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2013年03月13日
石井徹也の「落語きいたまま」2013年2月号!
今年の日本はいささか異常気象・・・。みなさまお風邪など召されませんように。
今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2013年2月号をお送りします。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、怒涛の寄席レビューをお楽しみください。
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◆2月1日 池袋演芸場夜席
小せん(龍玉代演)『紋三郎稲荷』/ホンキートンク/歌武蔵『漫談』/吉窓(しん平代演)『動物園』/隆司/圓丈『グツグツ』//~仲入り~//菊志ん『権助提燈』/雲助『強情灸』/正楽/馬石『火焔太鼓』
★圓丈師匠『グツグツ』
妙にテンションの高い「グツグツ!」が陽気で可笑しく、沈静しかけた客席を盛り上げた。チクワとキンチャクの話も中年的リアリティがあって切ないけど馬鹿馬鹿しい。
★雲助師匠『強情灸』
風邪の鼻声を捩じ伏せるような高座で前半の「峯の灸」の遣り取りがクサいんだけど無茶苦茶に可笑しくて、兄貴分の意地っ張りがまた大仰で愉しい。
★菊志ん師匠『権助提燈』
前半は権助のシニカルと妾惚れで馬鹿みたいな旦那の可笑しさ。それが後半の行ったり来たりになるとスラップスティックな可笑しさに変わってのてんやわんやがまた可笑しい。
★馬石師匠『火焔太鼓』
久し振りなのか前半は言葉抜けや言い間違いが多くハラハラした。かみさんが全く怖くないのは独特。甚兵衛さんが「三百金」と言われて混乱しはじめてからの動きが見事に独特で「動きの笑い」に変わる。「十万両」を何度も角度を変えて見せるのが可笑しくて、アタフタと帰宅した様子はペットみたいに可愛い。かみさん相手に懐の三百両を腹を揺すってみせる動きの可笑しいこと。かみさんのリアクションの動きのキレがまた良くて可笑しい。後半の独自性な面白さには感心。
※先代馬生師・志ん朝師・雲助師・白酒師・馬石師と聞くと「古今亭の爆笑落語には独自の動きの可笑しさが不可欠」と感じさせられる。菊志ん師にも圓菊師経由で独特の動きの面白さ、ナンセンスでなく誇張された感情の可笑しさがある。志ん生師の愉しさは孫弟子・曾孫弟子世代まで見事に受け継がれている。考えりゃ、先代志ん馬師の『義眼』なども不思議な動きはあったなァ。
◆2月2日 池袋演芸場昼席
白鳥『新ランゴランゴ』/小勝『元帳』/夢葉/さん喬『妾馬』
★さん喬師匠『妾馬』
さらりと温かく、愉しくで安定した高座。
◆2月2日 池袋演芸場夜席
まめ緑『狸の札』/駒次(交互出演)『陰口』(正式題名不詳)/龍玉『一眼国』/ホンキートンク/歌武蔵『漫談』/百栄(しん平代演)『バイオレンス・スコ』/隆司/圓丈『シンデレラ伝説』//~仲入り~//菊志ん『芝居の喧嘩』/雲助『初天神』/小菊『冬の夜に』(正楽代演)/馬石『二番煎じ』
★雲助師匠『初天神』
近年の金坊の大騒ぎなど全くなしに、飴・団子・凧と演じて、親子の面白さを描き出す腕の見事さ。凧で回りの凧と喧嘩して切り飛ばし、喜ぶ親父の面白さが抜群。こういう『初天神』は現在、小三治師と雲助師でしか聞けないな。
★菊志ん師匠『芝居の喧嘩』
見事にスピーディーな中に『文七』の長兵衛や『皿屋敷』のお菊を巧みに折り込みスラップスティックに展開する面白さ。このテンポが後半の充実を生んだ。
★小菊師匠
『冬の夜に』は小菊師匠では初聞き。寒さの増してきた冬の池袋演芸場、古今亭系の前後と主任に囲まれたヒザ代りならではの出し物。これだけ的確な出し物だと、嬉しくて震えちゃった。この後で『鼠穴』なんか演ったら大野暮になるね。
★馬石師匠『二番煎じ』
小菊師の「冬の夜に」から『火事息子』か『二番煎じ』か、と感じていた。少し刈り込んで20分台。まだ味わいの薄さや声の小ささはあるとはいえ、雲助師型をベースに人物造形の見事さに唸る面白さ。それぞれが黙って夜回りをする動き、月番が猪鍋を仕立てる辺り、下手すると説明的になる仕科が人物造形に繋がるから無駄なく噺を楽しめる。口三味線を「何?」と訊かれ「(都々逸の)前弾き」と短く答えた良さ・寒さ。伊勢屋が葱の間に肉を挟んでいるのを見つかり無言で頭を下げる面白さ。何も持ってこない浪花屋が恐縮しながら鍋をつつく可笑しさ。「宗助さん」の繰り返しに意味を持たせ、侍が名前を覚えてしまう面白さと、呆れるほどの構成力。市馬師・三三師を凌ぐ面白さ。五街道三門目恐るべし。
◆2月3日 古今亭菊志ん独演会東京マンスリーvol.61「志ん生師匠十八番集パート2」
菊志ん『厩火事』/菊志ん『らくだ』//~仲間入り//~菊志ん『強情灸』
★菊志ん師匠『らくだ』
ネタ卸し。カンカンノウを丸で唄わない『らくだ』は初めて聞いた。全体に圓菊師風の軽快な『らくだ』で兄貴分の怖さも余り強調はしない。長屋の連中相手と屑屋・兄貴分の遣り取りも脂濃く演らない。それでも屑屋の軽さや長屋連中の呑気な可笑しさがマンガになっていて愉しい。八百屋がらくだが死んだ祝いに大売り出しをしている、なんてのは結構結構。半面、火屋まで行ったけれど、隠亡が酔っ払っていないなど終盤は聞かせ所、演出の軸が余り明確でない。これなら「カンカンノウ」で切っても良い流れ。火屋まで演るなら「酔っ払い噺」の面など、もう少しアクセントを付けたいな。
★菊志ん師匠『強情灸』
江戸っ子の軽快な意地の張り合いで面白い。二人の人物像が明確で、二人目の熱がりぶりもクサくなく可笑しい。一朝師とは違う軽快さである。サゲを変えて、「オレは暑がりなんだ」とサゲたけれど、これは納得感に欠けて蛇足っぽい。
★菊志ん師匠『厩火事』
お崎さんは一寸変な女、お馬鹿に近い人物像が、黒門町的な可愛さとは違う可愛さを感じさせつつ可笑しい。あにさんが非常に良い人でお崎さんの変なとこに困りながら、ちゃんと相談に乗ってるのが良い。女版八五郎と隠居みたいな遣り取りである。亭主はごく普通に、女たらしまで行かず、見た目がちょいと良いだけのグーダラなのが如何にも「らしい」。
◆2月4日 池袋演芸場昼
