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2012年10月20日

石井徹也の「らくご聴いたまま」 2012年9月中席下席合併号!

すっかり秋本番とはなりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
今回はおなじみ石井徹也さんによる、ごく私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2012年9月中席号、下席号を合併してUPいたします。寄席主任の桂南喬さんや十一代目桂文治襲名披露興行を”追っかけ”している石井さん。今回のレポートも渾身のレポートです!

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◆9月11日 池袋演芸場昼席

隆司/柳朝『手水廻し』/三三『湯屋番』/ペー/白酒『金明竹』(骨皮抜き)/菊之丞『死ぬなら今』/順子・朝呂久/志ん輔『稽古屋』//~仲入り~//一之輔『のめる』/圓窓『ぞろぞろ』/正楽/一朝『井戸の茶碗』

★一朝師匠『井戸の茶碗』

ほぼ満員の池袋初日の出し物として、見事に過不足なく、面白く、喜怒哀楽驚怖躁鬱
の表現が整っている。本当に感心するほど歪みやブレが無い。


◆9月11日 第70回(会の回数を初めて知った)月例三三独演(イイノホール)

正太郎『棒鱈』/三三『真田小僧』/三三『萬金丹』//~仲間入り~//三三『死神』

★三三師匠『死神』

35年くらい前、『三人ばなしの会』で初演された頃の小三治師のプロトタイプに近
い雰囲気でクシャミオチ。主人公がひたすら能天気で(なぜ、これが『萬金丹』に出
ないのかな)、死神も陰気でなくフワフワしている、最後の「消えるぞ」も客観的
で、心理的に追い詰めないから落語になっていて面白い。すると主人公がクシャミで
消してしまうのが死神の言っていた死因に合致すると同時に、「自業自得の馬鹿馬鹿
しさ」が出て、主人公がちゃんと主人公になる。蝋燭渡しの謎は残るが、近年の三三
師の大きな噺では出色の出来。

★三三師匠『真田小僧』

親父の間抜けでマジな職人気質がよく出ていて面白いのは、三三師の演目でいえば
『雛鍔』に似ている。比べて子供が子供にならないのが残念。小三治師を子供のモデ
ルにすれば良いのに。

★三三師匠『萬金丹』

和尚を絞め殺す相談をしてる辺りや和尚が出掛けて酒盛りを始めるまでがかったる
い。目白の小さん師やさん喬師の二人はもっとサラサラと能天気なのだが、妙に引っ
掛かる。『死神』の主人公はあんなに能天気なのに。会話に感情的な尾鰭が付き過ぎ
るのかな。この世代では演者の少ない噺だから期待はしてるのだが、毎回どっかダレ
る。

★正太郎さん『棒鱈』

左龍師に近い演出。目白の小さん師⇒小里ん師の演出に比べると、リアクションのセ
リフの前に余計な間の付く癖がおそらく稽古を受けた噺家さんから伝染していると思
われる(正朝師の『棒鱈』にはこういう無駄な間はない)。この無駄な間を省けばニン
にある噺。『琉球』の節がちゃんとしてるのと滅茶苦茶の中間でどっち付かず。取り
敢えず、歌詞が可笑しいんだから、節は『助六』の田舎侍の出のようにちゃんとして
た方が良いと思う。両方、滅茶苦茶でも可笑しい唄になるのにはもっと「強い個性」
が必要だろう。落語協会の「ネタ派」の噺家さんは、志ん生師系以外、どうしても個
性を殺す傾向があるからね。

◆9月12日 池袋演芸場昼席

朝也(交互出演)『悋気の独楽』/隆司/一之輔『堀の内』/三三『夏泥』/遊平かほり(ベー代演)/馬石(白酒代演)『金明竹』/菊之丞『幇間腹』/ペペ桜井(正楽代演)/志ん輔『佐々木政談』//~仲入り~//柳朝『お菊の皿』/圓窓『つる』/順子・朝呂久/一朝『天災』

 ※馬石師からペペ先生まで二階の喫茶店で打ち合わせをしていたので聞けず。

★一朝師匠『天災』

名丸、八五郎、煙草屋、八五郎のかみさん、隣の熊さんと、登場人物全てのリアク
ションが兎に角抜群で面白い。また、名丸の、目白の小さん師とも違う、「市井の物
知り・学者」らしさが素晴らしい。

★一之輔師匠『堀の内』

より一層、主人公を「変な人」に規定しているけれど、つまりは喬太郎師的な小劇場
演劇的落語の捉え方に近い印象を受ける。ただ、喬太郎師みたいに、登場人物に入っ
て行かない、何処か醒めたスタンスなのは、映画と映像作品の違いみたいなものか
な。一朝師は完全に見事な「映画」で、柳朝師も「映画」。「映像作品」で精度は高
いけれど、イマイチ、人間関係を感じない。

★三三師匠『夏泥』

まだ過程ではあるけれど、「人間関係」が噺の中から見えてきた印象。良い意味で、
熱心なファンの思い込みを裏切れるようになるかも。

★柳朝師匠『お菊の皿』

「明日お盆でお休みなの」は日時的に洒落たオチ。笑わせながら、鳴り物が入る件で
ギャッと観客に言わせたのは、怪談の語り口が巧く混じっているから。やはり、落語
らしい巧さと面白さを併せ持つある師匠だ。

◆9月12日 上野鈴本演芸場夜席「秋の喬太郎まつり~喬太郎ダブル大森り~喬太郎VS喬太郎」

※何もこんなに「喬太郎だらけ」のタイトルにしなくてもよかろうに。余りにもクド
くて野暮に感じる。

左龍(交互出演)『初天神(飴と団子)』/和楽社中/歌武蔵『不精床』//市馬『雑俳~り
ん廻し』/アサダⅡ世/喬太郎『お菊の皿』//~仲入り~//ホームラン/扇辰『麻暖
簾』/二楽(小菊代演)/喬太郎『ぺたりこん』

※仲入り後に、半輔さんとさん坊さんが『落語教育委員会』のコントみたいな感じで
「携帯は電源から切って下さい」と客席でやっていた。この芝居の間は毎日するのか
しらん?少なくも、以前、「さん喬・権太楼」の興行の時、「携帯は電源から切って
下さい」と言いに出て来た前座さんが、却ってお客から「そんな事より、この暑さを
どうにかしろ!」と怒鳴りつけられたような、上から視線っぽい嫌らしさはなくなる工夫である。

★左龍師匠『初天神』

 手慣れた、聞き慣れたネタだけれど、演出を変えたかな?金坊が勝手を言い出す前
に、あんなに長い間を取っていたかしらん?笑いの量が増えていた。

★歌武蔵師匠『不精床』

偉く旧い演出なのに驚く。「イデデイデデ、デーオ(「バナナ・ボート」)」「芦田
紳介」なんて、いつ頃のクスグリだろう?歌武蔵師では初聞きの演目だけれど、親方
のドスの利き方、客の困り方が独特で非常に面白い。

★扇辰師匠『麻暖簾』

あくまでも扇辰師らしい、静謐な世界だけれど、従来の落語の世界と違和感が無い。
今夜一番ホッとした高座。一服の清涼剤。

★喬太郎師匠『お菊の皿』

『青菜』『百川』と並んで、喬太郎師が出していても掛け違っていた噺をやっと聞け
た。隠居が青山鐵山のお菊殺しを話す件は「人情噺&怪談噺」の語り口を使い、SM
入り劇中劇(とまではハッキリさせないが)風で巧みに表現している。中盤以降は小
劇場演劇的落語として、ファン気質を出して行くお菊の常連客や、やたらと愛想の良
かったのが蓮っ葉風になって行くお菊の様子(小劇場の役者の中で、テレビで売れて
行く過程で観客対応が変わってしまう奴がいるみたいなもんだ)が可笑しい。演劇的
ではあるけれど、野田さん以降の「ギャグを交えた若者芝居」の面白さゆえ、スタニ
スラフスキー以来の演劇落語(昔の小三治師が典型)とは違い、親近感が強いのであ
る。

※つかさん的な「熱烈情熱表現」や「小市民的リアリティ」は分離して、人情噺系や
『べたりこを』や『捨て犬』にある、というべきかもしれない。

★喬太郎師匠『ぺたりこん』

圓丈師の『ぺたりこん』は、初めて聞いて以来、日本人らしい「被害者感覚の悲し
み」みたいなものを強く感じてきた。喬太郎師の場合、高橋課長の「営利目的の組織
内人間」の怜悧さが先に立つ。『捨て犬』に近いインパクトというか、圓丈師の高橋
課長は類型的敵役だけど、喬太郎師の高橋課長は「俺もこの位置だと同じ事するだろ
うな」という痛みや苦さを伴うのだ。

◆9月13日 池袋演芸場昼席

花どん『道灌』/朝也(交互出演)『芋俵』/ぺー/柳朝『六銭小僧』/三三『五目講釈』/隆司/白酒『粗忽長屋』/菊之丞『元帳』/順子・朝呂久/志ん輔『紙入れ』//~仲入り~//一之輔『欠伸指南』/圓窓『銭垂馬』(正式題名不詳・民話落語)/正楽/一朝『妾馬』

★一朝師匠『妾馬』

見事なスタンダードで、八五郎の良さは不変だが、母親の噺で少し泣きがいつもより
は強かったかな。

★志ん輔師匠『紙入れ』

国立演芸場で絶妙だった、たぼに手をやる仕種がなくなった代わり、かみさんが腰を
揺らすのがコケティッシュで可愛く可笑しい。全体に下品でない艶噺として変わらず
結構なもの。

