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2012年03月21日

石井徹也の「らくご聴いたまま」 2012年三月上席号

今回はおなじみ石井徹也さんによる、ごく私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2012年3月上席号をお送りします。東京の桜はもうちょっと先になりそうですが、寄席の高座では「花見の噺」が聴かれるようになりました。ひとあし早い、噺の花見です。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、怒涛のレポートをどうぞ!

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◆3月1日 池袋演芸場夜席

マジックジェミー/南なん『転宅』/桃太郎『歌謡曲を斬る』//~仲入り~//
チャーリーカンパニー(ひでこやすこ代演)/遊雀『粗忽長屋』/歌春『元犬』/うめ吉/圓馬『花見の仇討』

★圓馬師匠『花見の仇討』

三年続けて、三月~五月の池袋演芸場主任で聞くと次第に巧みになり、無駄が消え、
面白さ増して、噺がなだらかに愉しくなって来たのが分かる。特にこの噺みたいな
『八笑人』系お馬鹿江戸っ子噺は、「落語らしさ」が出るか出ないかで違って来る。
落語協会で言えば左龍師・甚語楼師的な存在になってきた。熊さんの仕切りたがりと
巡礼二人の腑抜けた可笑しさは愉しい。六部役の半さんと耳の遠い伯父さんの遣り取
りがまだ輪郭が弱いか。

※通常の演出だが、伯父さんと道で出会う必要があるのかな。六部役が独り者なら、
六部姿になって出掛けようとした所へ伯父さんが来ちゃう方が、巡礼兄弟役と侍の御
成街道の場面と雰囲気が被らなくて良いと思うが。しかも、伯父さんが花見に誘いに
来て勘違いするとかね。

★遊雀師匠『粗忽長屋』

普通~に演ってんだけど、一寸したひと言のリアクションが良いから可笑しい。『粗
忽長屋』で「巧いなァ」と思える人なんてェ者はそういない。

★チャーリーカンパニー先生

 「葬儀屋」とでもいうべきか、酔っ払いが葬儀の道案内役と、呑み屋の客引きを間
違えるという、他愛ない話だが、言葉のもじり方が可笑しいのと、二人とも演技が巧
いので、かなり面白い。一寸クセになる可笑しさだね。

★桃太郎師匠『歌謡曲を斬る』

五年ぶりとのこと。アナクロなとこが酷く可笑しいのは留さん文治師の『歌劇の穴』
や先代文治師の『歌謡曲の穴』と同じ。市馬師と共演してる高座で聞きたい。

※「『一週間に十日来い』なんて、石井さんだって来ないよ!」(苦笑)に高座袖で吹
いてたのは遊雀師かな。

◆3月2日 池袋演芸場昼席

平治『幽霊の辻』/笑三『頭ン中カラッポ』//~仲入り~//章司/柳橋『金明竹』/
右紋『犬の目』/健二郎/寿輔『龍宮』

★寿輔師匠『龍宮』

上方の『小倉舟』、東京の『龍宮』というより、明治の改作『浦島屋』(小ゑん師で
聞いた事がある)に近い雰囲気。鳴り物入りで小拍子を使うアクセントの付け方は上
方原典のこの噺にはやはり効果的。龍宮へついた主人公が浦島太郎に間違えられてか
らは、『地獄八景』同様、龍宮の繁華街めぐりで『店版魚問答』みたいなもじりの連
続になる。龍宮城の宴会風景が少しあって、「グロテスクな烏賊と蛸が龍宮ではもて
る?」「スミに置けない」とサゲるから『小倉舟』『龍宮』の謂わば中盤までという
展開。分かりやすい可笑しさがあるだけに、時事ネタを増やしたい。

◆3月2日 池袋演芸場夜席

鯉津『転失気』/双葉『子褒め』/花/夢吉『越後屋』/南なん『探偵饂飩』

★南なん師匠『探偵饂飩』

この噺で「巧い」と感じさせるんだから畏れ入る。終盤、やや言葉が乱れたが、強盗
の恐気な雰囲気など、普段のとぼけた南なん師とは別人の趣がある。

◆3月2日 毎日新聞落語会「渋谷に福来る」SPECIAL「~落語フェスティバ
ル的な~“江戸暦/域”」(@渋谷区文化総合センター大和田内伝承ホール)

市馬『雛鍔』/一朝『二番煎じ』//~仲入り~//小柳枝『井戸の茶碗』/小満ん『居残
り佐平次』

★小満ん師匠『居残り佐平次』

稍箱が大き過ぎるが、初めて聞く唄が入ったりして、兎に角全部が真に結構な「粋の
見本の居残り」。佐平次の飲み食いの誂えの鮮やかで小綺麗なこと、盲の小せん師時
代の品川コンシェルジュといった風情だ。