白鳥『ギンギラボーイ』//~仲入り~//燕路(圓丈代演)『笠碁』/小勝『禁酒番屋』/小菊/さん喬『福禄寿』
★さん喬師匠『福禄寿』
福次郎が矢鱈と良い人なのは原作故とはいえ、ここまで善人で大店の主だとなると、何か違う人間味が欲しくもなる。序盤の禄太郎には落語的な「人の仕方なさ」があるのだけれど、そこから段階がなくて急に改心をするから難しいなァ。彦六師の『めだか』を聞いた感じに似ている。雪に閉ざされた隠居部屋に充満する「肉親の遣瀬なさ」はあるのだけれど、善人揃いの終盤は息が抜き難い。『やんま久次』の方が面白いもん。禄太郎が福島から北海道へ渡って成功する件がこの演目にいるのかな?雪の中を去って行く禄太郎の姿で終わる方が余韻を感じるかも。
★燕路師匠『笠碁』
出番に合わせて一寸テンポの早い分、メリハリの付き過ぎたきらいはあるけれど、全体の出来は寄席の落語としてなかなか面白い。
◆2月4日 立川生志らくごLIVE“本多劇場deひとりブタ”初日(本多劇場)
『豆まきビデオ』/『志の輔挨拶ビデオ』//生志『金明竹』/生志『堀の内』/昇太『二番煎じ』//~仲入り~//『昇太携帯禁止ビデオ』/生志『居残り佐平次』
★生志師匠『金明竹』
一席目も二席目も堅さがある。状況順応が苦手みたい。与太郎を「バカ」と呼ぶ言葉が妙に耳につくのは損だなァ。
★生志師匠『堀の内』
噺の展開がこれも今夜はスーッと行かないので、いつもほどは可笑しくない。
★生志師匠『居残り佐平次』
家元型がベースか。最初から四人に「居残りが商売の佐平次」と名乗って始まる。噺の展開は面白いけれど、今夜の佐平次が終始何処となく重いのは家元の名残りが悪い方へ出たか。稍堅くなってるとこもあったろう。矢来町のような詐欺師ならではの陰ではない。客の勝っつぁんや(祝儀を切るのは黙ってやった方が良いけど)騙される妓夫は良く、特に騙される妓夫が徹夜続きで憔悴してるのは面白い。旦那も良い人。紅梅が勝の部屋に入って来る時、「勝っちゃん」くらいの呼び掛けはあった方が馴染み感は増すのでは?佐平次が去ってから「裏を返されちゃ」のサゲになるのは噺のテンションが下がる。
★昇太師匠『二番煎じ』
売れる芸だなァ。受けにくい段取りを見事に刈り込んで、夜回り連中全体を可愛く演じる構成力には驚く。ある意味、「明るい先代可楽師」みたいである。
◆2月5日 池袋演芸場昼
燕路(扇遊代演)『天災』//~仲入り~//彦いち(白鳥代演)『神々の歌』/小勝『風呂敷』/小菊/さん喬『幾代餅』
★さん喬師匠『幾代餅』
中ヴァージョンかな。清蔵の思い、幾代の心理の優しい味わいと、親方やおかみさん、朋輩たちの困惑の織り成す可笑しさ、その按配が誠に良い。このヴァージョンがさん喬師の『幾代餅』では一番好きかもしんない。
★燕路師匠『天災』
余り聞いた記憶が無い。八五郎も名丸も線が如何にも細く、一寸子供っぽい。
◆2月5日 立川生志らくごLIVE“本多劇場deひとりブタ”楽日(本多劇場)
『豆まきビデオ』/『昇太挨拶ビデオ』/生志『初天神(飴と団子)』/生志『幇間腹』/志の輔『ハナコ』//~仲入り~//『志の輔携帯禁止ビデオ』/生志『柳田格之進』
★生志師匠『初天神』
マクラガまだ長いのと、社会批評的な内容なので噺と繋がり難い。噺に入ればロンメル将軍を尊敬してる金坊の可笑しさが独特である。凧揚げまで聞きたいなァ。
★生志師匠『幇間腹』
会場に体が馴染んで来たのか、軽く演じられる強味で若旦那より一八の芸人根性が招く悲喜劇の可笑しさがある。
★生志師匠『柳田格之進』
三回目か。これまででは今夜が一番良かった。講釈ネタ・人情噺の硬さが無く、柔らかに運びながら、五十両の紛失からの展開に緊張感のあったのが結構なこと。柳田と娘・琴の遣り取り、五十両を前にした柳田と徳兵衛の遣り取り、湯島切通しの邂逅、萬屋での述懐と、無駄な堅さがないのは人物造形の落語的な良さか。柳田は武士にしてはまだ柔らかみが勝つので、萬兵衛との対比が出にくいけれど(後半には柔らかみが出ても良い)、萬兵衛の柔らかな人柄、卑しくなりがちな徳兵衛に嫌らしさの無い点、琴の毅然たる良さと揃う。助詞を使わず、体言止めで雰囲気を出す家元の「良さ」が怖いくらいに似てきたのも印象的(噺を壊さない話術の受け継ぎだから、これは嬉しい)「待ったはなしじゃ」のサゲは決して悪くはないくれど、どうしても『笠碁』の引用めく。「出逢ったのは切通しだが、切らずに思いを通すのだ」とかは駄目かな(これも『婦系図』じみるが)。
★志の輔師匠『ハナコ』
『ガラガラ』などにも言えるけれど、志の輔師の新作は日本の島国ドメスティック根性を内側から描く面白さがある。この噺の「予め」を連発する女将にしても、その過剰な気にしいぶりが、都会から来たサラリーマン客との対照がなんとも可笑しい。裏返すと『旅行日記』になる展開だけれど、地方から地方を見る視点は成る程、古典落語には殆ど無い。
◆2月6日 池袋演芸場昼
夢葉/燕路(扇遊代演)『猿後家』//~仲入り~//白鳥『ナースコール』/小團治(小勝代演)『蟇の油』/小菊/さん喬『按摩の炬燵』
★さん喬師匠『按摩の炬燵』
小菊師の唄われた「淡海節」のユラリユラリとした感覚から繋がるような演目。この入れ物と客数に相応しい選択。酔った米市の一人語りが次第に大きな声になる。その明るさは、番頭と小僧たちの「静」から始まる噺の雰囲気を「陽」に変えようという演出か。米市の客商売らしい明るい酔い方に笑いが広がる(喬太郎師と違い、米市と番頭の友情は強調しない)。炬燵になってからの米市の孤独は昔より短め。寒さをもう少し感じたいが、一瞬の無言が寒さを感じさせるのは流石。小僧の「おっかさ~ん」が哀れで良い。「おいらもう、我慢出来ないよォ」と「活版屋の小僧!」は声の高さが同じな点が稍疑問。意味が曖昧な小声でで米市が「???」となって小便を掛けられて大声になる方が噺として効果的ではあるまいか。
◆2月6日 噺小屋FEATURING 落語睦会Ⅻ「牡丹雪のゼントルマン」(国立演芸場)
柳若『熊の皮』/喜多八『薬罐舐め』//~仲入り~//鯉昇『蕎麦処ベートーベン』/扇遊『鼠穴』
★鯉昇師匠『蕎麦処ベートーベン』
時そばがついにベートーベンに進化、というか、内容は甘味展開だけれど、「蕎麦処ベートーベン」には笑う。
★喜多八師匠『薬罐舐め』
ここの所の『薬罐舐め』では比較的テンションの高くない、普通に面白い高座。
