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2011年12月30日

石井徹也の「らくご聴いたまま」 12月下席号

はやいもので今年もあと数時間。みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の12月下席号をお送りします。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、本年の末尾をかざるレポートをお楽しみください。

※ブログ管理上の都合により、更新日が「30日」になっていますが、実際には大晦日の19時過ぎにアップをしています。

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◆12月21日 上野鈴本演芸場年末特別興行「年の瀬に『芝浜』を聴く会」(上野
鈴本演芸場)

和楽社中/左龍『肥瓶』/燕路『辰巳の辻占』/紫文/白酒『四段目』//~仲入り~//
ダーク広和/ロケット団/たい平『芝浜』

★たい平師匠『芝浜』

情の強い『芝浜』である。魚勝が「夢だ」と言われての狼狽。かみさんの告白の直情
さ。共に直情故の嘘の無さを感じる半面、特にかみさんの告白は感情がベッタリと裏
に張り付き過ぎていて、落語としては些か息苦しい(その意味では家元的な『芝浜』
である)。魚勝が拾った金を自分の物にしようとする件や「夢だ」と騙されて納得す
る件は「笑い」が小道具として上手く配置されていて愉しく聞けるが、かみさんの告
白は心理の緩急が無く、些か聞きダレがする。告白の前に、勝が酒で駄目になってい
る魚熊の家に融通をしてくる、そして熊のかみさんが「店の若い方に」と礼に持って
来た酒が勝の許した後に活かされる演出は面白い。この「かつての自分のような境遇
の魚熊」と「苦しい中、お礼に酒を持ってくる熊のかみさん」をもう少し、かみさん
の告白以降も夫婦の遣り取りに活かせないかな?

◆12月21日 落語協会特選会第49回柳家小里んの会(池袋演芸場)

小里ん『垂乳根』/麟太郎『御神酒徳利』//~仲入り~//小里ん『三枚起請』

★小里ん『三枚起請』

前半が非常に面白く、三馬鹿トリオが吉原の茶屋に着いてから少しテンションが落ち
た。茶屋の女将と喜瀬川、女二人の登場が気になったのかな。一番若い若旦那亥之さ
んの喜瀬川に対する馬鹿な惚れ方が、セリフと起請の入っている懐を押さえる形から
如実に分かるのが愉しい。それでいて騙されたと分かると諦めの早いとこが若旦那ら
しい青さで可笑しい。棟梁は一番歳上で態度も立派だが、実は内心忸怩たる物があ
り、喜瀬川への未練も強いのが感じられるのが面白い。清公は中間の年齢だけれど如
何にもトッポい。この明確な三者三様の遣り取りがが無言を巧く使った仕種の鮮やか
さと(明らかに目白の小さん師の動き)、セリフの的確さで浮かび上がるから、二乗の
効果となって無闇と面白い。茶屋の女将は余り出てこないが、暢気な雰囲気で可笑し
い。喜瀬川が来る前、三人が繰り広げる馬鹿な遣り取りがイマイチ盛り上がらなかた
のは不思議。喜瀬川は二階に聞かせるわざとらしい挨拶などしないから、成る程三人
が惚れるのも分かる可愛さがある。部屋に入ってから棟梁に対する態度は「女房」
で、「反故っ紙を使ってるんだね」と喜ぶ辺りは世話女房の甘味がある。この辺りが
女郎の手管過ぎないのが落語らしくて良い。二人が現れてからの遣り取りも喜瀬川が
キッとなりすぎず、棟梁も太腹中を見せるので、芝居になり過ぎずにピタッと句読点
を打った感じだ。

★小里ん師匠『垂乳根』

前座噺を優れた腕前の真打が、セリフの的確な心持表現、見事に決まった仕種で、
ちゃんと演じると非常に面白くなるというお手本。今夜は特にお千代さんの科白と仕
種が抜群。

◆12月22日 上野鈴本年末特別興行「年の瀬に『芝浜』を聴く会」(上野鈴本演
芸場)

きょう介『子褒め』/一之輔『初天神』/ホームラン/燕路『垂乳根』/玉の輔『宗論』
/ダーク広和/一朝『蛙茶番』//~仲入り~//紫文/左龍『棒鱈』/正楽/正蔵『芝浜』

