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2012年12月02日
石井徹也の「らくご聴いたまま」 2012年11月中席号
時雨を急ぐ紅葉狩り深き山路を訪ねん。山の紅葉もすっかりあかくなっております。最近はtwitterその他で、色々な人のアップした美しい写真を目にすることが多くなってまいりました。
今回はおなじみ石井徹也さんによる、ごく私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2012年11月中席号をUPいたします。(おまけに宝塚OG公演「エリザベート」ガラコン評もどうぞ!)
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◆11月11日 第七次第四回圓朝座(お江戸日本橋亭)
半輔『金明竹(骨皮抜き)』/馬桜『牡丹燈籠~孝助伝弐・』//~仲入り~//歌武蔵『文七元結』
★歌武蔵師匠『文七元結』
ネタ卸し。家元型ベースの馬桜師譲りとの事だけれど味わいは一朝師や志ん朝師に近
い、何とも温ったかい雰囲気の漂う職人落語。ネタ卸しで些か急いたり、抜けたりし
た部分はあるけれど、長兵衛が見事に江戸の能天気な職人気質丸出しで、何の裏表も
ない温かい人物で、佐野槌の女将が贔屓にするのも分かる。佐野槌の女将は下町の世
話焼きのかみさん気質で怖さでなく、人柄で人の上に立つ人。長兵衛のかみさん・お
亀は長屋のかみさんそのもの。『青菜』や『猫久』が聞きたくなる。近江屋の主人も
番頭も気取りがなく、仕事柄の貫禄がある。文七は必死な若者でいわば新弟子だ。こ
れから落語協会を代表する『文七元結』になって行く可能性を感じた。
★馬桜師匠『孝助伝弐・孝助の縁談~大曲の待伏せ』
「孝助伝」は「幽霊騒ぎ~伴蔵物語」と比べ、ストーリーの起伏が古風で、人物表
現の組合せで噺が進むから、そこに魅力がないと粗筋読みになってしまう。先代馬生
師の「孝助の縁談」から「仇討出立」までを二回聞いた限りでは、孝助の嫁親・相川
新五兵衛の粗忽な、落語国的好人物ぶりの占める部分が大きいけれど、落語国的好人
物には聞こえない。また、孝助を闇討ちする相助のキャラクターも圓生師型類型田舎
者に止まっており、頭の悪さ、面白さとしての中間根性も出ていないため、興味が沸
かない。飯島平左衛門も新五兵衛、宮野辺源次郎との遣り取りでは違いのある武士ら
しさ(孝助に慕われるもの)が欲しいのだけれど、今日の口演では町人みたいである。
宮野辺源次郎のコソコソした小悪党ぶりが似合うだけ。
◆11月12日 第30回白酒ひとり(国立演芸場)
さん坊『王子野~金明竹(下)』/白酒『代脈』/白酒『アンケート読み~心眼』//~仲入り~//白酒『居残り』
★白酒師匠『心眼』
全生亭での口演と殆どイメージは変わらず。セリフの順番間違いなどは今回は改善さ
れている。やはり、心理的な悲劇になりすぎない加減を模索してるかな。サゲのセリ
フも落語らしい「シビアな洒落」への方向性を感じさせる。
★白酒師匠『居残り』
「居残りが店を回して、店中が居残りを頼りにし始める」と、小せん型の芝居掛かり
セリフの改訂で「小さな時から悪ガキで、十五で不良と呼ばれた…」といった二つに
は大笑いした。最後の投げ節は調子は高いけれど、まだ曖昧。居残りは仕事と洒落の
中間っぽいが、悪どさや妙な悪ぶりがないのは愉しい。霞さんとこの勝っつぁんの乗
せられ方、乗せ方は非常に優れたもの。霞花魁も花魁らしい雰囲気・色気が出てき
た。
★白酒師匠『代脈』
