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2012年05月20日
石井徹也の「らくご聴いたまま」 2012年4月特大号
お待たせいたしました!
今回はおなじみ石井徹也さんによる、ごく私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2012年4月号をお送りします。上席・中席・下席の特大合併号でまいります。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、超弩級の落語レポートをどうぞ!(宝塚月組千秋楽レポを付録として掲載します)。
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◆4月2日 第41回人形町らくだ亭(日本橋劇場)
きょう介『酒粕~から抜け』/左談次『町内の若い衆』/雲助『於富與三郎~玄冶店』
//~仲入り~//小満ん『於富與三郎~稲荷堀』
※ 主催者サイドに関係ある立場として評ナシ。
◆4月3日 新宿末廣亭昼席(暴風凄し)
ストレート松浦/文雀『桃太郎』/我太楼『権助魚』/ロケット団/扇治『壷算』/錦平
『紀州』/猫八/志ん彌『元帳』/歌之介『龍馬伝』/紋之助/権太楼『つる』//~仲入
り~//金時『唖の釣』/二楽/さん喬『そば清』/歌武蔵『支度部屋外伝』/勝丸/雲助
『子は鎹』
★雲助師匠『子は鎹』
全体に明るく温かい。特に熊と亀の親子の遣り取りや、熊のテレ方、亀の嫌らしくな
い子供の造形など、重くなく、泣きに走らず、仄かな温か味が続くのは嵐気味の戸外
と対照的で結構なもの。かみさんが亀との遣り取りでも鰻屋でも、稍人情噺的に重め
な造形なのは雲助師の特色だが、「阿っ母さんの事、何か言ってたかい?」でスッと
可愛くなるのが魅力的。
◆4月3日 陽春恒例権太楼ざんまい(日本橋社会教育会館ホール) (暴風凄し)
おじさん『垂乳根』/小権太『棒鱈』踊・茄子南瓜/権太楼『井戸の茶碗』踊・奴さん:深川//~仲間入り~//権太楼『代書屋』
★権太楼師匠『井戸の茶碗』
『井戸の茶碗』って、こんなにカラッと可笑しく演じられるんだなァ。こんなにも陽気な落語を、陽気なキャラクターを作れる一途さは凄い。やはり東京のエンタテインメント落語としては、一朝師匠、陽気なネタのさん喬師匠と三幅対である。千代田卜斎の侍心さえ「陰」の面を持たない潔癖さとして現れ、ひたすら愉しい。講釈ネタの硬さを感じないのである。高木の「屑屋ァーッ!」の可笑しく、明解無比の直情さは鮮やかなものである。また、清正公境内の茶店で世間話に興じている屑屋連中の能天気さ、愛しさは他に類を見ない(「手裏剣をピピピピピ」がセリフ、仕種共に無茶苦茶可笑しい)。
★権太楼師匠『代書屋』
芸術選奨文部科学大臣賞受章記念ヴァージョン(笑)。丁寧に「饅頭大食い大会優勝」まで演じて爆笑の連続は勿論。とはいえ、賞罰の件で湯川の秀樹が言う「ないよ」「あるよ」の可愛くて可笑しい事、「あっしもこないだ天皇賞獲りやしてね」の無邪気さ、「二丁目26番地ッ!」の愉しさは、いずれも何度聞いても大愉快である。
※「『芝浜』がどうとか書いてありましたが、『代書屋』では文部科学大臣も芸術選奨は手渡しにくいでしょう。あちらにもプライドがあるし…」というマクラも爆笑もの。そりゃ昨年末の『芝浜』は素晴らしかったが、その『芝浜』も、年中聞いている『代書屋』も『黄金の大黒』も『町内の若い衆』も、こないだの『お化け長屋』も権太楼師ならではのエンタテインメント落語として、芸術選奨文部科学大臣賞受章に相応しい。中の舞の出囃子で『代書屋』を演るのが何とも権太楼師らしいのだ。
※「前の(芸術選奨文部科学大臣賞)受賞者が歌笑(二代目)、三平(先代)、圓歌、川柳という流れで私なら分りますが」というマクラにも爆笑したが、同時に岩井藤吉の春團治師、山口の三語楼師、金語楼師、先代金馬師、三代目柳好師、先代三平師、圓歌師、故・枝雀師といった「一時代を為した爆笑派」に対する「芸の評価」が低すぎる、という事も改めて痛感させられる(正岡容氏が岩井の春團治師の芸を認めた文章くらいだろう。枝雀師匠の「オチの分類論理」や「緊張と緩和」なんて、それを凌駕する落語論は空前絶後だと私は思う)。三遊亭圓朝師も偉いが、鼻の圓遊師も同じように偉いのだ!って事を、公的な「授賞」という制度に関わる野暮な人たちが分ってくれないのは当然かもしれないが、考えてみれば、いくら人間国宝になったからといって、先代小さん師が芸術選奨を取っていないのも摩訶不思議な話である。
◆4月4日 新宿末廣亭夜席~春風亭一之輔真打昇進披露興行~
一左『寿限無』(交互出演)/笑組/金兵衛(交互出演)『牛褒め』/文左衛門(正朝代
演)『手紙無筆(上)』/美智美都/勢朝『噺家親子』(正式題名不詳:交互出演)/市馬
『唄入り粗忽の釘(下)』/正楽/小朝『こうもり』/圓歌『漫談』(交互出演)//~仲入
り~//真打昇進披露口上/わたる(にゃん子金魚代演)/さん喬『そば清』(木久扇代
演)/一朝『家見舞』/仙三郎社中『』/一之輔『百川』
★一之輔師匠『百川』
鴨池先生はちゃんとしてるし、百兵衛さんと初五郎(とは名乗らなかったが)の遣り取
りは可笑しいんだけれど、百兵衛が去った後、河岸の若い衆だけになるとリズムが鈍
り、ギャグとギャグの合間があちこちで谷間になる。リアクションが月並みになるの
だ。特にこの噺では、若い衆の一人が「ほんと?…ほんと?」と首を左右に振って周
りの連中に確かめる件で「…」が明らかに無駄。「ほんと?ほんと?」と隙間無くト
ントン訊かないために、不要な感情を感じてしまい、聞いていても醒めて芯から可笑
しくなけりゃ、噺の流れも止めてしまう。声のメリハリが強い分、リズムの無い会話
になってしまう短所が際立つのである。いわゆる落語と人情噺系の筋物の演じ方が
いっしょくたになりがちなのは感心しない。
★一朝師匠『家見舞』
トントン運んで、軽くってサラッとして愉しくて、下品なとこなんか微塵もなくて、
もう堪んないね。
※仲入りまでは「今一つ」の高座が続いたけれど(小朝師匠は「寄席の落語」がもう
出来なくなったのか?)、仲入り後で、さん喬師匠~一朝師匠と繋がると気合いが桁
違いで目覚ましく面白くなった。
◆談春アナザーワールド12(成城ホール)
春太郎『道灌』/談春『慶安太平記~善達京上り』//~仲入り~//談春『慶安太平記
~吉田の焼討ち』
★談春師匠『善達京上り』
★談春師匠『吉田の焼討ち』
二席通して、面白いのは吉田の貧しい婆さんくらいか。善達は全く怪僧には見えない
し、甚内も薄気味悪いとこはない。リズムが単調で(これは家元に似ている。志ん朝
師みたいにスイングはしない)スピードだけだから、口調に快感を感じる程の「生理
的な速さ」は感じない(速さだけなら三三師の方が速いだろう)。当然キレも感じられ
ない。オリジナルじゃない作品の弱味で、言葉に頼り過ぎているから描写も立ち上
がって来ない。人物表現の片鱗はあるけれど、まだ人物表現自体には至っていない。
松平伊豆守なんか、セリフひと言で出なきゃいけない役だろう。江川卓の全盛期を見
たから、ダルビッシュに感心しないようなものか。デッサンして、下書きして線を入
れたが、まだ彩色はしていない状態。付けた色を少しずつ削いで、線を減らして単純
化しなけりゃ、目白の小さん師や先代馬生師みたいな「雰囲気を描く芸」にはならな
い。圓生師的なメリハリ芸なら、もっと早く形は付くだろうけれど、芸筋はやはり目
白的だからね(婆さんが良いのは遺伝)。他の畑の変な噺、金原亭の『臆病源兵衛』と
か演ってみたらどうだろう。
◆4月6日 新宿末廣亭昼席
猫八・小猫/志ん彌『親子酒』/歌之介『実技のみ』(漫談)/マギー隆司(紋之助代演)/
権太楼『代書屋』//~仲入り~//金時『ちりとてちん』/二楽/歌武蔵『黄金の大黒
(上)』/さん喬『時そば』/勝丸/雲助『妾馬』
★雲助師匠『妾馬』
最初は端折り加減だったが、次第に本来の調子に戻り、人物像の的確なリアクション
で愉しい高座になった。子供が客席にいても「おめェの中棒じゃあるめェし」「殿様
が“チンコ”って言った」と遠慮せず、下品にならないのが雲助師らしいとこ。
★さん喬師匠『時そば』
分りやすく、わざとクサ目に蕎麦を啜ったりもしているのだけれど、不味い汁を啜っ
た途端、下手下を向いてブッと吹き出す。その動きのキレが素晴らしくフォルムが綺
麗なのでドッと受ける辺り、そうそう出来るもんじゃない。
★歌武蔵師匠『黄金の大黒(上)』
「大家さんの声に送られて」の突如納まる可笑しさはやはり得難い。
★金時師匠『ちりとてちん』
寅さんの無愛想さに嫌味が無い。全体に押さないで的確に受けるのは語り口が流暢に
流れず、また芸品が良いのだね。もう少し派手さは欲しいけど。
★歌之介師匠『実技のみ』(漫談)
何度聞いても可笑しいのは小分けされた漫談の組合せの妙で、絶頂期のひろし順子先
生を思わせる。「落語国の人物」と高座の歌之介師の人物像が一体化してる凄さゆえ
でもある(歌吾の頃から変わらない)。口から出た言葉が全て落語になるという、『落
語研究会』では分かって貰えないだろう凄さの点ではしん平師と並び、先代三平師に
近いか。「あのキャラクターで『代書屋』を演ったら!」と思っちゃうのは観客の贅沢かしらん。
★志ん彌師匠『親子酒』
古今亭系の演出だが、酒をねだる理屈が独特で可笑しい。
※連れの子供に大きな声で矢鱈と説明する(仲入り後は小さな声になった)老人がいて
演者苦労の日。説明するのは構わないが、噺の中身まで先取りしたり、高座の邪魔に
なる声量が分からない不躾さは困る。
※昼の仲入り後、二階席がまだ空いているのに一階の立見用の戸を開けるってのはど
うかね。立見戸を開けるとイレの扉の音が凄く響くし、この陽気だと桟敷席にいると
まだ寒くて仕方ない。
◆4月6日 落語教育委員会(なかのZERO小ホール)
コント『入社式』/美るく『六銭小僧』/歌武蔵『安兵衛狐』//~仲間入り~//喜多八
『だくだく』/喬太郎『子別れ・中~下』
★喜八多八師匠『だくだく』
久し振りに聞く演目。近眼乱視の泥棒のキャラクターは変わらない可笑しさだが、仕
方が派手になって馬鹿馬鹿しさと無邪気さが増した。但し、その分、一寸粗く感じる
とこもある。
★歌武蔵師匠『安兵衛狐』
『天神山』と東京の志ん生師型の中間で、やや東京寄りの演出。源兵衛・安兵衛の暢
気さはあり、長屋の三人も『不動坊』が聞きたくなるように可笑しい。ニンにある演
目だろう。それだけに志ん生師系の粗い演出でなく、枝雀師系の緻密な演出を一度経
過した上で、歌武蔵師流になった噺を聞きたい。
★喬太郎師匠『子別れ・中~下』
『子は鎹』が「如何にも男の甘えから生まれた“作った噺”」である、という嘘(良
く言えばファンタジー)を暴いて行く、というか、耐えられないというべきか。その
世代的な感覚には共感する。「やはり野に置け蓮華草」を亀が否定する「あんたがそ
うしたんじゃないか!」の強烈さをはじめ、従来の熊が亀に言うセリフの無神経さが
痛いほどに響き、自虐的に痛烈な可笑しさになる。この夫婦別れで一番辛いのが子供
だという軸も捉えられている。それだけに、かみさんが熊とよりを戻す、というラス
トの嘘が(これもファンタジーだが)今度は逆に耳立ってしまう。「『椿姫』はフェミ
ニズムの台本では処理しきれない」という宮本亜門氏の困惑を思い出した。かみさん
が熊を嫌いになってはいない、という点か、普通の夫婦とは柵の深さが違い離れられ
ない要素を持っている事を示すか、どっちにしても演劇臭くなってはしまうのだが、
そういう理屈を加味しないと納得しにくい。小満ん師が『稲荷堀』で、お富輿三郎の
焼け木杭を「肉体(からだ)で出来あった男女というのはまた違うそうで」という、
たったひと言で納得させてくれるが、ああいうセリフは人情噺だからで、落語じゃ難
しいのかなァ。昔の噺家はそんな嘘は了解した上で、平然とファンタジーを演じてい
たという事なのか。例えば、雲助師の『子は鎹』を聞くと、そういう冷徹な感覚の凄
さを一寸感じるのである。歌之介師の『子は鎹』でも「トラックの運転手と食堂で働
