« 石井徹也の「らくご聴いたまま」 九月下席号 | メイン | 石井徹也の「らくご聴いたまま」 十月下席号 »

2011年10月20日

石井徹也の「らくご聴いたまま」 十月上席中席 合併号

東京はようやく秋模様。日によっては厚物を羽織りたいときもありますね。皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の平成二十三年十月号上席・中席合併号をUPいたします。稀代の落語”道落者”・石井徹也渾身のレポートをお楽しみください!

------------------------------------------------------


◆10月1日 前進座劇場プロデュース寄席《噺を楽しむ》その五十 さん喬喬太郎親
子会 昼の部(前進座劇場)

喬之進『元帳』/さん喬『そば清』/喬太郎『錦の袈裟』//~仲入り~//喬太郎『夜の
慣用句』/さん喬『中村仲蔵』

★さん喬師匠『そば清』

寄席でよく演じているネタだが、こんなに(ほぼノーカット)丁寧で細部まで演じら
れた『そば清』は初めて聞いた。「汁っかぶりの見物」など初聞きの部分多数。言葉
の端々までさん喬師の演出の手堅さ、普遍性の高い巧さを感じる(その点は目白の小
さん師譲り)。オチも「そこに座ってるじゃねェか」「いや、違うんだ。そばが着物
を着てるんだ」という言い回しで分かりやすく、しかも非常に絵が見えて無気味であ
る。

★さん喬師匠『中村仲蔵』

前回聞いた時と違い、芝居部分に鳴り物を入れてタップリ目に演じた。言葉や設定の
整合性には些か乏しく、言い間違いも多かった。それはかつての「アートな仲蔵」か
ら「栁家落語的人情噺の仲蔵」への変化過程のためだろうか。仲蔵の女房がでしゃば
らず、仲蔵が大当りに上気している辺りのキャラクターはやはり優れているし、團十
郎は目白の小さん師を感じさせる骨太なキャラクターで面白い。『淀五郎』に較べて
『仲蔵』は「中身の乏しい噺」という印象を持っていたが、仲蔵女房の「お客様は仲
蔵だったら、どんな定九郎を見せてくれるんだろうと思ってらっしゃるんじゃない
の」と、仲蔵が舞台上でしくじったと勘違いして呟く「こうなったら、俺の思うよう
に演らせて貰おう」を聞くと、「自分ならではの芸」を求め乍ら、「客に合わせず思
うままに演じる」という舞台人の気概を描く噺なのか…と感じた。

★喬太郎師匠『錦の袈裟』

与太郎の可笑しさ・可愛らしさは変わらないし、馬鹿馬鹿しさが充分出ていて気楽に
愉しい。

★喬太郎師匠『夜の慣用句』

これはもう、喬太郎師が本質的に持っている「笑いのテンション」の部分が一番出て
る演目だなァ。

◆10月1日 前進座劇場プロデュース寄席《噺を楽しむ》その五十 さん喬喬太郎親
子会 夜の部(前進座劇場)

喬之進『七段目』/さん喬『締込み』/喬太郎『ぺたりこん』//~仲入り~//喬太郎
『七両二分~紙入れ』/さん喬『文七元結』

★さん喬師匠『締込み』

昼の『そば清』に続いて、これもほぼノーカットの演出。それだけでなく、「そこで
す」のセリフをいつも寄席で演じている時のように溜めて低くから言わず、ストレー

トに煽って言うなど、笑いを取りに行かない演出に徹している。結果的に、やたらと
明るい泥棒と割れ鍋に閉じ蓋夫婦の気持ちの応対だけで演じきった高座。それでいて

芝居っぽくないのは流石だなァ。

★さん喬師匠『文七元結』

こちらも芝居っぽいメリハリを全く付けず、キャラクターの応対で演じきろうという
試みの途中段階にある噺というべきか。この噺では全然メソつかない(情が無いので
はなく職人的に単純明快な性質を感じる)長兵衛が目白の小さん師っぽいのがユニー
ク。冒頭も最後も長兵衛のかみさんは長兵衛を追い詰めないし(割と脇役的な扱
い)、お久の可憐さ(泣かない)、文七の若さ故の愚かさ、可哀想さも整ってきてい
る。従前の演出の佐野槌女将のような「怖い人」は一人も出てこないのも落語らしい
(今の女将も長兵衛を追い詰めたりしない魅力的な人物像)。中では、近江屋主人の商
人気質がまだ曖昧かな。中間の説明科白など、言葉数が非常に少なくなっており、表
情とセリフのコントラストで噺を進めている。それでいて、枕橋で突き当たった男が
「笑いながら去って行った」という文七の述懐は「後になってスリではなかったと感
じさせる巧いな描写だな」と感心した。また、文七が財布の中を月明かりに当てて確
認する動きの良さも忘れ難い(その月明かりの淡さの前提として、暮れの23日夜の
設定になっている)。半面、まだ全体に目白の小さん師的な一瞬の表情や間の詰め
方、トントンと運ぶリズム感が充分とは言えず、間のかかる表情がセリフに伴ってい
るため、全体尺が如何にも長いのは課題だろう。基本的に吾妻橋までに力点を置き、
近江屋からは流し気味なのは37~8分で演じる寄席の主任高座と変わらないが(終
演時間を意識した事もあるだろうが)、それにしても佐野槌から吾妻橋が少し長い。

★喬太郎師匠『ぺたりこん』

さん喬師が『締込み』のマクラで話した「今日は師弟で研鑽して」に応えたような演
目。圓丈師の馬鹿馬鹿しくも不条理な展開や、会社の非情に振り回される中年男の辛
さは余り感じないが、主人公の「負け組が秘めるやり場のない憤り」への共感は遥か
に身近に感じられた。高橋課長がちと類型的な敵役に感じられるのを改訂すると(圓
丈師の課長はもっと無気味だったが、喬太郎師なら普通の会社人間で良いだろう)、
より喬太郎師らしくなるのではないだろうか。

★喬太郎師匠『紙入れ』

ちょいと生々しさも感じさせマダム芸風のかみさんと、駄目な若者新吉の描き方は独
特。だから、旦那にもっと浮世離れしたようなコキュぶりが欲しい。

◆10月2日 上野鈴本演芸場夜席

さん坊『六銭小僧』/ろべえ(交互出演)『鈴が森』/仙三郎社中/禽太夫(琴調代演)
『野晒し(上)』/文左衛門『道灌』/遊平かほり/小袁治(交互出演)『東北弁金明竹』/
世津子/はん治(五人+一人交代出演)『背中で老いてる唐獅子牡丹』//~仲入り~//
紫文/喜多八(小三治代バネ)『明烏』

