« 石井徹也の「らくご聴いたまま」 2012年三月上席号 | メイン | 本日の文化放送は落語三昧! »
2012年03月23日
石井徹也の「らくご聴いたまま」 2012年3月中席号
3.11の大震災から一年。まだまだ復興には遠い状況ですが、今年の三月は、一応(一年前にくらべれば)平穏に近いものだと言えるでしょう。当たり前のように落語や寄席を楽しめることに感謝しなくてはなりません。
さて、今回はおなじみ石井徹也さんによる、ごく私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2012年3月中席号をお送りします。3月20日には有楽町よみうりホールで「文化放送開局60周年記念落語会」も開催されました。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、渾身のレポートをどうぞ!
------------------------------------------------------
◆3月11日 立川生志独演会第20回「生志のにぎわい日和」(にぎわい座芸能ホール)
生志『明烏』//~仲間入り~//サブリミット/生志『柳田格之進』
★生志師匠『明烏』
ほぼ、家元の昭和50年代型演出だが、冒頭に地口行燈の件が入るのは先代馬生師や
盲の小せん師同様(家元は演ってたっけ?)。時次郎が遣手に連れ去られようとした
時、「あなた方、今、ほかにするべき事があるでしょう」と、座敷にいるみんなに向
かって言うくらいで、新工夫や新しいギャグは少ないが、至極まともに演じて落語ら
しく、源兵衛・太助の愛すべき町内の札付きぶり、時次郎の硬野暮ぶりはちゃんと出
ている。これから、それぞれのキャラクターに生志師の味がどう出てくるのか楽し
み。
★生志師匠『柳田格之進』
ネタ卸し。当人の言いだした願いに従い、「離縁」した娘を吉原に売って柳田は金を
作る。帰参が叶って後、娘を身請けに行くものの、娘は「自分は柳田の家とはもう無
縁の者」と面会を拒絶。翌日、再び柳田が会いに行くと、既に娘は喉を突いて自害し
ていた、という展開。また、萬屋主従を許した後、娘の最後を告げて永久に(そうで
なくてはなるまい)萬屋を立ち去ろうとする柳田の姿に、萬屋が「お待ち下さい」と
袖に縋ると、「萬兵衛殿、決めたではないか。“待ったは無し”じゃ」とサゲる。こ
れは中盤で伏線として仕込んである。娘の自害を単体で見れば悲劇ではあるけれど
も、柳田の侍心、娘・琴の武家娘としての心、萬屋主従の君臣の忠義心、それぞれを
通した結果の物語となる。その中で、琴の「武家娘としての矜持を通した死」を安易
に「悲劇」と取るのは「人の尊厳」に対して僭越に過ぎると私は感じる。立ち去ろう
とする柳田の姿・セリフに、生志師らしいヒューマニズムから来る苦衷があるので
(永遠の友を失う事でもあるから)、「救いの無さ」は感じはしない。「自ら死を選
ぶ」という娘の姿勢もまた「自尊」「自立」の一部と考えるからだ。かといって、噺
の全体像は堅苦しくなく、落語味を加えた人情噺である。構成には一貫性があり、町
人感覚・現代の女性的な正義感覚では測れない、「江戸の侍心」を主題とした「柳田
親娘の堪忍譚」となっているというべきだろう。初演故、観客に対して、些か説明的
になりすぎるセリフも幾つか残ってはいる。演技面でいえば、侍にしては柳田の体が
終始無駄に動き過ぎる事が表現としての曖昧さを生んでもいる。また、最後の萬屋座
敷に上がってから、柳田が刀の鯉口に左手を終始添えている、さながら「敵陣内の備
