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2011年09月02日
石井徹也の「らくご聴いたまま」 八月中席下席合併号
昨日に引き続いての更新です!
今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の平成二十三年八月号中席号と下席号を合併にてお送りいたします。かなりの分量ですが、落語”道落者”・石井徹也渾身のレポートをお楽しみください!
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◆8月11日 第六次第九回圓朝座(全生庵座禅堂)
朝呂久『権助魚』/馬桜『真景累ケ淵~豊志賀の死』//~仲入り~//小里ん『小雀長吉(通し)』
★小里ん師匠『小雀長吉』
圓生師型がベースだが雰囲気はかなり違う。冒頭、長吉の悪さが圓生師のように「嫌らしい子供」でなく、「子供の反発」に感じられる。大家が長吉の悪さを教えて長兵衛を諌める辺りの遣り取りは非常に落語っぽく可笑し味が立つ。山崎屋の件も権九郎がネチネチしていない分、長吉に百両盗めと命令するまでの遣り取りが逆に長吉の「悪心」が「悪党」へと流されて行く「人の無常」を漂わせる。定吉殺しは掛け守りの件が短めであるが、形が決まって息が鋭く緊密度が高い。手拭いを捩る動きで語らずに殺意を感じさせるのは巧い。この辺りまで聞き、明らかに「語り」の芸で、同時に「圓生師は確かに二枚目芸だが、それをあからさまに見せようとする芝居っ気が強過ぎた」のを感じた。三遊と柳の「噺の捉え方」の違いが明確だ。後半、雪の子別れで義母お光と長吉の邂逅は独特の世話味があり、幕末の大谷広治的な二枚目になる。お光もだが、長兵衛が圓生師型だと余りに惨めな病人過ぎるが
(泣かせが強くて私は大嫌い)
、小里ん師の長兵衛は『大和往来』の孫右衛門的な気骨を示すので、子への情愛はあるが惨めではない。その意見に長吉が頭を下げる姿の良さに、改心せぬ盗人とは言い乍ら親への情と心の弱りが溢れているのには感心した。「里心が出るようでは泥棒も落ち目」ってのが分かる。吾妻橋の芝居掛かりも上野の主任の高座より調子を張り、形も綺麗でありながら、見せる意識の強過ぎない演技が独特。鐘の銅鑼が打ち損ねたのは痛かったが、柳系の「自然体の人情噺」の魅力を堪能した。
★馬桜師匠『豊志賀の死』
怖い事・気味の悪い事が苦手な演者なので噺のメリハリに乏しい。セリフの尻押さえが聞かず、感情が流れる箇所が散見される。愚かな深情けを描くにも、大年増の色気が出ない。坊主頭でこの噺を演じていると骸骨の独白みたいにも見えた。
◆8月12日 月例三三独演(国立演芸場)
ろべえ『もぐら泥』/三三『蚊戦さ』/三三『厩火事』//~仲入り~//三三『萬両婿』
★三三師匠『蚊戦さ』
蒸夏に相応しい「お気楽な三席」が並んだ勉強会の印象。この噺に関しては、蚊と戦い出してからはドタバタコメディで可笑しいが、前半は些か刈り込み不足。剣術の先生が幇間みたいで可笑しい割には、主人公の剣術凝りぶりの馬鹿馬鹿しさが物足りない。
★三三師匠『厩火事』
噺をおやかしに掛かっているのかな。『洒落小町』のお松以上に喋るお崎で、旦那が「人の話を途中で取って突っ走る。喧嘩の絶えない理由は亭主だけじゃないな」というのも分かるし、破れ鍋に閉じ蓋的夫婦らしくて、人情噺めかない『厩火事』になるのは好ましい。反して、亭主はヒモにしては言うことが乱暴で、余り嬉しくないキャラクターなのはどうして?
★三三師匠『萬両婿』
大家の「やべッ!」、小四郎の「しめた!」に代表されるように、こういう与太なキャラクターの揃ったスーダララッタなストーリーを操る噺は似合って無理なく愉しい。この噺をおやかした先代圓楽師の功績大だが、三三師の場合、「真面目な人がおやかす工夫をしてる苦渋」は微塵も無いから、余計にマンガで馬鹿馬鹿しい。前よりシニカルが目立たなくなったのもおやかし意識の効果か。この噺で一番まともな人である佐吉が殆ど口をきかないのも巧い。小四郎のかみさんもお崎さんの少し大人しい程度の変な人だ。
◆8月13日 第四回正蔵・馬石・一之輔の会(六本木BeeHive)
なな子『転失気』/一之輔『麻暖簾』/正蔵『伊予吉幽霊』//~仲入り~//馬石『船徳』
★正蔵師匠『伊予吉幽霊』
昇太師のようにキャアキャアした声質ではないから、阿っ母さんが伊予吉の死んだのを知っていた、と分かって以降、少し噺のトーンが下がり過ぎる。「死んじゃったんだねェ」と笑う阿っ母さんで泣かせたい。伊予吉と八五郎のキャラクターは適ってる。正蔵師が演ると『頓馬の使者』っぽい雰囲気になるね。
★馬石師匠『船徳』****
ポンポン蒸気の出てくる雲助師型だが徳の気障な二枚目ぶりは先代馬生師に似ている。女中の暢気な表情から船頭たちが「親方の小言」と聞いてアタフタする件の表情が生き生きと間抜けで実に落語らしいのに感心。親方もなかなか二枚目。船頭たちが親方のいる二階に上がって行く雰囲気も雰囲気が出ていて楽しい。漕ぎ出してから、棹の扱いはリアル。徳の短気な所はお祭佐七っぽく、結構形の良い怒りんぼなのが可笑しい。客二人はまとまってアタフタしてるが特に特徴的な性格差は感じない困りキャラ。とはいえ、妙に必死に徳を助けるのが可笑しく、また煙草がなかなか点かない件で一方が「あたしが一拍置くから」と言ったのには爆笑。
★一之輔さん『麻暖簾』
叫ばず、ギャグ沢山にせずで落ち着いた出来(実は扇辰師の『朝暖簾』そっくり)。杢市も酒飲みらしさはあるが割と大人しい。寧ろ、もう少し意地っ張りでも良いくらい。噺全体に良い意味で盲人ぶりを強調する扇橋師系の臭味が無い展開である。それが逆に、口をきかない女中も含めて、家中の静かな雰囲気を感じさせる。他の会の一之輔さんは二ツ目の芸だが、この会では真打の芸になる。空間とお客と共演者のお陰かな。煽るだけのマニア客はこないし。
◆8月14日 第56回七転八倒の会(毘沙門天善国寺書院)
一力『子褒め』/龍玉『星野屋』/喜多八『長屋の算術』//~仲入り~//龍玉『千両蜜柑』/喜多八『鰻の幇間』
★喜多八師匠『長屋の算術』
益々可笑しさを増している。『黄金の大黒』並に馬鹿馬鹿しく愉しい噺になってきた。
★喜多八師匠『鰻の幇間』
稍前半簡略乍ら爆笑。矢張り女中のシラッとした感じが一八の熱い怒りとの対比、アク抜き役になっているのが分る。