いてるかみさんと子供、三人親子の落語」的な現実感、納得感はちゃんと感じるもん
なァ。
◆4月7日 第60回扇辰・喬太郎の会(国立演芸場)
辰じん『六銭小僧』/喬太郎『花筏』/扇辰『匙加減』//~仲入り~//扇辰『』/喬太
郎『短命』
★扇辰師匠『匙加減』
大家が抜群に面白い。蝠丸師のネッチリとこすっからい大家と比べて、扇辰師の大家
は鉄火にこすっからい。加納屋が鉄火なのも最後にへこまされる型客として活きてい
る。そうした鉄火さが噺全体にキレを与えているのだ。扇辰師でも『髪結新三』の大
家と新三の遣り取りを聞きたくなるね。
★扇辰師匠『千早振る』
旦那のしったかぶりに、『匙加減』の影響か、今夜は稍こすっからさがちと加わって
コッテリ馬鹿馬鹿しいのがまた愉しい。
★喬太郎師匠『短命』
初演でさん喬師型。かなり意識的に「普通」に演じていた印象。隠居がテレてしまう
辺りが面白さの軸だけれども、隠居が四季の説明をするさん喬師の可笑しさ、八五郎
がキレ抜群のリアクションをする一朝師の可笑しさと比べると、まだ二人の比重が一
定しない。八五郎がうちに戻ると稍凄目のかみさんが出てくるので、八五郎の印象が
更に弱まる。ならば隠居のテレをもっと強くしても良いのではあるまいか。
★喬太郎師匠『花筏』
久し振りに聞いた演目。こちらは千秋楽の前の晩は提燈屋、翌日の取組の場面では千
鳥ケ浜と、困惑のバランスが取れている。千鳥ケ浜の親父が「相撲取りの復讐」と話
をする件が人情噺・怪談噺っぽく抑えた調子になる馬鹿馬鹿しさが独特。「ありもし
ない事を勝手に想像して心配する可笑しさ」である。その口調にいしかわじゅん氏の
快作相撲界四コマ漫画『薔薇の木に薔薇の花咲く』に良く出てきた「相撲界の隠され
た真実話(ギャグよ)」みたいな面白さがある。こういう、「冗談の根っこの上にマジ
(シリアス)な表現を積み重ねて、それがどんでん返しで馬鹿馬鹿しさに繋がる」と
いう構成力を考えると(そういうとこが巧みなのは、枝雀師に似ているかもしれな
い)、『九郎蔵狐』や『幽霊の辻』、『お化け長屋』も似合うんじゃないだろうか。
そういえは『浮世床』の「夢」も聞いた事がないけど。
◆4月8日 新宿末廣亭夜席
馬風『漫談』//~仲入り~//一之輔真打昇進披露口上/笑組/金馬『紙入れ』(木久扇
代演)/一朝『浮世床・講釈本~将棋』/仙三郎社中/一之輔『子は鎹』
★一之輔師匠『子は鎹』
今の人として、噺に疑問を感じながらも「落語」として噺を処理しているのは偉い。亀のキャラクターが熊だけでなく、母親にも言い返す、それだけの辛さをぶつける子供に変わってきた。母親に玄翁を振り上げられても泣かないのは、もっと辛い思いをしているからだろうと思わせる。「涙なんか出ねェ」という熊さん相手のセリフが聞いている。そんな亀だからこそ、「また三人で暮らそう」と言い出すのも無理がない。熊さんは元かみさんの言う通り「馬鹿な男」で、いわば「男の典型」。但し、鰻に誘う件以外は、大抵の『子は鎹』にある嫌なセリフを安易に言わない演出的配慮がある(その分、セリフの遣り取りがドラマチックにはならないから、噺がサラッと展開して行く)。亀の傷の謂れを聞いて泣き、鰻屋でも亀に言われてかみさんに直ぐ謝る。この熊の「男の馬鹿」とかみさんの「女の利口がつっかう」噺に演出されている。今夜は、かみさんが常々、一之輔師が描く女のようにクール一辺倒ではなく、頭の良い女でありつつ、熊の馬鹿故の愚直を許す、という印象を受けた。こうなると、心理描写より人格造型の問題だな。まだ、精密さや巧さを感じる訳ではないが、泣かない亀の「三人で暮らそう」を聞いてジンと来た(以前のように「後生だから」とは言ったりしなかった)。
★一朝師匠『浮世床・講釈本~将棋』
この三~四年で一朝師の『浮世床』は初めてかな。先代柳朝師十八番の「講釈本」と
は演出が違い、もっと講釈本のトチリ方がフワフワとした調子になっている。その当
人と、それを周りで呆れて聞いているワイワイガヤガヤ連中の息や調子が見事に能天
気な江戸っ子丸出しなので無闇と愉しい。
★一之輔真打昇進披露口上
馬風師の声掛けで、御景物として市馬師の「相撲甚句祝替え歌」、一朝師の笛で「寿
獅子」演奏付きの豪華版。今回の披露目でこの形を聞いたのは初めて。
◆4月9日 新宿末廣亭昼席
扇治『初天神・団子』/錦平『人形買い(上)』/ロケット団/志ん彌『元帳』/歌之介
『実技のみ』(漫談)/紋之助/権太楼『町内の若い衆』//~仲入り~//萬窓(金時代演)
『紀州』/二楽/歌武蔵『支度部屋外伝』/さん喬『短命』/勝丸/雲助『子は鎹』
★雲助師匠『子は鎹』
この九日間で三師匠で四回目の『子は鎹』。流行ってんのかな。三日の末廣亭昼主任
より噺全体は更に明るい。番頭さんが仕掛けて亀と熊さんを会わせる演出で、亀が長
屋へ去った後に番頭さんが再度現れ、熊さんに「あたしが間に入って何とかしよう
じゃないか」と言葉を掛ける。この方がやはり無理は無いなァ。亀の口からかみさん
も熊さんに明らかに未練があると語らせておく伏線も活きる。立ち去る亀を見送る
熊、亀を叱る前のかみさん、鰻屋でかみさんに謝る前の熊等に、一瞬の無言の間があ
り、それが心情と世話の風景を瞬時に描き出してジンとさせる点も先日とは大きく違
う。現在、雲助師しか出来ない妙技だ。かみさんも今日は余り人情噺的な感傷は余り
なく、長屋のかみさんである。亀は傷の話の場面と折檻されかかる件で泣くが、泣か
せの嫌らしさはない。古今亭・金原亭系の落語感覚で芝居にしない境目を心得てい
る。この演出で一度、『こわめし』からぶっ通しで聞いてみたくなる。
★錦平師匠『人形買い(上)』
藁人形に五寸釘のセットを売っている人形屋は初めて聞いたかな。地力のある師匠だ
から、ギャグ以外も安心出来る愉しさ。
★権太楼師匠『町内の若い衆』・さん喬師匠『短命』
どちらもよく演じる演目だが、どちらもいつもとは一寸違い、権太楼師は爆笑させな
がら実は抑えたとこがあり丁寧。さん喬師は序盤を刈り込み乍ら、後半は丁寧かつ八
五郎のテンションが少し高く、かなり変なとこが凄く可笑しい(喬太郎師の馬鹿馬鹿
しく可笑しい所はやはりさん喬師譲りだと感じる)。
※馬鹿笑いする客が一人いて、最初は邪魔気味だったが、権太楼師・歌之介師・ロ
ケット団先生が客席全体を爆笑させて笑いを巧く平均化したので、仲入り後の障りに
ならなかったのは有難い。
◆4月9日 月例三三独演(国立演芸場)
市楽『巌流島』/三三『崇徳院』///~仲入り~//三三『田能久』/三三『猫の災難』
※次回、8月16日から会場がイイノホールに移るとの事。新生イイノホールでの
「レギュラー独演会」スタート第一号か。キャパシティから言えば、なかのZERO
で四季に独演会をしているから、イイノホールでも平気だと思うけれど、年4回はイ
ベントで済むけれども、流石に毎月の勉強会的な内容では大変だろう。箱のキャパを
下げる訳には行かなくなるしね。観客動員力の点から、白酒師や談春師が後に続くか
も。勢いから言えば一之輔師もいるが、そんな無茶はさせたくないと私は思う。
★三三師匠『猫の災難』
小三治師型で、目白の小さん師とはニュアンスが少し違う(今の、力の抜けた小三治
師で聞きたいな)。詰まらない『猫の災難』によくある「友達を騙す」といった品性
の悪さはない。また、友情の愉しさ、ほの温かさもセリフとしては残っている。但
し、友情とほの温かさの表現は丸っきり出来ていない。兄貴分の方に「友達同士で呑
む」という愉しさが殆ど感じられないためである。サゲ近くで笑いながら「おめェ、
酔ってるな。おめェが呑んだんだろう」と文句を言う(目白型の一番魅力的な場面
で、小三治師はちゃんと笑いながら文句を言ってる)件で、普通に怒っている。それ
をはじめ、隣の猫に対しては「何だい!」と癪に障る言葉がついて出ても、目の前の
熊に対しては最後の場面以外、全く疑っていない、という口調ではなく、終始、普通
に会話して怒ったりしているように聞こえる。五代目柳家小さん系落語の基本的な人
間関係が、そういう無神経な兄貴分の喋り方では感じられないのである。「友情」が
要らなきゃ、何か違う芯を考えておかないと。主人公の酔い方も、科白に連れて酔っ
たり醒めたりしていて、かなり危なっかしい。最初、兄貴分に「猫が鯛を取ってっ
た」と嘘をついた後、「ドキドキして喉が渇いた」と一升壜を見て(小三治師の演出
だとガラスの一升瓶に見える)、酒を呑み始めるのも、不要な理屈だなァ。ただの酒
好きなんだから。尤も、目白の小さん師の演出が余りに緻密で見事過ぎるため、小三
治師でも荷の重い噺で、市馬師でもまだ刃が立たないんだから、今の三三師ではこれ
が精一杯でも仕方ないんだけれどね。
※その点を考えると、酒好きの気持ちに溢れている文左衛門師の『猫の災難』は凄い。
★三三師匠『崇徳院』
主人公の熊さんとかみさんの能天気なキャラクターと慾にかられる軽い可笑しさ、若
旦那のヒョワヒョワしたやつれ方は愉しく、中盤まではトントン進んでダレずに可笑
しい。腰の回りが草鞋だらけになって「浦島太郎みたいだ」も目に浮かんで面白い。
半面、最後に出てくる頭が「二十も積み樽をするってったら祭みてェなもんじゃねェ
か!」と口では言っているけれど、その高揚が最初のセリフだけの表現に止まって、
後は普通のセリフや表情になってしまう。「三軒長屋」と「積み樽」の欲に浮かされ
て、良い大人が掴み合いになるんじゃないのかな。どうも、落語にしては人物に醒め
た部分が付きまとうのは三三師の弱味だ。
★三三師匠『田能久』
圓生師系のストーリーを聞かせる噺だから、今夜の三席では一番似合う。江戸時代の
村芝居の説明などを入れると衒学的になるし、民話的な落語として、これで十分に面
白い。田能久と遣り取りする件の蠎はもっと不気味な怪談的キャラクターと口調にし
た方が三三師の持ち味にはより適うと思うけど。
★市楽さん『巌流島』
若い侍を「体育の先生によくいるタイプ」「腕力が強くて馬鹿なのは一番怖い」と
設定したのは可笑しく、老武士が屑屋に「拙者が一緒に謝ってやる」と小声で言う人
間味(この辺りの良さは市馬師譲りか)、最初から若い侍を止めるだけではないキャ
ラクターの良さには感心した(気をつけないと老武士は横柄になりやすい)。半面、
若い侍の怒りに「船中がワイワイ」というのはどうかな?侍が怖かったら、ヒソヒソ
と緊張はするだろうけれど、『たが屋』とは状況が違うからワイワイとは騒げないだ
ろう。でも、良かったのは事実。
◆4月10日 新宿末廣亭昼席
小燕枝『天災』(雲助代バネ)
★小燕枝師匠『天災』
マクラは聞けなかったが、滋味ある高座。何のてらいもなく、落語として面白い。
◆4月10日 新宿末廣亭夜席
多ぼう『道具屋』/一左『垂乳根』(交互出演)/にゃん子金魚/金兵衛『反対俥』(交互
出演)/勢朝『漫談』(交互出演)/美智美都/正朝『運廻し』/市馬『のめる』/正楽/権
太楼『代書屋(下)』(小朝代演)/馬風『漫談』(交互出演)//~仲入り~//一之輔真打
昇進披露口上(市馬師甚句・木久扇師物真似・一朝師笛壽獅子入り)/笑組/木久扇『彦
六伝』(家元の物真似入り)/一朝『七段目』/仙三郎社中/一之輔『茶の湯』
★一之輔師匠『茶の湯』
新宿でこれを出すとは予想外。邪教版で凄く下らなくてナンセンスで爆笑物。こうい
う噺だとトントン運んで、変な隙間が出来ないのは不思議。隠居が「若い頃、芝居に
凝って、先の先の先の先の定吉という小僧を斬り殺してしまった事がある」が伏線に
なり、定吉の人格が崩壊してから隠居が呟く「また一人、小僧を駄目にしてしまっ
た」に馬鹿ウケしちゃった。飛び道具としては破壊力がある。歌之介師や白鳥師と出
番のかぶる時には必要な演目だろう。
★一朝師匠『七段目』
コンパクトな尺だが、芝居掛かりは丁寧(役者の物真似でなく本格)。芝居掛かりのセ
リフ一つ一つの力の入り方、息の詰み方が違うのは最初の「そりゃわらわとて同じこ
と」から分った。それと、若旦那が「父っつぁん父っつぁん」と言う前に「グフッ」
と呻くのを聞いて、親旦那が「なんだ!どうした?」と言う時、全然芝居臭くなんか