★扇遊師匠『鼠穴』
圓生師型として、見事に嫌な所の無い『綺麗な鼠穴』として傑出している。兄弟の性格付けに嫌らしさの欠片もないこと、よしの七つの娘らしい可愛さ、噺の適度なメリハリ。どれをとっても優れている。但し、余りにも苦味の無い所が、回を重ねて聞いているうち、物足りなさに通じてしまうのは観客としての私の驕りか。
※これ、最後まで夢じゃなかったら、どういう噺になるんだろう。単なる、「ひたすら悲劇」?兄が松田聖子なら、竹次郎は岡田有希子みたいな比較の悲劇になるのかな。
◆2月7日 池袋演芸場昼席
志ん輔『風呂敷』/ダーク広和/扇遊『夢の酒』//~仲入り~//彦いち(白鳥代演)『反対俥』/小勝『長短』/小菊/さん喬『井戸の茶碗』
★さん喬師匠『井戸の茶碗』
高木の調子を非常に張って演じたけれど、テンションが高い、というより実は疲れ気味なので敢えて高木の調子を高くしたのかな、みたいな印象。
★小勝師匠『長短』
目白系統かなぁ?一寸印象が違うけれど、味わいがある。
◆2月7日 池袋演芸場夜席
ございます『堀の内』/志ん八(交互出演)『ニコチン』/龍玉『垂乳根』/ホンキートンク/歌武蔵『強情灸』/しん平『牛の舌』(漫談)/アサダⅡ世(マギー隆司代演)/圓丈『夢一夜』//~仲入り~//菊志ん『短命』/雲助『肥瓶』/正楽/馬石『子は鎹』
★馬石師匠『子は鎹』
全体に軽めでコクに乏しい。雲助師より女を演じやすい分、珍しくおかみさんの人物造形が曖昧、というか、別れたかみさんには聞こえなくて、乙女じみる。こういう噺だと「お局好み」っぽさが出ちゃうのかな。熊さんも職人で、一度は酒色に溺れた人にしては線が余りにも細くて「若旦那」ってぽい。これは「職人」が得手ではない古今亭系の弱味だろうか。雲助師は勿論だけれど、目白系統の師匠方や、遊三師や茶楽師の熊さんと比べると文七みたいである。亀は可愛く利発だが、母親に責められた時に長吉みたいな声になってしまった。「子供らしく演じる」のから外れちゃマズい。
★雲助師匠『肥瓶』
まだ鼻声は残るけれど、入れ事などなくユッタリタップリ演じて自然に落語になって可笑しい。流石である。
★歌武蔵師匠『強情灸』
峯の灸型。迫力ある面白さで文句なし。江戸っ子の意気がりの可笑しさが二人に出ているし、ちゃんと友達なのが良い。
◆2月8日 池袋演芸場昼席
夢葉/扇遊『厩火事』//~仲入り~//彦いち(白鳥代演)『権助魚』/小勝『交通漫談』/小菊/さん喬『心眼』
★さん喬師匠『心眼』
演出がまた変わったか。梅喜の声柄が高いのは(黒門町的な甲高さではない)、噺全体の明暗を意識してのものか。金の事で怒り出すまでは陽気。寄席サイズだから夢に入るまでの尺は短め。「お竹が徹夜して仕立てた縞物」と『景清』のフレーズを持ってきたけれど、定次郎ほどメソメソした印象にならないのは此処までの造形の違いか。目が開く流れで上総屋が梅喜を叩いたりせず、肩を軽く叩いた程度。目の開いたと分かる件もドラマティックにはしない。メソつかない分、杖を捧げ持つ件が却って胸にしみる。上総屋との遣り取りで周囲の景色がこんなに浮かぶ『心眼』は初めて。特に仲見世で「~のおかみさんの声だ」など、二つくらい店の名を挙げる所はカメラが梅喜の周りを回転するようだった。小春はどうも芸者っぽくないのが弱味(小春はやはり扇辰師が絶妙)。待合では刺身だけで、味噌吸物の件がなく、小春の告白までが早い。小春は積極的に恋を告げて、酔った梅喜が(「呑めない酒を呑んで」のセリフは違和感あり)、浮かれて「お竹を叩き出す」と言い出す展開で、梅喜を明るく描いているから「薄情な残酷さ」は感じない。聞いているうちは感じないが、聞き終わってから「これが夢か」と思えば、梅喜の深層心理がちと怖い(圓朝の非落語的性格、女性的残酷さの現れなのかな。「禅」じゃないと思う)。目が覚めてからも梅喜の安堵を余り濃くしないから、サゲ前の笑いになっても、以前のような深刻さは感じなかった。金遊師のあくまでも落語らしい軽い『心眼』ほどには落語になってはいないけれど、落語への過程にある『心眼』を感じた。
※ふと思ったけれど、一朝師が『心眼』を演ったら、どういう感じになるんだろう?
◆2月8日 セゾン・ド・白酒 冬の薪(成城ホール)
一力『牛褒め』/白酒『壷算』/白酒『干物箱』//~仲入り~//白酒『二番煎じ』
★白酒師匠『壷算』
瀬戸物屋のアヤフヤなキャラクターの可笑しさの中に今夜は枝雀師の雰囲気をチラッと感じた。
★白酒師匠『干物箱』
雲助師型。まだ余り手が入っておらず、竹庵の造型などは曖昧、というより芝居味の入った雲助師の造型からまだ抜けられない、という事だろう。後半、二階に上ってからの善公の仕科には独自の面白さがある。
※雲助師が殆どなぞらなかった先代馬生師の『干物箱』が参考になるのでは?
★白酒師匠『二番煎じ』
今夜は「雲助噺二題」だね(白酒師がネタに入った時、「今夜、池袋で馬石師の代バネをしている雲助師は何を演ったのだろう?」と感じていた)。二年前の一月に聞いて以来か。全体の構成は二年前と余り代りが無いようである。夜回りの間は芝居味の強い雲助師の演出イメージが強いため、身に芝居味のある馬石師ほどには似合わない。それと、声自体は良いのに都々逸や「火の用心」のメロディが少しおかしい。和の音階が不得意なのかな。但し、宗助を冒頭の番小屋から「すぐ居眠りする老人」にしたのは面白い演出(これは初めて聞いたんじゃないかな?)。番小屋に戻ってからは雲助師とは違う面白さになる。月番の「冷やは毒でしょ」の軽い良さには唸った。半ちゃんの惚気話にも落語らしい世話味を感じさせられる。年寄りの隠れ宴会なのだが、何処か落ち着いた雰囲気が時々流れ、それが外の寒さをふと思わせるのは雲助師と違う道を辿りながら同じ地点に着いた印象。見回りの侍も声の良さで、硬くなり過ぎずに武士の感じがする。『干物箱』と違い、雲助師演出を抜けつつある。
◆2月9日 第二回柳家小満ん在庫棚卸し(橘家)
小満ん『饅頭怖い』/小満ん『操競女學校~お里の伝』//~仲入り~//小満ん『明烏』
★小満ん師匠『饅頭怖い』
ワイワイガヤガヤの典型で、町内仲良し連中の遣り取りがひたすら暢気に愉しいのは流石。「毒饅頭」に「余っ程恨みがあんのか?」には笑った。熊の言う「蛇の雑炊」は『我輩は猫である』からとのこと(泉鏡花の作品にも似た件はなかったかな?)
