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2011年12月20日
石井徹也の「らくご聴いたまま」 12月上席中席 合併号
師走です。皆様はいかがお過ごしでしょうか。落語には四季折々、いろいろなネタがありますが、なかでも冬の演目に名作が多いと言われています。「冬の噺には、落語にとって重要な要素である飢えと寒さが凝縮されている」という意味のことを談志家元が仰っていたと記憶します。いまの東京では、なかなか”季節の変化”というものを感じなくなりましたが、噺の中には、冬景色、歳末の空気といったものがよく残っています。
今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の12月上席・中席合併号をお送りします。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによる歳末寄席レポートをお楽しみください。
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◆12月1日 上野鈴本演芸場昼席
燕路『間抜け泥』/文左衛門『道灌』/ペペ桜井(猫八代演)/百栄『誘拐家族』/菊丸
『幇間腹』/わたる/文楽『六尺棒』//~間入り~//勝丸(ストレート代演)/志ん橋
『居酒屋』/正朝『町内の若い衆』/遊平かほり/小里ん『睨み返し』
★小里ん師匠『睨み返し』
言訳屋の表情は見事だけれども、仕種のキレが今日は一寸悪かった。序盤の薪屋退治
は薪屋のボヤキ方が軽くて愉しい。
◆12月1日 日本橋落語会「通好み」(日本橋劇場)
馬石『安兵衛狐』/市馬『締込み』/雀松『三両残し』//~仲入り~//正蔵『身投げ
屋』/一朝『二番煎じ』
★一朝師匠『二番煎じ』
寄席の主任より時間があるので、普段演じない所までタップリ演じたが、それでいな
がら軽快で全くクドくなく、見事に愉しい高座。細かく演じると都々逸を小声で演じ
る場面などに矢来町移しが明瞭になるのも面白い。志ん朝師の演出からエネルギッ
シュな重さを抜いて、老人たちの洒落た面白さを足した世界に仕上がっている。黒川
先生の謠風の夜回り声の可笑しさをはじめ、一人一人の人物像が寒夜にクッキリと描
かれて、しかも落語国の人肌の温かさがある。番屋に戻ってからも、口喧しい月番を
軸に、旦那衆が一寸愉しい悪さをしているウキウキ感、人間のだらしなさの魅力が満
ちている。何回も聞いてきた一朝師匠の『二番煎じ』の中でも優れた高座である。
★市馬師匠『締込み』
最近では比較的珍しい演目だが、泥棒の楽しさに比べ、夫婦喧嘩の件でかみさんの表
情に稍ウェットさの強いのが気になる。
★正蔵師匠『身投げ屋』
噺の概要は整った。金持ち紳士が手渡す名刺をもっと笑いに活かしたい。
★雀松師匠『三両残し』
お花とその母親が物凄く、しかも馬鹿馬鹿しくドライで性質が悪い(笑)。それが実
に可笑しく軽快無比。現在東京で演じられている『星野屋』は、どうしても心情過多
なのが分る。今夜、雀松師が示してくれた米朝師系の演出、つまり筋物の落語を心理
主義のウェットさやシニカルさではなく、ドライな可笑しさ中心で表現する方法論
に、今の東京勢の『星野屋』はとても敵わない。これに対抗出来るのは古今亭と目白
の芸系くらいかな。
★馬石師匠『安兵衛狐』
狐の化けたかみさんの可愛さはやはりダントツ。こういう噺を立川流の中堅以下は何
故演らないんだろう。「下らない」と思っているのかね。馬石師的には故・枝雀師の
『天神山』の演出を取り入れて、トリネタ用の『安兵衛狐』を仕立ててみて欲しい。
◆12月2日 SWAファイナル「ブレンドストーリー“クリスマスの夜に(三姉妹物
語)”」昼の部
昇太・白鳥・喬太郎・彦いち「御挨拶」/彦いち『青畳』/喬太郎『思い出芝居』//~
仲入り~//白鳥『砂漠のバー止まり木』/昇太『パパは黒人』
★昇太師匠『パパは黒人』
三姉妹の一番下で、性格的に奥手の君江が「クリスマスに黒人の彼とデートする」と
嘘をついてしまい、父親(柔道が好き)が黒人に化ける展開にシフト。父親が「スト
リートファイトで黒人(娘に近付いてきたホンモノ)に勝つのが夢だった!」という件
は本当に可笑しい。最後、父娘でデートする場面のロマンティックなイメージはSW
A系新作派でないと出せないなァ。23歳の娘がある身としては一寸羨ましくなる。
落語は勿論観客の「私」にも響くのだが、家元系の「共感」だけでなく、SWA系に
は「憧れ」もあるのが良いね。
★白鳥師匠『砂漠のバー止まり木』
次女の文江に振られと思った男が失望の余り、後輩を連れてタクラマカン砂漠へ出掛
け(この無茶な可笑しさは得難い)、バー「止まり木」のマスターになっていた文江の
父と出会う展開にシフト。ファンタジックでアダルト(笑)なバーの雰囲気が相変わら
ず妙に心地よい。作ってない狂気の強味かなァ。
★喬太郎師匠『思い出芝居』
SWA初期の作品だそうで私は初聞き。女子柔道選手友江の妹で異常なテンションの
文江が(クリスマスの噺で踏み絵ってのも何だが・笑)クリスマスイブの晩、一年前の
初デートと全く同じ展開で最後のデートをしようと仕切りまくり、相手の男に地獄を
見せる展開にシフト。『白日の約束』に一寸似ている。『白日の約束』の女性より文
江のテンションが一瞬にして異様に高低する分(短い芝居で演るなら絶対に毬谷友子
さんの役)、単発で聞くよりブレンドストーリーに入れた今回の方が違和感が少なく
面白いのではないだろうか。また、この回はカラオケの場面で6曲唄った(絶対に喬
太郎師は『カラオケ病院』を桃太郎師から教わるべきである)。ビルとビルの隙間で
無理矢理キスしようとする辺り、イッセー尾方氏の『ヘイ!タクシー』みたいで、体
の使い方も似ている。割と演劇的な所が多い噺かな。
★彦いち師匠『青畳』
SWA第一回の作品との事で私は初聞き。女子柔道78キロ超級選手(塚田選手をイ
メージした)友江がオリンピック出場選考試合中、恋に悩んで負けた、という回想談
を母になった友江が息子に語る展開にシフト(この姉妹と関わる男はみんなタクラマ
カン砂漠のバー「止まり木」に行く事になるのが大笑い)。試合中、応援に来た好き
な初恋の男子(やはり柔道をしている)にときめいて女々し始めるのが、彦いち師だと
少し不気味に可笑しい。これはちよりんさんで聞きたいなァ。「がたいの良い女の子
は可愛らしい仕種や言葉遣いに憧れる」(知人女性の分析)という女心が彦いち師の体
型だと出難い(喬太郎師だと体がフニャフニャするから出せる)。
◆12月2日 白酒ばなし(にぎわい座)
朝呂久『浮世床・講釈本』/白酒『付き馬』//~仲入り~//遊一『夢の酒』/白酒『甲
府ぃ』
★白酒師匠『甲府ぃ』
刈り込んで、ギャグも抑え(途中で本題を離れて弟子とおかみさんの話を入れたのは
笑いが少なくなり過ぎたためか)、この噺としてはかなり短めの尺。寄席用の「試
し」かな(言葉間違いが多かった)。善吉が絵に描いたような権助型田舎者で、真面目
だが妙に愛嬌があって面白い。豆腐屋の親父は軽い粗忽なキャラクターで可笑しく、
かみさんも工夫があって面白い。甲府に行きたいと善吉が話をしに来る際、お花もつ
いて来て、そのお花をチラッと善吉が振り替える視線の巧さに感心(雲助師のお弟子
だなァ)。優等生噺のクサ味がなくて、笑いも無理に押さないから、気楽に愉しい高
座だった。
★白酒師匠『付き馬』
言葉数を使わず、雰囲気で妓夫を煙に巻く辺り、余り演じ過ぎない詐欺師ぶりになっ
てきた。「あたしの目を見なさい目を」が雲助師とは違うニュアンスで面白い(目を