やはり現在では白酒師の『代脈』、ならびに銀杏が一番可笑しい。
◆11月13日 国立演芸場中席
たが治『道具屋』/昇々(交互出演)『御面接』/夢花(交互出演)『煮賣屋』/伸治(交互出演)『お見立て』/ぴろき/歌丸(交互出演)『鍋草履』//~仲入り~//歌丸・蝠丸・鯉昇・伸治・平治改め文治・夢花(一門以外の後輩の口上列席は珍しい)「十一代目桂文治襲名披露口上」/蝠丸(交互出演)『高尾(上)』/鯉昇(交互出演)『歳そば』/正二郎/文治『禁酒番屋』
★文治師匠『禁酒番屋』
襲名後の『禁酒番屋』は番屋の武士の酔い方に、可笑しさだげてなく品格を加味する
変化が出てきたのがやはり大きい。
★夢花師匠『煮賣屋』
目白系は丸で違い、煮賣屋の婆さんが矢鱈とクサい演出だけれど、ここまでクサいと
夢花師の持ち味と一致して可笑しい。
◆11月13日 第257回柳家小満んの会(お江戸日本橋亭)
木りん『金明竹(下)』/小満ん『萬金丹』/小満ん『身替りの遺言』//~仲入り~//小満ん『言訳座頭』
★小満ん師匠『萬金丹』
前半が意外とサラサラという感じではなかった。葬式になってからが聞き物。
★小満ん師匠『身替りの遺言』
大正時代に三語楼師が演じた『靴屋の遺言』のサゲを少し変えた内容かな。強欲な後
妻に一泡食わせて金儲けという小品。意外と現代性がある。靴屋の人を食った病人ぶ
りが面白い(※この噺を(古臭い)と書いた某氏の考え方が私にはよく分からない)。
★小満ん師匠『言訳座頭』
本日一番の出来。小粋な噺ではないから、小満ん師の柄に無い噺のようでいて、富の
市の達引きの強い、江戸っ子気質、庶民らしさが三軒の掛けとり相手で十二分に発揮
される。小里ん師の『言訳』同様、脅しを掛けようとドスを利かせ過ぎて噺を暗くす
るなんて事なく、庶民の強かな智恵の発露として飽くまでも明るい。困ってる米屋・
薪屋・魚屋も江戸っ子であり、按摩らしい客商売の愛嬌も江戸っ子らしさと折り合い
がとれている。小里ん師と並ぶ佳作。
◆11月14日 国立演芸場中席
和光『平の蔭』/宮治(交互出演)『垂乳根』/文月(交互出演)『笊屋』/小右團治(交互出演)『徂徠豆腐』/ぴろき/鶴光(交互出演)『試し酒』//~仲入り~//鶴光・楽輔・伸之介・平治改め文治・右團治・文月(何か一門会での口上みたいな顔触れ)「十一代目桂文治襲名披露口上」/伸之介(交互出演)『真田小僧』/楽輔(交互出演)『転宅』/正二郎/文治『うどん屋』
★文治師匠『うどん屋』
文治師独特の明るさと、対照的な『高砂』『山姥』をキッカケにして「嬉しさから絡
みがクドくなる酔っ払い」の遣り取りの中、フッと夜中に初老の男が二人でいる孤独
の陰が差す。そこに目白型とは違う、夜商人のいる寒い夜、日常のスケッチが感じら
れる。それが最後のうどんを喰う男により、世界が陽に大きく曳き戻されるのが面白
い。うどんの食い方は権太楼師にまだ径庭があるけれど。
★鶴光師匠『試し酒』
『馬のす』の酒版みたいに、世情のアラを拾いながら五升の酒をアッという間に呑み
干す軽さが独特。酔いを見せる演出ではない。
※六代目の松鶴師が演ったら、どうなったんだろう。上方では米朝師が持ちネタにされてるが。
◆11月14日 第24回立川生志独演会「生志のにぎわい日和」(にぎわい座芸能ホール)
春樹『平林』/生志『幇間腹』/生志『二番煎じ』//~仲入り~/正二郎/生志『文七元結』
★生志師匠『二番煎じ』
少し簡略型か。夜回りが短めで、番小屋での酒盛りは相変わらず愉しい。簡略型のた
めか、月番の仕切り屋ぶりなど、各キャラクターの細部がいつもより弱いのは惜しい。
