏を招いた(私は凝り過ぎだと思う)。『白子屋政談~仇娘昔八丈』でなく『梅雨小袖昔八丈』の方の『髪結新三』。新三は全体に大物っぽくないのが良く、特に新三内で源七を向かえる様子から長兵衛にへこまされるまでのウブに近い「若さ」が一番良かった。二枚目過ぎないで若旦那っぽい新三である。但し、前半は大物悪党じみるし、啖呵を切ると芝居になってしまうのは全ての役に通じる。長兵衛は白子屋からの礼金を見て、わざと大袈裟に驚く仕科の面白さは絶品だが、調子を張ると低くウネウネした所が源七と似てしまう。弥太五郎源七は終始ウネウネした蛇的なキャラクターだが、怖さや下がり松の親分の雰囲気はない。善八とかみさん、善八と長兵衛、善八と源七の件など、克明で芝居にしない場面の会話は落語として面白いが、芝居にある場面になると単に芝居になってしまう。閻魔堂の殺陣は結果的にツケは及び腰、膝立ちの形は動きのある場面は兎も角、止まった動きでちゃんと静止出来ずに流れる。両足に体重を掛けられる芝居の動きと違い、また膝立ちのみでなはく、最後は走り去る『権九郎殺し』のようには形が決まらない。ツケ打ちを入れたな
ら、もっと動いても良かったのではないだろうか。また、焔魔堂は新三が五代目~六代目音羽屋の低調子が基本なら、源七は高く受けないと芝居になり憎いが、雲助師は基本の調子が低いので張ると新三と源七の区別が付かなくなる。

 ※善八に連れて行かれるお熊を見ながら、六代目の新三がお熊の腰の辺りを性的な視線で見ていた、という「強淫した女への欲情」を描くような近代劇的・心理劇的な『新三』を今後誰かが演るとしたら喬太郎師かな。物凄くリアルに言えば、お熊の裾は乱れて新三の体液がこびり付いていたのかもしれない。深層的な恋愛心理劇としての『髪結新三』で、ドラマとしてのロマンティシズムを伴い乍ら、そういう「絵」を(別に「被虐の美」なんて気取るつもりはない。リアリティとしての絵である)描けるのは喬太郎師の世代にならないと無理かもしれない。


◆5月15日 新宿末廣亭昼席

木久扇/『明るい選挙』正楽/南喬『湯屋番(上)』//~仲入り~//扇辰『御血脈』/笑組/文生『漫談』/小燕枝『千早振る』/和楽社中/扇遊『ねずみ』

◆5月15日 新宿末廣亭夜席

小はぜ『道灌』/ちよりん(交互出演)『動物園』/菊生『新聞記事』/菊志ん『権助提燈』

★菊志ん『権助提燈』

受けるようになったなァ。権助の大声調子と、本妻・妾のシナシナした調子の違いだけで見事に面白い。本妻が次第に居丈高になってくるのも可笑しい。

★菊生師匠『新聞記事』

キンキンしていた調子が納まったのは良いが、代わりに稍間延びしている。

★南喬師匠『湯屋番(上)』

煙突小僧煤之助まで。この若旦那みたいな「馬っ鹿奴な」は抜群。妄想の妾が昔のように立ち泳ぎをする演出を見たかったなァ。

◆5月15日 第33回白酒ひとり(国立演芸場)

さん坊『転失気』/白酒『牛褒め』/白酒「桃月アンサー」/白酒『首ったけ』//~仲
入り~//白酒『不動坊火焔』

★白酒師匠『牛褒め』

この五年では初めて聞いた演目か。文朝師の演出がベースみたい。山下清みたいな与太郎が好き勝手してる可笑しさが主体なのは先代馬生師の大馬鹿者与太郎系かな。半面、おじさんは余り与太郎に対して身内っぽくない。

★白酒師匠『首ったけ』

辰っつぁんが野暮な男で、好き同士の迂闊な言葉から紅梅と喧嘩になる雰囲気でなく、野暮な客と野暮な女郎の喧嘩になってる。些かシリアスでこの噺にしては重め。

★白酒師匠『不動坊火焔』

久し振り。かなり手を入れ、また刈り込んである。銭湯で気の毒な町内の男がお滝さん役をさせられて終いには吉公と湯船の中で抱き合う可笑しさは絶妙。後半は闇のように黒くて夜は存在の分からない鐵さんと幽霊役の林家正蔵(親も噺家という設定)の可笑しさで引っ張るが、屋根の上に出てからの三馬鹿トリオプラスワンの掛け合いの可笑しさはイマイチ。幽霊役がぶら下がってからは圓彌師やたい平師のように体を自在に上下させる動きの面白さが無いので(目白の師匠だって、ちゃんと動いてた。太り過ぎかな?)、林家正蔵が口籠る可笑しさだけになり(萬さん、鐵さんが消えてしまう)、「高砂や~」もちゃんと調子が張れてないので尻すぼみになる。吉公が切り口上になるのもありきたりで詰まらない。

※お滝さんが不動坊恋しさに出てきて、幽霊とよりが戻り掛かり、吉公も慌てる、という展開はどうだろう?


◆5月16日 第17回柳噺研究会(渋谷区総合文化センター大和田伝承ホール)

ございます『やかん』/雲助『出来心』/小燕枝『南瓜屋』/小さん『竹の水仙』//~
仲入り~//小里ん『猫の災難』

※自分の関わった会なので感想は無し。雲助師の『出来心』は『間抜け泥』まで。最後の件は志ん生師の演出で生で聞いたのは初めて(長火鉢の向こうで毛布にくるまって寝ていた)。

 ※この会とは直接関係ないけれど、小里ん師の『首ったけ』は盲の小せん師の速記ではなく、品川の圓蔵師の速記が元になっていることを御本人から伺った。感謝!