殺してるから余計に可笑しい)。騙される妓夫がチラッと見せる凄み、裏腹な間抜け
さの使い分けも現在演じられる『付き馬』では優れたものだ。大門から雷門までの道
中付けの愉しさは過去、現在を問わぬ一級品。「正直ビアホール」のサーバーの奇妙
な音は何度聞いても笑っちゃう。
◆12月3日 IMAホール落語会「市馬白酒二人会」(IMAホール)
市助『道灌』/白酒『替り目』/市馬『富久』//~仲入り~//市馬『粗忽の釘(下)』/
白酒『幾代餅』
★市馬師匠『富久』
横山町の御店に駆けつけた辺り、家元的な久蔵の動きを通して(家元型の無駄なセリ
フは刈り込まれている)、目白の久蔵が透けてみえるのが面白い(市馬師から家元の影
響は感じるのは当然だが、川崎の柳好師の影響を感じないのが不思議)。この夏の
『鰻の幇間』以降、幇間の浮草のような喜怒哀楽、仕事上の習性が前に出て、富札を
焼いたと勘違いして悲嘆にくれても、元より演出的にクドさはないから、如何にも江
戸の幇間らしい軽妙な哀しみ、江戸の夕映えに佇む軽妙なリアルさを醸し出し、味わ
いを深めている。横山町の旦那の、黒門町の旦那ほど綺麗事過ぎない情の良さは目白
譲りだなぁ。
★市馬師匠『トンコ節粗忽の釘(下)』
笑いのフックが大分増えて非常に可笑しかった。中でも、主人公が隣の家で八寸の釘
の長さを色々と具体的に示そうとする様子や(隣の主人が引っ越してきた事を知って
るのも良い修正)、「ここだって言ってるのが分からねェか!」の大声の現すキャラ
クターの可笑しさは素晴らしい。
★白酒師匠『替り目』
鍋焼うどん屋に海苔を焼かせる件を省いたくらいでスイスイ快調。主人公の言う「い
つものように酒に逃げちゃお」の可笑しさは相変わらず。
★白酒師匠『幾代餅』
爆笑『幾代餅』は相変わらず。雲助師を経由して伝わる先代馬生師型『幾代餅』の可
笑しさをパワーアップしてるし、清蔵と幾代が初めて会う座敷の場面をカットしてる
から、泣かせるとこなんかは一つもなくて「潔い落語」になる(古今亭・金原亭の
『幾代餅』と比べて『紺屋高尾』は落語らしいドライさに欠け、どうしても野暮にな
る)。恋患い中の清蔵のか細い声が安定してきたためか、幾代のセリフが格段に女っ
ぽくなってるのも「笑いを支える巧さ」になってきた。『木乃伊取り』のかしくもこ
れで行けば十分だと思うが…尺も取らないし(泣きたい野暮天お客には物足りまい
が)、志ん生師の曾孫弟子はこうでなきゃ。
※市馬師、白酒師の二人だと四席聞いても草臥れないのは、寄席育ちの目白系、金原
亭系の芸ならではだろう(彦六師系もそう)。メリハリを付け過ぎた噺をされると野
暮ったいから草臥れる。その意味で、メリハリの強過ぎる圓生師は無駄と色欲の可笑
しさ以外は「野暮」、メリハリとフレーズの固まりみたいな黒門町は「綺麗事」だけ
ど「野暮」なのかも。
◆12月3日 SWAファイナル「三人SWA」(本多劇場)
白鳥・喬太郎・彦いち「御挨拶」/白鳥『シンデレラ伝説』/喬太郎『彫師マリリン』
/彦いち『長島の満月』//~仲入り~/三題拾い//三題噺四人リレー~「立川流・火消
し・美顔ミスト」
★『三題噺』昇太(三題ネタ拾いから飛び入り出演)⇒彦いち⇒白鳥⇒喬太郎
立川(立川流を立川市近くの川に例えた)近くの龍神を祀る神社の一人娘が神官にな
るのが嫌で、タイ人の彼(笑)と美顔ミスト屋(?)をしている。神社の氏子たちが
「娘が神官になりますように」と篝火を焚いて(イヨマンテかよ・笑)祈っていると、
篝火が本殿に燃え移る。娘が美顔ミスト機で必死に火消しをするがダメで、呆れた龍
神が昇天しようとする。そこで娘が火事を消す生け贄になろうと焔の中に身を投じる
(うさぎの神話みたい)。それを見た龍神が引き返してきて、雨を降らせて火事を消
し、娘を助ける。本殿は焼け落ちてしまったが…ここで喬太郎師(終盤の芝居落語的
な締め方は本当に巧い)が干支を使ってつけたサゲはお見事と感嘆。また、昇太師
(新刊を嫌がる娘のキャラクターは抜群に可笑しい)が後からつけたサゲは分かりや
すくて結構。白鳥師がSWA風呂敷柄の座布団を使って竜神の鱗を見せたのはナイス
アイディア。彦いち師がウアンチャン君を出したのは狡いけど可笑しい。
※龍神は基本的に女神だって事を無視して(だから、夜叉ケ池の龍神様への捧げ物は
化粧道具だ)オジサン声で演ってが、可笑しかったから、まぁ良いよね。
◆12月4日 シス・カンパニー公演『その妹』(シアタートラム)
★蒼井優はまだ化け物ではないが、化け物じみて来た。市川亀治郎は小技を色々出し
て来たが蒼井優に敵わず、武器がなくなった最後が一番良かった。しかし、白樺派の
世界は三島や谷崎より凄いね。対抗出来るのは泉鏡花くらいだろう。
◆12月4日 上野鈴本演芸場夜席「不忍寄席師走賑」
市助『道灌』/志ん吉(交互出演)『間抜け泥』/ゆめじうたじ/龍玉『ぞろぞろ』/扇遊
『手紙無筆(上)』/夢葉/南喬『初天神(上)』/正蔵(四人交代出演)『四段目』//~仲
入り~//小菊(紫文代演)/はん治『鯛』/二楽/雲助『替り目』
★雲助師匠『替り目』
フワフワとした雲助師独特の酔っ払い。メリハリ演出でないから、逆に帰って来た亭
主を当たり前みたいに迎えるかみさんのリアクションや、訳あり気な新内流しの女が
言う「兄妹なんですよ」のひと言に夜更けの静寂がちらと漂う。かみさんに甘えて
酒、肴とねだる亭主の愉しい可笑しさ。談志家元が「高座に江戸の風が吹く芸」と認
めたのはこういうとこであろう。後半は都々逸小噺アンコ入り都々逸・かっぽれと来
たが、惜しむらくは下座のきっかけや音量が適ってないから、かっぽれでは客席で手
拍子が打ち難く、都々逸でも「ようよう」とは声を掛けにくかったなァ。
★龍玉師匠『ぞろぞろ』
雰囲気が明るくなったし、体の大きさを活かした面白味も増していて結構。
★南喬師匠『初天神(上)』
上方風の隣のおじさんへの告げ口と団子。特に周囲の人に訴えたりしないのに、可笑
しいし、ちゃんと親子の感じも出てる。矢張り大したもんである。
★扇遊師匠『手紙無筆(上)』
こういう軽い噺の軽い可笑しさはお見事。
◆12月5日 池袋演芸場昼席
一九『そば清』/和楽社中/志ん馬(圓太郎代演)『干物箱』/正朝『寄合酒(上)』/ロ
ケット団/一朝『巌流島』//~仲入り~//馬石『鮑熨斗』/菊之丞『湯屋番』/順子・
朝呂久/白酒『ずっこけ』
★白酒師匠『ずっこけ』
マクラから「受けさせよう」といった気負いが全くなく、如何にも寄席の主任らしく
て非常に聞きやすい、寄席ならではの雰囲気で入った。小僧との遣り取りで初耳の
「手品やれ!」があり、手拭い(白無地なのに)を縦横にして「縦縞」「横縞」、投げ
て「向こう縞」等、先代馬生師の余興の手品みたいなのを入れた。下らなくて可笑し
い。
前の長い分、共同便所から後が少し走ったが、かみさんがマンガ的に可愛らしさを増
しているので愉しさはサゲまで下がらず。
★一朝師匠『巌流島』
珍しく言い間違い多し。しかし、若い侍、老武士、船頭、乗り合い連中と描き分け、
特に老武士の立派さと乗り合い連中の軽薄さは素晴らしく堪能。
★馬石師匠『鮑熨斗』
部分的に物凄く可笑しいんだけど、全体のリズムが変だった。
◆12月5日 SWAファイナル「First&Last」(よみうりホール)
喬太郎「唄う前説」全員「オープニングトーク(回顧トーク)」/彦いち『バーベル
芝浜』/喬太郎『悪魔の寝床唄』/白鳥『真夜中の解散式』/喬太郎『ハムバーグの焼
けるまで』/彦いち『掛け声指南』/昇太『空に願いを』/全員「活動休止御挨拶」
★昇太師匠『空に願いを』
出来は今夜一番たったと思う。SWAのメンバーは「私落語」の要素の強い人ばか
