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2011年05月31日
「石井徹也の落語きいたまま」五月中席・下席合併号!
はや六月。皆様いかがお過ごしでしょうか。先日は関東地方に台風も接近し、暑い日もあるかと思えば冷え込む日もあり・・・。季節のかわり目、どうぞご自愛ください。
今回は石井徹也(放送作家)による私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の五月中席・下席合併号をお送りいたします。
相変わらず怒涛の勢いで落語会に通っている石井さん。
月末にはご自身も落語会にトークで出演。また、柳家喬太郎さんが出演されている舞台作品のレポートもあります。
落語耽溺者・石井徹也渾身のレポートをお楽しみください!
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※5月10日の池袋演芸場夜席主任、三遊亭圓馬師匠の『鹿政談』に関して、 「地名が奈良田中町、奉行名前が無いなど、普通と違う」という風に書いてしまいましたが、山本進氏、三遊亭遊三師匠から伺ったところ、これは四代目圓馬師匠型の『鹿政談』で、豆腐屋の所在地を「奈良三条横町」などとしたのは圓生師匠が考証癖を出して改訂したものと判明しました。つまり、圓馬師匠の演出の方が原型でした。圓馬師匠にお詫びを申し上げます。石井徹也
◆5月11日 談春アナザーワールド9 <3日目>
春樹『狸の鯉』/談春『巌流島』//~仲入り~//談春『高田の馬場』
★談春師匠『巌流島』
煙管破落戸侍(師匠譲りで色悪ってほどには色気が無い)のタチの悪さは家元並にクドいが(説明描写も相変わらず多い)、若侍の初心さが毒消しになって後口は悪くない。第一、破落戸侍のオチの科白、ニヤッと笑って水に飛び込む様子が、食い詰めの次男・三男でも江戸育ちの侍らしく、洒落て見えるのは偉い。あとね、一見矢鱈と初心な若侍が、おそらくは勤番江戸詰めとはいえ、智恵が回るのは面白いし、それを見抜けなかった破落戸侍が「してやられた。こっちの負けだ」と認めるのが分かるも談春師らしい。乗合の連中は有象無象らしいのが結構。先代可楽師匠の「屑~ィ」の擽り入り。
★談春師匠『高田の馬場』
マクラで佐々木家履歴を長々喋ったり、噺の途中で彦六師匠の稽古の噺をしたり、文治師匠の江戸訛り拘りの話を入れたりしてたが、ダレてたのかな?本題全体にテンポが余り良くない。蟇の油売りは二十歳くらい(まあ化けてて実は40歳かもしれんが)にしてはオッサン声で蟇の口上もスローテンポだしし、傷口は姉が問い掛けるから、若侍の「如何なる傷をも治します!」の凛としたひと声もない(あの声は誰が演じようと三代目金馬師にかなやしないが)。野次馬之助連中のワイワイガヤガヤぶりも『巌流島』の相乗り客とと被ってしまいイマイチに感じた。
※『高田の馬場』噺自体、志ん朝師・先代圜楽師から聞いても、そんなに最後まで面
白い噺と感じた事がない。アイディアは抜群だし、前半に緊張感はあるし、「日延
べ」は可笑しいし、娘に鎖鎌を持たせたのも巧みで「女武芸者」ならではの色気も添えてある(娘の汗が感じられるのだ)。それに比べると、面白さは「敵討ちは?」「日のべ」がピークになっちゃう、という弱味が解消しきれていない印象がある。「仇
討屋だ」のひと言でストンとオチになるくらいに構成を直さないと無理なのかな。
「楽ゥに暮らしておる」が三代目金馬師くらいに「傲岸を演じられる顔」になってないと、オチに感じられないって事もあるが。つまり、この噺は顔が勝負なのか。
◆5月12日 月例三三独演(国立演芸場)
三木男『悋気の独楽』/三三『転宅』/三三『人形買い』////三三『三味線栗毛』
★三三師匠『人形買い』
焼き豆腐の件を抜いた事もあり、テンポが良く、サラッと面白い。甚兵衛さん物が適
うんだね。松っつぁんは稍ヤクザじみるが、人形屋の若旦那、小僧の可笑しさもクド
くない。易者の年寄り臭さが似合うのは流石名題の若年寄芸(笑)。講釈師もハイテンションで悪くないが易者とは対照的なスピーディーな快感には乏しい。寧ろ神道者の三韓征伐談の方が巧い。そういえば菖蒲の話が抜けたか。
★三三師匠『転宅』
序盤は白酒師匠の演出に似たものを感じたが、名乗りあいから後は御当人の工夫か大分違う。この泥棒は与太郎に近く(直ぐに腰が抜けて助けを頼む)、それが気の強い妾の口車にホイホイ乗る印象。その与太郎加減が愉しい。妾は口達者だが文左衛門師の妾のような色気は無いから魅力的ではない。
◆5月13日 第248回柳家小満んの会(お江戸日本橋亭)