◆5月17日 上野鈴本演芸場夜席

歌りん『子だけ褒め』市江(交互出演)『反対俥』/仙三郎社中/一之輔『六銭小僧』/正朝『悋気の火の玉』/紫文/琴調『笹川の花会』/小袁治『堪忍袋』//~仲入り~//遊平かほり/圓太郎『祇園祭』/ダーク広和/柳朝『唖の釣』

★圓太郎師匠『祇園祭』

圓太郎師独特の京の街中を行く祇園祭を丁寧に聞かせる演出。それと同時に京男はあくまでも京自慢をしているだけで喧嘩腰にならず、江戸っ子が一人で怒る、というよりは、祭自慢比べになるキャラクター造形のバランスが素晴らしい。

★小袁治師匠『堪忍袋』

冒頭の夫婦喧嘩がちとリアルだけれど、堪忍袋の謂れがダレず、出来上がった堪忍袋の中に夫婦が怒鳴り込み合う権は怒鳴り方が派手で面白い。

★柳朝師匠『唖の釣』

『牛褒め』などに比べて与太郎が前に出過ぎるというか、一朝師の絶品、正朝師の佳品と比べて与太郎の絡む場面が脂っ濃い。素晴らしいのは与太郎を許す山同心で侍の品格と情が備わっている。こういう山同心はなかなか見当たらない。


◆5月18日 らくごDE全国ツアー“一之輔のドッサリ回る2013”(よみうり
ホール)

一之輔「御挨拶」/夢吉『あたま山』/一之輔『青菜』/喬太郎『派出所ヴィーナス』
//~仲入り~//ロケット団/一之輔『唐茄子屋政談』

★一之輔師匠『青菜』

後半は割とユックリ目。酢味噌の好きな植木屋と人の良い建具屋の遣り取りはやはり愉しい。

★一之輔師匠『唐茄子屋政談』

泣きすぎる気はするが、若旦那(ニンには無い)の怒りは分かる。伯父さん・伯母さんはもう少し情が前に出ても良い。知りたがりの八っつぁんと気の毒な半ちゃんの造形は可笑しい。誓願寺裏のおかみさんに品と哀れと淡い色気があって良かった。因業な大家は一番似合う。序盤、汗と雨の匂いにまみれた若旦那はやはり着替えさせて寝かした方が良くないかな。食器の片付けより蒲団の匂い落としの方が大変だろう。田圃の回想の花魁は色気が無いなァ。誓願寺裏の話がリアルタイム、若旦那の話、長屋のおばさんの話と三度出てくるのは些かクドい。若旦那の話は伯父さんの聞いてる表情だけで良いんじゃないかな。最後、若旦那が勘当を許されても、まだ唐茄子を売ってて半ちゃんが偉い目に遭うってのは白鳥師演出に近いけれど、白鳥師以上に笑い無しでサゲるのが照れ臭いのだろうか?

※知りたがりの八っつぁんの件を聞きながら『アラビア版唐茄子屋政談・魔法の絨毯屋政談』なんて考えていた。ハッサンて町の男が若旦那を助けてくれる噺にしちゃう。

★喬太郎師匠『派出所ヴィーナス』

この五年で聞いたの初めてかなァ。昨日の被害届け(実体験)の今日の盗難届けだから、交番の調書作りが妙にリアルに感じる。


◆5月18日 第38回この人を聞きたい“左龍ひとりじめ(その4)”(東京女子学
園)

左龍『そば清』/さん若『宿屋の仇討』//~仲入り~//さん若『転宅』/左龍『死神』

★左龍師匠『そば清』

そばを食べて、そば湯を呑む形が目白の師匠みたい。何だか変な(褒めてんですよ)清さんや能天気な町の連中のキャラクターは既に安定した可笑しさ。オチを小さく言ってフッと間を取り、頭をサゲるのはなかなか気味が悪くて面白い。

★左龍師匠『死神』

「枕元にいる死神には手を出さない」を念押しして、契約に近い感じを出している。最後の療治も「一年で千両」「半年で千両」「三月で千両」と期間と価格が反比例しないので分かりやすい。主人公のお気楽さはあっているんだけれど、序盤の死神のセリフで間を取りすぎるのはダレる。木の上にいた死神が消えて、何時の間にか隣にいるってのも、フワリと飛び下りるさん喬師の奇怪さがない。瞬間移動を見せないのより、目に見えた方が怖いものもある。喬太郎師の『そば清』のオチみたいに。

★さん若さん『宿屋の仇討』

ドスが利いて侍が似合う(手の叩き方は砕けすぎ)と同時に「隣部屋の三人のうち、源ちゃんとか申すもの」はさん喬師の可笑しさの感じだな。侍が堅い一方でなく、冗談を言いそうな柔らか味があるのは結構なもの。奥方を背後から刺し殺すのは納得感があるが、着物をきちんと着たままでは刺し通し難い。ここは寝乱れ姿でないと刺し殺すのが活きない。

★さん若さん『転宅』

左龍師に似た演出だが、お菊に色気があり、泥棒が能天気で愉しい。これくらいメリハリのある演出が似合うみたい。


◆5月19日 第62回扇辰・喬太郎の会(国立演芸場)