え」という物腰にも違和感は感じた。とはいえ、演出の一貫した方向性と同時に、各
所に生志師ならではの配慮・工夫があり、「志ん生師・先代馬生師・志ん朝師と伝
わってきた『柳田格之進』を、現代でどう演じるか?」に一石を投じる演出であるの
は事実。生志師の持つヒューマンな味わいと、今後の研鑽の結果が、どのような奥行
きを付けて行くのか、更に楽しみな噺である事は間違いない。
◆3月11日 宝塚歌劇団月組霧矢大夢ディナーショー『GrandDreamer』千秋楽
(第一ホテル東京ラ・ローズ)
◆3月12日 宝塚歌劇団星組公演『天使のはしご』(日本青年館大ホール)
※イギリス近世の階級社会の「偏見」は『ピグマリオン』『ミー・アンド・マイガール』と主題
になる場合が多いけれど、翻訳らおける言葉の扱いが難しい。「中流」と「ミドルクラス」
では全く意味が違ってしまう。
◆3月12日 シス・カンパニー公演『ガラスの動物園』(シアターコクーン)
※佳作の舞台だとは思う。戯曲の素晴らしさは年齢をとっていない。半面、立石涼
子の演じるアマンダを観ると、戯曲が優れている場合、役者の演じ方が「巧くても批
評的」だと、作品本来の持つ意味に歪みが生じるなァ、とも感じる。立石の演技は作
品の「女の正義」に対する苛立ちばかりが先んじるように思う。文学座系の女優さん
と「円」系の女優さんの違いかな(根は同じだったけれど)。ローラに扮した今回の
深津絵理は大竹しのぶに似ている。何か、いつでもオリジナルを感じさせない演技を
するのが物足りない。鈴木浩介演じるジムの「普通の演技」が作品の魅力を自然に引
き出していた。トムの瑛太には違和感あり。アマンダへぶつける言葉で自分が傷つい
ていない。草彅剛のトムが観たくなる。長塚圭史の演出は70年大以降の映像世代を
感じる。「絵」がないと不安になるらしい。もう少し戯曲の言葉を信用して舞台を
作っても良いのでは?と思う。カーテン前の鈴木と深津、二人だけの場面が一番魅力
的だった。ウロウロする「ダンサー」は邪魔だ。
◆3月13日 上野鈴本演芸場昼席
正雀『大所の犬』/さん喬『肥瓶』/ロケット団/馬風『かえるの体操』(漫談)/喜多八『短命』/
ストレート松浦/雲助『粗忽の釘(下)』//~仲入り~//ホームラン/玉の輔『紙入れ』/
琴調『小政の生立ち』/正楽/圓太郎『宿屋の富』
★圓太郎師匠『宿屋の富』
目白型に古今亭型の神社境内のワイワイガヤガヤを咥えた構成。田舎者の「ハーハッ
ハ」の空笑いに迫力があり、宿屋亭主の何でも受け入れてしまうへりくだり方と対照
的。だから、田舎者の「人の言う事、何でも聞き(入れ)やがって」のぼやきが非常に
受ける。宿屋かみさんの「貧乏人が富籤に外れてがっかりする様子を見るのは面白う
ございますよ」は、鑑定団を視てる感覚で残酷に可笑しい。富が当たったショック
で、田舎者の体が右に傾いてしまい、そのまま帰ってくるのも大笑い。もう少し、全
体に軽みが欲しいが。
★雲助師匠『粗忽の釘(下)』
力まずサラサラと演っているけれどタップリ目。あてこまず、ひたすら馬鹿馬鹿しい。
こういう時の雲助師の可笑しさは格別。
◆3月13日 第253回小満んの会(お江戸日本橋亭)
さん坊『子褒め』/小満ん『羽衣』/小満ん『湯屋番』//~仲間入り~//小満ん『味噌蔵』
★小満ん師匠『羽衣』
天女が急に伝法な口調に変わる演出は志ん生師演にはない工夫で可笑しいが、羽衣伝
説そのものがこのサイズの噺では記憶に残り憎い。オンシアター自由劇場の上演した
『魔神遁走曲』みたいに、異種恋愛譚の人情噺にでも書き換えてしまうべき題材なの
か。
★小満ん師匠『湯屋番』