りだけれど、昇太師のキャラクターの作り方には普遍性を感じる。先代今輔師の「お
ばあさん」みたいなもので、実は違う演者が違うニュアンスで演じてもキャラクター
の立ち上げが出来るのだな。
★喬太郎師匠『悪魔の寝床唄』『ハムバーグが焼けるまで』
『悪魔の寝床唄』は「キャラ亭」の金田一耕助パロディだけれど、探偵物を演劇的
に演じられる強みは発揮されている。『ハムバーグが焼けるまで』は「SWA活動休
止へのメッセージ」をチラッと入れた演出で、この噺の苦味と共感の表裏一体の面白
さとそれが乖離していないのは流石である。
★白鳥師匠『真夜中の解散式』
「活動休止」を「解散」にしちゃったけどいいのかなァ(笑)。
★彦いち師匠『バーベル芝浜』『掛け声指南』
『バーベル芝浜』は「キャラ亭」ネタだが、落語というよりは余興に近い。『掛け
声指南』は「私落語」としての面白さが深まっている。「直情である事の良さ」とい
う意味では権太楼師に近いのかな・・・
※「SWA」の活動休止は残念な事だと思うけれど、本多劇場での「書き下ろし」や
「ブレンドストーリー」の会と比べると、今夜はいまいち、充実感に乏しいという
か、如何にも「イベントです」という色合いを強く感じてしまった。「キャンディー
ズじゃないんだからさァ」という気持ちも同時に感じてしまったのでありますね。最
後の「活動休止挨拶」で四人それぞれが語った事に嘘はないと感じる。ただ、喬太郎
師が挨拶で語った内容みたいに、噺家さんは基本的に「生涯職業」で、明日から「普
通の人」になる訳でもない。「区切り」って必要だったのかな?かつての『森繁劇
団』ではないけれど(あれは役者人事行政の見本みたいな巧い形態だった)、「年に
1~2度、お馴染みの顔ぶれが顔を合わせる事はあっても、実体はあるような、ない
ような劇団」みたいな形態をズーッと続けても良いのではなかったろうか。そういう
意味で「寄席」ってのは、「プロの作りだす、非イベント的な日常性の場」の典型な
んだね。発表になった、来年正月二之席上野の夜主任を喬太郎師匠が取る(しかも休
演日の代演が白鳥師と彦いち師でしょ)、という方が「非イベント的な日常に起きた
変化」だからこそ「連続的な変化への期待」として興味をそそられる(この文章自
体、出演者というよりは、イベント的な会場設定をした主催者へ向けた言葉というべ
きである)。ま、近年の芝居やコンサートみたいに、だらだらカーテンコールを何度
も繰り返したりはせず、「早く呑みたい、打ち上げをしたいから」とカーテンコール
一回で切り上げたのは、噺家さんらしくて、SWAらしくて物凄~く好きだったけ
ど。
◆12月6日 上野鈴本演芸場夜席
まめ平『元犬』/菊六(交互出演)『浮世床・講釈本』/ゆめじうたじ/馬石(龍玉代演)
『堀の内』/正雀(扇遊代演)『紙入れ』/紫文/南喬『金明竹』/白酒(四人交代出演)
『壺算』//~仲入り~//夢葉/はん治『背中で老いてる唐獅子牡丹』/二楽/雲助『芝
浜』
★雲助師匠『芝浜』
落語ではなく、雲助師独特の世話噺の世界。ふた幕物世話芝居の雰囲気である(歌舞
伎や新派でなく文学座っぽい)。ベースは三代目三木助師型だが、魚勝が表情豊か
で、対照的にかみさんは表情が抑え目。「大川へでも飛び込もうか」と言う勝をかみ
さんがひっぱたく辺りの人物像は「若い杉村春子」ってとこがある。一寸確りしすぎ
てて怖いとこもあるけれど。落語的下世話ではない。勝は稍、暢気というか、軽い作
りだから北村和夫さんか。大晦日もドラマにし過ぎない、淡い流れである。浜の夜明
けは簡単だが、大晦日の描写は丁寧。用語の選択の「江戸前ぶり」は雲助師らしく抜
かりがない。久保田万太郎脚本演出、文学座公演という所か。志ん生師とおかみさん
をモデにしたら、『芝浜』はどういう噺になるんだろう。そう思う辺り、今夜醸し出
された雰囲気にちと物足りなさがあるのだ。
★菊六さん『浮世床・講釈本』
講釈本を読む件は可笑しいのだが、イマイチ跳ねない。トリがネタ出しで『芝浜』な
のに「夢」に入ろうとして楽屋から止められたのは番組内容に対して無神経ではある
まいか。
★馬石師匠『堀の内』
粗忽者の主人公やそれに翻弄される周囲の人々の動きが素晴らしく可笑しい。粗忽ぶ
りも全くクサ味なく見事に変なのは凄い。
★白酒師匠『壺算』
前半可笑しかったのだけれど、瀬戸物屋の主人のキャラクターがボーッとしているよ
うには聞こえなかったので噺の展開に違和感あり。『抜け雀』の主人みたいにボーッ
としてた人がパニックに陥った、という雰囲気ではなかった。
◆12月7日 上野鈴本演芸場昼席
燕路『短命』/文左衛門『桃太郎』/猫八・小猫/玉の輔(百栄代演)『財前五郎』/菊丸
『祇園祭』/わたる/小燕枝(文楽代演)『小言幸兵衛』//~間入り~//ストレート松浦
/志ん橋『熊の皮』/正朝『紀州』/ホームラン(遊平かほり代演)/小里ん『言訳座頭』
★小里ん師匠『言訳座頭』
序盤の夫婦の会話が重く、テンションが上がらないまま、富の市との遣り取りに入っ
てしまったかな。富の市のリズムは二軒目の薪屋から面白くなったが、全体的にはイ
マイチ。
★菊丸師匠『祇園祭』
京都男の嫌味な可笑しさは芸風にピッタリ。祭囃子も調子の高い師匠だから聞きやす
い。
◆12月7日 第八回射手座落語会(浅草三業会館二階座敷)
宮治『初天神』/正蔵『締込み』/生志『反対俥』/喬太郎『小政の生立ち』
※自分の主催する会だから、感想は無し(楽屋にいた時間などもあり、通してちゃん
と聞いているとは言い難い)
◆12月8日 池袋演芸場昼席
一九『蟇の油』/ロケット団/圓太郎『勘定板』/正朝『町内の若い衆』/和楽社中/一
朝『小言幸兵衛』//~仲入り~//馬石『金明竹(下)』/菊之丞『元帳』/順子・木り
ん/白酒『甲府ぃ』
★白酒師匠『甲府ぃ』
やはり寄席のトリネタで来たか。テンポよく、また豆腐屋主人をそそっかしい男にす
ると同時に善吉の善人ぶり・出世意欲を陰にして、辛気くささを極力抑えて愉しい
『出合い落語』にしてある。法華信仰も善人の説教臭さも感じず、「人の出合いの不
思議」だけが後味に残る展開の落語らしさには感心する。頭が良いねェ。
★一朝師匠『小言幸兵衛』
サラッと演じて愉しく、仕立て屋の逆襲も可笑しくて絶妙。
★圓太郎師匠『勘定板』
田舎者が跨ったまま(大便はしない)、算盤が廊下を走って障子を突き破り、下の
天水桶に落ちた所で「さっきのおまじない(玉を弾く)がきいて助かった」いう展開
に変えた。骨太の可笑しさである。
★馬石師匠『金明竹(下)』
前半オールカット。上方者の使いはごくまともで、与太郎は理解出来ないだけ。伯
母さんが勝手にパニックに陥る、という三者三様が面白い。
◆12月8日 第19回ぎやまん寄席番外編「遊雀の会」(湯島天神参集殿二階座敷)
小曲『垂乳根』/遊雀『四段目』/遊雀『うどん屋』//~仲入り~//まねき猫『河童の
鳴き声』/遊雀『花見の仇討』
★遊雀師匠『四段目』
定吉のキャラクターで、芝居好きよりも悪戯小僧の面が先立つのが馬鹿馬鹿しく愉し
い。また、旦那がスッと調子を落として、店なかで芝居に行く話を定吉に始める辺
り、落語話芸の的確さが可笑しさを引き立てる。やっぱり巧いのである。四段目の真
似を始めた時、芝居のセリフが散文的になるのが惜しい。遊雀師なら二枚目声で本格
に演じても可笑しさの邪魔にはなるまい。
★遊雀師匠『うどん屋』
仕立て屋のみぃ坊の科白を思い出して嗚咽する酔っ払いと、直ぐに「私が悪うござい
ました」と謝るうどん屋のキャラクターの対比が前半は愉しく、泣かせかけて、ちゃ
んと笑いに引き戻す自在さがある。酔っ払いが去って後、うどん屋が屋台を担ぐ仕種