★柳朝師匠『六銭小僧』

金坊と父親の遣り取りが二人とも可愛くて面白い、というのは珍しい。どこか暢気な
親子噺になっているのは中々他にいない。

◆9月13日 第256回小満んの会(お江戸日本橋亭)

半輔『道具屋』/小満ん『九尾の狐』/小満ん『欠伸指南』//~仲入り~//小満ん『宿屋の仇討』

★小満ん師匠『九尾の狐』

前半講釈、後半落語という不思議な連鎖構成(釈台を使った)。前半と後半で時代を
超えて玉藻前の時代の武士が江戸の吉原近くに登場する辺りは、古風な趣向噺のうち
に入るものかな。勅命により、九尾の狐を追った三浦介と上総介の二人が、町人が髪
結床で話していた吉原の海千山千の花魁を九尾の狐と間違える件は『猫久』などに近
い可笑しさがあるけれど、趣向の洒落っ気を活かす話術が必要だから、誰が演っても
可笑しくなる噺ではない。小満ん師ならでは。

★小満ん師匠『欠伸指南』

欠伸の師匠が別に怒り出す訳ではないが癇癪持ちっぽいのは持ち味か。

★小満ん師匠『宿屋の仇討』

三人組の宴会騒ぎから相撲騒ぎは、些か枯れた演技になってバワフルな面白味に乏し
い(手を打つ音も不安定)。しかし、色事話になって小声から次第に力が入って声が
大きくなり、奥方たち二人を殺す場面の迫力には驚いた。また、伊八が終始、「宿屋
の真面目な番頭」でボケにならず、ボヤキも殆ど謂わない分、敵討ち騒ぎになってか
ら、如何にも硬そうな侍(彦根藩士の設定)&ひたすらアタフタする三人&伊八のトラ
イアングルなコントラストが良く、オチまで実に面白い。宴会騒ぎの時に侍は書き物
をしており、相撲騒ぎの際は「枕から頭が浮いて寝られん」と状況が変わるのも納得
感あり。三人を逃がしたら斬られるのは伊八一人、三人は廊下で戒められている、な
ど細部の演出の細かさも独特。しかし、「枕が浮いて寝られん」には受けたね。

◆9月14日 池袋演芸場昼席

朝呂久『新聞記事』/一左(交互出演)『壺算』/隆司/柳朝『浮世床・将棋~講釈本』/左龍(三三代演)『お花半七』/ぺー/馬石(白酒代演)『堀の内』/文左衛門(菊之丞代演)『夏泥』/順子・朝呂久/志ん輔『七段目』//~仲入り~//一之輔『黄金の大黒』/圓窓『十徳』/正楽/一朝『黄金餅』

★一朝師匠『黄金餅』

リズム良く(かと言って速すぎない)、この噺本来の無駄な重さのない佳き演出。焼き
場での金兵衛の動きのキレが生み出す可笑しさ、酔った和尚の第一声の可笑しさと、
ギャグ頼みでない愉しさを堪能した。

★文左衛門師匠『夏泥』

基本は目白型だが、泥棒の可愛らしさ、大工の図々しい明るさが共に独特。「なんで
オレ、こんなうち入っちゃったんだろう?」がちゃんと大受けする流れになってい
る。

◆9月14日 真一文字の会(内幸町ホール)

一之輔『黄金の大黒』/粋歌『銀座ナマハゲ娘』/一之輔『高砂や』//~仲入り~//一之輔『妾馬』

★一之輔師匠『高砂や』

ネタ卸し。殆ど目白型そのまま。八五郎のリアクションがまだ緩いため、謡の稽古
(声は良いが『妾馬』の時に少し枯れてた)終盤がダレる。

★一之輔師匠『黄金の大黒』

昼席で浚ってたのか(笑)。猫を食べたり、「猫、犬、お前」という食物連鎖が入った
り、鮨落としが入ったりして、「恵比寿を呼んでくる」まで。ギャグ落語の難しいと
こで、『高砂や』の方が技術的に面白さは足りなくても、無邪気に聞こえる。権太楼
師の『黄金の大黒』は無邪気だもんね。

★一之輔師匠『妾馬』

一朝師経由の古今亭型を元に手を加えたものか。芝居臭さが無いのは結構だけれど、
一朝師と違ってキレでなく、強弱の語り口中心のせいだろうか、八五郎が時々、硬く
なってしまい、無邪気さが失せるのは課題だろう。メソつかないのは長所だから、少
し目白系や先代柳朝師系の職人系要素を八五郎のキャラクター作りに取り入れた方が
良いかもしれない(一朝師は古今亭型でも先代柳朝師譲りで「職人性」がキャラク
ターの軸にあるから、『妾馬』や『大工調べ』が硬くもならず、下品にもならな
い)。

★粋歌さん『銀座ナマハゲ娘』

 上手くは無いが、可笑しさに無理はない。これが「売り出しネタ」になるのかな。
ふと、「歌る多師が演ったら、どうなるんだろうな?」と思った。

◆9月15日 第23回立川生志独演会「生志のにぎわい日和」

春樹『出来心』(中抜き)/生志『千早振る』/生志『王子の狐』//~仲入り~//二楽/生志『らくだ(上)』

★生志師匠『千早振る』

「はらほろひれはれ」「在原業平か」の遣り取りも素敵に可笑しいが、こういう相対
噺に於ける生志師の良さは、聞き手に回る八五郎が隠居(または先生)の話を聞きなが
ら面白がり出す、という流れが分かるとこにある。隠居が困り乍ら「龍田川」からこ
じつけ話を思い付く表情の愉しさも独特だが、さんざ話を聞いた揚げ句に「この話、
あそこに繋がるんですか?」と言った時の八五郎の声音、表情がステキに愉しい。

★生志師匠『王子の狐』

演出的にやや粗め。主人公の男に嫌なとこが微塵もないのは結構なもので、扇屋の女
中・番唐・旦那といった脇役も過不足がない。女狐が些か狸っぽいけれど(何か、ま
ねき猫師っぽい)、仔狐の可愛らしさは特筆もの。無理に受けさせようともせず、気
持ちの良い流れだが、刺身や酒を何度も嗅いでから口にするのは、分からなくはない
けれど少しくどく、ここだけ噺が獣臭くなったのは惜しい。冒頭の王子稲荷に朝から
参詣して気分爽快な主人公が、実に良い出来であり、気持ち良いキャラクターなので
(この冒頭の主人公が良い『王子の狐』は珍しい)、その雰囲気をそのまんま、最後
まで持続したいのである。

★生志師匠『らくだ(上)』

家元型だけれども、屑屋(表情は泣き顔風だが、そんなに隠でなはい)が酔った揚げ
句、普段の鬱積・屈折露呈して悲惨な人生を吐露する、といった悲劇に陥るのではな
く、あくまでも酔った屑屋とチンピラの立場の逆転するくらいの「簡明な酒飲み落
語」になってきているのは結構なこと。屑屋「らくださ」「アッ!待て、お前今、ら
くだの話をしようとしたろう」と月番や大家が強く止める面白さ、「らくださんが来
る前は大家が一番の悪だったんです」という屑屋の言葉の可笑しさなどが巧く配置さ
れており、貧乏長屋の片隅で起きた些細な事件のスケッチ的雰囲気が強まる(だいた
い、面白いけれど大仰な話ではない)。その中で、半次の「背負わせるぞ」が一寸不
気味で愉しい。屑屋の酔態の変化が面白いので、『猫の災難』を聞きたくなった。

◆9月15日 新宿末廣亭夜席

美智美都/小燕枝『千早振る』/雲助『臆病源兵衛』//~仲入り~//鉄平(正蔵代演)『代書屋』/笑組/扇遊『道灌』/圓丈『ランゴランゴ』/和楽社中/南喬『南瓜屋』

★南喬師匠『南瓜屋』

絶妙な面白さ。以前に聞いた時も素晴らしかったが、今年、寄席で聞いた「一番優れ
た落語」かもしれない。以前聞いた時より目白の小さん師の雰囲気が強い。目白一門
より、表現の仕方がやや強めではあるが、与太郎をはじめ、登場人物全員の言葉がど
れもこれも無類に活々としているのに驚いた。特に与太郎の言葉にちゃんと意志表示
があり、与太郎なりの頓珍漢な思考の入っているのが素晴らしい。路地に迷い込んで
からは「珠玉」と感嘆したくなる程の出来栄えで、唐茄子を買ってくれる男との遣り
取りの面白さ、帰ってから呆れて怒りながら悔しがる伯父さんとの遣り取りの楽しさ
(こんなに良い伯父さんは目白の小さん師以来)、どちらも腹を抱える可笑しさであ
る。更に止めを刺すように終盤、唐茄子を買ってくれた男がその件で初めて「あれは
お前の生地か!」と心底から驚いた言葉と表情には笑った笑った。三代目金馬師と小
南師は故・文朝師、南喬師と凄い人材を育てたものだと改めて感嘆した。

※百近い客の入ってる寄席を、筋物の噺でなく、与太郎噺で見事にハネてくれるとい
うのは物凄く愉しいものなのだなァ。来て良かった!この芝居、上野夜の指定席券を
諦めて、通える限り、新宿の夜へ通う事に決めた。