★小柳枝師匠『井戸の茶碗』

落語協会にはいない、寄席主任サイズの早間の展開だが決め所のセリフには貫目があ
り、圓菊師の味わい、リズムを小柳枝師流に洗練した愉しさが堪能出来た。

★一朝師匠『二番煎じ』

寄席サイズに近い。何時に変わらぬ出来だが、今夜は見廻りの侍が殊に良かった。千
代田卜斎みたいな声で月番を問い詰めたかと思うとニッコリ笑って酒を呑む。頬をほ
ころばせて酒を重ねる表情が素晴らしい。

★市馬師匠『雛鍔』

サラッと寄席のスケサイズで、言葉なども収録を意識して省いたものがある。簡略な
分、了見が出過ぎて噺が重くなる弱味が出なかったのは結構。

※「江戸暦/粋」と銘打っている割には、純粋な江戸・東京育ちの演目が『居残り』
だけというのは合点が行かない(『井戸の茶碗』は講釈ネタなので「江戸・東京育ち
の落語」とは言い難い)。主催者の見識不足だろうか。

◆3月3日 毎日新聞落語会「渋谷に福来る」SPECIAL「~落語フェスティバ
ル的な~“大吟醸”」(@渋谷区文化総合センター内大和田さくらホール)

さん喬・雲助・権太楼『鼎談』/市也『牛褒め』/雲助『お見立』//~仲入り~//さん
喬『そば清』/権太楼『お化け長屋(上)』

★雲助師匠『お見立』

何時もと変わらぬ可笑しさで杢兵衛大尽の異様な泣き声、喜瀬川の冷淡、喜助の困惑
と揃っているのだが、入れ物が大きすぎて雲助師にイマイチ適さなかったのは残念。
伝承ホールで聞きたかった。

★権太楼師匠『お化け長屋(上)』

最初の借り手を怪談噺で追い返した後、古狸の杢兵衛と長屋の男の遣り取りが初めて
聞く演出で大爆笑。目白の絶妙な「それから?!」を権太楼師的に展開して、「(大
袈裟に怖がって)それから?!」「(大袈裟に怖がって)それから?!」と話の合間合
間に長屋の男が何度も聞き返す。これが物凄く可笑しい。目白も偉いが、それを展開
して爆笑シーンを作り出した権太楼師も偉い。イベント落語会で、目白型を展開した
新たな演出をぶつけてくる権太楼師の意気地が偉い。確かに最初の「それから?!」
は言い損なったが、直ぐに見事に立て直していた。

★さん喬師匠『そば清』

少し丁寧に演じて、何時に変わらぬ出来と爆笑。「好き勝手」に演じてるさん喬師も
凄いが、こうして観客のレベルまで下りてきた時のさん喬師がまた凄い。

※イベント落語会だから客席のレベルが高くならないのは仕方ない。

◆3月3日 第五回らくご・古金亭(湯島天神参集殿一階ホール)

駒松『道灌』/馬吉『湯屋番』/馬石『按摩の信心』(ネタ卸し)/馬生『百年目』//~
仲入り~//小里ん『お直し』(ほぼネタ卸し)/雲助『花見の仇討』

※自分が主催する会なので感想は無し。

◆3月4日 毎日新聞落語会「渋谷に福来る」SPECIAL「~落語フェスティバ
ル的な~“古典ムーヴ春一番”」(@渋谷区文化総合センター内大和田さくらホール)

辰じん『六銭小僧』/三三『明烏』/白酒『花見の仇討』//~仲入り~//喬太郎『おせ
つ徳三郎』

★三三師匠『明烏』

稍ハネ加減で、終盤の時次郎のシラッとした変身、嘘臭さを変えたのは結構なこと。
まだウブマジには見えにくいが。源兵衛・太助のヤクザ臭さも改訂された。翌朝の太
助の甘納豆など、言葉のギャグに動きの可笑しさを加味するようになってきたのは、
擬小三治離れには結構なこと。

★白酒師匠『花見の仇討』

勿論、この世代ではダントツに可笑しい『花見の仇討』である。とはいえ、昨夜、原
型の雲助師を聞いたばかりだから違いも良く分かる。熊さんと六さんのキャラクター
が出来ているのに比べ、金ちゃん半さんのキャラクターがまだ明確ではない。全体の
流れの中では、この点がまだ弱い。また、花見の場で敵討の趣向が始まった際、先代
馬生師風の、前に押し出され過ぎて刃と直面して怖がる野次馬を初めて聞いたが、昨
夜の雲助師の野次馬連中の見事な配置、役割分担に比べると造りの甘さが耳について
しまう。『抜け雀』の若い絵師と老絵師のレベルの差が歴然なんなのも仕方ない。

