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2011年02月08日

石井徹也の「落語聴いたまま」2011年1月号!

おなじみ、放送作家の石井徹也さんによる「落語聴いたまま」2011年1月号です。
1月1日~1月31日に石井さんが見聞した寄席、落語界の寸評です。(一部、演劇評もありますが石井さんのエンタテイメント観が出ていますのでそのまま掲載します)
芸を計るモノサシは人それぞれ。
みなさんはどんな尺度で落語をお聴きになりますか?
石井さんの寸評が鏡になれば幸いです。

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◆1月3日 新春!しながわ寄席2011(品川プリンスホテルクラブeX)
鶴笑『極道の塾先公』/小枝『悋気の独楽』/染丸『寝床』//~仲入り~//パンクブーブー/たい平『粗忽の釘』/松之助『三十石』
★松之助師匠『三十石』・呂律やの調子が良くない。「新曲浦島」を使う独特の船唄もメロディが不安定で、よく分からない状態。
★染丸師匠『寝床浄瑠璃』・旦那と清七、番頭の遣り取りに上方商家の気分は出るが、旦那がハンナリしている分、怒り方のカリカチュアが稍弱い。このお客だと、もっと爆笑ネタでも良かった。
★たい平師匠『粗忽の釘』・殆ど漫談で本題はアッという間の簡略型。

◆1月4日 深川モダン寄席二日目(深川東京モダン館)
橘也『転失気』きつつき『黄金の大黒』小圓朝『禁酒番屋』//~仲入り~//圓橘『蒟蒻問答』
★圓橘師匠『蒟蒻問答』・もう少し掛かるかなと思ったが部分部分をつまんで短め。八五郎と権助のキャラクターが稍弱いのと、田舎の噺ってとこがイマイチ圓橘師に適ってない印象アリ。
★小圓朝師匠『禁酒番屋』・この野暮な噺を演じながら、サラッとした科白の調子、体のこなしに三代目三木助師匠を思わせる粋な雰囲気、小味な味わいが何となく漂う。油屋に化けて番屋に行く件で侍の言った「手は汚れん。お前が注げ!」は馬鹿に可笑しかった。
★きつつきサン『黄金の大黒』・傑出した可笑しさ。「矢張り何だね、大家さんとこの猫は兄貴の猫より肉付きがいいね」「うちの猫もやっちまったのか!長屋から生き物、居なくなっちまうぞ」「後は人間だけ」には爆笑。「紋が見えるから(体を斜にして)歩け」等、工夫されたギャグの可笑しさ、相変わらず圓丈師匠を思わせるハイテンションは素晴らしい。一之輔サンと爆笑対決をさせてみたい。

◆1月4日 『十二夜』(シアターコクーン)
★頭の天辺から爪先まで演出家・串田和美のセンスに染め上げられた舞台。惜しむらくは六本木の地下にあった「自由劇場」で観たかった。串田作品としては『第七官界彷徨』や『家鴨列車』『ラブ・ミー・テンダー』に共通する世界である。そこに笹野高史・大森博・真那胡敬二・小西康久・内田紳一郎・片岡正二郎など、オンシアター自由劇場以来のメンバーが揃えば、ブレヒト劇にランボーの憂愁を合わせた串田和美しか描けない世界が現出する。美術の見事さは現代の日本演劇界でも傑出したものだろう。松たか子はヴァイオラがやや作りすぎだが、セバスチャンは見事。オリヴィア姫のりょうが舞台経験が少ないとき思えない佳演。最後に怖くなるのがまた愉しい。石丸幹二・荻野目慶子も違和感なく、串田世界に溶け込んでいる。こういうセンシティヴな世界が描けるのは串田さんが最後になるのか・・・噺家さんでいえば先代金原亭馬生の世界に近い「和洋芸術性の素晴らしき融合」がある。

◆1月5日 初笑いモダン館三日目(深川東京モダン館)
橘也『初天神』/きつつき『熊の皮』//小圓朝『天狗裁き』//~仲入り~//圓橘『雁風呂』
★圓橘師匠『雁風呂』・一昨年のかもめ亭以来。稍科白の強弱に極端さはあるが、水戸公の古格は御見事。淀屋の「雁風呂」紹介もジンワリと来るものアリ。「淀屋が語って三千両、圓橘が語ると二千円」は意表をつくサゲではあるが、「雁でのうて貸し金じゃ」でこの噺は良いと思う。
★小圓朝師匠『天狗裁き』・小粋な感じは変わらずスイスイと快調。「こんな事なら夢を見ときゃ良かった」には笑った。
★きつつきサン『熊の皮』・カミサンのベラベラ喋って甚兵衛サンを好き勝手にコキ使う様子からコキ使われている甚兵衛サンの姿が浮かぶ。褌を取る為に木に登って落ち、虚に足を入れたら蜂に刺され、と虐待される甚兵衛サンに表情一ツ変えないカミサンと殆ど佐助のように従う甚兵衛さんの夫婦像が抜群。先生の家で「電波が途切れる挨拶」をする場面も可笑しいのなんの。この可笑しさは白酒師匠、一之輔サンに匹敵しうる。

◆1月7日 新宿末廣亭第三部
富丸『老稚園』/桃太郎『結婚相談所』/小柳枝『桃太郎』/ぴろき/鶴光『犬の目』//~仲入り~//遊吉『道灌』/圓雀『浮世床:将棋』/京丸京平/左遊『薮医者』/茶楽『紙入れ』/マキ/遊三『水屋の富』
★遊三師匠『水屋の富』・今夜はラスト、水屋の泣きが稍強めだが淡々として、脂濃さがないのは流石。
★茶楽師匠『紙入れ』・ダレかけた客席をサラッと演じてキッチリ盛り返した。
★桃太郎師匠『結婚相談所』・「青山の墓地に冥ってます」は何度聞いても笑ってしまう。

◆1月8日 新春談笑ショー(なかのSPACE0小ホール)
談笑『イラサリマケ(居酒屋改)』/白鳥『黄金餅』//~仲入り~//勝丸/談笑『子別れ』
★談笑師匠『イラサリマケ(居酒屋改)』・笑いが稍尻すぼみ。白鳥師の前菜程度の雰囲気かな。
★談笑師匠『子別れ』・ビル鳶親子の設定。亀が親父の社員と計って積極的に両親のよりを戻させる設定なのは「子の辛さ」を感じさせて納得出来る。小遣いでなくプラモデルを母が叱るキーワードにしたのも時代の雰囲気が出て良い。尤も子供の会話に出てくるプラモデルやテレビ番組は昭和40年代だが、父子が出会って話をしている雰囲気は師匠30年代。金町、砂町的の鰻屋を思わせる感覚は北條秀司の『華やかな夜景』を『三丁目の夕日』に置き換えた印象。母の叱り方や、亀が両親にすがる演技のみ、曽我廼家人情喜劇っぽくなるのは惜しい。「帰ってきたウルトラマンだ」というオチも結構。
★白鳥師匠『黄金餅』・闇の火葬場から後、シンドウサンの説教以降の展開がアウフヘーベンしない点が此の噺の弱みだな。

◆12月8日 新宿末廣亭第三部
柳太郎『結婚式風景』/柳好『目薬』/遊史郎『看板のピン』/章司/小圓右『初天神・飴』/伸治『初天神・団子~凧』小柳枝『やかん』/南玉/鶴光『袈裟御前』//~仲入り~//とん馬『猿の小噺・他行』活っ惚れ/圓雀『浮世床』/京丸京平/松鯉『門松の由来』茶楽『紙入れ』/マキ/遊三『親子酒』
★遊三師匠『親子酒』・マクラから張りがあり、明るく愉しい。親父が脇を一寸見る仕種で空間の分かる佳さ。徐々に酔いの廻る変化を一瞬一瞬で見せるのも相変わらず巧いが、叱言の間にほんの一寸、「ヒック」とやるのがまた効いている。倅が立尽くしてユラユラ揺れる可笑しさも不変。
★小圓右師匠~伸治師匠『初天神』・フワフワッとした二人がフワフワッとリレーして、端折り乍らも親子の愉しさを堪能させた。小圓右師の飴屋の「イラッシャーイは先代柳好師匠の『道具屋』を彷彿とさせる軽みアリ。
★茶楽師匠『紙入れ』・昨夜より少しだけ色気が強いのがまた可笑しい。
★とん馬師匠『猿の小噺~他行』・絶妙に可笑しい。優れた小噺のお手本。
★松鯉先生『門松の由来』・テキパキと言祝いで、ウンチク講座としてもお見事。

