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2011年08月04日
石井徹也の落語きいたまま 七月上席号
いつのまにかお盆近く。今年の夏は1945年、終戦の出来事が”近く”感じられませんか?私(ブログUP担当者)には半世紀前の日本といまの日本がダブって感じられます。それくらい色々なことが起きている2011年です。
今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の七月上席号をお送りいたします。落語”道落者”・石井徹也渾身のレポートをお楽しみください!
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◆7月1日 上野鈴本演芸場夜席
市江(交互出演)『幇間腹』/ダーク広和(正楽代演)/一九『垂乳根』/権太楼『町内の
若い衆』/のいるこいる/扇遊『初天神』/雲助『肥瓶』//~仲入り~//仙三郎社中/歌
武蔵(正蔵代演)『漫談』/小菊/市馬『お化け長屋(上)』
★市馬師匠『お化け長屋(上)』
珍しく、怪談噺の中に貞水先生の真似を入れたりして遊んでいた。また、手を色々に
使うなどして変化をつけ、可笑しさは増しているのだが、どうも市馬師のこのネタと
私は相性が悪いのか、ピリッとした高座に巡り合えない。特に、リアクションセリフ
の冒頭に無駄なひと言がよく付く辺り、目白の小さん師でなく、説明の多い圓生師匠
系『お化け長屋』の影響を感じる。もっとストレートに、目白の小さん師流で良いと
思うのだけれど。
★雲助師匠『肥瓶』
可笑しさは普通なんだけれども、銭湯から兄貴の家に戻ってくる辺りの視線や姿勢の
鮮やかさは流石。
◆7月2日 上野鈴本演芸場夜席
正楽/一九『湯屋番』/権太楼『子褒め』/のいるこいる/藤兵衛(扇遊代演)『江ノ島の
風』/小燕枝(市馬代演)『意地競べ』//~仲入り~//仙三郎社中/正蔵『小粒』/小菊/
雲助 (市馬代バネ)『妾馬』
★小燕枝師匠『意地競べ』
後半になればなるほど、意地の張り合いの馬鹿馬鹿しい可笑しさがジワリジワリと
出てくるのが面白い。
★雲助師匠『妾馬』
白酒師匠の原典であり、矢張り、一朝師匠と並ぶ現代の名演。序盤、大家との遣り取
りは簡略化しておいて、御屋敷から八五郎の本領発揮。御広敷で大声を上げる声と形
の可笑しさ、物の見事に「物の分からない奴」のキャラクターが高座上に横溢する。
ウェットさは殆どなく、殿様相手のパァパァした明るい遣り取りの馬鹿馬鹿しさは正
に志ん生師⇒先代馬生師の本領。三太夫さんの呆れ顔のリアクションも渋く愉しい。
品の良い殿様が決して呆れるのでなく、真っ当に困っているのも実に可笑しい。「こ
この殿様のレコの兄貴が」の指の動きの可愛らしさは勿論、大家さんがちょいと首を
横に振る事で八五郎の入ってくる雰囲気、空間が分かる事など、一寸した仕種に見る
話芸としての洗練と来ると、雲助師匠世代に若手は遠く及ばないなァ。
◆7月3日 上野鈴本演芸場夜席
ダーク広和(のいるこいる代演)/一九『蟇の油』/権太楼『代書屋』/正楽/扇遊『子褒
め』/雲助『臆病源兵衛』//~仲入り~//仙三郎社中/正蔵『悋気の独楽』/小菊/市馬
『笠碁』
★市馬師匠『笠碁』
安定しながら、「打初め」のひと言を加えるなど、次第に友情の世界を広げている。
但し、稍体の動きがまだ多く感じる。また、この所の多演からすると市馬師は目白の
小さん師と違い、梅雨の噺の心得か。
★雲助師匠『臆病源兵衛』
素軽く馬鹿馬鹿しく、変わらず愉しい。
◆7月4日 雲助月極十番伍番(日本橋劇場)
駒七(という名前の雲助師匠)『道灌』/雲助『お菊の皿』//~仲入り~//雲助『唐茄
子屋政談』
★雲助師匠『お菊の皿』
最初から一寸声が掠れていて、余りメリハリがつかず。本来の面白さには至らなかっ
