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2011年09月30日
石井徹也の「らくご聴いたまま」 九月下席号
お彼岸すぎになって、ようやく秋めいてきました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の平成二十三年九月号下席号をUPいたします。この号では落語芸術協会の高座にあらたな発見をされている石井さん。落語”道落者”・石井徹也渾身のレポートをお楽しみください!
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◆9月21日 宝塚歌劇団月組東京公演『アルジェの男』(柴田侑宏作。大野拓)史
演出)『DanceRomanesque』(中村暁作・演出)(東京宝塚劇場)
◆9月21日 遊雀玉手箱“大家さんは大変だ!の巻”(内幸町ホール)
談春・遊雀「御挨拶」/遊雀『風呂敷』/遊雀『小言幸兵衛』/談春『煮賣屋』//~仲
入り~//遊雀『五貫裁き』
※談春師はシークレットゲスト(東京かわら版には「ゲスト=T・D」と書いてあっ
たが)。台風のため、入場者は50人いるかいないか。ここ数年では「らくごカェ」
以外、最も小人数で談春師を聞く機会になった。
★遊雀師匠『風呂敷』
亭主が女房の乱暴さに泣き出す辺り、「泣きの遊雀」らしさを発揮して可笑しい。そ
こまで虐げられている亭主なら原作に戻して『風呂敷の間男』にしても良いと思う
が。
★遊雀師匠『小言幸兵衛』
序盤の豆腐屋は良かったが、仕立て屋の途中から急激に小声になり、トーンダウンし
て覇気の無い高座になってしまった。あと、最後が常盤津や清元の太夫には見えな
かった。見台の押さえ方も語り方も、どうみても義太夫の太夫。圓生師型なら常盤
津、他に清元で演じる人もあるが、義太夫ってのは見た事がない。
★談春師匠『煮賣屋』
目白より当然家元に近いが、茶店の婆さんの怪人ぶりが先代今輔師の『峠の茶屋』以
上で物凄く可笑しい。『おしくら』の婆さんもだが談春師の落語では婆が一番愉し
い。
★遊雀師匠『五貫裁き』
更に刈り込んで、八五郎と徳力屋の最初のやり取りはカット。最初の白州もトントン
運んで「一文納め」の件になる。「毎日、町役五人組同道せよ!」のお白州での命令
があって、次なる八五郎の一文運びをまた簡略化。夜中に店の前で八五郎が寝ていて
役人に起こされ、徳力屋が罰せられる件になる。こうなると、困って徳力屋の番頭が
訪れて来て、大家に小言を言われる件も省いて、直ぐに徳力屋本人が長屋へ来てもよ
いのではないか?と思ったほど。最後は徳力屋の持参した二十両は「借りた金」とし
て、八百屋を始めた八五郎が「真面目に働いて喩え一文ずつでも返します」「一文ず
つはもう勘弁」とサゲたが、これは少し「良い噺」にしすぎで、家.元の乱暴な可笑
しさに敵わない。とはいえ、芸術協会の主任時間でも十分演じられる噺になりそうだ
◆9月22日 新宿末廣亭昼席
小圓右/『千早振る』/圓遊『猫久』/章司/米丸『洗濯物』//~仲入り~//右左喜『善
哉公社』/Wモアモア/雷蔵『虱茶屋』/小柳枝『粗忽長屋』/ボンボンブラザース/と
ん馬『抜け雀』
★とん馬師匠『抜け雀』
終始ボヤーッとした甚兵衛さん的な亭主の少し暗めのキャラクターが長閑な落語味を
醸し出す。闊達な若い絵師の明るさ。老絵師の風格。口喧しいかみさんの可笑しさ。
トントントンと澱みなく運んで無駄な溜めが無く、粒立った口調と揃い、寄席の主任
芸として何の文句もない。老絵師が若い絵師に残す言葉に「温かみのない」のあめの
が鳥籠や止まり木を忘れた傲慢にピタリと刺さるのも説教がましくない名科白だろ