若旦那が自ら梅の湯のかみさんに惚れて、銭湯奉公に志願して出掛けるという演出。
こんな能天気な若旦那は初めてで、銭湯の主人や客がまともなのとのギャップが凄く
可笑しい。先代馬生師の『湯屋番』みたいな「変人爆笑譚」であり、また番台の上の
妄想で若旦那が発する擬音などが矢鱈と可笑しい。独自の演出が多数な分、口調にま
だギクシャクする箇所もあるが、そこがスムーズになったら、それこ、すさまじい大
爆笑編になること間違いなし。
★小満ん師匠『味噌蔵』
吝屋の極く真面目にケチな性格がセリフの端々に現れているかと思えば、子供が生ま
れて喜ぶ笑顔の可愛さが愛しくなるなど、人格が凄く面白い(家元みたいな人格であ
る)。番頭が「あたしもこの店にはこの先、そんなに長く勤めるつもりはないから」
と、居直り気味にドガチャカ散財の首謀者になって行くのも可笑しい。「芋を物置に
隠れてコソコソ喰うのでなく、ふかしたてを目の前に山と積んで食いたい」と言い出
す奉公人を番頭が「お前、大丈夫かい?」と心配する可笑しさの中に、奉公人たちの
過酷な食生活が如実に現れるのも抱腹絶倒物。定吉が板みたいな下駄を履いて大きな
重箱を背負い、主人について歩いて行く姿が目に浮かぶのも面白いなァ。帰り道で定
吉が重箱を忘れた事を大マジで主人が怒る辺り、人格が並じゃなく破綻しているし、
鯛を「嫁の実家で一度見ていて良かった。見てなきゃ気を失う所だ」のセリフが本当
に可笑しかったのは初体験。登場人物全員、人格に歪みがあるのだけれど、同時に存
在感があって、リアルに馬鹿馬鹿しい。
◆3月14日 上野鈴本演芸場昼席
ホームラン/馬風『NO梗塞』(漫談)/さん生(喜多八代演)『親子酒』/ストレート
松浦/小燕枝(雲助代演)『小言幸兵衛』//~仲入り~//ロケット団/玉の輔『生徒の作文』/
琴調『淀五郎』/二楽(正楽代演)/圓太郎『癇癪』
★圓太郎師匠『癇癪』
物凄いオバサン団体客を相手に、「クソババァ」と亭主が妻に向かって叫ぶまでの夫
婦漫談を振ってから、力業でこの演目に入った。些かカリカチュアが強いとは言え、
小三治師型の『泣かせの癇癪』ではなく、道化した可笑しさの中に「男の側の本音と
嫌気」を苦い笑いとして現した馬力に感心。
◆3月14日 五街道四門三月初夜『双蝶々通りしリレー』(日本橋劇場)
白酒『発端・湯島大根畑』/龍玉『定吉殺し』/雲助『権九郎殺し』//~仲間入り~//
馬石『雪の子別れ』
★白酒師匠『発端・湯島大根畑』
リズムが落語と人情噺の中間で、如何にも半端なまんま。仕種は巧いと思うから、人
情噺系演目の慣れ不足であるね。
★龍玉師匠『定吉殺し』
雲助型演出だから、定吉が嫌らしくない半面、権九郎や長吉に「悪」の色気が無く、
妙に普通の若二枚目と中年二枚目になっている。とはいえ、ツウツウ喋っている訳で
はないのに人情噺になる辺りは、雲助師譲りで圓朝物に慣れている強味か。全体に、
芝居味がもっと欲しいのと、権九郎に長吉を悪心のある不良から本格的な悪に追いや
る「大人の悪」の面が足りない。
★雲助師匠『権九郎殺し』
一人だけ桁違いの出来(当たり前である)。平舞台にピンスボ的な照明、敷物一枚
で、一人芝居っぽい芝居掛かりの展開が中心。仕種、セリフの芝居味、特に権九郎が
義太夫芝居的な半道になる面白さ、決まり決まりの形の良さ、就中、花道の引っ込み
の悪二枚目らしい良さは、一寸真似手があるまい。太田その師匠の唄がまた適切で効
果を高めた。
※客に定式幕を引いて道具替わりをする事を知らせなかったため(雲助師で仲入りと
分かるだけのプログラム一枚で済むのに)、客がバラバラ立ってロビーに出てしま