ゆう京『垂乳根』/喬太郎『宗漢』/扇辰『三枚起請』//~仲入り~//扇辰『野晒し(上)』/喬太郎『らくだ』

★扇辰師匠『三枚起請』

棟梁は良いのだけれど、若旦那と清公のキャラクターが曖昧。喜瀬川も嘘の中に本気がチラと混じる志ん生師的なキャラクターでも、徹底的に嘘で生きる果てに「朝寝がしたいんだよ」と愚痴る「プロの女郎」のどちらとも言えない段階。いけしゃあしゃあとした茶屋の女将も、棟梁に甘えてみせる喜瀬川も色気はあるんだけど、男が三馬鹿トリオになりきらない。矢来町の呪縛が強いという事か。

※清公が字が読めなくて、棟梁か若旦那に起請を読んで貰って最後に驚くとか、何かキャラクターの変化があっても良いのでは?

★扇辰師匠『野晒し(上)』

肩の荷が降りて弾けまくった可笑しさで爆笑。

★喬太郎師匠『宗漢』

宗漢夫婦のホンワカした遣り取りが如何にも喬太郎師で面白く、留まって行けといわれて宗漢は慌てるのにかみさんは平気なのも可笑しい。つまり、オチはバレ+姦通?

★喬太郎師匠『らくだ』

序盤は妙にモダンな感じだが、カンカンノウど兄貴分がらくだの体を動かすのがロボットみたいで面白い。大家が最初、頭を下げてる屑屋を叱ってから、屑屋のカンカンノウが始まるのは場面が目に浮かんで凄く可笑しい。兄貴分は無茶苦茶に怖くなく、屑屋がひたすら低姿勢で言葉遣いが丁寧なのが後半、兄貴分の言葉遣いが丁寧になるのに活きていて面白い。長屋の連中の方が遥かにガラが悪いのも後半の屑屋の怒りに活きる。屑屋の酔いが回って「屑屋の何処が悪い。みんな馬鹿にしやがって」と蔑まれた側の怒りが発散。立場が逆転するが、家元的な劣等感は強くないので落語の範囲に止まる。バキバキやってから樽に入れて、ひけから毛を毟るが「(剃刀が)錆びてるだろ!」は必要かな。屑屋が担ぎながらカンカンノウを唄うのは愉しい。火屋の安を上方者にしてるけど六代目松鶴師風なんで馬鹿ウケ。「上方から来た」を前に言う必要はあるかな。マンガに出来る喬太郎師の強味が家元呪縛を逃れた『らくだ』にしている。尺的にも寄席の主任で出来るサイズ。


◆5月20日 第33回ぎやまん寄席湯島編 菊之丞・三三の会(湯島天神参集殿一階ホール)

おじさん『ん廻し』/菊之丞『湯屋番』/三三『高砂や』//~仲入り~//三三『絞込
み』/菊之丞『井戸の茶碗』

★菊之丞師匠『湯屋番』

序盤カットして軽石まで。キャアキャアバァバァしてる若旦那の面白さに対して、稍クドい色気が邪魔に感じる。

★菊之丞師匠『井戸の茶碗』

圓菊師の演出より一朝師に近付いた印象。侍同士の意地の張り合い、意地競べで屑屋が困っている、という関係は出ていて面白い。高木が怒り口調になるのはマイナスするが、千代田が余り感傷的にならず、侍としては当たり前の事を言ってるのは面白い。千代田が娘を高木に、という口調に父親の思いが程好く感じられ、微笑ましいのには感心。高木が嫁取りを嬉しそうにしているのも気持ちが良い。屑屋全員が細川屋敷の石垣上から降って来る声に戸惑う視線、清兵衛が清正公境内と、茶碗の代金の相談の件でいつの間にか其処に現れている按配。高木が茶碗を持参して細川公に見せたのは偶々で、細川公は気付かず目利きが気付くなど、細部にわざとらしさを省いた独特の工夫があり、刈込み方も巧み。

※雑念。千代田のセリフを気持ち良く聞きながら、「妻を早くに亡くし、男手一つで一人前のアナウンサーに育てた」なんて馬鹿なセリフをつい考えてしまった。

★三三師匠『高砂や』

終盤、熊さんが困りだしてからが面白い。大家と熊さんの会話は普通に面白くなってきた。「豆腐ィ~」の売り声は安定したけれど、都々逸は売り声みたいである。

★三三師匠『絞込み』

「入りやすいうちを二、三軒教えてなる」まで。泥棒が仲裁に入ってのセリフ、「人として」が矢鱈と面白い半面、夫婦喧嘩でかみさんが亭主をからかうような言い種になるのは蛇足じゃないかな。夫婦像が曖昧になる。

★おじさんさん『ん廻し』

 圓丈師⇒正朝師と伝わった『ん廻し』の面白さが素直に出ている、というのはおじさんさんの高座に落語らしい馬鹿馬鹿しさがちゃんとあるって事だろうね。

-------------------以上、中席------------------


◆5月21日 上野鈴本演芸場昼席

緑君(交替出演)『金明竹』/ストレート松浦/菊之丞『元犬』/さん喬『初天神』(告げ口・飴・団子)/ペペ桜井/正蔵『新聞記事』/権太楼『町内の若い衆』/夢葉/三三『高砂や(上)』//~仲入り~//ロケット団/一朝『湯屋番』/白酒『浮世床・講釈本』/小菊/花緑『試し酒』