★龍玉師匠『星野屋』
細部の工夫は増えて噺の緊密度は高まっているが、旦那の後半の登場が少なく感じられるほど、色悪ぶりが物足りない。
★龍玉師匠『千両蜜柑』
米朝師型の商人気質と倫理を取り込んだ展開。水菓子問屋の旦那は関西弁。番頭の「貰っときゃ良かった」が大笑い。
◆8月14日 上野鈴本演芸場夜席第22回鈴本夏まつり吉例夏夜噺“さん喬・権太楼特選集”
我太楼(四人交代出演)『強情灸』/紋之助/正朝『ぽんこん』/ロケット団/藤兵衛『日和違い』/喬太郎『午後の保健室』/小菊/扇遊『厩火事』//~仲入り~
//正楽/権太楼(さん喬交互出演)『素人義太夫』/仙三郎社中/さん喬(権太楼交互主任) 『死神』
★さん喬師匠『死神』
稍簡略化されているのだろうが、簡略の仕方が抜群に巧い。死神自体が悪意の存在で、こんなに怖い『死神』は初めて聞いた。声が怖く、松の枝にヒョイと腰かけているのがまた怖い。主人公に「八五郎」の名前がある『死神』も珍しい。ラストは主人公が死んで、死神の笑いが続く中で暗転⇒緞帳を下ろす⇒下りきった所で笑いが止まり明転という展開だった。「落語なの?」と疑問を呈している観客もあったが彦六師の新作人情噺などに近く、演劇過ぎるとは思わない。また、「消える」か「消えた」か論議や「『死神』のサゲは落語と言えるのか?」という枝雀師の疑問に対する一つの答えになっている。この『死神』の主人公は八五郎でなく「寿命がまだあった八五郎を死なせたかった死神」だからである。蝋燭とサゲの関係、という呪縛から噺を解放した意味で画期的な『死神』だろう。そういう展開でいながら、上方から帰った主人公が患者の枕元にばかり死神がいるので「弱ったな」とボヤいている様子は目白の小さん師的で、明らかに落語の世界なのである。今年聞いてきた落語の中でも、非常に興味深い一席だった。
★権太楼師匠『素人義太夫』
少しポッとしたとこのある茂蔵のキャラクターも可笑しく、茂蔵の姿を見た魚屋が店を閉めて出てこないってのも爆笑だが、「(義太夫を語りたい気持ちが)
滾っているんだ」のセリフが描き出す旦那のキャラクターが、何より可愛いらしくて愉しい。****
◆8月15日 道楽亭寄席「桂平治独演会“練る”第8夜(道楽亭)
昇也『動物園』/平治『二十四孝』/平治『代り目』//~仲入り~//平治『明烏』
★平治師匠『明烏』
扇遊師譲りとは知らなかった。平治師の超大声に慣れると迫力ある可笑しさに圧倒されてしまう(
慣れていないと声とダイナミックな動きに眩惑されて、平治師らしい演出の気配り、細かさが分かり辛い)
。源兵衛と太助のキャラクターが明確に違い、先っ走りだが能天気な源兵衛と強もて気味にドスを利かせる太助の対比が、特にお茶屋の座敷からハッキリ違って可笑しい。時次郎の度を越した堅真面目ぶり
(見た目はウーパールーパー的だが)
、遣り手の迫力も含めて、四人の表情と声のダブルパンチが効果的だ。まだ色気がしっとりはしないが、「貸座敷」「お手水」と言葉の使い方の配慮も結構なもの。
★平治師匠『代り目』
「元帳」まで。俥屋がしつこくないので序盤はサラサラと進み、夫婦の遣り取りからテンションが上がる。シーボーズみたいなかみさんが段々と可愛く見えてくるのが長所。亭主も可笑しいのだが、平治師は体が大きいから、志ん生師・先代馬生師・先代文治師のチョコマカと甘えている雰囲気がまだ弱い。基本的にキャラクターは適ってるから、蚤の夫婦みたいに、亭主は少し調子を下げてもよいかも。
★平治師匠『二十四孝』
先代文治師譲りとの事だが、基本的に展開は目白の小さん師と同じ。二十四孝で王褒が出てこないくらいか。友達と会って説教する件の場所を入れ間違えたみたいだが、全体に八五郎の能天気さと裏腹な素直さは似合って可笑しい。友達
(平治ってん!)
、かみさん、阿っ母さんも『二十四孝』らしくて愉しい。先代文治師みたいな隠居が時々友達みたいま口調になるのと、『二十四孝』の説明で『源平』的な地の調子になるのが惜しい。数少ない『二十四孝』の演者として、隠居の変化に期待したい。
※先代文治師が先々代燕路師(武田新之助の燕路師)
を大変に尊敬していた、という話と、先代文治師や柳昇師の演っていた『雑俳』の出所が先々代燕路師だという話は興味深かった。
★昇也さん『動物園』
平治師や桃太郎師と共通する可笑しさがあるだけでなく、サゲの言い方など巧いのに感心した。
◆8月16日 にぎわい座夏祭り特別企画“若手精鋭東京四派揃い踏みの会”(にぎわい座)
宮治『元犬』/一之輔『粗忽の釘』/兼好『看板のピン』/遊雀『七段目』//~仲入り~//ブーとパー/生志『お菊の皿』/大喜利
※ANAの機内放送用の会だった。それじゃ、何だか意味の分らない会でも仕方ない。
★生志師匠『お菊の皿』
昇太師型に近いかな。お菊さんがCM(シャンプーと筋肉消炎スプレー)
に出て人気者になる。「一枚、二枚」と数を数える際、ちゃんと皿を持つ手つきになっているのは感心。大人数相手でもお菊の芸はクサくならないが、怒った客に呼び戻されて出て来た時、煙草を吸ってる姿が『カスバの女』みたいで矢鱈と可笑しい。サラッと言ったサゲの言い方も本格。
★遊雀師匠『七段目』
流石に前の二人とは腕が違い、芝居気違いの可笑しさと芝居掛かりのセリフの明確、芝居の所作を誇張した笑いと揃っている。
★兼好師匠『看板のピン』
親分等を聞くと結構年寄り臭い芸なのね。そのため、明るさに無理が感じられてしまう。この段差を無くしたいが・・・。
◆8月16日 上野鈴本演芸場夜席第22回鈴本夏まつり吉例夏夜噺“さん喬・権太楼特選集”
左龍(四人交代出演)『初天神』/紋之助/正朝『金明竹』/ホームラン(ロケット団代演)/藤兵衛『伽羅の下駄』/喬太郎『路地裏の伝説』/小菊/扇遊『夢の酒』
//~仲入り~//正楽/権太楼(交互出演)『短命』/鏡味仙三郎社中/さん喬(交互主任)『猫定』
★さん喬師匠『猫定』
体調でも悪いのか珍しいほど言い間違いが多かった。雰囲気は圓生師型と全く違い、市井の片隅に起きた些末故に共感出来る噺になっている。お滝の悪心も、倦怠期と言いたい時期に亭主が留守した隙に生じたもので、源次郎も間男の呵責からついそれに乗ってしまう。その週刊新潮の実録事件物頁のような「浅さ」、形而下的な顛末に共感が沸く。殺された定吉こそ良い面の皮だが、先日の小里ん師の『小雀長吉』同様、靄の中を彷徨うような人生の流れを描いた世界で、三遊亭系の人情噺・怪談噺とは明らかに立ち位置が違う。柳派の人情噺の再生時が来たのか。定吉は小便をする前に殺され、猫は定吉の棺桶の中で死んでいる。怪異だがドラマティックではない。言えば、定吉が博打打ちにしては良い人過ぎるのが気になるのと、猫が賽の目を当てる件に、定吉との交情も含めて