◆1月9日 第13回談春弟子の会昼の部(らくごカフェ)
はるか『子褒め』/こはる『猫と金魚』/春樹『寿限無』//~仲入り~//こはる『雛鍔』/春樹『天災』
★こはる『雛鍔』・番頭サンとの遣り取りで植木屋が少しマジに不機嫌過ぎる。『猫金』で旦那が這出しみたいな腕組みをしたのも驚いたが植木屋も仕種が職人というよりヤクザッぽいのは気になる。

◆1月9日 新宿末廣亭第三部
まねき猫/ひまわり『長門守堪忍袋』/柳之助『ひと目上がり』/小文治『不動坊』/章司/小圓右『漫談』/桃太郎『結婚相談所』小柳枝『桃太郎』/初音/鶴光『秘伝書』//~仲入り~//とん馬『九官鳥~猿の小噺』踊り:/圓雀『紙入れ』/京丸京平/左圓馬『漫談』茶楽『お花半七』/マキ/遊三『長屋の花見』
★遊三師匠『長屋の花見』・甚兵衛サンが運座に通っていて「長屋中」の句を詠み、また縁起の悪い花見の句を次々と披露するなど弥太っ平馬楽師匠系の可笑しさが活かされている。大家サンの「らしさ」が際立つ。長屋連中全体も明るいが、中に妙に陰気な奴、矢鱈と声がデカイ奴、無闇と丁寧な奴とキャラクターがキチンと描かれているのも結構。稍走り気味で笑いが少なめだったのは惜しいが本来は矢張りトントンと運ぶ噺なのだな。
★圓雀師匠『紙入れ』・何時になく丁寧でコキュの間抜けぶりと女房の胆の座り方が良く出ていた。
★茶楽師匠『お花半七』・伯父さん夫婦の遣り取りが真に洒脱で全体に艶のある愉しさは矢張り得難い。
★桃太郎師匠『結婚相談所』・最前列に噺の内容を復唱するオバサンがいて困ってたのも含めて自棄に可笑しい。
★柳之助師匠『ひと目上がり』・安定感あるなァ。大家の家を戸障子に孔を穿けて覗く演出はこの噺では初めて聞いた。

◆1月10日 第1回立川こはる落語会(ギャラリー工)
こはる『つる』~『真田小僧』~『粗忽の釘』//~仲入り~//こはる『権助魚』~『風呂敷』

◆1月10日 池袋演芸場第二部
昇太『漫談』/南玉/小遊三『六尺棒』

◆1月10日 池袋演芸場第三部
昇吉『卯小噺』/A太郎『防災グッズ』/とん馬『猿小噺』カッポレ/真理/伸乃介『高砂や』/松鯉『扇の的』/陽昇/壽輔『生徒の作文』/圓『鍬盗人』/扇鶴/遊三『子褒め』//~仲入り~//
★圓師匠『鍬盗人』・この噺を聞いたのは四代目圓馬師匠以来(『追い焚き』のマクラに使っていた)。
★遊三師匠『子褒め』・張りがあって明るくて丁寧で大きい。時々発する大声の効果的で可笑しい事は無類。八五郎の如何にもそそっかしい能天気さも出色で最後に言葉が滅茶苦茶になる辺り、実に愉しい。

◆1月10日 新宿末廣亭第三部
//~仲入り~//とん馬『猿小噺』カッポレ/圓雀『浮世床・将棋』/京丸京平/松鯉『扇の的』茶楽『紙入れ』/マキ/遊三『禁酒番屋』
★遊三師匠『禁酒番屋』・番屋の侍のらしさや酒屋の若い衆の悔しがり方等は言わずもがなだが、寝酒を注文して立ち去りかける近藤の袖にすがる酒屋主人の仕種の必死さや、カステラの折りを奪い取った瞬間に意外な重みで下がる右腕の動きなど、キレが鋭いのは流石。
★松鯉先生『扇の的』・池袋より少し丁寧なのが出来栄えを大きく変えて何とも恰好いいなァ。

◆1月11日 新宿末廣亭二之席昼
木久扇『漫談』/小さん『長短』/花緑『浅草漫談』/小円歌/圓歌『天覧』

◆1月11日 新宿末廣亭二之席夜
朝呂久『好きと怖い』/時松『狸の札』/猫八/〆治『松竹梅』/左橋『漫談』芸者の一日/藤兵衛『相撲風景』/小菊/志ん弥『酒小噺』/圓丈『強情灸』/金馬『東西の長短』/のいるこいる/川柳『ガーコン』/圓蔵『漫談』//~仲入り~//太神楽社中/一朝『看板のピン』/小袁治『初天神・飴』/正蔵『四段目』/正楽/小三治『千早振る』
★小三治師匠『千早振る』・序盤、隠居が何とか言い逃れしようとしてる胡散臭さは柳昇師匠的に可笑しい。龍田川が吉原に行く辺り以降、隠居の言葉から胡散臭さが乏しくなるのは落語として残念。終盤、龍田川に突き飛ばされた女乞食が「一陣の風に煽られてフワフワフワッ」のいい加減さはまた愉しいが。こういういい加減さが出てきた今の小三治師が『松曳き』を演じないのは不思議。
★金馬師匠『東西の長短』・長サンの運びがネットリしてるのに軽く可笑しいのが流石に巧い。
★一朝師匠『看板のピン』・隠居の親分も看板のピンについて全く素振りを見せないのが可笑しさのポイントなんだなァと感心。
★正蔵師匠『四段目』・ 「息子の方は出られないんだから」はタイムリーで可笑しい。
★小袁治師匠『初天神・飴』・小袁治師では珍しい演目。親父が飴を触っての「ベトベトしてる」とか、ハッカを舐めて「ホントだ、スースーする」と言うのが妙にリアルで可笑しく愉しい。

◆1月12日 新宿末廣亭二之席昼
歌司『漫談』/扇橋『梅干しの唄』/遊平かほり/木久扇『漫談』/小さん『元帳』/花緑『浅草漫談』/小円歌「今年ゃ何だか」/圓歌『中沢家の人々』
★圓歌師匠『中沢家の人々』・久しぶりに聞いて口調は落ちたけど、矢張り上手く作ってあるし、年寄りが一杯居たら世話が大変という共通幻想(悪夢かな)を刺激して可笑しいなァ。

◆1月12日 新宿末廣亭二之席夜
けい木『垂乳根』/時松『犬の目』/わたる/〆治『看板のピン』/志ん弥『浮世床・将棋&講釈本』/左橋『権助魚』/紫文/はん治『ボヤキ酒屋』/金馬『東西の長短』/笑組/文生『ケチ小噺』川柳『ガーコン』/圓蔵『不精床』//~仲入り~//太神楽社中壽獅子/一朝『幇間腹』/小袁治『鰻屋』/正蔵『新聞記事』/正楽/小三治『一眼国』
★小三治師匠『一眼国』・香具師は香具師の臭みはないし、六部は平凡な旅人だし、彦六師匠や扇橋師匠みたいな怪異さなんて、薬にしたくとも無いから、呆れて「こんなんで良いのかね」と思い乍ら聞いてたけれど、一つ眼の国の笠智衆みたいな代官のフワフワした可笑しさだけが妙に愉しい。
★金馬師匠『東西の長短』・真に過不足のない安定感と納得感のある出来。
★一朝師匠『幇間腹』・端折り加減で軽妙さは普段より落ちるけれど若旦那がちゃんと大店の若旦那だと判るのには感心。
★正蔵師匠『新聞記事』・豆腐屋の留のリアクションが単調になってる。「迷惑してる友達」の雰囲気を強めたい。『つる』を一度丁寧に演る事で微調整したい。後、この流れだと『近日息子』でサラッと行くか、『孝行糖』でワイワイ行くか、のどちらかで良いと思う。
★小袁治師匠『鰻屋』・「うちの鰻は面会謝絶じゃない」「普段は大人しいですが暴れだすと厄介で海老蔵という」には笑った。高座姿が末廣亭の羽目板にシックリ来るようになったなァ・・静かな寄席の名脇役、といった雰囲気を感じる。仲入り後が、壽獅子~一朝師匠~小袁治師匠と続くと、仲入りまでの番組が沈んだり浮いたりドガチャカしてたのを忘れさせてくれる。