は重さを的確に表現して見事でありながら、リアリズム芝居になり過ぎない然り気無
さで凄~く感心した。ほんと、巧いんだなァ。言葉不要の省略表現になっている。大
店の客の「熱くして下さい」以降は、目白の小さん師の演出力、特に言葉の見事な省
略を受け継ぐ出来。最後にうどん屋が言う「ヘェーッ?」だけ、喜びが欠けたのは惜
しい。
★遊雀師匠『花見の仇討』
四馬鹿カルテットの可笑しさ、特に侍役の熊さんが待たされた腹立ちまぎれに本気で
刀をズバーッと抜く可笑しさや、稽古で巡礼役二人の片方が熊さんの動きに感心して
ボンヤリ見ている可笑しさが優れているのは勿論なんだけれど、マジになって助太刀
に参加する侍(酔ってない方)のマジ馬鹿ぶりや、耳の遠いおじさんの堅馬鹿ぶりな
ど、登場人物がみんな落語的馬鹿に染まっているのが物凄く可笑しい。この「落語的
馬鹿」のキャラクター造形感覚は、中堅より下の真打では、遊雀師と甚語楼師に顕著
なのだが、やはり権太楼師の影響なのだろうか。強いて言うと、巡礼兄弟役の二人の
キャラクターにもう少し違いが欲しい。
★まねき猫師匠『河童の鳴き声』
河童の鳴き声をベースにした展開で、「枕草子」ほど、客席を静かにしすぎないの
が結構。初代猫八のSPの話も面白かった。
◆12月9日 池袋演芸場昼席
朝呂久『子褒め』/小駒(交互出演)『鷺取り』/世津子/しん歩『強情灸』/一九『都々
逸親子』/とんぼ・まさみ(ロケット団代演)/吉窓(圓太郎代演)『ぐつぐつ』/正朝
『浮世床・講釈本』/和楽社中/一朝『短命』//~仲入り~//馬石『王子の狐』/菊之
丞『棒鱈』/順子・朝呂久/白酒『抜け雀』
★白酒師匠『抜け雀』
『火焔太鼓』の甚兵衛さんと、この噺の宿屋主人の「ついでに生きてる人感覚」は志
ん生師に次ぐものだと思う。それほど主人の一挙手一投足に愉しさがある。かみさん
は衝立から絵に描いた雀が抜け出ると分かってからは可愛くなるが、前半は志ん朝師
的で怖さが勝ち、先代馬生師の諦めちゃったかみさん(貧乏時代のおりんさんだね)の
可笑しさがなく、『火焔太鼓』ほど古今亭・金原亭らしい夫婦像には至っていない。
若い絵師も一寸威張りすぎ。老絵師にはもちっと品格が欲しい。品格があると「息を
詰めろォー」がもっと面白くなる筈。二人とも優れた絵師という設定にしては、作画
への入れ込みが足りないんだね。
◆12月9日 いちのすけえん人形町支店(日本橋社会教育会館ホール)
朝呂久『間抜け泥』/一之輔『粗忽の釘』//~仲入り~//ぴっかり『ん廻し』・民謡
弾き語り/一之輔『藪入り』
★一之輔さん『粗忽の釘』
珍しく引っ越しの冒頭から。粗忽な亭主と、それを面白がっているかみさんという夫
婦関係の一之輔流ギャグ落語だから可笑しい。特に亭主の「(夫婦して)素っ裸で転げ
て笑った」というセリフは聞くたびに場面が目に浮かんで笑ってしまう(これって先
代柳朝師匠譲りのギャグだよね?)。反面、夫婦噺(情は特に要らない噺だけど)の関
係性を余り感じないから、ギャグ沢山の一之輔落語における「コントの羅列」的なぶ
つ切り感はどうしても伴う。
★一之輔さん『藪入り』
序盤は親父の「情の強さ」とその可笑しさで、三代目金馬師の小型版の雰囲気。一朝
師の『藪入り』ほど、親父に職人らさはないのが惜しい。かみさんが対照的に矢鱈と
醒めてるのが気になる。亀は悪くはないが『初天神』の子供が少し育ったみたいな醒
め方を感じる。菊志ん師の亀の子供らしい背伸び感はない。後半、亀の財布を開けて
からは、かみさんがガラッと変わって、子供を心配する余り疑心暗鬼に陥る母親にな
り、短気だけど泣きながら亀を叱る親父と好一対で良かった。前後のバランスが次の
課題かな。
※「『藪入り』は親の感情の押し付けで嫌な噺だ」という言葉は家元一代の暴論だと
私は思う(亀をも少し生意気にしたら家元、親父は目白の小さん師って関係そのもの
噺だもん)。この噺に関しては「親にとって子がいつまでも子であり、子にとって親
がいつまでも親である限り、この噺は滅びない」という小三治師の意見に賛同する。
親子関係(親〓子〓孫)が破綻してる人の受取方は別よ。「倅が幾つになったって、子
供なんだから、孫より可愛いや」って、ディック・ミネさんの言葉を家元は聞いた事
がなかったのかな?
◆12月10日 正蔵・馬石・一之輔の会(六本木BeeHive)
※正蔵師はインフルエンザで休演。
馬石・一之輔「御挨拶」/つる子『子褒め』 /一之輔『加賀の千代』/馬石『締込み』
//~仲入り~//馬石『狸の札』/一之輔『提燈屋』
★馬石師匠『締込み』
泥棒のキャラクターの良さや動きの愉しさは、先代馬生師の異才ぶりに近い。ベース
はさん喬師型だが、様々なディテールの凝り方が活きて、違う味わいの愉しさになっ
ている。かみさんが本当に怒り始めるのが些か早く、その分、感情的にリアルになり
過ぎる面もあるが、一寸中堅若手真打で真似手の無い良さがある。
★馬石師匠『狸の札』
短い。アッという間だが、狸の表情の可笑しさ、八五郎が札の蚤を取る克明な動きの
可笑しさなど、傑出した部分が多い。
★一之輔さん『加賀の千代』
御隠居が真に良い人で、全面的に甚兵衛さんを受け入れているのが愉しい。甚兵衛さ
んはかなり変人っぽいが、独特のぶっきらぼうな可笑しさ。かみさんは噺の仕込み役
程度の扱い。
★一之輔さん『提燈屋』
若い連中が広告を前に無筆ぶりを競う前半がワイワイガヤガヤでなく、寧ろ鎮静した
雰囲気で可笑しいのは異色(何かダルな若者たち)。後半は、提燈屋の親父が怒り出
すのが、隠居の前に出掛ける前の若い衆に「お前ェんとこか提燈、ただくれるっての
は」と言われた辺りからで、そこまでは焦れがなく、淡々と進むから余り盛り上がら
ず、最後でいちなりパニックになるのは可笑し味を薄くしたと思う。
◆12月10日 第32回特撰落語会「貞水・さん喬 硬軟長講二人会」(江戸深川
資料館小劇場)
貞鏡『姉川軍記~木村又蔵一番槍』/喬の字『天狗裁き』/さん喬『文七元結』//~仲
入り~//貞水『三村の薪割り』
★さん喬師匠『文七元結』
演出的に寄席の主任とほぼ同じだったから、尺も同じくらいかと思っていたが、実は
10分以上長かった。それを是何故な感じさせないのは凄い。佐野槌で女将は厳し過
ぎず、お久も泣いたりしない。長兵衛は畏れ入るばかり。吾妻橋の長兵衛と文七の遣
り取りは落語的な可笑しさがセリフにも仕種にも混じる。長兵衛にまた変化があり、
金を恵む事にテレ笑いをし乍ら文七に金を遣ろうとする。次第に泣き笑いになり、金
を投げ付けて逃げる。ここでも泣かさない。近江屋の跛面はいつも通り短めで、達磨
横丁長兵衛内になって、長兵衛が落語的に陽気なのに、かみさんのお兼がシナシナと
文句を言うのが悲惨でなく、可笑しさとして感じられる演出には瞠目した。文七が現
れて「親方、有難うございました」と頭を下げた場面で吾妻橋がフィードバックして
きて涙が出た。目出度さで泣かせてこそ落語なんだねェ。
★貞水先生『三村の薪割り』
なるほど長講。三村と竹屋喜平次の心情面の交流が良く分かる。「斬り手も斬り手、
刀も刀、研ぎ手も研ぎ手」の嬉しさがあり、職人気質と侍気質の絆になっている。明
治の噺家が(鼻の園遊師など)が面白い人情噺として演じたのも分かる。笑いをかなり
挟み込んだが、そんなに笑いの挿入は必要かな。それよりも序盤、薪割りを見た喜平
次の「巧いっ!」(先々代貞丈先生の音源で聞くと素敵なのよ)や、三村が桑の庇支
えを斬る場面にもう少し鋭さが欲しい。
※さん喬師でも『三村の薪割り』を聞きたくなった。剣術の心得がある人、侍の出来