★正蔵師匠『芝浜』

一年ぶりの演目。キーが高めなので夫婦像が若く、魚勝が一寸間抜けに見えるのは三
代目三木助師の魚勝に甚兵衛さんの香りがあるのに似ている。また、仕種全体にキレ
と綺麗さが飛び抜けてきたのは確かで、それが丁寧な言葉使いと相俟って、魚屋とし
ての意気の良さ、優れた職人性を醸し出している。大家が「彼奴なら(夢だといって
も)大丈夫だ」というのも分かるし、その雰囲気がサゲの「よそ、また夢になるとい
けね」にも繋がっている。「夜逃げするか?」とは言っても「死のうか」なんて言わ
ないので、落語らしさを失わない。かみさんが飽くまで可愛く、最後の酒も大家さん
が「今の勝なら、もう大丈夫だ」と初春用に持ってきてくれた演出で「機嫌を直して
貰おうと思って」をカットしたのも、かみさんの可愛さを増している。陰にした大家
さんの使い方が巧いのである。そういう夫婦だから、落語らしい中に清澄感のあるの
が独特。先輩師匠方から残っているセリフや情景描写でカットしたい言葉がまだ幾つ
かあるのが課題か。

◆12月22日 第39回人形町らくだ亭(日本橋劇場)

さん坊『六銭小僧』/圓十郎『目薬』/さん喬『笠碁』/金馬『大仏餅』//~仲入り~
//雲助『夢金』

★雲助師匠『夢金』

非常にテンポが良く、全体の輪郭も高座に嵌まっていた。芝居になり過ぎず、また
「描写がどうこう」といった瑣末な表現ではなく、船頭熊のキャラクター(自然な愛
嬌)が活き活きと躍動する、軽快なピカレスク落語として面白かった。

★金馬師匠『大仏餅』

稲荷町型だろうか。近江屋十兵衛が稍ガサガサしたキャラクターではあるが、神谷幸
右衛門親子も明るく、乞食の脚を洗うのを嫌がる丁稚まで含めて、登場人物と噺全体
が明るい。従って、黒門町所演のように、聞いているうちに悲しく落ち込んだりはせ
ずに済むのは有難い。

★さん喬師匠『笠碁』

基本は目白の小さん師型だが、私は美濃屋の猫とばっかり話をしてるかみさんの存在
が何とも隠居二人の孤独を際立たせ乍ら、突き放さない緩衝剤として面白い。会話で
サゲをつけないのも分かるが、「待とうか?」で終わって無言で石を打ち合う現行演
出でなく、「待とうか?」「それも待った」など、会話でサゲになっても良いと思
う。

★圓十郎師匠『目薬』

プクプクしてるから、馬鹿馬鹿しさが浮かないのと、かみさんが可愛らしいのが可笑
しい。先代歌奴師型の可愛いお崎さんの『厩火事』とか似合いそう。

◆12月23日 立川談春独演会「がん撲滅チャリティ“医と可笑し”」(浅草公会
堂)

談春『元帳』/畠清彦「講演」//~仲入り~//談春『明烏』

★談春師匠『元帳』

甘えてる亭主の可笑しさは可笑しいのだけれど、蛇足になる感情過多が夫婦の遣り取
りにあるのを感じる。漫画家・西原理恵子の名言「男はいつも三等賞」と相いれない
プライドかな。

★談春師匠『明烏』

客席に落語馴れない人が多いのを意識してか、割と解説的なセリフを多用した。源兵
衛・太助のコンビは町内の札付きらしい性質の悪さと品の悪さがありつつ、何処か間
抜けな所があって、そのバランスが良く、可笑しさは今までに聞いた談春明烏で一
番。時次郎も異常な堅物で自分の言葉なんか無い厄介な若者、テンションだけ高い幼
稚な草食系オタク男子で、セリフの一つ一つが可笑しい。「源兵衛さん、見栄の場所
でそのセリフは野暮ですよ」と時次郎が最後に言うのは談春師では初めて聞いた。お
茶屋の女将や仲居たちが時次郎の傍若無人な無知に巻き込まれて変になっちゃうのも
可笑しく、「花魁の部屋に連れて行かれるもんならやってみろ」と居直った時次郎と
遣り手の戦いで、遣り手の言う「さあさあ皆さん、お許しが出ましたよ」にも爆笑。
ギャグ明烏として、談春師のこの噺としては一番可笑しい出来。