★喜多八師匠『明烏』

本来、小三治師の主任だから主任高座は一時間取ってあるし、前方の助演勢もいつも
なら少しっつ詰めているのが、休演で全員タップリ時間はある。でも、客席は50足
らずだから(ちゃんと受ける良いお客さんだった)、演者は別に力まず、特に受けを狙
わず、手は抜かず、丁寧に高座を勤めるという、不思議に穏やかな流れの夜。『明
烏』も結構尺はあったが長さを感じさせず、「もう終わり?」という印象(これは悪
いこっちゃない)。何だね、時次郎の印象が半病人か甚兵衛さんみたいなのではな
く、分を弁えて時次郎を消した『明烏』にしてあるんだなと気付いた。源兵衛・太助
の会話から始まるように、二人の可笑しな悲劇に変えてある。廓と気付いて逃げたが
る時次郎の袖を捉えて離さない源兵衛の説得顔に、他人の金で遊ぼうてェ「町内の札
付き」の性根が良く出ている。その二人が背負い投げを喰らうから愉しい。喜多八師
は粋だね。こうなると馴染みの敵娼に二人が背負い投げを喰らう理由として、時次郎
の「女郎なんぞ買ったら、どんな病を引き受けるか分からない」を活かしたいな。

◆10月3日 新宿末廣亭昼席

川柳『ガーコン』//~仲入り~//吉窓『都々逸親子』/ロケット団/喜多八『目黒の秋
刀魚』/小里ん『手紙無筆(上)』/翁家和楽社中/志ん橋『抜け雀』

★志ん橋師匠『抜け雀』

独特の硬く、武張った雰囲気だが、若い絵師の傍若無人ぶりも如何にも無邪気なので
楽に聞けるのが持ち味。宿屋主のひょこひょこ温かい可笑しさは三十年間、変0わら
ないなァ。また、とん馬師の「温かみの無い奴だ」の原典は志ん橋師だったのかと納
得。

◆10月3日 新宿末廣亭夜席

はな平『牛褒め』/馬吉(交互出演)『笊屋』/東京ガールズ/喬之助『寄合酒』/甚語楼
『権助芝居』

★甚語楼師匠『権助芝居』

脂っ濃いイメージが権助に似合って可笑しいだけでなく、テンションやセリフの使い
方もちゃんと配慮されていて愉しい。先代馬の助師的な明るさ、濃さがあるから、
もっと深い出番のレギュラーとして堪えうる存在だと思う。

◆10月3日 第五回夢一夜(日本橋社会教育会館ホール)

明楽『饅頭怖い』/夢吉『元犬』/一之輔『宿屋の富』//~仲入り~//一之輔『代書
屋』/夢吉『花見小僧』

★一之輔さん『宿屋の富』

古今亭型。一文無しにボヤッとした可笑し味はあるが、宿屋亭主や女房、更に二番富
の男のキャラクターは粒立たず。一文無しにしても、キャラクターの一貫性に乏しい
ため、当たって驚く件が弱い。客は二階で寝てる演出。

★一之輔さん『代書屋』

雲助師型に権太楼師型が混じっている。依頼人は終始一貫、フワッとして突っ込みめ
キツイ調子ではないが可笑しい。代書屋が陰気というより稍平坦で、結果的に噺の抑
揚に乏しい。妙に静かな代書屋。

★夢吉さん『元犬』

シロと隠居がひたすらエネルギッシュで、犬らしい習性を残しまくっている部分が見
事に可笑しく爆笑。馬石師の『元犬』に続く可笑しさだ。

★夢吉さん『花見小僧』

定吉がニンバを踊り、山車の人形の真似をする演出。随分昔に聞いた記憶があるが、
先代園遊師の『花見小僧』だったかな。これも定吉が非常にエネルギッシュで「平治
師に教わったの?」と思うくらいに元気。旦那は旦那に見えないが、非常に可笑しく
愉しい。人を巻き込む、落語らしい馬鹿馬鹿しさと光を持っている。落語芸術協会で
平治師、遊雀師に続く花形候補はこの人になりそう。

◆10月5日 上野鈴本演芸場夜席

文左衛門『手紙無筆(上)』/遊平かほり/小袁治(交互出演)『夢の酒』/世津子/琴調
『名月若松城』//~仲入り~//紫文/喜多八(小三治代バネ)『五人廻し』

★喜多八師匠『五人廻し』

小三治師型中心に、手洟をかむ田舎者と関取は稲荷町型。フワフワと余り力を入れず
に客の色欲(未練というべきか)と、振られたの対照憤りを可笑しく描き出した。「玉
代返して」が殆どないのも「色欲」が前に出る原因になっている(気持ちは分るがこ
の方が遊びの噺としては野暮でない。野暮が可笑しいんだけどね)。官員が田舎訛り
なので、田舎者とつくのは惜しいが、官員が最後に手をついて「女を回してくれ」と
頭を下げる野暮さ加減が皮肉に可笑しい。江戸っ子と喜助の遣り取りは喜助側の余計
な一言が可笑しい反面、江戸っ子の啖呵はスピード重視ではない割に呂律がおかしく
分り難かった。通人も薄気味悪さが足りない。喜助は序盤の困り方と関取相手の醒め
た言葉つきでは人物像が違って違和感あり。小三治型から稲荷町型へ繋いだ結果、人
物の連結が上手く行かなかった、という事かしらん。

★琴調先生『名月若松城』

簡潔にして西村権四郎も蒲生氏郷も変に偉そうでなく、主従相聞の魅力を感じる。
『名君行状記』なんか聞きたくなるね。

◆10月6日 上野鈴本演芸場夜席

小燕枝(交互出演)『不精床』/世津子/琴調『お民の度胸』//~仲入り~//紫文/小三
治『猫の災難』

★小三治師匠『猫の災難』

体調不良と聞いて心配していた。この芝居、『廐火事』『百川』『廐火事』と演じて
きたというが『猫の災難』とは、小燕枝師匠がマクラで話されたように今夜は元気と
いう事かな。但し、座蒲団にはかいもん付きだったのは正座がキツいのかもしれな
い。マクラ無しで、これまでに聞いた『猫の災難』に比べて全体のテンポが非常に早

(湯飲みや燗徳利を飲み干す際の速い事!燗徳利など煽ってた)、それが幸いして弛み
の無い出来で実に可笑しかった。チョコチョコと聞いた事の無い擽りも混じっていた
が、何たって最初の一杯、二杯を飲むの嬉しそうな表情、飲み干した後のホワッと愉
し気な表情は『青菜』で植木屋が鯉の洗いを食う場面に匹敵する良さ。惜しむらくは
燗徳利に酒を一合取っておこうとする件や、全部飲み干して猫を追い掛ける支度をす
る件になるとフッ、フッと酔いが醒めて素面の表情と顔になる。友達は少し意固地な
のが小三治師らしく(笑)、矢鱈と気の良い奴で嬉しいが、「おめぇが呑んだんだろ
う?」のセリフには目白の小さん師の苦笑いが欲しい。酒屋を「酢屋満」でなく「亀
屋」と言ったがこれは度忘れかな。あと、硝子の一升瓶で一升徳利ではなかった。瓶
を揺らし乍ら「揺れ方が違う。粘るようだ」ってセリフは、良い酒らしい実感があっ
てステキだったが、これは硝子の一升瓶じゃないと無理だもんな。

◆10月7日 宝塚歌劇団月組東京公演『アルジェの男』『DanceRomanesque』(東宝
劇場)

◆10月7日 第9回桂平治独演会「練る」(道楽亭)