る人でないと無理のある噺だからね。『井戸の茶碗』や『柳田格之進』といった美濃
部家の噺を、さん喬師が良く演じるのも当然なんだな。
----以上上席------
◆12月11日
※色々あって草臥れてしまい、家から出ず、一日寝ていた。
◆12月12日 第24回白酒ひとり(国立演芸場)
扇『牛褒め』/白酒『四段目』/白酒「アンケート読み」/白酒『景清』//~仲入り~
//白酒『富久』
★白酒師匠『四段目』
可笑しさは変わらず十二分なのだけれど、定吉の芝居掛かりの形がどうも決まらな
い。セリフも少し型崩れがしてきたし、言い訳の言葉など、もっと芝居っぽいセリフ
になっても良いと思う。その辺り、定吉の「芝居狂い」が明確と言い難いのは、そろ
そろ修正したい所だろう。
★白酒師匠『景清』
定次郎が腕の傷を見せ、「目が見えなくては仕事が出来ない」と泣かせる件をカット
するなど、センティメンタルになり過ぎないように配慮している割には、定次郎が旦
那の前でメソメソ泣いたりするのが、聞いていてピンと来ない。清水観音堂の階段を
定次郎が上る件で御詠歌を半端に唄ったり(偉く高っ調子で変)、本堂前で祈る観音経
が適当な内容(ほぼ出鱈目に近い)なのも中途半端に感じる。その程度の「ツール」を
入れるのは、却って「落語」として邪魔になるのではあるまいか。演出でカットした
方が良いように感じた。終盤、着物の縞目を見て、定次郎は目が開いたのに気が付く
演出。とはいえ、演技的に仕種や視線がまだ決まっていないので、目が明いたと分っ
た瞬間が分り難いのも事実だ。金馬師の「月が出てらァ…月?」の分かりやすさと良
さにはまだ敵わない。聞き終わって、白酒師の場合、上方原型『盲景清』のように、
観音様を出現させ、定次郎が平景清の目を観音から貰って大暴れをする、荒唐無稽か
つ落語らしい演出を採った方が向くのではないか?と思った。そこは雲助師の「世話
噺」を成立させる視点と、白酒師の視点の違いだろう。
★白酒師匠『富久』
こちらは雲助師型をベースに、そこから抜け出そうとする過程と、その可能性を感じ
た高座だった。序盤、見徳屋の知人との遣り取りで、久蔵が現在住んでいる三軒町の
裏々長屋(オフオフみたいである)の小ささを強調したり、日本橋石町への駆け付け
の場面を取り入れて(前に聞いた時は無かった。但し、黒門町的な江戸の夜の寒さの
表現としては使っていない)、「久蔵の慌ただしい一夜の始まり」をマンガ的に描い
たのもひと工夫だろう。体型的には、目白の小さん師型の「どてらに縄の帯」を久蔵
に着せた方が似合うと思うけれど。久蔵の芸人らしさのキャラクター表現は雲助師を
受け継いでおり、石町の旦那の家で、帳付けを途中から隣にいる番頭に押し付けた
り、ハッと気が付いて自分がやったりの支離滅裂さや、番頭の分まで注いだ酒を呑む
事で酒に逃げる男の弱さを面白く出すのはかなり成功している。また、富の千両を貰
えないと分かっても、感情を極端に露呈させたりはしないし、通り掛かった三軒町の
頭から早めに久蔵に声を掛けさせ、久蔵の「茫然自失」を陰気にせず、噺を明るい方
向に向けるのは白酒師に似合う展開で賛成したい。半面、雲助師のクリクリした目の
可愛さなどは無いから、千両を貰えない辺りで、もう少し人間的な可愛さを作る必要
性も感じる(そういうとこは昇太師の久蔵が巧い)。石町の火事場での久蔵の可愛さ
を面白く出すのには成功しているのだから、金が貰えない怒りの中での久蔵の可愛
さ、幇間らしい、職業的に染み付いた愛嬌を出すのも、白酒師にとってはそんなに難
しい事ではないと私には思える。
◆12月13日 新宿末廣亭昼席
京丸京平/圓馬『粗忽の釘(下)』/可楽『漫談』/健二(ぴろき代演)/圓『近日息子』//
~仲入り~//春馬『猫の皿』/Wモアモア/とん馬『元帳』/楽輔『錦の袈裟』/ボンボ
ンブラザース/平治『御血脈』
★平治師匠『御血脈』
『善光寺由来』で終わりかと思ったが、久しぶりにサゲまで。石川五右衛門の登場に
なって、唄も歌ったりするが(笑)、五右衛門の大きさは流石である。
※マクラから序盤の釈迦誕生辺りを聞いてると、平治師の『宗論』ってどんななんだ
ろう?(聞いた事がない)と思ってしまう。
★国分健二『物真似漫談』
後半、上方のオカンと倅の漫談を演ったが、可笑しかった。これを主体にして、歌
真似を組み合わせた方が面白いのではあるまいか?
◆12月13日 市馬・喬太郎・桃太郎の会(練馬文化センター小ホール)
吉好『十徳』/桃太郎『春雨宿』/喬太郎『初天神(上)』/市馬『掛取り三智也』//~
仲入り~//鼎談
★良い年齢をした大人が三人、好き勝手をしているという(正確には、という風に見
せられる)点で、噺家さんらしさ溢れる気楽な落語会。特にこの三人の組合せは強い
なァ、みんな唄うし、気を使い乍ら馬鹿が言える(笑)。或る意味で桃太郎師が一番生
真面目なのが分かるのも愉しい。勿論、鼎談の中身はとても掛けない(笑)。
◆12月14日 春夏冬三人会其ノ壱(日本橋劇場)
宮治『元犬』/桃太郎『浮世床』/笑遊『宿屋の仇討』/遊雀『芝浜』
★遊雀師匠『芝浜』
志ん生師匠型がベースかと最初は感じた(17日に違うのが分った)…魚熊が主人
公。時間が押していたせいもあるかもしれないが、序盤「磐台には水が張ってある」
「庖丁はピカピカに磨いてある」「草鞋は出てます」といった夫婦の遣り取りがない
ので、三代目三木助師以降の主人公につきまとう「実は優等生」イメージが全くない
のは落語としては清々しい。浜では海水で顔を洗って、直ぐに財布をみつけると中を
チラッと見ただけで、不安そうな顔はせず、嬉しそうに飛んで帰る。財布の金を数え
るのに「行灯を明るくしてこっちへ持ってこい」は巧いセリフで、時間的な家の中の
暗さが分かる。熊は喜ぶと酒を飲まずに寝て、昼に起きて湯に行き、友達を連れて帰
り、散財する。「魚屋が魚屋に(肴を)頼むんだから、どんなに目出度ェか分かるだ
ろう」も面白いセリフだなァ。二度目に熊を起こしてからのかみさんは「情けないこ
と言わないでおくれ」「魚屋さえしてくれれば我慢出来るのに…私は出て行く!」と
怒る。熊が「おめェがいなくちゃおれは人間でなくなっちまう。酒ェ止めるから」と
縋って止める。御贔屓への出入り復活の件が一寸入って、カットバックして三年経っ
た大晦日は熊の湯帰りからになる。この場も夫婦二人きり(若い衆は湯に行かせてあ
るので蔭でも出て来ない。この方が良いね。「蕎麦の代金」云々の遣り取りが私は好
きではない)。表に小さな店を出した事は熊がセリフで言う。畳を替えただけでな
く、かみさんも髪結いを呼んで丸髷を結い直していて、熊がそれを誉める(「結綿の
出来に百八つ鳴り終わり」みたいである)。この辺りの遣り取りから家元や矢来町、
小三治師より、夫婦の世代的な印象が若く感じられる(この夫婦の遣り取りはこれま
で、一般的にどうも年寄り臭いのだな)。笹の葉や月明かりの描写も言わず、大晦日
の世話場の苦労話や「呑める奴は楽しみだろうな」のセリフも無い。熊の「働かな
きゃいけねェ。どんなに蓄えがあっても俺は働くぜ」を聞いて、かみさんは財布を出
す。この時、テレなのか、かみさんが薄笑いしていたのが非常に印象的だった。かみ
さんは「一年経って財布が戻ったけれど、私はまだお前さんが信用出来なかった。お
前さんは私を信じてくれたのに」「離縁されても仕方ない。ごめんなさい」と謝っ
て、最後の方は泣く。「打っても蹴っても」は言わない(このセリフも私は大嫌いで
ある)。「手をお上げなすって」(この調子は志ん生師的)から熊のセリフに戻り、
「畳とかみさんは古いのに限るな」と喜ぶ。かみさんが「お酒、呑もうか?」と言い