ないのに、ちゃんと倅を心配する父親の顔とセリフになっているのには仰天した。落
語に無駄なセリフは一つもないなァ。人物像と、場面ごとの感情表現がここまで出来
ていてこそ「落語」なんだね。
------以上 上席--------
◆4月11日 新宿末廣亭夜席
小痴楽『道灌』(交互出演)/まねき猫/可龍『両泥』/鯉太『善哉公社』/ナイツ(交互
出演)/伸乃介『六銭小僧』(米多郎代演)/歌若『短命』/真理/柳好『長屋の花見』/伸
治『欠伸指南』//~仲入り~//遊之介『粗忽の釘(下)』/東京ボーイズ/壽輔『英会
話』/小文治『強情灸』/小天華(正二郎代演)/蝠丸『矢橋舟』
★蝠丸師匠『矢橋舟』
勿論、東京では珍しい演目だが四年くらい前に、一度蝠丸師匠で聞いてなかったか
な?。舟乗込み⇒色問答⇒尿瓶酒⇒竹光の流れは米朝師とほぼ同じ(上方の噺家さん
でも米朝師と枝雀師でくらいしか聞いた記憶がない)。「あの~」と色問答に口を出
す男、戸板に寝かされた老病人の可笑しさと尿瓶酒の旦那、竹光の侍の雰囲気の違い
が愉しい。
★柳好師匠『長屋の花見』
「長屋中」の句で下げる落語芸術協会の『長屋の花見』。もう少し落ち着いて話す
と、もっと可笑しくなる辺りが一寸惜しい。
★伸治師匠『欠伸指南』
師範の欠伸からフンニャフンニャした独特の暢気な味わい。「臨終の欠伸」には笑っ
た。
★可龍師匠『両泥』
先輩泥棒が稍切り口上になる所もあるが、新米泥棒の間抜けな頼りなさが可笑しい。
◆4月12日 池袋演芸場昼席
紅『髪結新三~和國橋』/小柳枝『二十四考』//~仲入り~//ひでややすこ/楽輔『宿
屋の富』/圓遊『雑穀八』/花/茶楽『品川心中(上)』
★茶楽師匠『品川心中(上)』
本日は心中場面での金蔵のフラフラした歩きぶり、金蔵の言葉を聞いたお染の一喜一
憂、終盤に登場する「オフクロに形見だ」の男の馬鹿馬鹿しいマジぶりが殊の外、結
構だった。感情表現として素晴らしい。
★小柳枝師匠『二十四考』
先代文治師の演出とも少し違うかな。八五郎が友達をうちへ呼び込んで頓珍漢を言っ
てる所でサゲ。二十四考は王祥・孟宗・呉猛の三人だが、速すぎず、トントン運んで
ちゃんと受ける愉しさ。
★圓遊師匠『雑穀八』
一応、「今の仏が焼き餅を焼いた」まで。先代柳橋師経由かな(「帯の祝」までは扇
橋師で一度聞いた事があるだけ)。余りメリハリを付け過ぎない演じ方なので重さや
噺の無理は感じない。但し、お絹さんの病が治る件を入れ忘れた。鶴吉が上方から持
ち帰った金の預け・返しは分かりやすく演出されている。
※誰で聞いて以来の演目かなァ。なるほど、魚屋と鶴吉&お絹夫婦、夫婦同士の遣り
取りが非常に難しい演目だと分る。鶴吉の鯔瀬なニュアンスから二枚目の噺家さん向
きの噺だとも感じる所がある。二世、三世三木助師師弟の持ちネタだったのも当然だ
ろう。余り善人ぶっていかず、病が治ってからのお絹さんに年増の色気も要るから、
今なら、扇辰師(直系だしね)か、馬石師向きのネタかな。
◆4月12日 志ん輔の会「三遊亭圓朝作・真景累ケ淵全段連続口演其の一」(国立
演芸場)
半輔『酒粕・から抜け』/風車『代書屋(上)』/志ん輔『真景累ケ淵其の一(上)』//
~仲入り~//志ん輔『稽古屋』/正楽/志ん輔『真景累ケ淵其の一(下)』/大喜利「風
流都々逸集」
★志ん輔師匠『累ケ淵其の一(上下)』
(上)が「宗悦殺し~宗悦長屋」、(下)が「奥方殺し~お園殺し」という流れだけ
れど、話芸というよりは「BGM付き朗読に照明付き」といった雰囲気。特に、
(上)の最初のうちは、何だか人形劇に朗読を付けているみたいに感じられた。胡
弓・ヴァイオリン・チェロの伴奏を付けた演出になっているが、余りにも冒頭から
「怪談(というよりサイキックなホラー)の音楽」と決め付けて作曲されたのか、全
編ホラー映画の伴奏みたいになっているのには違和感がある。唯一、(下)で新五郎
がお園の邪険に焦れる場面で使われた、チェロの低い旋律だけが「悪縁の無常」を感
じさせた(低く、不気味ではない旋律だからこそ、無常感が出たのは今後の参考にな
るだろう)。半面、胡弓とヴァイオリンの奏でるキリキリ、キリキリとした現代音楽
風の高音は、只管物凄く私の神経を苛立たせるばかりで、ニューロティックなホラー
を無理矢理見せられているようであり、生理的な嫌悪感、不愉快さがどうしても先に
立ってしまった。言ってはなんだが、拷問に近い所があったのは残念。
※『四谷怪談』の「露に尾花」のように、相反する曲調を配して逆に効果を高める、
という「音の効能」を作曲者に考えて欲しい。メロディ・音の意味と使用法につい
て、
志ん輔師も、もっと作曲者と話を詰めるべきではあるまいか。兎に角、ピンの話芸に
おける音の出入りや強弱、セリフとの絡みの活け殺しの演出が稚拙というより、今
の状態では殆ど出来ていない。三人の演奏者の姿が高座の後ろに紗幕越しに透けて、
亡霊のように佇むのも単に視野を妨げるだけで、噺に没頭しようと志ん輔師を見ると
目に入ってくるのが鬱陶しい。複数の人物が登場する芝居と違い、視点が演者に集中
しやすいピンの話芸に他者の存在は視点の混乱を招く。
志ん輔師の口演自体も前に「人形劇に朗読を付けているみたい」と記したように、今
夜は曖昧な要素が多数あった。(上)の人物像は伴奏のホラー性に任せきりみたいで、
お互いに酔っているが上に起きる部分のある「宗悦殺し」のリアリティは殆ど描かれ
ずじまい。(下)の深見の奥方殺しも、何だか「ただ人を殺して脅かす」程度の場面に
しか聞こえなかった。「新五郎の口説き」になると、今度は新五郎の「空気の読めな
さ」が延々と演じられて、噺が一気に重くなる。こういう脂濃い志ん輔師は久しぶり
だ。時々、自分に戻って茶化したりしていたが(このしか聞こえなかった。「新五郎
の口説き」になると、今度は新五郎の「空気の読めなさ」が延々と演じられて、噺が
一気に重くなる。こういう脂濃い志ん輔師は久しぶりだ。時々、自分に戻って茶化し
たりしていたが(この戻りは“噺を本当に演じたいのか?”と疑問に感じてしまうの
で感心しない)、そこで茶化されていたのは心理の食い違いであって、悪縁の結果の
食い違いではなくなっていた。『累ケ淵』の因果を心理描写で演じては、「余り出来
の良くない演劇」になってしまう。
圓朝師の作品中でも、幕末発表作品の持つ無常感は、近代的な心理描写とは違う所に
立脚しているのではないだうか。幕末の小團次・黙阿弥提携作品などにもあるよう
に、「江戸時代の爛熟と衰退を無意識のうちに感得した庶民・世相が齎したデカダン
ス」なので、欧米的な心理描写や音楽効果、照明効果で組み立てるのなら、一度、展
開や登場人物をバラバラにして再構成しないと無理ではあるまいか。元々、「蝋燭の
灯の揺れと、それが映し出す揺れる影」の下で演じられた噺で、「影の描く因果・怨
念」なのだ。近年でも、他の演者による口演を蝋燭の明かりで観・聞きすると物凄く
怖かった。余程、「面明かり」でも使った方が似合うのである。
更に、「宗悦殺し」から「お園殺し」まで、普通なら四~五席分をダイジェストのよ
うにまとめて(正確に言えば、まとめきれないまま)演じていたから、他の演者で何
度も聞いている演目なのに、私などには噺の展開・要点がよく分からないままだったのも残念。
★志ん輔師匠『稽古屋』
『歌火事』の簡略型でほぼ志ん生師の型に近い。従って、「道成寺」の振り事や、草履を火鉢で乾かす可笑しさは抜き。また、冒頭の隠居との遣り取りで稽古屋へ行くきっかけになる、志ん朝師が絶妙だった「鼻の穴を舌で舐められる芸」がないのは勿体ない。
◆4月13日 池袋演芸場昼席
遊馬(伝枝代演)『間抜け泥』/右紋『都々逸親子』/チャーリーカンパニー/紅『髪結
新三~彌太五郎源七』/小柳枝『抜け雀』//~仲入り~//ひでややすこ/楽輔『天狗裁
き』/圓遊『鶯宿梅』/花/茶楽『線香の立切れ』
★茶楽師匠『線香の立切れ』
扇橋師が倒れられた今、東京でこの噺の上手は茶楽師をおいてあるまい。今日は小久
の母親が未練な怒りをチラッと見せる所が真に結構だった。
★小柳枝師匠『抜け雀』
短めの口演で、少し言葉のもつれる部分もあったが、老絵師の風格、若い絵師の活
闥、どちらも見事。宿の亭主は稍キャラクターが薄いけれども、噺の運びが良いから
全体は愉しい。
★圓遊師匠『鶯宿梅』
『雑穀八』と冒頭が似てるんだな。小満ん師で聞いて以来だが、流石に寄席で聞いた
のは初めて。サゲを変えて、分かりなっていた。
★楽輔師匠『天狗裁き』
この三年ほどで2~3回聞いている演目。落語協会の師匠方で聞くより、遥かに気
楽に聞けて、暢気かつ無邪気に愉しい。
◆4月13日 柳家三三独演会「春」(なかのZERO小ホール)
歌太郎『粗忽長屋』(左龍師型か)/三三『大工調べ(通し)』//~仲入り~//三三『占い八百屋』
★三三師匠『大工調べ』
通し。三三師の演出に特徴的な「筋の中心にいるのに、他人事みたいな第三者的視点
に立つ人」が今回は与太郎。与太郎のために頑張る棟梁が気の毒になるところも感じ
るが、第三者がいる分、シニカルな可笑しさは出る。棟梁は口の利き方が兎に角、職
人というより殆ど侠客だから(職人の江戸っ子が侠客になってしまう雰囲気は家元に
近いな)、与太郎のシニカルな存在が前半では笑いを生み、展開の救いになる。大家
は元から悪心なのか、行き掛かり上の傲慢・強欲なのか、人物像が判然としない。お
白洲で畏れ入ると「時代劇の越後屋」みたいな、弱気な悪人になる。また、お白州に
なると、棟梁、大家、奉行と揃って人情噺の表情、リアクションになり、前半とは噺
の雰囲気が変わってしまう。与太郎一人は落語なんだけれど、周りが人情噺なので少
し浮いてしまう。別段、与太郎にみんなが掻き回されてる訳でもないしね。
★三三師匠『占い八百屋』
長い(溜息)。小三治師経由の小さん師型だが、それを圓生師が演ってるみたい。完全
にストーリーを聞かせる噺になっている。元々ストーリーに浮き沈みの多い演目だか
ら、それはそれで中盤まで面白くは聞ける。しかし、キャラクター造型は粗いから、
「その場しのぎ」の嘘が積み重なって、にっちもさっちも行かなくなる八百屋のドキ
ドキ感が、宿の女中の出現後の「ああ、良かった」など、感情を表現するセリフのあ
る所以外では途切れてしまう(キャラクターの端々に小三治師の表情は顔を出すが、
三三師の顔は出てこない。閉じた芸だなァ)。だから、最後の場面で八百屋が遂に逃
げ出してしまった!というのも唐突に感じる。「祝いで酒をしこたま呑んで」「二階
でまだ寝ている」のセリフも邪魔になる。寧ろ、八百屋を「あたしが雇ったようなも
のだから、あたしが言えば“嫌”とは言わない」と何度もいう旦那のいけ図々しさの
方がキャラクターは立っている。それと、妙に「こんなとこも?」というくらい、全
体に常にメリハリを付けた演出なのがこれまた圓生師っぽい。柳家系の長い噺に不可
欠な「観客は楽に聞き流してよいダレ場」を作って無いのである(それだけ演じ込ん
でいる演目でもないだろうから仕方ないけどね)。結果、「八百屋が困ると助けが出
てくるだけみたいに聞こえるストーリー」に私は飽きが来てしまい(聞き手として八
百屋の緊張と緩和に納得出来ない)、終盤、我も我もと集まってきた占い希望の村人
といけ図々しい旦那の遣り取りまで来るとゲンナリしてしまった。圓生師や三代目三
木助師型『御神酒徳利』で噺の長さに飽きた事はあるが、旦那(『御神酒徳利』では
支配人)が次第に「嫌な奴」に見えてきたのは、目白型も含めて初めての経験であ
る。
※何というか、「全編目一杯に力を入れるので聞いていてゲンナリするほど疲れる」
という時期は志ん朝師、小三治師、さん喬師、雲助師にもあった。今の三三師はそう
いう時期なのかもしれない。それだけに、目白の小さん師の演出をベースにした噺
は、ここ暫く、三三師には適さないのではあるまいか。小三治師経由で圓生師の芸も
かなり入っているから、目白的な人物造型や演出と、圓生師的な「全編目一杯にメリハ
リをつける演じ方」のギャップに無理があり過ぎる。演者の少ない圓生師ネタ(『骨
違い』『お祭り佐七』『一つ穴』とか)を半ば復活的に演じた方が今は似合うんじゃ
ないだろうか?