(此処は談春師が佳かった)もう少し不思議さが欲しい。
★権太楼師匠『短命』
前半はほぼ仕込みで、目白の小さん師型に、かみさんだけは家元型を一寸プラス。軽い爆笑に抑えて、主任へ繋いだ雰囲気。
★喬太郎師匠『路地裏の伝説』
久しぶりに聞いたが、細部の時代風俗がらみのギャグは変えてある。この噺自体は圓丈師系純文学の世界に近く。セミホラーの面白味がラストで深まる。
◆8月17日 “通ごのみ”第五回「扇辰・白酒の会」(日本橋社会教育会館ホール)
辰じん『ひと目上り』/扇辰『麻暖簾』/白酒『錦の袈裟』//~仲入り~//白酒『粗忽長屋』/扇辰『三井の大黒』
★扇辰師匠『麻暖簾』
夏の夜の静けさを感じさせる巧さ、蚊の音の神経質な響きと、良き所多数で盲人クサさも少ない。特に旦那の静謐さは結構なものだが(『青菜』を聞きたくなる)
、全体の雰囲気が些か趣味的なのが惜しい。
★扇辰師匠『三井の大黒』
最近聞く甚五郎物は『ねずみ』や『蟹』ばかりで、この噺の存続を心配していたが、扇辰師の口演を初めて聞き、「職人物落語」として『三井の大黒』が受け継がれる安心感を抱いた。甚五郎は与太郎になり過ぎず、終盤に名乗りを上げるようなクサ味もなく、「職人らしい含羞と屈折
(から来る皮肉)
」を持った、如何にも日本人らしい人格として優れた造型と表現になっている。棟梁・政五郎がまた、江戸の職人気質を体現した結構なもので、口は悪いが腹の綺麗な、目の利く苦労人の雰囲気がある
(年齢と共に、この良さは深まるだろう)
。特にラストで「ポンシュー!」と怒鳴り付けておいて「これが言い納めだい」と呟いた愉しさ、大黒の出来の良さに思わず涙を流す演出は、職人気質を描いた好演出として後世に伝えられるべきものだろう。その他、時間の関係もあったろうが、三代目三木助師型から無駄な枝葉を払い、落語らしい職人世界をクッキリと描き出した。本題の長さも丁度良く
(35分~40分の間)
、これ以上、長くならずに良い長さである。『三井の大黒』を講釈や浪曲系の名人譚でなく、あくまでも落語の職人噺として演じたかった目白の小さん師(
東横落語会で二度目に演じた出来は悪くなかった)の遺志に添った孫弟子の佳演と言えるだろう。
◆白酒師匠『錦の袈裟』
序盤から中盤の与太郎のキャラクターと、困り乍ら相手をしてる和尚との遣り取りが実に可笑しい。半面、廓に来て以降、ワイワイガヤガヤとしての聞かせ所がもう少し欲しい。「祭り縫いで布団の綻びを全部縫った」など、振られた連中のリアクションは十分可笑しいだけに。もう少し聞きたいのだ。
◆白酒師匠『粗忽長屋』
7月27日には前から聞けなかったから、客席からは初聞きの演目。いきなりハイテンションから入る目白の小さん師的展開に、志ん生師⇒先代馬生師系の「一寸まともじゃない人たち」のキャラクターを加味して折衷した演出。これからまだ変わって、更に面白くなって行くと思われるが、熊が八に煽られて『松曳き』的な混乱に陥って行く変化の演出は、近年の『粗忽長屋』では図抜けている。それでいて『主観長屋』のような「逃げの理屈」の野暮を感じさせないのが凄いとこ。
◆8月18日 池袋演芸場昼席
左遊『狸の札』/松鯉『観世肉附の面』//笑三『縮辞』/昇太『二十四孝』//~仲入り~//遊吉『肥瓶』/伸之介『お化け長屋(上)』/今丸/
遊三『唐茄子屋政談』/※大喜利「二人羽織」は見ずに移動。
★遊三師匠『唐茄子屋政談』
寄席用の簡略型で30分強。伯父さんの家の翌朝から始まり、吉原田圃は抜き。一番の出来は若旦那で、貧乏長屋のかみさんが首をくくった事を知って、その怒りから因業な大家の家に殴り込み、余りにも強い怒りと悲しみの綯い混ぜで言葉にならない様子は見ていて涙が出た。大きな声の、如何にも頑固そうな伯父さん、唐茄子を売ってくれる大きな声の町の衆、唐茄子を抱えてボヤくじんま
(萬治の逆さ読みかな。この姿は抜群に可笑しい)
と、遊三師らしいキャラクターが揃って結構。唐茄子を売ってくれた男に礼を言って別れた後、「遊んでる頃ならひと晩一緒に」という若旦那のセリフは相変わらずの良さ。寄席の尺ならではの密度の高い充実した出来だった。
★昇太師匠『二十四孝』
友達に滅茶苦茶な二十四孝を話す件がこれだけ可笑しいのは素晴らしい。終盤の阿っ母さん相手の件は必要かなァ?
★松鯉先生『観世肉附の面』
もっと怪談で行くかと思ったが意外と話自体がアッサリしている。楳図かずおの『肉附の面』の怖さが印象にあり過ぎたか。
◆8月18日 上野鈴本演芸場夜席第22回鈴本夏まつり吉例夏夜噺“さん喬・権太楼特選集”
喬之助(四人交代出演)『金明竹』/紋之助/正朝『紀州』/ロケット団/藤兵衛『尼寺の怪』/喬太郎『肥辰一代記(上)』/小菊/扇遊『天狗裁き』//~仲入り~
//正楽/権太楼(交互出演)『くしゃみ講釈』/鏡味仙三郎社中/さん喬(交互主任)『笠碁』
★さん喬師匠『笠碁』
目白の小さん師型をベースとしながら、「友情と孤独」のバランスを計っているる途中経過にある雰囲気。最初の喧嘩はお互いの甘えあいで充分目白の世界。美濃屋夫婦の会話が長く、お婆さんが猫に話し掛けて亭主に直接語りかけない可笑しさは、余り描かれていなかった美濃屋の暮らしのスケッチとして面白く、老夫婦故の孤独感にも繋がる。待つ側の旦那の風景は目白型に若干先代馬生師型を加味した程度。美濃屋が歩きながらの場面に
(首の振り方は稍大抑)
、「迎えになんか寄越すな」というセリフを移したのは、待つ側と美濃屋をカットバックさせて「二人とも同じ思い」を強調する印象かな。ただ、ラストで「被り笠を取らない」の後にお互いが「下らない喧嘩をしたね」と言い乍ら碁を打つ場を加えてあるので、前のカットバックが些か無駄になるのはどうか?。このラストシーンは目白の小さん師にとって最後のホール落語会出演となった紀伊国屋寄席での「終わらなくなった『笠碁』」の延長戦上にあるもの(オマージュ)なのか、また一方、「まだ被り笠取らない」を「サゲとは思えない」と悩み続けたという目白の小さん師への回答なのか。
★権太楼師匠『くしゃみ講釈』