※『千早』や『道灌』へのリアクションを見ていると、今夜の御客さんは或る意味で
物凄く素直な初心者揃いだったようである。それだけに、筋売り部分の強い『臆病源
兵衛』は前半の仕込みでちとダレていた。『ランゴランゴ』はハチャメチャさで受け
てはいたけれど、この流れを呼んで『南瓜屋』を主任ネタに持ってきた南喬師のセン
スは一寸凄い。与太郎と振ったから最初は『ろくろ首』か『錦の袈裟』かと思っていた。

★扇遊師匠『道灌』

 最初は『ひと目上り』か『つる』かと思ったが意外や『道灌』。この三年くらいは
扇遊師から聞いた記録の全くない演目。二ツ目時代に寄席で何度か聞いた記録があっ
た。小燕枝師の『千早』とはベクトルが違い、少し受けるような騙り口に作ってある
ので、押し気味に感じる所もあるけれど、目白型の基本を巧みに寄席サイズ化してあ
る。スラスラしているけれど面白さが濃い。実際に『道灌』でこれほど客席が沸くの
は珍しい事だ。

★小燕枝師匠『千早振る』

 こちらは何時も通り、隠居の怪しさを醸し出しながら、スラスラと運んで軽快な高座。

※最近の寄席で『千早』『道灌』『南瓜屋』を二時間の間に聞くのは珍しい。

 

◆9月16日 気軽に志ん輔 20 (お江戸日本橋亭)

半輔『道具屋』/駒次『駅名寿限無』/志ん輔『不動坊火焔』//~仲入り~///志ん輔『刀屋』

★志ん輔師匠『不動坊火焔』

吉公が良い奴。ウキウキと銭湯へ出掛ける場面の良いったらない。湯の中での妄想で
お滝との遣り取りが義太夫風になるのがまた可笑しい。最後で幽霊相手にもう少し怯
えているとキャラクターの一貫性が強まるかな。三馬鹿トリオは徳さんの嫉妬心に残
る二人が引っ張られる感じ。徳さんの怒りがもう少し引き絵として感じられると更に
楽しくなるだろう。それには萬さん、鐵さん、幽霊(今回は駒次・笑)が徳さんの言動
に呆れるリアクションがもう少し欲しいな。

★志ん輔師匠『刀屋』

刀屋の主人が文楽の親父方みたいで落ち着きと風格があり、真面目一辺倒でないのが
良い。真面目一辺倒の硬い説教になっては、噺が人情噺になり過ぎてオチへ繋がらな
くなる。親父方の人形が眉を上げ下げしたり、口をパカッと開けて笑ったりしながら
徳三郎に話をしているという雰囲気なのである。「あたしも若い頃、“こいつのため
なら命も要らない”と思い詰めた女がいた」の主人のセリフにかみさんが膨れっ面で
辺りをパタパタ叩いてる、というのも絵が浮かんで良いなァ。

◆9月16日 新宿末廣亭夜席

美智美都/小里ん(小燕枝代演)『長短』/雲助『肥瓶』//~仲入り~//菊生『権助魚』/笑組/扇遊『お菊の皿』/圓丈『シンデレラ』/和楽社中/南喬『寝床』

★南喬師匠『寝床』

黒門町型。繁蔵がみんなの言い訳をする前に必ず一瞬の言い澱みが入る(こういう繁
蔵は初めて聞いた)、気の弱い、良い人なのが可笑しい。そんな性格だから旦那に
突っ込まれると大困惑してしまい、「もしもあたしの身に何か起きると」の素で真剣
なセリフの面白さは抜群。しまいに泣き出してしまう辺り、奉公人の悲哀さえ漂わせ
て可笑しいのは小南師譲りか。番頭の宥めは旦那の独りセリフで簡略化されているけ
れど、「みんな義太夫が好きだねェ」でドッと受けたように旦那の変化や「芸惜しみ
なんて…」の嬉しさが活きている証拠。長屋の連中はひたすら旦那の義太夫を嫌がっ
ているのがまた、何の屈託もなく可笑しい。蔵への語り込みはないからシンプルだ
が、キャラクターやセリフの細部に妙味を秘めているのが嬉しい。

★小里ん師匠『長短』

短七のセリフ、表情の一寸した行間に、長さんに対する友情が実に的確かつ過不足な
く現されている。長さんの、普通よりほんの一寸間の長い辺りの可笑しさ、キャラク
ター表現も感嘆する出来で、目白型『長短』では目白の師匠以来、私の遭遇した中で
は最も優れた高座かもしれない。

※次に出てきた雲助師の雰囲気が常と違ってた。

★雲助師匠『肥瓶』

古今亭型『肥瓶』の典型。運ぶ段取りで少し省略はしたが、気合いの入った高座で、
兄貴分との遣り取り、横にいる仲間を見る仕種、道具屋主人の呆れ顔など間断なく愉
しい佳品。

◆9月17日 池袋演芸場昼席

花どん『金明竹』朝也(交互出演)『壺算』/隆司/一之朝『鈴ヶ森』/百栄(三三代演)『弟子の赤飯』/ぺー/白酒『元帳』/菊之丞『弔息子』/順子・花どん/志ん輔『巌流島』//~仲入り~//勢朝(柳朝代演)『大師の杵』/圓窓『雷夕立』/紋之助(正楽代演)/一朝『小言幸兵衛』

★一朝師匠『小言幸兵衛』

緊密にキャラクターと会話が作られた中で、豆腐屋が絶叫する意味不明な言葉、仕立
屋の二回に渡る「いけませんか!」の反撃に幸兵衛がオタオタする件などが、巧みな
破調を作り出しているのが愉しい。特に「有難い御宗旨で、いけませんか!」の間の
無い突っ込みが素晴らしい。

★志ん輔師匠『巌流島』

屑屋の「くず~いィ」の先代可楽師系ギャグは昔から演ってたっけな?

◆9月17日 新宿末廣亭夜席

美智美都/小燕枝『長短』/雲助『持参金』//~仲入り~//正蔵『新聞記事』/笑組/志ん橋(扇遊代演)『酒粕~から抜け』/圓丈『ランゴランゴ』/和楽社中/南喬『らくだ(上)』

★南喬師匠『らくだ(上)』

目白型で「カンカンノウを踊らせるって、そう言え」まで。35分くらいだが、かな
りシンプルに刈り込んであった。全く説明的な件がなく、屑屋の困りまくる表情(妙
に可愛い)、長屋連中のリアクションの可笑しさで堪能。特に、目白独特の一杯目か
ら「良い酒ですね」のセリフ通り、屑屋が何とも嬉しそうに酒を呑む様子、呟くセリ
フが素晴らしく、愚痴も一寸混じりはするが、全体のトーンが明るいので聞いていて
愉しい『らくだ』。また、大家が頭を下げて謝るセリフから、兄貴分の「そこへ(死
体を)やっとけ!」のカットバックの良さ、一種の不気味さが一瞬漂う件には唸っ
た。一番最後、立場が完全に逆転してから、一寸トーンが下がったのが惜しい。

◆9月18日 池袋演芸場昼席

花どん『饅頭怖い』/一左(交互出演)『垂乳根』/隆司/柳朝『道灌』/三三『浮世床・洒落将棋~悪戯』/ぺー/馬石(白酒代演)『王子の狐』/菊之丞『鍋草履』/丸山おさむ(順子代演)/志ん輔『船徳』//~仲入り~//一之輔『夏泥』/吉窓(圓窓代演)『半分垢』踊り・「なすかぼ」/正楽/一朝『抜け雀』

★一朝師匠『抜け雀』

いつもより少し長め。キッチリと遣り取りされて、宿の主人のポワッとした可笑しさ
が躍動している。テンポが速くなると、矢来町に似たとこが次々と出てくるなァ。

★志ん輔師匠『船徳』

船宿の親方がちょいと強面だけれど、船頭も徳も能天気で、全体のバランスも良く、
古今亭型の弱みでもある脂濃さを感じさせずに楽しかった。

★三三師匠『浮世床・洒落将棋~悪戯将棋』

こういう噺は巧いというか可笑しいというか、この世代ではスラップスティックを演
じると、面白さで白酒師と二分するね。

★馬石師匠『王子の狐』

益々、狐の妖しい面白さがましてきた。仔狐が男を見つめてる表情の素晴らしさ!最
後に母狐が眉に唾をつける仕種のみ、ややくどく感じるのと、男の物の食べ方が綺麗
でないのが惜しい。

★菊之丞師匠『鍋草履』

先代馬の助師以降、落語協会の寄席でこの噺を演じたとしたら、圓窓師くらいではな
いだろうか(藤兵衛師とかも演るのかな)。演出的には歌春師に近いと思うが、より
スッキリしていて寄席向けの小品になっている。

★一之輔師匠『夏泥』

可笑しいけれど、泥棒も大工も与太郎みたいなのは、口の利き方に締まりがないため
か。大工を完全に与太郎にしちゃう手もあると思う。演出的には優れた「目白型」が
あるから、キャラクターを変える方が自分の噺になると思うんだよね。

◆9月18日 第29回白酒ひとり(国立演芸場)