★生志師匠『幇間腹』
若旦那の能天気さと、一八の「御祝儀」と聞くと肩が重くなる嬉しい職業気質が明る
いマンガになっている。サゲの足袋の鞐はまだちと蛇足気味。
★生志師匠『文七元結』
基本的に人を追い詰めない温かさが魅力の『文七元結』である所は変わらないけれ
ど、佐野槌の女将や長兵衛の物言い、仕種に家元の現れる現象が増している。そのせ
いか、稍堅く、噺が人情噺に傾く。それを避けてか、サゲの後日場面をつけたが、
『山崎屋』の親旦那と花魁の場面みたいで、別の小噺を足したみたいに感じる。普通
の最終戻場面で、お久が戻ってから「文七の親代わりに」という話になり、「五十両
は出てくる、お久は戻る。文七っつぁんは助かる。こう目が出ちゃあ、親にならな
きゃ仕方がねェ」とか何とかまとめられないかな。
◆11月15日 国立演芸場中席
/伸治(交互出演)『ちりててちん』/南玉(交互出演)/文治『掛取り』
★文治師匠『掛取り』
狂歌・寄席・芝居・喧嘩。寄席は柳昇師匠・稲荷町・圓丈師匠・桃太郎師匠と噺家さ
ん沢山。「今度は遊朝師匠とか、もっと分かりにくいの演ってみせよう」には笑った
(金遊師匠や、故・扇枝師匠なんてのも聞きたい)。芝居の面白さは文治師が一度人物
をマンガ化して芝居に掛かる点で、それが荒事的な暢気さ、大鷹さを芝居に与える。
一朝師はそんなことないが、最近の芝居掛かりは凝れば凝るほどチマチマするから、
この鷹揚さが嬉しい。喧嘩もアッサリとサゲになって心地よい。
◆11月15日 志ん輔の会(国立演芸場)
半輔『道具屋』/馬治『粗忽の釘(下)』/志ん輔『居残り佐平次』//~仲入り~//ホンキートンク/志ん輔『真景累ヶ淵・二』
★志ん輔師匠『真景累ヶ淵・二』
シアターイワトと少し違い、「松倉町の捕物」を前フリにして、「豊志賀」をタップ
リ目。明らかにレベルアップしている。わざと落語にしておどけるとこや、新吉が子
供っぼい、というマイナス点もありはするけれど、素の語りだけなら「名人」級の出
来といえるかもしれない。「松倉町の捕物」で新五郎が屋根の上を走る描写の無駄の
無さ、変にメリハリをつけない良さには唸った。こういう描写はなかなか出来ない。
淡々としてるのに息が詰んでいるからクサくならない。「巧ぶらない、必要最小限の
優れた描写」の典型。相変わらず、登場人物に偏りがなく(こんな事が出来たのは先
代馬生師と、先代小さん師、彦六師くらいだろう)、豊志賀にも新吉にも月並みな感
情としての「恨み」や「嫌気」なんてものは毛ほども感じられない。それでいて、会
話に、言葉に「悪意」が生じる。つまりは「悪縁」に憑りつかれ操られて、己の意志
とは別の行動に出てしまう人々の哀れを感じさせるのである。圓朝物の因果因縁噺と
しては、雲助師の『札所霊験』、先代馬生師の『豊志賀』『藤ヶ藤谷新田老婆の呪
い』彦六師の『お峰殺し』くらいしか他には覚えがない。「人の目」には映らない
『真景』の世界が正にある。圓朝師本人より深くなっているのかもしれない。惜しい
事に、伴奏の笛がその世界を壊す。寿司屋二階のように、笛も「音」に徹すれば「悪
縁」をフォロー出来るのだけれど、この笛はどうしても(ドレミファ音階の)メロ
ディを吹きたがる。この高座における「メロディ」は志ん輔師の語りにあれば良い。
笛の「メロディ」が邪魔をしているのが分からないのかなァ。
★志ん輔師匠『居残り佐平次』
軽快でサラサラサラサラと愉しくて、志ん輔師の『居残り』でこ~んなに面白いのは
初めて(志ん輔師の演目としては、そんなに数を聞いている訳じゃないけど)。兎に