◆12月24日 第7回銀座山野亭落語会“年忘れ落語祭”第一部「雲助・喜多八二
人会」(銀座山野楽器本店7Fホール)

朝呂久『浮世床・講釈本』/喜多八『やかん舐め』/雲助『辰巳の辻占』//~仲入り~
//喜多八『短命』雲助『幾代餅』

★雲助師匠『辰巳の辻占』

寄席で演じている時より、お花や若旦那の表情が活き活きとして、噺のシニカルな可
笑しさが強調され非常に面白かった。

★雲助師匠『幾代餅』

親方をはじめ、登場人物全体に馬鹿馬鹿しさが背景にある分、人情噺でなく、廓噺の
一作としての面白味が出ていた。

★喜多八師匠『やかん舐め』

侍のテンションの高い怒り方と困り方、陰に扱われる可内の馬鹿笑いが目に浮かぶ可
笑しさ、癪の治った内儀が妙に色っぽい所、その中で女中の健気さが引き締め役の香
辛料となっている点など、総合的にみて小三治師より遥かに面白い。

★喜多八師匠『短命』

終盤を完全にパントマイムにしてしまい、忙しないパントマイムの中で、隠居が八五
郎に「短命の理由」を耳打ちして具体的に教える。相変わらずサゲは茶碗を手に取ら
ずかみさんの顔を呆然と見つめた八五郎の呟き。ギャグ沢山ではないが、頗る可笑し
い(但し録音には向かないなぁ)。

◆12月24日 第10回大手町落語会「師走特別企画~落・芸・会」(日経ホール)

桃太郎『善哉公社』/さん喬『掛取萬歳//~仲入り~//鯉昇『イスラム甘味そば』/権
太楼『芝浜』

★権太楼師匠『芝浜』

先代馬生師⇒圓窓師経由の『芝浜』だったのか。三田落語会で夫婦に志ん生師とおり
んさんを感じたのは、そういう経緯からかもしれない。前半のかみさんの「別れてお
くれ」と熊の「おめぇがいないと人でなくなっちまう」、告白の後のかみさんの「離
縁されても仕方ない」など、三田落語会ではあった幾つかのセリフが無かったが、あ
る意味、「芝居臭さ」が更に取れて、職人夫婦噺としてはグレードアップ。家元的な
「夫婦愛噺」ではなく「夫婦ってものの噺」なんだね。だからその分、噺が感情的に
脂濃くならないのだ。惜しむらくは、会場が広くて、三田落語会の密度には及ばぬ点
あり。

★さん喬師匠『掛取萬歳』

狂歌・義太夫・芝居・喧嘩・萬歳の順。終盤の萬歳は少し短め。義太夫の件で八五郎
が言う口三味線の「デンッ!」と、芝居で近江八景の和歌の代わりに「松の木小唄」
を使ったのに私はバカ受け。

★鯉昇師匠『イスラム甘味そば』

益々異化が進み、最初のそば屋はイスラム系のハーフになり、「好きな甘味はココ
ナッツミルク」がサゲへ繋がるという、突然変異種みたいな落語になってきた(笑)。
その中で最初の客が「その角を曲がったとこに、うどんよる太い蕎麦を出すそば屋が
いる」と二番目のそば屋の伏線を丁寧に張ってるのが妙に可笑しい。

★桃太郎師匠『善哉公社』

マクラが長かったが、本題は小南師型をフワフワと。笑いを生み出す仕種以外には余
り気を使ってないのが桃太郎師らしい。

◆12月24日 第7回銀座山野亭落語会“年忘れ落語祭”第三部「春風亭一朝一門
会」(銀座山野楽器本店7Fホール)

朝呂久『幇間腹』/朝也『崇徳院』/一朝『妾馬』//~仲入り~//一之輔『らくだ
(上)』

★一朝師匠『妾馬』

全体の面白さが図抜けているは勿論だけれど、八五郎が高座にいるお鶴の方へ向かい
かけると、その袖を三太夫が「無礼者」と掴んで止める。八五郎が「何をすんでぇ」
と払う。この一瞬の動きで身分の隔たりがクッキリと出る。それが八五郎の酔っての
涙に繋がるが説明はせず、涙の後に八五郎らしい笑いをちゃんと入れるから、場面が
ウジウジしない。やはり、誰も及ばない『妾馬』のスタンダード。志ん生師以来の
『妾馬』だろう。