★花緑師匠『試し酒』

久蔵が表から戻ってきて、一寸陽気になった感じが一番良かった。酒を呑む時に音をさせるのは呑んでいる姿に客の気持ちを集中させるには邪魔になる。間の取れない演者向きの演出。最後の一杯を久蔵が必死で呑むのは嫌だ。愉しくない。旦那が意地悪とまでは言わぬが、何か腹にあるのも邪魔。目白の旦那はもっと「五升の酒を呑む」への興味だけだった。言葉に関しては目白の師匠の酒噺の難しさで「独り言ちる」が中々そうならない。一人、好きな酒をただ呑み続ける男を見てる醍醐味がない、

★一朝師匠『湯屋番』

序盤カットして軽石まで。「雷がカリカリカリカリ」の「カリカリカリカリ」の音ま
でが堪らなく能天気で、番台の夢想は絶妙!あんなに可笑しい雷は珍しい。「音」の使い方が全然、普通の『湯屋番』と違う。入りまくりの若旦那も愉しいが、湯船の中で呆れたり、若旦那に釣られて上っちゃったりする客連中の簡潔絶妙のリアクションがまた素晴らしい。

★白酒師匠『浮世床・講釈本』

変に演出やギャグに凝らず、源ちゃんの本の読み方がひたすら奇妙で、当人も困りながら読んでるのが素晴らしい。『首ったけ』も作らなきゃ良いのに。

◆5月21日 第116回関内小満んの会(関内小ホール)

圭花『狸の札』/小満ん『熊の皮』/小満ん『四つ目小町』//~仲間入り~//小満ん『大工調べ 』

★小満ん師匠『熊の皮』

甚兵衛さんの雰囲気は目白の師匠的で、かみさんがいけしゃあしゃあとしてるのは志ん生師的。甚兵衛さんは気の毒に、こき使われた挙げ句、赤飯を食べる前に遣いにやられる。その夫婦像が面白い。オチは脚の毛を毟るタイプ。

★小満ん師匠『四つ目小町』

空樽買い久六を主人公にした抜き読み、という雰囲気。藤屋、多助、二人との遣り取りで見せる、久六の如何にも人が良くてそそっかしい様は『新三』の善八に似ている。藤屋は無闇と良い「人物」で(茶金さんが聞きたくなった)、多助も律儀で倫理的で手堅い男だけれど、どちらも演出的に余り前へ出すぎない、非ドラマ的人物なので教訓臭さがないのも嬉しい。

★小満ん師匠『大工調べ』

 お白州まで。最後まで小満ん師から伺ったのは初めて。師匠大家・源六のひと癖もふた癖もある面白さが最も印象的。棟梁相手に次第に本性を出す辺りが真に面白い。かといって、嫌み沢山にならないのが小満ん師らしい。最初の白州戻りは源六、二度目は棟梁が先頭に立つ、という辺りは意気揚々と胸を張っている両者の姿が目に浮かんで可笑しいのが落語らしい。棟梁は江戸っ子だけれど、前半で切る場合より些か老け加減。与太郎はグズグズしてるけど平気で暢気な口をきく雰囲気に四代目⇒目白系らしさがある。奉行はもう一寸張りが欲しい。オチを言い間違えたのは惜しい。

◆5月22日 上野鈴本演芸場昼席

ストレート松浦/菊之丞『元帳』/さん喬『そば清』/ペペ桜井/正蔵『悋気の独楽』/権太楼『代書屋』/夢葉/三三『高砂や』//~仲入り~//ロケット団/一朝『強情灸』/馬石(白酒代演)『堀の内』/小菊/花緑『二階素見』

★花緑師匠『二階素見』

今日みたいにキャアキャア演ってる方が家元離れがして花緑師らしくなる。親旦那に内緒で二階に仲之町を作る演出は前からだったかな。

※私なら『二階池袋演芸場(昔の)』だな。松本のおばちゃんの声、家元の主任。考えてたら涙が出た。

★三三師師匠『高砂や』

どうしても、八五郎のその場での心理状況を説明したくなるみたい。あと、「上手くはないよ」「分かってます」みたいな八五郎の受けの言葉が冷たい。

★一朝師匠『強情灸』

「歯が20本折れた」は初耳。マクラの朝湯から愉しいったらない。「死ね!」の軽さ、見事さ!30年間以上不変の名高座。


◆5月22日 セゾン ド 白酒 春の巻(成城ホール)

一力『小粒』/白酒『不動坊』//~仲間入り~//白酒『居残り佐平次 』

★白酒師匠『不動坊火焔』

 『白酒ひとり』で浚った感じで今夜の方が細かく可笑しい。銭湯の吉公と気の毒な客の遣り取りは実に馬鹿馬鹿しくて古今亭らしく可笑しい。後半は『白酒ひとり』より面白いが、目白の師匠、枝雀師の爆笑からすると、些か尻すぼみ。間抜けな前座を(今夜の名前は林家五十六)もっと活躍させるか、お瀧さんを活かすか出来ないかな。吉公のキャラクターが最後で豹変するのは誰でもだけど(惚れてる女の前で意気がるのは分かるが)、幽霊を見た驚き方がみんな弱いのは元来が明治の作品のためだろうか?