た。
★雲助師匠『唐茄子屋政談』
落語らしい軽さでフワフワと、叔父さん叔母さん、唐茄子を売ってくれる江戸っ子、
半公と過不足はないのだが、若旦那の若旦那らしさが物足りない。また、詳細な遣り
取り、描写までも非常に丁寧な高座なのだが、いわば「圓生百席」的で、雲助師匠ら
しい生き生きした表現には乏しかったのが残念。
★雲助師匠『道灌』
雲助師匠の『道灌』は初めて聞いた演目。軽くて可笑しい。終盤で女形の真似をする
様子の愉しさなど、部分部分に先代馬生師の味わいが残っている。道灌の絵は屏風で
なく、床の間の軸に描いてある。
◆7月5日 夕刊フジ主催「喬太郎・三三・桃太郎三人会」(練馬文化センター小
ホール)
宮治『元犬』/桃太郎『唄入り善哉公社』/三三『鮑熨斗』/喬太郎『宮戸川』//~仲
入り~//桃太郎・喬太郎・三三「鼎談」
★喬太郎師匠『宮戸川』
前半はサラリ目。後半、寅の一人語りからが芝居っぽく喬太郎師らしい巧さを感じ
る。
★三三師匠『鮑熨斗』
結構遊んでいて、大家との遣り取りまで。甚兵衛さんの泣きが稍長めだが、周囲の上
から視線が可笑しい事は可笑しい。
★鼎談
相変わらず桃太郎師匠が突っ走り、爆笑の連続。中身はとても書けない。
◆7月6日 第56回小燕枝の会(湯島天神参集殿二階座敷)
貞鏡『出世纏』小燕枝『権助魚』/小燕枝『出来心』//~仲入り~//小燕枝『笠碁』
★小燕枝師匠『権助魚』
御内儀が「随分早かったじゃないか」と権助に声を掛けるなど配慮沢山。権助は柄が
合ってるから一寸シニカルに愉しい。
★小燕枝師匠『出来心』
「間抜け泥」で下駄を忘れるのが泥棒の足跡の伏線なんだな。全く、目白の小さん師
の演出は丁寧である。花色木綿の件、熊が盗まれた物を大家に報告する中身に関して
少し言葉があやふやになりかけた気味はあったが、泥棒の暢気さ、親分のらしさ、熊
の良い加減さ、大家の柄とキャラクターが揃っている。
★小燕枝師匠『笠碁』
マクラが稍長い。終盤、碁盤を出す手順を間違えたのではないか。先に碁盤が出て、
待ち受ける側が碁を打ったのに去られてガッカリすると、「ポストの陰に隠れてる」
の科白がないまま、美濃屋の「蛇歳生まれは執念深い」という科白になり、そこに碁
を打つ音がまた聞こえてくる。結果、時間と感情が矛盾したまま、サゲまで行ってし
まった。二人のキャラクターや友情の表現が其処まで良かっただけに惜しまれる。待
つ側が何となく癇癪持ちで寂しがりに見える辺りは、『意地競べ』にも言える小燕枝
師らしい特色。
◆7月7日 春風亭昇太独演会「オレスタイル」(紀伊國屋サザンシアター)
生志『初天神』/昇太『二十四孝』/昇太『二階素見』//~仲入り~//昇太『船徳』/
昇太『マサコ』
★昇太師匠『二十四孝』
八五郎の乱暴さが徹頭徹尾マンガなので「ギャグ版二十四孝」として抜群に可笑し
い。二十四孝の登場人物の名前が隠居の段階からゴチャマゼなのは御愛嬌。
★昇太師匠『二階素見~城攻め篇』
花緑師譲りとの事だが、若旦那のキャラクターが可愛らしい馬鹿オタクで愉しいのは
確かに共通している。家元系の吉原通を気取っているだけの『二階素見』より遥かに
面白い。最後が城攻めになったのは御愛嬌。
★昇太師匠『船徳』
序盤に「雀捕り」が入ったりするし、船頭の言い訳も三つあるので船が出るまでが如
何にも長い。客二人の遣り取りも当たり前にあるため、噺が妙に落ち着いてしまう。
印象は圓蔵師の若い頃みたいで、それでは昇太師らしさが出ない。もっと刈り込んで
船が出てからを膨らませたい。
★昇太師匠『マサコ』
悪い訳がない。『臆病源兵衛』も似合いそうだね。
◆7月7日 三三『島鵆沖白浪六ヶ月連続口演その三』(にぎわい座)
市楽『兵庫舟』/三三『大阪屋花鳥』//~仲入り~//三三『花鳥三宅島送り』
★三三師匠『大阪屋花鳥』
お寅=花鳥の色気が妙に鉄火なだけで、気の強い女には違いないが、鉄火故の色気