平治『犬の目』/昇々『スパスパ』/平治『野晒し』//~仲入り~//平治『蒟蒻問答』

★平治師匠『犬の目』

鯉昇師匠譲りとのこと。脳下垂体腫瘍手術の体験談をマクラにして入った。盲人の動
きが意外とリアルで、シャボン先生の馬鹿馬鹿しさと対照的。反面、この噺にしては
雰囲気に軽さが乏しい。表情が独特で非常に可笑しい上に、サービス精神旺盛で声が
大きく派手だから、ネタによっては、表情と声の可笑しさが打ち消し合ってクドさが
出るのは課題だろう。

★平治師匠『野晒し(上)』

故・若馬師匠譲りとの事。調子が高く軽快だった若馬師に比べ、尾形清十郎の長屋か
ら大川べりまでがテンポ、リズムに乏しい。志ん朝師を例に上げるのもなんだが、大
きい声でも速いセリフは言える訳だから、大きな声だから間が開くという事はない。
「分かって貰おう」というサービス精神の発露が過ぎるのかな。それが緩急や抑揚を
弱めているみたい。「一人気違い」の妄想の会話は今のテンポでも女に色気があり、
端の釣り師たちの迷惑顔も愉しい。更に男が川に落ちて流されて助けられるサゲの辺
りが非常に馬鹿馬鹿しくて抜群に可笑しい。前半にリズムが出て化けたら、誰も敵わ
ない持ちネタになりうるだろう。あと、サイサイ節の調子が少し違うのも調子の低さ
ゆえか。妄想の喋りを聞いていて、『舟弁慶』の雷のお松を平治師で聞きたくなっ
た。

★平治師匠『蒟蒻問答』

目白の小さん師⇒故・夢楽師経由とのこと。序盤がなく、権助と八五郎の会話から入
るのは鯉昇師の影響か。場所も上州安中等といった具合に特定されていない。権助・
八五郎の二人が見せる自棄みたいに乱暴な精神状態は、先代柳朝師や小三治師的キャ
ラクターで非常に可っ笑しい。会話の中で「天蓋を買ってきて酢蛸にしろ」と八五郎
が言うのは良い工夫で賛成。あれが思い出し話だと説明っぽさが増してしまう(噺が
野暮になる)。そして、途中から登場する択善と六兵衛親方の八五郎・権助を遥かに
凌ぐ存在感に圧倒された。如意棒を手にした択善は花和尚魯智深みたいだし、六兵衛
親方はらくだの馬さんみたいで、どうみても堅気同士に見えない(笑)。この怪物的な
二人の問答はゴジラ対キングコングを見てるようなもの。唖然として見ていた。こん
な凄い『蒟蒻問答』は聞いた事がない。展開と可笑しさは完全にマンガなのに、こう
いう存在感が出てしまうのが平治師の最大の魅力だな。歴代最大最強の桂文治になる
可能性大。

◆10月8日 シス・カンパニー公演『泣き虫なまいき石川啄木』(紀伊国屋サザンシ
アター)

井上ひさしはやはり作劇が巧いなぁと感心。「旧左翼的」と分析する人もいるが、こ
の作品の啄木の父や『人間合格』の太宰家執事の持つ「時任せ」の東日本人体質は
「旧左翼的価値観」を凌ぐ。演出も兼ねた段田安則の啄木父に正邪不明の存在感あ
り。「小ぶりなすまけい」という印象(但し、色気が無いんだな)。啄木の稲垣吾郎
は『ぼっちゃま』に続いて弱く駄目な人間が似合う。『人間合格』の太宰や『三人姉
妹』の長兄が観たくなった。啄木妻節子の貫地谷しほりはセリフがハッキリしており
舞台向

けだね。そんなにが巧いとは思わないけれど、髪を切った場面から異様に色気が出た
のに驚いた。

◆10月8日 第11回東西笑いの競演『三喬・喬太郎二人会』(国立演芸場)

阿か枝『煮賣屋』/喬太郎『綿医者』/三喬『鹿政談』//~仲入り~//三喬『善哉公
社』/喬太郎『竃幽霊』

★喬太郎師匠『綿医者』

殆ど大腸検査を受けた話に終始したマクラ(笑)。医者のいい加減さがもっとスーダラ
な感じに出るともっと可笑しくなると思う。『犬の目』や『藪医者』とか演らないん
だっけ?

★喬太郎師匠『竃幽霊』

幽霊が熊さんの前に出てきてからは愉しくなるのだが、どうも其処までがまでが筋運
び重く感じる。喬太郎師に限らず、三代目三木助師型の『竃幽霊』と『御神酒徳利』
は演者を選ぶとこがあるのを感じる。三代目三木助師のはどちらも終始軽妙洒脱な傑
作だが、長いといえば長いし、演者によっては中盤までが筋運びにしか聞こえなくな
る。熊さん・銀ちゃんの件に至るまでの道具屋と客の遣り取りも「道具屋」の繰り返
しがかったるく聞こえがちなのである。演者個々による上方版のアク抜きが些か足り
ないとも言えるかもしれない。また、この噺のポイントである熊さんと幽霊、博打に
淫しきった二人の馬鹿な勝負の可笑しさに、序盤・中盤までのストーリーが敵わない
のではあるまいか。ならば、熊さん・幽霊に絞られた目白の小さん師や志ん生師型を
演じた方が面白くなるだろう。

★三喬師匠『鹿政談』

麟太郎さんと声と雰囲気が似ているのが良く分かる。やはりホノボノして、サラリと
軽い、良い芸なのだが、奉行(曲淵甲斐守だから米朝師型か)の権威、意志が出難いの
が惜しい。これまた奈良の名物から鹿に関するマクラが長すぎたせいもある。金馬師
のように奈良名所案内としてまとめてあると楽しみやすく、長さを忘れられるのだ
が、知識の羅列になってしまった印象。

★三喬師匠『善哉公社』

サラサラとした演出だが、食堂に歴代首相の色紙があったり、役人の使う「内閣総理
大臣某」のハンコがシャチハタなのは「あんまりコロコロ変わるので象牙では勿体な
い」といった皮肉なギャグや、医者が担当医なりに役所の煩わしさを馬鹿にした口の
ききかたをするなど、随所に施された工夫と三喬師の淡い芸風のバランスが良い。小
南師型の「ヒラ」みたいな自虐的でインパクトの強いギャグが一つあっても良いとは
感じたが…

◆10月8日 第293回三遊亭圓橘の会(東京深川モダン館)

橘也『位牌屋』/圓橘『五人廻し』//~仲入り~//圓橘『半七捕物帖~獺』

★圓橘師匠『五人廻し』

圓生師型から稲荷町型への繋ぎ。「筋を言うから細切れだ」、関取が柱に鉄砲をかま
している、など初耳の擽りあり可笑しい。調子の強弱で言うと強の方が強いので(圓
生師的なメリハリだが圓生師より音域が低いためだろうか)廓噺の柔らかみと夜更け
の雰囲気が乏しいのは惜しまれる。

★圓橘師匠『半七捕物帖~獺』

稲荷町の師匠が演じていた『半鐘』に似た噺だが、半七老と新聞記者の会話になる終
盤が「噺」としての印象を薄くする。十右衛門という因業な隠居のキャラクターに圓
生師的な味があるだけに、会話中心にリライトして演じた方がより魅力が出るのでは
なかろうか。

★橘也さん『位牌屋』

明らかに圓生師型。赤螺屋の吝嗇な感じは出ている。小僧から煙草をくすねて来たと
聞いて「偉い!」と褒める調子と形が馬鹿に可笑しかった。芋屋が段々怒り出す様子
も可笑しい。