安定した爆笑で、言葉のキレも良い。のぞきからくりに困る乾物屋の困惑や「前の人(野次馬)
は座って」のセリフ、主人公の「大丈夫ですかァ!」の可笑しさは抜群。半面、講釈が最初から少しロレッていて、テンションが下がり気味だったのがちと気になる。
★喬太郎師匠『肥辰一代記(上)』
上野でこの噺を聞くとは思わなかった。コアなマニア向けというか、今年一番の暑さで自棄になったのかなァ。
◆8月19日 市馬落語集(日本橋社会教育会館ホール)
市也『元犬』/市馬『夏の医者』//~仲入り~//市馬『三軒長屋』
★市馬師匠『三軒長屋』
リズムが良く、長丁場だがダレは感じなかった。仲裁役の辰が頭のかみさんの前で照れて頭を掻く笑顔や与太郎がブツブツボヤく件は非常に良く、勇みだがヤクザ・博打打ちでないのが佳い。頭のかみさんは色気はあるものの、言葉の端々が丁寧過ぎまいか。頭は帰ってきて
(女郎買いに行って帰らない仕込みはない)
かみさんの話を聞きィの、引っ越しの智謀計略を思い付く辺りの冷静さは目白の小さん師並で畏れ入ったが、楠先生を訪ねる辺りから「人の上に立つ人は違うね」って雰囲気が次第に薄れたのは惜しい。伊勢勘の妾は稍色気不足。楠先生はかなりカリカチュア不足。伊勢勘相手の場面でも、もっとマンガにしないと。伊勢勘はニンが違い、妾を囲うヒヒ爺ぶりは皆無
(これは近年では現・馬生師に止めを刺す)。また、楠先生を実は怖がっていないように見えるのもおかしい。頭に対しては中々大腹中なとこを見せて悪くないのだがが
(伊勢勘を敵役風に描かないのは目白系らしい)、もう少し上から睥睨する態度は欲しい。
★市馬師匠『夏の医者』
長閑で蠎の下痢顔も実に面白いが、田舎田舎した土臭さの様なものが意外と希薄である。また、山の頂上に二人が着いて汗を入れる件では、先代馬の助師の忙しく扇子を使う玄伯老の姿から吹き上げて来る風の心地よさが感じられた魅力がまだ無い。煙草の喫い方も淡白。『馬の田楽』以上に「暑い」「凄い田舎」という事を野暮にでも強調するべき噺だろう。
◆8月20日 上野鈴本演芸場夜席第22回鈴本夏まつり吉例夏夜噺“さん喬・権太楼特選集”
左龍(四人交代出演)『お花半七』/紋之助/藤兵衛『尼恋』/ロケット団/正朝『祇園祭』/市馬(喬太郎代演)『雑俳』/小菊/志ん輔(扇遊代演)『元帳』//
~仲入り~//正楽/権太楼(交互出演)『疝気の虫』/翁家和楽社中(仙三郎社中代演)/さん喬(交互主演)『濱野矩隨』
★さん喬師匠『濱野矩隨』
大分改訂されているが、まだ途中経過の印象。母子の遣り取りの雰囲気は『福禄寿』と似ている。矩隨と若狭屋の最初の遣り取りに河童狸は登場せず、「親父の顔に泥を塗るなら死ね」と五両の金を渡され、帰宅すると母に直ぐ暇乞いをして、「死ぬ前に形見を」と観音像を頼まれる。二日三晩一心不乱に彫り上げると、母は「若狭屋に見せて二十両で売れなければ父の許へ行け」と水盃で送り出す。矩隨は若狭屋の店先で一刻も逡巡してからやっと店に入る。ここで初めて河童狸が登場する。若狭屋は二十両と聞いて、慌てて金を出し品物をしまい
(妙に人間臭くて面白い)
、矩隨の作品だという事を疑ったりしない。水盃の件に気付いた若狭屋に促され、矩隨は飛ぶように自宅に戻ると「二十両とは認められなかったか」と自害しかける母を止める。最後は若狭屋が同業者に三本脚の馬を、中橋の加賀屋佐吉の使いに
(これは笑った)河童狸を売って終わる。母性愛による名人誕生譚でなく、人(自分を含めて)
を信じる事の難しさを描く噺になっているが、母子の世界と職人芸の世界のバランスが些か弱い。若狭屋の存在を強めて、もう少し職人芸の方向に噺を近づけたい。
★権太楼師匠『疝気の虫』
悪い出来ではないがマクラから25分は長すぎて間延びした印象がある上に、下座が活け殺しを間違えたりしてリズムが中断した。仕種が多く、体力を使う噺だけに、池袋の主任で15分で演じた、非常に息の詰んだ大爆笑高座にはとても及ばず。
※喬太郎師が休むと、仲入りまで安定はしているが、なだらか過ぎて弾みに乏しい番組になるね。ならば紋之助さんの出番を仲入り前に持ってくるべきでは。小菊師はヒザへ。また、権太楼師もマクラで呆れていたが、藤兵衛師連日の「レア過ぎるネタ尽くし」も前半の平坦に拍車を掛けている。池袋なら兎も角、上野では些か場違い考え違いではあるまいか。上野の観客層では『日和違い』止まりだろう。
--------------------以上中席------------------------------
◆8月21日 柳家喬太郎・三鷹勉強会昼の部
こはる『肥瓶』/喬太郎『小言幸兵衛』//~仲入り~//鯉橋『転宅』/喬太郎『任侠流山動物園』
★喬太郎師匠『小言幸兵衛』
丁寧過ぎて長いのと、メリハリに欠けて些かダレた。豆腐屋の啖呵は泣きを入れて意味不明にするという「逃げ道」で処理。仕立て屋はお互いのリアクションが間延びしている。鉄砲鍛治は簡単に済ませ、最後に芸術協会の芸人を出して「どうりでボンボンB同士」とサゲた。上野の夏祭公演で疲れたかな。
★喬太郎師匠『任侠流山動物園』
似合う噺だし、東映任侠映画のパロディとしても安定している。パンダと象の拵えにちゃんと貫禄・存在感があるのが妙に馬鹿馬鹿しく愉しい。
◆8月21日 浅草演芸ホール夜席~仲入り後、禁煙落語特集~
陽昇/圓馬『高砂や』/歌春『短命』/正二郎(喜楽代演)/圓輔『親子酒』//~仲入り~//~特集禁演落語~/青山忠一(禁煙落語解説:交互出演)/鯉朝(交代出演)『にせ金』/圓満(交代出演)『大神宮の女郎買い』/Wモアモア/南なん『六尺棒』/美由紀/金遊『品川心中(上)』
★金遊師匠『品川心中(上)』
マクラ無しで30分弱。相変わらず芝居芝居した表情を付けず、更にメリハリもわざとつけないようで(クスグリを抜いた部分もある)時々、大きな声で馬鹿に可笑しいメリハリをつける。金蔵が訪ねて行くと親分が留守で、かみさんが相手をするのは珍しい演出。金蔵の頼りなさはかなりのレベルで可笑しい。「その晩、珍しくお染に客がついて二~三人の廻しを」は紫手柄の女郎らしい。夜中に目覚めた金蔵がハッキリと「死ぬの止そう」と言うのでお染が積極的になるのも分かりやすい。お染が金蔵を探して足元の海中を見回す仕種など目立たせない可笑しな仕種が結構ある。はばかりから這い出して来た与太郎に「その足で歩くな」は笑った。先代圓遊師の『品川心中』がベースなのかな?