◆1月13日 第20回白酒ひとり(内幸町ホール)
扇「前説」/白酒『代脈』/白酒「アンケート回答」/白酒『だくだく』//~仲入り~//白酒『二番煎じ』
★白酒師匠『代脈』・銀南のキャラクターが更に物凄いオバカになっていて、師匠の尾台良玄も余程お嬢サンのブラブラ病が面倒臭いと見える。只管羊羮に拘る銀南は色呆けより食い気呆けだがフカフカの座布団に弾んでキャアキャア騒ぐ与太郎感がいっそ可愛い。駕籠掻きが馬鹿にするシーンがないので余計にそう感じる。
★白酒師匠『だくだく』・竈の焔が横にはみ出したり、細部のギャグが増えたが、それ以上に「つもり」で頑張る泥棒先生のキャラクターがアップしてるのが嬉しい。
★白酒師匠『二番煎じ』・矢来町と雲助師匠の折衷型に近いか。人物像は工夫沢山で火の番は日替りでひと組ずつ。月番・河内屋・伊勢屋・高田先生・半ちゃんが夜回りをして居眠り癖のある宗助サンが留守番役。半ちゃんが夜廻りの間で若い頃、中の夜廻りで馴染みの女と出会うのは雲助師の古風な演出。但し惚気話は途中で切り、番小屋で酒が回って再開。元女郎のカミサンは数年前に亡くなり名前だけが半ちゃんの二の腕に残っている。正岡容氏の書いた「母の名は親父の腕に萎れて居」の下町情話を泣きにせず活かして結構なもの。都々逸の回しっこから侍の雰囲気は矢来町だが、侍が周りを見回すリアリズム過剰は無い侍が猪鍋を摘まみ乍ら「鴨鍋より葱鮪が良い」等と言うのは洒落の分かる江戸の同心らしい。惜しむらくは酒を飲み出してから老人の隠れ宴会の愉しさがまだ物足りない。同町内育ち揃い(河内屋は兎も角)らしい会話の欲しい所。

◆1月14日 宝塚歌劇団月組東京特別公演『STUDIO54』(日本青年館) 
齋藤吉正作演出だが、部分的に正塚晴彦作品的な場面や太田哲則的作品的ニュアンスがある。主人公が孤児院育ちではあっても、実父の仕送りで経済的には苦労した経験が無い、なんてのは正塚的世界だな。ラストで主人公とヒロインが安易なハッピーエンドに終わらず、それぞれの道を目指して別々に歩き出すのや、主人公と実父が名乗りあわないまま、実父が病死するのは物語全体から、甘ったるさを排除する一つの楔になっている。
霧矢大夢のホリーは孤児院育ちのタブロイド紙ライターだが「善人芸」の典型だけに、持ち味に適い、80年代以降、つまりヤッピー感覚のメディア以前の非拝金主義的人物を描いて心地よい。歌やダンスは非常にはつらつとしている。もう少し、「清濁併せ呑む雰囲気」は欲しいが、何となく、剣幸や久世星佳にトップとしての位置が似てきたのは月組の伝統故か。※ところで、何で誰もホリーに「タイガーマスク」とか「伊達直人」とか声を掛けないんだろう。している事はほぼ同じなのだが。
蒼乃夕紀はこのヒロインには声が強く、マスコミ色に染まりきれない人格の演技は分かるけれど、が「悩む」雰囲気は乏しい。孤児から成り上がり掛けて、主人公に対して高飛車になっている場面が一番似合うのは「憂い」の無い持ち味の問題だろう。
ロックスター役の明日海りおは成長の機会を与えられた印象。クラブオーナーのホモセクシュアルの御相手から成り上がり、マスコミに染まりきったタレントスターであり乍ら、傍若無人なセリフの陰にヒロインへの思いを忍ばせるという役所。「傍若無人」と「センシティヴ」の折り合いはまだまだだけれども、ラストでヒロインに寄せる感情の表現はかつての明日海に無かったもの。見た目の綺麗さも、檀れい的な単調さを抜け、男役ならではのホモセクシュアルの艶も初めて感じさせる。美味しい敵役の美味しさを或る程度クリアした。
クラブオーナーでホモセクシュアルの越乃リュウは雰囲気がピッタリ(別にナヨナヨしている訳ではない)。日本の男優なら宝田明の味だね。
ロッカー衣装を着たタブロイド紙編集長・憧花ゆりのは下品でケバイ役を演らせるとホントに適役も良いとこで(苦笑)若い男性編集者どもに命令する姐御ぶりは、曾ての夏河ゆらを凌ぐ切れ味あり。
タブロイドカメラマンの青樹泉、ロックスターのスタッフ星条海斗も、それぞれに雰囲気があって悪くない。
クラブのアフリカ系歌手でロックスターの元恋人役彩星りおんのリナも綺麗さ・演技共に魅力を感じた。ホスト・ニール役の紫門ゆりあは、若くて良かった頃の春野寿美礼っぽい。孤児院育ちの巡査兄妹の珠城りょう・花陽みらもコメディリリーフとして合格点。

◆1月14日 雲助独演会(にぎわい座)
一力『子褒め』/馬石『締込み』/雲助『掛取り萬歳』////雲助『お直し』
★雲助師匠『お直し』・これまで聞いた雲助師の『お直し』中、一番落語になっていた。尺も丁度良くマクラから30分弱か。夫婦が蹴転を始めるまでがトントンと説明され、イザとなるとカミサンの方が胆が座るが、或る意味、普通に「色を売る」準備を始めるだけで居丈高になったりしない。紅を付けて亭主の方を見て座った形に女郎の身過ぎ世過ぎが現れ、無常感はあるが言葉で押さないから陰気にはならない。チラッと色気があるのも佳い。大抵の『お直し』はカミサンが婆ァに見え過ぎる。客が酔って只管陽気なのも良く、カミサンがそれに話を合わせる様子も自然になる。更に亭主がついつい仏頂面で「お直しだよ」と繰り返すのも含め、三人の空間が引き絵で描かれるから階謔の可笑しさが先立ち、人生の辛い目が後に下がるから愉しめる。酔っ払いが去ってからの夫婦の遣り取りもクドくなく、昔話をダラダラしない。カミサンの「店にいた頃のお前さんの優しさが忘れられないから」のひと言で十分に分かる。その仲直りしかけたとこへ戻ってきた酔っ払いが鼻白んだような声と表情で「お直しだよ」とオチを言う。瞬間、その暗さに一寸ドキッとするが、「矢っ張り廓で間抜けなのはモテたと勝手に勘違いする客だねェ」と、帰り道、思い返せばムフフと可笑しい。蹴転のある夜の風景に過ぎない。それだから面白い。正岡容氏が志ん生師匠の『お直し』を評した「終盤、夫婦の遣り取りはさながらモーパッサンの小説を読むような」は、文士の自己撞着に過ぎないんだね。
★雲助師匠『掛取り萬歳』・狂歌・喧嘩・義太夫・芝居・萬歳。喧嘩自体はアッサリ味で後味は悪くないがマクラから喧嘩迄が長すぎる。義太夫は人形みたいで可笑しく、芝居の上使は玄蕃・金藤次風で二枚目風との受けも愉しい。芝居も義太夫の人形っぽいのは雲助師ならではの特色。萬歳の調子は稍圓生師匠と違うが軽妙で愉しい。
★馬石師匠『締込み』・泥棒が間抜けで調子が良くて愉しいし、カミサンに色気があって中々お侠である。その割に笑いがまだ少ないのは亭主の怒り方がちと強いのではあるまいか。この亭主も十分間抜けで愉しい人物像にはなっているから、江戸っ子がりの怒り方だけが浮いて聞こえる、という事かな。