※先代馬生師や雲助師の落語は、登場人物が好き勝手に話をしていて、それがコミュ
ニケーションしたり、すれ違ったりする面白さから成り立っている。目白の小さん師
の落語でいえば「了見」で喋っている。そういう意味で言えば、先代馬生師、先代小
さん師、雲助師の落語は「チェーホフ的」ともいえるのだね。最初から終着点を決め
ていない面白さ、そこに生まれる可笑しさがある。それと比べると、今夜の三師は
「終着点を目指して登場人物が予定調和的に喋っている」という面が見えるのは単な
る世代差なのか?

★喬太郎師匠『おせつ徳三郎』

どうしても、一席物の悲恋人情噺にするなら、もう少し噺の展開に手を入れるべきで
は?親旦那が余り優しくない作りなのだから、身分差の葛藤から噺を解き放つなら
『ロミオ&ジュリエット』にするか、身分差を残して葛藤を納得させるには『春琴
抄』にするか…徳三郎が刀屋で絶叫すればするほど、「若さ故」でなく、
「自我・自尊への執着」となり、おせつ徳三郎の「恋」から離れてしまうと私には思えるのだ。

◆3月5日 宝塚歌劇団月組大劇場公演『エドワードⅧ世の恋』『霧のステイショ
ン』千秋楽(宝塚大劇場)

◆3月6日 新宿末廣亭夜席

右團治『やかん』/健二/圓丸『後生鰻』/小南治(伸治代演)『写真の仇討』/小天華/
栄馬『元帳』/圓輔『欠伸指南』//~仲入り~//昇乃進『大安売』/陽・昇/金太郎
『天狗裁き』/金遊『小言念仏』/扇鶴/夢太朗『死神』

◆夢太朗師匠『死神』

この三年程で新宿末廣亭夜主任だけで3~4回目になる。次第に主人公のキャラク
ターが明るさを増し、良い意味で図太くなってきた分、落語らしさは高まっている
(『図々しい奴』の主人公みたいな雰囲気あり)。力みが抜けてきたかな。今回は女は
一人で温泉巡りに出る設定でこれは初耳。穴も首を括ろうとした松の木の根元にあ
る。それだけに、穴の中に連れて行かれてから、主人公が急に弱気になるのが不自
然。

◆陽・昇先生

相変わらず陽先生のキレ方が凄く、放送しにくい新ネタからアフリカ地図へ入った。
いっそ、30分、トリで聞きたいくら可笑しい。

◆3月7日 『サド侯爵夫人』(世田谷パブリックシアター)

◆3月8日 宝塚歌劇団星組公演『天使のはしご』(日本青年館)

◆3月8日 「社団法人落語協会主催・春風亭一之輔真打昇進披露パーティー」
(帝国ホテル富士の間)

※結婚式以外、噺家さんの公式なパーティーに出るのは生まれて初めて。

※今週は結果的に三日に渡り、生の落語を全く聞けなかった。次第にストレスが溜ま
り、イライラして体調もおかしくなってくる。「生落語中毒」かな。

◆3月9日 上野広小路亭

左圓馬『笠碁』/京丸京平/茶楽『廐火事』//~仲入り~//右團治『垂乳根』/真理/
伸之介『真田小僧』/寿輔『龍宮』/健二郎/蝠丸『匙加減』

★蝠丸師匠『匙加減』

まとめ方、笑いの作り方が抜群。若い医者を脇役に回して、大家の達者さを主役に据
えて仕立て直し、おなみは全く登場させず、陰にしてある。講釈臭が殆どない、軽く
愉しい噺で、政談物より長屋物に近い。聞きながら、この師匠が『髪結新三』を演じ
たら、どういう落語になるのか?と思ったらワクワクしてしまった。

★寿輔師匠『龍宮』

この所、『龍宮』尽くしである。短期間にこなれて来て、寿輔師ならではの客弄りの
駆引きで笑えるが、『魚問答』や『地獄巡り』の芝居街と雰囲気が似てしまうのが気
になる。

★茶楽師匠『厩火事』

少し品の無いのがお崎さんに町育ちの可愛さを与え、「(台所には)したじのひとった
らしもねェんだから」というセリフの現すこまめさに髪結いの亭主らしい、人格の偏
り具合が鮮やかに浮かび上がる。『夕暮れまで』の伊丹十三の髪結い亭主を思い出し
た。フランス映画っぽいのだ。