出して、夫婦で茶碗酒を酌み交わし始める(この夫婦酒になるのが一番良かった)。茶
碗を口元に運んだ熊が膳に茶碗を戻す。「どうしたの?」「…よそ。……夢になると
いけね(呟く)」。三代目三木助師から家元、矢来町、小三治師をはじめ、数々の演者
がくっつけ過ぎてきた文学的・心理的・演劇的装飾を取り払い、非常にシンプルで小
味な落語に戻したとも言える、優れた高座である。その中で、自分なりの夫婦を描い
た演出で、芝居じみた緊迫感や息苦しさがないのは嬉しかった。落語だもん。勿論、
「かみさんが少し強いかな」と思うとこもあるが、『芝浜』の原点、夫婦噺の原点に
近付いた高座で、嫌なとこ、暗く鬱陶しいとこが無い。今後のグレードアップが楽し
みになる『芝浜』だった。遊雀師も「落語の職人」になれるね。
★笑遊師匠『宿屋の仇討』
万事世話九郎の科白に「捨衣が三連勝中である。あの連勝を止めてまいれ!」と昇大
師のくすぐりが入っていたけれど、元は昇大師なのかな?序盤、小田原宿と神奈川熟
がごっちゃになったりして、かなり緊張気味の様子だったが、江戸っ子三人が婆ァ芸
者を呼んで大騒ぎを始めてからは(これだけ大騒ぎに聞こえる噺家さんも珍しい)可笑
しさが前に出た。まだ笑遊師らしさはちと物足りないが、万事世話九郎には侍らしい
迫力があるし、伊八は本当に四苦八苦してて可笑しい(散々、江戸っ子から「お八」
と呼ばれた挙句、最後の敵討の報告になって「やっと伊八と呼んでくれましたね」と
言ったセリフには馬鹿受け)。桃太郎師がモデルだという源兵衛はじめ(笑)、江戸っ
子三人ははすさまじく跳ねっ返りで、先代今輔師みたいな婆ァ芸者は矢鱈とパワフル
で可笑しい。一年くらいすると爆笑ネタになってると思う。最後に「あれは座興だ」
とシレッとして表情を変えずに言う万事世話九郎が凄く可笑しいのが止め。
★桃太郎師匠『浮世床』
今年に入ってからか、途中まで寄席で聞いて以来の演目。フワフワと芸・講釈本・
夢。講釈本の中身が目茶苦茶なのは桃太郎師以外では許されないだろうけれど可笑し
い。夢は意外と普通なんだけど、相手の女が全然美人に見えないのが独特の可笑し
さ。ケメヅカ温泉のケメ子さんと変わらないみたいな雰囲気なんだもん(笑)。
◆12月15日 新宿末廣亭昼席
遊史郎『悋気の独楽』京丸京平/寿輔(圓馬昼夜替り)『名人への道』/可楽『尻餅』/
ぴろき/圓『悔み丁稚』//~仲入り~//竹丸(春馬昼夜替り)『童謡の穴』/Wモアモア
/とん馬『元帳』/楽輔『粗忽長屋』/ボンボンブラザース/平治『鈴ヶ森』
★平治師匠『鈴ヶ森』
親分は稍リアクションの迫力過剰で、お客の笑いを誘いだせないとこもあったけれ
ど、子分の下らなさは一段とパワーアップして、強烈に馬鹿馬鹿しい。顔中墨黒々と
塗り潰す場面で、額が本当に黒くなったみたいな感じがした(つまり、海苔でグルグ
ル巻きにした握り飯ね)。くっだらなさも飛び抜けるとリアルさを伴うんだろうか。
※可楽師が『尻餅』を短めに、極く普通に淡々と演じているのを聞いていたら、妙に
歳末感を感じてしみじみとしてしまった。何だったんだろう。
◆12月15日 柳家三三・ナオユキふたり会「ふたりぼっち3」(北沢タウンホー
ル)
三三・ナオユキ『バーテンと客』(※コラボというかコントというか)/ナオユキ/三
三『鮑熨斗』//~仲入り~//ナオユキ/三三『笠朞』
★三三師匠『鮑熨斗』
次第にナンセンスなイメージが強くなっているのは、メソメソしたり客観的になった
り振幅の激しいキャラクターの甚兵衛さんと、彼を上から視線で取り囲む周囲の人々
の世界の歪みが大きくなっているためかな。可笑しさの強まる半面、甚兵衛さんが熨
斗の由来はちゃんと覚えられる不可思議が強まっているのも事実。志ん生師の「こい
つは腹が減って飯が食いたいだけの奴なんだ」が明らかに言葉の上だけなんだな。
★三三師匠『笠朞』
押していたので言葉を省略して短め。「血は争えませんね」と待ってる側の旦那に言
う番頭の存在は『三枚起請』の亥之さん同様、三三師独特の「噺内第三者」なんだけ
れど、その視点があるから、目白の小さん師型がベースなのにも関わらず、二人の焦
れの根として、「友情」よりも二人が抱えた「老人の孤独からの逃避」の方が前に出
てくる。それが軸なら軸で別に構わないけれど、結果、二人が「傍迷惑な爺」に見え
る事に違和感がある。
★ナオユキさん
聞いた事があるのは三三師とのふたり会だけで、私はまだ二度目だから、よく理解
していないんだろうけれど、いえば「小噺漫談」なのか。オンシアター/自由劇場や
イッセー尾形さんっぽい音楽を出入りに使っているが、内容的には寄席の超定番みた
いなネタが混じったりする。演劇型かというと独り芝居ではなく、あくまでも個人の
語りなんだけれど、構成が「小噺」的で、例えが違うかもしれないが、柳家紫文師の
「長谷川平蔵シリーズ」の私的内容版だったり、市井スケッチだったりするので、実
は演劇的な笑いではない。イッセー尾形さんっぽい音楽は「正体隠し」の隠れ蓑なの
かも。もう少し展開すると鶴瓶師の「私落語」みたいになるのかもしれん。
◆12月16日 新宿末廣亭昼席
章司/圓丸(右左喜代演)『死ぬなら今』/楽輔『浮世床・芸~講釈本』/京丸京平/圓馬
『高砂や』/可楽『漫談』/健二(ぴろき代演)/圓『鹿政談』//~仲入り~//春馬『だ
くだく』/Wモアモア/とん馬『垂乳根』/金遊『小言念仏』/ボンボンブラザース/平
治『禁酒番屋』
★平治師匠『禁酒番屋』
番屋の侍が言葉の端々は酔いながらも、上体を崩さぬなど「侍らしさ」に留意した演
出。反対に、酒屋の若い衆たちはマンガっぽく崩して、硬軟の対照で馬鹿馬鹿しくも
下らなくない愉しさを描いていた。
★圓師匠『鹿政談』
稍短めの演出だが、悠々とタップリ聞かせた余韻を残して、乗りの良い観客をだらさ
ず、惹き付けたのは流石だ。
◆12月16日 J亭落語会月替り独演会・柳家三三独演会(J亭アートホール)
小太郎『時そば』/三三『質屋蔵』//~仲入り~//三三『柳田格之進』
★三三師匠『質屋蔵』
ほぼ米朝師型だが、心理表現、特に情緒的な心理表現を重んじない噺だから、三三師
には東京風の演出より似合う。定吉が熊さんに芋羊羹を買って貰い、会心の笑みを漏
らす件、熊さんが旧悪を次々と白状する辺りの可笑しさは久しぶりに三三師らしさを
感じた。旦那が米朝師のように似合わないのと、旦那の語る質草の帯の謂れに米朝師
のディテールの細かい庶民感覚が無いのは仕方ない。そこを演じきろうと三三師がし
たら、噺が陰気になってしまうだろう。
★三三師匠『柳田格之進』
時間の関係もあったのか、月見の宴をカットした演出で30分ほど。娘を売らず、来
圀俊の刀を売る馬石師型だが、更に芝居じみたメリハリをつけた演じ方にした。結果
的に偉く単純な噺になって、メリハリしか印象に残らない。今夜の柳田は先日の『懐
古趣味』で演じた時より、更に正義感だけで他人の見えない頑固者で矢鱈と猛々しく
怖い。優れた柳田にある成長や変化の無い人物である。萬屋番頭徳兵衛から近代的な
「男の嫉妬」をカットし、「忠義一途」にしたのは一つの工夫だが(柳田は萬屋の
“主従三世”を許すのだから)、来圀俊の刀が全てを嘘にする。殿様から拝領の刀を
売り払った侍が、旧主の下に帰参出来る訳がないと思えてならぬ。侍の面目丸潰れで
それこそ切腹ものである。来圀俊を売る演出は小市民的妥協で、「侍への侮蔑」にほ
かならないのてばないか?人は立場、身分、宗教、階級、様々な違いで考えの立脚点
が違い、それを理解しあわなければならない業もある。そのために柳田の人間が描か
れ、成長や変化が描かれる…という点の欠けた『柳田』は演じる必要があるのか?