◆南なん師匠『六尺棒』
親父と倅の説教の言い方が瓜二つで、傲慢なのが矢鱈と可笑しい。
◆8月22日 池袋演芸場昼席「ぽっかぽか寄席」
市也『牛褒め』/ろべえ(交互出演)『もぐら泥』/小せん(交互出演)『欠伸指南』/小歌(交互出演)『小言念仏』/夢葉(交互出演)/小はん(交互出演)『時そば』/萬窓(交互出演)『紙入れ』//~仲入り~//麟太郎(交互出演)『ちりとてちん』/正蔵(交互出演)『伊予吉幽霊』/小雪/三三(交互主任)『鮑熨斗』
★三三師匠『鮑熨斗』
サゲで稍テンションが落ちたが、相変わらずシクシク泣く甚兵衛さんが愉しく、「落ち着いて・・深く息を吸って・・目を閉じて・・目を開けて・・私だよォ?・」と相手をする大家さんが可笑しい。
★正蔵師匠『伊予吉幽霊』
伊予吉やそのオフクロに対する友達のリアクションが整い、可笑し味が増した。また、オフクロのトーンが上がったので無駄な湿り気さが取れてきた。
★麟太郎さん『ちりとてちん』
全体を通して真っ当過ぎる演じ方だが、腐った豆腐を食べた金さんのリアクションで、無言のまま頭の上下をいじって首を傾げる動きなどが加味され、可笑し味を増している。相変わらず、六さんのお世辞家ぶりに嫌味がないのは長所。
◆8月22日 第37回人形町らくだ亭(日本橋劇場)
朝呂久『権助魚』/馬るこ『親子酒』/一朝『植木のお化け』雲助『お初徳兵衛』//~仲入り~//志ん輔『船徳』
★一朝師匠『植木のお化け』
一寸風邪気味かな、という感じで清元、長唄の件に本来の艶が稍足りないが噺の洒脱さは変わらず、本格なのに気楽に愉しい。
★雲助師匠『お初徳兵衛』
序盤、徳兵衛が船頭になる件から、客とお初を乗せての船中(お初の風情が真に結構)、お初の「後生・・」の強過ぎない切なさの情趣など、徳兵衛とお初の遣り取りまで、会話の息は近年、雲助師が演じたこの噺で一番の出来だと思う。半面、お初の昔語りが始まると、それまでの背景にある川の流れや雨が消えてしまい、密室感が強くなり過ぎる。先代馬生師の雨音を感じさせた遣り取りの妙にはまだ届いていないかな(声質が違うから何か違う表現の仕方があると思うけれど)。
★志ん輔師匠『船徳』
テンションは高いがアクが抜けて面白さが粒立ってきた。特に以前はくどく感じられた序盤の船頭たちの件の軽い愉しさは貴重(最近の『船徳』は前半が重すぎる)。徳三郎の能天気さ、我が儘ぶりも可笑しいが、涙で見送る船宿女将、呆然と声が中々出せない竹屋のおじさん、傘を持った客の怖がり方、最後に友達に謝る扇子の客(煙草を喫いつける仕種の可笑しさはかつて無い、洒落たマンガである)などの人物が場面場面で立ってはサラサラと消えたり変化して行くのが愉しい。欲を言えば、船の中が混乱する辺りから、もう一度「暑さ」がぶり返されて、客と徳さんを苦しめたい。
◆8月23日 池袋演芸場昼席「ぽっかぽか寄席」
はな平『寄合酒』/正太郎(交互出演)『湯屋番』/柳朝(交互出演)『荒茶の湯』/小歌(交互出演)『浮世床』/夢葉(交互出演)/小はん(交互出演)『親子酒』/萬窓(交互出演)『締込み』//~仲入り~//麟太郎(交互出演)『お菊の皿』/三三(交互出演)『のめる』/小雪/正蔵(交互主任)『子は鎹』
★正蔵師匠『子は鎹』
細部を丁寧にしながら(例えば、鎹を振り上げなくなった)、笑いを取る件と情を現す場面の照り降りを明確にしている。キャラクターで言えばお徳が以前より情ばかりな流れず、気丈な母親を感じさせるようになってきたのは成長。
★小はん師匠『親子酒』
目白の小さん師とは少し違うが、親父も倅も優れた出来で堪能。
★小歌師匠『浮世床:将棋~講釈本』
講釈本の件で「だいじょぶ」と繰り返すのが馬鹿に可笑しい。若い頃と違い、懐かしい落語の味わいがある高座。
★萬窓師匠『締込み』
三遊亭を名乗る古典派の若手真打では萬窓師と小圓朝師が矢張り一番真っ当なのが分る。声音にクセはあるが芸に嫌なクセが無く、芝居縁起の落語ではあるが人物表現が芝居になり過ぎなくて、泥棒の人の良さが耳立つ。
★麟太郎さん『お菊の皿』
前半は飽くまで仕込みに徹して、お菊の登場からちゃんと受けたが、最後にお菊の芸がクサくなる件でクサく見えなかったのは惜しい。
★はな平さん『寄合酒』
冒頭、兄貴分の家にみんなでやってきて、「肴は銘々が持ってくるが、持ってきた酒を溢した」と嘘をついて、兄貴分の家の四斗樽の酒にありつく演出は初めて聞いた。誰の『寄合酒』が元なんだろう?
◆8月23日 浅草演芸ホール夜席~仲入り後、禁煙落語特集~
柳太郎(圓馬代演)『テレクラ爺さん』/歌春『垂乳根(上)』/喜楽/圓輔『蛇含草』//~仲入り~//~特集禁演落語~笑松(交代出演)『坊主の遊び』/鯉朝(交代出演)『にせ金』/Wモアモア/南なん『六尺棒』/美由紀/金遊『品川心中(上)』
★金遊師匠『品川心中(上)』
最小限の演技でちゃんと笑いが取れる辺りは、四代目小さん師みたいな芸風というべきか。それでいて、お染の「お前さん、心変わりしたんだね」や「お金が出来たの?」、親分が金蔵を見て無言で仰天する件等、決まるべき視線は決まっている。馴染み帳を見ながら「辰さんはあたしにベタ惚れなんだけど、歳が72ってのがねェ」とお染が言うセリフが馬鹿に可笑しい。最後にはばかりから上がって来る与太郎の笑顔が可愛い。
★圓輔師匠『蛇含草』
今までに聞いた圓輔師の高座でも一、二の出来(曲食いは少なくオチまで)。明快で終始一貫、リズムが狂わなかった。先師・三代目三木助師の十八番とはいえ、近年この噺でこうサラッと愉しいのは無い。
★笑松さん『坊主の遊び』
口調が明るい代りに硬めなので色気はないが、噺自体の可笑しさはちゃんと表現されている。
◆8月24日 池袋演芸場昼席「ぽっかぽか寄席」
市也『間抜け泥』/正太郎(交互出演)『道具屋』/小せん(交互出演)『鷺取り』/小歌(交互出演)『権助魚』/夢葉(交互出演)/小はん(交互出演)『船徳(中)』/馬石(交互出演)『元犬』//~仲入り~//う勝(交互出演)『近日息子』/正蔵(交互出演)『ハンカチ』/小雪/三三(交互主任)『お化け長屋(上)』
★三三師匠『お化け長屋(上)』
古狸の杢兵衛が二番目の男から泣き出すほど酷い目に合う。可笑しいっちゃ可笑しいが、テレビ的な誹謗・嘲笑の笑い、他人を見下した笑いで「落語らしさ」は感じない。特にこの噺では「混ぜっ返す」と「嵩に掛かって苛める」の区別がついていないのではあるまいか。小利口さの勝つ苛めっ子の視点とも言え、笑いに不愉快さが伴う。目白の小さん師の『お化け長屋』から「それから」を取り入れていたが、世界が全く違う中で言われても違和感が残る。杢兵衛が涙ぐんだ直後、低い声で話を再開すると相手の男が「よく元の調子に戻れるね」と言って笑いを取るが「苛め」の念押しだ。師匠から「落語の基本的世界」を教わり損ねてんのかなァ。
★馬石師匠『元犬』
体のこなしと視線の使い方が抜群で、実に可愛らしく可笑しい。相変わらず『元犬』では王様。
★小はん師匠『船徳(中)』
昔から楽屋で評判を取っている「影のスタンダード船徳」。真に能天気な若旦那と客の大迷惑中心なのだが、目白型にプラスアルファされているのは幻の三代目三木助師型なのか。
★小せん師匠『鷺取り』
噺の作り方とスイスイ進める展開は若手真打離れしている。雀取りの上方雀が可笑しいのは嬉しい。
★正太郎さん『道具屋』
巧くて可笑しい点では二ツ目離れしている。与太郎が似合うんだな、また。
★う勝さん『近日息子』
気弱なしん平師、といった印象で、マクラの「う勝」の由来や、旅行代理店⇒葬儀社という社会人経験のマクラがかなり可笑しい。可笑しさの雰囲気を明らかに持っているのだから、旅行代理店・葬儀社を舞台にした新作を作れば似合うのではないか?