★一之輔さん『らくだ(上)』

前半だけにしては如何にも長い。静かに脅かす兄貴分と、それに対する屑屋の怖々し
たリアクションは家元型の面白い変化形だが、リアクションの息が常間なので、言葉
以上の可笑しさにはならないのが惜しまれる。屑屋の愚痴になると、雰囲気がマジに
なり過ぎて客席が冷めるのも課題だろう。屑屋ほど呑みっぷりが良くないとはいえ、
兄貴分が一向に酔わないのにも違和感あり。長屋の連中の自然な貧乏人ぶりや大家の
因業ぶりは描けている。絶叫落語ではないのは良いが、もう少しキャラクターの違い
を活かしたメリハリが欲しい。

★朝也さん『崇徳院』

柳朝師の『崇徳院』と似ていて、展開の可笑しさ任せで、八五郎のキャラクターが
立っておらず、若旦那の弱り方も可笑し味が足りない。

◆12月25日 第7回銀座山野亭落語会“年忘れ落語祭”二日目第一部「柳亭市
馬・桂平治二人会」(銀座山野楽器7Fホール)

きょう介『子褒め』/市馬『粗忽の釘(下)』/平治『幽霊の辻』//~仲入り~//

※仲入りまで聴いて『文左衛門倉庫』へ

★市馬師匠『粗忽の釘(下)』

序盤でトチッたせいか、些か平坦な出来に終始した感じ。テンションが下がった訳で
はないけれど、今年の市馬師には時々、ストンと面白さの消える高座が幾つかあった
のは気になる。

★平治師匠『幽霊の辻』

ほぼ権太楼師のままだが、茶店の婆さんに関しては権太楼師と平治師のテンションが
ごっちゃになっていて、可笑しさがまだまとまっていない。一方、主人公はドスが妙
に利いているため、恐がるリアクションに至るまでの可笑しさが跳ねきらない。もっ
と平治師の「色」で聞きたい。

◆12月25日 第回文左衛門倉庫「X‘masスペシャル」(ことぶ季亭)

つる子『子褒め』/文左衛門『居残り(上)』/菊之丞『二番煎じ』//~仲入り~//文左
衛門・菊之丞「アンケート読み」/文左衛門『青菜』

※私事のため、『青菜』は植木屋が屋敷を出た所までしか聞けずに残念。

★文左衛門師匠『居残り(上)』

ネタ卸しらしく、如何にも長いんだけれど、ヴァイタリティ溢れる可笑しさで、この
世代の『居残り』では抜群の出来だった。(上)というのは紅梅さんとこの勝っつぁ
んの座敷で「高砂や」を歌う辺りまでを演じたから。居残り(名前は言わない)が如何
にもいけしゃあしゃあとして自信満々なのに、何とも言えない色気と可愛らしさが
あって、傲慢や意気がりの感じにならない。だから、紅梅さんとこの勝っつぁんを乗
せるお世辞も嫌らしくなけりゃ、「矢鱈と熱弁を奮う詐欺師の卑しさ」や「無理をし
て意気がっている感じ」が全くしないのはステキに愉しい。真矢みき主演の『How
 To Succeed』の主人公フィンチみたいなんである。品川へ出掛ける前や
女郎屋の部屋で仲間と話をしている雰囲気も「プロの居残り」ではない。「胸を患っ
ていて転地療養する」のセリフはあるけれど、それも『幕末太陽伝』的に噺へ蔭を射
すほどではない。全体に明るいのも真に結構。居残りを始めた直後に「十三番さんの
台の物、上がったよ。なまものがいかれちゃうよ」という帳場の声を聞いた居残りが
部屋からヌッと出てきて、襷を掛けて働き出す短い場面があり、ここのヴァイタリ
ティが素晴らしい。圓生師型かな?というセリフもあれば、小満ん師型かな?という
件もある。志ん朝師?という雰囲気もあって、誰の『居残り』が原型かは不明だけれ
ども。兎に角、全体にヴァイタリティ溢れ乍ら酒脱で、躍動する軽みがあるのは凄
い。