う。落語芸術協会は怖いなぁ。金遊師匠やとん馬師匠みたいな「寄席名人」が何の欲
気もなく番組の中に隠れている。「受け狙い」ばかりの若手に聞かせたいね。
◆9月23日 落語教育委員会(にぎわい座)
コント「犬神家の一族」/朝也『そば清』/歌武蔵『天災』//~仲入り~//喜多八『目
黒の秋刀魚』/喬太郎『宮戸川』
★喜多八師匠『目黒の秋刀魚』
出来は良かったけれども、会場の広さの割には小声で噺が粒立たなかったのは残念。
殿様が秋刀魚恋しさに妙なパントマイム風になる動きが一番可笑しかった。
★喬太郎師匠『宮戸川』
前半から後半の展開を意識したキャラクター作りなので噺が余り弾まない。半面、後
半に入り、亀の物語になってからが一番冴える。三回忌の半七の鎮静した表情も独
特。亀の物語で「慰んだのも三度、四度」「四度目だかにあっしがのしかかると」
「女が下からあっしの顔を見て」と、表現が次第にリアルさを増して、或る意味、扇
情的ですらある。私なんかだと「下からあっしの顔を見て」というのが「谷ナオミで
すか?」と訊きたくなる(谷ナオミでは、手込めにされるお花にしては年増過ぎるの
だが)。こういうリアルな心象は圓生師や馬生師は勿論、今の中堅若手真打でも少な
い。演者の「心の空白(闇でなく空白なんだなぁ。闇が覗けるのは三三師)」がチラッ
と覗けるのである。
★歌武蔵師匠『天災』
八五郎が本質的に無邪気なので聞き心地が良い(歌武蔵師の噺は本質的に無邪気だ)。
長屋に戻った八五郎が隣の熊五郎相手にペラペラと受け受けりを喋った揚げ句、途中
で「あたしもここまでは分からなかった」と言ったのには笑った笑った。
◆9月24日 ラクゴオルタナティブvol.7「柳家と立川②」(よみうりホール)
こしら『時そば』/喬太郎『ほんとのこというと』/談笑『粗忽長屋』//~仲入り~//
談笑『居酒屋改』(イラサリマケ)/喬太郎『小町~道灌』/座談
★喬太郎師匠『小町~道灌』
小町から聞いたのは初めてかな…ほぼ真っ当な演出で楽に楽しめた。欲を言うと、御
隠居と八五郎のテンションにかなり差がある。隠居がおとなし過ぎるのが惜しい(絶
叫して欲しい訳ではない)。
◆9月24日 上野鈴本演芸場夜席
豆緑『垂乳根』/左吉(交互出演)『後生鰻』/夢葉/柳朝(喬之助代演)『牛褒め』/燕路
(扇辰代演)『粗忽の釘(下)』/のいるこいる/才賀『台東区の老人たち』/琴調『お
民の度胸』//~仲入り~//小菊/文左衛門『夏泥』/仙三郎社中/左龍『茶の湯』
★左龍師匠『茶の湯』
ダレ場や無駄なセリフを刈り込んで非常に可笑しい噺になった。序盤の隠居と定吉の
やり取りからオムツの件などを省き、茶の飲み方もくどくない演出に変えてある。隠
居が茶釜を扱う様子はマクベスの魔女が鍋を掻き回すようで無気味に愉しい。「不幸
の手紙」を受け取った孫店三人のパニックは豆腐屋と頭の混乱ぶりに妙味あり。手習
の師匠が子供たちに語るセリフをカットして「茶の湯と引っ越し」から噺がズレない
ようにしたのも偉い。三人が茶を飲むときの体のくねらせ方は二丁目のママが身悶え
してるみたいでこんなに可笑しいのは初めて見た。羊羹泥棒から利休饅頭もトントン
運び、蔵前時代の知り合いも利休饅頭を袂に入れず、頬張ったまま廊下に出るので噺
が途切れない。キャラクターも過不足無く描かれ、近年聞いた中では一番可笑しい
『茶の湯』である。
★琴調先生『お民の度胸』
お民に色気があるけれど嫌らしくないのが結構。
★文左衛門師匠『夏泥』
泥棒の気弱さにもだが、好き勝手を言う相手の博打好きの大工に何とも言えない可愛
らしさがあるのは文左衛門師の強み。「殺せ殺せ殺せッー」のリズムも良いが若干