い、暗くなってから慌てて戻ってきたのは、明らかに主催側の観客に対する不親切で
「趣向惚け」である。一方、定式幕は閉まっても休憩の灯りは付かないし、「箱根八
里」の出囃子が鳴っているのに勝手に「仲入り」と判断して席を立った上、暗い中を
慌てて席に戻ろうとして「すみません」と同列の客に声を掛けたりしたのは、歌舞伎
系の客席体験不足の客側の責任でもー、「野暮」と「恥知らず」である。席を立った
後、自己責任で後ろでちゃんと観ていた人もいたというに。
★馬石師匠『雪の子別れ』
長吉は二枚目で似合うが、お光には色気が、長兵衛には片意地な親爺気質が足りな
い。芝居の演技は出来るけれど、歌舞伎芝居の趣向にはまだ場数が足りない。
※場面によって、照明を変えたのは主催側の「野暮」の骨頂。話芸における場面の色
合いは演者が作り出すもので、「演出」というと、直ぐに見た目を変えたがる(特に
証明だけならば安上がりだし)のは「素人じみる」としか言えまい。寧ろ、演者の作
りだす舞台面をフォローし、場面を繋いだり、カットバックの効果を挙げる意味では
「音」の方が重要だ、というのは歌舞伎や新派の芝居を見ていれば分る。さもな
きゃ、衣装を引きぬきにしたりするかだがね。「音が繋がらないと場面が繋がらな
い」「音の変化によって場面は変わる」というのは、日本の芝居でも西洋の芝居でも
同じだいうのも見てりゃ分る事である(D・ルヴォーの音の使い方の巧いこと)。実
は映画でも「音の繋がり・分け目」が大切だ、というのは山田洋次監督のお弟子さん
から取材で聞いた事がある。
◆3月15日 上野鈴本演芸場昼席
正雀『紀州』/ホームラン/馬風『漫談』/さん生(喜多八代演)『松山鏡』/ストレート
松浦/雲助『ずっこけ』//~仲入り~//ロケット団/玉の輔『マキシム・ド・呑兵衛』
/琴調『小田原相撲』/正楽/圓太郎『火焔太鼓』
★圓太郎師匠『火焔太鼓』
やや重かった運びに軽さが出て来たのが嬉しく、「妙な似た者夫婦の噺」としての可
笑し味がグッと増して来た。甚兵衛さんもかみさんも、至って普通に口をきいている
のに内容が無茶苦茶なのは大笑いで、特に「三百金」とお屋敷で言われて以降、甚兵
衛さんの示すパニックの可笑しさはかなりランクアップした。古今亭系・さん喬師型
とも違う、職人風似た者夫婦像で、独特の愉しさがある。
◆3月15日 池袋演芸場夜席
久蔵『浮世床』/紫文(東京ガールズ代演)/文左衛門(白鳥代演)『雜俳』/玉の輔『財
前五郎』/美智美都/正朝『六尺棒』~仲間入り~//龍玉(菊之丞代演)『ぞろぞろ』/
小袁治(権太楼代演)『夢の酒』/勝丸/小里ん『山崎屋』
★小里ん師匠『山崎屋』
浚い無しで掛けたのか、言い淀みが多く、噺のテンションが上がりきらなかったのは
惜しい。頭の良さは相変わらずだし、若旦那の芝居掛かりの可笑しさ(無言で仕種だ
けってのがまた可笑しい)、若旦那が描けとりから帰ったのを迎える親旦那の笑顔の
良さや、「倅が嫌だというならあたしの嫁に」の可笑しさ、番頭の洒脱な智謀家ぶり
と、一級品の素材が揃っているだけに、返す返すも言い淀みが惜しい。
★小袁治師匠『夢の酒』
演じ慣れをされてきたのか、噺が落ち着いて滑らかさがあり、ベテランの小品らしい
味わいが感じられるようになったのは結構なこと。「冷やでよかったんだ」とポツリ
と言ったサゲが格別に良かった。
★正朝師匠『六尺棒』
この噺、こんなに色々あったのか!と驚く。鸚鵡返しの仕掛けが幾つもあり、丁寧。
若旦那のフワフワ感は元より持ち味にあるが、大旦那の厳めしさのカリカチュアが適
宜なリアリティを持って愉しい。今まで聞いた『六尺棒』の中で一番面白かった。や