しん歩『桃太郎』/小満ん『紙屑屋』/小満ん『しびん』//~仲入り~//小満ん『三軒
長屋』
★小満ん師匠『紙屑屋』
実に能天気かつ、洒落て軟派な若旦那で、その口から色々と裏知識のある洒落の出るのが秀逸。それでいて、全然堅くないのが愉しい。
★小満ん師匠『しびん』
道具屋を一喝する侍の気組みの立派な事と清廉さが結構。対照的に道具屋が嘘をつきながら一瞬見せる小狡い目が面白い。侍の活け花姿は風趣あり。花を活けて二拝する辺り、座敷の畳に差す午後の柔らかい日差しを感じる。
★小満ん師匠『三軒長屋』
目白型。伊勢勘の親旦那が町内の重鎮で、それなりに物が分かった人物なのは感じられる。ヒヒ爺に見えないのは小満ん師らしい。棟梁を叱る見幕にそれがあり、帰ろうとする棟梁に「一杯やっていきな」と勧める様子も大店。最後に伊勢勘がハッと計略に気付くのも独特。棟梁は物腰が人の上に立つ人だが、目白の棟梁が劉備玄徳から、こちらは諸葛孔明と稍輪郭が小さい。楠先生はかなりマンガにしているが馬鹿馬鹿しさがまだ不足。妾や棟梁のカミサンに色気のあるのは流石。仕事師連中は小満ん師らしい、それなりに形の良い江戸っ子がり揃いで愉しい。
◆5月14日 池袋演芸場昼席
笑組/我太楼『強情灸』/正蔵『新聞記事』/和楽社中/志ん馬(菊之丞代演)『のめる』
/一九『半分垢』/美智美都/小團治(正朝代演)『権助芝居』//~仲入り~//甚語楼
『粗忽の釘』/さん喬『松竹梅』/正楽/権太楼『茶の湯』
★甚語楼師匠『粗忽の釘』
益々、主人公の思い込み型健忘症が募り、激しく可笑しい。また、最初にやって来
られる向かいの家の旦那の困りキャラーが独特で呆然と蹂躙される気の毒さが最高。
★権太楼師匠『茶の湯』
序盤から「定吉の策略」みたいな所があって、それが可笑しい。孫店の三人で些か定吉の出番が減るが、徹頭徹尾、定吉主導の噺にすると、更に爆笑になるのではあるまいか。
★志ん馬師匠『のめる』
スラリとして嫌みのない、それでいて主人公のお馬鹿な愉しい高座。オチの言い方の鯔背なのにも感心。
◆5月14日 白酒甚語楼ふたり会(お江戸日本橋亭)
おじさん『狸の札』/甚語楼『のめる』/白酒『つるつる』/~仲入り~//白酒『臆病
源兵衛』/甚語楼『品川心中(上)』
★白酒師匠『つるつる』
お旦である樋ィさんのスタンスが不明瞭。小梅と出来掛けてる事を樋ィさんや回りの
芸者衆がどう見ているのか、『富久』の火事場みたいな周囲の視線が何かしら必要ではないか。一八の屈託の無い機嫌良さと、色事を前にした浮かれ方、宴席での仕事ぶりは悪くない。黒門町みたいに、後の梅子夫人についての惚気ってんなら兎も角、「ある幇間の一夜」にしても、展開の輪郭が曖昧。下の部屋と一八の部屋との位置関係も良く分からない。
★白酒師匠『臆病源兵衛』
悪かろう筈が無い。強いて言えば、不忍池から先のテンションが少し下がる。根津
の廓通り、今で言えば不忍通りの明るさと賑やかさに、死人姿で浮かれる可笑しさを
稍強調したい。
★甚語楼師匠『品川心中』
最近では珍しく、噺が重い。いくら死ぬと決めたからって、最初からお染が刺々し
く、金蔵を心中に誘い込むようには見えない。金蔵のキャラクターは軽いが、お染の
煽りが弱いから、空回りして五月蝿く感じる。また、説明文が多過ぎるのも煩わしい
(誰のがベースだろう。圓生師型かなァ・・それと思い憎い所もあるし・・)。会場の
時間制限に遠慮したのか、心中後も噺が走り、重さと相俟って(部屋の中が明るいの
か暗いのかも曖昧)、親分の家でのてんやわんやがこれほど受けない『品川心中』は
久しぶり。一寸、噺の構成を考え直した方がよいのでは?志ん生師型の「蓮の臺で所帯を持とう、なんて雨蛙みたいな了見を出して」の間抜けさがこの二人には不可欠だろう。
★甚語楼師匠『のめる』
主人公のお馬鹿ぶりが際立っておかしく、かなりまともな辰っつぁんとの対比が面白
い。キャラクターの立て方が巧くなったなァ。
◆5月15日 『怪談牡丹燈籠』(明治座)
染五郎/七之助/吉彌/亀鶴/萬次郎/亀蔵
★大西信行脚本を歌舞伎的、怪談噺的に改訂。この座組と明治座のキャパシティには似合う出し物。染五郎は伴蔵の「普通の人」らしさが良く、新三郎は二枚目らしくな
い。七之助もお峰が(造りは玉三郎系白塗りだが)、世話味あり。お露は玉三郎ソッ
クリ過ぎる。萬次郎のお米は怪異さに於いて杉村春子以上。声音・姿、共に素晴らし
い。吉彌のお國は世話味あれど芸がお峰。亀鶴の源次郎は哀れがあり悪くない。亀
蔵の馬子久蔵も似合う。
◆5月16日 雲助月極十番肆番(日本橋)劇場
明楽『饅頭怖い』/雲助『千早振る』//~仲入り~//翼&味千代/雲助『中村仲蔵』
★雲助師匠『千早振る』
序盤、馬鹿に可笑しく、龍田川から相撲取りを思い付く辺りは爆笑。半面、後半のテ