角、「口から出任せ無責任男」である佐平次の人物造型が素っ晴らしい。その居残り
に霞の話を聞かされて泣き出す勝っつぁん。居残りの法螺話の中で、そこだけ「新派
の調子」になっちゃう霞(という佐平次の語り)の面白さ。序盤の仲間と遊ぶ件から
終盤まで変わらないリズムの良さ。こないだの白酒師とセリフのベースは同じで、古
今亭の基本形なんだけれど、人物造型の素晴らしさが丸で違っちゃってる。矢来町の
『居残り』と違い、「芝居の居残り」でもない。あくまでも「噺の居残り」。古今亭
系『居残り』の最高傑作かもしれないな。
★馬治さん『粗忽の釘』
雲助師のがベースかな。マクラは馬生師の抑揚なんだけれど、噺に入ると雲助師の抑
揚になる(その分、一寸スピードが落ちる)。これを上手く溶け込ませて、リズムを早
め、自分の抑揚に変えれば持ちネタになる。粗忽な男、あっけにとられる隣人たちの
人物表現は出来てるから。
◆11月16日 第570回三越落語会(三越劇場)
音助『雑俳』/吉坊『稲荷俥』/柳橋『金明竹』/権太楼『大山詣』//~仲入り~//雲助『ずっこけ』/小三治『欠伸指南』
★小三治師匠『欠伸指南』
普通の意味では「しっちゃかめっちゃかな『欠伸指南』」に聞こえるかもしれないけ
れど、「あっしは江戸っ子だから珍しいものには直ぐに食い付く」という軽薄際まる
好奇心旺盛な主人公のキャラクターの愉しさ。「普請の出来た庭の造りの良さ」など
に感激していた主人公が、その好奇心と反省しない強引さによって、欠伸を教える師
匠と気の毒な友達を巻き込み、えらい目に合わせる、という展開が真に馬鹿馬鹿しく
落語らしい。暇な三人が長閑な午後を過ごす、という味わいが何ともいえなく豊かに
可笑しいのである。欠伸の師匠と主人公の関係が完全に平面にあるのもステキ。過去
に小三治師が演じた「詰めに詰めてキッチリ作ってはあるけれど、味がなくて面白く
なかった『欠伸指南』」が嘘みたい。「滾るものがある」には笑った。三三師の踊り
に小三治師が言ったという批評そのまんまだもん。
★雲助師匠『ずっこけ』
フワフワしてるけれど、主人公の酔っ払いぶりがちゃんとフワフワしている、良い出
来の高座。終盤、兄貴分が主人公ほうちへ連れ帰る部分で、少しずつ、二度の担ぎ歩
きのいずれも端折ったのが惜しい。
★権太楼師匠『大山詣』
「半月板損傷の手術後がかなり痛む」と後から聞いたが、その痛みをはね除けようと
してか、熊のキャラクターだけでなく、噺全体のテンションが異常な緊張感を伴って
しまった。その力の入り方が伝わってきて、却って素直に笑えない高座と私には感じ
られた。「痛みに挑戦し過ぎ」というべきか。小三治師が一つの典型だけれど、「体
力の低下を取り込む」演じ方もあると思う。
★柳橋師匠『金明竹』
小柳枝師匠型がベースだと思うけれど、柳橋師の小味さがサラサラと活きて無理がな
い。与太郎の表情に特徴の無いのは弱味。
★吉坊師匠『稲荷俥』
米朝師が定席時代の東宝名人会に出演されると、囃子の要らないこの噺を演られてい
たのを思い出す。騙すつもりで失敗する主人公の気質を、シニカルでなくドライに愉
しくするには「わしゃ、人間やない」辺りのちょいと性の悪い遊び心の表現に不足を
感じるし、結果的に噺の面白さが平坦になってしまう。秀才芸の弱味を感じる。『け
んげしゃ茶屋』の旦那やこの噺の主人公のドライな面白さは米朝師独特で、一門でも
継承してる人は少ないし(というかいないんちゃう?)。
◆11月17日 『エリザベート・スペシャル・ガラ・コンサート』(シアター・オーブ)
出演:紫苑ゆう・大鳥れい・湖月わたる・朝海ひかる・出雲綾etc.