◆1月15日 第13回立川生志独演会「生志のにぎわい日和」(にぎわい座)
生志『寿限無』/三四楼『手紙無筆USA』/生志『看板のピン』//~仲入り~//ももこ『壷阪霊験記』/生志『二番煎じ』
★生志師匠『看板のピン』・みんなは老親分の言葉に従い、「博打を止めよう」と飲みに行くのに、一人だけ能天気で老親分の手を真似ようとする、ってのは良き演出。これがまた半ちゃんタイプの物凄い跳ねっ返りで老親分の真似をして、重々しげに喋り、ふんぞり返る姿の可笑しいこと。比較的、キャラクターの明確でなかった役にひと手加わると面白さが倍加する。特に仲間が「壷皿の外に賽が転がってピンと出てるじゃねえか」と注意してくれるのに、跳ねっ返りの当人が耳を塞いで「聞こえねェ、聞こえねェ」というのは(『宮戸川』の叔父さんみたいだが)、爆笑した名工夫。能動的な馬鹿は愉しいねェ。これなら、本当に溢れて壷の中に賽が無い、という展開もありうるかな。
★生志師匠『寿限無』・田中八五郎クンが矢鱈と明るく、「こういう奴だと寿限無から長助まで何も考えずに付けちゃうだろうな」というくらいのすっとこどっこいなのが第一に愉しい。しかも、隠居をちゃんと根っ子では敬してるから真に聞き心地が良い。
★生志師匠『二番煎じ』・時間が少し押し気味だったのか、少し脚は早めの口演たったが噺の世界を的確に現しているのが嬉しい。月番・黒川先生・伊勢屋・辰五郎・宗助の五人の絵描き訳が明確。世話焼きの月番のマメさ、黒川先生を立てる礼。稍コミカルに大仰な黒川先生が酒宴となって「年量という事で」を繰り返す可笑しさ、楽しむ、一代主である伊勢屋の酒も猪も遠慮しながら誰よりも楽しむ愉しいセコさ。夜回りをしながら「叱言だと大きな声が出る」と寒夜の通りで叱言を叫ぶのがまた愛しい。辰五郎と本名の分かる辰っつぁんは町内の頭か仕事師の長老か。宗助さんの困り方にも人柄が出る。時間の関係か、呑み食いはアッサリ演じたが不満は感じない。都々逸を唄うのを避けたが、「磯節」じゃあちと騒がしいけれど、都々逸である必要はない。黒川先生の謡調子の「火の用心」がおかしくないのだから、前の『壷阪』を受けて「三つ違いのアニさんと」と、義太夫のひとくさりでも構わないと思った。辰っつぁんがシンバリ棒を戸にかって、二の組を締め出すのは工夫だが、それらが全て生志師匠の福顔で現されるから愉しい宴を邪魔されたくない悪戯となる。見回りの侍も卑しくなく、愉しい老人宴会である。言えば、辰っつぁんに締め出すを食った可愛想な二の組の連中を、侍に「先程、街角の軒先で震えていたあの者たちは何だ?」と言わせて登場させたい。

◆1月16日 宝塚歌劇団月組東京特別公演『STUDIO54』(日本青年館ホール)

◆1月16日 月例三三独演新春二日連続公演初日(国立演芸場)
三三『王子の狐』/兼好『一分茶番』//~仲入り~//三三『橋場の雪』
★三三師匠『王子の狐』・印象に残り難い。ストーリーは良く分かるし、人を騙す噺が得意だから狐をペテンに掛ける段取りも或る意味プロッぽい。反面、色気が無いから狐の化けた女にも魅力は感じないし、狐なりゃこその不気味な可笑しさも乏しい。最後に出てくる子狐が可愛いのは救いだが母狐の人ならざる面妖さ、眉に唾付ける狐手の可笑しさもまだまだ物足りない。
★三三師匠『橋場の雪』・演出・展開を少し変えて前半を縮めたかな。後半、嫁が夢の中の話に嫉妬して騒ぎ出してからは受けるが、それなら『夢の酒』で良い訳で、この噺の前半がいまだに「ただの物語に過ぎない」ってのは素人じみた道楽ではあるまいか。三三師の場合、若旦那が特別得意って訳でもないし、夢の中の後家も変に間を取ったりして色気を気取る割には雰囲気が美人画にならないのである。今なら小満ん師匠等がお演りにならないと「夢の中を訳が解らずに彷徨ってしまう」ことの洒脱さ、その不条理の中にいる若旦那の存在の可笑しさ、夢に見た雪の向島の情趣は出ないだろう。前が描けず、オチだけ取って付けたように気取っても、結局は「お局好み」止まりで、「よ、御趣向!」と褒める気にゃあならない。寧ろ三三師の場合、『宇治の柴舟』を深川界隈に直した噺でもした方が似合うと思うのだが。
★兼好師匠『一分茶番』・派手に受けてるし、馬鹿馬鹿しいけど、聞いていて余り愉しくはない。「カワユク演ってるだけ」で兼好師の可愛さと権助の無邪気&傍若無人さがイコールにならず、却って曖昧になっている気がする。因みに「桜の木の下だかで腹切って」と言ったのは芝居を知らない観客に対して却って不親切だろう。それは史実の浅野内匠守の切腹で、『仮名手本忠臣蔵』の鹽谷判官切腹の場ではなくなる。

◆1月17日 池袋演芸場二之席昼
さん八『紙入れ』/扇橋『呼吸法』/アサダ二世/花緑『目白噺』/小さん『漫談』/二楽/小里ん『親子酒』/左楽『権兵衛狸』//~仲入り~//三三『道灌』/市馬『芋俵』/小勝『海外旅行』/にゃん子金魚/喜多八『明烏』
★小里ん師匠『親子酒』・倅が帰ってきたと聞いて、ハッとした親父の動きの鋭さに感心。
★喜多八師匠『明烏』・陰気な時次郎と矢鱈と陽気な源兵衛・太助、日向屋の親旦那の三人、その子供と大人の対比がポイント。源兵衛が無闇と大声で時次郎を脅かす半マジの怒り方が町内の札付きらしい。それでい乍ら、オチで時次郎が低い調子で言う「大門で止められるから」には秀才のタチの悪さがあり、源兵衛太助がシッペ返しを食うのがシニカルに可笑しい。
★市馬師匠『芋俵』・真に陰影の無い友達同士というか、サラッと間抜けな泥棒連中が愉しい。
★三三師匠『道灌』・ホントに隠居と八五郎が何のコミュニケーションの無い遣り取りをしてるなァ。