◆10月10日 新宿末廣亭昼席

川柳『ガーコン』//~仲入り~//馬の助『味噌豆』百面相/ロケット団/喜多八『元
帳』/小里ん『夏泥』/和楽社中/志ん橋『片棒』

★小里ん師匠『夏泥』

終始、泥棒と家の主である裸の男の見事な会話が続いて、絶妙に可笑しい佳作。目白
の小さん師的落語の典型。

★志ん橋師匠『片棒』

声質が重く、囃子の形容になると音が割れてしまうので長男次男は面白味に乏しい。
矢鱈と頭を下げる三男と親父の馬っ鹿馬鹿しい会話になると、囃子と縁が離れるので
俄然精彩を放つが、そこまでが如何にも長くかかり過ぎる。

★喜多八師匠『元帳』

噺全体が軽くて明るく、亭主のキャラクターが可愛く愉しい。音曲を入れる演出でな
い後半が聞きたくなった。

◆10月10日 新宿末廣亭夜席

しん歩/『桃太郎』/左吉(交互出演)『代書屋』/マギー隆司(東京ガールズ代演)/喬之
助『短命』/金時(甚語楼代演)『水屋の富』

★金時師匠『水屋の富』

明らかに巧くなったなァ。噺に重苦しさがなく、それでいてドスが利き、尺はちゃん
と寄席サイズの演出。声も柔らかく聞きやすい。もっと受ける噺を聞きたい。

★喬之助師匠『短命』

病気前の軽快さにほぼ戻ったみたいで安心。

◆10月10日 第一回桃月庵白酒独演会「セゾン ド 白酒 秋の巻」(成城ホール)

扇『牛褒め』/白酒『だくだく』/白酒『ずっこけ』//~仲入り~//白酒『五人廻し』

★白酒師匠『だくだく』

寄席サイズ簡略型。マクラがタップリだったので、「取り敢えず落語も演りました」
くらいの印象。いわば、小三治師の「マクラタップリ⇒小言念仏」みたいなもの。

★白酒師匠『ずっこけ』

全体的には面白かったが、ほぼ雲助師の演出そのまんま。雲助師の演出が優れている
のと、主人公・小僧の可愛さと兄貴の世話の貫目が良き対照をなしているのがよ~く
分かる。白酒師の場合、小僧は可愛いが(ビブラートのかかる「有難うございま~
す」は笑った)、主人公は普通の酔っ払い程度の愛嬌、兄貴分は貫目がなく主人公と
似てしまう。かみさんも雲助師だともっと世話の雰囲気で、まとまりはあるが対照が
無い、という雰囲気。

★白酒師匠『五人廻し』

圓生師型・稲荷町型・古今亭型、色々混じっているが余り面白くない。この噺は廓噺
の中でも『二階素見』『お直し』以上に難しい噺になっているのを感じる。白酒師の
場合、客は四人だが、それぞれの「振られている状況」という入り口と、「玉代を返
せ」という出口は一緒とはいえ、「鬱憤の捌け口」という中身には当然個々の違いが
ある。その違いの表現が曖昧というか、十羽ひと絡げなので、単なる鬱憤晴らし比べ
に陥ってしまい、展開がどうしても単調に聞こえる。江戸っ子がなんで啖呵を切るの
か、壮士態の男がなぜ居丈高なのか、通人がネチネチ迫るのか、関取がどうして暴れ
るのか、腹の違いがまだ落語の表現として作られていない。「落語は人物と季節感が
描ければ可笑しくなる」という目白的落語解釈で言えば「人物」が描けていない。志
ん生師・先代馬生師的解釈で言えば「人物と世界の雰囲気が出ていない」という事に
なる。「見栄」や「気取り」「義理合い」「肉欲」など、四人それぞれの行動の「理
由」の持つ「共感出来る野暮」がもっと愉しく描けないとね。小三治師が先代可楽師
から持ってきた、官員の愚痴る「妻の病気」みたいな「独特の人物像・背景の描き
方」が必要なんである。さもなきゃ、小燕枝師が演じていたアメリカ人が出てくる、
くらいまで人物そのものを色々と変えちゅうか。最後に登場する杢兵衛大尽は、『お
見立て』みたいに狂暴ではないのが結構であるが、まあ普通の田舎者。喜瀬川の態度
はかなり冷淡で、リアルに女郎らしい(こんな女郎に廻しをするほど客が付くかね?
とも思うけれど)。最後の杢兵衛大尽の件で少し噺が走ったのは?マーク。

-----以上十月上席-----

◆10月11日 新宿末廣亭昼席

伸&スティファニー/とん馬『鮑熨斗(上)』/昇之進『善光寺由来』/Wモアモア/米丸
『地見屋と胎児の話(漫談)』/笑遊『壺算』/今丸/遊吉『五十銭芝居』//~仲入り
~//ぴろき/伸之介『六銭小僧』/小柳枝『金明竹』/健二郎/遊三『たが屋』/大喜利
遊三・伸乃介・遊吉『二人羽織』

★米丸師匠『地見屋と胎児の話』

漫談だが、「胎児」の部分は新しい噺のとっかかりとのシメ。今年に入って新作を卸
されているから、その可能性は十分にある。

★笑遊師匠『壺算』

こちらは、権太楼師系ネタの試演かな。まだ師匠らしい引っ張りが入っていない。

★とん馬師匠『鮑熨斗(上)』

「息をタップリ吸って言ってごらん」「(息を吸って)う…け…た…ま…わ…り…ま…
す…れ…ば…言えた」には笑った笑った。

★遊三師匠『たが屋』

相変わらず骨格正しい演出で、伴侍が刀の柄に手を掛けてグッと引く動きの怖さと、
その刀が赤錆びである対比が可笑しさの元なんだなと分かる。単に「サンピン」と罵
るばかりが可笑しさではないのだなァ。

◆10月11日 柳家三三『島鵆沖白浪』連続公演6(にぎわい座)

市楽『悋気の独楽』/三三『小菅屋の仇討』//~仲入り~//三三『花鳥召捕り』

★三三師匠『小菅屋の仇討』

25分くらいのサイズにまとめてある。三尺物の縁切りと仇討といった内容で、勝五
郎と嫁さんの侠客物的な別れがメインとなり、仇討は一瞬の付け足し。小菅屋の残っ
た金を店の者から女郎全員に分け与えて、自らは自訴する勝五郎は良い役になるけれ
ど、庄吉は仇討まで小菅屋で遊んでいるだけだし、仇討後の自訴の件=男二人の道行
き(東映任侠映画の殴り込みに引き継がれた世界)の感覚は微塵も無いので(普通の三
三ファンは嫌がるだろうが)、あたしゃ物足りない。喬太郎師なら、男二人の道行き
をどう演じるだろうか?なんて考え乍ら聞いていた。