★左圓馬師匠『笠碁』

先代可楽師匠系なのかなァ…余り聞いた事の無い型。「オッパイ」のセリフは入って
いるが全体が如何にも古風。

◆3月9日 談春アナザーワールド12(成城ホール)

春太『猫と金魚』/談春『黄金の大黒』//~仲入り~//談春『お若伊之助』

★談春師匠『黄金の大黒』

意外とテンポが遅く、調子も落語にしては硬いが(家元の得意ネタを演じるとそうな
りやすいみたい。『不動坊』の時と同じ口調で良いと私は思うのだけれど)が、吃音
気味の男の口上など馬鹿馬鹿しく可笑しい。鮨をわざと落としてせしめようとする男
も小狡さが談春師の愛嬌で嫌味にならない。大家がらしくない、というか大店の旦那
みたいである。

★談春師匠『お若伊之助』

こちらは調子が柔らかくなったのが印象的。入相の鐘を狸の化けた伊之助とお若の出
会いに配して春の夕暮れの雰囲気をくどくなく演出。頭と長尾一角の話の背景に桜を
散らせて風情と為し、頭と話す本物の伊之助に「桜はあやかしの樹と申しますから」
と言わせて怪異を匂わせ、狸が撃たれる途端に桜花が部屋に振り込む妖しさまで、演
出をかなり変えて噺の背景を改良したのは目出度い。一本の銚子に伊之助の恋心を描
いて(こういう雰囲気が出せるようになったのか)、話にロマンティックさを香辛料
として添えたのも悪くない。『紺屋高尾』の久蔵みたいな伊之助である。いっそ、伊
之助の執着がお若を訪ねる夢となり、それが狸として顕在化するくらいのゴシックロ
マンがあっても良い。半面、一昨年のアナザーワールドから愉しかった頭の可笑しさ
は抑えられ、落語らしいテンポは下がった。といっても、長尾一角は侍らしくなって
いる。終盤、衝撃でお若の原の児は流れ、夫婦と結ばれたお若と伊之助が狸の供養に
因果塚を立てる、という改訂は草食的カマトトセンチメンタルで、お局好みで、落語
としては甚だ詰まらない。談春師自身が高座で言っていたように「(狸の双子を死産
して因果塚に埋める従来の展開の方が」民話みたいでオレは平気」という感覚の方が
納得出来る。同時に、取材で聞いた伊丹十三監督の「ホラーはハイセンスなエンタテ
インメント」の言葉を盾に取るのは狡い論理だけれど、笑いを捨てて、グロテスクさ
を香辛料にしてしまうゴシックホラー・ロマンにするのか、民間伝承説話的落語に徹
して馬鹿馬鹿しく終えるのか、談春師の了見がまだ定まってない。「好き勝手」に演
らないで、最大公約数の芸をすると後悔するんじゃないかね。

※比ぶれば、志ん生師の「お客さんがあんまり“志ん生に逢いたい逢いたい”と思う
と、狸があたしに化けて・・・」というサゲは下らなく可笑しく、「怪異譚を落語に
引き戻す」という天才の傑作センスなのだな。

※「恋」が不要な噺という点では、『猫忠』を談春師で聞きたくなった。

※この噺、「狸の子を孕むのは気持ちが悪い」というなら、狸を「根岸の里に住む若
狐」に変えても、別に良いんじゃないの。『信田妻』の逆で、若い雄狐なら、二枚目
の伊之助に化けても違和感は少なかろう。葛の葉が安倍保名の子を孕み、人と狐の
ハーフを生んでおかしくないなら、お若が狐の子を産んでも構うまい。「狸の双子」
で生々しければ、それが見た目も人間の子として生まれ(私なら、目の光る、ラス
プーチンみたいな子にする)、伊之助が義父として育てる、というロマンになる。
『グイン・サーガ』だな(笑)。「時代に合わせて、否定はしな」いで変える意欲」
が演じ手側に不足し始めると芸は停滞する。「入相の鐘」「庭に散る桜」「桜は妖し
の樹」を考えだせるセンスがあるなら出来る筈である。

※「狐の子」に変える演出を何方かに提案してみようかな。二枚目の芸が必要だけれ
ど、現在、狐の得意な噺家さんといえば・・・。

◆3月10日 宝塚歌劇団星組公演『天使のはしご』(日本青年館)


   石井徹也 (落語”道落”者)

投稿者 落語 : 2012年03月21日 22:20