★白酒師匠『居残り佐平次』

本題40分。大分変えたか刈り込んだか。佐平次が正体をバラすまでふた夜かかる演出。得意なあやふや語で妓夫を煙に巻く。霞の客の勝を取り巻いてから、佐平次が店のあれこれ(苦情処理みたいな件がある)を仕切るようになり、最後に店を出てから『すみれの花咲くころ』を歌ったのは今夜だけのお遊びか。志ん朝師の気遣いから来る天才的詐欺師ぶりやヨイショの巧みさに対して、稍シニカルに出る白酒師の場合、曖昧語で誤魔化す方が向いているのかな。勝に一度、ブラフを掛ける辺りにも、曖昧さの使い方の巧さが活きる(妓夫の中から佐平次に祝儀か何か貰ってる奴が出てくるかと思った)。半面、勝と佐平次が霞相手に同じ事を応えたり、こういう居直り方、一膳飯屋を開こうってオチなら序盤が要るかね?など、細かく聞いていると、まだかなり無駄がある。この噺を誰か30分に出来ないかな。ネタ出しでないと寄席の主任では出しにくい噺として固定化しちゃ勿体ない。


◆5月23日 『マイ・フェアレディ』(日生劇場18時公演)


◆5月24日 新宿末廣亭夜席

北見伸&スティファニー/陽子『鼓ヶ瀧』/圓輔『船徳(下)』//~仲入り~//春馬『ん廻し』/金遊(寿輔代演)『小言念仏』/ザ・ニュースペーバー/夢太朗『お見立』/正二郎/蝠丸『田能久』

★蝠丸師匠『田能久』

何度目かだけれど、この大蛇、蝠丸師だと物凄く怪談になりそうなのに、抑えて落語にしてるんだなァ。

★夢太朗師匠『お見立』

病気抜きで直ぐ死んだ話。久し振りに杢兵衛大尽の「ちゃんとした墓へ入れたのけ!?」が入り、墓前での回想も泣かせでなくホロリとさせて、最後に笑いで締める結構な高座。

★圓輔師匠『船徳(下)』

二人の客の出から。時間の関係は勿論だが、「これは二人の客が地獄を見る噺」という小三治師の意見に従えば、この方が聞くのには楽だ。

※TBSの小三治師落語研究会DVDで『舟徳』の題名があるのはどうも理解しがたい。『船徳』なら『船頭の徳さん』の楽屋略語だろうが、『舟徳』は「猪牙舟を操る徳さん」の略語のつもりなのかな?


◆5月25日 第310回圓橘の会(深川東京モダン館)

橘也『だくだく』/圓橘『寝床』//~仲間入り~//圓橘『半七捕物帳~半七先生
(上)』

★圓橘師匠『寝床』

圓生師型だから蔵の件はない。序盤、繁吉に対して、何となく上から視線なのが如っ何にも圓生師匠らしいなァ。怒りだしての最後にちゃんと煙管のテレコがある。頭のしどろもどろの言い訳は圓生師型にもあったんだな。けれど、演題並べの件で「あたしはそんな事はしない」と言う件に高飛車さがないので圓生師と違い、義太夫以外は旦那が好人物なのはよく分かる。オチ前で、泣いている定吉の前で『飯炊き』『佐倉宗五郎』の物凄く下手な義太夫を実際に演ってみせるのが物凄く可笑しい。圓生師型でも圓橘師の腕と人柄があれば暢気に愉しい、というのが確認出来て嬉しい。

★圓橘師匠『半七捕物帳~半七先生(上)』

 『半七捕物帳』の大半がそうであるように、前半だけ聞くと「事件調書」みたい
で、謎解きがないと伏線が何だか、圓橘師の表現が何故そうだったかが分かり難い。半七老人ははもう手に入っていて結構なものである。


◆5月25日 第42回神田松鯉独演会(お江戸日本橋亭)

真紅『猿飛佐助・生い立ち』松之丞『谷風情相撲』/松鯉『隆光の祈り』/紅『』//~仲間入り~//味千代/松鯉『柳田角之進』

★松鯉先生『柳田角之進』

ネタ卸し。革新的な『柳田』。帰参の適った柳田が迎えに行くと娘・絹が「柳田格之進様 御帰参おめでとうございます」という遺書を残して自害しているという、立川生志師の演出を除いて、これまでの『柳田』演出はことごとく薙ぎ倒されるかもしれないと感じた。五十両の紛失を巡る萬屋源兵衛と番唐・徳兵衛の会話から始まり、柳田の現状は地で語られる。驚いたのは月見の宴の設定はないこと。徳兵衛の柳田宅訪問は「主人・源兵衛は実は自分を疑っているのではないか?」という疑心暗鬼にひと晩煩悶した結果で、男同士の嫉妬はあくまでも陰に隠されている。五十両紛失の潔白を立てようと切腹を考える柳田に、絹は自ら身売りを言い出し、柳田が強く止めても「家名のためでございます」と泣いて自ら身を売る。師走十三日の煤掃きで五十両が見つかった後(ここの「金の置き場所を忘れた源兵衛の責任」は曖昧)、正月十日、年始に出掛けた徳兵衛(一人です)は湯島切通しの坂で、まだ浪人中の柳田と再開する!「煤竹羅紗の長合羽」を捨てて、深編笠の浪人・柳田を描いたのは話芸史上初めてだろう。柳田と徳兵衛は不忍池辺りのありふれた茶屋に入り、そこで五十両発見を聞いた柳田は「武士の約束に二言はない」と翌日の訪問を約束する。翌日は鏡開きの
十一日(この祝典性が憎い!)。柳田は碁盤を切って二人を許すと、「鏡開きの祝いの膳」に二人と共につくが、この宴で源兵衛が「あの五十両の出どころは?」と訊くまで、柳田は娘の身売りを語らない!この堪忍の凄さ、自己抑制の凄さに驚くばかり!絹の身売りを聞いた萬屋が慌てて見受けをする。「柳田家との縁は切れてしまったから」と自分の養女にする。ここからはズッと地で、絹はやがて萬屋の女主人となり、徳兵衛は「一人の御方の人生を台無しにしました故」と、生涯暖簾分けを受けず、萬屋の番唐として源兵衛・お絹に忠誠を尽くす(女主人・お絹の徳兵衛への視線は敢えて描かれない印象)。柳田は後に帰参を許されて彦根藩留守居役となる、というのがシメ。「武士の道」だけでなく、「堪忍=待つ」という「誰にも出来るけれど、誰にでも出来はしない自己抑制」、「小さな誤解・疑心から発した事件」に関わった全ての人間の思いを見事に描き、徳兵衛の贖罪が全てを締めくくる斬新な演出(松鯉先生御本人から、自らの工夫と伺いました)には感嘆するしかなかった。柳田は松鯉先生自らかと思われる実直な元彦根藩士そのものであり、源兵衛の大店主人らしさと篤実な人間性、徳兵衛の疑惑煩悶の持つ「平凡な人間の弱さ」と慙愧忠誠の持つ「平凡な人間に出来る償い」を感じさせる人物像。絹の武士の娘としての思い、人
としてのしとかさも結構なもの。日時設定の見事さも含めて、初代松鯉十八番の『柳田』は当代の手によって、新たな一頁を話芸の世界に刻んだように感じた。祝う!松鯉先生!