★三三師匠『花鳥召捕り』

前回の大文字屋の強請から少し話は飛んで、春木道斎こと梅津長門(原作だと春木道
斎はお寅の古馴染みで梅津長門とは別人。そのため、時間経過がおかしく感じられ
る)を敵と思う娘が春木宅で女中をしており(というほどの家には聞こえないから女
中がいるのも変)、強請に来たお寅の会話から長門・花鳥の訴人を予見させる件と、
身体中腫物だらけになって三宅島で殺した女の悪夢に苦しむ(この女の話は初耳)玄若
をお寅が殺した所へ捕手が取囲み、花鳥が召捕られる件の二つがメイン。長門宅の強
請場で見せる、前回までとは全く人物像の違うお寅の「黒い心」が六ヶ月の中で一番
三三師に似合って存在感も圧倒的。色気はさのみ感じないが、玄若を脇差しで刺し殺
す件まで(喉を突いても直ぐには死ななからリアルな演出ではない)、雲助師の描き出
す幕末ピカレスクの粋や退廃ではなく、心底からヒヤリとする「人の心に巣食う闇」
を感じさせる。『乳房榎』の磯貝浪江と並んで、三三師の代表的人物像だろう。つく
づく、落語に向かない芸風なんだなぁ。花鳥召捕りの後は長門切腹、花鳥斬首(三三
師の場合、ここも丁寧に描けば、土壇場での山田浅右衛紋と花鳥の対峙が凄いだろう
に)、喜三郎は自訴後、火事での解き放ち中に病死と末路を語るが、妙にアッサリし
て物足らん。『Get a Way』みたいに誰か一人は逃げちまうか、『白熱』の
コディ・ギャレットみたいに炸裂して破滅するか、何かもう一つ、現代的な無常さが
しめくくりに欲しい。三三師に限っても、この作品よりも、園橘師の演じている岡本
綺堂版『大坂屋花鳥』の実説的人物像の方が似合うのではないかな?

◆10月12日 宝塚歌劇団月組東京公演『アルジェの男』『DanceRomanesque』
(東宝劇場)

★フィナーレで主役・霧矢大夢が大階段で唄う声を聞いていたら「トップスターにな
るまで病気など実に多くの山坂があったのに、苦労の陰を留めない、何と屈託のない
明るい声で唄えるのだろう」と感じて涙が出た。「天を翔け、地を満たし、人を癒
せ」の『天地人』がエンタテインメントの基本だね。

◆10月12日 池袋演芸場夜席

竹丸『漫談』/ぴろき(章司代演)/小南治『胴乱幸助(上)』/桃太郎『カラオケ病院』
//~仲入り~//ひでややすこ/蝠丸『猿後家』/歌春『看板のピン』/ボンボンブラ
ザーズ/伸治『宿屋の仇討』

★歌春師匠『看板のピン』

お馴染みの演目だが非常に気合いの入った良い出来で、普段は端折るセリフも入って
丁寧。隠居の旦那が若い頃は「マムシ」と呼ばれていた雰囲気、ピンを真似する馬鹿
の軽さも活きていた。

★伸治師匠『宿屋の仇討』

先代柳好師的なフワフワッとした可笑しさ。落語協会にはいない芸風である。特に河
岸の三人連れの軽~い江戸っ子がりの愉しさと、色話の際に前屈みになる様子が良
い。喜助の軽さもなかなか真似手はあるまい。萬事世話九郎は姿勢がフラフラするの
が惜しいけれど(手はちゃんと打てる)、セリフは確りしている。特に、最後の「座興
だ」と「よっぴて寝る事が出来ん」の軽い良さは正しく落語。

★桃太郎師匠『カラオケ病院』

「明後日、東京落語会で演って、『日本の話芸』で放送するんで稽古」とマクラで
言っていたが、患者が8曲唄う(増えた)中に、NHKでは絶対に放送出来ない内容あ
り(笑)。

◆10月13日 新宿末廣亭昼席

伸&スティファニー(小泉ぽろん)/とん馬『垂乳根』:かっぽれ/南なん(圓馬代演)
『熊の皮』/Wモアモア/笑遊『壺算』/遊吉『粗忽の釘(下)』今丸/金遊(米丸代演)
『六十銭小僧』//~仲入り~//ぴろき/伸之介『ろくろ首』/小柳枝『甲府ぃ』/健二
郎/遊三『船徳』/大喜利遊三・伸乃介・遊吉『二人羽織』

★金遊師匠『六十銭小僧』

受けないように、ソッと間を取り乍ら演ってるけど、子供の間が可笑しい。突然大
きな声を出す場面があったから驚いた。

★笑遊師匠『壺算』

段々笑遊師らしい、「ヒヒヒ」と可笑しい場面が増えてきた。「あれからあたしの人
生の歯車が狂った」には笑う。

★小柳枝師匠『甲府ぃ』

勿論短縮型で最初のおから泥棒など無いが、小柳枝師らしく最後の「甲府ぃ~お詣り
願ほどき」に清涼感あり。そう言えば小柳枝師も嫌なとこを感じた事の無い師匠だ
ね。

★遊三師匠『船徳』

親方の貫禄が一番(目白の小さん師的な職人感覚は現在一番感じる)。船頭たちも腕っ
ぷしの強そうな面々。若旦那も仕種はらしいのだが声が立派過ぎて職人じみる。客二
人は蝙蝠傘を持ってる方の臆病ぶりが可笑しい。もうちょいと柔らかみがあると御手
本なのだが。

◆10月13日 池袋演芸場夜席

小天華/文月『看板のピン』/竹丸『漫談』/章司/小南治『写真の仇討』/桃太郎『カ
ラオケ病院』//~仲入り~//ひでややすこ/歌蔵(蝠丸代演)『蛙茶番』/歌春『強情
灸』/ボンボンブラザーズ/伸治『お見立て』

★歌春師匠『強情灸』

凄く良い出来だったのに殆ど受けなかったのは客席が11人しかいなかったからでは
なく、前の高座で客席が冷えきったため。

★伸治師匠『お見立て』

シリアスと無縁な芸風だから、少ない客席でも緊張感を感じずに済んだ。緊張感に苦
しみ続けた(入った時が8人。最大で11人止まり。最後までいたのも8人。)夜のと
しては有難い。喜瀬川がまたヘラヘラしていて、冷淡な感じがしない。『上方はな
し』の『豆炭』の挿絵みたいな花魁で、ここまでマンガなのは珍しい。杢兵衛大尽は
こんなに良い人は珍しいというくらい、飄々とした良い人。あんまり田舎弁を強調し
ない。その狭間で喜助がひたすらアタフタするのはアメリカンコメディ(脂濃くない
けど)みたいだ。先代柳好師をヘラヘラさせた感じで、ほんと、落語協会には皆無の
芸風だなァ。

◆10月14日 新宿末廣亭昼席

昇之進『村の会議』(正式題名不詳)/遊之介(圓馬代演)『浮世床:芸と講釈本』/W
モアモア/笑遊『寿司屋は楽し』(漫談)/とん馬『垂乳根』今丸/米丸『昔の上方落
語』(漫談)//~仲入り~//章司(ぴろき代演)/伸之介『肥瓶』/小柳枝『甲府ぃ』/
健二郎/遊三『お見立て』/大喜利遊三・伸乃介・遊吉『二人羽織』

★米丸師匠『昔の上方落語』

懐古漫談。米丸師の話からすると、昔、故・小南師から聞いた初代小南師のゆったり
した口調というのは、初代・二代の春團治師以外の古い上方落語の典型だったのか
な。それじゃ東京へ来た初代小文治師は大変だったろう。