★小満ん師匠『お里の伝』
小満ん師では初聞きの演目。圓生師の速記にほぼ忠実な演出と展開。お滝婆のでしゃばりぶりの可笑しさに最も特徴があり,村瀬東馬の粗忽ぶりがわざとらしく無いのは流石で次に続く半面、岩淵伝内の告白に「恋故の哀れ」を感じないない。そのため、割と普通の仇討物に聞こえるのがちと物足りない。長井兵助は立派だけれど剣客の凄みは余り感じない。細部にもまだ小満ん師らしい味付けが薄く、なるほど棚卸しの段階か。
★小満ん師匠『明烏』
小満ん師の演出を黒門町のサイズで演じた感じ。物凄く速く、刈込みながら飛ばした雰囲気で、メリハリで受けやすい半面、小満ん師らしい閨中の情緒に些か乏しい。
◆2月9日 心技体vol.14(なかの芸能小劇場)
さん坊『牛褒め』/喬太郎『梅津忠兵衛』/扇辰『匙加減』匙加減//~仲入り~/彦いち『百川』
★喬太郎師匠『梅津忠兵衛』
小泉八雲原作。二回目の口演とのこと。怪談じみた展開だけれど、実は稲荷と仏が手を取り合って難産の母子を救うため、忠兵衛の怪力が手助けするという話。語り口は喬太郎師にピッタリだし、展開も軽い意外さがあって面白い。何か「力自慢」「産声」に繋がるサゲが欲しい。
※彦六師匠の『うれし泣き』を喬太郎師匠で聞きたくなった。
★扇辰師匠『匙加減』
やはり大家の江戸っ子的狡猾さが一番面白い。叶屋が妙な意気がりぶりを強めているのも面白さを増している。半面、玄貞たち恋人組の影が薄くなり過ぎている。
★彦いち師匠『百川』
ワンチャイヴァ-ジョン。江戸でなく、長崎出島の料亭で、龍船祭やおくんちを背景にすればタイ人が出てきても納得しちゃうかもしれないが、白鳥師の作品などと比べると滅茶苦茶さが中途半端。
◆2月10日 池袋演芸場昼席
夢葉/燕路(扇遊代演)『安兵衛狐』//~仲入り~//彦いち(交互出演))『睨み合い』/小里ん(小勝代演)『磯の鮑』/ペペ桜井(小菊代演)/さん喬『中村仲蔵』
★さん喬師匠『中村仲蔵』
今日は割と「芝居を見せる方の仲蔵」だけれど、寄席なので40分ほど。本当に困惑している終盤の仲蔵が良いのは相変わらず。
★燕路師匠『安兵衛狐』
「ゆうでございます」「れいでございます」など、上方の『天神山』にかなり近い演出。源兵衛・安兵衛のキャラクターが的確で、サラッとしているのにテンションが途切れず面白い。
◆2月10日 池袋演芸場夜席
ゆう京『子褒め』/志ん八(交互出演)『七福神オーディション』/龍玉『親子酒』/ホンキートンク/圓丈『蟇の油』/しん平『虫は食べられる』(漫談)/マギー隆司/歌武蔵『長短』//~仲入り~//菊志ん『御血脈』/雲助『辰巳の辻占』/龍玉『鰻屋』(ストレート松浦休演・二度上がり・正楽代演)/馬石『松曳き』
★馬石師匠『松曳き』
少し演出を変えたかな。ベン・ターピン系の殿様と何か腰の軽そうな三大夫のキャラクターが愉しい。
★歌武蔵師匠『長短』
豪快な短七と優しい声の長さんの組み合わせが愉しい爆笑編。
★龍玉師匠『鰻屋』
二度上がりでテンションが上ったのか、龍玉師の『鰻屋』ってこんなに面白かったっけ。短く演りながら間をタップリ取っているのに、会話が軽く活き活きと愉しい。動きも雲助師譲りで可笑しい。こういう落とし噺をもっと聞きたい。
★菊志ん師匠『御血脈』
普通に演じても面白い持ちネタだけれど、後から考えればストレート先生が来ないというので、今夜は少し繋ぎにかかっていたのかもしれない。珍しく志ん生師匠・談志家元・圓菊師匠の物真似が入ったりして、適度にハチャメチャな爆笑編になった。
------------------以上、上席--------------------
◆2月11日 上野鈴本演芸場夜席
まめ緑『桃太郎』/一左(交互出演)『浮世床・将棋~講釈本』/ダーク広和/甚語楼『猫と金魚』/志ん輔『元帳』/小菊/一朝『家見舞』/百栄(交互出演)『露出さん』//~仲入り~//和楽社中/権太楼『東京家族』漫談・小噺/ロケット団/文左衛門『竹の水仙』
★文左衛門師匠『竹の水仙』
冒頭からエネルギッシュ。文左衛門師独特のべらんめェな甚五郎と養子で気弱な宿の主人、細川家家臣・上田馬之助のキャラクターがぶつかり合う可笑しさは相変わらず。もう少し、巧さを見せて良いと思うけど、テレて文左衛門師は巧さを見せないなぁ。
◆2月12日 新宿末廣亭昼席
栄馬『元帳』/今丸/小柳枝『粗忽長屋』//~仲入り~//可龍『道灌』/東京ボーイズ(ひでややすこ代演)/鯉昇『鰻屋』/壽輔『老人天国』/ボンボンブラザース/可楽『景清』
★可楽師匠『景清』
慣れてる感じの所と忘れちゃった所がゴッチャな印象の高座。日朝様の件はすっかり抜かした(この方が尺は稼げるし、定次郎のキャラクターはぶれないともいえる)。「寛永寺の鐘が」も抜けて倒れていた定次郎が突然、目が明く。中盤以降はヒヤヒヤした。但し、冒頭の定次郎と旦那の遣り取りなどには若手中堅には無い慈味がある。後半の演出からすると現・金馬師のが元になっているかな。
◆2月12日 上野鈴本演芸場夜席
一蔵(交互出演)『権助魚』/ダーク広和/甚語楼『つる』/志ん輔『風呂敷』/小菊/一朝『牛褒め』/白鳥(交互出演)『スーパー寿限無』//~仲入り~//和楽社中/喜多八(権太楼代演)『竹の子』/にゃん子金魚(ロケット団代演)/文左衛門『転宅』
★文左衛門師匠『転宅』
50人に満たない客席で聞くのは惜しい佳作。泥棒のキャラクターの可愛さがたまんなく良い。特に「お菊と一緒になって娘が生まれて」って辺りの夢想は無類。お菊に色気があっても度胸が度を越してないのや「久し振りに旦那が来たので妾も嬉しくて」などの一寸した言葉の違いが活きている。
◆2月13日 新宿末廣亭昼席
小柳枝『妾馬』//~仲入り~//可龍『町内の若い衆』/ひでややすこ/遊吉(鯉昇代演)『浮世床・講釈本』/壽輔『自殺狂』/初音(ボンボンブラザース代演)/可楽『景清』
★可楽師匠『景清』
昨日はお浚いだったのか、今日は抜けるとこもなく(日朝様での「こいつはいけるな」はなかった)、ほぼ全編。昨日より黒門町的な演出。但し、メリハリを無理に付けず、あくまでも可楽師の渋く、硬い口調を崩さない語り口だから受けは弱い。とはいえ、定次郎、石田の旦那と、落語らしく、クサさの無い人物像は出ている。先代馬楽師の『鰍澤』などにも言えるけれど、ふだん不器用に見えるベテランから気の入った一席を聞くと背筋が改まるね。
◆2月13日 上野鈴本演芸場夜席
ダーク広和/甚語楼『権助芝居』/志ん輔『野晒し(上)』/小菊/一朝『巌流島』/白鳥(交互出演)『ナースコール』//~仲入り~//和楽社中/権太楼『代書屋』/ロケット団)/文左衛門『試し酒』
★文左衛門師匠『試し酒』