 ※ここからは自慢させて戴きたい所でお恥ずかしい、昨年12月、向島での松鯉独演会の打ち上げで「『柳田』は御演りにならないんですか?初代松鯉先生の十八番ですが?」と伺い、「持ってないんですよ」と答えられた松鯉先生に「どうも現在までの噺家さんが演じる『柳田』にもう一つ、納得が行きません、先生の柳田を聞かせて戴けませんか?」と頼んだのは讀賣新聞の長井好弘氏と私の二人。その際、「それじゃ来年五月の独演会でネタ卸ししてみようかな」と仰られた言葉を守られ、今夜の打ち上げで伺うと「年頭からズーッと考えていて、今年三月くらいから台本作りに入ったけれど、従前の演出・展開にどうしても納得が行かず、何度も台本を作り直して今夜の形になりました」とのお話。「柳田が帰参が適ったのに娘を迎えに行かない展開」「徳兵衛と絹が結ばれるラスト」という、これまでの講釈の演出では松鯉先生が「僕には納得出来ない」という所を、考えに考え抜かれて見事に克服されただけでなく、単なる「お局好みのヒューマニズム」ではない、「登場人物それぞれの思い」「平凡な人なるが故に出来る事」を導き出した「芸」の力には本当に感歎。松鯉先生の演出は講釈芸の歴史に残る「快挙」ではないか?と私は思っております。

 ※調子に乗って、今夜の打ち上げでも「松鯉先生の弥太五郎源七が伺ってみたいです」と、長井さんと二人でまた注文を出してしまいました。流石に松鯉先生、「全部作らなきゃならないから、当分の間、新ネタは無理」と仰られていました。

★松鯉先生『隆光の祈り』

近代的・文学的な描きようによっては、柳澤の奸計や隆光の「魔祈祷」ぶりをいくらでもグロテスクに出来るような話であり展開であるのにも関わらず、井伊掃部守の沈着冷静と豪胆さがくっきりと浮き彫りにされて、柳澤の悪を「不正に対する怒り」が見事に打ち消すひと幕になっている。九代目團十郎の弁慶にあったという「不正へ凛々たる怒り」に通じるものであり、歌舞伎十八番的な「江戸荒事の清明さ」を私は感じた。それでいて、隆光か平然と西の丸を去る件に「この後、どういう奸計がなされるのだろう?」という不安感が静かに漂う辺りは、彦六師の優れた文芸ネタに通じる世界も感じる。


◆5月26日 新宿末廣亭昼席

美由紀(うめ吉代演)/米丸『今輔師匠のこと』(漫談)//~仲入り~//桃之助『熊の皮』/コントD51/栄馬『たが屋』/笑三『縮辞』/ボンボンブラザース/圓『反対夫婦』

★桃之助さん『熊の皮』

かみさんし兎も角、甚兵衛さんと先生の会をはちゃんと落語の無邪気さになっていて面白い。

★栄馬師匠『たが屋』

和術は巧いのだけれど、声が小さくて四割くらいは聞こえない。栄馬師匠の時だけマイクのヴォリュームを挙げるしかないのかな。落語芸術協会の師匠は押し並べて声が大きいので余計に耳立つ。


◆5月26日 第7回柳家甚語楼の会(お江戸日本橋亭)

ふう丈『やかん』/甚語楼『道具屋』/右太楼『お半花七』/甚語楼『死神』//~仲入り~//甚語楼『茶の湯』

★甚語楼師匠『道具屋』

与太郎も伯父さんも隣にいる道具屋も客も普通に喋っているだけなのに、与太郎の「思った事は口に出す」で周囲に小さな騒動が拡がるという、非常にレベルの高い面白さの『道具屋』。この世代でこういう与太郎物が出来る人がいるとは、現代の奇蹟みたいなもの。伯父さんも隣の道具屋ものこぎりや股引きの客も怒らず、みんなが与太郎に対して「仕方ねェなァ」のリアクションで展開するのが目白直系の真っ平らな落語世界の面白さに繋がっている。最後の客だけが「お前は黙っとった方が良いな」とだけ言うのがまた素晴らしい。