はまだ出ていない。イメージとしては柳家小菊師匠の若い頃みたいなんじゃないか
な。梅津長門は序盤の硬さがよく、花鳥に入れあげてからは破落戸めくのが早過ぎ
る。目明しの竹に見られても「ヤバい」と気付かない侍の野暮さが欲しい。金を奪う
際、相手を斬る掛け声が「デイッ!」で無くなったのは良いが、懐の金を握って「二
百両」は定九郎もどきに張らなくては談洲楼燕枝になるまい。
★三三師匠『花鳥三宅島送り』
牢内から壬生大輔をたぶらかして一軒家を手に入れるまで30分足らず。牢内をかな
り刈り込んでいるのではあるまいか。牢内は拷問に耐えるのとお嬢お兼殺しくらいで
アッサリ。圓朝に較べると、幕末の小團次色が強く、エロティックピカレスク&ヴァ
イオレンスの香りが其処此処に匂うだけに、海老責めから花鳥伝説の一つである両刀
使いの艶色などもより加味されるべきなのではあるまいか。壬生大輔をたぶらかすに
しても、あの程度の色気では無理だね。たぶらかそうとすると妙な肥を出して眉を上
げ下げさせるが、騙りなればこそ、「真実めかす」のが「女郎上りならでは」なので
はないかなァ。お嬢お兼殺しの心情は直情的で鉄火だけど素人じみる面もある・・初
演同様、前牢名主のお鐵婆が一番上出来で、奸智に長けた人物像に面白味が濃い。
◆7月8日 rakugoオルタナティヴvol.3.「キョンちば」昼の部(紀伊
國屋サザンシアター)
喬太郎『初天神』/千葉雅子『転宅』//~仲入り~//喬太郎『マイノリ』/鼎談(喬太
郎・千葉雅子・高田聖子)
★喬太郎師匠『マイノリ』
日大落語研究会と國學院大演劇研究会の男女が出会い、惚れていながら告白出来な
い三十年を描いた作品。落語版『ラヴ・レターズ』だが、切なさと時代の共感を感じ
させ乍ら、落語的トンチンカンで悲しい結末に至らないのは佳く、喬太郎師の根っこ
にも通じる佳さがある。
◆7月8日 上野鈴本演芸場夜席
市江『牛褒め』/正楽/正蔵『狸の札』/権太楼『長短』/のいるこいる/扇遊『肥瓶』/
雲助『強情灸』//~仲入り~//仙三郎社中/一九『桃太郎』/小菊/市馬『首提燈』
★市馬師匠『首提燈』
酔っ払いの啖呵がクドくないのは結構。侍の風格も相変わらず。但し、今夜の侍は稍
怖い。抜き打ちは居合でなく、矢張り後ろから追い掛けて斬る。血振りはせず、懐紙
も使わない。謡は地の説明。首がズレ出してからは独特の大首が生きて動きが愉し
い。
★権太楼師匠『長短』
目白の師匠と全く違うキャラクターになっているが、そのマンガっぽさの中にも
ちゃんと友情は描かれている。馬鹿馬鹿しくて愉しい。短気と気が長いの表現が物凄
くコミックなのに、セリフは二人とも早めと目白的である辺り、決して基本を疎かに
している訳ではない。
◆7月9日 上野鈴本演芸場夜席
一九『半分垢』/喜多八(権太楼代演)『小言念仏』/のいるこいる/扇遊『棒鱈』/雲助
『代書屋』//~仲入り~//仙三郎社中/正蔵『鼓ケ瀧』/小菊/市馬『らくだ(上)』
★市馬師匠『らくだ(上)』
手斧目の半次が以前と違い、端からドスが利いて怖くなってきた。対する屑屋は相
変わらず低姿勢だが、大家をカンカンノウで脅かした後、八百屋へ向かいながら「面
白くなってきた」はキャラクターの変化として嬉しい。長屋の月番、大家、八百屋の
リアクションも大ぶりになって、噺全体の雰囲気が大きくなっている。大家の因業、
八百屋の困惑、いずれも落語らしさを保ち、家元系の「陰」に流れないのが佳い。
「フグ祭り」のセリフも受けたが、八百屋が明るく「長屋から手打ちの声や、万歳が
聞こえてきた」には笑った。飲み出してからは、「この湯飲みは大きくて、普通の湯
飲みなら二杯半入る」と屑屋に言わせ(「このうちで唯一漏らない湯飲み」も可笑し
い)、二杯で酔いだし、三杯目には「上が空いてる」と半次を脅かし始める。らくだ