★菊之丞師匠『二番煎じ』

文左衛門師のリクエストとのこと。志ん朝師型だろう。寄席サイズに近いが、元から
脚の速い芸風だからね。トントン運んで停滞しないのも志ん朝師的だが、見回りの侍
は志ん朝師のように卑しくない(あの侍は志ん朝師唯一の「卑しい役」である)。旦
那連中の夜回りから、寒夜の雰囲気は余り感じないけれど、ワイワイガヤガヤと年寄
りたちが楽しんでいる雰囲気はクッキリと出ていて愉しい。夜回りの最中も、番小屋
に戻ってからも、月番が矢鱈と見回りの侍などに気を使う「口喧しい仕切り屋」なの
が似合い、その指図に全然従わないおじさん連中の暢気さも個々に愉しく描かれてい
る。口調が稍忙くので、一朝師の『二番煎じ』のようなホッコリ感はないが、落語ら
しい「いい加減さ」があるのは頼もしい。その中で都々逸の調子など、邦楽の素養が
巧く味付けとして活かされている。『景清』『明烏』『愛宕山』などの黒門町ネタよ
り、『らくだ』や『二番煎じ』の方が魅力を発揮出来るのは、芸の骨格の太さを感じ
させるものだ。

◆12月26日 ~白談春2011~「談春この一席2011リクエストN0.1&
2」昼の部(青山劇場)

談春『居残り佐平次』//~仲入り~//談春『芝浜』

★談春師匠『居残り佐平次』

マクラから70分。この佐平次は根っからプロの居残り屋で、序盤の四人組も友達で
はなく、品川で登楼するために利用した連中なら、「オフクロに金を渡して」なんて
事も言わない一匹狼。廓の客との対応も、幇間に似て幇間にあらずで、客心理を見事
に掴んだ対応だし、最後の主人相手の芝居掛かりの辺りも手慣れた騙りである。その
分、騙られる妓夫や客の間抜けさが実に可笑しい。斯く斯様に構成的には素晴らしく
良く出来た『居残り』で舌を巻いた。但し、これは多分に談春師の性格の反映だと思
われるが、佐平次が一生懸命過ぎて聞いていて肩が凝る。黒門町の幇間などに共通す
る弱味で、人物造形に遊びや余裕が無いため、主人公自身がイマイチ、落語的に馬鹿
馬鹿しくならない。構成通りに演じてはいても、昨日ネタ卸しした文左衛門師の居残
りの平然たる不真面目さと色気、落語らしい洒脱さや志ん朝師の『付き馬』の騙りの
面白味に乏しい。言えば、『ニッポン無責任時代』で植木等が演じた主人公・平均に
敵わないのである。一生懸命が魅力になるのは素人で、佐平次はプロの騙りなんだか
ら(家元の真面目さとロマンチストぶりを一番引き継いでいるのは談春師だと思うが、
真面目さは落語の邪魔になる)。

★談春師匠『芝浜』

志ん生師⇒先代馬生師の古今亭型同様、浜での描写は無く、直ぐに勝が戻ってくる。
勝は意気がっている酒呑みで、明らかにすっとこどっこいな落語国の跳ねっ返り。庖
丁を磨き、盤台に水を張っておく(メソついた優等生)貧乏慣れした真面目なかみさん
とは好対照であるのを感じる。但し、「割れ鍋に閉じ蓋」の雰囲気はない。全体に会
場の大きさに合わせてだろう、かなりの大芝居だが、鬱陶しい人情噺臭さは感じない
し、突拍子もなく可笑しなセリフもかなりある。半面、終盤で女房の告白と勝のセリ
フを聞いていると、何か食い違っている夫婦であるのを感じる。このかみさんは勝に
惚れていないんじゃないかなァ。一方、勝の「許してやる」は男の意気がりの一種だ
ろうが、『替り目』のようなネタバラシの無いままサゲになるから、噺の展開として
は「お局好み」という印象を禁じ得ない。家元から受け継いだロマンティシズムの面
も、会場に流れたさだまさしのように妙にこそばゆく、『関白宣言』を初めて聞いて
「日本の女はこんな男がいいのか」と(韓流ドラマの主人公の原型みたいなものだ)
呆れ返った学生時代を思い出す。結果的に、勝とかみさんの夫婦関係がどうも嘘くさ
いのである。この勝は呑めば呑んだくれに戻る男で、それがサゲでまともな事を言い
出しちゃうのも鼻白む。「ガキが大人になった」とも言えるが、最後で優等生に変身
されて裏切られた感じが残るのだ。喬太郎師の『マイノリ』から感じる「俺たちゃ結
局、幾つになってもガキだな」という共感は感じない。女性に受けないと人気は出な
いから仕方ないが、どうしても後味が甘ったるく、野暮になっちゃうんだな。