◆8月24日 第291回三遊亭圓橘の会(江戸深川資料館小劇場)
好吉『夕立屋』/橘也『唖の釣り』/圓橘『猫定』//~仲入り~//圓橘『プールにて・その4』
★圓橘師匠『猫定』
圓生師の型だが、猫との出会いから賽の目を猫が当てる不思議まで迄を普通に演じて、定吉の旅立ちからお滝の間男、定吉の戻りまでは地でサラッと説明するので圓生師的なクドさは感じない。稍、語りのギクシャクした面はあるが(言葉の切り方が圓生師より短っかい)、圓生師型で彦六師が演じているような雰囲気がある。定吉とお滝の殺しは簡潔な描写で無気味さを死体二つが立ち上がる件まで繋げ、長屋連中の動転と三味の市の様子で笑わせる。浪人真田の気合いで締めているが全体的な雰囲気は落語。
◆8月25日 池袋演芸場昼席「ぽっかぽか寄席」
まめ平『六文小僧』/正太郎(交互出演)『ぽんこん』/小せん(交互出演)『犬の目』/小歌(交互出演)『転失気』/小雪/小はん(交互出演)『船徳(中)』/馬石(交互出演)『締込み』//~仲入り~//う勝(交互出演)『短命』/三三(交互出演)『加賀の千代』/夢葉(交互出演)/正蔵(交互主任)『一文笛』
★正蔵師匠『一文笛』
真面目過ぎる展開から稍脱しかけている。特に、子供が井戸に身を投げたと知ってからの秀の謝る方を二段階にして悲劇にしすぎない演出は賛成。サゲの言い方はもうひと呼吸、落語でありたい。
★う勝さん『短命』
悔やみの相談でなく前職を活かして宗派別の焼香の回数から入ったのは面白い。内容もクドくなく、サゲの軽さには感心した。今時珍しい「軽さ」は貴重。
★馬石師匠『締込み』
仲裁に入った泥棒の動きの可笑しさは絶妙。リズムが実に良く、キャラクターも傑出して演技が芝居にならない。近年聞いた『締込み』では最高の高座。
★小せん師匠『犬の目』
達者で軽くて馬鹿馬鹿しくて結構。
★正太郎さん『ぽんこん』
正朝師の型だが、殿様がノホホンとしているのと、噺全体に愛嬌のあるのが愉しい。噺に無駄が無い。
★小歌師匠『転失気』
仕込みは仕込みとしておいて、ちゃんと後半で受けるまで我慢出来るのはベテランならでは。
◆8月25日 蜃気楼龍玉 圓朝に挑む!“緑林門松竹”第十話(道楽亭)
本田久作『前回までの粗筋』/龍玉『緑林門松竹~五左衛門殺し』//~仲入り~//龍玉『千両蜜柑』
★龍玉師匠『緑林門松竹~五左衛門殺し』
江戸に向かいかけた平吉が五左衛門の家人に捕まり、責められている所を尼に化けたお関が毒薬・鬙白誉石を使って五左衛門たちを殺して救う件。演じ方は圓生師に近く、視線の使い方に特徴がある半面、お関が化けた尼の立ち居振る舞いやセリフの雰囲気の醸し出し方が余り明確でない。田舎で起きた『帝銀事件』みたいな物で、お関の美貌故に簡単に人が騙され、お関が簡単に人を殺す、という展開の妙な可笑しさ、落語的なドライさや、お関の不気味な佇み方の兼合いが必要では?
★龍玉師匠『千両蜜柑』
旦那や若旦那が「蜜柑一つ千両」と聞いても平然としている事に対して、番頭が驚いているだけで、先代馬生師の片肩がガクッと落ちるほどの衝撃を受けてはいないからサゲが効かない。折角、「貰っときゃ良かった」が可笑しいだけに、先代馬生師物では『紀州』の「ガッカリした一団」並の衝撃が必要だろう。あと、表情(特に視線)とセリフの両方でズーッと芝居をしているので、人情噺と違い、地の少ない落語では圓生師的な鬱陶しさがつきまとい、尺が無駄に伸びる。人情噺と落語の演じ分けを意識し始めた方が良いのでは?蜜柑問屋の上方言葉の人物は旦那なのか番頭なのか、これももう少し明確に分からせたい。
◆8月26日 池袋演芸場昼席「ぽっかぽか寄席」
市也『元犬』/正太郎(交互出演)『宗論』/正蔵『新聞記事』/小歌(交互出演)『月給日』/二楽(交互出演)/小團治(交互出演)『千両蜜柑』/萬窓(交互出演)『たが屋』//~仲入り~//麟太郎(交互出演)『野晒し』/小せん(交互出演)『月見穴』/小雪/三三(交互主任)『厩火事』
★三三師匠『厩火事』
この亭主は落語的にだらしがない奴でなく、本当に冷淡で(講釈の三尺物の喋り方だから余計にそう感じる)利己主義の固まりみたいに嫌な奴だなァ。お崎さんが五月蝿い事よりも、嫁さんに「貴方は冷淡で利己的だ」と離婚された私が見ていて共感はするものの、「嫌だな」と感じてしまうあの亭主の冷たい目が見え出して以降、三三師のこの噺には親しめなくなっている。
★萬窓師匠『たが屋』
簡略型なのか、供侍二人で、たが屋の斬り方も少し違う。「間の悪いときってのは仕方がない」の言葉で噺の後半を転がして行くのは、分りやすいし、悪い合いアイディアではない。
★小せん師匠『月見穴』
初めて聞いた頃よりジックリ聞けて、巧さは感じるのだが、隣の男も穴の中、というネタバレの早さが惜しい。特に、隣の男の喋り方をわざとくぐもらせているので、諦めて月見をしている可笑しさが出難い点はひと工夫欲しい。
★正太郎さん『宗論』
この噺は中堅真打レベルでも酷く詰まらなくなる場合があるし、矢張り難しいんだな。倅の妙なセリフ廻し中心に展開してしまうと(白酒師のような徹底したブラックギャグで彩りながら親父の凄さが出るなら兎も角)、親父と倅のキャラクターが見えて来ない。「そういう宗旨はそういう方にお任せをして」という小三治師のセリフの活かし方が結構厄介なのね。
◆8月26日 J亭落語会桃月庵白酒独演会(JTアートホール)
扇『六銭小僧』/白酒『錦の袈裟』/雲助『もう半分』//~仲入り~//白酒『船徳』
★白酒師匠『船徳』
徳が「舫う」という言葉を知らない、という演出は初めて聞いた。その他、細部まで、矢張り、過去に他の噺家さんが演じられた物を含めて、先代馬生師以来、一番可笑しい『船徳』だろう。
※石垣の件で蝙蝠傘もろとも客が石垣に取り残される、ってくらいのナンセンスが加味されても良いのではあるまいか。残された客が、あの船で徳さんと一対一になったら益々地獄だろうから。
★雲助師匠『もう半分』