久蔵に色気があり、五升の酒(実際には一斗)を呑み干すエネルギッシュな可愛さのある所がやはり優れている。圓太郎師にも言えるが『試し酒』は骨太な可愛らしさを求められるね。久蔵の酒好き、五升呑んでほんの一寸テンションが高くなり、二杯目辺りから酔いの回ってくる感じ、陽気さの途切れない酒好きの雰囲気が面白い。惜しむらくは呑み上げの形が向かって下手に流れ、観客が思わず拍手をしてしまうほどの華やかさに乏しい。あの形は目白の丹精込めた名品で小里ん師しか今は出来ないかな。それとサゲ前の笑いはやはり大きく欲しい。小さいのでサゲの言葉が沈む。那同士は傍観者過ぎる。観客の代わりに喉を鳴らずと酒好き感がもっと欲しい。
★甚語楼『権助芝居』
旦那と権助の遣り取りがちゃんと無邪気な会話になっていて、しかも、旦那が権助の田舎言葉の滅茶苦茶さに困惑するのが矢鱈と可笑しい。権助に変な色気のないのも良い。本当に腕を上げたなァ。
◆2月14日 新宿末廣亭昼席
D51/小柳枝『金明竹』//~仲入り~//可龍『』/ひでややすこ/鯉昇『粗忽の釘
(下・ロザリオ編)』/壽輔『龍宮』/ボンボンブラザース/可楽『らくだ』
★可楽師匠『らくだ』
先代型で余計な描写はないれど、大家には三度行く演出で30分。入れ歯で益々歯切れの悪くなった分、先代可楽師のモグモグした感じと、妙に壮絶な切れ味の余韻があって、若い頃より聞き込める高座である。落語を聞き慣れない人は半分くらい何を言ってるか分からないだろうけれどね。髪を毟る件、口に入った髪を摘み出す無言の件はやはり凄味がある。
※「名人文吾以前の『らくだ』は比較的軽い噺だった」という米朝師の文章は可楽代々の演出を聞くと分かる。名人文吾や家元は枝葉の心理の付け過ぎで、付けた分の引き算をするという「芸の計算」が出来てなかったんだろう。
★鯉昇師匠『粗忽の釘(下・)ロザリオ編』』
釘にロザリオを架ける発想も可笑しいが、釘を打ち込む前からサゲまで主人公がズーッと粗忽な辺り、人物像が見事にぶれない。
◆2月14日 小三治一門会(練馬文化センター大ホール)
三之助『道灌』/〆治『池田大助』//~仲入り~//三三『転宅』/小三治『甲府ぃ』
★小三治師匠『甲府ぃ』
マクラ無し。途中、名前違えや段取りのてれこあり。但し、それよりも善吉の口調、物腰に田舎者らしさが乏しいのは、田舎者を得意とする小三治師にしては珍しい(エネルギッシュな田舎の若者、という点、善吉は若い頃の緒形拳みたいなイメージかなァ。今夜の善吉は色白過ぎる)。対照的に豆腐屋夫婦は如何にもそれらしい夫婦で十二分に面白い。善吉が井戸端で水を浴びて願いをたてる件はないが、この方が説教臭さは抜ける。それは兎も角、「翌日になるってェと」「二、三年経って」といった繋ぎのセリフがドラマにならず、ある日、豆腐屋に起きた出来事、というスケッチを感じさせる軽さが凄い。筋物の噺で、こういう雰囲気が場面転換に出る噺家さんはそうはいない。今夜はこのスケッチ感覚を聞けただけで嬉しい。
★三三師匠『転宅』
マクラ無し。会場の大きさに合わせてか、派手目に演じたけれど、妾の性根の座り方、泥棒のボケ方と揃って、この箱でも十分に面白い。
※練馬で19時30分開演は辛い。終わったのは21時30分だから芸中2時間弱とはいえ、番組のアンバランスを感じる。三席で90分で良い流れ。
◆2月15日 新宿末廣亭昼席
小柳枝『小言幸兵衛』//~仲入り~//可龍『間抜け泥』/ひでややすこ/鯉昇『歳そば』/壽輔『名人への道』/正二郎(ボンボンブラザース代演)/可楽『短命』
★可楽師匠『短命』
これが、若き日の小三治師が感心した先代可楽師演出を受け継ぐ『短命』ならば、(部分的に隠居の調子で『反魂香』の島田重三郎みたいな凄味を出す)なるほど余っ程良いお客の時でないと出せない噺である。前半の『悔やみ』には笑いがあるけれど、目白の小さん師の『短命』以上に、後半は枝葉のくすぐりが無いし、サゲ前のセリフも更に刈り込んである。
★小柳枝師匠『小言幸兵衛』
「イスラム教スンニ派」のサゲは相変わらずだけれど、今日は幸兵衛のテンションが妙に高くて矢鱈と可笑しかった。
◆2月15日 第29回ぎやまん寄席湯島編「市馬・喬太郎ふたり会」(湯島天神参集殿一階ホール)
市助『垂乳根(上)』/市馬『権助芝居』/喬太郎『文七元結(二年目版)』/~仲入り~//喬太郎『肥辰一代記』/市馬『首提燈』
★市馬師匠『権助芝居』
珍しいなぁ。権助の話の内容は普通なんだけれど、下品な感じが全くしないで、『藪医者』の権助と医者の会話みたいな印象を受ける。結果的に朗らかに愉しい噺になるのは市場馬師ならでは。
★市馬師匠『首提燈』
酔っ払いの罵詈雑言も酷く嫌な感じではない。半面、侍が落語にしてはリアルに怖すぎるか。目白の師匠ではないが、居合の鋭さがあくまでも中心の噺になってしまう。今回は斬った後、懐紙は使わず謡で去った。スラップスティックな軽さが欲しい。
★喬太郎師匠『文七元結(二年目版)』
三年か四年前の11月30日(喬太郎師の誕生日だったから余計に印象が強い)の第二回射手座落語会以来の出会いとなる『二年目版』。前に聞いた時より長兵衛の職人気質・江戸っ子気質というか、明らかに「まともじゃない人」の人物造型が一層愉しく感じられる。その意味では目白の師匠の世界と志ん生師匠の世界を折衷したみたいな長兵衛である。佐野槌の女将が前よりも怖くはなくなったのは結構。シビアではあるけれど、情的な人物でないと噺が成り立たない。ある意味、色町の女将とはいえ「女の正義」を「まともじゃない男」の代表みたいな長兵衛に求める辺りに、「女性の本質」みたいなとこがあるともいえる。お久は可憐。文七は良い意味で普通の若者だけれど、扇橋師匠のように子供っぽくくらいでも良いのではあるまいか。近江屋の主人と番唐の粋人ぶりは大好き!長兵衛がかなり「まともじゃない人」である所から、文七やかみさんといった「長兵衛や近江屋と比べれば、至極くまともな人たち」の普通のリアクションが可笑しさに変わり、全体が「落語っぽく」なるのは凄く嬉しい。何か、とても全体がホカホカした『文七元結』だったね。
※雲助師匠が『死神』を一昼夜くらいの噺に変えて演じているみたいに、「落語国」を常に意識しながら、大筋は変えないしても、自分の思うがままに設定を変えて行くといった作業は本当に大切だね。そうしないと、どうしても登場人物の心理表現ばかりに目が行き、結果的に演じ過ぎて落語でなくなってしまう。心理をほったらかしにしても、状況設定の変化に対応しうる人物造型を心がける方が落語はリフレッシュされる、という事実は、鼻の圓遊師匠の時代から変わらないのではないだろうか。こうなってくると、喬太郎師懸案の『芝カマ』や外国人版『芝浜』が一艘聞きたくなる。
★喬太郎師匠『肥辰一代記』
「前が『文七』だから、おそらくは全く逆サイドの噺を演るだろうな」という予感が
大的中。「ウンコ」だらけで大笑い。それでいて、『文七』と繋がる落語的な歪み方を感じさせるのがまた面白い。
◆2月16日 第307回圓橘の会(深川東京モダン館)