ヴォリュームが大きいのが惜しい。それでも、全体的には十二分なる佳作。
◆9月25日 文左衛門倉庫vol.12(ことぶ季)
ホルモン『道灌』(四天王入り)/文左衛門『短命』/二楽/アンケート読み//~仲入
り~//文左衛門『文七元結』
★文左衛門師匠『短命』
先代圓楽師型で久しぶりに「ブリのアラ」を聞いた。かみさんが凄まじく、「色っぽ
く」と言われて手にした茶碗を握り潰したのには笑った。
★文左衛門師匠『文七元結』
『短命』のマクラで圓朝の話をしていたから『芝浜』かと思っていた。元は家元型だ
が了見がすっかり文左衛門師に入れ換わっている。とはいえ、仕種の端々に家元系の
名残はある。また、長兵衛が実は気が小さい、そこに可愛さのある、子供っぽい人物
である事も家元と共通している(だから佐野槌の女将も可愛がる)けれど、家元ほど言
葉の上で悪ぶらないのが特徴。佐野槌の女将が長兵衛を気持ちの上で追い込まないの
は聞き心地が良い(まぁ、子供みたいなものだから)。文七は気の小さい、少し可笑し
な若者で、その若さが出ているのが良い。近江屋の旦那と番頭は良いコンビで、旦那
の長兵衛に対する気の使い方は如何にも大店の旦那らしく、番頭は良きコメディリ
リーフになっている。最後の場面で近江屋の「手前どもの用意致しましたお肴の味は
如何でございますか」が高慢に聞こえないのは極く珍しい。お久は最後、駕籠から出
ても訳が分からず「女将さんがもう良いって…このおじさんに連れられて来たの」と
上気している様子が素晴らしい。佐野槌の藤助の廓者らしさも良き香辛料。冒頭の長
兵衛のかみさんに稍物足りなさはあるが、生志師と並ぶ、この世代を代表する落語の
『文七元結』の一つである事に変わりはない。
◆9月25日 落語協会特選会圓太郎商店その十(池袋演芸場)
フラワー『道灌』/圓太郎『青菜』//~仲入り~//圓太郎『一人酒盛』
★圓太郎師匠『青菜』
熱烈な鯉の洗いの食べ方に現れされる、植木屋の一人合点なテンションの高さが実に
可笑しい。特に友達を呼び込んでからの、渋団扇をバサッバサッとさせる動きが抜群
に可笑しかったが、途中で止めてしまったのは残念。友達はいわば巻き込まれた被害
者。声はデカイが植木屋の言いなりになっている所はお人好しで、植木屋のテンショ
ンと好対照。かみさんは余り物知りでなく、割れ鍋に閉じ蓋夫婦らしさはクドくなく
十分に出ている。全体に調子が強すぎるので、些か固真面目かつ荒く感じる面もある
が本質的に似合う噺。
★圓太郎師匠『一人酒盛』
圓生師型だと思う。留さんが熊の家に着いた所から始まる。職人が似合う圓太郎師は
どう来るか?と思ったが、圓生師とは雰囲気が違い『おかしな二人』みたいな展開を
感じる。熊は『化物遣い』の隠居みたいに、命令タイプである。熊の一人語りで殆ど
進むが、熊の言葉で語られる留さんに燗奉行みたいな「上燗まであと何秒」みたいな
拘りがあったり、「かくやのこうこは生姜だけで醤油を垂らさなくても旨い」といっ
た細かさがある。つまり、一見、正反対のようで、考えの押し付け方に強弱があるだ
けで似た者同士なのだ。それが『おかしな二人』的であり、割と乱暴な酒飲みである
熊さんとの対比としても面白い。その対比が、勝手に盛り上がる熊さんを前に留さん
が不機嫌になる様子の可笑しさを伝えるだけでなく、留さんの不機嫌に連れて稍酒乱
的な言動を見せる熊さんを圓生師ほどは嫌な奴に感じさせない(ベロベロにならない
せいもある)。熊さんの「おめえと飲まなきゃ良かった」のセリフは余計だが、もう
少しこなれれば、目白型と圓生師型の間を行く面白味が更に高まると思う。
◆9月26日 上野鈴本演芸場夜席
才賀『台東区の老人たち』/琴調『赤垣徳利の別れ』//~仲入り~//ペペ桜井(小菊代