はり、中堅として、得難い落語らしさを備えた師匠である。
★龍玉師匠『ぞろぞろ』
『駒長』『夏泥』と並び、龍玉師では馴染みの演目だが、クドくない人物の喜怒哀楽
が明確で、予てと違い、非常に面白かったのは嬉しい。
★文左衛門師匠『雜俳』
「要町巷談」みたいなマクラを長めに振ってから。最近では割と珍しい演目かな。本
題は遊んでいたけれど、聞いた事の無い句もあったし、気楽に可笑しかった。
※代演多数で権太楼師・白鳥師・菊之丞師と出ず、落語会系落語ファンには地味な顔
触れの番組だったろうが、落語味に優れ、手堅い地力のある演者がこぞって丁寧に演
じてくれたので、寄席落語ファンとしては充実感のある、嬉しい夜になった。
◆3月16日 上野鈴本演芸場昼席
さん喬『子褒め』/玉の輔『動物園』/ホームラン/馬風『かゑるの体操』(漫談)/喜
多八『竹の子』/ストレート松浦/雲助『強情灸』//~仲入り~//ロケット団/正雀
『紙入れ』/琴調『誉れの馬揃え』/正楽/圓太郎『短命』
★圓太郎師匠『短命』
余りクドくなく、嫌らしくないのが結構。前半の八五郎と隠居の遣り取りは『道灌』
に近い雰囲気である。また、かみさんが亭主の頼みを聞いて科を作る辺り、『青菜』
の延長線上にある夫婦噺としても楽しめる。武骨なようでかみさんに色気のあるのは強味だ。。
★雲助師匠『強情灸』
勿論、峯の灸型だが、二人の意地の派手目な張り合いが非常に愉しく、小品における
雲助師の落語味が堪能出来る。マクラ噺の朝湯での意気がりから愉しい。
★正雀師匠『紙入れ』
押さない、淡彩な演出だが、間男をするかみさんに滑っとした色気があり、以前ほど
気味悪くなく、蛇(くちなわ)っぽいのは独特。
◆3月16日 池袋演芸場夜席
美智・美都/才賀(正朝代演)/『台東区』~仲間入り~//菊之丞『浮世床・夢』/小袁
治(権太楼代演)『唖の釣』/勝丸/小里ん『試し酒』
★小里ん師匠『試し酒』
久蔵の酔いがジ~ンワリと伝わってくるような、真に味わい深い高座。目白の小さん
師ならではの細密な演出を見事に受け継ぎ乍ら、一度外に出て戻って以降の久蔵は、
試しに呑んだ五升の酒の酔いが、賭けの酒に導き出されたのか、次第に人物像に明る
さを増してゆくのが愉しい。そこに、酒を呑む楽しさと共に、小里ん師の歪みの無
い、五代目柳家小さん流落語本道の持ち味が投影されているのは如何にも目出度い。
久蔵の呟きも、酔いの愉しさの中で、ふと心に浮かんだ言葉を呟いているだけであっ
て、その巧みの無さが面白いという、柳家ならではの「段取りの無さ」が素晴らしい。
★小袁治師匠『唖の釣』
この演目を小袁治師で聞くのは二度目くらいかな。与太郎に小袁治師の可愛さが現
れ、六尺棒で叩かれて泣く姿さえもいじらしく愉しい(『子は鎹』の亀が聞きたく
なった)。七兵衛が江戸前で、余り悪党じみないのも良く、見廻りの武士の仕種、言
葉の侍らしさもキッチリ描かれている。昨夜の『夢の酒』といい、柳家の中堅として、
円熟味を確実に増して来ているなァ。
◆3月17日 東京マンスリーvol.50.「十八番作り3」(らくごカフェ)
菊志ん『花見の仇討』/三木男『大工調べ(上)』/菊志ん『時そば心中』//~仲入り~
//菊志ん『水屋の富』
★菊志ん師匠『花見の仇討』
地が殆ど無く、セリフからセリフへ、カットバックの連続で無駄を省いた短い構成。
それぞれが上野のお山へ向かう道筋や野次馬などもカット。遊雀師に近い型かな。
カットした分、リズムがまだ全部滑らかとは言い切れず、フッと隙間も出来るが、展
開に違和感を感じる程ではない。四人組のキャラクターのうち、六さんを除く三人は