ンションが稍低い。
★雲助師匠『中村仲蔵』
五段目の定九郎の出の「おお~い、とっつぁん」の呼び掛けなど見事な大きさだが、
どうもこの会場だと噺の息が詰まない印象がある。今夜も、役の受け取りから旗本と
会うまで、特に会話部分に雲助師匠らしい密度が感じられず、極上の出来にならない
なァ。
◆5月17日 池袋演芸場昼席
一朝(正朝代演)『片棒』//~仲入り~//甚語楼『金明竹』/馬の助(さん喬代演)『お
見立て』&百面相/正楽/権太楼『井戸の茶碗』
★甚語楼師匠『金明竹』
モッサリとした与太郎と困りまくっている伯母さんが可笑しい。
★権太楼師匠『井戸の茶碗』
マクラが一寸重かったが、本題は甚兵衛さん的清兵衛が大活躍で爆笑。「良助、縛り上げろ!」「やです!」等、ある意味、枝雀師と志ん生師を混ぜた可笑しなキャラク
ターが愉しい。
★馬の助師匠『お見立て』
杢兵衛大尽と喜助の遣り取りに、最近の『お見立て』では全く演じられない演出の
残っているのが懐かしい。
◆5月17日 立川談笑月例独演会其の114(国立演芸場)
談笑『看板のピン』/談笑『饅頭とか恐い』/談笑『復讐おんな』//~仲入り~//談笑
『黄金餅』
★談笑師匠『看板のピン』
前より気楽な、友達同士の馬鹿博打噺になって可笑しい。
★談笑師匠『饅頭などが怖い』
甘味の前に、本当に苦手な物に関する友達同士のレアな内輪話は出来ないかなァ。本当に苦手な物は人にそう言えないけど。
★談笑師匠『復讐おんな』
今様丑の刻詣チョンボ噺で、何だか、小ゑん師匠の作りそうな「勘違い馬鹿人間
噺」の新作。可笑しいとこもあるが、中途半端にリアルで、小泉ポロンの心霊マジッ
クの馬鹿馬鹿しさにかなわない。上方落語で今は内容も分からない『丑の刻詣』はど
んな噺だったのかね。
★談笑師匠『黄金餅』
『看板のピン』同様、タッチが今夜は軽いので聞きやすい。尤も市馬師の『黄金餅』
みたいに、無言の中に土塀に凭れて眠る金兵衛の姿が浮かぶほどの出来ではない。半面、焼き場への途中で蘇った西念を改めて締め殺しながら、手にいれた盲執のように金を抱えたままで貧しく生きた金兵衛の下を第二の金兵衛が訪れる、という展開を家元一門の談笑師が演じていると、「西念の金」が「家元の芸」に見えてくる。同時に、従来の「目黒に餅屋を開いて繁盛した」という圓朝師⇒品川の圓蔵師⇒志ん生師の流れの方が「輪廻」と無縁な落語の凄さを感じてしまう(落語自体が殆ど輪廻を断ち切る展開だが)。
◆5月18日 宝塚歌劇団月組公演『バラの国の王子』(東宝劇場)
◆5月18日 池袋演芸場昼席
馬の助(さん喬昼夜替り)『位牌屋』・百面相/正楽/権太楼『佃祭』
★権太楼師匠『佃祭』
「震災後、封じネタみたいになってますが、何時までもそれじゃいけないと思いまし
て、御常連の多い池袋ならという事で」という、軽い口上付き。稍簡略気味で、全体
にウェット感が強い。船頭金太郎も普段の威勢の良さは些か前に出てこない。与太郎の涙の悔みも効き過ぎて、最後が爆笑まで行かなかった。震災後の試演という事ね。
◆5月18日 人形町市馬落語集恒例三夜連続公演第一夜(日本橋劇場)
市也『金明竹』/市馬『強飯の女郎買い』//~仲入り~//紋也・紋之助・れ紋/市馬
『茶の湯』
★市馬師匠『強飯の女郎買い』
市馬師にしては熊さんの酔い、弔い仲間への絡み方がクドめ。序盤は熊さん以外が平坦に進み、長さんと熊さんの遣り取りもトーンが稍暗め。がんもどきの汁が滲み出す背中叩きは弱め。妓夫太郎の軽い調子から噺全体が盛り上がって行く。最後に出てくる禿が嫌らしくないのは結構。。
★市馬師匠『茶の湯』
最近では珍しいサラサラした淡彩な演出。隠居が癖っぽく無く定吉も可愛らしい。孫
店の三人の件も押さずが効果的で、その後の説明沢山が気にならない。全体として佳作。南喬師匠の若い頃みたいにすっごく可笑しい『茶の湯』へ向けた前段階か、はたまた目白の小さん師匠的『茶の湯』の創作か。
◆5月19日 青年座公演『をんな善哉』(紀伊國屋サザンシアター)
高畑淳子
★私には面白く無かった。ラッパ屋なら面白いだろうが、青年座は高畑さん以外が上手くないのと、最初から「人情話」の方向に、役者の演技も宮田慶子の演出も向きすぎている。その予定調和が古めかしい。
◆5月19日 第回白酒ひとり(国立演芸場)
扇『金明竹』/白酒『萬病圓』/白酒『アンケート読み』/白酒『お化け長屋(上)』//
~仲入り~//白酒『甲府ぃ』
★白酒師匠『萬病圓』
割とサラサラして、可笑しみに乏しいのは侍のアクが弱いせいか。「引き産だから産
前産後は引け」で「臆病」「腸捻転」と続けてサゲるが飽くまでも言葉遊びにこだわ
るなら、それなりの展開が必要では?