演)/文左衛門『手紙無筆(上)』/仙三郎社中/左龍『甲府ぃ』
★左龍師匠『甲府ぃ』
客の少なさに合わせたのかもしれないが擽りを減らして演じた。豆腐屋親父の固法華
ぶりも余り出さないから笑いは少ない。しかし、如何にもさん喬師の一門らしい情話
として魅力がある。特に、若夫婦を見送る親父が大きく笑ってから善吉を黙って見る
辺りは市馬師の『淀五郎』終景の團蔵に通じる「引き立てた側の思い」があってホロ
リとした(親父の笑いから善吉の受けの表情などなく長屋のかみさんの「ご覧よ」に
直ぐ変わるカットバックも素晴らしい)。サゲの「甲府ぃ~」の声も情があり格段に
良くなった。半面、善吉は確かに善なる人だが、圓太郎師の善吉のような立身出世を
願う地方出身らしいエネルギッシュな面が物足りず、些か人物像が平坦なのは惜し
い。
★琴調先生『赤垣徳利の別れ』
松鯉先生のような講釈独特の侍気質は乏しいが、如何にも兄弟の話である。源蔵が兄
の羽織を前に、母に耳掃除をして貰った話をする件は聞いていて思わず涙が出た。源
蔵が終始明るいのがまた切ない。作左衛門が源蔵の剣を誉める話をする件、一次に源
蔵形見の呼子の笛を吹かせて酒を酌むラストにも兄弟の情が漂う。先代圓楽師以降、
噺家で『赤垣』を殆ど聞かないが、今の時代なればこそ、誰か演じても良いのにと思
う。
◆9月27日 新宿末廣亭昼席
北見伸&スティファニー/小圓右『道灌』/鯉昇『犬の目』/章司/小柳枝『妾馬』//~
仲入り~//右左喜『英会話』/Wモアモア/雷蔵『虱茶屋』/米丸『まちがい』/ボンボ
ンブラザース/とん馬『宿屋の富』
★とん馬師匠『宿屋の富』
古今亭型で物凄く口調が速い。スウィングがあればもっと良いだろう。一文無しの客
は最初、割と威勢が良くて明るいが、宿の主人が去ってから陰気になる。そのまま、
湯島天神境内でも陰気に「当たらなかった」とボヤいて富札を捨てるが、拾い直して
札を見ながら一番富の当たり番号と見比べて「何処が違うんだ、これ」と呟いたのが
無茶苦茶面白かった。先代柳好師の『宿屋の富』を稍陰にした可笑しさが此処で光
る。宿の主人はボヤッとしたキャラクターが目白型に近い。二番富の男は軽快。序
盤、一文無しと宿の主人の遣り取りで、主人側にもう少しメリハリがあれば佳作であ
る。
★小柳枝師匠『妾馬』
余り聞いた記憶のない型。「うんちは、うんちは」のセリフからすると夢楽師の『妾
馬』かな。赤井御門守の家来がみんな訛りが酷いので、余計に八五郎との会話がこん
がらがるのが可笑しい。門番・取り次ぎの侍・田中三太夫と揃って硬い野暮さが愉し
い。御門守は稍品格不足。八五郎は職人態で乱暴というよりはそそっかしい雰囲気で
世話味がある。割と泣くが嫌らしくは感じないのが長所だ。
★桂米丸師匠『まちがい』
マクラが長く、極く簡単に演じただけではあるが、米丸師がこういう噺を演じると
は思わなかったので驚いた。新作っちゃ新作だけどね。
◆9月27日 第63回桂平治独演会(日本橋社会教育会館ホール)
昇也『雑俳』/昇々『アゴビヨン』(正式題名不詳)/平治『饅頭怖い』//~仲入り~
//昇太『人生が二度あれば』/平治『お見立て』
★平治師匠『お見立て』
大声の応酬で荒く聞こえるが、杢兵衛大尽の純情と自惚れ(「この顔ォ」や「吉原中
の女を死なせちまう」は笑った)、喜瀬川に掘れて馬鹿みたいになっているキャラク
ター、喜助が廓者とは思えない困り方をしている様子、二人の遣り取りはちゃんと描
かれている(寧ろ擽りが少ないくらい)。喜瀬川の色気づいたトドみたいな様子も可笑
しい。尤も、ズーッと大声の応酬で、『らくだ』みたいに締める所がないから、トリ
ネタだと聞き疲れもするな。