★遊三師匠『お見立て』

喜瀬川の隣に間夫がいて、喜助に杢兵衛大尽を追い返す手間を払うという演出は初め
て聞いた。「注文流れの墓石」「花魁が姿が良かったですから墓もスラーッとした」
など初見のセリフ多数。平治師の「他の花魁に上がってみろ、吉原中の若ェ女、殺し
ちまう」の原典は遊三師だったのね。杢兵衛大尽は東京で演じるられ中で一番の山家
者(出身も信濃で納得感あり)。喜瀬川もリアル過ぎず、醜男ぶりを嫌っているので極
端に冷淡ではないから聞き心地が楽。杢兵衛は如何にも大柄で武骨な醜男でいて、結
構二枚目気取り。墓参りの途中、喜助に「花魁と御大尽の中なんてものは」とおだて
られ、ヤニ下がって小遣いをやるのも可笑しい。喜瀬川の夢を見たという件はリアル
で、喜助の呆れるリアクションが一種のアクセントになっている。喜助が「ホォッ」
と見渡すと墓の広さが感じられるんだなぁ。ギャグ沢山ではないが落語として十二分
に面白い。

★小柳枝師匠『甲府ぃ』

今日は頭から。終始、芝居臭くない、清々しい出来栄えで(尺が短い寄席サイズとは
いえ)堪能した。

◆10月14日 人形町市馬落語集(日本橋社会教育会館)

市楽『芝居の喧嘩』/市馬『二十四孝』/市馬『風呂敷』//~仲入り~//市馬『不動
坊』

★市馬師匠『二十四孝』

八五郎の「許してね」などは目白の小さん師とは違う味で可笑しいのだが、大家の調
子に稍張りが乏しい。口慣れないためか、腹に入って楽々と演じている印象が弱いの
だ(そりゃ聞いた記憶が無いもん、仕方ないか)。

★市馬師匠『風呂敷』

サラッとして可笑しいが、志ん橋師ほど、兄貴もかみさんも酔っ払いも女房も無邪気
でないのが惜しい。市馬師匠なら無邪気になれると思うが。古今亭の噺の方が栁家の
噺より、登場人物の馬鹿度が高いから、無邪気さも濃くなるんだね。

★市馬師匠『不動坊』

前半、お滝を嫁に貰えると聞いてポーッとなった「35歳未婚」の吉公が、晩年の稲
荷町みたいなヒョワヒョワ声で銭湯に行く件は馬鹿に可笑しい。最後の場面でも吉公
が妙な強面にならないのも市馬師らしい配慮。三馬鹿トリオは個々のキャラクターは
濃くないが、幽霊役の前座を含めて気楽なお馬鹿ばかりで結構。特に前座の調子の良
さは実に飄々と可笑しい。萬さんの「胸が焼けるよ」や最初にドーン、ドーンと打つ
太鼓の具合も軽妙。徳さんにもうひと色、「男の嫉妬の可笑しさ」が出ると噺全体に
もっとコクが出るだろう。十分に愉しいんだけど、目白にはコクがあった。鉄さんの
色黒に対して、萬さんが「耳が遠い」(だからアンコロと間違える)などの工夫が
あっても良いのでは?又はアルコール抜きでボロに火を点けて大変な事になりかかる
とか。

◆10月15日 よってたかって秋らくご21世紀スペシャル寄席inOneDay
(よみうりホール)

辰じん『金明竹』/一之輔『粗忽の釘(下)』/喬太郎『うどん屋』//~仲入り~//百栄
『あの姉妹』/白鳥『砂漠のバー止まり木』

★喬太郎師匠『うどん屋』

ギャグは色々と入れていたが、酔っ払いに立ち去られて、思わずうどん屋が仏頂面を
して以降(この表情は些かリアル過ぎたけれども)、小商人の身すぎ世すぎと寒さので
た良い『うどん屋』になった。当人が精神的に疲れているらしいのが皮肉にも幸いし
たみたい。うどんを食う男が恥ずかしそうに、見つめているうどん屋からそっと視線
をそらすのが馬鹿に面白い。目白の小さん師型の愛想笑いの変形だけれど、恥ずかし
そうな方が喬太郎師には似合う。

★白鳥師匠『砂漠のバー止まり木』

癒されるファンタジーだなぁ。こんなに馬鹿馬鹿しいのに、マスターは間違いだらけ
の類型的蘊蓄おじさんなのに、このバーに行ってみたくなる魅力がある。中島らも氏
的な「虚構なればこそ、ハッピーエンドでいてほしい」に通じる愛しさがこのバーに
はある。

★百栄師匠『あの姉妹』

発想は抜群だけれど、途中から駄洒落の連発になって尻すぼみ。百栄師の場合、発想
されたある状況の中での可笑しさは抜群だけれど、そこから状況が転がって、新たな
可笑しさへと展開はしないから、長尺の噺にはならないのが特徴なんだね。白鳥師だ
と「あの姉妹」が「あの人は今」という状況を打開しようとするにせよ、状況に流さ
れるにせよ、転がって行こうとするけれど(別に百栄師が悪いとは言わぬ。噺は十分
可笑しいんだから)。

★一之輔さん『真打昇進騒動2~粗忽の釘』

今日の真打昇進騒動2はビデオを撮った話。かなりプレッシャーが来てるようで、マ
ジに心配。本題は、大工が怖い嫁さんを今でも愛してる事を自覚する展開で、一之輔
さんの演目としては『抜け雀』に似てる。可笑しいんだから、嫁さんを愛してると感
じて帰る所から後は蛇足に聞こえる。新婚時代の大工夫婦が行水の後、二人とも素っ
裸で転げ回って笑ってる場面は誰よりも愉しい。一之輔さんのおかみさんって、どう
いう人なんだろう?と思っちゃうなァ。

◆10月15日 第59回扇辰喬太郎の会(国立演芸場)

辰じん『ひと目上がり』/扇辰『目黒の秋刀魚』/喬太郎『廐火事』//~仲入り~//喬
太郎『石返し』/扇辰『藪入り』

★扇辰師匠『藪入り』

ほぼ、三代目金馬師の演出通りだが、最後に泣きじゃくる亀にオフクロが「亀、いい
加減におし!黙ってばかりじゃ分からないじゃないか!」とキツく叱るのが素晴らし
く利いて、これまで父親と倅の噺だった『藪入り』の世界を変えると同時に、親父と
オフクロの夫婦像まで一瞬で分かってしまうのに感心した。しかもオフクロが「ほら
御覧、私の子だよ」を言わない「加減の良さ」がまたステキだなァ。親父は持ち味の
職人気質でピッタリ。亀は帰って来て挨拶をした後、「ただいま」と小さい声で言う
のが良い。菊志ん師の「お父っつぁん、ただいま」と並ぶ亀の名セリフ。無理に泣か
せようとせず、親子の関係を見事に描いて涙を呼んだ佳作。

★扇辰師匠『目黒の秋刀魚』

ビリケンさんみたいな殿様が好き勝手をするのが無闇と可笑しい。中でも、秋刀魚を
旨くて堪らないという、子供がご馳走を食べるみたいに無言で延々と食べる様子が可
愛くて、殿様の我儘勝手も憎めなくなる。家臣が侍らしい割に、殿様は侍らしくない
と言えばそうなんだけどね(笑)。