さん坊『別海町の丹頂鶴~つる』/白酒『安兵衛狐』/白酒{桃月アンサー(アンケート読み)}/白酒『佐々木政談』//ー仲入り~//白酒『五人廻し』

★白酒師匠『五人廻し』

三月に聞いた時と殆ど々印象。江戸っ子はやはり口角の小ささが祟って啖呵の粒も立
たなきゃ、言ってる言葉の意味も分かりにくい。軍人は時々発する大声がアクセント
になって、笑いは取れていて可笑しいが、まだ大声とキャラクターのバランスが取れ
ていない。通人はホモセクシュアルまがいの悪戯と喜助のリアクションの巧みさで前
回同様一番面白い。関取は普通。お大尽は『お見立て』の杢兵衛大尽ほど怖くないの
が良い。こうして聞いてみると、喜助のリアクションが面白いのだから、喜助中心に
構成をしなおして、江戸っ子のキャラクターを冒頭の「ドキドキ感」に絞って、啖呵
の段取りも変えてしまった方が似合いそうに思う(啖呵までの「来るか疲れ」は面白
いが作りは心理的なので、啖呵とは相反する)。最初、三円五十銭と言ってしまった
揚げ代が最後で急に一円になったのは、構成が定まっていない証拠かしらん。

★白酒師匠『佐々木政談』

「桃月アンサー」が長引いて、取り敢えずこの噺に入っちゃった印象あり。そのため
か前半、噺が走って詞葉が捲れてしまい、甚だ聞き取り難かった。何とか御白洲から
リズムをある程度、取り戻せたのは重畳。尤も、飽くまでも可笑しさ重視の作りだか
ら、笑いはちゃんと取れるものの、そっから先の魅力はまだ無い。登場人物のキャラ
クターから生ずる可笑しさの点ならば、今はきつつきさんの『佐々木政談』の方が面
白い。

★白酒師匠『安兵衛狐』

前半、上方の『天神山』のキャラクターを源兵衛に取り込んできたようで、墓を抱き
締めながら酔っ払う辺りは独自の面白さになっている。安兵衛の件になってからも、
狐捕りとの件や長屋の鰥三人の嫉妬をもっと増やして、『天神山』に近付けた方が白
酒師には似合うと私は思う。狐勝負になったら馬石師の持ち味に敵わないから、男た
ちの可笑しさで攻めまくって欲しいなァ。

◆9月19日 池袋演芸場昼席

朝也(交互出演)『黄金の大黒』/隆司/柳朝『荒茶の湯』/三三『浮世床・洒落将棋~悪戯』/ぺー/白酒『六銭小僧』/菊之丞『死ぬなら今』/笑組(正楽昼夜替り)/志ん輔『小言幸兵衛』//~仲入り~//一之輔『代脈』/圓窓『宮戸川(下)』/正楽/一朝『蛙茶番』

★一朝師匠『蛙茶番』

細部まで気合いの入った、それでいて『天竺徳兵衛』の芝居を長々演じたりしない天
下無双の半ちゃん芸。多分、初めて聞いた「あたしは内湯がないから知りませんでし
たけど」という客の感想には笑った。

※もしも、ミィちゃんが偶々、あの客席にいたら、この噺って、もっと飛んでもない
騒動になるのかな?

★志ん輔師匠『小言幸兵衛』

志ん朝師型でも、幸兵衛が最初のうち、リアルな小言言いで、少し意地悪っぽく、
段々自分の話に煽られて浮き浮きしてくる、という変化が独特で面白い。横を向いて
婆さんに何か言う声音と表情に、矢来町の面影がサッと浮かんで消える。その面影が
幸兵衛の可愛さを増すのである。

★圓窓師匠『宮戸川(下)』

30年くらい前にも圓窓師の『宮戸川(上下)』を池袋演芸場主任で聞いた事はあるけ
れど、(下)だけってのは初めて(他の演者でも(下)だけを聞いた事はあったか
なァ?)。前半を地で話して、叔父さんが半七の親父に会いに行く辺りから。半七が
お花誘拐暴行殺人犯に会うのは一年後で、法事でなく仕事の帰り。最後は芝居掛かり
にならず、夢と分かった半七が雷門まで現実のお花を迎えに行き、「傘は?」「忘れ
てきた!」がオチ。演出の改訂は兎も角、お花半七が爺さん婆さんみたいで色気皆
無。犯人連中にも雲助師や喬太郎師の凄みは感じない。

★白酒師匠『六銭小僧』

基本的な演出は三三師と似てる。こんなだったかな?親父が話を聞いて悔しがって泣
いたりするのは独特、というか十八番の演出。

★一之輔師匠『代脈』

銀南が与太郎なのか、単にウスノロマヌケな奴なのかが曖昧。可愛く見えず、何か憎
体なのである。「若先生」と療治先の番頭に呼ばせるなら、キャラクターを「二代目
の馬鹿旦那医者」にした方が、「妙な傲慢さ」を銀南で見せる現在の演出には適する
のではないだろうか。与太郎そのまんまだと、どうも可愛くならないんだな。

◆9月19日 古今亭菊志ん独演会「じぶんの落語」~馴れ親しんだイスを蹴飛ばして第二夜~(シアターウェスト・東京芸術劇場)

菊志ん『目黒の秋刀魚』/正楽/正楽・菊志ん「質疑応答」/菊志ん『短命』/菊志ん『豊志賀』//ー仲入り~//菊志ん『藪入り』

★菊志ん師匠『豊志賀』

初演。かなり構成を組み立て直してある。マクラや地の説明無しに二階にいる新吉と
下階にいる志賀の会話から始まる。この会話、言葉は圓朝全集と変わらないが、口調
がリアルで、志賀の「男嫌いの隙」や「年増の恋の甘え」と新吉の戸惑いが感じられ
る。演劇的な空間ではありながら、噺としての共感と、「年齢差的に歪んだ二人の世
界」の醸し出す不安感があるのだ。二人の因果は出来ちゃってから地で簡潔に説明。
志賀が新吉とうじゃじゃけて、他の弟子に関係が露見する辺りは『汲立て』みたいで
面白い。ここでの新吉の二枚目声も似合う。唯一人残った弟子のお久を「笑うと目が
糸のようになる可愛い娘」と称したのは巧い。目に浮かぶし、志賀が嫉妬をするのも
納得出来る。お久への嫉妬から志賀は病付き、腫れ物は病みついた後から爪でオデキ
を咎めて面疔風の顔に変化する。そうなった志賀は只管「捨てないで」「こんな顔に
なった」と新吉に縋り、肉欲で不安から気を逸らそうと何度も新吉に迫ってくる(こ
れもリアルで納得感がある)。それについ応じてしまう新吉が心身共に「嫌になって
くる」のも共感出来る。それでいて、骨と皮になった婆さんみたいな志賀に抱き付か
れているのにも関わらず、何処かでそれを受け入れてしまう新吉の肉体と気持ちのア
ンバランスがこちらを頷かせるのだ。歪み乍ら切なさを感じさせる二人の絡み合い
を、志賀に稽古屋から追い出されたお久が、軒下に立ち尽くして聞いている、という
演出は怖い。お久個人のキャラクターの怖さも出てくるけれど、好奇心から始まり、
五感だけが知らずに年増じみてしまう乙女の怖さもある。こういう娘が描けるのは…
後は喬太郎師くらいかな。但し、肉欲の場面の度に「何処かで稲光が」を繰り返すの
は演出として些かクドさを感じる。舞台ならば照明とSEだけで陰喩になるのだけれ
ど、噺だと言葉として表現するから「説明化」してしまう。同様に、肉欲の場面の直
後に「満ち足りた豊志賀は寝入ってしまい」も説明的過ぎる。ここまでの流れから、
そこは「行間」で十分に同じ意味が感じられる筈の箇所だ。近年の映像作家が意外と
説明的な映像を作ってしまうのや、女性演出家がクドく説明を繰り返すのに似た所が
あるんだね。「フレーズの繰り返し」は時として、イメージを固定し過ぎるきらいが
あると思う。新吉が勘蔵の家へと出掛けて、道で待ち伏せていたようなお久と出会っ
た後に(完全に待ち伏せだな)、志賀が目覚めて「畜生ォー!」と絶叫する件が入り
(お芝居っぽいが短い場面なので効果的でもある)、カットバックで寿司屋の場面に
移る。このカットバックのセンスは良いね。寿司屋では怪異が起きず、「羽生村へ一
緒に行こう」という話だけして、新吉が勘蔵の家に行くと、そこに志賀がいる。「病
が治るまでは捨てないで」と嘆く志賀を宥めて、あんぽつの駕籠に乗せるが、従来と
は逆に駕籠屋は「軽い」と言う演出(駕籠に乗せる時、新吉に志賀を抱き上げさせる
と、病で小さくなった体の感じが出せるのではあるまいか?)。長屋の衆が訪れてき
て志賀の自死を告げるので、駕籠を開けると中は空。駕籠屋は絶叫して逃げてしま
う。この辺り、勘蔵の家の表裏の位置関係が一寸分かり難い。駕籠屋と長屋の衆が反
対側にいるのがちゃんと分からないと画が浮かび難くなる。新吉と勘蔵が慌てて志賀
の家へ戻ると(白犬の件は無い)、志賀は喉を庖丁で突いて(恨みだから、掻き切っ
て、の方が適切かな)死んでおり、蒲団の下の書き置きは他の誰にも見せず新吉が棺
に入れて荼毘に伏す。四十九日の日、志賀の墓前で新吉とお久は出合い、そのまま、
羽生村へ一人で行くというお久に誘われるように新吉は駆け落ちしてしまう(この、
お久に誘われてしまう、牽き込まれてしまう雰囲気は書き置きの内容を活かしていて
巧い演出だと思った)。松戸の宿で二人は結ばれる(ここでも稲光が出て来る。ちと
飽食感あり)。翌朝、新吉の下へ荼毘に伏した筈の書き置きが届くのは「恐怖新聞」
みたいで非常に怖い。この書き置きの使い方は巧いね。出掛けようとする新吉の草鞋
の紐が切れ、「出掛けよう」と後ろにいるお久に促すと、お久の「はい」が志賀の声
になっている、というのがサゲで頭を下げた。巧いサゲで、『ペット・セメタリー』
のラストシーンを思い出させる「鬱陶しい怖さ」がある。『目には目を』のラスト
シーンでクルト・ユルゲンス(で良いんだっけ?)の棒縛と広がる砂漠のような、
「堪んねえよな」という運命の過酷さを感じさせるのだ。尤も、サゲに活かすため、
病んでからの志賀をかなり婆の声にしているのは気になる。新吉が嫌になってしまう
納得感は出るが、婆声よりはあくまでも「病み声」でありたい。「三十九だが三十
二、三にしか見えない」という志賀が嫉妬に病み衰えて、五十を越したように見えて
しまう、というニュアンスは流れの中で出でいるから、声で押されるとクドさも感じ
るし、志賀の切なさが薄れてしまう。三十九歳という、原作の上手い年齢設定を素直
に活かした方が良いように思う。部分的に、「初めて聞いた人にストーリーがちゃん
と分かるかな?」という疑問や、妙に女性演出家的な念押しし過ぎる点もあるのだけ
れど、モダンホラーの要素と「現代口語の圓朝物」の面白さを兼ねているのには感心
した。裏重の関係にある「お露新三郎」が聞きたくなる。