★平治師匠『饅頭怖い』
細心・気弱なとこが出て、客席で携帯が鳴ってからリズムが狂い、前半の「象」だけ
でなく「葛饅頭」の仕込みも抜けた。栗饅頭を食べる様子が妙に可愛いのは強み。
★昇太師匠『人生が二度あれば』
松の精が出てからのハチャメチャな過去の破綻の可笑しさ、爺さんがバタバタ動く可
笑しさはやはり得難いものだ。
★昇々さん『アゴビヨン』(正式題名不詳)
発想は分かりやすく可笑しい。半面、マクラから同じ、あの凭れ掛かってくる口調に
まだ馴染めない。
◆9月28日 宝塚歌劇団月組東京公演『アルジェの男』『DanceRomanesque』(東宝
劇場)
◆9月28日 第118回立川談笑月例独演会(国立演芸場)
談笑『粗忽の釘』/談笑『シシカバブ問答』/談笑『命のかね』//~仲入り~//談笑
『大工調べ』
★談笑師匠『粗忽の釘』
馬鹿馬鹿しくて結構。特に箪笥を運ぶ間、引出しが飛び出して何人にも迷惑を掛けま
くるのは粗忽者らしくて愉しい。
★談笑師匠『シシカバブ問答』
こんなに短かったっけ。旅のムスリムの陰な調子が妙にリアルで可笑しい。
★談笑師匠『命のかね』
「古典の掘り出し物だ」というが、見たり読んだりした記憶がない噺。『七面堂』や
『人参騙り』と似た詐欺噺だけれど、作りが遥かに緻密(演出で工夫したのかも)で面
白い。言えば、こすっからい乞食婆が詐欺師を息子のように思ってしまう心理過程が
稍弱いけれと、サゲのドライさといい、一寸『一文笛』の詐欺師版である。演じ方と
しては、詐欺師が最初から猫なで声過ぎるのが惜しい。市馬師や正蔵師など「良い人
芸」か(新国劇の出し物だった『アリラン軒』みたいなもの)昇太師みたいな芸風の
師匠が「意外な持ちネタ」として持っていると噺のドライさがなお活きるだろう。
※談笑師には『東海道御油並木』を掘り出して欲しい。
★談笑師匠『大工調べ』
与太郎=大岡越前守版。終演時間の関係か、前と変わって与太郎の「あたぼう」はな
く、棟梁の啖呵も短く、与太郎の混ぜっ返しも殆ど無い。お白州が長く、大家が嘘つ
きで卑怯で徹底した悪人なのは『お奉行ドラマ』の田口計等の雰囲気か。棟梁がひた
すら分が悪いから、そのシリアスさに初聞きの観客はシンと鎮まり返った。だから余
計に最後に大岡越前守、実は与太郎と分かると大爆笑は落語らしくて良い。今回は棟
梁、実は遠山金四郎(肌脱ぎになる)も加わって「仕方ないから、あっしが自分で裁こ
うかと思ってた」のサゲになる。時代は違うけど、まあいいや、落語だから(笑)。
※そのうち、暴れん坊将軍まで出てこないだろうな(笑)。
◆9月29日 新宿末廣亭昼席
マキ(北見伸&スティファニー昼夜代わり)/小圓右『初天神』/圓遊『崇徳院』/章司/
米丸『漫談』//~仲入り~//右左喜『猫と金魚(上)』/Wモアモア/雷蔵『虱茶屋』/
小柳枝『野晒し(上)』/ボンボンブラザース/とん馬『代わり目』
★とん馬師匠『代わり目』
九官鳥と猿の小噺を振ってから酒のマクラに入り、元帳で終らずサゲまで。鍋焼きう
どん屋に燗を付けさせ、新内流し(「訳あり」ってのがやはり良い)に都々逸、小噺の
アンコ入り都々逸を唄わせ、かっぽれを弾かせて踊る。雲助師とほぼ同じ演出。その
代り、序盤が少し違う。家の戸は亭主本人が叩き、おでんの具での言葉縮めの遣り取
りはない。代わりに「ちょいとあれば良いんだ…はんぺんが一つ、すじが二つ、竹輪
が三つ、大根が四つ、がんもどきが五つ、白滝が六つ」と亭主が言う可笑し味が入
る。亭主のざっかけない甘え方、色気は余り無いが女房の世話味、うどん屋のらしさ
が然り気無く良い。また、新内流しの女が「兄妹なんですよ」と言うセリフに仄かな