★白酒師匠『お化け長屋(上)』
最初の男の怖がりは『臆病源兵衛』に似ていて損。二人目の男の「お前ェ、これ、作
り話だろ」は前回とイメージが違い、妙にシニカル。ならば、怪談話の前半で言わ
ず、腹にあって混ぜっ返したり、フェイクを掛けたりして、最後に口に出した方が演
出として活きると思うが。
★白酒師匠『甲府ぃ』
珍しい善人噺だが、善吉は悪くない。親方のキャラクターが一定せず、最後に「おれ
もこんな体になっちまって」と急に言い出したり曖昧。カミサンの婆らしさの方が愉
しい。「甲府ゥ~お詣り、願ほどき~」は最後の「き~」が変な方にあがるのが気に
なる。
◆5月20日 池袋演芸場昼席
鉄平(正蔵代演)『紀州』/我太楼『お菊の皿』/和楽社中/菊之丞『浮世床・夢』/一九
『金明竹』/美智美都/一朝(正朝代演)//~仲入り~//歌奴(甚語楼代演)『胴乱幸助
(上)』/さん喬『千両蜜柑』/正楽/権太楼『代書屋』
★権太楼師匠『代書屋』
20日連続トリの大楽で決め打ち。饅頭大会までほぼフルヴァージョン。20日間演って
ないので噛んだりしていたが可笑しい。言えば、まだ体調的にテンションが平常以下
だが、元気であり、これや『黄金の大黒』『火焔太鼓』が聞きたかったから納得。
★さん喬師匠『千両蜜柑』
20分ヴァージョンが完成したのか、季節感溢れるマクラからオチまで可笑しさ十
分、水菓子問屋のプライド明確にトントンと。サゲ間際、しわぶき一つ無い客席で仁
丹を振った馬鹿客がいたのは残念。
★一朝師匠『短命』
スタンダードだねェ。
★歌奴師匠『胴乱幸助(上)』
柄が幸助に似合う。料理屋への途中で二人が仲直りする様子も愉しい。これから寄席のトリネタとして楽しみ。
★鉄平師匠『紀州』
聞いた事の無い引き事などもあり、吉宗のトントン拍子出世も混ぜて面白く聞かせ
て貰った。
◆5月20日 皐月恒例人形町市馬落語集連続三夜公演第三夜(日本橋劇場)
市江『寄合酒』/市馬『青菜』/澤孝子『代榛河岸の親子河童』//~仲入り~//市馬
『子は鎹』
★市馬師匠『子は鎹』
稍冗長の感あり。まだ筋物噺として締まりが無い。序盤、番頭さんと連れ立って歩く
熊さんは明るく、カミサンに未練や惚気があり、自虐の可笑しさもある落語らしい人
物である半面、女房子を追い出した男の孤独に乏しいから人物造型が浅く感じる(こ
れは『強飯』の熊さんにも言える)。亀と出会っても何となく話始めてしまう。亀は
メソメソ泣かないが「子供の悲しみ」も余り感じない。親子三人、何というか、発声
の息も浅く本息で喋っていないので、感情が明確にならない。市馬師はこの噺が嫌いなのかな。性が合わないのかも・・。元女房お徳は優しい母親だし、こちらも熊さん
に未練はあるが、あやふやさも感じる。肩を押さえつけず、亀の胸ぐらを片手で掴む
演出も驚いたが(怪力オフクロである)、「こん畜生」と言ったり、亀を折檻すると
言って玄能を持つ手を上げたりする(胸元で上げ下げする形も感情表現としても変)のは勘違いか。最後の鰻屋まで、芝居になりすぎてはいないが、三人の「気持ち」は曖昧なままだった。「八百屋、何を聞いてんだ」「(小遣いをくれた人の)身許は確かだ
よ」「(男と男の約束と言っても)あたいだって命が惜しいよ」といったくすぐりだけが印象に残る。
★市馬師匠『青菜』
前半の旦那と植木屋の遣り取りに精彩が無いのが不思議。特に植木屋が何となく鯉の洗いを食べ、柳影を食べている。植木屋の「旦那、柳影が義経になりました~これは私の隠し言葉で」の了見は嬉しいが、その了見が先に出過ぎているのか、働く人・職人らしい雰囲気が乏しい。旦那はまあまあ。かみさんは少し怖いが可笑しいし、ちゃんと亭主の付き合いをしてる。
-------------以上中席----------------------------
◆5月21日 第三回柳家甚語楼の会「リャンコも色々」(お江戸日本橋亭)
朝呂久『やかん』/甚語楼『棒鱈』/ほたる『疝気の虫』(師匠そのまんま)/甚語楼
『三方一両損』//~仲入り~//甚語楼『抜け雀』
★甚語楼師匠『棒鱈』
些か課題あり。兄貴分と芸者のリアクションに違和感があり、結果的に酔っ払いと田
舎侍の可笑しさが引き立たない。特に兄貴分は最初から叱り口調過ぎる。折角、酔っ払いのウダウダが可笑しいのに足を引っ張ってる。友達同士なんだから普通の遣り取りでいい。今の会話では噺の転がりが悪い。田舎侍は稍、調子の強弱に乏しいが、それ以上に芸者は困り方が単調ではあるまいか。あの芸者の困り方は現在では正朝師の演出が一番だろう。都々逸の音程があやふやなのは基礎教養の課題。
★甚語楼師匠『三方一両損』
喜多八師型だが「情を知らねェ金」「薄情な金」には笑った。特に「こんな薄情な金
はいらねェ」と金太郎が金を投げ出す仕種のキレは秀逸。吉五郎・金太郎・大家二人の人物造型が良く、特に大家二人の面白いクドさは喜多八師と違う独特の可笑しさである。「オーウッ!」のセリフの可笑しさ、奉行に啖呵を切る馬鹿者ぶりと吉五郎・金太郎の愛すべき「江戸っ子がり」も結構。惜しむらくは噺の運びがちと重い。軽さを会得するため、何か中ネタを一つ、一朝師に教わる事を勧めたい。