※今日の会は物凄く、志の輔師のPARCO公演などに近い「イベント落語会」の雰
囲気を強く感じた。「寄席落語家」「独演会落語家」「タレント落語家」の他に「イ
ベント落語家」というタイプも定着するのかな?

◆12月26日 新宿末廣亭夜席

美智・美都/左橋『元帳』/さん喬『掛取風景(狂歌・義太夫・芝居)』//~仲入り~//
〆治『初天神(飴と団子)』/ロケット団/才賀『台東区の老人たち』/小里ん『天災』/
仙三郎社中/今松『火事息子』

★今松師匠『火事息子』

淡々とした高座だが、梯子の上で怖がる番頭の背中を臥煙になった若旦那がドンッと
ついて、番頭の体が宙に踊る瞬間、「危ないっ!」と思わせたキレと、台所で土下座
をしていた若旦那が「ご無沙汰を致しております」と親旦那に挨拶した瞬間の清廉な
二枚目ぶりは、かつて誰の『火事息子』からも感じた事のない優れた表現だった。全
体的に、もう少し面白味があると良いのだが…

※上野鈴本演芸場「年末特別興行」へ向かったが、「立ち見」でしか入れず、諦めた
チケットを放棄。新宿少し時間潰しをして、末廣亭へ向かった。

◆12月27日 新宿末廣亭昼席

笑組/勢朝『袈裟御前』/正蔵『読書の時間』/ペペ桜井/市馬『掛取り』//~仲入り~
//扇好『のっぺらぼう』/ゆめじうたじ/南喬『子褒め』/若圓歌『漫談』/勝丸/小團
治『茶の湯』

★市馬師匠『掛取風景』

 狂歌と相撲のみだが、明るく気楽に愉しい。

★南喬師匠『子褒め』

 落語らしくて真に結構である。

★扇好師匠『のっぺらぼう』

 悪くないが、のっぺらぼうの顔表現に柳之助師のような工夫が欲しい。

◆12月27日 新宿末廣亭夜席

駒松『狸の札』/司(交互出演)『加賀の千代』/ホンキートンク/吉窓『半分垢』/丈二
『牛褒め』/紫文/左龍『初天神』/菊龍『籠医者』/美智美都/左橋『壺算』/さん喬
『棒鱈』//~仲入り~//才賀『台東区の老人たち』/ロケット団/〆治『尻餅』/小里
ん『煮賣屋』/仙三郎社中/今松『風の神送り』

★今松師匠『風の神送り』

昨年は年末の今松師末廣亭夜席主任に来れなかったから聞いていないが、三年前、一
昨年、今年と年末主任でこの噺を聞いた事になる。余程、この噺が好きなのかな。噺
の運びは明らかに米朝師型だが、吝嗇な大店への憂さ晴らしを町内の若い衆がすると
いう、受ける件を省く辺りが今松師らしい。過去二回と比べても、今夜のお客にはよ
く受けていたし、仮名しかかけない奴が奉加帳を書く件は、確か今までよりもにホン
ワカと可笑しかった。以前から思っているのだが、最後、風の神の人形が夜網に掛か
る件は、ちゃんと上方風に鳴り物を入れた方が良いと思うのだが…。

★さん喬師匠『棒鱈』

年中演じている十八番で、構成の巧さは今更言うまでもない。とはいえ、頭の芋蛸の
煮物や鯛の塩焼きの件は無かったけれど、今夜は酔っ払いの適度な苛立ちや憤り、田
舎侍の張りのあるマンガ的描き方と揃って、久し振りに非常に出来の良い『棒鱈』で
正しく「堪能」した。

◆12月28日 年忘れ市馬落語集(なかのZERO大ホール)

一之輔『加賀の千代』/市馬『うどん屋』/三三『質屋蔵』/白酒『幾代餅』//~仲入
り~//昭和歌謡大全集(ゲスト・桃太郎)