『正直清兵衛雪埋木』に近い古風な型(但し鳴り物は無し)。中盤、老爺殺しが芝居掛かりになるが、何とも言えず無気味な雰囲気が漂う、雲助師ならではの怖さ。老爺殺しを決める前後から芝居掛かりの件まで、その前後とは亭主の人格が稍変ってしまうが、それが「破綻」というより「噺の妙」として受け取れるのが「古風な趣向」の面白さであり、ある意味、南北~小團次的な人間観察のリアリズムだろう。普通の近代人だと、理屈を付けないと納得して演じられないキャラクターを(理屈で演じると新劇の出来損ないみたいな解釈になっちゃう)理屈抜きに演じられるのは、先代馬生師直系の芸ならでは。「こういう考えになるのも仕方ない」と演者が納得するための解説セリフを付けると、却って「人間の無常」や「“悪心”という魔が射す心の隙間」は見えて来ない。演劇的納得より社会学的な人間観が先行するべきなのだね。
◆8月27日 第15回三田落語会昼席(仏教伝道会館ホール)
市也『元犬』/喜多八『四ツ目屋~短命』/一之輔『五人廻し』//~仲入り~//一之輔『青菜』/喜多八『船徳』
★喜多八師匠『四ツ目屋~短命』
『四ツ目屋』はザックリと演じて馬鹿馬鹿しく可笑しいのに感心。『落武者』等にも言えるがバレ噺に独特の瓢逸さを発揮する。『短命』は八っつぁんが短命の理由を漸く理解する件で、長めにパントマイム的な演出を採ったのが非常に面白かった。
★喜多八師匠『船徳』
黒門町型とは傘と扇子の持ち主が逆。喜多八師でこの噺を聞いたのは初めてかな?大桟橋近くまでは行かない演出だが、若旦那の気取り方やヘボを必死に誤魔化そうとする視線が可笑しい。それ以上に客二人の怒哀のリアクションの大仰さがクドくなく可笑しく、怒ってるのに、船の上では船頭相手に怒りきれない様子がステキに滑稽。二人が大声を発しても煩くならないのも優れた点である。
★一之輔さん『五人廻し』
前に聞いた時より、江戸っ子の啖呵が粒立ち、何を言ってるかが明確になった。もう少し自慢気なとこが欲しい。通人はもっと気味悪くて良いのでは。官員は泣き出してからが可笑しく、怒鳴っているうちは稍煩い。田舎者と関取は稲荷町型で悪くない。喜助のリアクションは巧く演出されているが、客商売の達者さに本当に困ってる面を加味したい。喜瀬川が出てこないから喜助の鬱憤のぶつけ先が無いのである。
★一之輔さん『青菜』
絶叫せず、前半など一之輔さんにしては非常に静かに展開するが、ギャグ先導でなはいから、仕込みは仕込みとして噺の流れを感じた。タガメの嫁さんが登場してからは怒鳴り付け落語になるが、それでも受けのためのキャラクターとして処理出来る。
◆8月27日 第15回三田落語会夜席(仏教伝道会館ホール)
市也『高砂や』/市馬『南瓜屋』/さん喬『片棒』//~仲入り~//市馬『鰻の幇間』/さん喬『唐茄子屋政談』
★さん喬師匠『片棒』
丁寧。囃子に耳の行き勝ちな噺だが兄弟三人の性格、リアクションがちゃんと違い、長男らしさ・次男らしさ・三男らしさがセリフだけでなく物腰に出ている。三男と親父が似ているのも可笑しい。山車の上にある下唇を突き出して上目遣いの親父の人形が桃太郎師に似てるのには大笑い。
★さん喬師匠『唐茄子屋政談』
大分変化した。地の文の非常に少ない『唐茄子屋政談』。特に徳三郎の心情を説明するような地は一ヶ所くらいしかない。徳の身投げもウダウダ言わず、水面に揺れる月に引き込まれてるように身を投げかける。伯父さんは片意地な江戸っ子でなく、唐茄子を売るのが嫌だと徳が言うまで怒鳴らない(偉く優しいのである)。却って伯母さんか「乞食みたいな恰好をして」と徳をひっぱたく。徳が倒れるのは蔵前で江戸っ子は「俺にもそんな伯父さんがいりゃあな」と呟くと「唐茄子、如何です」と売ってくれ、徳を売りに出して見送る。吉原田圃で徳は「蘭蝶」を唄いながら辛くなって来る。貧乏長屋の場所は言わない。最後はやかんで大家を殴ると大家が訴え出て却ってお叱りを受け、徳の勘当が許されると結ぶ。非常に世話味が強く、所謂人情噺とも雰囲気が違う。「さん喬師版世話噺」という印象で、雲助師の「硬」に対する「柔」の世話噺。勿論、まだ改訂過程の部分もあり、子供が弁当を食べる場面で「丸で獣のように」と言ったのは違和感がある。また、貧乏長屋の出来事を長屋の遣り取りと伯父さんの前の徳の語りと二度繰り返し、大家が貧しいおかみさんを突き飛ばすのも地と隣の婆さんの語りで繰り返すのは無駄に思える。とはいえ、さん喬師ならではの世話噺の世界が見えてきた。
★市馬師匠『南瓜屋』
最近、この噺に関しては会話のリアクションが一寸弱い。特に与太郎が無表情になりがちなのと、伯父さんが怒るのでなく、顔を赤くして叱るという感情の高ぶりが目白の師ほど明確に出ないため、セリフはちゃんとしているのに、噺のメリハリが弱まるのは惜しい。
★市馬師匠『鰻の幇間』
一八の明るさと、女中のシラッとした明るさが変わらず可笑しい。今夜ははばかりの戸を叩いて「トントンストトン」は無かったが、「噛むと弾む」「面白い事をおっしゃる」が入り、「アタピンの海岸散歩する」も「何処かで使って下さい」と女中が押すのが加わった。四代目の小さん師匠の「くすぐりはお土産」を体現した変化が、一八の芸人らしさと相俟って、他の『鰻の幇間』に差を付けている。
◆8月28日
冷房風で発熱。『談春弟子の会』と『浜松町かもめ亭』に不参。
◆8月29日 池袋演芸場昼席「ぽっかぽか寄席」
はな平『垂乳根』/ろべえ(交互出演)『牛褒め』/柳朝(交互出演)『武助馬』/馬好(交互出演)『猫の皿』/二楽(交互出演)/小團治(交互出演)『星野屋』/馬石(交互出演)『粗忽の使者』//~仲入り~//う勝(交互出演)『六銭小僧』/三三(交互出演)『鮑熨斗』/小雪/正蔵(交互主任)『仔猫』
★正蔵師匠『仔猫』
お鍋の哀れを抑えて(持ち味がウェットだからそれで充分)、無気味さを醸し出す中でも笑いを取れる展開に変えつつある印象。まだ地の文が稍多く、会話から会話へ繋ぐカットバックの必要性を感じた。
★馬石師匠『粗忽の使者』
治部田治武右衛門の粗忽キャラが素晴らしく可笑しい。目がキョトンとして「ハァッ?」と物忘れしている様子が堪らない。留っ子はもうちっと職人らしさが作らずに出ると良い。三大夫さんは堅さがあり悪くないが、年齢的にまだ見た目の雰囲気に乏しいのは致し方がない。
◆8月30日 池袋演芸場昼席「ぽっかぽか寄席」
まめ平『六銭小僧』/ろべえ(交互出演)『もぐら泥』/柳朝(交互出演)『牛褒め』/馬好(交互出演)『九段八景』/二楽(交互出演)/小團治(交互出演)『元帳』/馬石(交互出演)『松曳き』//~仲入り~//麟太郎(交互出演)『宗論』/正蔵(交互出演)『ハンカチ』/小雪/三三(交互主任)『お化け長屋(上)』