★本日の主要キャストは特別出演の紫苑ゆう主体のメンバー。ミュージカル『エリザ
ベート』ではなく、世界を『宝塚グランドロマン・エリザベート』に変えてしまう紫
苑ゆうのトートが「生涯男役」である事を味わうための舞台と言ってよい。特に最後
の「昇天」の場面は星組育ちの男役でないと様にならないのを痛感する。大鳥れいの
エリザベートは歌声が出るために歌の表現力が曖昧になる。オペラ歌手でも、優れた
歌謡曲歌手でも「表現力」の曖昧な、乏しい歌には魅力が感じ難い。今日の舞台で一
番、歌が歌えて、表現力もあるのは皇太后ゾフィーの出雲綾だけれど、惜しむらく品
が無く、エリザベートとゾフィーの応酬が「長屋の嫁姑の喧嘩」になってしまう。
◆11月17日 第34回この人を聞きたい「馬石・龍玉兄弟会 双蝶々リレー」
(三輪田学園百年講堂和室)
ゆう京『子褒め』/龍玉『鮑熨斗』/馬石『干物箱』//~仲入り//~龍玉『双蝶々~定吉殺し』/馬石『双蝶々・子別れ』
★馬石師匠『双蝶々・子別れ』
下座がないためか、雪降りの描写がなく、「実は奥州で子分が五十人もある盗人で」
の告白もない。省略されてはいるが非歌舞伎的な芝居の動きと、長吉のセリフの二枚
目ぶり、お光のセリフ、長兵衛のセリフに実があり、聞き応えはある。半面、吾妻橋
で七五調の芝居掛かりのセリフになると稍キッパリした雰囲気が足りなく感じる。
★馬石師匠『干物箱』
雲助師型。雛型も良いとはいえ、受け継いだ軽みも愉しい。
★龍玉師匠『双蝶々・定吉殺し』
圓生師的で仕種が歌舞伎だから、噺の仕種としては間が遅れてリアクションに違和感
がある。長吉は「生来の悪性」の造りで馬石師の「悪に追い込まれた男」のイメージ
はないから「ふるめかしい感じ」が抜けないし、噺が野暮ったくななる。またその
分、人物像が歌舞伎風類型にもなる。
★龍玉師匠『鮑熨斗』
龍玉師以外、余り聞いた事のない演出だけれど、雲助師譲りかなァ?大家の言葉尻が
独特。その大家が良い人なのか、普通の人なのか、嫌な奴なのかが曖昧。甚兵衛さん
のかみさんが鮑を見ても何も言わずに甚兵衛さんを大家のうちに出すのは、大家の言
う通り「手抜かり」だね。
◆11月18日 『エリザベート・スペシャル・ガラ・コンサート』(シアター・オーブ)
出演:紫苑ゆう・高嶺ふぶき・湖月わたる・花總まり・涼紫央・初風詢etc..