◆4月14日 第12回大手町落語会(日経ホール)
たけ平『扇の的』/兼好『壷算』/志らく『黄金餅』//~仲入り~//さん喬『おせつ徳三郎』
★さん喬師匠『おせつ徳三郎』
前半、親旦那は居丈高に怒ったりしない、大店の物静かな旦那の雰囲気。但し、定吉
との遣り取りは口調が些か硬く、『花見小僧』らしい華やぎはあるものの、色模様ら
しい艶のある可笑しさに乏しい。定吉の返し言葉が「それで」なのは押しが強く感じ
る。やはり、「それから」の軽さが欲しい。『刀屋』も刀屋の主が世慣れているとい
うよりは、硬めの真面目な人物であるが、徳三郎に対する意見に刺々しさなどはなく
親切である。此処は徳三郎の激しい恋心が軸になっており、「好きなんです」の強さ
に刀屋主人も苦笑するようにして、「ドカンボコン」の方向に話を転じる感じを受け
た。刀屋主人が白鞘から刀を抜く件で刀の長さ(刀屋主人の言う通り、少し短い)や、
鎬の感じが分かるのは凄い。おせつは柳の木にもたれるように佇んでいたのが可憐
(この方がいきなり橋の真ん中にいるより良い。橋がかぶらないし)。最後は身投げ
を頭たちに止められ、刀屋主人から色々と聞いた親旦那も許してくれ、「刀屋の旦那
に色々と聞いたお陰で元の鞘に納まった」とサゲる目出度さは快い。
★志らく師匠『黄金餅』
ほぼ家元のまんまだが、落語としては談春師より巧い(「落語らしい」)のではある
まいか。但し、家元の遺したセリフにつられて、噺のトーンが時々無駄に暗くなるの
は、噺が野暮になって感心しない。もっと「心理」を離れて馬鹿馬鹿しくなるべき
「江戸の落語」だと私は思う。
★兼好師匠『壷算』
瀬戸物屋の番頭の「こすっからそうなニコニコ笑顔」を見ていると、どうも騙されそ
うにないが、遣り取りは可笑しい。
※兼好師匠だと逆に、二荷入りの壷に実は仕掛けがあって(騙りの客用専門の壺だっ
たりしてさ)、普通のサゲの後で、客の側が番頭のしっぺ返しを食らうような演出の
『壷算』があってもよかないかね?と感じるのだ。
★たけ平さん『扇の的』
いかに地噺じゃとて、調子を張りっ放しなので聞き疲れする。無理に「踊る平家は久
しからず」を『扇の的』に付けず、普通に『源平』の一の谷辺りから壇ノ浦までを演
じてもよいのではあるまいか。
◆4月14日 第一回左龍・甚語楼の会(お江戸日本橋亭)
さん坊『子褒め』/左龍『口入屋』/甚語楼『笠朞』//~仲入り~//甚語楼『人形買い』/左龍『花見の仇討』
※真に「聞き疲れのしない落語らしい落語を演じられる二人」が揃って、良い会が始
まったと私は思う。
★甚語楼師匠『人形買い(上)』
最初に人形を買ってこいとカミサンに指示される長屋の男が、「何でも受け入れちゃ
う」という、物凄い落語ならではのキャラクターなのは工夫!人形屋の番頭に「売り
物ですから人形の首を次々に捻らないで下さい」と文句を言われたのには笑った笑っ
た。兄貴分は比較的まともな叱りキャラだが、人形屋の小僧がまた「世馴れてます」
と自称する濃い目のキャラクターで(とても小僧には見えないけれど、考えたら権助
でも構わないんじゃない?)、クサ目にペラペラ喋るのが可笑しく、権太楼師の『人
形買い』を受け継ぐ爆笑編になりそう。
★甚語楼師匠『笠朞』
二年ぶりに訊いたが格段に良くなった。「一昨年の暮れの二十九日」の話を聞いた美
濃屋が『千早』の八五郎みたいなリアクションなのが素晴らしい。二人とも完全に
八・熊の世界の住人。その分、「旦那」ってよりは明らかに職人みたいだけれど、我
が儘と強情の違いはあれど「大人子供」同士で、一寸濃い目のキャラクターが可笑し
く、、無邪気で馬鹿馬鹿しくも切ない友情が繰り広げられる。研ぎ上げれば十八番に
なりうる。
★左龍師匠『花見の仇討』
侍役の熊さんと(役名が橘家文左衛門・笑)、御成街道と上野の御山で現れる侍のテン
ションのマジさ加減が可笑しい。神田の伯父さんの偉そうでムズムズと可笑しいバカ
マジぶりも若手真打では一番人物が出ているだろう。マジだけれど「落語ならではの
変人」が揃っているのである。全体の運びは騒がしくないけれど、ポイント、ポイン
トでキャラクターがマジボケするから、噺のテンション自体は余り下がらない(もう
少し高い方が良い)。熊さんが頭に来て、稽古に無かった抜き打ちをする。野次馬が
後ろから押されて鼻先を真剣が横切るので絶叫する。侍が「敵討ち」と聞いてキッと
なりマジで意気込む、など敵討ちが始まってからも工夫され、ダレないのは演出的に
結構。半面、三人組の間抜けな後半の殺陣に、もうひと工夫欲しい。若手真打では遊
雀師、白酒師の次くらいに位置する出来だろう。
★左龍師匠『口入屋』
これも久しぶりかな。六蔵が夜這いに行く際の、目をクワッと明けたまま鼾をかいて
いるという、どら猫みたいな笑い顔と、その姿が抜群で爆笑を呼ぶマイムになってい
る。助平ったらしさは薄いが、若い店者らしいキワキワした感じがあり、対照的に番
頭の気取った悪納まりぶりも面白い。
◆4月15日 第125回大和田落語会(丸花亭)
小里ん『煮賣屋』/三三『雛鍔』//~仲入り~//三三『しの字嫌い』小里ん『お直
し』
★小里ん師匠『煮賣屋』
マイクに雑音が入ったのは残念だったけれど、寄席ネタなので12~15分程で聞く
場合が殆どだけに、かなり長目で丁寧な『二人旅』から『煮賣屋』を近年では久しぶ
りに聞けた。小川を超えると隣村、まで珍しく演ったので、このまま『長者番付』ま
で行くかと思った。というか、『長者番付』を聞きたくなる雰囲気の口演だった。
★小里ん師匠『お直し』
この噺を聞くのは三月のネタ卸し以来だけれど、全体のテンポがコンパクトになり、
酔客が蹴転の女にデレデレする様子が格段に面白くなった。また、女が長年吉原で
培った手練手管の巧みさで客を謀る可笑しさも十分。「早く行っといで!」と亭主を
急かす県や、客を近くまで呼び寄せて「捕まえた!」(両腕で押さえつける)といっ
た強い調子の場面が馬鹿に可笑しく、噺の後半も客席をちゃんと落語として楽しませ
てくれる。「お前に惚れてから焼くようになった」(三月にこのセリフはあったか
なァ?)のセリフに亭主の可笑しさ、男の弱さも良く出ている。客を一度返した後の
夫婦の遣り取りも泣きに流れず、従って酔客の「直して貰いなよ」が、遊びの分かっ
た粋なセリフに聞こえる。『お直し』は小里ん師、菊志ん師の「遊びの粋から生まれ
た廓噺」と雲助師の「夫婦物人情噺」にハッキリ大別されてきた感じだ。
★三三師匠『雛鍔』
植木屋がかみさんに小言を言うセリフで、最後の辺りの調子が小三治師ソックリにな
るのに驚く。小三治師は『雛鍔』を演ったっけ?子供のこすっからい笑わせもクドさ
がなく、子供が銭を受け取って出掛けるのを追うかみさんの視線の的確さなど、テク
ニック面も良く出来ている。一之輔師と比べて「親子の感覚」は些か乏しいとはい
え、「お屋敷に奉公していたおかみさんが羊羮の箱を舐めるか?」という旦那の、実
に見事でシニカルなひと言も悪目立ちしない可笑しさになっている。情を露わにしな
い噺はやはり向いている。
★三三師匠『しの字嫌い』
今日は最後の清蔵の失敗をカットして下げた(この型は初めて)。聞き比べて、どちら
かってえと、最後に清蔵がしくじる方が三三師的である。こういうストーリーの無い
噺に、目白の小さん師・小三治師と世界は違うが、可笑しさがあるんだから、いくら
「取り敢えず、若いうちに覚えた以上は演っといた方が良い」とはいえ、ストーリー
に縛られる噺や講釈・浪曲ネタばかり演じない方が良いと私は思うのだが。演目選択
が偏ってるんじゃあるまいか?。
◆4月15日 新宿末廣亭夜席
歌若『壷算』/コントD51(真理代演)/金遊(柳好代演)『後生鰻』/伸治『ちりとて
ちん』//~仲入り~//遊喜(遊之介代演)『熊の皮』/東京ボーイズ/壽輔『善哉公社』
/小文治『粗忽の釘(下)』/小天華(正二郎代演)/蝠丸『匙加減』
★蝠丸師匠『匙加減』
前半をズバッと落として、勘当の許れた阿部玄益が叶屋へ来て、お浪の錯乱を知る件
から噺を始めるのは独自の構成。これは寄席の尺を考えると共に、この噺の面白さが
大家・定兵衛の智謀と奉行の裁定にある事がちゃんと分かっている故だろう。定兵衛
のこすっからい可笑しさ、玄益の野暮に奉行が困る白州の愉しさ、叶屋の意気がった
小悪党ぶりが凹まされる面白さと揃って、繰り返しの聞く面白さになっている。
※なんで、落語研究会が、珍しい噺を工夫して愉しく聞かせる蝠丸師の才を取り上げ
ないのか不思議でならない。
★金遊師匠『後生鰻』
全く当て込まない演出で「嗚呼、良い後生をした」を明確に繰り返す事でちゃんと受
ける。駒三師と並んで『後生鰻』のお手本。
★伸治師匠『ちりとてちん』
あざとくなくフワフワと愉しい。本当に嫌な奴の出て来ない噺の出来る師匠で、聞き
疲れしない高座の代表である。
★遊喜師匠『熊の皮』
医者の先生が甚兵衛さんの健闘を褒め、褒められた甚兵衛さんが泣く、という工夫が
馬鹿に可笑しく、同時に無邪気な割に明るくなり難いこの噺を、クッキリと明るい噺
に変えているのに感心した。ここ数年に訊いた高座を思い返しても、もっと寄席で使
われて良い存在だと思う。
◆4月16日 新宿末廣亭昼席
米丸『びっくりレストラン』//~仲入り~//遊馬(圓馬代演)『浮世床・講釈本』/京
太ゆめ子/遊三『子褒め』/小文治(小圓右昼夜替り)『強情灸』/美由紀(踊・春雨)/圓
『近日息子』
★圓師匠『近日息子』
何のてらいもなく、慈味溢れる口演でサラリとハネた。大家の「チンドン屋がくりゃ
あ一日中ついて回り、紙芝居がくれば一番前で飴を舐めて見てやがる」の愚痴、親子
の情が一寸切ないけれど(こういう味わいは若い演者には無理)、与太郎が一行に暢
気、元気なので噺が陰の方向に向かわない。
★遊三師匠『子褒め』
朗々と語り、仕種・視線の的確さできっちりと受けて、主任への流れを引き締めたの
は流石。
◆4月16日 新宿末廣亭夜席
まねき猫/柳好『芋俵』/伸治『ちりとてちん』//~仲入り~//傳枝(遊之介代演)『寄
合酒(上)』/宮田章司(東京ボーイズ代演)/壽輔『代書屋』/小圓右(小文治昼夜替り)
『目薬』/正二郎/蝠丸『柳田格之進』
★蝠丸師匠『柳田之進』
仲入り後、観客が20人前後になり(主任時点で20人を切った)、番組も代演続
き。おまけに演者が立て続けに(宮田先生以外は)「お客が少ない」とボヤいてはダ
レてしまい、ハチャメチャになっていた。「こりゃ酷ェ」と呆れていたが、その流れ
を正二郎師と蝠丸師が救った。正二郎師の端正な曲芸に続けて、蝠丸師の『柳田』は
八月十五日までを地で進めるといった具合に、真に手際よくまとめた展開。番頭徳兵
衛のキャラクターや頭が湯島切通上で徳兵衛に言う「お盆には返ってきて下さいよ」
で笑いも入れつつも、柳田父娘は常に毅然たる演じ方で崩さず、情と侍心を軸に25
分強で語りきった。萬屋のキャラクターが些か飄輕ではあるけれど、それまで続いた
高座のダレ方が嘘のように終わった。
※新宿も池袋も、落語協会・落語芸術協会の興行を問わず、昭和50年代前半の池袋
演芸場のように、夜席は仲入りをしない方がよいのではあるまいか。お客に帰るキッ
カケを与えてしまう。また、たとえば若手の人気漫才コンビが夜の浅い出番だと、そ
こまで聞いて帰ってしまう若い女性客がいたりもする。ならば、彼らの出番を仲入り
後の二本目くらいまで下げる程度の配慮はあってもよいのではないか(寄席に出てい
られる時間は少ないかもしれないけれどね)。それは若手真打の出番にも言えて、食
い付きにここ4~5年の真打昇進メンバーがもっと入ってもよいのではあるまいか。
夜席の活性化のために、、三部制という考え方もあるのかな・・・・
◆4月17日 第21回ぎやまん寄席番外編「柳家喬太郎・桃月庵白酒ふたり会」
(湯島天神参集殿一階ホール)
市也『道具屋』/喬太郎『垂乳根』/白酒『井戸の茶碗』//~仲入り~//喬太郎『刀屋・牡丹燈籠発端:藤村屋新兵衛』白酒『粗忽長屋』
★喬太郎師匠『垂乳根』
調子をやってたが、非常に丁寧に了見だけで演じて面白かった。特に前半の八五郎の
ウキウキ感は傑作で、嫁さんが来る明るさと愉しさに溢れている。飯の食い方から痴
話喧嘩へ繋げるのも喬太郎師では初めて聞いた。また、糊屋の婆さんがサブキャラク
ターとして活きており、八五郎の良い傍観者になっているのが面白い。この活き活き
感が喬太郎師流の「今様古典落語」の基本ではあるまいか。お千代さんも品が良く、
八百屋相手の大仰さも可笑しいが、千代の書いた物を読む辺りから八五郎のウキウキ
感が些か鎮まったのは惜しい。リアルに考えれば八五郎の困惑も分かるんだけどね。
★喬太郎師匠『刀屋・牡丹燈籠発端:藤村屋新兵衛』
途中に入る野次馬の件も可笑しく、また、「抜いたの?」と黒川孝蔵が驚く表情も抱
腹物だが、全体的には喬太郎師の人情噺、特に圓朝物との相性の良さ、演技的な緩急
の巧みさを感じた高座。黒川孝蔵の酒乱ぶりを聞いていると『お里の伝』の敵役・岩
淵伝内の酔態や『首長短』の酔漢を聞きたくなる。終盤、黒川を斬ったばかりの血刀
を手に飯島平太郎が藤村屋に「七両二分にまからぬか」と告げる口調と表情の、可笑
しさを伴う怖さは一寸真似がしがたい。雲助師よりニューロティックな怖さになる。
★白酒師匠『井戸の茶碗』
「刀にかけても」「槍を持ってこい!」と高木・千代田が清兵衛を前に言う二つの件
が、今夜は飽くまでも「刀にかけても(千代田に)」「槍をもってしても(高木に)」と
いった具合に、目の前にいる清兵衛にではなく、相手の武士に対する意地の張り合い
に聞こえたのが面白かった。こういう、噺を「進行形」の状態で活かす出し入れの出
来るのは凄い。細川の殿様の品の良さも耳立った。どちらかといえば、清兵衛をコメ