★三三師匠『お化け長屋(上)』
一寸したリアクションや追求の仕方の違いだが、今日は二番目の男が「苛め」でなく「混ぜっ返し」だった。自分でも噺の中で「混ぜっ返し」と言ったのは驚いたが、「お前の芸のためだ」というセリフが活きている。「正蔵くらいにはなりたいんだろ?」「なりたくない・・・目標が低い」は強烈。長屋の男の「それから?」はこのセリフの前を引っ張り過ぎるので可笑しさが破裂しない。目白のを聞いてないのかな?(放送したから映像はTBSにある筈)
★馬石師匠『松曳き』
殿様の高瀬実乗みたいなトッポさが物凄く可笑しい。三大夫さんの歪み方も強烈で、特に独特の仕種が多く(古今亭の笑いとしては本道)白酒師とは違う可笑しさがある。
★麟太郎さん『宗論』
歌詞を書いた手拭いを何枚も出して讃美歌を二曲(一曲目は三番まで)歌い、お客に歌わせた。近年の扇橋師か柳橋先生の『掛取り』みたいだが、優しい芸で、このシニカルな噺には「パンチが効かないな」と感じていただけに、成る程これはひと工夫。麟太郎さんの芸風でないと嘘臭くなりかねない。
◆8月30日 柳家喬太郎プロデュース公演『アンチSWA』(本多劇場)
白鳥・喬太郎・彦いち「御挨拶~三題選び⇒ドジョウ・ハンマー投げ・カザフスタン」/扇辰『麻暖簾』/昇太『マサコ』//~仲入り~//白鳥『三題噺』/彦いち『三題噺』/喬太郎『三題噺』
★喬太郎師匠『三題噺』
ストーリーが出来て、三つの題がその言葉本来の意味のまま散りばめられ方をして、登場人物に変化や成長を伴う点、「ストーリー噺家」として優れた面を発揮した。半面、『マイノリ』のような「何年経っても変わらない登場人物」の愛しさに乏しく、無茶苦茶な新作の馬鹿馬鹿しい愉しさも弱い。一寸鬱陶しさが残る辺り、圓丈文学落語の継承者だなァと感じる。『マイノリ』みたいな「危うい親しみ」が湧かないのだ。
★白鳥師匠『三題噺』
白鳥世界らしい貧乏若者体験噺の可笑しさがある半面、「三題」が駄洒落中心なのは物足りない。もっと、貧乏と夢のアンビバレンツさが弾ける破天荒な筈の白鳥ストーリーになって良いのに、三題に縛られてかしこまった印象。
★扇辰師匠『麻暖簾』
最初の「お清」でパッと空間の浮かぶ巧さがある代り、ズーッと演じているから、芝居落語のかったるさも今夜は感じた。芝居落語の要素を埋めるためには幾つかのセリフに一寸だけ省略が必要なのではあるまいか。
★昇太師匠『マサコ』
この噺って、最後に女の子が来てからが別の小噺に聞こえる。
★彦いち師匠『三題噺』
駄洒落三題レポート落語で、こちらも三題に縛られている。金馬師の『鹿政談』や小満ん師の『奈良名所』またいなカザフスタン観光落語に出来る開き直り、というか芸幅の無さを感じる。
※喬太郎師まみれの六日間の始まり始まり。
◆8月31日 池袋演芸場余一会昼の部『柳家喬太郎の会』
ぽっぽ『松山鏡』/喬太郎『諜報員メアリー』/柴田幸子『寿限無』/喬太郎・幸子「対談」~//仲入り~//喬太郎『心眼』
★喬太郎師匠『諜報員メアリー』
あのマクラから入るか!(笑)
★喬太郎師匠『心眼』
だいぶドラマの方にシフトした印象。山の小春の口説きが長くなり、性格付けが初になるのは悪くない。一方、梅喜が悪党に近い調子になるのは考え物。とはいえ、梅喜のコンプレックス・憧れ・色欲・願望が入り交じった夢の重さはある。この展開で、お竹が料理屋の庭に入り込むまでの描写が要るかどうかは疑問。梅喜が目覚めてからが稍長いのは、梅喜の諦めでなく、反省を感じさせる。ドラマにシフトしながらも、以前より重苦しくはないのは、梅喜がドスを効かせるからかな。
◆8月31日 柳家喬太郎プロデュース公演『双蝶々リレー』(本多劇場)
白鳥・喬太郎・彦いち「双蝶々リレー由来鼎談」//~仲入り~//白鳥『長吉とメルヘンの森』/彦いち『番頭殺し』/喬太郎『雪の子別れ』
★喬太郎師匠『雪の子別れ』
父・長兵衛が圓生師的に稍衰弱を強調し過ぎるが(特に咳き込みの回数が多い)、長吉は以前より稲荷町の演出に近く、「悪党」ではなく人間味が強い。「悪党も里心がつくようでは運の末」は長吉について小里ん師の言われた名言だが、その運の末が親子の情に繋がり、上っ面でない情感を醸し出した。長吉と長兵衛の遣り取りが世間をはばかるものにしては、声が大きく感じさせ過ぎたのは惜しい。また、更に言えば、最後の別れの「ちゃん!」「長吉!」はもっと悲痛でありたい。吾妻橋の芝居掛かりは余り張らないのが世話物としては弱いが、芋会いはドラマになっている。この場の長吉と黒猫の遣り取りは何の違和感もない表現の巧さと、「悪」と「魔」の関係の面白さ、人の運命の彷徨の無常の現れるのにに感心した。最後、雪かと思った白い物が蝶々が江戸の街に降らせた鱗粉だという発想は寺山というより、高橋葉介の怪奇幻想の世界に近い。圓朝物をこう改訂出来るなら、噺は時代を超えて蝶のように日本の空を舞う。白鳥⇒彦いち⇒喬太郎の流れで誰か映像化出来ないかなァ・・・
★白鳥師匠『長吉とメルヘンの森』
黒白二頭の蝶々に誘われて、長吉が森の中のメルヘンの屋敷に迷い込み、『マッチ売りの少女』『ヘンゼルとグレーテル』から「悪」に生きる道を選ぶという場面は寺山修司的なきらめきがあるのに感心した。黒白二頭の蝶から黒白二棟の蔵に至る発想の鮮やかさもさりながら、森の中に長吉が入り込む件は『無法松の一生』で森を通る場面を思わせ、それが母を恋うる彷徨だけに、野田秀樹の『ゼンダ城の虜』の赤頭巾少年同様の胎内回帰さえ思わせる。圓朝から寺山的な前衛をも引き出すバタ臭い才能には驚くしかない。
★彦いち師匠『番頭殺し』
序盤は場所の設定や細部の名称の出鱈目さに呆れていたが、長吉を「悪心」から「悪党」に飛躍させる番頭権九郎が、長吉との遣り取りで強い存在感を示したのに驚いた。『河内山』が聞きたくなる。また、白鳥版に登場したメルヘン屋敷の老婆が黒猫になって長吉の前に現れる展開も実に面白い。そうした発想が表現をちゃんと伴っている。定吉殺しや終盤の空手殺陣、大根で権九郎を撲殺するアイディアは余り面白いとは思わなかったが(動きは抜群)、ツケ打ちが上手いのには感心。
---------------------以上下席----------------------------
石井徹也(落語”道落者”)
投稿者 落語 : 2011年09月02日 01:08