★白酒師匠『幾代餅』

先代馬生師と志ん朝師の演出を忖度して工夫を加え、この噺を人情噺でなく、『M
R.CINDERS』的な恋愛コメディ系落語に引き戻した白酒師の功績は長く評価
されて然るべきものだろう。「古今亭はこうじゃなきゃ」という愉しさが漫喫出来
る。

★三三師匠『質屋蔵』

定吉の芋羊羹ねだりをカットしたとはいえ、この尺でこの噺を演れるストーリーテリ
ングには舌を巻く。

★市馬師匠『うどん屋』

酔っ払いがひたすら好人物である所が市馬師らしいのが長所であり、うどん屋の客商
売職人らしさがイマイチであるのが(武骨な可愛らしさが欲しい)、結果、噺の「焦
点」がハッキリしないのが短所である。最後にうどん屋が呼ばれてグーッと前に出る
動きなどステキな魅力があるから、ま、後は年輪なのかな。

★一之輔さん『加賀の千代』

会場が広い分、稍絶叫落語っぽくなるが、甚兵衛さんの傍若無人ぶりは可笑しい。

★昭和歌謡大全集

「歌謡浪曲」⇒「裕次郎(ここの2曲は桃太郎師)」⇒「昭和20年代半ば&30年代
初頭」という曲構成で、後半は亡くなった白山雅一先生の十八番集にもなり、藤山一
郎の『丘は花盛り』から『東京音頭』で締めた。この「大衆芸能的な構成」は見事な
ものだと感心する。歌に関しては、伊藤伊佐緒、若山あきらの男臭さから三浦洸一の
叙情まで唄えるのは当然乍ら、ファルセットとはいえ淡谷のり子を唄えたのには驚い
た。半面、意外とドスの利かない声なのかな?とも感じた。ドスの点では『喜びも悲
しみも幾歳月』が一番しっくり来る。とはいえ、大衆芸能的気楽さを落語の中に屈託
なく構築出来る市馬師ならではの強さが、得意とする昭和歌謡の長閑さ・明朗さと繋
がるのを感じる。市馬師は「平成を生きる昭和の噺家」なのだ。こういうイベントを
行っても、マスメディアの制作する「イベント臭さ」が無く、「取り敢えず、みんな
副会長に従う」という大きさは他の噺家さんには一寸無い。しかも、「カリスマ」で
はなく「リーダー」なのが凄いなァ。

※市馬師の歌を訊き乍ら、来年の一周忌に、家元を追悼して「ランベス・ウォーク」
(野暮な東宝版でなく、宝塚版の歌詞で)を唄ってくる噺家さんは誰かいないものか
なァ、と思っていた。市馬師の声質なら唄えるけれど、市馬師は洋楽、ましてミュー
ジカルの曲は唄わないだろうし、家元の一門でも「ランベス・ウォーク」の歌詞を
知ってるのは一人くらいしかいないだろうし。

◆12月29日 新宿末廣亭恒例年忘れ余一会昼の部「入船亭扇遊・春風亭正朝二人
会」(新宿末廣亭)

朝呂久『間抜け泥』/一之輔『粗忽の釘(下)』/扇遊『寝床』/正朝『黄金餅』//~仲
入り~//鏡味仙三・仙花/正朝『紀州』/扇遊『線香の立切れ』

★扇遊師匠『寝床』

スラスラッと聞けてしまうのだが、山が掛からない弱味もあり、印象に残りにくい。

★扇遊師匠『立切れ』

勿論、扇橋師型で「情」のある演出だが、まだ上なぞりの感がある。「こんな逆様み
ようとは思いませんでした」が滲みてこないんだな。色気はあるし、綺麗な、二枚目
らしい芸なんだけど、芸の浮き沈みを経ていないひよわさがある。

★正朝師匠『黄金餅』

変に理屈っぽくなく、この噺らしい可笑しさは金兵衛の軽さの中に描かれている。下
品じゃないし、粗野でもなく、サラリと楽しめる。不思議なのは、全体が今一つ明る
くないこと。

◆12月30日 第三回桃月庵白酒独演会(シアター711)