★甚語楼師匠『抜け雀』
昨年の「ふたり会」からハッキリと改訂・成長した。「心の眼」の入る矢来町系型。
鳥籠を理解した宿屋の主が「心の眼が開きました」と言うのが可笑しく聞こえるのに
は感心。宿屋主が「雀」「鳥籠」と気付くのは確かに成長だが、それを主の人物造型
で笑いとして活かし、感動にしないのが偉い(何で後から気が付いたり、大きく描か
れて驚くのは話芸の嘘だが、先代馬生師のように、宿屋主に衝立を斜めに持たせれば、宿屋主が描いている様子を見ていない理由はつく)。宿屋主の甚兵衛的愉しさ、若い絵師の清廉さ(『井戸の茶碗』の高木と通じるものがある)、宿屋カミサンも矢来町的な怖い可笑しさに変化。老絵師の風格と人物造型も過不足がない。老絵師が絵描きと知って、宿屋主が「貴方、もしかして一文無し?」と訊く思考回路の可笑しさは相変わらずで、一寸したものである。あと、地でも老絵師のセリフでも「主さん」と
言っている丁寧さが快かった。
※今夜の甚語楼師からは話が逸れるが、志ん生師の『抜け雀』の造型は本当に優れている事を感じる。今の演者が志ん生師の言葉を辿れば、十分に受けるのだから。「抜かりの無い演出」である。志ん生師匠型の演出や志ん生師匠の演目が現代の寄席演目の主力になっているのも、優れた構成力、圓出力、虚をつく着眼点が揃っているからだろう。それだけ出来あがっているから、目白の小さん師匠の演目ほど演者に技量を要求しない事もある。
◆5月22日 宝塚歌劇団月組公演『バラの国の王子』『ONE』
今月は少し芝居を観すぎである。しっかも、木村信司脚色版の『美女と野獣』は偽善的な似非平和主義の塊で詰らないし、草野亘のショーにおける才能の枯渇ぶりは酷すぎる。演じている生徒が気の毒。
◆5月22日 『一之輔のすすめ、レレ』(国立演芸場)
市也『元犬』/一之輔『青菜』//~仲入り~//山田雅人『天覧試合』/一之輔『子は
鎹』
★一之輔サン『青菜』
今、一番可笑しい『青菜』である事に変わりはない。ただ、冒頭、ガラスのコップで
遊んだりすると植木屋が与太郎になってしまう。一之輔サンの人物造型が時々曖昧になるのはこういう我慢が足りないのか。酢味噌が好きだったり、馬鹿にしていた屋敷の隠し言葉に段々憧れて行く可笑しさがあるのだから、ガラスのコップくらい我慢すれば良いのにと思う。寧ろ、植木屋より明らかにタガメのカミサンの方が知識があ
る、という点をもっと夫婦の遣り取りで踏み込んだ方が一之輔サンらしいのでは。
★一之輔サン『子は鎹』
全体の演出は市馬師に似ているし、八百屋が出てくるから小三治師系かも。聞くのは二度目くらいかな。まだテレがあるのか人物像がフワフワするものの、泣かない、泣かせない『子は鎹』を目指している印象。泣くのは亀の額の傷を聞いた熊さんと折檻しかけたお徳が一度ずつ。亀と熊さん、亀とお徳の会話も脂濃さや嫌らしさはなく、何となく『初天神』の延長線上みたいな雰囲気を感じる。亀が鰻屋で「後生ですか
ら、もう一度一緒に」と頭を下げるのは過剰な表現だが、子供の切なさは分かる。頭
を下げずに言葉だけで観客を納得させたい。
※これって、亀が女の子だと、どういう噺になるんだろう。
★山田雅人氏『天覧試合』
素人じみた放送ナレーション的な喋りの(下手な森本レオっぽい)「良い話ごっこ」
で、「こういうのを“語り物”と自称するだけで嫌だなァ」と感じてしまう。噺家や講釈師、浪曲師、優れたナレーターを馬鹿にしてるとしか思えぬ。古舘伊知郎が「トークライヴ」と称して公演していた拙劣な舞台を思い出す。これならまだ、ミヤコ蝶々さんが舞台の後に演ってた「お説教」の方がマシ。
◆5月24日 池袋演芸場昼席
玉の輔『紙入れ』/東京ガールズ/勢朝『財前五郎』/さん生『天狗裁き』//~仲入り
~//萬窓『蔵前駕籠』(交互出演)/左橋『壷算』/ホームラン/一九『笠碁』
★一九師匠『笠碁』
市馬師型。非常に真っ当な『笠碁』。重くない友情と雨による人恋しさを感じさせるシットリ感があり、泣きにならないのも良い。「オッパイがデカイと思って」が唐突に聞こえるのは市馬師同様。
◆5月24日 新宿末廣亭夜席
ぴろき/小柳枝(圓昼夜替り)/松鯉『雁風呂由来(津軽外浜版)』/伸&ポロン/夢太朗
『たが屋』/遊三『親子酒』//~仲入り~//平治『肥瓶』/Wモアモア/左圓馬『鰻の
幇間』/圓輔『欠伸指南』/南玉(正二郎代演)/蝠丸『濱野矩隨』
★蝠丸師匠『濱野矩隨』
母は手首を切って自害しているが、若狭屋の持ってきた観音像に祈る事で息を吹き返す。最後は河童狸を五百両で売って目出度く笑いで終わる。手首を切るのは変だが、観音像への祈りで母の命が助かるのは後味が良い。矩隨も変にヘナヘナしていないし、母親が毅然として立派。
★遊三師匠『親子酒』
最初のひと声から今夜は好調。キッチリ受けて巧く愉しい高座。
★圓輔師匠『欠伸指南』