★菊志ん師匠『目黒の秋刀魚』

殿様の出発をカットして、目黒の原っぱで「弁当をもて」と言う件から。マクラも含
めて、やや演出が淡泊。たとえば「初めて食べたもの」の衝撃や感動を加味した方が
「菊志ん師ならではの違い」が出るのではあるまいか。先代馬生師の「我慢も辛き空
腹の記憶」は世代的に一寸無理だろうからね。

★菊志ん師匠『藪入り』

三度か四度聞いている噺だが、この世代では図抜けて面白い。『豊志賀』を演じて、
それとは全くベクトルの違う「落語としての『薮入り』」を素直に演じられるのは強
味だなァ。但し、これは菊志ん師に限った事ではないが、親父が怒り出してから、母
親が親父の怒る理由を亀に話す時、親子にしては妙に他人行儀な口調なのは気にな
る。他の演者でもそうだけれど、あそこだけ親子じゃなくなるのは何でだろう?母親
のセリフが説明っぽいんだな。

★菊志ん師匠『短命』

やたらとベラベラ喋る八五郎のかみさんが矢鱈と可笑しい。半面、この噺や『秋刀
魚』でも使っていた「いいなー」といった「わざと棒読み」みたいなギャグのセリフ
は可笑しいのだけれど、同じギャグを複数の噺で使っていると「飽きられる原因」
「毎回同じと思われる原因」になるから注意も必要だと思う。

◆9月20日 新宿末廣亭夜席

ペペ櫻井/小燕枝『小言幸兵衛』(豆腐屋抜き)/雲助『粗忽の釘(下)』//~仲入り~//正蔵『七段目』/笑組/扇遊『口入屋』/圓丈『ランゴランゴ』/和楽社中/南喬『お見立て』

★南喬師匠『お見立て』

杢兵衛大尽を殆どおやかさず、喜助の困り方もおやかし過ぎず、喜瀬川はひたすら女
郎の薄情な商売気質丸出しという、人物造型で進めた。当然、最近多い、ギャグ演
出・表現沢山の爆笑型『お見立て』ではないけれど、杢票大尽の「純情ゆえの間抜け
さ」が良く出ていて、落語としては十分に面白い。喜助が大尽をやたらと馬鹿にした
りしないのも結構なもの。

 ※南喬師匠も「嫌な事を全くしない噺家さん」の一人である。

-------------------------------------------------以上、中席------------


◆9月21日 新宿末廣亭夜席十一代目桂文治襲名披露興行 初日

まねき猫/鯉昇(交代出演)『鰻屋(上)』/小柳枝『金明竹』(交代出演)/ボンボンブラザース/平治改め文治『らくだ(上)』

★文治師匠『らくだ(上)』

襲名初日から死人の登場する噺を、十八番とはいえ、敢えてぶつけて来た所に文治師
の気概を感じる(後日聞いたら「『源平』でも良かったんだけれど、敢えて師匠の演
らなかった噺でもいいか!と迷いを振り切った」そうである)。尤も稍、緊張気味
か、本来の迫力が出切ってはいないが(死体を運ぶ際の不気味な足音をさせなかっ
た)、陽気な屑屋、強面の兄貴分の会話はほぼ従来通り。長屋の月番や大家、八百屋
のリアクションには変化があり、それぞれのキャラクター性を強めている。らくだの
死体を背負わされた屑屋の「冷たい…硬い」は受けた。カンカンノウを唄う際、屑屋
が裏の戸を開けず、屑屋の唄を聞いた大家が自ら開けて仰天、というのは前からだっ
たかな?らくだを兄貴分が抱えて踊らせる姿も見せなかったのは惜しい。呑み始めて
からは屑屋の変化がやはり面白く、三杯目からグワッと変わる所でドッと受けたのも
当然の出来。今の東京落語界の『らくだ』の中でも迫力が桁違いなのである。

◆9月22日 池袋演芸場昼席

正太郎(交互出演)『道具屋』/圓十郎『目薬』/萬窓『目黒の秋刀魚』/ホンキートンク/玉の輔『紙入れ』/小燕枝『千早振る』//~仲入り~//白鳥(交互出演)『牛丼晴舞台』/喜多八『短命』/二楽/圓太郎『大工調べ』

★圓太郎師匠『大工調べ』

通し。棟梁は稍マジさが勝つけれど、貫目もあり、雰囲気はドンピシャリ。大家の罵
倒に堪えてる間とお白洲の件が良く、啖呵に関しては粒は立つが、少し調子が強すぎ
て落語離れするとこもある。お奉行様はなかなか立派。与太郎は傍若無人に所々、小
朝師譲りの色気のある可愛さが混じるのが面白く、目白系与太郎とはまた違う魅力が
ある。大家が猫っ被りの善人面でなく、理に富んだ骨太さがあるので、棟梁を罵倒す
る場面でも大敵の迫力がある。棟梁と大家の四つ相撲的口論であり、『三軒長屋』の
伊勢勘が聞きたくなる。強烈な口論でも、手を出さない辺りの基本構成に準じて、棟
梁も大家も三下の諍いにならないので「朱引きうちの喧嘩」「お白洲に持ち出せる喧
嘩」の世界になるのだ。

◆9月22日 落語協会特選会第52回小里んの会(池袋演芸場)

さん坊『六銭小僧』麟太郎『出来心』小里ん『錦の袈裟』~仲入り~小里ん『二人旅~煮賣屋~長者番付』

★小里ん師匠『長者番付』

ネタ卸し。時間が押していたので少し刈り込んで40分強。前半の『二人旅』から
『煮物売屋』は元から十八番であり、いつにも増して長閑な旅の風景。麦畑や菜畑、
案山子の色彩が目に浮かぶばかりである。煮屋の婆さんは相変わらず、傑出した可笑
しさ。造り酒屋までの道程も暢気で、杉酒屋の古風な表が会話の端から浮かび上が
る。酒屋の主人が出てくるまでも田舎屋の暗さがある。「運付く」と罵ってから、主
人が若い衆を呼び出す辺り、稍間が早く、大戸を閉じて暗くなる雰囲気がちと物足り
ない。江戸っ子が必死に言い訳をしている表情、一度は憮然とした主人が笑顔に変わ
り、本来の良き人、明るい田園人らしさを取り戻す辺りの人物造型と会話は巧み。と
いうより、最初の酒の売り買いから主人の良き田園人ぶりは描かれていて、話を明る
くしてくれる。単に江戸っ子と田園人の価値観のすれ違いで生まれる小事件にちゃん
となっているのだ。酒を呑み出しても江戸っ子の兄貴分は警戒心を怠らず、二人きり
になっての「金箔付きの運付くってのは、金箔付きの馬鹿って言われて喜んでんの
か!」で緊張が解れたのが伝わりドッと受けたのはお見事。最後も主人の無邪気なセ
リフで鮮やかに、そして長閑に締め括られた。

★小里ん師匠『錦の袈裟』

与太郎が無邪気で可愛いのが何より愉しく、段取りの鬱陶しさを感じさせずに話が進
む。和尚が与太郎の頓珍漢な話に困惑しながら笑顔で袈裟を貸してくれる良さ、振ら
れた若い連中のボヤキの可笑しさ(こういう廓遊びの喜怒哀楽を現しては小里ん師匠
は矢張り第一人者である)、蒸れちゃったみたいな与太郎の顔付きと終始軽快に愉し
い廓噺になっている。『磯の鮑』にも言えるけれど、小里ん師の与太郎は実に無邪気
で可愛らしいのが良い。一寸先代歌奴師っぽいとこもあるな。

★麟太郎さん『出来心』

巧くはないけれど、これまた実に無邪気な泥棒で、盗みに入られた八五郎や帳面付け
をする大家にも邪気が無く、実にノンビリしているのは得難い。賽五兵衛が「おれ
だ」と名乗った時の驚き方など、瞬間的な表現の拡大が出来ないのは技術面の課題。

◆9月23日 柳家権太楼独演会昼の部(三鷹市芸術文化センター星のホール)