ハッキリしていて、それぞれに能天気のタイプが違って可笑しい。だけに、殺陣の稽
古をする場面はもう少し欲しい。巡礼役の二人に絡む、酔っていない方の侍が『柔道
一直線』の近藤正臣みたいで、矢鱈とクサく清々しい喋り方をするのは面白い工夫。
もう一人が田舎侍っぽいのと好対照である。狂言の敵討になってから、野次馬など入
れて(『水屋の富』と雰囲気が被るから外したのかも)、もう少し尺があっても良いと思う。
★菊志ん師匠『時そば心中』
最初のそば屋と騙りの件はほぼ江戸前に、普通に展開するが、後半はボヤッとした男
と「食べて下さい!」と自ら懇願してくる悲惨なそば屋の爆笑展開。商売が上手く行
かず、かみさんに先立たれて、青っ洟を垂らした九歳の男の子を連れているそば屋
の、客から「夜鷹そばにしては重いよ」と言われるキャラクター(リアルに貧しく悲
惨で切羽詰まっている表情なのに可笑しいのは偉い)、「美味しいと言って戴かない
と親子して明日から生きて行けません」というセリフ、「しっぽくしか出来ないんで
す!」「細く切れないんです!」と親が言う不味いそばをフォローしようと男の子が
そばを啜る音を立てる演出(腕を後ろに廻してるのが可笑しい)、遂にそばを啜るシー
ンの無いまま、客が勘定をする羽目になる展開、「一文だまされた、もう生きて行け
ないとそば屋親子が吾妻橋から身投げをして、よなよな男の下に化けてでるという
『時そば心中』の上でございます」とサゲるまで、爆笑の連続。古今亭はこれくらい
でなくちゃ詰まらない。鯉昇師の怪演出に対向しうる「飛び道具」である。
★菊志ん師匠『水屋の富』
水屋のキャラクターを、富が当たった場面でかなりデフォルメして可笑しくしてある
のと、「コツコツ」の音を余りさせず、水屋の悩みも息苦しいまでのリアルさではな
いから、全体の印象が落語らしくて愉しい。展開も早く、シニカルさは弱まるが、こ
れでも十分に良いと思う。リアルに過ぎない水屋のキャラクターを聞いていると、
『富久』を聞きたくなった。
★三木男さん『大工調べ(上)』
初めて三木男さんの噺を「ちゃんと出来るんだ」と思った。まだ、上手くも面白くも
ないが、目白型の演出を守りキッチリ演じる中で、棟梁の物言いや肩の線などに「二
枚目芸なんだな」と感じさせる所がある。こりゃ、三代目三木助師の血だな。家元の
高評価も頷ける「素質」を垣間見た印象。半面、これまでの『猿後家』や『時そば』
の酷さから判断するに、まだまだ「噺を教える側次第で変わっちゃう芸」だから、誰
に、どんな演目を教わるかで将来が全く違る可能性・危険性も高い。『崇徳院』や
『明烏』『お花半七』みたいな「お局好み」の甘い噺でなく、目白系の噺を、丁寧に
教わるのを進めたくなる。三代目三木助師も『道具屋』など良いのだから。
◆3月17日 上野鈴本演芸場夜席「菊志ん~自分と先人に挑戦する九日間」
菊太楼『子褒め』/はん治『背中で老いてる唐獅子牡丹』/夢葉/一朝『強情灸』/左龍
(馬石代演)『壷算』//~仲入り~//燕路『薬罐舐め』/扇辰『道具屋』/ストレート松
浦(和楽社中代演)/菊志ん『九州吹き戻し』
★菊志ん師匠『九州吹き戻し』
一寸緊張気味だったのか、稍調子が硬かった。それに、あと五分長くても良いくらい
の尺。諸国の売女の名前を並べ立てる件はもう少し、水主頭の言葉に喜之助の混ぜっ
返しを入れさせたい。とはいえ、江戸へ帰ったらと喜之助が夢想を繰り広げる件のト
ントン運ぶ可笑しさは小満ん師とも違う愉しさがあり、嵐の描写にはリズムと心地好
さがある。落語慣れない観客の中には、ポカンとする人もいたろうが(今の寄席の主