◆1月17日 雲助月極十番(日本橋劇場)
昇々『雑俳』/雲助『ずっこけ』//~仲入り~//雲助『文七元結』
★雲助師匠『ずっこけ』・少しマクラが長すぎたか、噺全体が間延び気味。「夕焼け小焼けって、烏と一緒に帰りましょって奴か」と酔っ払いが大仰になるリアクションは可笑しいが小僧の困惑ぶり等は寄席で軽く演ってる時程の出来ではない。酔っ払いが小便をする「この温泉は草津だ」の件や褌一つで往来の真ん中で騒いでいる様子、酔っ払いのカミサンが空っぽのドテラを叩いて驚く軽~い可笑しさに比べると、連れに来た兄貴分が恰好良すぎるきらいがあり、それが噺のトーンを硬くしているようにも感じた。
★雲助師匠『文七元結』・真似の出来ない件は多々あるが最良の出来ではない。冒頭から長兵衛内の遣れた雰囲気を長兵衛のセリフ、視線だけで描き出す。長兵衛、カミサン、藤助はいずれも幕末世話狂言の人物。カミサンは稍長兵衛に突っ込み過ぎる。雲助師だと藤助の居る所へ帰って来ても良い。達磨横丁から佐野槌に着いて女将に会うまでの長兵衛は巧いがちと印象が平板。佐野槌の女将は長兵衛を最初から勝っているので、いわば長兵衛贔屓だというのが語調から分かるのは流石でこれは中々出来るこっちゃない。吾妻橋は前半が平坦だが、長兵衛が五十両やると決める「・・おう、あにい」の「・・」で現される感情のうねりから五十両をくれてやるまでのセリフ、舞台面の大きさ素晴らしさは特筆ものだ。半面、文七がどうも印象に残らない。また、「死ぬんじゃねえぞォ」と繰り返し叫び乍ら逃げ去る長兵衛、中腰になって祈るように見送る文七、どちらもが噺より世話狂言になる。長兵衛が五十両の謂れを話す件など私には下座が入らないのが不思議に聞こえた程だ。斯く左様に江戸世話狂言としては優れているが一朝師匠、志ん橋師匠の長兵衛に比べて噺らしい洒落っ気、軽み、一種の奇矯さに乏しい。これは『文七元結』を世話狂言噺として捉えるか、落語として捉えるかの違いだろう。近江屋は手の位置、言葉つきが武張って町人には立派過ぎる。又五郎丈では番頭だが大店の主としては十三世松嶋屋の柔らかみが欲しい。ただ、文七の出した五十両を一度は胡散な金と疑う商人気質は分かる。人柄の柔らかみは達磨横丁になってから出る。因みに番頭や治助はちょい役過ぎる。一寸でる酒屋小西の主がちゃい役だが軽くて巧い。達磨横丁の長兵衛夫婦の遣り取りは今少し馬鹿馬鹿しさが欲しいな。カミサンが如何にもマジなのである。長兵衛と近江屋の五十両の遣り取りは長兵衛の乙ゥ気取る可笑しさと近江屋の困惑が対照的で派手さはないが的確。近江屋の「稼ぐばかりの私どもには」は巧いセリフだ。お久は別に今夜の下座や場内アナウンスを引き受けていたからではないが、終始太田そのさんに見えたのが不思議。

◆1月18日 落語教育委員会(なかのzero小ホール)
コント『だれなおと』/錦魚『時そば』/喬太郎師匠『紙入れ』//~仲入り~//歌武蔵『茶金』/喜多八『二番煎じ』
★歌武蔵師匠『茶金』・この人の「落語を演じる能力の高さ」を感じる高座。登場人物みんな気持ちが良くて、噺が落語らしさに溢れている。茶金サンの品格は米朝師や先代馬生師匠とは径庭があるが、油屋八五郎の良さが其れを補う。これだけキャラクターの良い、芝居になり過ぎない、ストレートな江戸っ子の油屋は初めて聞いた。先代柳朝師匠みたいである。その油屋に「わての顔を買おてくれて有難う」と頭を下げる茶金サンも魅力的人物である。
★喬太郎師匠『紙入れ』・『医者間男』を振って(もっとちゃんと振っても良かったのに)。この亭主のボケ方と医者のイケシャアシャアは馬鹿に可笑しい。豆腐屋カミサン間男小噺の与太郎は絶妙。マダム感覚のカミサンの日活ロマンポルノ的色気は相変わらず。新吉の気弱さは草食型男子。亭主の間抜けさは似合うがオチのみ少し急いだ印象で惜しい。
★喜多八師匠『二番煎じ』・ 昨年聞いた時同様、絶妙に可笑しい。夜回りは寒さを痛いほど強調して、その寒中に若い頃、吉原での惚気話が混じるのが馬鹿に可笑しい。その寒さの震えを引きずった酒宴は最初、老病人の酒盛りみたいだが、黒川先生の体に滲みる酒の香に始まり、湯飲み半分で真っ赤になってる一合上戸がいたりと、酔い方の微妙な差異と酒が回って陽気になる様子は、ゾンビが次第に蘇生するようで愉しい。みんな最初は熱い酒を啜るように呑むのも的確。一合上戸が「あたしはもう廻りたくないんだ」と言い放つ気持ちが分かる〓黒川先生や二番目の旦那の猪肉の食い方と表情の落語らしい変化がまた絶妙で、目白の小さん師匠⇒小三治師匠系の「食べる楽しさ」を十二分に発揮する。侍が登場して鍋の上に座る苦悶の表情の可笑しさは『鈴ヶ森』の筍が肛門に刺さる可笑しさと双絶。無闇と二枚目で剣客風の見回りの侍が鍋の出所を見て箸を付けず、酒ばかりをグイグイ煽る迫力と酒好きぶりも見事。侍のオチの洒脱な可笑しさまで終始一貫、可笑しくて旨そうで愉しくて素晴らしい。現在では一朝師匠と双絶の『二番煎じ』というべきか。

◆1月19日 『大人は、かく戦えり』(新国立劇場小劇場)
 『子供は、かく戦えり』みたいな印象。「人間」の本質的な幼稚さを描いた脚本は面白い。半面、演出はヨーロッパ的なシニカルさは無い。夫婦同士の階級面の微弱な差が齎す軽蔑や敵視も乏しい。全体にアメリカの社会や文化が持つ「拭い難い下品さ」で、結果『ウ゛ァージニア・ウルフなんか怖くない』のパロディ化してしまう。フランスのプチブルらしい「半端なアンニュイ」や「メイクビリーヴな知的生活」、フランス人の理論武装されたエゴイズムの表現は皆無に近い。作者はペルシャ系とハンガリアンのハーフでユダヤ人と多層的な生まれで、「ラテン系でニヒル」なフランス人のアンビバレンツを異邦人感覚でシニカルに見ているように感じる(※原題の『殺戮の神』は『蠅の王』等と同意なのかな)。そのニュアンスが抽出出来なかったのは演出マギーの責任か。「ドパルデューやピエール・ブラン、ミュウ=ミュウの出ていた映画『タキシード』(『Tenue de Soiree』)でも視たら」と勧めたい。役者では高橋克実一人がヨーロッパ的バタ臭さと、「子供のようになっちゃった自分を見つめる大人の自分」を内含する人物に見えた。高橋克実で『タキシード』を舞台化出来ないかなァ。

◆1月19日 三遊亭白鳥、桃月庵白酒ふたり会「冬Wホワイト落語会ふたたび」(北沢タウンホール)
白鳥&白酒『御挨拶』/白酒『四段目』/白鳥『隣の町は戦場だった』///~仲入り~//白鳥『ハイパー初天神』/白酒『抜け雀』
★白鳥師匠『隣の町は戦場だった』・『僕らはみんな生きている』自衛隊版みたいな噺で無茶苦茶馬鹿馬鹿しいが可笑しい。無茶苦茶なんだけど白鳥師のキャラクターだと許せてしまうのだ。新潟の田舎の不良が自衛隊に入りイラクへ派遣されサソリに刺された娘を奇蹟や両親の霊の守護等で救う展開。惜しむらくは前半の進路指導の面接がまだ長い。
★白鳥師匠『ハイパー初天神』・マクラWで話した甘い物、特にレディボーデンへの執着体験話(本当かどうかは兎も角。私の体験上、レディボーデン大カップを一つ丸ごと食べて高校生の時、胃カタルになった)が効いて、金坊の甘味中毒風の様子が妙にリアルで可笑しい。白鳥師匠の、特に改作物の可笑しさは皮田の春團治師匠に近いというべきかもしれない。親父を浮気噺で脅かす展開は上方型がヒントか。この展開ならカミサンまで付いて来て両親でエライ目に遭っても良いね。但し、飴迄の強烈な可笑しさに比べ、団子はテンションが下がる。飴まででサゲるか、団子にもうひと工夫欲しい。目白の小さん師匠の「爆笑は13分まで」が矢張り正しいってことかな。
★白酒師匠『四段目』・メリハリに乏しい。何と申しましょうか、些か「こなしちゃった高座ね」の印象。
★白酒師匠『抜け雀』・白酒師の噺造りは枝雀師の「キチンと人物造形した可笑しさ」に近いタイプだから、飛び道具みいな『ハイパー初天神』の後は大変だと感じた。とはいえ、『火焔太鼓』の甚兵衛サンやこの噺の宿屋主人みたいな「何でも受け入れちゃう人」の造形に優れているから対抗は出来ている。また、絵師親子の似非アーティスト風傍若無人さが決まっているから十分に愉しい。少し噺が走り気味で、主が絵師親子の傍若無人さを怒る言葉に落語らしいオブラートが掛かりきらず、時々生になっていたのが惜しい。つまり、今夜の『抜け雀』は鳥籠の描いてない絵だったのである。