◆12月17日 第17回三田落語会昼席(仏教伝導会館ホール)
半輔『垂乳根』/白酒『甲府ぃ』/喜多八『味噌蔵』//~仲入り~//喜多八『夢の酒』
/白酒『宿屋の仇討』
★喜多八師匠『味噌蔵』
病み上がりなのだそうだが(確かに大分痩せていた)、異様なテンションの高さだけ
でなく、吝兵衛も店の連中も何だか胡散臭いキャラクターで無茶苦茶可笑しい。特に
悲惨な店の食生活のおかげで食べ物の名前や食べ方を忘れている奉公人とか、旦那が
帰って来ても「今度はいつ食べられるか分からない」と箸と茶碗を手に立ち尽くす奉
公人がいたりと、リアルさをマンガ的に誇張した可笑しさが炸裂した高座。
★喜多八師匠『夢の酒』
初代三亀松師の色気漫談のマクラも可笑しかったが、若旦那のおかみさんや夢の女が
色っぽいのに驚く。最後の親旦那のオチのひと言は酒飲みの心理を現して見事。『味
噌蔵』にも言えたが、リアルに感じ難い大声で会話をしているのに、「話術の会話」
「演技の会話」でなく、日常的な会話に聞こえるのが不思議に面白かった。
★白酒師匠『甲府ぃ』
心情的な噺としてでなく、「縁の不思議」を面白く描いた噺として納得感があるの
は、やはり豆腐屋主人の粗忽ぶりのキャラクター造型と、対照的に善吉のキャラク
ターを敢えて「落語国の田舎者」に留め、余り個性を発揮させていない、というバラ
ンス感覚にある。
★白酒師匠『宿屋の仇討』
万事世話九郎の打つ手の音が綺麗になったので、場面転換が決まるようになった。
「ジングルベル」を騒ぐ場面で江戸っ子三人が唄ったり、これは前からだが「輪島と
白鳳ではどっちが強い」の言い合いから相撲騒ぎになったりと、ギャグは相変わらず
のナンセンスだが、噺のまとまりが良く、本題は30分弱のスピードになったのは凄
い。言えば、万時世話九郎が侍っぽさに乏しい。
◆12月17日 第17回三田落語会夜席(仏教伝導会館ホール)
半輔『寄合酒』/権太楼『富士詣』/志ん輔『火事息子』//~仲入り~//志ん輔『野晒
し(上)』/権太楼『芝浜』
★権太楼師匠『富士詣』
丁寧な演じ方で、熊の蛇淫戒話に出てくる先達さんのかみさんに妙な色気があるの
と、熊の話しぶりの可笑しさが独特で、噺の愉しさは派手に演じた時と変わらない。
生で聞いた『富士詣』ではやはり権太楼師が一番可笑しい。
★権太楼師匠『芝浜』
唸る名作。遊雀師がネタ卸しした『芝浜』の優れた原点が此処にある。三代目三木助
師以降、粋に作られすぎ、装飾の増えすぎた『芝浜』を、「大金を拾う」という落語
としては野暮な原点に一度戻し、そこから職人噺・夫婦噺として見事に組立て直して
ある。最初に起きた時、魚熊は酔いざめでなく、前夜から酒を断たされている。「水
を張った盤台」「研いだ庖丁」「草鞋」などの小道具はカットして、起きた熊は直ぐ
芝の河岸に向かう。途中の道で犬も出ない。浜の描写も殆ど無いまま、手拭いを波打
ち際に落としたのがキッカケで財布を拾う(これは遊雀師にもある)。家に戻り、
拾った金の勘定をすると、一杯呑んで直ぐ二度寝する。起きると銭湯に行き、友達を
連れて帰り宴会騒ぎになって酔い潰れて寝る。かみさんが三度目に起きた熊に「財布
を拾ったのは夢だ」と話をするのも翌日の昼過ぎで早朝ではない。「起こすと手拭を
肩に銭湯へ」を繰り返して、「夢だ」と熊が納得させられるが、「手拭を肩に銭湯
へ」のセリフも形も実に愉しい。「酒を止める」は熊が言い出して、仕事に出るシー
ンはなく、贔屓の出入りを許される件を挿入。三年経っての大晦日は銭湯帰りの熊か
ら始まる。畳と障子は変えたが、まだ店などは出していない棒手振りのまま。「昔は
酒が道楽だったけれど、今は仕事が道楽だ」という熊の言葉で、かみさんは財布を出
す。家元は職人の感情に憧れて解説はしてくれたけれど、権太楼師は目白の小さん師
譲りで、職人の気持ちを表現してくれているのに感心した。だから、かみさんから
「夢ではなかった」と聞かされて、「どんなに情けなかったか」「それが夫婦
か?!」と怒る熊の心情に共感する。この共感は先代圓楽師の「思い出したくねェ。
嫌な夢だ」に近い心情ではあるまいか。かみさんは「こんな事して良いのかな」と怖
くなったから熊を「夢だ」と騙し、苦し紛れの感情で「情けない事を言わないでおく
れ」と叱ったと語る。「今のお前さんなら、金を見て駄目になって乞食になっても一
緒に乞食になって良いと思ったから、お金を出した」と語るかみさんは、確かに「怖
い女」でもあるが、「一緒に堕ちる決意」をしてくれる女がかみさんだというのは、
男から見て「運命の女」だって事でもある(志ん生師とおりんさんみたいな夫婦であ
る。面識はないけれど権太楼夫人に会いたくなった)。「機嫌直して貰おうと思っ
て、お酒、用意したの」というかみさんに、一度は「あの時、呑まないと決めたから
呑まない」と言った熊が、重ねてかみさんに泣いて薦められ、「お前も呑むなら呑
む」と言って、かみさんに先に酒を注ぐのが凄く良い(夫婦は共犯関係なんだなァ。
権太楼師がマクラで雲助師の『もう半分』を褒めたのが此処に繋がるのか)。最後に
湯飲みを膳に戻した熊が「よそう、夢になるといけねェ」を少し笑顔で、明るめの切
なさで言うのも素敵である。本題の尺は30分くらいと適切。夫婦噺・職人落語の
『芝浜』として、現在以降、基本になるべき演出だと思う。三代目三木助師の『芝
浜』の呪縛から漸く離れた高座に出会えた喜びを感じた。演出面では先日ネタ卸しし
たの遊雀師が更に洗練している部分もあるのだけれど、夫婦としての気組みが段違
い。
★志ん輔師匠『火事息子』
落語というよりは、雲助師の「世話噺」に近い「江戸情話」として優れている。志ん
生師や矢来町の型でなく、家元の演じていた鶴本の志ん生師型で、臥煙になった芳三
郎の夢の中から始まる。その冒頭から芳三郎が切ない。夢の中で女中に「どうし
た?」と存在を訊く「お千代」が纏持ちの後家で芳三郎の乳母になった女という設定
も、そうと分ると切ない。番頭の「御勘当になった芳三郎さんです」を聞いた親旦那
の「やっぱり…」のひと言も胸に滲みる。親旦那も阿っ母さんも割と泣くが、泣かせ
の嫌らしさは感じない。親旦那の気持ちも阿っ母さんの気持ちも聞いていて分かるか
らである。
★志ん輔師匠『野晒し(上)』
矢来町型として、ちゃんとしているのだけれど、勢いがないため一寸物足りない。
志ん輔師の変化・安定化によるものだから仕方ないんだけれどね。
◆12月18日 第回雲助蔵出し再び その十(浅草三業会館二階稽古場)
市楽『元犬』/雲助『持参金』/雲助『蟇の油』//~仲入り~//雲助『らくだ』
★雲助師匠『持参金』
サラリと可笑しく、雲助師ならではの馬鹿馬鹿しさがある。主人公のセリフから、
お鍋が酷く不細工に聞こえないのも結構。しかし、寄席によっては「禁演落語」に
なっていたとは知らなかった。確かに、新宿末廣亭で妊婦客のカップルがこの噺の直
後に帰ったのは見た事があるけれど、その末廣亭以外で禁演というのが驚き。これで
禁演なら『マサコ』なんかどうなるんだろう。
★雲助師匠『蟇の油』
凡そ雲助師から聞いた記憶の無い演目だけれど、酔った蟇の油売りの目茶苦茶さがた
だ荒っぽいのではなく、不思議な可笑しさの酔い方なのと、酔った勢いでズバーッと
刀を抜く辺りの迫力、それを見ていた客のリアクションの可笑しさには先代馬生師を