橘也『子褒め』/圓橘『梅若礼三郎(上)』//~仲入り~//圓橘『梅若礼三郎(下)』
★圓橘師匠『梅若礼三郎』
圓生師匠、彦六師匠で聞いてからはもう30年以上だから、我乍ら細部をかなり忘れていた。勿論、圓生師型。序盤、おかのが金を恵まれてから栄吉が吉原で捕まり、おかのの家から金を盗んだと告白。捕り手が利兵衛宅に踏み込むまでは全体に噺の運びが堅く、セリフの強弱がハッキリし過ぎる弱味(圓生師匠のメリハリの付け方が裏目に出る)を感じた。しかし下に移り、おかのの召捕りから長屋連中の水垢籬、更に居酒屋で長屋の連中と居合わせた屑屋仲間の宴会から、酔った長屋の者がおかのの身の上を語る辺りは、堅さがほぐれ、メリハリも適切で、圓生師の「笑い」の面も巧く活かしながら、人物が活き活きと躍動。聞き込ませて面白かった。圓生師の噺は真面目一方の展開より、この噺の酔っ払いくらいに、適当にだらしなくて酒や女に目の無い奴が出てきた時の方が面白かったのを改めて思い出させて貰った思いがする。
◆2月16日 新宿末廣亭夜席
陽子『与謝野晶子半生記』/京丸京平/栄馬(助六代演)『茄子娘』/遊三『長屋の花見』//~仲間入り~//宮治『強情灸』/東京ボーイズ/楽輔『錦の袈裟』/夢太朗『竹の水仙』/南玉/圓輔『寝床』 (ネタ出し主任)
★圓輔師匠『寝床』
黒門町型の前半は旦那の怒り方のメリハリ(茶楽師より旦那が黒門町風に甲高い)、繁蔵の困り方の対照が良く、旦那の機嫌が直り、店子連中がご機嫌伺いに来るまでは真に好調な高座。店子が客席に集まってからは、古今亭型の演出の変形が入るが(二番番頭が長屋の共同便所に避難する)、その辺りからメリハリが前半ほどではなくなり、些か尻すぼみ加減だったのは惜しい。とはいえ、全体的には良き高座。
★遊三師匠『長屋の花見』
明るい大家と一喜一憂する店子たちの対照、特に驚いた店子の大きな声とめげた店子の小さな声、間の取り方が面白い。俳人店子の妙に冷静なとこや月番、来月の月番の困り具合など(今夜は大家の出番が以外と少なかった)、ごく普通な演出ではあるが、人物像で面白さが段違い。
◆2月17日 第16回柳噺研究会(下谷稲荷神社社務所二階座敷)
ございます『垂乳根』/小燕枝『馬の田楽』/小里ん『二人旅~煮賣屋~長者番付』//~仲間入り~//小菊/雲助『禁酒番屋』
★小燕枝師匠『馬の田楽』
馬方が次第に馬方でなく江戸の人になっちゃった感はあるけれど、三周屋のおんじいをはじめ、他の登場人物の長閑な可笑しさはちゃんと出ていて、愉しい高座だった。
★小里ん師匠『二人旅~煮賣屋~長者番付』
終始、リズムが変わらず、旅噺の暢気さの中に、表を閉められた場面で江戸っ子が慌てる辺り、一瞬の不安さを展開のメリハリとして加え、面白さを最後まで保った。声柄もあるけれど、基本的に明るい旅、明るい田舎者たちの雰囲気が心地よい。
★雲助師匠『禁酒番屋』
今回は目白型の普通編。とはいえ侍のリアクションが雲助師流に濃い目で(聞き終わって酒屋の奉公人たちの印象が余り残っていない)、独特の間の取り方をする場面も幾つもあり、非常に面白かった。根岸の文治師的なクサさを伴った、リアルな可笑しさを感じた。
◆2月17日 新宿末廣亭夜席
助六『長短(上)』/遊三『お見立て』//~仲入り~//宮治『動物園』/東京ボーイズ/楽輔『風呂敷』/夢太朗『長屋の花見』/南玉/圓輔『火事息子』(ネタ出し主任)
★圓輔師匠『火事息子』
四年か五年ぶりに圓輔師から聞いた演目。稲荷町型ってのを忘れていた。「深彫り」や江戸の火消しに関する説明など全体にディテールが細かいのに驚く。初めて聞いた言葉も幾つかある。序盤の目塗り騒ぎはまあ普通。徳之助との対面になって、言葉の上では叱る一方の片意地さを見せる親旦那はいかにも稲荷町型らしい。小言の途中から調子がどんどん上がると共に、世話狂言のセリフ的になったのも独特。元から調子の堅い師匠だから、かなり後半は芝居っぽい。おかみさんは猫を抱えて登場。彫物を嬉しそうに褒める声音、表情が良い。庇い立てはするがメソメソ泣いたりしないのは結構なこと。かみさんの庇い立てに親旦那が次第に穏やか、というより半ば嬉しそうに着物や金をやるのを認める。調子の上げ下げが後半には余り無いため、サゲがイマイチ効かなかったのは惜しまれる。
★遊三師匠『お見立て』
稍簡略型だが、杢兵衛大尽・喜助・喜瀬川のキャラクターが明確で杢兵衛大尽が二枚目ぶる可笑しさはやはり佳作。
★夢太朗師匠『長屋の花見』
命令しちゃあ、店子のリアクションに怒って「帰れっ!」と恫喝(笑)を繰り返す大家と、ひたすら閉口しながら言いなりになる店子、という、些か歪んだ人間関係の『長屋の花見』の面が強まっていた印象。味わいには乏しいけれど、可笑しいことは何とも可笑しい。『寝床』系『長屋の花見』。
◆2月18日 人形町市場落語集(日本橋社会教育会館ホール)
市江『六尺棒』/市場『藪医者~花筏』//~仲入り~//市馬『妾馬』
★市馬師匠『藪医者』
医者と権助の声の高さがおんなじ過ぎないかな?大きな会場で演ってるみたいな印象で、陽気ではあるけれども、この噺らしい長閑さに乏しい。
★市馬師匠『花筏』
引き絵の無い噺になっている。志ん朝師の噺から芝居演技を除いたみたいで面白さが平板。キャラクターの魅力に乏しい。
★市馬師匠『妾馬』
時間があり過ぎて、無理にマクラを長く振った印象で(最初は斬り捨て御免の話をしていたから『首提燈』かと思った)、噺のリズムを作りきれなかったかな。演出もこんなに古今亭寄りだったかしらん?お鶴を見ての「鶴っぺ」など八五郎らしいセリフもある半面、「御乞食博打」を言い換えたり、「珍歌はあるか?」を省いたり、妙に綺麗事に細部を変えていたので、声が良い分、八五郎が何だかひ弱な人物になってしまった。結果的に雲助師や一朝師が八五郎で見せる味わいやキレを失っている。三大夫さんがどんどん若くなってしまったのも意外。『五月幟』の素晴らしいざっかけなさを演じられる人とは思えない出来。
※『妾馬』は「落語の本質的なざっかけなさと、そこに生まれる面白さ」の典型みたいな噺だからね。
◆2月19日 五代目春風亭柳朝師匠二十三忌追善落語会「五代目柳朝十八番集」(日本橋劇場)
おじさん『狸の札』/一之輔『唖の釣』/正朝『祇園祭』/権太楼『火焔太鼓』//~仲入り~//一朝『天災』/柳朝『蒟蒻問答』//一朝・権太楼・正朝・柳朝・一之輔
※主催者の一人である会だから評は無し。袖から拝見していて「追善として良い会だな」と感じた。
◆2月20日 新宿末廣亭昼席
小柳枝『妾馬』//~仲入り~//宮治(可龍昼夜替り)『動物園』/ひでややすこ/鯉昇『歳そば』/壽輔『善哉公舎』/喜楽喜乃(ボンボンブラザース代演)/可楽『親子酒』
★可楽師匠『親子酒』
かなり短め(早バネだった)。先代の高座を見てはいないけれど、高座から醸し出される雰囲気は先代可楽師に凄く似てきたなァ。
★小柳枝師匠『妾馬』