ディリリーフにして、武士のキャラクターを的確に浮き彫りにし、理を通しながら、
爆笑させる辺り、一石二鳥を可能にする凄腕を感じさせられた。
★白酒師匠『粗忽長屋』
「粗忽で思い込みの強い男」と「何でも受け入れちゃう男」という二人の描き分け
が、なかなかこう出来るものではない。熊が「熊は俺だ」と気付く件でリアクション
に若干の隙があるくらいで、噺の流れ、キャラクターのぶれなさとが相俟って爆笑を
生んでいる。野次馬連中の無責任な拍手もやたらと可笑しい。そりゃ行き倒れの差配
している人も困るわな、という古今亭・金原亭ならではの「普通じゃない人たち」を
描いた快作である。
◆4月18日 新宿末廣亭夜席
真理/柳好『壷算』/伸治『長屋の花見』//~仲入り~//遊之介『置泥』/東京ボーイズ/壽輔『龍宮』/小文治『道案内』(『長短』のマクラ用の小噺)/正二郎/蝠丸『蟹』
★蝠丸師匠『蟹』
終盤、甚五郎に「あの子はどうしたい?」と訊かれた餅屋が奥へ向かい「芳公!」と
声を掛けた場面でふいにグッと来て涙が出た。そこまで全く泣かせの要素なんてな
く、甚五郎の悪戯心や「火付けが好きで」のホンワカした可笑しさ愉しさを味わって
いたのだが、「一瞬にして情が描ける」という事かな。
※サゲに使う「甚五郎が吉原の花魁に馴染んで海老を彫る」という噺をほんとに聞き
たくなる。
★柳好師匠『壷算』
瀬戸物屋がパニックに陥り、「そっちの人、首を傾げてこっちを見ないで下さい!」
と言ったのには馬鹿ウケ。そこまでもテンポが良く、悪い癖のセカセカした感じが全
く無く、明るく非常に面白かった。
★伸治師匠『長屋の花見』
兎に角「暢気な連中の陰気な花見」になってしまうのが可笑しい。大家が困り果て、
意気消沈する店子連中に「俯かないで!暗い顔しないで!」と何度も頼むのが矢鱈と
可笑しい(このくすぐりは初めて聞いた)。軽くて明るい高座なのに、実に悲惨な花見
になっちゃうのが馬鹿馬鹿しく抱腹な一席。
★遊之介師匠『置泥』
かなり間を取って泥棒が財布を懐から出し入れするのがジワジワと可笑しい。泥棒が
気の毒なのもまた可笑しい。
※小満ん師の『夏泥』の「裸の上に風呂敷を羽織って前に蝋燭一本」は『置泥』に
あったのか。素っ裸でいるより姿が目に浮かぶのだ。但し、『置泥』でもこの設定は
初
めて聞いたかな。とすると、元は先代圓遊師か。
◆4月19日 上野鈴本演芸場昼席
正朝『桃太郎』/馬楽『酒百態』(漫談)踊・深川/のいるこいる/正蔵『読書の時
間』/菊之丞『紙入れ』/正楽/喬太郎『蒟蒻問答』//~仲入り~//夢葉/喜多八『長短』/
志ん彌『浮世床・将棋~講釈本』/小円歌:踊・かっぽれ/歌武蔵『天災』
★喬太郎師匠『蒟蒻問答』
中抜き簡略型。目白型ではないのかな?細部が色々と違う。択善の生真面目さ、和尚
在宅に意気込む感じが一番出ていた。六兵衛も八五郎も割と平然というか、のうのう
としているのが似合っている。調子はやっているが落ち着いていて良い出来。
★喜多八師匠『長短』
二人の遣り取りが「所謂落語の短気者と気の長い者」のそれではなく、時代性を離れ
て、今時のおじさん友達同士の普通の会話として成り立っているのが新鮮に可笑し
い。特に長さんの、気が長いのでなく、回りくどさが自然なのは一寸他に類を見な
い。落語って、こういう演り方も出来るんだね。
★歌武蔵師匠『天災』
八五郎のエネルギッシュさは抜群で噺全体も明るく可笑しい。職人と歌武蔵師の一体
感に違和感の無い人物造型。半面、大家さんは八に対する口のきき方が親愛からくる
乱暴さ、名丸は初対面の丁寧さ、という点以外、二人の違いが余り感じられない。名
丸は「ガハハキャラクター」にするとか、二人の人物造型に工夫を加えた方が、名丸
が「柳かな」と言ったりする中盤のダレ場が凌ぎ易くなると思う。名丸と八五郎の会
話のリアクションも稍鋭さに欠ける。
◆4月19日 新宿末廣亭夜席
真理/柳好『悋気の独楽』/伸治『棒鱈』//~仲入り~//夢花(遊之介代演)『初天神』
/東京ボーイズ/壽輔『猫と金魚』/小文治『手紙無筆』/正二郎/蝠丸『江島屋』
★蝠丸師匠『江島屋』
「ネタ出し興行」なら兎も角、寄席の主任でこの噺を聞くとは思わなかったから(多
分初めて)吃驚しちゃった。二話目の「藤ヶ谷新田老婆の呪い」から三話目かな、
「江島屋主人の失明」までを「振り袖の怨み」と題して口演した。甲高めの調子なが
ら、語り口はソフトである。そして、老婆が藤ヶ谷新田の囲炉裏端で江島屋の番頭金
兵衛の方へ身をスーッと乗り出したり、江島屋の庭先に現れた老婆が雨の中を、金兵
衛が雨戸を開けた縁側へ這うように近付いてくる、という二つの件の動きは洒落にな
らないくらい怖い。円山応挙の描く幽霊が顕在化したような物凄い不気味さが漂う。
こんなに怖い『江島屋』は初めて聞いた。
★夢花師匠『初天神』
かなり省略して飴・団子・凧。単に可笑しいというより、夢花師の「キレた可笑し
さ」と噺が直結していて、粗いといえば粗いが非常に可笑しい。このキレ加減には
「落語芸術協会の秘密兵器」みたいなとこがあるなァ。
◆4月20日 上野鈴本演芸場昼席
歌太郎『金明竹』(交互出演・骨皮抜き)/紋之助/正朝『蔵前駕籠』/馬楽『ケチ百態』(小噺・踊・せつほんかいな)/のいるこいる/正蔵『新聞記事』/菊之丞『紙入れ』/正楽/喬太郎『猫久』//~仲入り~//夢葉/喜多八『鈴ヶ森』/志ん彌『元帳』/和楽社中(小円歌代演)/歌武蔵『手水廻し』
★喬太郎師匠『猫久』
テンポが非常に良く、猫久家の騒ぎを見た場面から、髪結床での野次馬話、更に如何
にも「侍らしい」初老の武士の言葉に対するリアクションなど、場面場面における熊
の素直な感情の動きだけで、噺が軽快に展開するのには驚いた。熊の感じた疑問や戸
惑い、自慢など了見の変化だけで、新しいギャグやくすぐりも無ければ、この噺につ
きまといがちな無駄な重さも全くない。サラーッと演じてられて、常に明るく、熊や
かみさんの感情が分かりやすい。従って、侍が「烈女なり、賢女なり」と語るダレ場
はダレ場として、ちゃんと可笑しさが客席に理解され、ちゃんと受けていた。寄席の
お客の方が、登場人物の感情の変化に対して素直にリアクションするというべきかも
しれない。熊のかみさんの「イワシーッ!」も序盤・終盤でアクセントとして効いて
おり、実に可笑しい。目白の小さん師以降で私が聞いた、一番面白い『猫久』であ
る。
※余計な事ではあるけれど、喬太郎師が「目白の小さん師の考える了見」で所謂「古
典落語」を演じられるようになると、市馬師とタンデム(二頭立て馬車)的存在とし
て世代を引っ張る事になるのではあるまいか。さん喬師・権太楼師に続く「二代目柳
家タンデム」の誕生になる。
★歌武蔵師匠『手水廻し』
元は歌之介師かな南なん師かな雀々師かな。江戸の宿屋と大阪から来た客の話から始
まる。江戸の宿屋の主人が寺の和尚に「手水廻し」の意味を訊きに行かせるのは些か
違和感がある。町内の心学の先生くらいで良いのでは?寺に尋ねに行くまでの展開も
少し長い。長頭の男はユーモラスで似合う。宿屋の主人と板前が「手水を廻す」の謎
を探りにわざわざ大阪まで行くのも大袈裟だが、落語らしい馬鹿馬鹿しさとしては納
得出来る。大阪の宿での頓珍漢な行動はクドくなくて良い。江戸、大阪、共に宿の女
中がしとやかであるのは結構。
◆4月20日 人形町市馬落語集(日本橋社会教育会館ホール)
市江『しの字嫌い』/市馬『長短』/市馬『提燈屋』//~仲入り~//市馬『花見の仇討』
★市馬師匠『長短』
目白型の真っ当な演じ方で全く歪みはないが、短七の「焦れ」と「怒り出し」の境界
がハッキリせず、まだ始めから中っ腹に見えるのが惜しい。また、「茶を淹れるか
ら」は言った方が良いと思う。
★市馬師匠『提燈屋』
非常に明るく、特に広告を前にワイワイガヤガヤやってる雰囲気は真に結構。提燈屋
に場面が移り、「へえへえ提燈屋」の件を省いたのは提燈屋のキャラクターを曖昧に
する。『長短』との重なりを避けたのかもしれないが、提燈屋の意地と若い衆のから
かいの対照、提燈屋の意地と隠居の無心のズレという可笑しさがちと弱まる。
★市馬師匠『花見の仇討』
三月上野下席昼主任の時よりかなり丁寧。稽古の跛面で力んだ辰さんの「声が出せね
え」、金さんの敵討の口上の暢気なリズム、上野の御山で煙草を喫いすぎて紫色に
なっている熊さんの様子などキャラクターの描き分けも意識されている。「最近は規
則も緩くなったから」と飛鳥山でなく上野を選ぶのも良い工夫。六部の留さんだけが
出番の少なさからキャラクターが曖昧になるのは、この噺につきまとう弱味かな。本
所の伯父さんは圓蔵師のネタ卸しがコミカルで可笑しかったが、あの演出は現代に伝
わっていないのが惜しい。今なら、本所の伯父さんのモデルには大声を出している際
の雲助師がピッタリだと思うが。本所のおじさん⇒御成街道での間違い⇒上野清水堂
脇の辺りは地のセリフが多くて説明っぽく、些か聞きダレがする。セリフからセリフ
のカットバックでテキパキと処理した方が効果的だと思う。侍二人のうち、酔ってい
る方は余り泥酔ではない設定。まともな方の侍は敵討応援に意気込む感じ、侍気質が
ちゃんと出でいて良い。半面、野次馬連中はもう少し無責任な能天気さが欲しい。敵
討を始めてから三人のテンションが下がる点は解消されていない。六部が出てこない
と「嘘から出た真」で、上野の御山で狂言敵討をしたとなるとマジにヤバい事になり
かねない、という了見が欲しいのである。
※目白の小さん師匠の『花見の仇討』には「キキキキッー!」と奇声を発する件が
あったが、あの演出は最近聞かないなァ。惜しい気がするね。
-------以上中席-------
◆4月21日 雲助蔵出しふたたび その十一(浅草三業会館)
志ん吉『金明竹』/雲助『景清』/雲助『人情噺火焔太鼓』//~仲入り~//雲助『五人廻し』
★雲助師匠『景清』
人情噺に近い演出と口調。御詠歌など本格だが、何よりも「お前さん、仕事をしてみ
ようという気にはならないかい」と言われた定次郎が「えッ」と短く吐露するひと言
で定次郎の辛さ、悲しさが出る所が凄い。その後の「仕事が手につかない」「縞目の
着物」は飽くまでも現実の紹介であって、気持ちは「えッ」で十分。目が明いてから
は仕種もセリフも泣かせに走らず、サラッと下げた。
★雲助師匠『人情噺火焔太鼓』
人情噺の口調でギャグなどはそのまんまだから、心情をわざと深刻に誇張した可笑し
さ、パロディの可笑しさになって爆笑。志ん生師が演じたという、シトシトした人情
噺風火焔太鼓とはおそらく演出は違っているだろう。志ん生師流のギャグを抜かない
と、そりゃ人情噺にはならない。
※先代馬生師がウロ覚えの噺を誤魔化すため、わざとクくク演じてた時の物凄い可笑
しさに似ている。
★雲助師匠『五人廻し』
稲荷町型がベースで、雲助師流に稍誇張された演出。廓の雰囲気を醸し出すというより、客五人のマンガ的な廓風俗スケッチが主体の構成。特に、通人の薄っ気味悪いシナシナした可笑しさや田舎者の馬鹿馬鹿しさが楽しい。江戸っ子の啖呵も、早さにかまけず内容重視で本格。何というか、全体のバランスが取れており、味わいが落語らしく脂濃くないのが一番優れている所だろう。
※高座を降りる後ろ姿が先代馬生師そっくりだったのにも驚いた。
◆4月21日 第19回三田落語会夜席 柳家権太楼・柳家喬太郎二人会(仏教伝統
会館ホール)
辰じん『ひと目上り』/権太楼『壷算』/喬太郎『禁酒番屋』//~仲入り~//喬太郎『粗忽長屋』/権太楼『百年目』
★権太楼師匠『壷算』
瓶を欲しかる男はボヤッとしてるんだけれど、買い物上手の兄貴分は瀬戸物屋相手に
普通に口を聞いている(騙そうとはしてるけど)。瀬戸物屋は途中からひたすらパニッ
クに陥ってしまう甚だ可笑しなキャラクター。「ボヤッ」と「パニック」と「まと
も」のトライアングルによる噺の進行具合が矢鱈と愉しい。
★権太楼師匠『百年目』(お囃子入り)
一席目のマクラを聞いていると、とても『百年目』を演じられる体調とは思えなかっ
たので驚く。数年前、お江戸日本橋亭での試演から比べると別作品のように手に入
り、「柳家権太楼の世界」になっている。冒頭、店先の番頭は男っぽく、かなりマジ
に怖い。しかし、幇間一八の「酒の席だと仏様みたいな表情なのに」というひと言が
利いて、番頭なりの立場と遊びへ向かう計略が感じられて、聞き手として私はホッと
した。船に乗ってからの番頭は芸者・女将・幇間に物凄く気を使うのが商人らしくて
面白く、「苦労人の遊びぶり」を感じさせる。この番頭の「典型的パシリ気質」、好
きだなァ。番頭の遊びを見て「お金持ちの遊びだなァ」と愉しそうに語る大旦那は、
大店の主らしさは余り感じさせないが、芸者の評する通り確かに「洒落た人」で、玄
伯との会話から雑俳の一つも嗜む洒脱な人柄が感じられる。その洒脱さがベースにあ
るので、終盤の番頭との遣り取りが明るさを失わないのは独特。「説教・説諭」とい
うより、愛情に似た信頼関係を感じさせる主従になっているのは、如何にも権太楼師
らしい世界である。大旦那が先に帳面調べや商売上の付き合いにおける切っ先、番頭
の小僧時代の話をして、「釈栴檀と南縁草」の話を後半に持って来るのも、商人倫理
や主従関係より、噺の軸が「人と人の出会い」「人が人に寄せる愛情」という「柳家
世界観」にあるのを感じる。独特の魅力ある『百年目』になったなァ。
★喬太郎師匠『禁酒番屋』
喉は絶不調。殆ど噺をいじらず、酒好きの侍の「番頭、お主も悪よのう」くらいしか
入れ事もない。番屋の侍の酒好きと(表情に出す部分もあるが、酒を呑む仕種の端々
にそれのよく分かる雰囲気がある)、酒屋連中の拙い功名心が相俟って噺が進む自然
さは面白い。噺の展開をあんまり段取りっぽく感じないのである。番屋の武士が声に