★甚語楼師匠『死神』

死神は「助けてやろう」と言って現れる。かみさんと子供は「医者になる」という主人公に呆れて序盤に出て行ってしまう。主人公は大金が入ると女連れでなく近くの温泉場などで豪遊して金を使い果たす・・など、装飾を巧く刈り込んだ果てに見えてくるのは「死神のくれた虚像(名医という評判)に追いつこうとして失敗する(墓穴を掘る)実像」の話。いわば「身の程知らず」を描いた落語なのかもしれない。これなら医者になる男が主人公なのも分かる。原典の欧米的な「契約」の感覚が無くても通用する。その一方で、「死神交換」など駄洒落好きのキャラクターとして造型されている死神と、ひたすら能天気な主人公の遣り取りが、全体を通して如何にもマンガで面白い。サゲはホッとした息で点いた蝋燭をうっかり吹き消して倒れる。「怖さ」でなく「人間の間抜けさ」に終始した『死神』の快作。「青山霊園先生、落合斎場先生」にも笑った笑った。細かいギャグも非常に可笑しい。権太楼師の「面白い落語を目指す情熱と方向性」は「芝居になりすぎない人物造型」として甚語楼師にも見事に継承されている。

※これつまり、「医者」を「噺家」に変えれば家元の噺である。

※再三の疑問だが、「医者」でなく「祈祷師」ではどうしていけないんだろう?最初の患者のとこの番唐だか手代だかが、「占いの先生に伺って来ました」が成り立たないからか、

★甚語楼師匠『茶の湯』

胡散臭いのに暢気な隠居、頭が回るけど主従の辛さで酷い目に遇う定吉、知らないと言えない店子三人が実に活き活きと描かれて終始愉しい。定吉の「お客でも用事は言い付けられるんですね」は珠玉の名セリフ。また、店子三人が飲む件を省いたのも適切。甚語楼師を聴いていて感じたのだけれど、「落語の計算式」という訳ではないが、(「主従の別なき」が基本理念の茶の湯に上下関係を持ち込む旦那の野暮)+(知らないのに見栄を張る旦那と店子、近隣の野暮)+(閑静な根岸にそぐわない開の野暮)と、三つの野暮を洒落っ気で扱う噺なんだな。そりゃ難しいや。

※今回の甚語楼師の見せた進境は素晴らしい。「平凡な人同士が起こす他愛ないけど凄く面白い人間模様」の描ける「落語そのものの体現者」として世代で頭抜け掛かっている。市馬師、喬太郎師を指呼の間に捉えたるのも間もなくか。


◆5月27日 『ザ・オダサク』(新橋演舞場)

 なんだいこりゃあ。作も演出も出鱈目にしか見えなかった。


◆5月27日 新宿末廣亭夜席

小泉ポロン/陽子『カルメン』/圓輔『欠伸指南』//~仲入り~//遊史郎(春馬代演)『湯屋番』/ザ・ニュースペーバー/寿輔『老人天国』/夢太朗『置泥』/正二郎/蝠丸『寝床』

★蝠丸師匠『寝床』

オチが「誰だ酷い義太夫を語ってるのは?稽古に来い。教えてやる」「飼ってる九官鳥です」だから『素人義太夫』かな。圓生師型がベースだと思う。蝠丸師では珍しい演目。前半、旦那の怒り方や繁蔵の困り方がやや何時もよりクサめかな。「番頭さんは今、北朝鮮にいるって」「何してるの?」「旦那の義太夫に対抗する武器を作ってるって」には笑った。旦那の機嫌直りカットで、長屋連中が陰気に店に来るって様子は如何にもそれらしくて面白い。豆腐屋のお弁茶羅で段数が増えて、豆腐屋が困るのや「刺身が青ざめる」も可笑しい。

★遊史郎師匠『湯屋番』

なるほどドスを効かせたり、芝居掛かりで張ると調子が普通になるんだ。

◆5月28日

 心臓の調子がおかしくて久しぶりに一日何も見物に行かず。

◆5月29日 新宿末廣亭夜席

楽輔『転宅』/北見伸&スティファニー瞳ネネ/遊雀『悋気の独楽(転宅混じり)』/圓輔『親子酒』//~仲入り~//春馬『眼鏡泥』/ザ・ニュースペーバー/寿輔『漫談』/夢太朗『寝床(上)』/正二郎/蝠丸『死神』

★蝠丸師匠『死神』

怪談噺の名手らしく、冒頭と最後、死神の怖さが図抜けている。噺の展開から装飾を取り払ってあるし、あくまで落語なので聞きやすい。「あいつに医者は無理だった。やっぱり火消しだ」のオチは少し短くなったかな。

※蝠丸師が圓彌師の持ちネタだった『龍の手』を演られるかどうか、伺ってみたい。

※心臓の調子が悪い時に聞くと余り楽しめない噺だね、やっぱり。

★楽輔師匠『転宅』

結構昔の演出。盥が出てくるし、妾が「みみずのお梅」、泥棒が「朝飯食太郎夕飯」は夢楽師の型だっけ?