★本日の主要キャストも特別出演の紫苑ゆう主体で元星組メンバー中心。物凄い出来
であり、無茶苦茶に面白い。昨日より遥かに自己演出の整った紫苑の激する感情の起
伏に、花総も高嶺も、湖月さえも巻き込まれるようにぶつかりあい、なかんずく紫
苑・高嶺・花総は「三大怪物の激突」みたいに、感情の動きに凄まじい面白さを感じ
させる。特に花総があんなにもひと言ひと言に感情、心情を露にして唄った『私だけ
に』は初めてで涙が出た。「一人だけ」の歌詞の孤独感が絶妙。葬儀の場面で「もう
待たせないで、苦しめないで」トートに縋る件も花總としてベストであろう。これを
受けた紫苑の「死は逃げ場ではない!」は初めてこのセリフが生命を盛った場面とし
て歴史に残したい(今までは逃げのセリフにしか聞こえなった)。高嶺が一番凄かっ
たのは最後の「最終弁論」の対決で、紫苑と張り合える存在感を見せたのには吃驚し
た。花総も高嶺も「あ、降りてきちゃった!」という宝塚トランス状態で、これでこ
そ『宝塚グランドロマン・エリザベート』になる!涼は『闇が広がる』で紫苑に位負
けしなかったのに仰天。紫苑のトートは『最後のダンス』で「最後は俺が勝つに決
まってる」と有頂天になっていたのが、寝室の場面で突き放されて愕然とした直後、
『ミルク』では「可愛さ余って憎さ百倍」でエリザベートを糾弾する。その勘定の変
化の面白さは、一定の心理表現しか出来ない一路には出来ない「男役の演技ならでは
のもの」である。「最終弁論」場面の「違う!」の強さも男役ならではの「違う!」
になっており、最後の「昇天」でエリザベートを愛しく迎える腕と表情の良さ、天空
から地上に翳す手の動きといずれも無類。「なんで宝塚が観たいのか」と言えば「こ
ういう男役のロマンが観たいから」である。カーテンコールで宝塚音楽学校の先生で
もある紫苑が「教え子、手ェ挙げて」と言うと脇役の大半が教え子!舞台が全員一丸
となる訳だ。演出の小池修一郎としては、本来の演出意図を無視されて頭に来るかも
しれんけれど、『宝塚グランドロマン・エリザベート』として物凄く面白く、花総・
高嶺・湖月・涼からあれだけの出来を導き出した紫苑に文句は言えない。
※新宿末廣亭夜席に行こうと思っていたのだけれど、2年位前に雨の新宿駅階段で
滑り落ち、腰から頸部を打ったのが少し響いて来て、軽い頸椎症風の症状があるのも
末廣亭にいかない理由の一つ。
◆11月19日 『エリザベート・スペシャル・ガラ・コンサート』(シアター・オーブ)
★三日続けの観劇だけれど、如何に紫苑ゆうが芯でも、ヒロインが白羽ゆり、皇太后
が出雲綾、皇帝が涼紫央、皇太子が朝海ひかるとキャストが変わり、紫苑ゆうの構築
しようとする世界と、各出演者の持ち味・技量の相違から些か違和感が生じてしまっ
た。昨日のキャストによる驚異的な出来とはかなり径庭のあるのは残念。
◆11月19日 第113回横浜・柳家小満んの会(関内小ホール)
木りん『金明竹』/小満ん『粗忽の使者』/小満ん『子別れ(中)』//~仲間入り~//小満ん『三井の大黒』
★小満ん師匠『粗忽の使者』
今日は多彩な職人噺といった按配か。武林唯七の粗忽噺がマクラで治部右衛門の様子
に飄けた味わいがある。留っ子のノリが稍大人しい。
★小満ん師匠『子別れ(中)』
先代小さん師の十八番だけれども、最近(中)だけの口演は滅多に聞かない。権太楼師
が『浮き名のお勝』と題しているがけれど、確かに女郎の名はお勝(品川での馴染み
だから源氏名ではない)。「熊が三下り半の書けない無筆」という『子は鎹』への仕
込みもちゃんとある。熊の惚気話の暢気さ、夫婦喧嘩に仲裁が入ったばかりに火種が
大きくなって夫婦別れに至る辺り、小満ん師ならではの軽妙さの中に、目白の小さん
師の「落語の子別れ」の継承された世界がある。
★小満ん師匠『三井の大黒』
脚の速い口演で三十分余。三代目三木助師の型に近いけれど、甚五郎が「荒神様の棚
を吊ってくれたが、ありゃあ五十年はもつ」と政五郎が感心するなど、細部に小満ん