ドスを利かせても下品にならない良さ、酒屋連中の後先を考えない仕返しも明確に出
ていて、面白さは十分。
★喬太郎師匠『粗忽長屋』
喉の不調で短めの噺を選んだかと思ったら、後ろが『百年目』だった。これは見損
なって失礼m(__)m。「一人合点で他人の言う事に耳を貸さない男」と「何でも
受け入れちゃう男」の噺になっている。「他人の言う事に耳を貸さない男」はトント
ン運び、「何でも受け入れる男」は一度腹に落としてから改めて納得する、という人
物造型の丁寧さはこれまでと少し違った面白さを生みつつある。間で困惑する差配人
が野次馬に言う「面白いのは確かだけど」が実に良いアクセントになる。今までの割
と普通の『粗忽長屋』に比べて、喬太郎師と噺の一体感が強くなってきたのではある
まいか。
◆4月22日 宝塚歌劇団 月組・霧矢大夢 東京サヨナラ公演千秋楽◆
演目、『エドワード8世』『Misty Station』。この日を以て月組トップの霧矢大夢、
娘役トップの蒼乃夕妃が退団。
★公演自体はスムーズに進行。青樹泉がショーでソロの最後に「Thank Youタカラヅカ!」と
アドリヴを加えたくらい。
★サヨナラショーの内容は宝塚大劇場と同じだっけれど、少し時間は長かった。
組長の退団者紹介(組長がまた少し泣いた)からサヨナラショー、退団挨拶を入れて
2時間20分くらい。
★退団者挨拶では青樹泉が非常に抑えたロートーンだったのが印象的。トップ娘役・蒼乃夕紀は
大劇場の時より少し短めで泣かず。霧矢大夢は大劇場の活達な退団挨拶に比べると非常に
あちこちに気配りした優等生的な挨拶。
カーテンコールは4回か5回。3回目には先に客席がスタンディングして開けて、霧矢大夢が
「皆さん、準備出来てますね」でジャンプ。最後は霧矢が幕前に出て退団者全員を呼び出して挨拶。
★ 公演後、東京會舘にてフェアウェルパーティー。
◆4月23日 池袋演芸場昼席「春風亭一之輔真打昇進披露興行」
ぽっぽ『垂乳根』(交互出演)/才紫『黄金の大黒』(交互出演)/アサダⅡ世/玉の輔
『マキシム・ド・呑兵衛』(交互出演)/半七『教科書に賭ける情熱』(交互出演)/馬風
『理容師時代』(漫談)/小菊:踊・奴さん(踊は初めて見た。※一寸喉の調子が変
かな?)/一朝『壷算』//~仲入り~//一之輔真打昇進披露口上(金馬・馬風・一朝・
市馬・一之輔)/ロケット団/市馬『権助芝居』/正朝『手紙無筆(上)/金馬『東西の長
短』(さん喬代演)/正楽/一之輔『子は鎹』
★一之輔師匠『子は鎹』
今回の披露目で聞くのは末廣亭以来、二度目。淡彩な運びの中にかみさんの感情が
クールでなく出る点、亀の悲しみ、熊さんの孤独と馬鹿さ加減と揃って、演じ過ぎの
クドさや嫌な演出は無い。半面、親子三人の喜怒哀楽が最初から淡過ぎる印象もあ
る。演劇的にでなく、一度、落語の感情として喜怒哀楽をクッキリ、口調強く描いて
から腹に納めて表現を簡略化する過程が必要なんじゃないだろうか。今のままだと、
最初から水調子の義太夫みたいな印象で、年齢と共に淡くならず、薄く、硬くなりゃ
しない?という事を感じる。
★一朝師匠『壷算』
最近では珍しい演目。長めで、兄貴分の怒り方が少し強いが、瀬戸物屋の愛想良さが
次第に強ばって、混乱してパニックになる感情の変化が自然で、小さなリアクション
に見事な切れ味があり面白い。
★金馬師匠『東西の長短』
長さんが妙な雰囲気で笑ったり、フッとリアクションに間を取って短さんを焦らした
りする面白さ、端切れの話からサゲへ繋げる呼吸・演出の可笑しさ、共に巧いもんで
ある。
◆4月23日 日本生命Presents第4回The Woman‘s落語会by
白鳥(日本橋社会教育会館)
白鳥『トーク(というより番組紹介)』/粋歌『バリバリ女子大生』/ちよりん『長屋の花見オカミサン版』/白鳥『豊志賀ちゃん』//~仲間入り~//こみち『鉄砲のお熊』/ぼたん『地下鉄親子』
※この会に感じ続けている「違和感」の原因が分かった気がした。白鳥師が作り上げ
た「三遊亭白鳥は馬鹿馬鹿しく可笑しい噺家」というセルフイメージと直結する噺の
内容に対して、女性噺家さんたちのイメージが「マジ」過ぎるのだ。結果として、白
鳥師の馬っ鹿馬鹿しいギャグと演者がシンクロしにくいのではあるまいか。特に、噺
家さんとして年数を経てきたり、話術が巧くなると余計に「マジ」が先立ってしまう
ように感じた。これまでの回で、ちよりんさんが比較的、白鳥師の噺にフィットしや
すいのは、まだ巧くはないのと(失礼)、彼女に「お客の前で馬鹿になれる」要素が
あるからかもしれない。
※菊志ん師の『お直し』を聞いた時、「この演出ならば、歌る多師も出来るんじゃな
い?」と思わせられたとこがあった。そうした、「女という生物の生き方」を感じさ
せる感覚・視点の方が「女性噺家さんの演目」は広がるのではないか。
★白鳥師匠『豊志賀ちゃん』
ネタ卸しした頃は一時間あった噺を30分くらいで演じた。登場人物の名前のフィク
ション化が進み過ぎて可笑しさは低下している。
★こみちさん『鉄砲のお熊』
ストーリーを聞かせる、という意味では白鳥師改訂版『明烏』や、同じく『長屋の花
見オカミサン版』より似合う。これまでの白鳥師改訂演目における「鼻持ちならな
い」という欠点が殆ど出ない。半面、妙に良い噺になり過ぎるのは気になる。白鳥師
が演じた時、可笑しかったけれど、別に「良い噺だ」とは思わなかった。
★ぼたんさん『地下鉄親子』
こんな噺だったっけ?秋田県出身のオジサンがナマハゲみたいなゲームキャラクター
に扮する辺り、違和感が非常に強い。途中から「夢」という設定を無理矢理立ちあげ
ておいて、鉄子をその「仮想夢」の中で騙そうと、父親と仲間の大人連中が苦心惨憺
する方が良いのでは?
★粋歌さん『バリバリ女子大生』
余り違和感なく楽しめた。バリ在住のインチキバリ人がイマイチ。噺の構成として、
単なるインチキ物売りとの遣り取りだけでは尻切れトンボ感が残る。女性がバリ島を
はじめ、リゾート海外旅行に求める「ハーレクインロマンス的アバンチュール」の点
を加味した方が良いのでは?戯曲&映画の『シャーリー・バレンタイン』(日本では
草笛光子氏の演じた一人芝居が原作)的要素が欲しいと思う。
★ちよりんさん『長屋の花見オカミサン版』
酔って桃井かおり的な発言を始める長屋のかみさんが馬鹿に可笑しい。この工夫で、
こみちさんより遥かに噺が似合う事になった。
※この作品の場合、江戸時代、亭主共が伊勢詣や大山詣に出掛けて女郎買いをしま
くっている間、かみさんたちも結構間男をしたりしてた、という現実の要素が上手く
取り込めていないように思える。子供を大家のかみさんに預けて行くのも不自然では
あるまいか。近年、関東近県などで昼間のラブホテルが、子供連れでカラオケに興じ
る主婦たちで埋まっていた、というようなリアルさが感じられないのだ。また、如何
に貧乏長屋でも、眉を剃り、お歯黒をしていた江戸時代のかみさんたちが久し振りに
娘時代のような化粧で花見に出掛ける、といった「落語の最低限の風俗考証」がある
と、もっと面白くなると思う。上方の『貧乏花見』のかみさんたちの方が白鳥師の改
訂版より雰囲気がリアルなのである。
◆4月24日 池袋演芸場昼席「春風亭一之輔真打昇進披露興行」
半輔『子褒め』朝也『黄金の大黒』(交代出演)/才紫『垂乳根』(交互出演)/アサダⅡ世/玉の輔『宗論』(交互出演)/半七『京の茶漬』(交互出演)/馬風『ひばりメドレー』/ロケット団/一朝『看板のビン』//~仲入り~//一之輔真打昇進披露口上(馬風・さん喬・一朝・市馬・一之輔)/小菊/市馬『言祝りん廻し』/正朝『祇園祭』/さん喬『六銭小僧』/正楽/一之輔『青菜』
★一之輔師匠『青菜』
勢いで押す「動」だけの噺でなく、植木屋の帰り道から「たがめのかみさん」との遣
り取りに、頓珍漢なりの「静」が混じり、面白味が増した。酢味噌が好きな植木屋は
じめ、爆笑度では先代馬生師以来の『青菜』。
★さん喬師匠『六銭小僧』
出来は勿論だが、「座蒲団だろ?」「ううん、寝具」という志ん朝師のくすぐりを久し振りに聞いた。
★朝也さん『黄金の大黒』
一朝師匠のかな。良く似ていて面白い所もある半面、まだ全体に硬い。
★才紫さん『垂乳根』
雲助師に似た感じで明るく可笑しいが、セリフのメリハリを付け過ぎて、噺の運びが
間延びしがちなのは惜しい。
★半七師匠『京の茶漬』
坂東英二氏みたいな語り口に聞こえる。噺の皮肉さは似合うが、「皮肉なおかしさ」
というより「嫌味なおかしさ」に聞こえるのは個性か?わざわざ東京から京へ茶漬目
当てに行った男の東京言葉がおかしい。無理に改訂せず、大阪人(または神戸人)と
京都人の意地の張り合いで良いのではないか。
◆4月24日 上野鈴本演芸場夜席「馬石長講一席申し上げます」
白酒『だくだく』/喜多八『おすわどん』/ベペ桜井彦いち『熱血怪談部』/雲助『辰巳の辻占』//~仲入り~//ロケット団/アサダⅡ世/馬石『柳田格之進』
★馬石師匠『柳田格之進』
ドラマ演技っぽいけれど、前後の世代では、セリフ面での安定した巧さに関して変わ
りがない。無言の間の使い方は雲助師譲り。一寸したセリフで場面の雰囲気を出すの
もやはり上手い。半面、座った柳田の手の位置が前過ぎて(指が人より長いの
か?)、背中も丸くなり侍らしさを損ない、また雰囲気が年寄りくさくなるのは二枚
目芸なのに勿体無い。番頭との遣り取りで柳田が念を押す際に息を詰め過ぎて調子が
下がり、怪談噺の口調になったのはケアレスミス。柳田は生真面目で硬いが暗い人で
はないから、怪談噺になっちゃおかしい。五十両の掛合いで柳田に「源兵衛殿も御承
知か?」と問われた番頭が「ハイ」と答えたので、「ここで嘘をついちゃまずかろ
う」と思ったが、湯島の料亭での邂逅場面で番頭が「あれは主人の知らぬ事、この場
で私だけをお手討ちに」と答えたので「嘘はこの場のための伏線か」と納得は行っ
た。但し、この演出は噺が作為に流れ過ぎる。番頭を無理矢理「良い人」、噺を無理
矢理「良い噺」にする必要はない。寧ろ、この演出ならば、娘に「自分を吉原に売っ
て欲しい」と言われた直後の柳田に、『近江源氏先陣館・盛綱陣屋』の「思案の扇、
からりと捨て」に近い腹が要るのではないだろうか(侍の腹を知りたいのなら、杉山
茂丸著の『浄瑠璃素人講釈』の一読を勧める)。また、五十両紛失直後、源兵衛と番
頭が「離れを隈無く探した」というセリフも、煤払いで出てくるのだから「隈無く」
が余計だ。まだ、噺のあちこちを足したり引いたりしている段階だと思うが、些末に
拘るのは如何にも若さを感じる。柳田親娘のキャラクターや感情の動き(感情の動き
は、まだストーリーに支配されているとこが多い。噺は感情の動きからストーリーが
立ち上がってこなきゃ)、自分なりの「軸」を考えるべきではないだろうか。
★喜多八師匠『おすわどん』
久し振りに聞く演目。剣客・郡山剛蔵も可笑しいが、驚いてアタフタしてるそば屋の
表情が馬鹿げて可笑しい。そば屋の表情によってストーリーが転がるのである。
◆4月25日 池袋演芸場昼席「春風亭一之輔真打昇進披露興行」
一力『垂乳根』一左『牛褒め』(交代出演)/半七『湯河原小便』(『有馬小便』の改訂
版。交互出演)/アサダⅡ世/金兵衛『初天神・飴~団子』(交互出演)/圓太郎『権助芝
居』(交互出演)/馬風『内弟子時代』/小菊:踊・奴さん/一朝『幇間腹』//~仲入り
~//一之輔真打昇進披露口上(馬風・さん喬・一朝・市馬・一之輔)/ホンキートンク
(ロケット団代演)/市馬『南瓜屋』/正朝『蔵前駕篭』/さん喬『そば清』/正楽/一之輔『短命』
★一之輔師匠『短命』
『青菜』に続く「凄い夫婦噺」だが、一之輔師の場合は『千早振る』の艶笑疑問版に
『町内の若い衆』が繋がると、こういうイメージになる、という印象。隠居と八五郎
の遣り取りで間が空く等、「話術」の点は色々気になるが、ギャグは可笑しい。隠居
が職人声で怒り出すのは無しにして欲しい。
★市馬師匠『南瓜屋』
与太郎が「売る奴が利口で買う奴が馬鹿」という前にニヤッと笑うのが馬鹿に可笑し
く愉しい。半面、市馬師の与太郎は普段の表情が意外と無表情に近く陰気なんだ、と
いうマイナス面も感じた。間抜けな表情は見事なのだが、そこ以外の表情は「患った
馬」みたいになりやすい。目白の小さん師匠の「長い顔の市馬師と正反対の真ん丸顔
で表情が陽気では、変に目立ち過ぎるので、わざとボソボソ喋る雰囲気」や(小さん
師の与太郎の目は喜怒哀楽をよく表現していた)、川崎の柳好師の「ノベーッとした
独特の雰囲気の与太郎」を、余り自分の柄にフィットさせきらずに、演じてきている
のではあるまいか?特に、目白の小さん師はボソボソと喋っていたけれど絶対に暗い
芸てばなかった(先代小さん師や彦六師を「暗い」とする間違った評価がいまだに横
行するのはおかしい。目白に陰気さは無かったし、稲荷町も硬い芸だったけれど、暗
くはなかった)。市馬師の持ち味なら、与太郎はもっと明るく晴れ晴れとした方が、
一層素晴らしくなるのではあるまいか。
★金兵衛さん『初天神』
団子屋が親父にどやされて驚くリアクション。「餡団子を作るな!」と団子屋を指差
す金、いずれも非常に可笑しい。飴屋が算盤を取り出す際に扇子を一度後ろに隠して
少し拡げる細かさ、親父が白くなった団子の串を背中に隠して蜜壷を狙う可笑しさと
細部に色々工夫がある。聞いていると花緑師に似て聞こえるが、花緑師より可笑しく
て上手いと私は思う。
★馬風師匠『内弟子時代』
内弟子時代、目白の師匠宅で金が度々無くなった事件が起きて、その犯人に馬風師
が間違われたエピソードを高座で聞くのは珍しい。黒門町の浴衣を大掃除の時に一人
だけ貰った、という話も高座で聞いた事はあるかな?