★喬太郎師匠『廐火事』

喬太郎師古典落語のエポックメーキング的な作品になるかも。黒門町型がベースだ
が、「古典」の枠内にお崎さんと亭主の熊の男女関係が納まらないで、相談されて
困っている旦那を含め、かつて聞いた誰の『厩火事』にない記憶のない親近感があ
る。古典味でなく、もっと身近な「同時代感覚」の「落語」だから、お崎さんのハイ
テンションも落語として楽しめてしまうのだ。

★喬太郎師匠『石返し』

与太郎はいつも通り可愛いんだけれど、与太郎が「狸の仕業だ」と言って騙されるの
も無理もないと思ってしまうような、ドヨ~ンとした雰囲気が序盤の親父と与太郎の
遣り取りから漂っている。なんというか、セミホラーっぽい『石返し』なのだ。い
や、ホラーというより、岡本かの子の小説風の「魔界としての江戸・東京」の気分が
高座に広がる(題名を忘れたけど岡本かの子の泥鰌屋が舞台の小説)。その分、可笑
し味は薄まるが。こういう味わいも捨て難い。

◆10月16日 第12回柳噺研究会(下谷稲荷神社社務所)

市也『のめる』/小里ん『提燈屋』/雲助『蒟蒻問答』//~仲入り~//ダーク広和/小
燕枝『三軒長屋』

★小里ん師匠『提燈屋』

前半は稍調子が低く、リアクションの良い割に盛り上がり切らなかったが、後半は提
燈屋の意固地な親父が段々怒り出す様子が実に可笑しく(無言で頷く表情が絶妙)、盛
り上がって非情な可笑しかった。

★雲助師匠『蒟蒻問答』

六兵衛の貫禄、択善の固真面目は良く出ているし、八五郎と権助も能天気で無責任な
キャラクーと揃っている。半面、「初演同様」と師匠自ら言われるだけに、問答で択
善の驚くリアクションが弱い。択善は択善なりに六兵衛の和尚を舐めてかからないと
いけないんだな。

★小燕枝師匠『三軒長屋』

侍が不得意でもない筈なんだけれど、楠先生に余り張りがないのは不思議。頭は職人
らしい半面、智謀を巡らす「人の上に立つ人の」らしさに乏しいのが惜しまれる。感
じに乏しい。伊勢勘は町役人的貫禄は示せるが、助平なヒヒ爺には見えない。結果的
に全体的な出来は平板。

◆10月17日 第362回日本若手演芸研精会神無月公演(日本橋劇場)

辰じん『寿限無』/小駒『肥瓶』/志ん吉『九郎蔵狐』(の途中まで)/市楽『明烏』//
~仲入り~//鯉橋『風呂敷』/一之輔『富久』

★一之輔さん『富久』

黒門町型がベースか(目白型や古今亭型も混じっている)。黒門町型にしては余り観客
を緊張させ過ぎない展開なのは、ヘラヘラとした芸人らしい人物像の久蔵の軽みゆえ
だろう。長尺の高座乍ら長さは感じさせなかった。久蔵の欲や悲しみに芸人らしい
「俗っぽさ」があるのが特に良い(黒門町の久蔵は安藤鶴夫的聖人君子過ぎると思
う)。それでいて、帳付けをしている久蔵に色々な嬉しさがある中、旦那の店が焼け
なかった嬉しさも感じられるのが更に良い。旦那、頭、番頭は目白型の、厳しさと暖
かみのある良き人達。千両貰えないと分かって啖呵を切る後の久蔵も、雲助師ほどて
ばないが泣きすぎない良さがある。客席の落ち着きに見守られてか、久しぶりに良い
出来の大ネタを一之輔さんから聞けたのは嬉しい。

★鯉橋さん『風呂敷』

マクラが自棄みたいな口調だったが、本題はクドくなく、軽く面白い中に人物像のコ
クがある。小柳枝師みたいな雰囲気を感じた。

★市楽『明烏』

源兵衛・太助が似合う。時次郎は柄違いだが「孔子様に謝りなさい」は可笑しく、最
後に太助が怒って言う「孔子様に謝れ!」も凄く可笑しい。子供っぽさなどが余りな
いから、『悋気の独楽』や啖呵に軽さの必要な『芝居の喧嘩』(口慣らし訓練用なら
兎も角)より、源兵衛・太助系間抜けオジサン噺や泥棒ネタ、『天災』系の噺を磨い
た方が良いと思う。子供や若旦那はドミニコ市也くんに任せて(笑)。

◆10月18日 新宿末廣亭昼席

昇之進『看板のピン』/伸&スティファニー(小泉ぽろん)/遊吉『黄金の大黒』/遊之介
(圓馬代演)『六銭小僧』/Wモアモア/笑遊『元帳』/とん馬『雑俳』今丸/米丸『地見
屋の話(漫談)』//~仲入り~//ぴろき/伸之介『長短』/小柳枝『小言幸兵衛』/健二
郎/遊三『子は鎹』/大喜利遊三・伸乃介・とん馬『二人羽織』

★遊三師匠『子は鎹』

亀「患う暇なんか無いって言ってるよ」熊「患う暇なんか無い…」と、女房がまだ一
人である事を熊さんの感じる短い間が実に良かった。亀相手だとかみさんが「長屋の
阿っ母ァ」なのに、熊相手だと色気の出るのも独特で、母と女の違いが面白い。亀に
小遣いを渡し忘れたみたいだけど、全体の出来は「長屋の子は鎹」として結構なも
の。亀を見送る熊さんの大きな声が距離感と心情を如実に感じさせる。

★小柳枝師匠『小言幸兵衛』

トントン運んでいるが丁寧で良い出来。但し、最近、声が部分的に小さいのが気にな
る。

★とん馬師匠『雑俳』

入り方は『道灌』と同じ。『雑俳』に入ってからはトントン運ぶが、何となく柳昇師
の暢気な雰囲気が出るのは面白い。道歌七度返しで「芸術協会の理事会というのもあ
るぞ。“写楽茶楽と燃え上がり、夢楽、茶楽でちゃっちゃ無茶苦茶”」には笑った。

◆10月18日 月例三三独演(国立演芸場)

小太郎『鷺取り』三三『不動坊火焔』//~仲入り~//三三『三枚起請』

★三三師匠『不動坊火焔』

市馬師と同じ型がベースだけれども、マクラが長過ぎた事も含め、序盤から屋根の上
までが陰気。雰囲気としてはさん喬師の『不動坊』に近い。吉公は冒頭三尺物の喋り
方をしていた。屋根の上で「俺は馬鹿じゃない、みんなに美味しいあんこを食べて貰
おうと」と泣く萬さんが一番可笑しいが、遊雀師の「泣く男」ほど馬鹿馬鹿しくない
し、『鮑熨斗』の甚兵衛さんほどにも楽しめない。鉄さんは丸っきり人物不明のまん
まで、これは一寸手抜が酷い。徳さんは威張り方が恐い。駄洒落を直ぐに言う幽太の
林家正脳は『三枚起請』の亥之さんと似ている。幽太の方が三馬鹿トリオに対して客
観的でってもも噺としての違和感は少ないが、噺の中に心情を抱えた傍観者を置くの
は、観客という客観的存在を三三師が信用してない証だろうか。