ふだん、余り入れないセリフも幾つかあって面白く、短い尺で泣かせすぎず泣かせる腕前は流石。
◆2月20日 噺小屋スペシャル“気になるふたり”第二回小満ん・喬太郎の会(銀座ブロッサム)
さん坊『つる』/小満ん『夢金』/喬太郎『錦の袈裟』//~仲入り~//喬太郎『白日の約束』小満ん『寝床』
★小満ん師匠『夢金』
終盤、稍噺が走った感はあるものの、噺全体に妙な芝居臭さがなく、熊蔵の欲張りぶりに愛嬌のある、変な間で噺の流れと人物の面白さを止めない良き高座、演目である事に変わりがない。艫の小窓を開けて、熊蔵が船の中を見る独特の演出が私は大好き。
★小満ん師匠『寝床』
末廣亭余一会の『笠碁』、目白庭園の『富久』、今夜の『寝床』と、本題に入った途端、スッとテンションが上がり、キビキヒとしたリズムが良く、かといってメリハリを付け過ぎない時の小満ん師の面白さは当代一流である。自然なテンションま流れの中に、四代目~五代目小さん師代々の人物像のぶれなさが浮かび上がる。「仲入りまでは声試しだから御簾内で」という旦那のセリフも通常の「肩衣が以前の奴だから」より、旦那の「義太夫以外は謙虚な人柄」を思わせて馬鹿に愉しい。粋過ぎないのが見事に落語であり、御簾を上げてからサゲまでの短さなども実に見事な演出の冴えで噺を尻すぼみにしない。
★喬太郎師匠『錦の袈裟』
喬太郎師独特の与太郎夫婦の関係がすこぶる愉しい。割と聞く回数のある噺だから、マクラの流れを聞くと「おお、又か」と思うけれど、聞き出せば面白いという、「聞き飽き」のしない、全体が実は淡い造りの演目なのは強い。喬太郎師は他に殆ど廓噺を演らないせいもあるけれどね。
※また、小満ん師や小里ん師が一緒の時に廓噺を出しては単なる「怖い者知らず」になっちゃう。
-------------------以上、中席------------------
◆2月21日 第四回小満んおさらい会(目白庭園赤鳥庵)
なな子『寿限無』/小満ん『按摩の炬燵』//~仲入り~//小満ん『鰍沢』/小満ん『雑談』/さん喬『百川中断で、最終的に天狗裁き』
※自分が主催する会だから感想は無し。
色々あってテンヤワンヤで、小満ん師匠とさん喬師匠、御来臨のお客様には本当に御迷惑をお掛け致しまして、申し訳ございませんでした。進呈よりお詫びを申し上げますm(__)m これだけテンヤワンヤな会を経験すると、何だか怖いもの無しになります。また、御配慮を戴きまして目白庭園の園長さん、本当に有難うございました。
◆2月22日 池袋演芸場昼席
喜多八(市馬代演)『短命』//~仲入り~//文菊『浮世床・講釈本』/正雀『鴻池の犬』/小円歌/菊志ん『くしゃみ講釈』
★菊志ん師匠『くしゃみ講釈』
安定した高座でボケのキャラクターは出来てる。もう少し、からくりの件や「大丈夫でェ~すかァ!」の件で大馬鹿者の声が出せると一層良い。講釈師はやや講釈の速度が緩いのと、枝雀師の睥睨する誇張があった方が、より「偉そうな奴が困った時」の可笑しさが出ると思う。
◆2月23日 第24回三田落語会昼席(仏教伝道会館ホール)
半輔『牛褒め』/志ん輔『七段目』/一之輔『藪入り』//~仲入り~//一之輔『加賀の千代』/志ん輔『お直し』
★志ん輔師匠『お直し』
後半がやや軽くなった。酔っ払いが明るく、かみさん女郎の口説も商売としての色気がある。亭主の「直して貰いなよ」が高い調子で可愛いのも良い。ただ、全体に中盤までの声柄が強すぎる。
★志ん輔師匠『七段目』
定吉が子供声、子供の仕科でお輕を演るのが、余りにもチンコ芝居じみてクドく感じる。
★一之輔師匠『藪入り』
亀に変な癖が無いので、聞いていて嫌らしさを感じないのが現段階では一番。夫婦関係は今様で面白いけれど、先代金馬師みたいには親父が骨太でない辺り、亀と親父の関係に食い足りなさを感じる。職人っぽさはあるんだが。
◆2月23日 第24回三田落語会夜席(仏教伝道会館ホール)
さん坊『道灌』/玉の輔『宿屋の富』/一朝『居残り佐平次』//~仲入り~//一朝『四段目』/権太楼『らくだ』
★権太楼師匠『らくだ』
火屋まで。目白型のベースに近く、特に屑屋の打ちのめされながら、それに耐えて来た結果の人物像と、その負のエネルギーが酒の酔いにまかせて発散、所詮は「はぐれ者」に過ぎないらくだの兄貴分(今回は名前無し)を圧倒する。凄さ、哀しみ、憐れ、迫力が渾然一体となった面白さとして昇華している高座で。圧倒されるより前に喝采してしまう出来栄え。ラストシーン、屑屋、隠亡、願人坊主、兄貴分と社会の底辺者・はぐれ者ばかりの大乱酔の可笑しさが光り、ディテールに止まらず、落語の世界ならではの表現になっている。一朝・権太楼二人会は現代最強の二人会のひとつだな。
※小三治師匠、一朝師匠、権太楼師匠、さん喬師匠、雲助師匠、小満ん師匠から二人を選んで組合わせれば、現代最強のふたり会になる。但し、雲助師匠とさん喬師匠の組合わせのみ、何故か化学反応が良い方に向かわない。その癖、この組合わせが矢鱈と多いのは落語会主催者側に見る目・聞く耳がないためではあるまいか。
★一朝師匠『居残り』
又も三十年ぶりの演目とのこと。「うっそだ~!」と叫びたいくらいの見事な出来。矢来町型で、一朝師としては序盤の佐平次の人物像が稍重めの運びになっている。矢来町の抜群の詐欺師ぶりを発揮するタイプの佐平次と少し違い、詐欺師ぶりさえも匂わさず、陽気に明るくみんなを騙した佐平次が、最後、品川の廓を平然と去って行くのがなんともカッコよく見える。北條秀司氏が新国劇に書いた芝居(名前失念)の真犯人みたいである。矢来町だと大きく間を溜める所を、微妙に溜める按配に直してあり、あくまでも落語の笑いにする辺りの面白さには唸ってしまった。霞花魁の客の勝っつぁんを謀る辺り、その微妙な間の溜め方の面白さは絶妙というしかなく、目白の小さん師に近いレベルの切れ味。小満ん師、小里ん師と並ぶ現代の『佐平次』だろう。
★一朝師匠『四段目』
一寸前半を刈込み、『らくだ』に時間を回した印象だけれど、定吉の可愛さ、芝居の適切さは不動。これは権太楼師が演りやすかったろう。
★玉の輔師匠『宿屋の富』
古今亭型で、脚と主人の遣り取りから、妙に芝居にせす、「門から母屋まで三日かかり、桜の咲く時期が違う」など、軽快な可笑しさがあった。小朝師譲りの良き表情が時々表現に浮かぶのも面白い。また、最近聞いた大ネタの中では、一年中演じているマクラのクサ味を引きずっていないのが何よりも良かった。言えば、もっと明朗に可笑しくても良いのだが、「俺は巧いのに」的な屈折がまだ一寸感じられ、噺が陽気になりきらないのは惜しい。
◆2月24日 道楽亭三周年記念出張寄席第一部「上方落語VS江戸落語」(新宿文化センター小ホール)
鯉ん『寿限無』/三四郎『阿弥陀池』/文治『松山鏡』//~仲入り~//遊雀『蛙茶番』/あやめ『ルンルン大奥絵巻』
★遊雀師匠『蛙茶番』