の背中の彫り物を買わされた愚痴は入るが、その程度で「寄越すの寄越さないの言っ
たら」に早く繋げるので文学ぶった嫌らしさは無い。成長成長。
◆7月10日 第16回生志のにぎわい日和(にぎわい座)
生志『南瓜屋』/三木男『猿後家』/生志『マサコ』//生志『品川心中(上)』//~仲入
り~/ダメじゃん小出』/生志『船徳』
★生志師匠『南瓜屋』
与太郎の造型が目白の小さん師より家元に似ていて、単なるボケではない。一方、伯
父さんや唐茄子を売ってくれる男は如何にも生志師匠の世界である。つまり、稍チグ
ハグな印象。
★生志師匠『マサコ』
昇太師のように鋭角的でない分、主人公の間抜けさが引き立つので、落語らしい鸚鵡
返しの可笑し味が強くなるのは強みだなァ。
★生志師匠『品川心中(上)』
金蔵が与太郎っぽい造型でボワッとしたお人好し。お杉は些かテレがあるのか、女郎
の性根はあるけれど女の生なキレ方に乏しい。博打をしていた親分や子分連中の暢気
な能天気ぶりに較べると、前半、金蔵お染の輪郭が曖昧。親分の所で刀を見られて脇
に置くなど細部は理詰めだが、金蔵がもっとお染に惚れていた方が良いと思う。
★生志師匠『船徳』
目白の小さん師型を取り入れた演出で、三年程前に聞いた時からは長足の進歩。序盤
は徳が陰になって船頭たち中心で展開するだけに、柄がピッタリで可笑しい。四万六
千日の話から朝顔市の話題を地で入れた事で噺の雰囲気がパッと変わり、客の一人が
忙しく動かす扇子で暑さが出る。徳はあくまでも能天気で我が侭な若旦那で、稍横柄
な扇子の客とぶつかるのが妙に可笑しい。「三軒向こうのミィちゃんがあたしの棹捌
きが良いってんで」と棹を振り回すうちに流して、空回りさせてたのが馬鹿に可笑し
かった。小太りの間抜けで気取った若旦那物として十分に成立している。
◆7月10日 圓丈一門会夜の部「圓丈一門古典噺くらべ」(お江戸日本橋亭。30
分遅れて、わん丈さんは聞けず)
ふう丈『やかん』(初高座)/丈二・ふう丈・わん丈(初高座インタヴュー)/亜郎
『反対俥』/丈二『唖の釣』//~仲入り~//圓丈『百年目』/白鳥『唐茄子屋政談』
★亜郎さん『反対俥』
ベースは圓蔵師匠演出だが、鯉朝師匠と同じ一回転演出が入る。
★丈二師匠『唖の釣』
山同心に遭った時の対処方法を七兵衛が与太郎に伝えるのは不忍池についてから。山
同心の六尺棒での打ち方が上段からちゃんと両手で打ち下ろす・・など、最近の『唖
の釣』より演出が丁寧。与太郎は可愛らしいのだが七兵衛が大人に聞こえ難いのが
難。
★白鳥師匠『唐茄子屋政談』
序盤に若旦那の放蕩の情知らずぶりを付けて、そこで出会う浪人に適当な金約束をす
るのが貧乏長屋のお内儀の伏線になっている。勘当以前の若旦那は正に、金に驕る人
非人で、90年代以降のIT&CYBER成金的不愉快さを感じさせるのだが、その
若旦那が空きっ腹に泣く表情には、人非人がマジに変わって行く実感がある。同じよ
うに、貧乏長屋で浪人の子供が鰻の味と匂いのついた竹皮を嘗めて飢えに耐える表情
にも堪らない実感がある(子供が握り飯を貪るシーンが無いというのも理解できる)。
若旦那は天秤棒で大家を殴るが、これもヤカンで殴るより良いと感じた。ラスト、唐
茄子屋を続ける若旦那に親父が会いにきてオチが付く展開も、何かスッキリするの
だ。これも、白鳥師と歌之介師の描く貧しい人間の表情に、演技とは違う実感、生き
る切なさがあるからだろうか。白鳥師が『鼠穴』を演じたら、どうなるんだろう。
★圓丈師匠『百年目』
前半、花見の件まではハチャメチャだが、終盤、栴檀と南縁草の件から旦那の帳面改
めの件になると(言葉が飛んだり抜けたりはしているが)、圓生師の『旦那がメソメソ
泣く百年目』の雰囲気が出る。旦那の泣きにも圓生師ほどわざとらしくない心情を感
じる。
石井徹也 (落語道楽者)
投稿者 落語 : 2011年08月04日 03:10