◆1月20日 宝塚歌劇団月組東京特別公演『STUDIO54』(日本青年館ホール)

◆1月20日 第32回人形町らくだ亭(日本橋劇場)
朝呂久『饅頭怖い』/志ん輔『駒長』/小はん『竈幽霊』///~仲入り~//小満ん『厄払い』/さん喬『うどん屋』
★さん喬師匠『うどん屋』・酔っ払いが明るさがベースで温かな嬉しさの中にふとペーソスが差す印象で佳かった。特に、「うどん屋、おめえ、如才ねェな」をボソッのひと言の憂いが効く。寒夜に響くうどん屋のたてまえも独特の声の高さで結構だが、終盤うどん屋が七輪を扇ぐ音が次第に大きくなり、その音と独り言の交錯が一層寒夜を感じさせたのが印象深い。
★小満ん師匠『厄払い』・マクラから実に年頭らしい華やぎや目出度さがあり、特に冒頭、伯父さんのうちに来た途端、与太郎が耳を片方ずつ摘まみ乍ら言う「こっち(左)が耳、こっち(右)が右」が無闇と愉しく、その与太郎の馬鹿な可愛さが最後まで客席を魅了し続けて行った。
★志ん輔師匠『駒長』・稍マクラが長かった印象だが、長兵衛の間抜けさが愉しい。お駒を殴る稽古の件で嫌な感じが全くせず、馬鹿馬鹿しい辺りは持ち味も人物造形も佳い。こういう奴なら自ら寝こかしちゃうのも無理はないや。

◆1月21日 浅草演芸ホール下席昼
※仲入り予定の伯楽師匠は急な休演らしく、みんな繋いでいた。
一九『寄合酒』燕路『悋気の独楽』//~仲入り~//遊平かほり/正蔵『読書の時間』/文生『桃太郎』/ニューマリオネット/小満ん『按摩の炬燵』
★小満ん師匠『按摩の炬燵』・最近、この噺で省略され勝ちな、番頭の奥への気遣いが適切に演じられているのは印象的。米市と番頭の関係も親友設定ではなく、お互いに気を遣っている。それでいながら番頭に如何にも芯のあるのが大店らしい。また、米市の陽気な酔い方は矢張り噺の救いになる。湯飲みに継ぎ足し継ぎ足しで三杯を空けた酒がジンワリ回って、普段の明るさが一層饒舌になる按配も結構。爆笑はないが常に噺が柔らかく明るい。欲を言えば、皆が寝付いて、シンとなってからの米市をもう少し聞きたかった。
★燕路師匠『悋気の独楽』・繋ぎのためか何時もより前半細部が丁寧。

◆1月21日 ハマのすけえん(のげシャーレ)
一之輔『御挨拶』/こはる『風呂敷』/一之輔『味噌蔵』//~仲入り~//一之輔『らくだ(上)』
★一之輔さん『味噌蔵』・ギャグはサディスティックさが適当で可笑しい。吝嗇ではあるが子供が生まれた事を喜ぶ旦那も変に可愛い。「(豆腐屋でなく)から屋だ」と言い張る赤螺屋菌の犠牲者峰吉が何となく書生っぽい口調なのが不思議。こうなるとロシア共産党のプロパガンダが一人、店に潜入してても良いくらいの気分になる。半面、旦那に比べ、番頭以下の店の者に余り違いがないし、旧ギャグと新ギャグにギャップが出るのは惜しい。
★一之輔さん『らくだ(上)』・マクラから「(マグロのブツを)寄越すの寄越さねェのったらカンカンノウ踊らせろ」まで50分以上は長過ぎで聞き疲れした。静かに怖い手斧目の半次は一之輔得意なキャラで「ゴメンね」と謝ったり脅したりの照り降りで確かに可笑しい。半面、長屋の衆や大家のらくだの死に対するリアクションが今夜は一々余りにも長く、屑屋のグチも丼と蛙と地ベタに書いた丸と三つは要らないと感じた。謂わば、どの場面でも要素を全部詰め込んである整理整頓前の状態。更に、半次のヒヤーッとした雰囲気がベースで、『欠伸指南』や『鈴ヶ森』等、喜多八師匠経由の噺と違い、観客を運ぶリズムや他の要素が今夜の『らくだ』には乏しく、ギャグ単体は可笑しくても段々噺に飽きてしまった。因みに、長屋も気の怖い連中揃いに聞こえて、「死にゃあ仏だ」も浮いてしまった印象。屑屋の造形も、家元の被害者意識の強い精神分裂型に戻りすぎである。以前の方が「一之輔らしかった」。家元から精神分裂型から完全に離れてしまっても良いのでは?家元がこの演出で始めてから30年以上経ってるんだからさ。

◆1月22日 東京マンスリー「古今亭菊志ん毎月連続公演」No.36~長講12席その1~(落語カフェ)
菊志ん『初天神』/菊志ん『居残り』//~仲入り~//菊志ん『かつぎや』
★菊志ん師匠『初天神』・基礎的な演出の確りした高座。飴屋・団子屋相手の親父の遣り取りがどうしても計画的に見え勝ちだが、飴を舐めるのも蜜壺に団子を入れちゃうのも、凧に熱中するのも思い付きと結果で、飽くまでも流れの中のリアクションになっている。子供が騒ぐのもクサ味が無く、髪を切って、より素朴になった表情に似合う。
★菊志ん師匠『居残り佐平次』・最近は粋がって野暮になる『居残り』の多い中、リズムでトントン聞かせる、軽快で真に聞き心地の良い居残り。居残り慣れしてるのを友達に予め告げるけれど、商売人じみた汚れはなく、「天性、ヨイショと騙りの達人」と言った雰囲気で居残りをする姿に無駄な陰が無いのが佳い。結果、佐平次の巻き起こす騒動全体が、優れたマンガになっている点、近年では遊雀師匠の『居残り』と双璧。誰の真似でもなく、皮肉なギャグに頼らず、優れたリズム感と軽妙さは噺家として性根の座ってきた印象を受けた。
★菊志ん師匠『かつぎや』・元旦の雑煮・年始客の帳面付け・宝船と来たが、権助の不祝儀な行動も定吉の帳面付けの悪戯も陰気な宝船屋も陽気な宝船屋も停滞なく進んで、先代圓遊師匠、故文朝師匠以来の気持の良い出来。五兵衛のかつぎ屋ぶりもチョコマカとカワユク嫌味がなくて結構。本日の3席は自力発揮で大当たり。

◆1月22日 新宿末廣亭夜席
圓馬『壺算』/春馬『寿限無(下)』/小天華/雷蔵『蔵前駕籠』/松鯉『谷風情相撲』/美由紀/小柳枝『金明竹』/遊三『元帳』//~仲入り~//笑遊『くしゃみ講釈』/陽・昇/夢太朗『時そば』/圓『殿様団子』/ボンボンブラザース/茶楽『』
★茶楽師匠『明烏』・時間が押していたので、本題は17~8分あるかないかの長さだが、艶があって、源兵衛太助の洒落っ気や軽妙さ、間抜けさも嬉しく、綺麗事過ぎない「下らない愉しさ」のある洒脱な高座。茶屋の女将がしげしげと見る視線で時次郎の優男ぶりが分かる辺り、最近の40分も掛かる『明烏』とは本質の掴み方が違う。現代の『明烏』では小満ん師匠と二分する演出だろう。小満ん師とは粋の系統が違い、先代圓遊師匠に近いんだな。
★遊三師匠『元帳』・酔っ払いが明るくメソメソ泣いたりしないのが結構。「食べちゃった」の声が次第に大きくなるのも自然。オデンは旦那が言い出す。