※「爆笑派」はいないが、出演真打はみんな「腕達者」&「寄席名人」揃いで、その
上、誰も気を抜かない。これだけ寄席落語としてレベルの高い高座が続くと、トリの
一之輔師が敵わなく見えるのも仕方あるまい。
◆4月25日 上野鈴本演芸場夜席「馬石長講一席申し上げます」
志ん八(交互出演)『秘密の隠れ家』/和楽社中/白酒『短命』/琴調『芝居の喧嘩』(交代出演)/ホンキートンク(ロケット団代演)/彦いち『キレる』/雲助『禁酒番屋』//~仲入り~//ペペ桜井/アサダⅡ世/馬石『唐茄子屋』
★馬石師匠『唐茄子屋』
勿論、雲助師型ではあるが、語り口が柔らかいので前半の雰囲気は今なら一朝師に近
い。つまり、飽くまでも「落語ってぽい」のである。序盤では勘当される若旦那が生
意気なのが「らしく」て良い。伯父さんが外から帰って、伯母さんに掛けたひと声で
暑さを感じさせたのには驚いた。伯父さんが徳の身投げを止める場面、徳が唐茄子の
重さにこける場面など、仕種に関しては前半特に素晴らしく、表現レベルが高い。江
戸っ子が徳を助けてくれる件で唐茄子を拾い集め乍ら、その視線の動きの中で知り合
いに目を留めた見事さにも舌を巻いた。年齢的に巧過ぎるくらいだ。半面、工夫して
加えたセリフ、例えば徳が江戸っ子を見送って言う「こんなに頭が下げられるんだ」
等は些か心情説明過乗の気味が強い。徳が如何にもひ弱な二枚目なのはピッタリ。人
間的にも稍甘く感じられるのが魅力の一つでもある。吉原田圃で語られる花魁が妙に
可愛いのも、そうした徳の了見のうちだろう。伯父さんと伯母さんのキャラクターも
情があって良いが、一つ、飛び抜けた人物造型、人物との心情面の一体感がまだない
のは仕方ない。誓願寺店の貧しいかみさんも美人風で似合うが、綺麗事に傾く点もあ
り、哀れに乏しい。この辺りになると、雲助師の「情」に「冷徹な観察」を加えるシ
ビアな表現力の生み出す哀しみには遠く及ばなくなる。とはいえ、子供に口をきかせ
ないのは泣かせに傾かない一つの手段として悪くない。また、大家に銭を取られる件
を入れないのは、描写の重複や無駄を嫌う志ん生師⇒先代馬生師直系らしい。但し、
裏腹に帰ってからの徳は状況を説明しすぎる、という裏腹さもある。徳の帰りを伯父
さんが首を伸ばして待つ場面で、背景に江戸の夕映えを描き出すのは雲助師独自の傑
作演出だが、ここはまだ荷が重い。それを感じてか伯父さんが喋りすぎる。「誓願寺
で銭をかみさんにやった」という徳の物語を受けて伯父さんが「金さえやりゃあと思
うのはまだ仕方ないが」と語るのも少し言葉に頼りすぎ。誓願寺店の婆の喋りは似合
う。大家の前で徳が口がきけないほど高ぶっているのも雰囲気が出た。全体に、50
歳以下の世代では「情」のある『唐茄子屋』である点、生志師、正蔵師に次ぐ出来栄
えだと私は思う(「情」の無い『唐茄子屋』なんて、演目として意味はあるのか?と
も言えるけれど)。
★白酒師匠『短命』
一之輔師の主任での『短命』を聞いた直後だけに、白酒師の桁違いの巧さが際立った。人物造型力が丸っきり違う(そりゃ、まだ当たり前だ)。
★雲助師匠『禁酒番屋』
普通の目白系演出だが、侍の武張った表情の丁寧さ、面白さ等は流石。小便の件での
「手前、毎度お先でいたみいる」が可笑しいのも、隣にいる勤番侍への御辞儀が深く
丁寧だからである。「全体を演劇にはせず、部分的に新劇的リアリズムを取り入れ、
落語にふさわしい心情や風景を描く一翼を担わせる」という、雲助師ならではの演出
方・演技方の良い一例だろう。
◆4月26日 池袋演芸場昼席「春風亭一之輔真打昇進披露興行」
朝呂久『出来心』ぴっかり『動物園』(交代出演)/金兵衛『牛褒め』(交互出演)/アサ
ダⅡ世/圓太郎『浮世床・講釈本』(交互出演)/勢朝『噺家親子』(交互出演)/馬風
『親子酒』/小菊/一朝『巌流島』//~仲入り~//一之輔真打昇進披露口上(馬風・さ
ん喬・一朝・市馬・一之輔)/ロケット団代演)/市馬『高砂や(上)』/正朝『町内の若
い衆』/さん喬『初天神(上)』/正楽/一之輔『百川』
★一之輔師匠『百川』
全体のテンポが末廣亭で演じた時より良く、河岸の若い衆のヒラヒラした感じも出て
いる。百兵衛をもう少し噺中の位置的に「陰」にしても良いのでは?鴨池先生が「隠
し立てをして手遅れになるといかん」と言ったのを受けて若い衆が「“手遅れ”?聞
いたような言葉だ」と言ったのと、百兵衛が浮世小路で「カァカァ」言うと「カラス
が集まってきた!」と煙草屋かなんかの男が驚くのには笑った笑った。
★馬風師匠『親子酒』
短くテキパキと無駄がない目白型の王道。「褒められた」と言って倅がニマニマッと
笑うのは、最近忘れられている演出だ。
★一朝師匠『巌流島』
老武士の良さは勿論だが、乗り合いの江戸っ子たちの能天気なリアクションの素晴らしさと可笑しさに唸る。
◆4月26日 上野鈴本演芸場夜席「馬石長講一席申し上げます」
志ん吉(交互出演)『権助芝居』/和楽社中/白酒『萬病圓』/琴調『度々平住込み』(交
代出演)/ゆめじうたじ(ロケット団代演)/彦いち『熱血怪談部』/雲助『千早振る』//
~仲入り~//ペペ桜井/アサダⅡ世/馬石『船徳~お初徳兵衛』
★馬石師匠『船徳~お初徳兵衛』
『お初徳兵衛』単体では「長講」と呼ぶには少し短いので『船徳』の部分、船頭たち
のしくじり話と一人客を猪牙に乗せて竹屋の桟橋に向かう騒動を加えたようだ。石垣
にへばりついた船を川へ出そうと客が石垣を手で送る仕種が抜群に可笑しい。前後の
徳兵衛の勘当と一人船頭一人芸者は雲助師の演出のままだが、芸風が先代馬生師に近
いので、徳兵衛は如何にも若旦那上がりのやさな二枚目だし、お初も可愛らしい。膝
に手をキチンと揃えて置いたまま、優しく哀れな告白するお初のいじらしさは単に芸
者というより、『婦系図』のお蔦のようで雲助師とは全く雰囲気が違う(馬石師の描
く女は綺麗で優しい)。徳兵衛に「後生・・」とすがる恋の色香と切なさは先代馬生
師を彷彿とさせる良さがあった。雲助師が文学座なら、馬石師は新派っぽく、それが
江戸前の古風な人情噺、人情本の世界を現出させる。この味わいは50歳以下の世代
では今のところ唯一だろう。黙阿弥でなく、如皐や鏡花の世界に近い。半面、客の油
屋や船宿の親方になると、義太夫・南北・黙阿弥の世界の人物を現出させる雲助師の
ような存在感はまだない。とはいえ、圓朝以前の「江戸情話」の語り手を継承しうる
一席。
★雲助師匠『千早振る』
稍クサめにキャラクター付けをされた兄貴分の大袈裟な口調、八五郎との遣り取りの
途中途中で「龍田川の意味」「豆腐屋という商売」等を思い付くのに、わざと間を取
るのが矢鱈と可笑しい。志ん生師⇒先代馬生師系ならではの「クサいけど、馬鹿馬鹿
しさでクサさが鼻に付かない可笑しさ」の典型。
◆4月27日 第35回特撰落語会「柳家さん喬の前座噺と蔵出しの会」(江戸深川
資料館小劇場)
さん喬『小町』/さん喬『牛褒め』/さん喬『高砂や』/さん喬『魂の入替え』//~仲入り~//さん喬『蟇の油』/丸山おさむ/さん喬『鴻池の犬』
※「出来る力のある師匠に、可能な限りの依頼をした企画力」(瀧口雅仁氏)も偉
いけれど、それに応えたさん喬師匠の凄さに圧倒されてしまった。圓生師匠でも、こ
んな事出来るかな?
※「四代目小さん師匠は寄席で開く独演会だと、前座さんも頼まず、一人で七席く
らい平気で演っていた」という実地体験談を五代目小さん師匠が語せれていたそうで
ある。それの再現とも言える。圓生師匠が書かれた金沢一九での二代目三木助師匠
だったか、三代目圓馬師匠の独演会も演目数は四席だったと思うが、前座噺から始
まってトリネタまでとなっていた。近年の「二席で二時間」という独演会はマクラだ
け長くなる気味があるから歓迎しにくい。さん喬師匠も独演会は大抵三席であるし、
白酒師匠や三三師匠が自分の会だと三席というのも、それが真っ当と考えるべきだろ
う。三席くらいで色が変わらなくなってしまうようでは「真打」として困るでしょ
う。
★さん喬師匠『小町』
八五郎と隠居の関係が明確で(最初に八五郎が三声、声を掛けて隠居が出てくるまで
の距離感は御手本)、目白の小さん師だと敢えてボソボソ喋る所が、前座時代そのま
まなので、噺全体が明るい。
★さん喬師匠『牛褒め』
伯父さんは与太郎が可愛くて仕方ないのが歴々と現れているのが嬉しい。与太郎の喜
怒哀楽の変化にも段取りが全くなくて見事。与太郎が伯父さんの家の襖を傍若無人に
開けまくる動きの可笑しさは喬太郎師の『にゅう』を思い出した。やっぱり、元はさ
ん喬師か!?