任でこの噺を出せるだけで凄いのだが)、この噺本来の洒落た味わいを十分に抽出出
来た高座で面白かった。波静かな場面の「新曲浦島」の下座は尺も良いが、嵐の場面
の「碇知盛」の合方はもっと長く弾いても良いのでは?(確認したら、下座さんへの
連絡ミスとのこと)。出来るなら、風音に笛も入れたい(一朝師とまでは欲張らない
が巧い人の笛でね)。上方版『三十石』の演出にある楽屋からの群衆声があっても良
いな。最後、桜島に打ち上げられる件では大太鼓で「ドドン」と浪音を入れ、「百二
十里、吹き戻されました」でチョンと柝を入れて「九州吹き戻しの一席、まず本日は
これぎり」と納まる、つまり嵐から後は御趣向という雰囲気を徹底しても良かろう。
落語研究会で下座フル活動で演らせて上げたい演目だ。売り物になる噺だから。
★燕路師匠『薬罐舐め』
面白くなったなァ。侍のチャチャクリしてる所が喜多八師とは違う面白さである。侍
の「本当に治ったのか?」の呟きも抜群に可笑しい。
★扇辰師匠『道具屋』
「小沢一郎のバット」には笑った。勿論、扇橋師型、つまり三代目三木助師型だが、
与太郎に独自の味わいがあって愉しい。
★左龍師匠『壷算』
手に入ってきたのか、無理矢理爆笑にせず、独自の展開を作りつつある。中盤のダレ
場をちゃんと凌げる基本の確かさはさん喬師一門ならではか。終盤、瀬戸物屋が混乱
しながらの「いいよね、いいよね」のセリフが酷く可笑しいのも、そこまでの我慢が
活きている。
◆3月18日 第297回圓橘の会(深川東京モダン館)
翔丸『他行』/小圓朝『お花半七』/圓橘『近江八景』//~仲入り~//圓橘『文違い』
★圓橘師匠『近江八景』
先代小圓朝師が演っていたとは初耳。志ん朝師や橘ノ圓都師と比べ、短めである。易
者のそれらしい風なのと、占いを頼む男の間抜けさは愉しい。
★圓橘師匠『文違い』
圓生師型だが、シニカルさは余りなく、一方、お杉の切なさは圓生師にはなかった味
わい。角蔵も好色の気よりは自惚れた田舎者の間抜けさが勝つ。半七は少し怒り過ぎ
て怖いかな。芳次郎の二枚目声は流石だ。
★小圓朝師匠『お花半七』
言葉が稍あやふやだが、切れ場は独特で面白い。お花半七が掻巻に入る演出は初めて
聞いたが、古風で納得出来る。雷とは些か季節感は違うが。
◆3月18日 上野鈴本演芸場夜席「菊志ん~自分と先人に挑戦する九日間」
二楽/菊太楼『肥瓶』/はん治『子褒め』/夢葉/一朝『宗論』/馬石『粗忽の使者』//
~仲入り~//燕路『間抜け泥』/琴調(扇辰昼夜代わり)『芝居の喧嘩』/和楽社中/菊
志ん『お直し』
★菊志ん師匠『お直し』
湿り気がなく非常に面白い。菊志ん師は頭が良いなァ、見事に落語である。蹴転の客
を相手に、顎を引いて喋るかみさんの遣り取りが抜群で、職業的嵋態ではなく、「男
を蟻地獄のように誘い込む女性の本質的な演技」として、客を手玉に取ってみせるの
には脱帽。「女の人生は芝居だ」と感じさせる面白さは志ん生師にもなかった。松任
谷由美の『まちぶせ』だもん。「わァ、いるいる」「こういう誘い方するなァ」と感
じる可笑しさは同性の女性の方が分かるかも(男は騙されてる訳だから)。亭主がまた
子供っぽくて(似合う)、「男そのもの」で、「焼き餅じゃない!」と言い張るの理屈
の幼稚さが面白い。夫婦が仲直りするのも、かみさんの「自分の“好きだ”が常に主
導権を取っていたい。それを維持していたい」という、男女関係における女性の基本
的スタンス、権勢志向で亭主を手玉に取っているのが分る。客も亭主も同じなんであ
る。これまでの「夫婦の情」という、飽くまでも男側のロマンでなく、どちらかとい
えば同性愛者的な冷静さで夫婦関係、女性のしたたかさを捉えた可笑しさは独自だ。