師匠が長屋住まいで(これは可笑しい)「大口流家元」・・大口流の「やもと」さん、
という表札が掛かっている演出は圓輔師でも初めて聞いた。
★松鯉先生『雁風呂由来』
予て聞いている掛川辺りの飯茶屋でなく、須賀川の飯茶屋が舞台。黄門公の連れは俳人一人。雁風呂も函館の一本松でなく、津軽の外浜の伝説になっており、二代目淀屋辰五郎も旅人ではなく、須賀川辺りで貧しく暮らしている様子。マクラから察すると何時も演じているのは上方講釈の『水戸黄門漫遊記』の雁風呂で(二世三木助師⇒圓生師の型と同じ)、今夜のは東京講釈の『水戸黄門記』の雁風呂か。つまり、『黄門記幼講釈』に近いのかな。こちらの方が黄門公が堅くない。どちらにしても出来は素晴らしい。
◆5月25日 池袋演芸場昼席
久蔵『目薬』/玉の輔『生徒の作文』/東京ガールズ/勢朝『池田屋(上)』/さん生『鹿
政談』//~仲入り~//萬窓(交互出演)『紙入れ』/左橋『棒鱈』/ホームラン/ 菊丸
(一九代演)『ちりとてちん』
★さん生師匠『鹿政談』
奉行が稲垣某守は初耳。御白州で奉行が妙に納まらず、鹿の守役たちの傲岸不遜な人命軽視の態度に、かなり積極的に怒るアクティヴな面白さあり。
★ホームラン
「コンビを組んだ頃」の半生記的ネタで、いつもより更に可笑しかった。以前、一
度だけ池袋で聞いた「非合法組織の集まりに知らずに余興で行って四苦八苦」という
話もまた聞きたいなァ。
◆5月25日 真一文字の会(内幸町ホール)
宮治『垂乳根』/一之輔『夏泥』/一之輔『船徳』//~仲入り~//一之輔『死神』
★一之輔サン『船徳』
ギャグの落語なので、『夏泥』とギャグの息が被るのは残念。徳の気弱なキャラク
ターも『夏泥』の泥棒と被っちゃうけど。竹屋のオジサンの嫁と娘が川に落とされた
被害者というのは可笑しい。「ギャグ落語」で行くなら川をジグザグに走って両岸に
舳先をぶつけまくるくらいの無茶があっもていいのでは?
★一之輔サン『夏泥』
ベースは小里ん師か喜多八師か。泥棒の気弱さは可笑しい。大工の方は何故か生気に乏しい。裸でも生活してる雰囲気は必要だろう。
★一之輔サン『死神』
ネタ卸し。金が出来ても上方へ行かない。終盤、金が出来た主人公に「人相が変わった」と死神が言うのは活きたセリフ(この死神のキャラクターがまた泥棒と被るけ
ど)。蒲団返しをして、料亭でご馳走になり駕籠で帰る途中、死神に止められ、蝋燭
の場に至る。蒲団返しを食ったのは先輩死神で、今日が引退仕事だったのに(笑)しくじって明日から貧乏神に格下げ。そこで怒った死神が瀕死の金持ちと主人公の寿命を取り換える(だから寿命取り換えは神界の定めではない)。ラスト、主人公が大袈裟でなく倒れかかり、それを見た死神が「ああ、死んだ」でサゲ。傲慢になって以降の主人公のキャラクターは稍、落語離れするが独特。ま、ホリエモン風というか、手に入った金で価値観の変わる、バブル以降のヤッピー系幼児的拝金主義日本人の典型かな。死神の側に一之輔さんがいる。全体に明るい所は無いが演劇的に暗くないので面白い。最後もシニカルってより、神の冷徹の雰囲気。死神には取り換えられたのに、死神の持ち出した燃えさしの蝋燭が何故点かないか?そこが疑問。神意と人意の差かね。
◆5月26日 新宿末廣亭夜席
伸&スティファニー(小泉ポロン)/夢太朗『元帳』/遊三『たが屋』//~仲入り~//文
月(平治代演)『のっぺらぼう』/Wモアモア/圓『鹿政談』/圓輔『短命』/正二郎/蝠
丸『蟹』
★遊三師匠『たが屋』
最初のひと声から柔らかくキレが良い。馬上で殿様が上下する乗馬らしい動きに躍動感あり。たが屋の耐えての弁解から啖呵への流れ。侍士二人の剣術の違い、花火が上がった瞬間に槍を繰り出す殿様と、各場面で絵が出来ている。
★圓輔師匠『短命』
「家が広いと放射性セシウムが入ってくる?」には笑った。80歳のギャグじゃない
ね。また、熊さんが手を取った際にカミサンが言う「お前さん、何すんだい、気味が
悪い!」も中年夫婦らしくて可笑しい。
★蝠丸師匠『蟹』
『叩き蟹』と少し違う。火付けでなく顔を引っ掻くに変えたのは時節柄か。サラサラ
しているが甚五郎に嫌な臭みがなく、気楽に楽しめる。
◆5月27日 新宿末廣亭夜席
ぴろき/左圓馬『青菜』/松鯉『天野屋利兵衛』/スティファニー(ココア。伸休演)/夢
太朗『置泥』/遊三『子褒め』//~仲入り~//右團治(平治代演)『垂乳根』/Wモアモ
ア/圓『漫談』/圓輔『長短』/正二郎/蝠丸『高尾』
★金曜夜の芸術協会としては60人を越える客席は入っている方。併し初心のお客さんばかりで聞きはするが、受けない、受けてもズレる、迎え手が無い状態で仲入りまで大半の出演者が討死。『子褒め』でも「尺が長い」と感じるような客席だった。
「この芝居、桃太郎師匠はいない。今夜は平治師匠が休みだし、ヤバいなァ」と思っ
ていたが、Wモアモア師匠が見事に盛り返す。続く圓師匠がネタに入らず、「受ける
雰囲気」を繋げたのもヒットで、酒飲みと楽屋人物伝でキッチリ沸かす。次の圓輔師