◆1月23日 志の輔らくごinPARCO2011(PARCO劇場)
志の輔『だくだく』/志の輔『ガラガラ』//~仲入り~//志の輔『大河への道』
★志の輔師匠『だくだく』・隣の侍が現れて「助けに来た心算数」とオチをつけるが、主人公は別に泥棒相手に苦戦していた訳ではない。無邪気さが無い分、白酒師匠くらいの仕掛けが必要ではあるまいか。それと、「茶棚、茶棚」と何度も言ってたが、富山では茶箪笥をそう呼ぶのかな?
★志の輔師匠『ガラガラ』・序盤は福引きの景品を巡る柳昇師匠的な小市民困り噺でがそんなに面白くない。しかし、町会長が次第に妖怪化して、「金馬に正蔵が取り憑いたような」(昔の圓生師匠のギャグ)声音で呪いの言葉を吐き出すナンセンスさは、圓丈師⇒喬太郎師系の新作っぽい。また、町会長がダミ声で発する呪いの土着感覚は富山的アラハバキの雰囲気あり。雪深い立山連峰の奥か、富山湾の深海でホタルイカやチョウチンアンコウと同じ辺りにいそうな様子で、サンダかガイラみたいだ。
★志の輔師匠『大河への道』・80分以上は余りに長い。NHK的にダラダラしてるというべきか。民放の歴史人物ドキュメントでこんなプレゼンをしたら「ビデオは30分まで」と言われる感じ。「一時間やそこらで人の一生が描けると思う事自体が傲慢だ。ディレクターや作家の感じた視点から切り取った人物で良いんだ」と某有名司会者に叱られたのを思い出す。その意味で、噺に登場する若いシナリオライターが「私には伊能忠敬の気持ちが分かりません」というのは一見、良心的に聞こえるが、実は「お局好み」の甘ったれで、構成者としてプロとは言えず、役人が感心するのも「主人公は誰でも良い人にしちゃうNHK大河ドラマorプロジェクトX」的描き方で幼稚に聞こえる。それはイコール志の輔師が伊能忠敬を独自の視点で切り取れなかった事であり、某女性人気作家の西洋古代史物みたいな「作家性の欠如」を感じる。マクラに登場した伊能忠敬記念館の学芸員的な感覚でを捉えれば良いだけなんだけど、その辺りを志の輔師にアドバイス出来るブレーンはいないのか。歴史上は脇の人物である高橋カゲヤスを噺中噺の主役に据え、千葉県の役人を狂言回しとして一席にまとめたのもドラマ作りとしては普通のやの方。結果的に「伊能忠敬を分かったつもり」レベルに止まるし、役人がシナリオライターを許すのが浅く、また噺中噺はどうもラジオドラマ過ぎる。志の輔師自身(の視点)が『江戸の夢』では三遊亭圓生師匠の陰に隠れ、この噺では伊能忠敬の陰に隠れているから、聞き終わってフラストレーションが溜まるなァ。※昨年の赤坂アクトシアター公演もそうだったが、ステージの印象が古代の神殿じみる。芝居なら齋藤憐氏作の『クスコ』のセット、篠田正浩監督の映画『卑弥呼』(でいいんだっけ。岩下志麻主演の作品)の美術みたい。とある有名デザイナーの接客オフィスにも似ているが、視覚面から「演者に神様的権威付けをしようとしている空間」に見えて、私は反発を感じる。

◆1月23日 よってたかって新春21世紀らくごスペシャルOneday(讀賣ホール)
市也『高砂や』/白鳥『ギンギラX』/白酒『佐々木政談』//~仲間入り~//三三『鮑熨斗』/市馬『竹の水仙』
★市馬師匠『竹の水仙』・割と珍しいネタでサラーッと演っている。甚五郎も名人クサくせず、気軽な職人態。宿の主人も口は悪いが職人っぽく、「売切れ」と綿貫権十郎をからかう件も嫌らしくならない。細川越中守には品格あり、家臣・綿貫権十郎は粗野・粗暴に演じられ勝ちな役だが、まともな治武田治部衛門程度である。全体に恬淡として、名人譚の嫌らしさがないので
聞き心地がとっても良かった。
★白鳥師匠『ギンギラX』・『マキシム・ド・呑兵衛』の薬屋版みたいに始まるが、途中から『いもりの黒焼き』の現代版みたいな「もてない男の恋愛大作戦」になる。無茶苦茶といえば無茶苦茶だが、実は白鳥師的ロマンティシズムがベースにあるので、憎めない可笑しさを感じる。
★白酒師匠『佐々木政談』・「一寸、お客さん、甘くみてます」といった雰囲気ではあるけれど的確に受けるのは強み。冒頭に登場する子供たちの喋り方を聞いていると、「子役」は基本的にドラエモンに似てるのだね。佐々木信濃守は声の良さで得をしてるし、変に偉そうでないのも結構だが、もう少し四郎吉に対して愛情があってもいいな。親父綱五郎の愛すべき「困りキャラ」の良さが四郎吉のこまっしゃくれ感を中和しているのは印象的。
★三三師匠『鮑熨斗(中)』・大家との最初の遣り取りとまで。風邪声で不調か。それでも十分に面白いんだけど、独特の表現である「甚兵衛さんがシクシク泣く」を今夜は乱発しすぎて途中から効果が減ってしまった。それよりも甚兵衛さんとカミサン、山田さん、魚屋の大将、大家の海老名さんとの関係性をもうちっと平らにする事に留意した事が良いと思う。

◆1月24日 浅草演芸ホール昼席
正蔵『ハンカチ』/文生『陸前高田』/ニューマリオネット/小満ん『大工調べ(上)』
★小満ん師匠『大工調べ(上)』・棟梁がなかなか勇みの二枚目で結構癇性そうな雰囲気、大家の因業そうな様子と共に最近聞く『大工調べ(上)』の中では矢張り明確。与太郎は稍職人性が強く大人しく聞こえ、余り跳ねないのが惜しい。

◆1月24日 第一回遊雀玉手箱“年明けの巻”
遊雀・鯉昇『御挨拶』/遊雀『初天神・団子』/遊雀『浮世床・夢』/鯉昇『千早振る・モンゴル篇』//~仲入り~//遊雀『井戸の茶碗』
★遊雀師匠『初天神』・泣いてグズグズになる金坊は『船徳』の徳三郎に通じる。子供ならではのタチの悪さがリアル。
★遊雀師匠『浮世床』・サラサラしていて余り印象に残らない。
★遊雀師匠『井戸の茶碗』・ 佳作。時間が押していたので刈込み気味だが、その分、余計なギャグがなく、清兵衛のキャラクターの可笑しさと高木・千代田の侍心で十分に面白い。高木の「清兵衛、腕を上げたな」がちゃんとクスグリとして爆笑を生む。高木が三百両を前に言う「清兵衛、お前しか頼る者がないのだ」は侍心同士では反目してしまう事態を敢えて屑屋の清兵衛に委ねる頭の良さと良識を感じさせる名科白。千代田は前半、学校の老教頭みたいだが、終盤の口調、物腰は気骨を感じさせて結構なもの。侍二人それぞれ具体的に挙げると、千代田は稲荷町の正蔵師匠、高木は志ん朝師匠+先代柳朝師匠÷2=みたいな人物像に魅力がある。
★鯉昇師匠『千早振る・モンゴル篇』・「死亡届け?」「いや、移動届け」と更に噺が延びている。ひとこぶラクダの瘤にしがみついて現れる千早は矢張り可笑しい。モンゴルの草原に陽炎が立つのが目に浮かぶ。

◆1月25日 浅草演芸ホール昼席
さん生『間抜け泥』(交互出演)/遊平かほり/正蔵『新聞記事』/小團治『権助芝居』(文生代演)/ニューマリオネット/小満ん『寝床』
★小満ん師匠『寝床』
旦那がこんなに怒ってる『寝床』は初めて聞いた。