おじさん『牛褒め』/右太楼『お花半七』/権太楼『試し酒』//~仲入り~//マギー隆司/権太楼『素人義太夫』

★権太楼師匠『試し酒』

左膝を痛めている中、全体に派手目である演出はいつもと変わらないけれど、相手の
旦那が四杯目を呑み掛かる久蔵に「頑張れ、頑張んなさい!」と声を掛ける。このセ
リフは初めて聞いたんじゃないかなァ。そこに世辞や冷やかしの気持ちなど微塵も感
じられない、酒呑みの一体感は如何にも権太楼師の世界らしく快い。

★権太楼師匠『素人義太夫』

滾っちゃってる旦那の可愛い残酷さと茂蔵の気の毒なくらい馬鹿正直な伝達者である
とこに爆笑、爆笑。残酷なのに可愛いって人物表現はは難しいよ。

◆9月23日 新宿末廣亭夜席十一代目桂文治襲名披露興行

伸・スティファニー/米助『猫と金魚』/桃太郎(小遊三代演)『柳昇物語』//~仲入り~//襲名披露口上~桃太郎・蝠丸・米助・文福・あやめ・文治・彦麻呂・松村邦弘~/D51(まねき猫代演)/あやめ(交代出演)『化粧品売り場風景』/文福(交代出演)『相撲甚句・相撲場風景』/ボンボンブラザース/平治改め文治『禁酒番屋』

★文治師匠『禁酒番屋』

漏斗を使って女性にも小便をさせる演出だけれど、基本的に明快な上、番屋の武士の
酔態をグズグズにせず、「酒好きだが酔いを堪えて、言葉の中で多少呂律がおかしく
なる程度に抑えて、武士の体面を保とうとする態度」に変え、小便を呑んだりもしな
かったので(この辺りの演出変更は文治師では初めて見た)、元からある大きさに加え
て、武士の怖さと噺の品格をちゃんと描き出すに結果となったのは目出度い。「役目
の手前」というセリフが活きるようになったから、マジに取り締まる武士とマジで酒
を屋敷に入れよう、マジで仕返しをしようとする店側の対立する人間関係がちゃんと
描かれた噺になっている。だからこそ、終盤で武士が言う「毎度、手前がお先で畏れ
入る」でドッと受けたのも当然。

★あやめ師匠『化粧品売り場風景』

デパートの化粧品売り場での売り子と客の攻防を描いた噺。ブティックのマヌカンや
ショップの店員でない、分かりやすい近過去設定とベテラン売り子や客のフリをした
ベテラン保険勘誘員の早口が粒だって面白く、女性の見栄や弱味を巧く突いていて面
白い。こういう「一寸レトロであるがゆえに馬鹿馬鹿しくて、柔らかそうなフリした
辛辣さがあって面白い」というセンスが、東京の女性噺家さんには中々いないなァ
(少しはいるけれど)。更年期世代にして(自称されているんだから良いでしょ)、真
紅の着物がグロテスクでなく映える華やかさと艶、そして可笑しさ。東京の寄席に欲
しい高座である(特に落語芸術協会には、こういう艶やかというか、派手な面白さを
持つ女性がいないし)。つまり、わかぎえふ氏の『秘密の花園』のうち下ネタじゃな
い部分、「女性でないと描けない面白さ」があるのは強い。

◆9月24日 池袋演芸場昼席

小燕枝『化物遣い』//~仲入り~//白鳥・文左衛門『道灌』/喜多八『鈴ヶ森』/二楽/圓太郎『火焔太鼓』

★圓太郎師匠『火焔太鼓』

夫婦噺である点は動かさず、前半の甚兵衛夫婦の遣り取りを更に馬鹿馬鹿しくしたの
で軽快さが増した。小朝師の一寸Hな演出も混じった夫婦の会話にも更に色々と工夫
が凝らされてきている。また、甥で小僧の定吉にキャラクター性が加って、非常に良
い脇役になってきたのは面白い。侍が手堅く風格あり、甚兵衛のパニック混乱を静か
に受け止めるのも可笑しい。三百両を受けとる際の甚兵衛のリアクションが単調なの
と、甚兵衛が最後で少し商人としてまともになり過ぎるのが惜しい。

★喜多八師匠『鈴ヶ森』

丁寧な演出で、ひたすら子分の間抜けさのリアリティが浮かび上がる。滅茶苦茶に可
笑しい。全く独自の知性から生まれたナンセンスの佳作。こないだ、偉くつまんなか
出来だったのが嘘みたい。

★文左衛門師匠『道灌』

時間があるからか、四天王を入れた、稍丁寧な演出(児島高徳は聞いた事が多分な
い)。「浅蜊蛤馬鹿蜆」みたいな古風な四天王ギャグが文左衛門師だと妙に面白くな
る。これは語り口の妙かな。クドくなく可笑しい。


◆9月25日 池袋演芸場昼席

おじさん『子褒め』正太郎(交互出演)『寄合酒』/圓十郎『紙入れ』/萬窓『目黒の秋刀魚』/ホンキートンク/柳朝(玉の輔代演)『鹿政談』/小燕枝『不精床』//~仲入り~//白鳥『公園ラブストーリー』/喜多八『愛宕山(下)』/二楽/圓太郎『試し酒』

★圓太郎師匠『試し酒』

骨太にガッチリと演じながら、久蔵が五杯目を呑もうとして下を向くとウッと戻し掛
け、盃を高く掲げ直して流し込むように目を見張って呑む(最後を流し込むなら、
もっと強く流し込んでも面白かろう)などの工夫を取り入れている。半面、体はかな
り早くから酔いで揺らすが、前の五升が誘う酔いの表現としても稍早い。久蔵に見
入っているうちに、こちらの視線が揺れて少し気持ち悪くなった(笑)。それは半分冗
談としても、動きでなく、先日の小里ん師のように外から戻ってきた時、ほんの少し
テンションが上がっている程度の酔いの表現で良いのではあるまいか。一斗の酒を呑
む酒天童子クラスの酒豪が六升目から酔っては噺の器が小さくなると思う。

★喜多八師匠『愛宕山(下)』

一八が試みの坂を登りきってからオチまで20分無いかな。こういう演出の『愛宕
山』は初めて聞いた(こういう演出でしか演らないらしい)。設定は秋(紅葉があ
る。「秋の夕日に照る山吹小判」だね)。小判は二十枚(一八が旦那の投げている枚数
を抜け目なく数えている)。旦那に遊びを知る知性の感じられる辺りが喜多八師らし
い。一八は対照的にひたすら芸人。「狼はいけねェヨイショが利かない」にも『鰻の
幇間』の一八に通じる、抜け目なさそうな幇間が結果的にドジを踏む感情の馬鹿馬鹿
しい愉しさ、キャラクターの愛しさが感じられる。飛び上がりはとても虚弱体質では
出来ない動き(笑)だが、嵯峨竹の戻りなど、稍噺が走ったのは惜しまれる。

※演らないらしいけど、前半の暢気な山遊びも聞きたいなァ。

★柳朝師匠『鹿政談』

奈良名物から豆腐屋の川柳は先にしたが、鹿殺生禁令・三作石子詰め・奈良の早起き
などを、豆腐屋が鹿に薪を投げてから挟んだので説明過剰・煩雑に感じた。しかし、
奉行の一喝に迫力があり、鹿守役が白州から去るのを見送る視線の的確さ、豆腐屋へ
の情味が豊かだったので、聞き終えた後味は結構なものになった。

★圓十郎師匠『紙入れ』

独特のフラと可愛さがあるので、変にリアルな色気や下品さがなく愉しい。もっと他
種類の噺を深い出番でも聞きたい。先代歌奴師みたいなとこがあるのだ(大小の違い
はあるが)。

◆9月25日 「通ごのみ 第六回 扇辰・白酒ふたり会」(日本橋社会教育会館ホール)

辰じん『ひと目上り』/白酒『松曳き』/扇辰『藁人形』//~仲入り~//扇辰『御血脈』/白酒『今戸の狐』

★扇辰師匠『藁人形』

考えてみれば、陰気に絞めてきた展開を「糠屋の娘だ」でうっちゃりを食わせるなん
て、真に人を食った噺を的確に演じられるんだから、扇辰師は本質的に陽気な噺家さ
んなんだね。お熊の手練れた「わざとらしい優しさ」、色香も適切。西念もさのみ陰
気ではないのが良い。甚吉が闊達で明るい江戸っ子なのは終盤を明るくする。西念繋
がりで『黄金餅』を聞きたくなった。

★扇辰師匠『御血脈』

余り普段入れないセリフも入れて、わざとクサ目に馬鹿馬鹿しさを呷って演って可笑
しく、それでいてだらしなくならないのは流石だなァ。

★白酒師匠『松曳き』

部分的に稍乾いた音になるなど、少し声が渇れているけれど(昨夜の独演会の疲れか
な)、三太夫の人物造型が素晴らしく粗忽だから、相変わらず息苦しいほど笑ってし
まう可笑しさである。このシュールさは明らかに志ん生師⇒先代馬生師⇒雲助師生の
直系。比べると殿様は段々まともになっちゃうのが惜しい。三太夫の陪臣が至ってま
ともな人物なのは終盤で噺を支える脇役として十二分に活きている。

★白酒師匠『今戸の狐』

コツのかみさんが先に狐の内職を始める事にして、無駄な行ったり来たりがなくな
り、三下の頓珍漢な勘違いが更に面白くなっている。こういう噺を面白く再構成出来
るセンスが白酒師匠の噺家として素晴らしいとこ。良助が三下の来訪にアタフタする
辺りは十八番の場面だ。