匠は長めのマクラで探ると、『長短』を稍派手目に声を大きく、メリハリも大きくつ
けて、長さんの間をタップリ取って鮮やかに受けた(草いといえばクサいが、今夜の
TPOとして正しい)。正二郎さんが毬と傘だけで五分、サラッと楽しませた後(曲
芸への反応が明らかに初心者客席)、「さてトリはどうする?」と思ったら蝠丸師匠
が『高尾』を始めたから驚いた。地噺でも『高尾』である。それが「廓噺は最近、少
ないけれど、女郎の悪口を言っても、客席から文句は出ない」とか、文治師匠の十八番の口説き文句やら高尾の手紙は扇子に買いてある訳じゃない、等、自在に噺と出入りして25分、ほぼ受け続けて初心のお客さんを愉しませたのは大感心。Wモアモアからの五高座で寄席の愉しさと落語芸術協会の底力を堪能した。
◆5月28日 談春らくごin日本橋(日本橋三井ホール)
談春『百川』//~仲入り~//談春『紺屋高尾』
★談春師匠『紺屋高尾』
少し泣いた。親方の「良かったな」が一番のセリフだった。高尾の「久蔵さん・・元
気?」も惚れてうぶになった言葉で今までの談春高尾では一番。
※『百川』は噺の出来以前に高座後ろに飾られた四神旗と四神剣が妙に金ピカで野暮なのにガックリ来た。元々中国の神だから金ピカも仕方ないが粋で無いねェ。また、それを高座の後ろに飾る(演者が見辛い)テレビ局イベントらしい悪趣味丸出しの雰囲気も呆れた。両側の飾りも含めて、田舎回りの浪曲大会みたいである。どうも、虚仮脅かしの落語会になりそう(明日の三三師匠独演会はどうなる事やら)
◆5月28日 遊雀玉手箱~思い込んだら大騒動の巻~(内幸町ホール)
遊雀&高田文夫『プニングトーク』/遊雀『粗忽長屋』/遊雀『宿屋の富』/高田文
夫『ギャグ羅列トーク』(年取ったなァ)/~仲入り~//遊雀『宿屋の仇討』
★遊雀師匠『粗忽長屋』
行き倒れを看てるおじさんの困り方と、そのリアクションが一番可笑しい。八に向
かって言う「貴方の熱意は分かる」は笑った。八熊は熊さんが死体を見て泣き出す以外、余りリアクションが面白くなくて、キャラクターも出ていない。
★遊雀師匠『宿屋の富』
五百両の男の能天気な有頂天ぶりが真に可笑しい。「此処まで来るといつも泣いちゃう」「あっしは意地悪だから」が良いなァ。宿屋夫婦が揃って客の話に「丸で夢のようなお話で」という似た者夫婦なのもいいね。
★遊雀師匠『宿屋の仇討』
源兵衛が御新造を、本当に良い仲になる前に殺してしまう(遊雀師は残酷な噺が嫌
いだから)演出のためもあるが、江戸っ子三人の可笑しさはラスト近く、慌てて泣き
出すまでイマイチ。このネタに関してはまだ「芸が小さい」と感じた。残酷が嫌いな
割に、萬事世話九郎がシリアスになる件は、何せ二枚目声だし形も悪くないから、
「土方歳三が似合いそう」というくらい「巧い人情噺」っぽくて一番印象に残った。
※遊雀師の落語らしいドンデン返しなら、萬事世話九郎が実は侍でも無かった(役者
の旅支度の扮装とか)ぐらいの変化をつけても良い気がする。
◆5月29日 三三らくごin日本橋(日本橋三井ホール)
三三『前説』/掬いーず&弾きーず/三三『明烏』//~仲入り~//三三『唐茄子屋政
談』
★三三師匠『明烏』
源兵衛と太助の可笑しさと薄ら悪い雰囲気は愉しく、お茶屋の女将たちの悪ノリも可
笑しいが、どうも時次郎が猫っ被りに見える。ラストにシラッと「太助さん、見栄の
場所で大きな声は野暮ですよ」と冷静に言う姿が板に付き過ぎてんだね。その辺りは白鳥師匠の改作『明烏』的だが、タチはこっちの方が悪いから、いわば『騙りの明
烏』。
★三三師匠『唐茄子屋政談』
通しだが稍簡略(妙に細かいとこを抜いていた)。唐茄子を売ってくれる江戸っ子は悪
くないが、独自の言葉が無い。あと、誓願寺店の隣の婆さんは似合う(婆さんはいつ
でも割と平均点が高い。『峠の茶屋』でも演ってみたらどうか)。ただ、誓願寺店に
若旦那が掛かって以降は、完全に世話講釈になっちゃった。小言を言う叔父さんのヤクザっぽさも相変わらずで、どうも親しみ難い。徳は確かに馬鹿な若旦那だが、叔父さんの視線が余りにも見下し過ぎている。役割分担の叔母さんのフォローも可笑しいが、情があるという雰囲気では無い。当分、講釈系三尺ネタを止めるべきではないか・・・って、余計なお世話も良いとこだが。
◆5月29日 タカラヅカ亭 (赤坂区民ホール第一和室)
石井徹也・らく次『宝塚談義』//~仲入り~//らく次『鮫講釈』
※自分が出ちゃった会だから内容は評せず。私自身は明らかに「素人の出しゃばり」で喋り過ぎ、特に立川らく次さんには御迷惑をお掛け致しまして申し訳ない次第。陳謝
◆5月30日『ぼっちゃま』(PARCO劇場)
『あるヘタレの一生』とでも付けるべきかも。主人公はいわば「高等遊民」だから、
そういう役の似合う串田和美さんとか、さもなきゃ岩松了さんの主演で見たい役。河