★三三師匠『三枚起請』

という訳で、二席目も三馬鹿トリオの『三枚起請』と来たのは無神経なのか意図的な
のか理解に苦しむ。最後の喜瀬川の啖呵が持っている愛しさが全く出ない。まして、
棟梁に訊き返させて、喜瀬川に「烏を殺したいね」を二度言わせたのには唖然。亥之
さんが戸棚から出てくる時、膝立ちになるので「小太り」の印象が消えるのは演出ミ
スだろう(三馬鹿トリオは圓太郎師が棟梁、小せん師が清さん、小太郎さんを太らせ
たみたい(これは知人のアイディア)なのが亥之さん、というイメージではあるまい
か)。亥之さんの醒めた客観性は三三師自身なのだろうが、お茶屋の女将の言葉通
り、聞いてて心持ちが愉しくなくなってくる。第一、亥之さんの「あれを打つなら俺
を打て」のセリフと客観性は矛盾する(その子供っぽい残酷さが三三師なのかな)。あ
る御席亭が「某師匠は“世の中には馬鹿な奴がいるもんで”と言わないと与太郎噺や
『三枚起請』『不動坊』みたいな噺が出来なかったとこがあった」(実際、持ちネタ
にはなかった)と称した某師匠そっくりの「落語にならない落語」を感じてしまう。
「寄席育ち」のエリートってのは時代を超えて似てしまうのかなァ。

◆10月19日 ぎやまん寄席番外編白鳥・白酒ふたり会(湯島天神参集殿一階ホー
ル)

市也『のめる』/白鳥『初めてのフライト』/白酒『粗忽長屋』//~仲入り~//白鳥
『もし寄席の席亭がドラッカーのマネージメントを読んだら』/白酒『付き馬』

★白鳥師匠『初めてのフライト』

今回のテーマは「消えゆくネタ」だと語っていたが、これは「消えゆくネタ」だろう
かね。時代時代の憎まれ役に主役を代えて通じる噺だと思うんだけれど。観客参加型
の珍しい落語だしさ。

★白鳥師匠『もし寄席の席亭がドラッカーのマネージメントを読んだら』

ドラッカーの理論と現在の世界的な新自由主義、格差受け入れ経済の破綻や、主要国
経済の帝国主義的方向への流れを考えると、確かに時期の終わりかけている噺かもし
れないが、白鳥師らしい諧謔や下から視線の喜怒哀楽がベースにあるから強烈に可笑
しい。それは「某師匠へのマネージャー転向の勧め」の件みたいに、みんなが思って
いる真実を暴露したエネルギーがあるからだろう。ならば、続編として『もし寄席で
ウォール街のような暴動が起きたら』を期待したくなるなァ。

★白酒師匠『粗忽長屋』

また進化して可笑しくなり、「誰」または「誰が」がキーワードになってきた。

※この噺で、もし長屋の二人の男が一卵性の双子だとどうなるのかな。更に六つ子
だったりしたら…「生まれた時は一緒だったが、ある理由で別々に育ってしまい、こ
の長屋でまた一緒になれたけど、死ぬ時は別々かもしれない」なんて、因縁因果付き
の双子や六つ子になったりして。

★白酒師匠『付き馬』

「白鳥⇒白酒」という出番は「歌之介⇒白酒」の出番同様、白酒師に凄く負担が掛か
るね。久しぶりに色々入れて、実に良い出来の高座で、客の男も詐欺師芝居になり過
ぎず軽快な調子で、妓夫と早桶屋主人の噛み合わない会話の可笑しさも力を増してい
るのに、ミサイルが辺りを廃墟に変えた後にゴルゴ13が出て来たみたいな印象で、
笑いの絶対量で明らかに不利なのは気の毒(それでも白酒師だから此処まで対応出来
るので、後は…昇太師、喬太郎師くらいしか対処出来ないだろう)。前席のように、
『もし寄席の席亭が』の後に長くマクラを振ったとしても、そこから入る本題の演目
が『粗忽長屋』の内容的なシュールさと酌の短さのネタなら兎も角、長い噺でハネる
としたら、全く毛色の違う朝物か怪談噺でもないと雰囲気を変え難い。白酒師のJ亭
独演会で雲助師が『もう半分』を演ったみたいに。人情噺や怪談噺はこういう状況用
に持っている必要があるのかもしれない(その意味で喬太郎師の旧作・新作を問わな
い人情噺系ネタは強いんだな)。

◆10月20日 新宿末廣亭昼席

伸&スティファニー/竹丸(遊吉代演)『漫談』/遊之介(圓馬代演)『六銭小僧』/Wモ
アモア/笑遊『町内の若い衆』/とん馬『元帳』今丸/米丸『夢のビデオ』(ネタ卸し。
正式題名不詳)//~仲入り~//ぴろき/伸之介『粗忽の釘(下)』/小柳枝『金明竹』/健
二郎/遊三『高砂や』

★遊三師匠『高砂や』

謡の稽古と最後で一寸端折ったが、熊とかみさんの遣り取りも入り、トリらしい尺の
高座で堪能。大家さんと熊の遣り取り、特に羽織を借りる辺りが本格的に可笑しい。
大家さんが詠う謡の調子が目白の小さん師とは少し違っていた。婚礼の席で意気揚々
と謡を始めた熊が「親類は誰も出来ない」と訊いて慌て出す表情でドッと受ける。そ
の辺りの的確さに感心。マクラでいつも演じる小噺の羅列にしても、人物の気持ちの
入れ方がちゃんとしているから受ける。そういう手堅い面白さである。

★米丸師匠『夢のビデオ』(正式題名不詳)

 何と86歳にして、今年2席目のネタ卸し拝聴である。DVDや最新の六がシステ
ムでなくビデオという辺りに世代は感じるが、「最近の科学に関するメディアの情報
から新作を作ろう」という姿勢には敬服する(意識の映像化、という点は今年のネタ
卸し2作に共通するが)。但し、この噺では夢の映像化と、主人公の博士がタイムス
リップしちゃうという、全く別のストーリーを無理矢理繋げてある印象が強い。タイ
ムスリップの部分はキムタクの信長とたけしさんの秀吉のドラマにでも影響を受けた
埜かな?「夢の映像化」に話の展開を絞った方が良いと思う。さもなくば、マクラで
先日話されていた「胎児と話の出来る最先端科学システム」というストーリーを落語
として発展させる方が米丸師匠の持ち味に適すると思うのだが。

★笑遊師匠『町内の若い衆』

これも、『宿屋の仇討』や『壺算』同様、権太楼師型の試演かしらん。落語芸術協会
では滅多に聞かない噺だもん。かなり凄いかみさんだが「腹が大きいの?」と訊かれ
てテレる辺りが笑遊師独特で馬鹿に可笑しい。

★とん馬師匠『元帳』

おでんのネタがどんどん増える以外、特に変わったクスグリはないけれと゜、確実に
受けている。特に、最初に大声を上げてから近隣を憚って夫婦が声を潜め加減で喋る
のが陰気にならず、雰囲気を出せるのは面白い。

                      
                        石井徹也 (落語”道落”者)

投稿者 落語 : 2011年10月20日 22:56