色気のあるのは出色。うどん屋の売り声と都々逸の調子が少し変だったが、栄馬師の
『代わり目』ともひと味違う愉しさあり。昼席の主任らしく腹に凭れない良さだ。
★雷蔵師匠『虱茶屋』
仕種が全部流れてしまい、先代助六師匠のように「フォルム」として固定しないの
が惜しい。
◆9月29日 真一文字の会(内幸町ホール)
辰じん『金明竹』/一之輔『真打昇進騒動~つる』/一之輔『黄金の大黒』//~仲入り
~//一之輔『らくだ(上)』
★一之輔さん『つる』
隠居に聞いた話を兄貴分に受け売りする鸚鵡返しの部分を『天災』や『青菜』のよう
に膨らませた演出。相手が嫌がっているのが分からない無神経さは可笑しいが、ディ
スコミュニケーションを手法によく使い、芝居落語の面が強い一之輔さんだと、その
丁寧さがまだクドく感じる。
※「真打昇進騒動」は実名バンバンで面白すぎて書けない。
★一之輔さん『黄金の大黒』
大家さんの猫を食った件から入る。一番笑ったのは「掘り出したのが金の将軍様」と
いう言い間違い。口上の途中で泣き出して楽屋裏をバラしてしまう金さんも可笑し
い。「(貧乏長屋の連中が工面した)羽織の紐がサキイカ」ってのと「左の紋が三界
松、右が鬼蔦、背中が花菱」「談志に志ん朝じゃねぇか!背中がなんで三平一門なん
だ」にも笑った。「恵比寿も呼んで来る」のサゲまで演ったが、これは必要あるか
な。とはいえ、こういう気楽な噺で真打昇進興行の主任が取れるといいね。
※この噺、親分の家の祝儀に呼ばれて困る、貧乏で馬鹿な子分たち(つまり侠客の世
界)の設定に出来ないかな。
★一之輔さん『らくだ(上)』
割と古い家元型がベースだが、カンカンノウまでで50分以上もあるので聞きダレし
た。家元型という事は、噺の焦点が「笑い」になく「屑屋の被った悲劇の愚痴」にあ
る以上、テンポでなく、言葉をかれる演じ方をされると辛い。兄貴分の変に丁寧なと
こは似合わなくもないが、序盤の「らくだが死んだという報せ」から長く、屑屋が呑
み出してからの愚痴の数も多過ぎる。無駄山程状態。もしも火屋まで演じたら、と考
えると75~80分掛かるサイズだし、それじゃ六代目松鶴師か先代小染師くらい全
体に「酔っ払い噺」のコクが満ち溢れていないと、落語としての世界を保ちきれない
なァ。一朝師から、もっと中ネタや『黄金の大黒』のような演目を浚って貰わないと
マズイのではあるまいか。50日の披露興行で四苦八苦しかねない。例に出すのもな
んだが、小朝師の披露目のように「上野初日が愛宕山、二日目が明烏」と来ても全然
違和感がない、なんて離れ業はそうは出来ない(小朝師も50日間トータルのネタは
20くらいだったと思うし、大抵は25分前後の高座だった。『稽古屋』や『七段
目』のような飛び道具もあったからなァ。或る意味、一之輔さんは「普通の優れた若
手真打」なんだから『浮世床』や『鮑熨斗』でハネて当然くらいの気持ちでないと)
◆9月30日 新宿末廣亭昼席
鯉昇『粗忽の釘』/北見伸&スティファニー/小圓右『元犬』/圓遊『猫の災難』/章司
/米丸『日本貧乏記』//~仲入り~//右左喜『猫と金魚(上)』/Wモアモア/雷蔵『虱
茶屋』/幸丸『1960年代歌謡曲』/ボンボンブラザース/とん馬『稽古屋』
★とん馬師匠『稽古屋』
踊り手とは知っていたが、こういう飛び道具もあるのか。古今亭系や先代小文治師の
演じていた『歌火事』で『色事根問』が冒頭に一寸付く。見た目のパッとしない職人
のガサガサした可笑しさが出ていて、草履を鉄瓶の湯気で乾かしそうな能天気さも柄
に合う。女師匠にもう少し色気が欲しく、また「昨晩、歌い過ぎた」とかで(笑)、
「喜撰」の調子は変だったが、「声を段々に上げて」と言われて這ったゴリラが立ち