一朝師の軽さに対して、わざと脂濃く作っている半ちゃんが馬鹿馬鹿しく愉しい。特に裾を捲った形の派手さが大馬鹿者の見本。
★文治師匠『松山鏡』
陽気で面白いのだけれど、調子を張り続けているためか、この噺にしては長閑さに乏しく、また、長く感じる。
◆2月24日 新宿末廣亭昼席
権太楼『町内の若い衆』//~仲入り~//馬石(一之輔代演)『反対俥(上)』/ロケット団(遊平かほり)/左楽『目薬』/文生『本膳』/仙三郎社中/一朝『三方一両損』
★一朝師匠『三方一両損』
中盤、稍リズムが乱れ掛けたけれど、乱れには至らず、啖呵の爽快さなど、不変かつ、現在では無類。
★馬石師匠『反対俥(上)』
仕科のナンセンスな可笑しさがグレードアップしている。「今、通りすぎたのが大宮駅」サゲ。
◆2月25日 新宿末廣亭昼席
権太楼『町内の若い衆』//~仲入り~//一之輔『眼鏡泥/遊平かほり/左楽『権兵衛狸』/文生『民謡アバート』(正式題名不詳)/仙三郎社中/一朝『蛙茶番』
★一朝師匠『蛙茶番』
ひたすら快調。「全盛期」というのはこういうものだろうな。
★文生師匠『民謡アパート』
「綴り方教室」の痴楽師当てに書かれたが演らず、金馬師に回ったが柄が違って浮いていた新作とのこと。民謡を好きでないとアパートに入居て出来ないと言う、『小言幸兵衛』と『馬大家』を足したような、昭和後期の「いわゆる新作」ではあるものの、文生師のように民謡の似合う(となれば市馬師だね)噺家さんが演れば、それなりに面白い。少なくとも『馬大家』を演じるよりは今のお客にも分りやすい。
◆2月25日 新宿末廣亭夜席
正楽/小勝『風呂敷』/歌之介『龍馬伝』//~仲入り~//左龍(文左衛門代演)『お花半七』/にゃん子金魚/歌武蔵『干支』(漫談)/若圓歌(ひな太郎代演)『授業中(ダイジェスト)』/勝丸/白鳥『新婚妄想曲』
★白鳥師匠『新婚妄想曲』
『Woman‘s落語会』で初演された作品だと思うけれど、作品としてもなかなか
の傑作であると思うし、初演直後より噺が整理されて、「無理矢理のパズル」みたいな展開が抜群に可笑しい。もてない男ならではのありふれた、形而下的な悩みから噺が馬鹿馬鹿しく展開する辺り、白鳥師と主人公・保の人物像がピッタリで、可笑しさに共感を伴うのが素晴らしい。
※この噺、江戸時代に置き換えても何とかなると思う。それぐらい「落語本来の一寸したスケッチ」になっている。
※月曜日の夜にこれだけ客を入れる辺り、昨年の末廣亭夜主任と今年の白鳥はかなり雰囲気が違う。御自分のホームページでネタ出しをしているのも利いているのかな。
◆2月26日 新宿末廣亭昼席
遊平かほり/左楽『松山鏡』/文生『高砂や』/仙三郎社中/一朝『二番煎じ』
★一朝師匠『二番煎じ』
無駄なく、柔らかく、夜回りの声や「騒ぐ烏」の都々逸の節回しがよく、まことに見事な高座。今日は侍が「すまんな」という調子の柔らかさが殊の外良かった。
★文生師匠『高砂や』
短いが、明るい出来。以前通り、熊さんが御詠歌を歌い出すと、かみさんが「婚礼に御容赦」とサゲる形。但し、「巡礼に御報謝のもじりです」と説明を足した。
◆2月27日 池袋演芸場昼席
笑組『杜子春』/菊輔『謎解き千早振る』/市馬『狸賽』//~仲入り~//文菊『初天神・飴と団子』/正雀『紙屑屋』/小菊(小円歌代演)/菊志ん『火焔太鼓』
★菊志ん師匠『火焔太鼓』
三百両を巡る遣り取りで二杯、甚兵衛が水を貰い、「二杯目は頭を冷す」と被る。かみさんは一杯目から被るっていうのは初めて聞いたかな。まだ、細かいアラはあるけれど、斯様に「似た者夫婦」の面白さが笑いの陰にちゃんと描かれているのは愉しい。かみさんの妄想で木刀で甚兵衛を叩く侍が「疲れたから替ってくれ」というのも馬鹿に可笑しい。帰り際、門番に「幾ら儲かった」と聞かれた甚兵衛が「三百両!」と答え、門番が「三百両!?」と仰け反って驚くのも志を生師の「大きなお世話だ」とは違う愉しさだ。
★市馬師匠『狸賽』
前半が変。熊五郎と狸の会話を熊さんの独り科白で進めているのに、狸の表情で上下を振るものだから、科白は受動で表情は能動と誰が喋っているのかこんがらがる。市馬師でこんなへんちくりんな高座は初めて。
◆2月27日 デリバリー談春(大井町きゅりあん)
こはる『千早振る』/談春『味噌蔵』//~仲入り~//談春『居残り』
★談春師匠『味噌蔵』
嫁貰いから懐妊まで無し。あと、「から屋」のくすぐりも無し。立川流ならケチかど
うか以前に、「カリスマ」に対してビビる、居ない留守を幸いに・・・という感覚がもっと出ても良かぁないかね。
★談春師匠『居残り佐平次』
鬱陶しいくらい長い。質より量、貧乏人感覚の笑いの典型か。理屈で妓夫に何も言わせない佐平次は見事に家元本人のコピーではあるけれど、言わば騙される妓夫も佐平次も野暮天同士なので、落語の洒落っ気は皆目見当たらない。「越後から米撞き」に来たような佐平次のエネルギッシュさは『棒鱈』の田舎侍に共通する「田舎臭さ」ではあるまいか。芸として「おもちゃのチャチャチャ」を歌う佐平次は家元同様に可愛いい。廓という大人が馬鹿になりに来るとこには相応しい唄なのかもしれないが、佐平次まで子供っぽく感じるのは談春師の本質が子供っぽい証だろうか。こないだの一朝師の佐平次は可愛いけれど、大人だった。妓夫騙しが長過ぎて、佐平次が二階を稼ぎだしてからが短い。というより、紅梅の客の勝を持ち上げる以外に、佐平次の腕達者ぶり、廓を巻き込むほどの幅広い可笑しさを感じない。家元の野暮なとこや、廓嫌いが遺伝して、「甘い客になる」=「粋でもあり、痩せ我慢でもある江戸っ子の遊び」が描けないのは談春師の弱味だな。「裏を返されちゃ堪らない」という旦那に一番洒落た感覚を感じたけれど、このセリフを家元の旦那が初めて語った頃と比べると、わざわざその前に伏線になるような遣り取りがついているので、「洒落に門を付けた」野暮、つまりは解説になってしまうのが惜しい。志ん朝師の饒舌は説明のための芝居になっていたから、「無駄に長いなァ」という鬱陶しさも感じさせる半面、言葉をちゃんと追い掛けてみると、人物表現として成り立っていたのだけれど、協会を脱けてからの家元の饒舌はひたすら説明のための説明に終始していたから(それを許した家元ファンのレベルにも問題がある)、それを受け継いでしまうと家元同様、自らの表現を却って損じる憂いが残る。志の輔師の饒舌は説明というよりは、解説用のナレーション芝居になっている分(鈴木健一アナウンサーの『お江戸でござる』の落語版みたいなとこがある)、「確かに家元や紺屋の談春師の“説明のための説明”よりは聞きやすいのだな」と感じた(志の輔師の場合も表現としては余り意味がないから鬱陶しいのには代りが無いけれど)。
--------------------以上、下席------------------
石井徹也 (落語道落者)
投稿者 落語 : 2013年03月13日 03:25