師らしい手入れがある。最後まで態度が改まらず、ポンシューのまんまの甚五郎に三
木助師とは違う飄々とした味わいがあり、政五郎も人物のキレでなく、江戸の棟梁ら
しい貫禄がある。笑い所を押さないのに、越後屋の番頭が大黒を見て「素人目にも」
と褒める件でフッと気持ちが和む。扇辰師が小満ん師から受け継いだ雰囲気かな。
◆11月20日 国立演芸場中席 平治改め十一代目桂文治襲名披露興行大千穐楽
たが治『子褒め』/小蝠(交互出演)『薬罐舐め』/米福(交互出演)『錦の袈裟(中)』/伸治(交互出演)『棒鱈』/Wモアモア/桃太郎(交互出演)『お見合い中』//~仲入り~//小遊三・桃太郎・伸之介・伸治・平治改め文治・米福「十一代目桂文治襲名披露口上」/伸之介(交互出演)『千早振る』/小遊三(交互出演)『二十四孝』/ボンボンブラザース/文治『御血脈』
★文治師匠『御血脈』
普段通り、「善光寺の由来」までかと思ったら、襲名披露興行楽日らしく『御血脈』
までタップリと。昼席らしく、寄席エンタテインメント派の文治師らしく、気楽に愉
しく興行を打ち上げた印象。笑い野中にもも最後の五右衛門の迫力は流石である。
※仲入りまでの前半は気楽に手軽く、仲入り後の小遊三師『二十四孝』は浚ってる感じで、
伸之介師の『千早』は割と珍しい演目。
◆11月20日 鈴本演芸場特選会第回志ん輔扇遊の会(上野鈴本演芸場)
半輔『金明竹(下)』/扇遊『天狗裁き』/志ん輔『柳田格之進』//~仲間入り~//志ん輔『稽古屋』/小菊/扇遊『子は鎹』
★志ん輔師匠『柳田格之進』
ラストで娘は尼になっている。「この噺には、この後に何も語る事はない」という
キッパリと潔い志ん輔師の意志を感じた高座。無駄に泣いたり、感情を露わにしたり
しない所に、この噺の登場人物の「心」が感じられる。「嫌な噺だ」と語りながらも
「志ん輔師の噺家生活から、この噺は切り離せないものだ」と私は思った。
★志ん輔師匠『稽古屋』
短縮版乍ら、主人公の馬鹿者ぶりが何とも可笑しく可愛くて絶妙。特に大屋根の上で
猫の発情期みたいな変な声を出すと猫が寄ってくる件の可笑しいこと!古今亭だなァ。
★扇遊師匠『子は鎹』
扇遊師で初めて聞いた演目だろう。扇遊師の噺家さんとしての優れた資質を十二分に
感じさせてくれた高座。亀の良さはいまだかつて聞いた事がないほどである。おんぼ
りと、何処か長閑ですらある子で、育ちが・躾が見事に良い。「乞う言う子を育てる
親は偉い」と思えるほど。そんな亀の後ろには風景すら感じた。亀と熊さんの言葉の
少ない、それでいて情の深い遣り取りには驚かされた。芝居臭さが全くない。それで
いて桃の葉の鳴る如く「情愛」が深くしみてくる。かみさんのお徳に最初のうち、一
寸芝居臭さがあるけれど、怒りが冷めてからの(金槌を振り上げたりしない)、亀との
遣り取りがまたふんわりと柔らかな母と息子の会話で素晴らしい。「(鰻屋へ行くな
ら)じゃあ、お湯へ行こう」とはかみさんが亀を湯に連れてくのが見事な場面転換に
なっているのも初めて聞いた演出である。鰻屋で亀が「お湯屋で一人で頭が洗えるよ
うになったよ」と話す件があるのは正蔵師と同じだが、どちらが原型なのかな?その
亀が「また三人で一緒に暮らそう」と熊の袖を掴んで、初めて泣くのが哀れに悲し
い。でも、わざとらしくないから、可哀想で可哀想で泣けてしまった。番頭さんが最
後になって出てきたけれど、これは「子供は夫婦の鎹だってェが」(このセリフは第
三者の言う方が納まりが私も良いと思う)を第三者に言わせるための演出を、ちと仕
込み忘れたのかな?目白型だと番頭さんは最初から鰻屋にいるから。
★扇遊師匠『天狗裁き』
『子は鎹』の素晴らしさに対して、こういう、ある程度、手慣れた演目だと、『厩火
事』『夢の酒』同様にかみさんが妙にけたたましくなったり、大家・奉行・天狗と
いった登場人物の描き分けが、いつの間にか曖昧になっちゃうのが不思議なんであ
る。巧いんだけれど、性格的に筋物の噺に慣れちゃい易いのかな?
石井徹也 (落語”道落者”)
投稿者 落語 : 2012年12月02日 21:58