★馬石師匠『粗忽の使者』
抜群。治右衞門の「ああいい」のM気質も可笑しいが、留っ子の指先をクチュクチュ
動かし乍ら(少しイヤラシイのがまた可笑しい)「指先に力量がある」という件、別
当の「誰も見ておりませぬ」、三太夫さんの「そんな間抜けな者などおらん」など、
セリフ・仕種に無駄がなく、キャラクターを表して余す所がない。馬石師の粗忽物の
可笑しさは先代馬生師系だな。
★一朝師匠『宗論』
一寸変えたのかな…以前はもっと小三治師的だったが、正朝師や玉の輔師の『宗論』
に近くなった印象。それでも形は崩れないから、カラッと可笑しい。
◆3月19日 上野鈴本演芸場昼席
燕路(玉の輔代演)『辰巳の辻占』/ホームラン/馬風『漫談』/喜多八『旅行日記』/ス
トレート松浦/雲助『肥瓶』//~仲入り~//ロケット団/正雀『紙屑屋』/琴調『度々平住込み』/
正楽/圓太郎『薮入り』
★圓太郎師匠『薮入り』
職人気質丸出しの親父と長屋の阿っ母ァそのもののかみさん、目玉のクリクリした子
供と揃えばまさに適した演目。夜中の会話、長屋の衆に熊さんがテレて素っ気ない
件、子供(割と静かでませ過ぎない)との遣り取りと、骨太に親子関係が描かれる。可
笑しくて切ない。三代目金馬師ほどの厳つい愛しさではないが、この世代では更に今
後に期待したくなる佳作である事は間違いない。
◆3月19日 真一文字の会(内幸町ホール)
一力『子褒め』/一之輔『五人廻し』/一朝『片棒』~仲間入り~//一之輔『紺屋高尾』
★一之輔さん『五人廻し』
江戸っ子の啖呵は大分粒が立ってきたが、最後がアンニャモンニャになっちゃった。
通人・官員・田舎者・相撲取りと、稲荷町型をベースに小三治師型を加味した展開だ
が、官員のウジウジしたり脅かしたりの口調の変化や、通人の「貴君と遊びやしょ
う」を喜助が受け入れたりする部分に工夫はあるが、「一之輔さん独自」とインパク
トを強める所まではまだ行かない。小三治師ネタ卸しの「二階を回しておる…偉大な
る、力だねぇ」のような凄さが一ヶ所くらいはそろそろあってもよい。
★一之輔さん『紺屋高尾』
竹之内嵐石先生と吉原へ向かってからの久蔵が殆ど与太郎みたいで感心せず。高尾
は、色気は薄いけれど悪くはない。故文朝師がそうだったくらいで、今時、珍しいく
らいに「そのまんま」の圓生師型がベースだか、誰から教わったのだろう?一朝師の
『紺屋高尾』はどんなだったかなァ。
★一朝師匠『片棒』
ハプニングゲストで、「一之輔さんを宜しく」との挨拶から噺へ。悪い訳がない(こ
んな事を書くのも恥ずかしい)。
3月20日(祝)、有楽町よみうりホールにて
「文化放送開局60周年記念落語会」が昼夜にわたって開催されました。
昼の部は「立川志の輔独演会」。
夜の部は「正蔵・たい平二人会」でした。
◆3月20日 文化放送開局六十周年記念落語会夜の部 正蔵・たい平二人会(よみうりホール)
※昼夜の会の夜の部を鑑賞。
はな平『壷算』/たい平『幾代餅』~仲間入り~//六十周年記念口上/正蔵『一文笛』
★たい平師匠『幾代餅』
細かいギャグは散りばめてあるものの、本筋は歪みなく、「恋の落語」になってい
る。清蔵が自らの正体を語り、思いを打ち明ける場面も湿潤に流れず、搗米屋の若い
職人の純情で言っているから、噺が陰気にならないのが中でも一番良い。全体に人物
の了見はマジだけれど、だからといって、たい平師の長所である「熱さ」をクドくは
感じない。「熱さ」が清爽に出ているから、幾代も美しく見えるのは結構なこと。
石井徹也(落語”道落者”)
投稿者 落語 : 2012年03月23日 22:34