感じた。
★雲助師匠『らくだ』
ベースは先代馬生師だろうが全体のトーンが軽めで、噺の輪郭が稍小さい。屑屋が些
かグズ作りなのは独特で、カンカンノウを大声で唄う件はハッキリ可笑しいが、後は
野暮ったい。それが酒で変わり、鯔瀬とまでは行かないが、妙に江戸っ子っぽく威勢
の良くなる所が面白い。酔いが回った証拠として、先代馬生師譲りの突如大声を発す
る件もあるが、先代や志ん朝師程の大声ではない。この大声をキッカケとして急激に
態度が変わる、というよりは三杯呑んで、後をせびりだし、杯を重ねて荒れ始めた結
果、大声を上げる雰囲気。屑屋の語るらくだとの因縁話は狸の皮の件だけ。兄貴分は
比較的凶悪ではなく、江戸前の小悪党(笑)。大家は段々怒り出し、大声を出す辺りが
独特で、視線の因業な辺りも烈々と性質の悪さが出て可笑しい。月番と八百屋のリア
クションは普通。らくだの死体の始末は屑屋が髪は毟って、湯飲みに入った髪を取り
だしてから、樽を横にして死体を中に入れ、蓋で無理に押し込む。手足を一々折った
りはしない。樽を担ぎ出してからは屑屋の派手な「葬礼だ」が非常に可笑しく、隠亡
の凄い酔い方も抜群のマンガで傑出している。願人坊主と屑屋が帰り道で喧嘩を始め
るが、ここのナンセンスさはイマイチ。願人坊主の動きが小さいのかな。
◆12月18日 第回雲助一門会(浅草三業会館二階稽古場)
辰じん『ひと目上り』/白酒『四段目』/龍玉『親子酒』//~仲入り~//雲助『浪曲社
長』/馬石『笠碁』
★雲助師匠『浪曲社長』
爆笑お遊び噺(圓歌師と比較は出来ないが、浪曲も含めて中々こうは出来ないよ)。
ゴルフと浪曲好きの社長が、何となく「変な人」で可笑しいのは、先代馬生師的な
「変人落語」を余り得意としない雲助師としては、『電話の遊び』の親旦那と並んで
出色だろう。馬石師の『笠碁』とこの噺を聞くと雲助師の『笠碁』も聞きたくなる。
★白酒師匠『四段目』
いつもより面白いくらいなのに、続く三人が異常に可笑しかったので、会が終わった
ら印象に残っていなかったのは気の毒。
★馬石師匠『笠碁』
今松師譲りとのこと。先代馬生師型に、今松師や馬石師の工夫が加わり、目白の小さ
ん師型『友情の笠碁』でなく、先代馬生師の『碁に淫した変な人たちの笠碁』とし
て、かなりのレベルで面白い。「“待った”をしますね」と吉田の隠居に言われたの
が原因で、二人が「待った」を止める件は久しぶりに聞いた。最初に碁を打つ場面か
ら、明らかに二人とも目付きがおかしく(馬石師自身が碁をするというのが明らかに
投影されているが、それ以上に馬石師の性格の特異な一面が表れている印象)、その
淫し方、入っちゃった二人を引き画でみる愉しさが堪能出きる。後半、菅笠を被って
現れた碁敵を見て、待つ側の旦那が店の者たちに「普段の通りに(相手を)見ろ」と命
令するセリフや、番頭が「あたくしが(相手を)呼んで来ましょうか?」と申し出る辺
り、旦那たちの我が儘から、店中に異常な緊張感が漲っているのが如実に分かり、可
笑しくて堪らなかった。先代馬生師独特の「変人落語」は馬石師が一番受け継いでい
るのかもしれない。
★龍玉師匠『親子酒』
親旦那が呑み始めてから、間を溜めに溜めてボソッと呟く、「……うまい」など、ひ
と言ひと言の呟きが非常に可笑しい、独特の『親子酒』。こんなに可笑しい龍玉師は
初めて聞いた。親旦那も若旦那も、簡素な表現の酔っ払い方なのだが、如何にも酒呑
みらしい「可愛らしい意地の汚さ」が一杯(笑)。龍玉師の噺でこんなに笑ったのは
初めてである。
◆12月18日 上野鈴本演芸場夜席
玉の輔『財前五郎』/紫文(小菊代演)/琴調『赤垣徳利の別れ(下)』/歌武蔵『時そ
ば』//~仲入り~//ロケット団/燕路『もぐら泥』/アサダⅡ世/志ん輔『掛取萬歳』
★燕路師匠『もぐら泥』
サラサラと軽くて巧い。明らかに、これまでの「巧さ自慢」がなくなり、面白くなっ
たなァ。
★歌武蔵師匠『時そば』
一人目の男のそばの食いっぷりの良さと、二人目の夜鷹蕎麦屋が高倉健みたいに渋く
無愛想な低音なのが物凄く可笑しい。ギャグ面では普通に演じても、キャラクターで
これだけ面白くなる見本。才能のある噺家さんである。
★志ん輔師匠『掛取萬歳』
狂歌・義太夫・喧嘩・芝居・萬歳。そりゃ、圓生師みたいに大本格とは言わないけれ
ど、魚屋との「喧嘩」の場面に圓生師みたいな嫌らしさ、鬱陶しさがなく、全体が明
るく、暢気な貧乏人の掛取り対策になってるのが愉しい。
◆12月19日 新宿末廣亭昼席
可楽『漫談』/ぴろき/圓『天災』//~仲入り~//春馬『漫談』/Wモアモア/とん馬
『犬の目』/楽輔『粗忽長屋』/ボンボンブラザース/平治『うどん屋』
★平治師匠『うどん屋』
華柳師譲りだったかな…最近はまず聞かない『高砂や』『松尽くし』『山姥』に酔っ
払いが文句を付ける件が入り、「仕立屋の太兵衛」も三度、繰り返して話し掛ける。
その酔っ払いが職人の怖さを感じさせるのが独特。小柄なれば先代文治師だが、大柄
だから室田日出男といった雰囲気になる。だから、うどん屋が余計に愛想良くなるの
も分かる。その一寸怖いとこが、ミィ坊の花嫁姿を思い出して酔っ払いが泣く、とい
う展開の湿感を重くしない味にもなっている。うどん屋も酔っ払いが去ると、特に愛
想が良い訳でない。「婆さんのいう通り、今夜は早仕舞いしよう」と、普段は通らぬ
路地を抜けたため、初めての大店の客と出会う…この流れは良いね。大通りへ出て、
売り声を二度言うのも寒夜の雰囲気が出て結構なもの。大店の若い衆は、酔っ払いと
はうってかわって如何にも暢気な風邪っ引きで、うどんを啜る様子もクサくなく丁寧
なら、うどん屋のリアクションも小商人らしく無駄が無い。まだ、うどん屋の雰囲気
を若く感じてしまうが、これからが更に楽しみな演目だ。
◆12月19日 上野鈴本演芸場夜席
小菊/琴調『徂徠豆腐』/歌武蔵『時そば』//~仲入り~//ロケット団/燕路『やかん
舐め』/アサダⅡ世/志ん輔『文七元結』
★志ん輔師匠『文七元結』
マクラ殆ど無しで50分くらい。清澄な世界は先日の国立演芸場と同じで、登場人物
を追い詰めず、雲助師と共に(持ち味は違う)「江戸情話」の世界を築いている。半
面、客席の入りが薄く、受け所で観客側からのフィードバックが少なかったため、噺
を引っ張る長兵衛の陽気さが途中から、国立演芸場ほどは乗りきれないままに終わっ
た印象である。「江戸情話」としての魅力はあるが、最後の達磨横丁で「金は文七が
忘れて来た」と聞いた長兵衛が「死ねェー!」と叫ぶ雰囲気には至れなかったなど
(国立演芸場の「死ねェー!」は絶妙だった)、落語らしい愉しさに関して物足りなさ
が残ったのである。勿論、悪い出来ではなく、佐野槌でお久の言葉から長兵衛の泣き
笑い、女将の涙と続く件が陰気にならず、何処か温かい雰囲気を感じさせるなど、志
ん輔師らしい良さは散見されている。
★歌武蔵師匠『時そば』
昨夜書き忘れたが、主人公が二度目の不味いそばの太さを「干瓢みてェだな」と称す
るのと、不味いそば屋が出汁に煮干しを使っているのを、代金を誤魔化したい一年+
そば屋の低音に気圧されて「煮干しの方が体には良いんだ」と御愛想を言うのが優れ
た表現で非常に可笑しい。
-----以上中席------
石井徹也 (落語”道落者”)
投稿者 落語 : 2011年12月20日 23:05