 ※正岡容氏が志ん生師の『今戸の狐』から感じた「コツの花魁のなれの果て」のセ
ンチメンタリズムは香辛料としては悪くないけれど、本質的な味付けとしては、やは
り白酒師のように可笑しさが立つべき噺だと私は思う。

◆9月26日 池袋演芸場昼席

ホンキートンク/玉の輔『動物園』/小燕枝『意地競べ』//~仲入り~//文左衛門『手紙無筆(上)』/喜多八『おすわどん』/二楽/圓太郎『悋気の火の玉』

★圓太郎師匠『悋気の火の玉』

明日の『圓太郎商店』用の試演かな。『紀州』のネタ卸しの時に似ていて、立花家主
人の生まれ育ちからストーリー展開をして、火の玉騒動に至。主人が元はうぶで堅
い、という事を十分に仕込み、かみさんも悋気を表に出してはいけないと躾を受けて
育ったと仕込む。その割にクドく感じないのは芸の力というか、噺の馬鹿馬鹿しさを
感じて可笑しい。

◆9月26日 新宿末廣亭夜席十一代目桂文治襲名披露興行

ぴろき/伸治(交互出演)『お菊の皿』/伸之介(交互出演)『高砂や』/伸・スティファニー/米助『新聞記事』/小遊三『引越しの夢』//~仲入り~//襲名披露口上(歌丸・小遊三・米助・蝠丸・鶴瓶・文治)/まねき猫/鶴瓶(交代出演)『青木先生』/歌丸(交代出演)『鍋草履』/ボンボンブラザース/平治改め文治『木曾義仲』

★文治師匠『木曾義仲』

以前、二階に大学生の団体がいた時にも演じていたけれど、今夜も二階の高校生団体
を意識したのかな(ヒザ前が『鍋草履』じゃ、高校生の引き戻しに掛かっても仕方な
い)。殆ど漫談の構成で落語普及ヴァージョン。今夜は一寸サゲ際のテンションが弱
い。「蝸牛の計」辺りで何かギャグを入れて、ドッと受けてサゲたかった。

※確かに文治を襲名した今、「奢る平治は久しからず」は使えなくなるね(笑)。

★小遊三師匠『引越しの夢』

『口入屋』でなく『引越しの夢』。最後にちゃんと旦那が見に行く。ざっかけないよ
うでいて、状況設定の細部に理を遠してあり、単に語り口の魅力だけてなく、配慮の
行き届いたしさである。番頭、若い衆の好色ぶりも卑しくなく愉しい。

★歌丸師匠『鍋草履』

違和感をズーッと感じていた理由が最後に分かった。人情噺の演り過ぎで、最後に若
い衆が振り返る場面など、語り口の大半が人情噺のそれになっているから、「言葉を
置きに行く演じ方」になってしまう。今なら歌春師や先日初めて聞いた菊之丞師の方
が落語としては遥かに面白い。

★鶴瓶師匠『青木先生』

悪い訳がない。爆笑。

★米助師匠『新聞記事』

 演出は現在聞くこの噺で一番面白いかもしれない。

◆9月27日 池袋演芸場昼席

木りん『つる』正太郎(交互出演)『口入屋』/圓十郎『ちりとてちん』/萬窓『垂乳根』/ホンキートンク/玉の輔『宗論』/小燕枝『小言幸兵衛』//~仲入り~//白鳥(交互出演)『マキシム・ド・呑兵衛』/喜多八『ラブレター』/二楽/圓太郎『短命』

★圓太郎師匠『短命』

「……二人きりで飯を食うと死ぬのか」に象徴される八五郎のトンチキな考え方の可
笑しさが自然なのと、亭主に付き合って色気を出すかみさんの可愛さが相変わらず出
色。

★圓十郎師匠『ちりとてちん』

寅さんが腐った豆腐を食べて苦しむ様子に騒がしさや下品さがなく、ひと段落して落
ち着く様子(それから逆流してくる)が泰然としてるのも可笑しい。不思議なくらい、
豊富な落語味を持ってるんだなァ。『南瓜屋』とか聞いてみたいよ。

★正太郎さん『口入屋』

 木りんさんが予定より早く下りてしまったので、いつもより長目の高座。扇遊師系
の『口入屋』だと思うが、暗闇を手探りで行く仕種などは小遊三師に近い。良い意味
でざっかけなく、汚れに堕ちぬ好色譚として愉しい。

◆9月27日 落語協会特選会 圓太郎独演「圓太郎商店 その十四」(池袋演芸場)

さん坊『子褒め』/圓太郎『悋気の火の玉』//~仲入り~//圓太郎『鼠穴』

★圓太郎師匠『悋気の火の玉』

マクラから50分近く演ってたから、長いっちゃ長いが、「心の鍵」っのが馬鹿に共
感できて面白い。黒門町の影響、呪縛の無い、濃い目でヴォリュームのある面白さが
独特である。同時に、若い頃の小朝師の雰囲気、巧い構成の仕方があちこちに散見さ
れる。

★圓太郎師匠『鼠穴』

「夢は五臓の疲れ」を仕込まなかったので、サゲを変えるのかと思った。家元型が
ベースかと思う。何よりも竹次郎が冒頭、兄貴を訪ねた際の困り乍らも「きかぬ気」
が顔に現れる辺りの雰囲気(三三師の竹次郎のような狡さは感じない。従って後の頑
張りに素直に繋がる)、十年経って兄貴の店の暖簾を跳ね上げるがごとき自信満々、
威風堂々の姿、この二つの場面が最も印象に残っる。家元のセンティメンタル中心と
は違う雰囲気の竹次郎であり、情けはあるが、きかぬ気で気骨のあるキャラクターに
なっている。兄貴が「三文に怒って戻ってきたら、小言を言って商いの元手をやるつ
もりだったがおめえは来ねえ……(中略)死んで、あの世で謝るしかぬえと思っとっ
た。意地が悪すぎた。許してくんろ」のセリフの良さも特筆すべきだろう。竹次郎が
さんだらぼっちを買って草鞋を綯う辺りから世に出て行く経過、火事の後の落魄の過
程、それぞれに細かく手を入れ、リアリティを深め、納得感を与えている。細部に拘
る圓太郎師の性格もあるだろうが、蛇足や知識自慢の説明に堕ちないのは、単なる知
識の羅列ではなく、竹次郎を描く熱のある語り口に添えた良き香辛料となっているお
かげだろう。半面、蔵の焼け落ちる辺りに独自の絵を現すセリフが欲しい。娘の花も
泣かせに落ちずに良い(『文七』のお久が聞きたい)。夢が覚めた後の場面で兄貴が示
す、弟に気を許した良さも結構。サゲ間際で言葉がてれこになり多少バタバタした
が、噺の重量感に全く負けず、立派な四つ相撲になっている。たこ平さんの非常に兄
弟、特に兄貴の個性の強い『鼠穴』と、骨太さは共通しているが、こちらは矢張り寄
席経験の豊富さからか、表現としての分かり易さを伴う。その上で、観客に媚びず、
手一杯に演じて揺るぎがないのは偉い。いずれは十八番になりうる演目だろうと感じ
た。

◆9月28日 池袋演芸場昼席

ぴっかり(交互出演)『牛丼アイドル晴れ舞台』/圓十郎『堀の内』/萬窓『紙入れ』/ホンキートンク/玉の輔『生徒の作文』/小燕枝『三人旅・跛馬』//~仲入り~//文左衛門『道灌』/喜多八『竹の子』/二楽/圓太郎『三年目』

★圓太郎師匠『三年目』

「相思相愛の馬鹿夫婦」のマクラから、笑いと色気の要素を増やして怪談性を抑え、
落語として成り立たせた演出に変わった印象。最初のかみさんの幽霊が出た時の形が
面白く、嫉妬の強い美人の性格も可愛い。「子持ちの眠たがり」を言わぬのも良い。
一ヶ月枕を交わさなかった二番目のかみさんと店の者が困るほど愛し合うのには笑っ
た(二番目のかみさんが空閨の悲しさにボロボロ泣いているって演出も可愛いらしい)。

★圓十郎師匠『堀の内』

圓蔵師匠型でニンにあって可笑しいのだけれど、マクラが長かったもんで、稍慌ただ
しい喋り方になってしまったのが残念。

★小燕枝師匠『跛馬』

「柳噺研究会」の時より旅の長閑さが出ていて良かった。跛馬を引いている馬子の喋
り方のテンポが少し早いのは惜しい。目白の小さん師の低い声で溜めてユッタリの喋
り方がこちらの耳についちゃってるせいもあるんだけれど。


◆9月28日 J亭落語会 月替り独演会夏シリーズ「春風亭一之輔独演会」(J亭アートホール)

扇『ひと目上り』/一之輔『高砂や』/一之輔『提燈屋』//~仲入り~//朝也『片棒』/一之輔『藪入り』

★一之輔師匠『高砂や』

「真一文字」でおろした時よりは纏まって来た。但し、声はでかいんだけど、意外と
職人声、労働してる人の声にならないんだな。その故か「親類一同は出来ません」と
言われてからの慌てぶりに、虚を衝かれた可笑しさがまだ出ない。隠居との遣り取り
もセリフは可笑しいんだけれど、何か醒めてるのが気になる。一之輔師の場合、八五
郎のかみさんを一寸出した方がよくないかね?