上がるみたいな格好をするのが馬鹿に可笑しかった。『道成寺』の毬唄は真っ当だが
小朝師のようにシナを作った方が得だろう。或る意味、一朝師の『稽古屋』に近いシ
ンプルな良さがある。
★鯉昇師匠『粗忽の釘』
本題は5~6分だけど「頭を叩いて」と言われて自分の頭を金槌で叩く大工は、なん
て可笑しく可愛いのだろう。直解主義のギャグは枝雀師の発掘した「笑い」の素だけ
れど、枝雀師や鯉昇師みたいに、変な可愛さのある噺家さんが使うと一番活きる。
★米丸師匠『日本貧乏記』
戦後の焼け跡時代、省線の座席のビロードをカミソリで切り取って靴磨きに使った
り、靴磨きのおじさんに話を聞いたり、という話で、そんなに目新しい内容ではな
い。しかし、先代枝太郎師の『漫談東京百年』同様、その時代を目撃した人から聞か
ないと実感を伴わない内容でもある。今、米丸師の戦後懐古漫談が私には本当に面白
いし、寄席でないと聞けない演目だなァと思う。都電に自分で金を払って乗った記憶
のある世代の私だから面白いのかもしれんけど。
※新宿の喫茶店『楽屋』の御主人から聞いた「小芝居の『かたばみ座』は池之端の不
忍通り沿いにあって、坂東鶴蔵(小芝居の名優と呼ばれた人)を何度か見た」や「湯島
天神の隣が岩崎さんの豪邸で、切通の下、今、居酒屋『シンスケ』のある辺りに門が
あって玉砂利の道が内玄関まで続いていた」「3月10日の東京大空襲で黒門町の文
楽師匠の家に避難した」なんて話も私には面白い。「東京らしさ」への愛着というか
…
◆9月30日 J亭落語会柳家三三独演会(JTアートホール)
一之輔『夏泥』/三三『五目講釈』//~仲入り~//三三『品川心中(上)』/三三『五貫
裁き』
★三三師匠『五目講釈』
手慣れた噺で、或る意味、三三師の飛び道具噺なんだけれど(飛び道具のない一之輔
さんへの当て付けではあるまい)、聞く度に「家元の『居候講釈』の快感は素晴らし
かったな」と較べてしまう。だって、そんなに修羅場の講釈としては巧いと思えない
んだもん。
★三三師匠『品川心中(上)』
小三治型で心中場までしかない。演出自体が説明沢山に聞こえて、人情噺の発端みた
いな雰囲気を感じる。金蔵が醜男なのは構わないが、お染に惚れてる弱みがちっとも
感じられないから落語としての愉しさには乏しい。本質的にニンに無い噺を、更にニ
ンにない演出で演じている印象。人情噺的なドラマとしては「心中の片殺し生き残り
はほぼ死罪」という事の説明を入れないと心中場の緊迫感から金蔵の間抜けな生き残
り、という落差の笑いが取りにくいのでは?(普通の演出で演る落語の『品川心中』
にそんな無駄な緊迫感は要らない)。結果的に、人間の愚かさに対する慈しみのない
噺に聞こえるが、それは小三治師の意に添う事なのかなァ。
★三三師匠『五貫裁き』
噺としての面白さは家元以上。大家の啖呵が大分良くなったが、まだ三尺物の口調が
混じる。大家は町役だけれど素人でなきゃ。八五郎のキャラクターは暢気さを増して
結構。徳力屋のキャラクターは相変わらず曖昧。これがハッキリすると終盤の人格変
化に面白味が出る。徳力屋が功徳に目覚める、ってラストは前から入れてたっけ?大
家の啖呵がいつも気になって、その後は余り覚えてない。遊雀師みたいにオチをつけ
た方が落語らしさは増すかも。
★一之輔さん『夏泥』
大工の上げる声の手順からすると、小三治型の変形かなァ。声が最初からデカ過ぎる
のは感心しないけれど、泥棒の気弱さは魅力がある(良い人でなく気弱な人なのは喜
多八師っぽい)。出来は悪くないが、文左衛門師の『夏泥』みたいな可愛さが二人の
遣り取りにもっと必要なんじゃないだろうか?
石井徹也(落語”道落”者)
投稿者 落語 : 2011年09月30日 12:34