★さん喬師匠『高砂や』
物凄く丁寧な目白の小さん師型演出。隠居と八五郎の人物造型が真に的確で落語らし
い。「祝儀を食らわそう」とウキウキして婚礼の場に来ている八五郎が、「親類一同
不調法で」と言われてウキウキ感から急転直下、困り果てる表情が物凄く可笑しい。
こんなに可笑しいのに全然演じない噺があるのがまた凄い。
★さん喬師匠『魂の入替え』
魂の動きのフワフワした可笑しさ、先生と頭の描き分けの見事さに驚く。魂を拾った
香具師がグルグル道に迷う件の怪異感を挟んで中ダルミさせず、サゲの「井戸の中で
魂がドンブクブク、ドンドンブクブク…こんな噺なんですが?」まで見事に構成され
ている。
★さん喬師匠『蟇の油』
何と、高座の上で襷を掛けて蟇の油の口上を演じ、酔ってからの口上では襷を掛け損
なって首に巻く、という大外連をしながら、口上の鮮やかさ、刀の使い方の見事さ、
酔態の可笑しさで外連味を吹っ飛ばす面白さがある。それでいて腕に斬り込む場面は
マンガに留める程の良さにも感心。
★さん喬師匠『鴻池の犬』
映画『スケアクロウ』を思い出させるロードムービー版。枝雀師の『鴻池の犬』では
「虐げられる者の孤独」に泣かされたものだが、さん喬師はそこまでの涙にはならな
い構成。兄弟のブチが大八車に跳ねられる件から、シロが大阪へ向かい、伊勢詣の
「お蔭犬」と連れになって旅をする。無駄な描写をせず、「トットコトコトコ」とい
う足音だけが胸に響く(『柳田格之進』の「ピシリヒシリ」という碁石を打つ音と同
じ効果がある)。桑名でお蔭犬と分かれる悲しみを経て、兄のクロと出会うまでをド
ラマ化している訳だが(丁寧に演じると物凄い長さになりかねないのを巧くまとめて
ある)、シロの孤独に胸を締め付けられるものの、最後に「兄犬クロと再会する」と
いう救いがあるから、ホッとするし、再会場面では泣かせないからモタレない。人情
噺と落語の中間というか、最後は馬っ鹿馬鹿しい落語として聞き終われる構成なので
ある。上方原典の『盲景清』で後半に展開する「それまでの悲劇を笑い飛ばす荒唐無
稽さ」の感覚を東京流に翻案するとこうなるかな?という印象。勿論、まだまだこの
噺はさん喬師の中で進化して行く過程にあると思うが。
◆4月28日 前進座劇場プロデュース 寄席≪噺を楽しむ≫その五十三「さん喬
喬太郎 親子会」昼の部(前進座劇場)
さん坊『六銭小僧』/小んぶ『禁酒番屋』/喬太郎『猫久』/さん喬『寝床』//~仲入り~//さん喬『短命』/喬太郎『ハワイの雪』
★さん喬師匠『寝床』
冒頭の旦那の酷い稽古ぶりと、義太夫の間に挟まって繰り返される「茂蔵が帰ったら
知らせておくれ」から、我が儘なのに可愛い旦那の性格が無茶苦茶愉しい。半面、三
田落語会の時に比べると終盤稍端折り気味になってテンションが下がったのは、流石
に昨日からの疲れだろうか。とはいえ、番頭の「芸惜しみ」や頭の言い訳の混乱は相
変わらず独特で可笑しい。
★さん喬師匠『短命』
ヒザの演目として(かなり押していたし)至ってサラッと演じているのに、噺にコクがあるのには感心した。
★喬太郎師匠『猫久』
ほぼ鈴本演芸場での快演の出来をキープ。後ろでヒィヒィ笑ってた女性がいたが、侍
との遣り取りから『千早振る』『天災』となんら変わらない、落語らしい可笑しさが
溢れている。特に、侍の言ってる事は全くちんぷんかんぷんなのに分かったふりをし
て、不安気な笑顔で「ヘェ」と頭を下げる八五郎や(仕種が目白の小さん師に似てる
なァ)、八五郎の言ってることに真に適当な相槌を打ってるだけのかみさん、二人の
リアクションが抜群。侍の武張り方も違和感なし。喬太郎師匠の手によって、『猫
久』は目白の小さん師匠の呪縛を解き放たれ、「可笑しい落語」として完全に甦った
といえるのではないだろうか。
★喬太郎師匠『ハワイの雪』
結構久し振りに聞いたかな。照明など使わないので「情のクドさ」は感じない。で
も、私にはこの噺の「如何にも良い噺」ってとこに毎回些かテレる。
★小んぶさん『禁酒番屋』
工夫もあり、面白い所がある。番屋の侍が些か若いのと、酔い方が粗っぽい。
※番屋の二人目の侍をもう少し活かす工夫を誰かしないかな。完全に「二人目」っ
てだけなのは勿体ない。
◆4月28日 前進座劇場プロデュース 寄席≪噺を楽しむ≫その五十三「さん喬
喬太郎 親子会」夜の部(前進座劇場)
さん坊『子褒め』/小んぶ『肥瓶』/さん喬『湯屋番』/喬太郎『宮戸川』//~仲入り~//喬太郎『極道版つる』/さん喬『百年目』
★さん喬師匠『湯屋番』
雲光院での正蔵師匠との二人会で演じたのが非常にハネていて面白かったと仄聞して
いた。前半テンションを上げようとしたが、やはり昨日からの疲れからか、リズムが
テンションに即した速さにならず、間延び気味だった。しかし、番台の若旦那の妄想
からはテンションとリズムが揃って、はちゃめちゃな若旦那と冷静な銭湯の客たちの
対照が非常に可笑しかった。
※三三師の最近の『湯屋番』は、今夜のさん喬師と似ている。
★さん喬師匠『百年目』
二年前に池袋演芸場夜席の主任で聞いて以来。まだ、さん喬師流の「柳派人情噺系落
語」としての展開にブレがある(セリフや流れを意図的に定めていないように感じ
る)。権太楼師とセリフなどが前半は良く似ているし、悪夢をカットしてあるのも同
じ。勿論、方向性は全く違う。雰囲気としては、普通の演出のように番頭が主人公の
噺ではなく、大旦那が主人公、つまり「育てる側の噺」「最終的に決断を下し、責任
を取る人の噺」という意識を感じる。「悪夢」が無いのも権太楼師の「番頭が可哀想
過ぎる」省き方とは違い、サブキャラクターの番頭にそこまでの展開は必要ない、と
いう構成ではあるまいか。ラスト直前で番頭は号泣するが、大旦那は大泣きしないの
も、番頭がサブキャラクターだからのように私は感じた。逆に言うと、「孫の太鼓が
あるから」が残っているのは「泣かせた人情噺から、もう一度、落語に戻してサゲ
る」からではあるまいか(この辺り、最近のさん喬師の噺には上方落語の影響を感じ
る)。大旦那に倅がいて「まだ一人前でない」と番頭に「あと一年、勤めてくれ。そ
したら、暖簾分けするから」というのも「大旦那の噺なればこそ」と感じるのだ(若
旦那に関しては生志師の「上方に商売の修行に行っている倅が戻ってくるまで、番頭
として頑張って欲しい」が過去に聞いた中では一番納得感があった)。今はまだ、以
前からある「(灸が)熱いと泣いたんだよ」の繰り返しが大旦那の思いを担っている
が、このセリフが無くなるか、一度に止まり、「大旦那の心象が噺の展開の中から感
じられる世界」となるまでには些か時間が必要だろう(米朝師、圓生師、小南師のよ
うに世界を固めない心算かもしれない。その分、間延びもしており、「悪夢」無しで
50分ある)。
※私は圓生師の『百年目』で大旦那がメソメソ泣くのを聞いて、「この大旦那は責任
者・上司としてあてにならない」と感じた。『百年目』の大旦那はメソメソ泣くよう
な人ではないと思う。小南師がマクラで「奉公の辛さ」と「馘首になった手代・番頭
の末路」を語ってから演じた『百年目』なら、大旦那が泣くのも納得出来たものであ
る。
※二日間で十二席演じて(寄席ニ席・独演会六席・本日四席)真打披露口上にも出
た、というさん喬師匠の芸体力には驚く。
★喬太郎師匠『宮戸川』
些か簡略型で前後編で30分ほど。雷と雨が『湯屋番』とベタ付き。正覚坊の亀のド
スが一番。芝居掛かりは巧いが、簡略型な事もあり、雲助師演出に比べると猪牙舟中
の半七の演出が粗いのを感じた。
★喬太郎師匠『極道版つる』
馬鹿な三下の激しいリアルさと中尾彬氏の悪役みたいな親分の対比は相変わらず物凄
く可笑しい。「左龍会中村組」のセンスにも笑った。確かに組織の名称としてピッタ
リだもん。
◆4月29日 池袋演芸場昼席「春風亭一之輔真打昇進披露興行」
半輔『のめる』一左『垂乳根』(交代出演)/才紫『黄金の大黒』(交互出演)/アサダⅡ
世/圓太郎『六銭小僧』(交互出演)/勢朝『池田屋(殆ど漫談)』(交互出演)/馬風『御
挨拶』/仙三郎社中(小菊代演)/一朝『芝居の喧嘩』//~仲入り~//一之輔真打昇進披
露口上(馬風・さん喬・一朝・喬太郎・一之輔)/ロケット団/喬太郎(市馬代演)『疑宝
珠』/正朝『ぽんこん』/さん喬『締込み』/正楽/一之輔『悪魔の茶の湯』
★一之輔師匠『悪魔の茶の湯』(笑)
この噺は「当分これでいい」と感じた。パロディ系ギャグ落語っぽいけれど、巧い下
手と関係なく、中盤以降の尊師じみる隠居と一之輔師が違和感のない噺になっている
のは持ち味であり、魅力でもある(故・文朝師匠の“ナンセンスだけど落語”に近い
ものを感じる)。一之輔師の意識とは恐らく関係なく、隠居の変化するキャラが「現
代日本」のシニカルな批評に見えちゃうのは、今の日本の現実の方が変なんだから仕
方ない。同様に、落語史上初めて明確に語られる「定吉の人格崩壊」(笑)も可笑し
い。前回聞いた時とは意見を変え、長屋の三人の件は「人をもてなす快感に隠居が目
覚めるフック」にして、拉致・監禁されて茶を呑まされる男と、酷い目に遇う蔵前時
代の友達の件を膨らます方が『悪魔の茶の湯』(こんな題名を勝手に付けて申し訳な
い)には相応しい。元々、「琴は弾じる、調べるというんだ」と知っている隠居が
「抹茶」を知らないという、嘘八百の無理を通してきた噺だから、思い切った維新・
改革も認めたくなる。「手塚治虫もいりゃあ赤塚不二夫もいたから、マンガは古典化
しなかった」みたいなものだ。
◆4月29日 セゾン・ド・白酒 春の巻(成城ホール)
おじさん『垂乳根』/白酒『四段目』/白酒『今戸の狐』//~仲間入り~//白酒『抜け雀』
★白酒師匠『今戸の狐』
随分長く「きつね」や「ワリ制度」の説明をしていた。寄席でもこのネタでこんなに
説明していた記憶は無い。稍、このマクラは鬱陶しかった。しかし、本題に入ると、
良助と小塚原の女郎上りのおおみさんの遣り取りは平板乍ら、中盤以降、仲間の前座
と三下の言葉の勘違い、良助と三下の勘違い、それぞれが非常に面白い。後半は言葉
の勘違いで進展する噺だから、受けはするが、言葉を間違えたり、リズムが狂うとオ
ジャンになる。そこの按配・構成が優れているのは白酒師ならでは(この噺を持ちネ
タにされている或る師匠が「お客さんよりも、演じてる噺家の方が楽しい噺かもしれ
ないね」と仰有っていたが、気の張る噺だろうな)。三下の強請まがいも落語の程に
止まり、間抜けな造型で可笑しい。初代可楽の貫禄は十分。女郎上りのおかみさんの
色気も随分と良化してきた。
※幇間を「狸」、女郎を「狐」と俗称すると振っておいて、サゲは「俺が言ってるの
は泥の狐じゃねえ、コツの狐だ」「それなら前のおかみさんです」でも良いのでは?
「コツの賽」がどうも言葉として浮くのである。
★白酒師匠『四段目』
定吉のキャラクターは抜群に可笑しい。枝雀師のように、「奉公する身の情」を加味
しないで、スパッと割り切った「小僧ネタ」にしてあるのが落語としては快いのであ
る。芝居掛かりのセリフは相変わらず高麗屋に似ているなァと感じる。特に歌舞伎だ
と金属質の発声に聞こえるとこ。
★白酒師匠『抜け雀』
寄席主任サイズで本題は30分だけれど、細かく言葉の出し入れを試していたのか、
この演目では珍しく二度ほど言葉が行き戻りした。宿屋夫婦の遣り取りから浮かび上
がる「割れ鍋・閉じ蓋的関係」は「志ん生直系」の本道であり、白酒師の演目でいえ
ば『火焔太鼓』に匹敵する面白さ。周囲が宿屋主を完全に「駄目な子供扱い」をして
いる可笑しさも独特の魅力である。
◆4月30日 池袋演芸場昼席「春風亭一之輔真打昇進披露興行」定席興行大千穐楽
朝呂久『ひと目上り』/朝也『垂乳根』(交代出演)/金兵衛『権助芝居』(交互出演)/
アサダⅡ世/圓太郎『野晒し(上)』(交互出演)/勢朝『彦六の御血脈』(交互出演)/馬
風『漫談』小菊代演一朝『祇園祭』//~仲入り~//一之輔真打昇進披露口上(馬風・
小三治・さん喬・一朝・市馬・一之輔)/ロケット団/小三治『一之輔を宜しく』(代
演じゃなくて特別
出演になるのかな?)/市馬『蟇の油』/さん喬『そば清』/正楽/一之輔『粗忽の釘』
★一之輔師匠『粗忽の釘』
上野の披露興行初日を『粗忽の釘』で明け、池袋の定席大楽を『粗忽の釘』で打ち上
げた。真打昇進を機に出囃子を大師匠である先代柳朝師の『さつま』に変えた一之輔
師匠が、先代柳朝師匠十八番の『粗忽の釘』を晴れの高座で演じる。これは噺家さん
に相応しい「無言の追善」とも思えてならない。一朝師匠はどんなに嬉しかった事だ
ろうか。そして、良き弟子、良き孫弟子を持たれた先代柳朝師匠が今更に羨ましくな
る。「日本の芸事」の根幹の一つには「鎮魂」のある事を改めて思わされた夜だった
(アナトール・フランスの『聖母の道化師』を考えれば、西洋の芸事も元来は神事か
ら始まっている訳である)。そんな一之輔師匠を私は「古風」とは思わない。「了見
が真っ当」だと思う。
さて、本日の高座だが、白酒師の『抜け雀』の宿主に似て、主人公がかみさんに惚れ
てるとこが「夫婦噺」としても愉しい。また、主人公の喜怒哀楽が粗忽なりにハッキ
リしている所に「変とまとも」が交錯しており、それが古今亭系の甚兵衛さんとも違
う可笑しさを生んでいる。加えれば、端の人間は主人公の粗忽に振り回されても、か
みさんは面白がってる、という落語らしい能天気な夫婦関係が、無理なく爆笑出来る
由縁だろうか。
★さん喬師『そば清』
今日の出演者は定席大千穐楽の高揚感か、はたまた小三治師出演に緊張したのか、普
段のペースを乱していたが(一朝師の『祇園祭』でさえリズムが一寸狂ったのには驚
いた)、一之輔師とさん喬師、馬風師は全く動じなかった。さん喬師はいつも通りの
見事に演出された『そば清』で文句なく愉しい。
★圓太郎師匠『野晒し(上)』
古今亭系の演出で、少しクサい所もあるが、小朝師譲りの妙に可愛いとこが主人公
に出でいるのでクサ味も薄まり、物凄く可笑しい。主人公が「女目当て」で釣に来て
いる、という熱烈な間抜けさが明確なのである。
◆4月30日 上野鈴本演芸場夜席「馬石長講一席申し上げます」千種裏
志ん吉(交互出演)『間抜け泥』/和楽社中/白酒『つる』/喜多八『竹の子』(交代出演)/ロケット団代演)/彦いち『キレる』/雲助『代書屋』//~仲入り~//ペペ桜井/アサダⅡ世/馬石『双蝶々~雪の子別れ』
★馬石師匠『双蝶々~雪の子別れ』
「五街道四門リレー双蝶々」で演じた時から、僅かな間に随分と線が太くなったの
で驚いた。長吉は二枚目に「色悪」的なドスが加わり、それでいて長兵衛に対する親
子の情もある。特に、「悪党なのに優しい」という人間的な弱みの醸し出す魅力は先
代馬生師を彷彿とさせてくれた。序盤から中盤へ掛けて、一瞬、圓生師的な「芝居風
のメリハリの付け方だけが達者になったか?」と不安を感じた部分もあるが、後半、
それを払拭する「情味」や「悪心のある若者が権九郎に肩を押されて悪党になったの
であって、根は悪心止まりの心根の持ち主」という印象を受けたのは心強い(その点
では『小雀長吉』の題名の方が馬石師には相応しい)。尤も「里心が付くようでは悪
党も末」という所までは描けていない。長兵衛も「親爺役」の線の太さが出てきたの
に感心した。但し、金を突き返されて立ち去ろうとする長吉に叫ぶ「長吉!」の声に
「情」の手強さがもっと欲しいのは事実。長兵衛の叫びを受けて長吉が「欧州路で5
0人の子分がいる」という告白を、省いたのか、抜けちゃったのか、言わなかったの
は不思議。あのセリフがないと長兵衛の「命懸けで会いに来てくれた」が活きなくな
る。
※「長吉と長兵衛で『双蝶々』」と言ったのも何かの勘違いだろう。
※秋に、今度は馬石師と龍玉師で『双蝶々』をリレーする企画があると、知り合いの
方から伺って楽しみが増した。
石井徹也(落語”道落者”)
投稿者 落語 : 2012年05月20日 22:02