 ※名古屋・大須の雲助師の会に行く予定が、新幹線の冷房は心臓に良くないので(過去に貧血を起こした事がある)大須行きを断念して末廣亭へ。空調が送風だったので非常に体調が良かったのは有難い。


◆5月30日 新宿末廣亭昼席

 笑三『まちがい』/新山ひでややすこ(ボンボンブラザース代演)/圓『蛙茶番』

◆5月30日 新宿末廣亭夜席

 遊かり『道灌』/陽子『木津勘助~木津橋の由来』/小天華(マグナム代演)/遊雀『桃太郎』/遊吉『肥瓶』/Wモアモア/伸治『棒鱈』/楽輔『転宅』/伸&ココア/春馬『漫談』/圓輔『厩火事』//~仲入り~//小蝠『ラブレター』/青年団(ザ・ニュースペーパー代演)/寿輔『龍宮』/夢太朗『湯屋番』/正二郎/蝠丸『濱野矩隨』

★蝠丸師匠『濱野矩随』

母親が矩随に観音を彫るよう勧める場面の厳しさと矩随の甘えた若旦那らしさの対照が陰影を増した。若狭屋は商売上手の面以外、何処となく先代文治師の面影を感じる。

★楽輔師匠『転宅』

序盤カットして泥棒と妾の出会いから。トントン運んで、泥棒の間抜けぶりに違和感がなく愉しい。「貴方もお梅さんに思いを寄せた一人でしょう」という煙草屋親父の言い草がまた可笑しい。

★夢太朗師匠『湯屋番』

先代圓遊師型。もう一寸、色気があると圓遊師の感じに近くなるが、柄にないようでいて可笑しい。


◆5月31日 東京マンスリー古今亭菊志ん毎月連続公演vol.64「志ん生十八
番5」(らくごカフェ)

菊志ん『安兵衛狐』/菊志ん『疝気の虫』//~仲入り~//三木男『十徳』/菊志ん
『もう半分』

★菊志ん師匠『安兵衛狐』

長屋連中の、何処か暢気な雰囲気が面白い。源兵衛、安兵衛はやや面白いキャラクターにしようとしすぎかな。狐のかみさんの語尾につく「コンッ」はもっと可愛くても良いのでは。源兵衛が猟師の後ろから覗きこむ姿が家元に似ていたのは不思議。

★菊志ん師匠『疝気の虫』

虫のキャラクターはホントに似合って可笑しい。何か五郎兵衛師匠っぽい上目遣いが
面白い。旦那が治ってノビノビする仕科には爆笑。

★菊志ん師匠『もう半分』

ネタ卸し。かなりの改訂版。「間がさした夫婦」をより強く押した感じで、先代馬
生師の『もう半分』のおかみさんに近いかな。特にかみさんのキャラクター。馬生師匠の方が「女の人の“自分は正しい”と信じられる怖さ」がより強いかな。展開としては、おかみさんが「来月にも飛び出す」と言っている割に、爺さんが身投げした後、店を出して奉公人を雇ってから子供が生まれるのだと、時制にやや違和感を感じた。おかみさんが子供の顔を見ても驚かないのは「母性の溺愛」として納得感がある。ルルーの『オペラ座の怪人』の母親が醜く生まれた我が子を溺愛する感じに近い。ある意味、バタ臭い母子関係の感じである。老人を乱杭歯の化け物じみた人相にしなかったのは賛成。老人の愚痴がくどくないのも同様の感想。子供が「もう半分」と振り据えると、亭主が六尺棒で打ちすえて、亭主も失神してしまう。するとそこへかみさんが現れ、亭主の吹いた泡を舐めて「この落語を聞いている皆さんの方を見て、もう半分」というサゲ。今夜の演出だと、おかみさんが現れた時、六尺棒で殴られた子供が生きてるのか死んでるのかが一寸分からない。そこへかみさんが現れても、場面の状況が浮かぶ前に「赤ん坊はどうなってるの?」という疑問が先立つ。また、語り手や主人公が実は犯人といえば、推理小説の古典に『アクロイド殺人事件』や『ドルーリ・レーン最後の事件』があるけれど、そういうトリッキーな感じは余りしないなァ。赤ん坊とかみさんの間に共犯関係みたいなものが必要ではないかな。『ペット・セメタリー』みたいな感じのね。だから、亭主が殴りかかると、後ろからおかみさんが突
き飛ばす⇒亭主が行灯に顔を突っ込んで大火傷を負ってもがき苦しむ⇒おかみさんと子供が亭主の様子を見て、「酷い火傷だね」「まだ半分」とサゲるとかはどうだろうか?その前からだと、かみさんが子供を抱いて寝ていても、亭主は怖くて同じ部屋では寝られない⇒油を夜中に舐めるのを亭主は従って知らない⇒近所の噂で耳にする⇒母子の寝床を夜中に覗いてみる⇒六尺棒で殴りかかる、といった流れも考えられるかもしれない、この噺を今後、トリで演じる場合以外、菊志ん師がどういう出番の噺として使うか?で噺の展開・演出の選択は多様化するだろう。雲助師匠はJ亭の白酒師匠独演会にゲストで招かれた際、『もう半分』で観客を完全に圧倒した。また、末廣亭に馬鹿笑いする客がいて、客席や番組が変になった時、圓師匠が仲入りの二本くらい前で『もう半分』を演じて馬鹿笑いを抑え込み、番組の流れを取り戻したのも見ている。詰まらなくては客席がダレてうから、巧くて聞かせられた圓師匠は流石だった。人情噺や怪談噺は「前後と同じ土俵で相撲を取らない」のに適した噺なんだろうな。

基本的にはトリネタであるのだけれど、後口の問題があるから、得な噺ではないのも事実。

-------------------以上、下席--------------


石井徹也 (落語”道落者”)

投稿者 落語 : 2013年07月15日 13:11