★一之輔師匠『提燈屋』

提燈屋を困りキャラで泣く男にしたのは面白い。若い連中のワイワイガヤガヤはセリ
フが流れてしまい(大声でないと粒が立たず、意外とだらしない喋り方になっちゃう
時がある)、キワキワした雰囲気、愉しさが出ない。「他人同士だけど仲が良い」っ
て設定が苦手なのかな。前にも『花見の仇討』などで感じたけれど、現せる人数がま
だ「三人」までなのかもしれん。

★一之輔師匠『藪入り』

親父がメソメソ泣きながら怒る辺りを中心に、親父の「情」は出ている。一朝師の親
父に感じる「情の強い親」ではないけど(情の強さが職人らしさに繋がるのかな?)。
かみさんは亭主相手だと醒めたスタンスなんで、一之輔師の夫婦噺の基本的関係乍
ら、亀相手だとちゃんと親子になっていて心配してるのは不思議(こういう心配の仕
方は親父には出来ないと感じられる)。亀も悪くないけれど、「子供だからこそ」と
感じさせるようなもの、三年奉公した、子供ならではの自負みたいな背伸びの部分が
殆どないので、まだ「一之輔師らしい」という噺ではない。

◆9月29日 池袋演芸場昼席

朝也(正太郎・ぴっかり代演)『牛褒め』/圓十郎『湯屋番』/萬窓『六銭小僧』/ホンキートンク/玉の輔『財前五郎』/小燕枝『ちりとてちん』//~仲入り~//白鳥『新ランゴランゴ』/はん治(喜多八代演)『粗忽長屋』/二楽/圓太郎『らくだ(上)』

★圓太郎師匠『らくだ(上)』

三田落語会での張りのあるタイプの演じ方とは演出を少し変えたかな?らくだの死骸
に手を合わせ、「らくだの側にいてやりてぇ」と語る兄貴分のトーンが(『深川安楽
亭』的荒くれみたい)全体を包んで鎮静型の高揚になっている。屑屋は暗くはなく、
兄貴分の大声に威嚇されてあちこち使いにやられる。月番、大家のリアクションは普
通だが、八百屋は長屋の入り口にあり、月番に香典を集められてらくだの死を知って
いる。八百屋の「屑屋、おめえが殺したんだってな」には笑った。八百屋に「おめえ
だって、この長屋のもんじゃねえじゃねえか、余計な首、突っ込みやがって」と罵倒
されて、屑屋の表情が一寸変わるのは面白い演出。大家でなく、八百屋に言われたと
こに、長屋連中の屑屋に対する普段の視線、屑屋の感じている鬱積が垣間見える(屑
屋が怒って怒鳴り返したりしないのがまた演出として良い)。カンカンノウでは兄貴
分の動きと突っ張ったらくだの動きの両方を見せる。「脚が柱に当たって逆に曲がっ
て、汁が部屋中に飛び散って」は凄いセリフだが、そんなにスプラッターな感じはし
ない。鎮静してるから軽さになるのだ。呑みだした屑屋は三杯目からガラリと変わ
る。兄貴分は全体にマッドドッグ三下的乱暴者ではなく、屑屋の早い酔態に呆れなが
ら割と早く「兄貴」と呼び出す雰囲気かな。所詮は素人の乱酔なので、余り本気で相
手にせず、稍あしらい加減なのに屑屋が突っ込んで行く、という噺のベクトルは陽当
たりの悪い、小長屋の小事件らしい雰囲気を醸し出して面白い。

★圓十郎師匠『湯屋番』

な~んか自信なさげな演じ方をするのが勿体ない。噺の輪郭は曖昧だけれど、フワフ
ワ演じている中に、独特のフラがあって動きも愉しく、私にはかなり面白かった。

★はん治師匠『粗忽長屋』

長屋に戻ってから、熊を説得して連れてくる迄の件を全部カットして、雷門の横だけ
を舞台に噺が展開した。こういう『粗忽長屋』は初めて聞いた。圓太郎師が主任で
『らくだ』を演ると分かってて配慮したのかな?

◆9月29日 第65回三三・左龍の会(内幸町ホール)

さん坊『六銭小僧』/左龍『化物遣い』/三三『浮世床・講釈本~将棋~悪戯~夢』//~仲入り~//三三『猫と金魚』/左龍『そば清』

★三三師匠『猫と金魚』

ナンセンスが持ち味にない代わり、普通に落語の人物造型をしてあるから、番頭の変
な落ち着き方などはちゃんと可笑しい。寅さんのキャラクターがまだ弱いか。喜多八
師みたいな「その人物ならではのセリフ」が入ってきたり、甚語楼師のような独自の
表情が加味されれば、更にスラップスティックな面白さが出るだろう。

★三三師匠『浮世床・講釈本~洒落将棋~悪戯~夢』

声が何だか嗄れていたのは何故?。講釈本を読むのが薪屋の大将という設定で、意
地っ張りのキャラクターを加えたのは一興。夢も人物造型をし過ぎず、小便を徳利に
する件も含めてトントン運ぶから、無駄な説明や邪魔な色気が入ったりせず、可笑し
さがぶれなかった。

★左龍師匠『そば清』

演出は中盤の解説まで、完全にさん喬師そのまんまだけれど、清さんの「どぅ~も」
がマンガになる持ち味の強みで、屯する若い連中も含めて全体が明るく面白い。十分
持ちネタになる噺だけれど、残念乍ら、蕎麦を手繰るスピードが如何にも遅く、仕種
もスーッと行かないから、そばを食べるのを見てる件で爽快感に乏しい。あと、セリ
フの頭に余計なひと言を付ける癖はこの話にもある。

★左龍師匠『化物遣い』

隠居に意見する件の素っ頓嬌さも含めて、杢蔵の田舎者ぶりが愉しく、化物が出ても
平然と書見をしている隠居も嫌な所がなく、堅くて可笑しい人物に作り上げられてい
るから全体が愉しい。半面、一つ目小僧、大入道、のっぺらぼうが目に浮かばないの
は何故だろう。遣り取りのリアクションに間を足す癖のためかな。

◆9月30日 雲助蔵出しふたたび(浅草三業会館二階座敷)

まめ緑『狸の札』/市楽『幇間腹』/雲助『つづら』//~仲間入り~//雲助『妾馬(通し)』

★雲助師匠『つづら』

噺の前半のトーンが上野夜席主任の「ネタ出し」の時より暗めで、先代馬生師の『つ
づら』に近い雰囲気になった。口調は人情噺系の世話噺。亭主が間男に気付いて帰っ
てきてから噺が稍明るくなる。質屋での遣り取りは、特に番頭が落語で面白い。

★雲助師匠『妾馬(通し)』

井戸替え・御使者の件は初めて雲助師から聞いた。井戸替えの場に訪ねて来た侍相手
の対応から、八五郎の能天気が始まる。その様子がお鶴の奉公に関して大家と遣り取
りして値上げを計る辺りから、既に「如何にも真っ当でないキャラクター」を感じさ
せて愉しい。この古今亭系ならではの真っ当でない良さが、殿様の前で泣き過ぎない
良さ、更に侍になって長屋を去った結果、長屋連中から「立ち行かなくなって夜逃げ
をした」「妹を女郎に売った」と言われる可笑しさにちゃんと繋がっている。侍に
なってから、殿様仲間で余りにも幇間扱いされて面白がられてしまう、という状況に
実感のある八五郎の不細工さもマンガで愉しい。最後、使者に出て馬が暴れだし(馬
が馬鹿にしてノロノロ走り、朝、丸の内を出て昼に漸く神田小川町、というのも可笑
しい)、藩の馬術指南に暴れ馬を止められる辺りもちゃんと短いマンガになってい
る。雲助師で聞くと「(下)を演らないのは詰まらないから」というのが理解出来なく
なるなァ。

◆9月30日 新宿末廣亭夜席 平治改め十一代目桂文治襲名披露興行

襲名披露口上(歌丸・小遊三・蝠丸・圓楽・米團治・文治)/陽昇(まねき猫代演)/圓楽(交互出演)『漫談』・形態摸写/歌丸(交互出演)『虱が仏』/ボンボンブラザース/文治『死神』

★文治師匠『死神』

最後、死神の「消えた」の後に、主人公の「オレ、生きてるよ」のセリフがあってか
ら、身悶えが始まり、口から戻したりした挙げ句、前のめりに倒れて絶命、という具
合にタイムラグがあるのは以前からだったかな?一寸説明的でもあるが、身悶えを初
めてからの流れに独自の「死の怖さ」を感じる。主人公の能天気な明るさと死神の無
気味さの対照は変わらずに面白い。中盤、上方見物の行き帰りは今夜は簡略化(女が
「上方を見たいの」より「伊勢見物がしたいの」の方が適切ではないかな。神様繋が
りもあるし)。終盤、死神の再登場からスーッと怪異譚的な雰囲気に変わる。死神の
「この蝋燭は自分で命を絶った奴のもんだ。最近増えてきて(上手を見て)、山になっ
てやがる」のセリフはおそらく文治師から初めて聞いた。途中までも得た蝋燭が登場
するのに理由を付けたいのは理解出来るがまだ決定版とは言えない。何というか
なァ、鶴瓶師の言いそうなセリフで、文治師だともっと骨太な感じが欲しいのだ。

★歌丸師匠『虱が仏』

圓生師や茶楽師が『三年目』のマクラに使っている小噺。「常用宿」って言葉、圓生
師は言ってたかなァ?こういう「地」ばかりで会話のない噺の方が 歌丸師の口調に
は似合うのだね。

-------------------------------------------------以上、下席---------


石井徹也(落語”道落者”)

投稿者 落語 : 2012年10月20日 15:40