白酒「御挨拶」/扇『牛褒め』/白酒『新版三十石』~『火焔太鼓』//~仲入り~//白
酒『富久』

★白酒師匠『新版三十石』

本当にくっだらなさに徹底していて愉しい。しかも、小沼猫蔵先生のいけしゃあしゃ
あとした、優れた人物造型が本当に板についたなァ。実はチラッとシニカルなのが味
付けになってるのも結構。

★白酒師匠『火焔太鼓』

夫婦噺としての可笑しさに関する工夫については、古今亭系でも図抜けている。志ん
生師の『火焔太鼓』と比べても、決して異質・異物なのではなく、「夫婦爆笑噺」と
して進化をさせている。その意味では、志ん生師・志ん朝師の呪縛にとらわれず、古
今亭大本道を行く愉しさである。

※さん喬師が『火焔太鼓』のネタ卸しで、夫婦像を柳家的に変えて可笑しくしたのも
進化論としては正しいのだ。白酒師以前の古今亭系は志ん生師・志ん朝師の呪縛から
逃れられていないという事か。権太楼師の『火焔太鼓』(先代柳朝師系になるが)や白
鳥師の『火焔太鼓』という進化形も、もっと見直されて然るべきだろう。

★白酒師匠『富久』

『火焔太鼓』に続いて大金の入る目出度い噺でシメ。今年秋以降の演出変更が中心だ
が、最後の三軒町(今の寿町)の頭と久蔵の遣り取りに更に手を加え、「大神宮」と
訊いて久蔵の声が二枚目声に変わり、稍凶暴になって(笑)頭に食ってかかる件が増
えて可笑しく、富札が大神宮の神棚の中にあったと分ると、大喜びから稍泣きに変わ
る演出も初めて。火事場往復の走りの件が少し増えているが、黒門町的に噺を描写と
メリハリ主体に変えてしまう以前の段階で留めているのがまた偉い。

◆12月31日 下北のすけえん~真打昇進記念~(シアター711)

一之輔「一年回顧」/朝呂久『短命』/一之輔『徳ちゃん~五人廻し』//~仲入り~//
一之輔『藪入り』

★一之輔さん『徳ちゃん』

アンドレ・ザ・ジャイアントみたいな怪力花魁が完全に化け物状態で可笑しいのに比
べると、客の売れない噺家側に「芸人らしい雰囲気」が余り無い(リアクションは可
笑しい)。別に普通の若い衆でもいいんじゃない?

★一之輔さん『五人廻し』

稲荷町型に、『徳ちゃん』の花魁が喜瀬川で芋を食ってる、というサゲを付けた。江
戸っ子の啖呵が勢いだけでなく、喜助が適当に相槌を入れる事で吉原知識自慢に近づ
いている。もう少し、江戸っ子が威張ってみせる表情を加味しても良いだろうと思
う。官員は大声過ぎて、小三治師的にメソメソはしないが、荒々しい(笑)ので、講道
館の師範か何かに設定を変えた方が良かァないかな。通人は通り一編。痰を吐く(壁
に飛ぶのは笑った)自称江戸っ子がりの田舎者は、喜助の持ち上げ方が可笑しい。関
取が喜助に鉄炮を食らわすのも、乱暴ちゃ乱暴だけれど可笑しい。全体に、表現がま
とまって来た。

★一之輔さん『藪入り』

稲荷町の芸血筋だなァ。勿論、粗い所、溜め過ぎな所もあるが、魅力のある口演。三
代目金馬師の奉公体験を活かした(奉公中に父親を亡くしている)情の強い親父像とは
タイプが違い、表は怖気だが(もう少し職人体だともっと良い)根の優しい所が稲荷町
的である。熊が亀のキチンとした挨拶に気圧され乍ら、丁寧に挨拶を返す静かな様
子、泣きながら亀に小言を言う様子を聞いていると、親子関係の情がちゃんと感じら
れる(親子のいる室内などの背景はまだ見えない。このキャリアで見えたら却って怖
い)。かみさんも飽くまでも子供が心配な普通の母親である。亀の「これだから貧乏
は嫌だ」をカットしたのも正解。視線、仕種にも殆ど曖昧な所が無く、芝居じみたメ
リハリ主体な所も無い。一朝師に伝わる稲荷町の『火事息子』がいずれ出来るように
なるだろう、という期待感を感じせてくれる高座だった。

石井徹也 (落語”道落者”)

投稿者 落語 : 2011年12月30日 19:23