原雅彦のアチャラカ演出で舞台自体は弱った出来になっているが、戦後の十五年程を「戦前型の家長制度に執着する若旦那長男、如何に生くべきか」という脚本自体には面白味がある。高等遊民や戦前までの家父長制の持っていた「日本的大家族型コミュニティ(もっと言えば、明治憲法下でなく、江戸時代の日本的コミュニティの方がイメージは近いか)」へのオマージュというべきかもしれない。『古川ロッパ昭和日記』を読んでいるような、はたまた、作者の鈴木聡さんが「一寸太宰治ごっこしてみ
ました」と言ってるような印象を受けた。出演者では高田聖子が良い女優になったの
に感心。最初の登場から一人だけ舞台が全く違う(白石加代子さんは部分本気程度)。
終盤、柱に寄り掛かっているだけで「良い女(「都合が良い女」がじゃなくて)」に見
えるのに驚いた。その後、稲垣吾郎に近づく瞬間の色気も素晴らしい。谷川清美が老けたのと、梶原善が妙に派手な演技になったのが?マーク。柳家喬太郎師匠は演技があくまでも「一人喋り」である。
※私はてっきり喬太郎師匠の役が主人公の実の父親かと思っていた。
◆5月30日 新宿末廣亭夜席
左圓馬『鰻の幇間』/ひまわり(松鯉代演)『長門守堪忍袋』/伸&スティファニー/夢
太朗『お見立て』/遊三『青菜』//~仲入り~//平治『善光寺の由来』/Wモアモア/
茶楽(圓代演)『紙入れ』/圓輔『親子酒』/正二郎/蝠丸『濱野矩隨』
★遊三師匠『青菜』
最近では会心の『青菜』。前半の仕込み部分に笑いを殆ど置かず、あくまでも我慢し
て、終盤の鸚鵡返しで一気に畳み込んだ。カミサンの「お屋敷にお住みよ」のセリフ
廻しの可笑しさ。植木屋の「旦那様」のセリフと形の可笑しさは抜群。更に友達相手
に植木屋が言うセリフにいつもと違う抑揚と良い意味でのクサさがあり(こないだの
小里ん師匠の『垂乳根』的)、それが見事なメリハリになって、実に可笑しかった。
★蝠丸師匠『濱野矩隨』
今夜は母親が死ぬ型。緊迫感があり、矩隨が「信じてくれなかったのか」と嘆く件に
単なる「泣かせ」ではない悔しさがちゃんとある。それでいて「河童狸」で笑いに戻
して下げられる。芸質は違うが、オールラウンドプレーヤーの域を出て、落語協芸術
会に於ける一朝師匠の世界に近付いているなァ。
★茶楽師匠『紙入れ』
本当に時知らずで受ける強いネタである。家元型の『紙入れ』で色気あるからなァ。
今夜は「一晩中走れば30キロ圏内を出られるかも」には笑った。
★平治師匠『善光寺由来』
快調。25人くらいの客席を十分盛り上げて、夢太朗師匠からの盛り上がりを繋げ
た。
★夢太朗師匠『お見立て』
病気抜きだけど、杢兵衛大尽が兎に角花魁に惚れていて、喜助がついつい妓夫らしい商売っ気を出して相手をするのが実に愉しい。矢張り、雲助師匠、志ん輔師匠と
『お見立て』の三幅対。
◆5月31日 春風亭一之輔の会(お江戸日本橋亭)
宮治『元犬』/一之輔『唖の釣』/一之輔『大山詣』//~仲入り~//一之輔『短命』
★一之輔さん『唖の釣』
与太郎のボケ方はボワッとして可笑しい半面、余りキャラクターに可愛さを感じな
い。ウド鈴木系統の与太郎というべきか。七兵衛さんのリアクションが如何にも重い
のは一之輔サンの平易な会話場面の弱味。与太郎も七兵衛も山同心との遣り取りの方が生き生きとしてる。尤も、七兵衛の魚の仕種はスタジオライフの曾世海司くんが演じた人魚(つまり女装)が溺れたみたいで、鯉よりはトドに近い。
★一之輔さん『大山詣』
菊之丞師匠とクスグリまで全く同じ演出だと、客席で知人に聞いたが元は誰だろう?
圓生・小さん系統ではないと思うが・・。蚊に刺された頭を掻いているうちに熊さん
が坊主頭に気付く件は仕種も可笑しく、よい演出だと思う。先達さんも非常に良い
キャラクターである(一寸一朝師匠っぽい洒脱さがある)。「プラプラフラフラ」の
(これの出所が分からない)熊さんは一之輔的怒りキャラではあるが、長屋でのカミサ
ンたち相手の「物語」が些かマジ過ぎて重苦しい。トントン運ばない分、シリアス度
が高くなり過ぎるのかな。あと、熊さんの家の広さを疑問に感じたのは初めて。運び
が遅いからだろうか。
※今夜は三席とも、如何にも運びが遅かった。これはマクラで話した「脚痛」のため
だろうか。
★一之輔さん『短命』
長火鉢の陰に身を隠す隠居、「歪んだ愛情」、「金取るよ!」「払うから!」等は相
変わらず可笑しい。終盤の「戦う、というスタイルで愛し合う少し変わった夫婦」の
印象が強く、聞き終わると隠居の印象が薄れている。
★宮治さん『元犬』
前座さんが噺に大きく手を入れるのには異論もあろうが、可笑しいのは事実。シロ
の変身場面で怪異が起きるのに始まり、色々と爆笑させる仕掛けをしながら、噺が長くならないようにちやんと工夫しているから、単にヴァイタリティがある、というだ
けではない扇子を感じる。「チンチン」のセリフに違和感を持たせないセリフの手順
なども「成程ね」と頷ける面白さ。年齢的にも、これくらいのヴァイタリティを表現
出来ないと大変だろうし、芸人らしくていいしじゃん。
石井徹也(放送作家)
投稿者 落語 : 2011年05月31日 23:16