◆1月25日 第五回射手座落語会(浅草見番)
宮治『垂乳根水』/正蔵『仔猫』/喬太郎『子褒めからグジャグジャ』/生志『井戸の茶碗』
 ※主宰している会なので評はなし。

◆1月26日 柳家三三独演会「冬」(なかのZERO小ホール)
三木男『天狗裁き』三三『権助提燈』/三三『道具屋』//~仲入り~//三三『富久』
★三三師匠『富久』
前半二席は風邪声で余り精彩はない。『富久』は運びは市馬師匠とほぼ同じ。但し富の当日以降、久蔵が甚兵衛さんになってしまう。「タタタタタッ」と手を振って可笑しいが『鮑熨斗』に近い。酒乱は帳面付けからでなく火事が収まった台所から。旦那は直ぐに引っ込み番頭さんが世話をする。酔い方は三代目型に近いが絡み方が皮肉で如何にも「嫌われ者」。それと甚兵衛さんが結び付き難い。50分を超えたが、そんなに掛かるかなァ。

◆1月27日 第287回三遊亭圓橘の会(江戸深川資料館ホール)
きつつき『居候』/圓橘『雛鍔』//~仲入り~//圓橘『富久』
★きつつきさん『居候』
カミサンがモンスターで無茶苦茶可笑しい。若旦那も度を越した能天気。間に挟まった亭主が気の毒になる。
★圓橘師匠『雛鍔』
御屋敷の若様に品があって可愛い。職人が中っ腹で旦那を怒ってる設定じゃないから苦味が出ず結構。この親父も結構ノリが職人らしくて愉しい。子供のオチの言い方も素早いから嫌らしさが消える。
★圓橘師匠『富久』
ベースは三代目型かな。久蔵は吉原でも名を知られた幇間の設定。「どうです、汲み立ての井戸水なんぞ」は調子に芸人らしさが出ていて嬉しい。火事見物に屋根に上がる長屋の連中から寒さを強調するのは気分が出る。大きな声が寒夜の屋根上と地びたの感じを出す。三軒町⇔久保町の往復は志ん生師匠を取り入れたか。荷物運びの騒動から帳面付けを経て酒乱、ってより酒に意地汚い雰囲気になるが鬱屈は余り強くない。絡み酒というより煩い泣きクド上戸。椙の森神社は大声を発して怒るが、クドメソメソせず意気消沈する。頭と会って直ぐ御宮の事を言われる。富札を見つけて拝み悦ぶ。矢張り黒門町風に泣くのは落語でなくなるね。マクラから47、8分という尺も適切。

◆1月28日 浅草演芸ホール昼席
鏡味仙三郎社中/さん吉『漫談』/伯楽『猫の皿』//~仲入り~//さん生『浮世床・夢』(交互出演)/遊平かほり/正蔵『ハンカチ』/小はん『親子酒』(文生代演)/笑組(ニューマリオネット代演)/小満ん『夢金』
★小満ん師匠『夢金』
序盤は言葉違いが多かったが、侍が如何にも野暮なのが物窃りめいて良い。熊が傘を手に娘を桟橋へエスコート(小満ん師だとそう言いたくなるね)する辺りからグッと精彩を増す。漕ぎ出してからの熊の独白の味、屋根船の戸障子をちょいと開ける仕種の良さ、熊に自然なユーモアがある。羽織を簑に使わないのが惜しい。殺害計画の遣り取りから熊のユーモアが前に出て侍の野暮さとつっかう。侍の慌てる件もドラマティックにせずサラサラと。最後の娘の親父と熊の遣り取りからオチまでトントンと運び「二百両」も余り張らず、それが「熊!静かにしろ!」のオチを落語らしく聞かせる効果になるのが結構なもの。

◆1月28日 J亭談笑落語会「花鳥風月 月PART2」(JTアートホール)
談笑『疝気の虫(マタンゴ篇?)』/鯉昇『千早振る・モンゴル篇』//~仲入り~//喬太郎『オトミ酸』/談笑『三味線栗毛』
★談笑師匠『疝気の虫(マタンゴ篇?)』
長崎から江戸へ向かう船の中で渡来種の疝気の虫が暴れるのに若い医師と疝気の虫に感染して死んだ師匠医師の娘が立ち向かう展開。疝気の虫の形状は『帝都物語』の憑神風で展開は『マタンゴ』+『エイリアン』。最後は船を爆破して品川浜へ向かう若い医師の睾丸が腫れる場面で終わる。娘はシゴーニー・ウィーウ゛ァ-みたいに口から入り性器から出てくる疝気の虫相手に立ち向かう。
★談笑師匠『三味線栗毛』
稍展開に手を入れ、錦木の煩いを中抜きしたり、最後は馬を駆けさせ乍らのオチになる。駆ける必要はないかな。しかし、角三郎と錦木が酒を汲み交わし乍ら身の上を語りあって泣くシーンはジンとくる。
※聞き乍ら『座頭の富』という噺は作れないかな?と思った。
★鯉昇師匠『千早振る・モンゴル篇』
『千早振る』は鯉昇師匠のお陰で何処まで進化するか分からない噺になってきた。
★喬太郎師匠『オトミ酸』
「こう来るかな?」と思ったら、ホントにこう来た〓

◆1月29日 第四回小燕枝・正蔵の会(下谷稲荷神社社務所)
たこ平『粗忽の釘』/小燕枝『萬金丹』/正蔵『山崎屋』//~仲入り~//燕枝『宿屋の富』
★小燕枝師匠『宿屋の富』
序盤からサラサラした良い出来で、田舎者の困惑、宿主の好人物ぶりがよく出ていたが、富が当たったと田舎者が気付いた件から更に吃驚。動転した田舎者が「オラの宿がどれだか分かんねェ」と嘆いた瞬間、グラグラ揺れる街並みが見えた!
★小燕枝師匠『萬金丹』
あぶれ者の梅と八のキャラクターが愉しく、ムハハハの住職、文楽のピン人形みたいなトボけた村人たちと目白系旅ネタの魅力横溢の一席。
★正蔵師匠『山崎屋』
謀を始めてからの若旦那が稍子供っぽくなりすぎるが、後はトントンと運んで非落語的な嫌らしさが全くなく、軽快な出来。親旦那のケチ・スケベェぶりも愉しく、花魁と親父のホノボノしたラストも味わい佳く持ちネタ化しつつある。

◆1月29日 新宿末廣亭夜席
圓輔『長屋の花見』//~仲入り~//笑遊『くしゃみ講釈』/マジックジェミー(陽昇代演)/夢太朗『おすわどん』/圓『漫談』/扇鶴(美由紀)/茶楽『線香の立切れ』
★茶楽師匠『線香の立切れ』
全体に艶があり、華やかで硬苦しくない。番頭に中年の色気があり、徳三郎の艶と好一対。母親に哀れあり、またお仲が若旦那を見た動揺ぶりも印象的。

◆1月30日 新宿末廣亭夜席
米福『だくだく』/可龍(春馬代演)『四段目』/小天華/雷蔵『浮世根問』/松鯉『屏風の蘇生』/喜楽/夢太朗小柳枝『元帳』/遊三『干物箱』//~仲入り~//笑遊『寿司屋は楽し』/陽昇/歌春(小柳枝昼夜替り)『紙入れ』/圓『鹿政談』/美由紀/茶楽『寝床』
★茶楽師匠『寝床』
稍ショートウ゛ァージョンだが過去最高に可笑しい。「あれは祟りです」「寺に?何処の?浄瑠璃寺ァ!」「店立ての別れでも告げに来たのか」「伊達大夫に似ているゥ?」の可笑しさ!「仮にも私が節を」の件をオチ前に持ってきたのも好工夫でオチ前がダレないのに感心。
★遊三師匠『干物箱』
巻頭巻軸の句の違う先代圓馬師匠型。親旦那が馬鹿に似合って大きく、善公のハネ方や困り方も大声が生きている。この好対照が派手に愉しい。
★圓師匠『鹿政談』
10分前後のショートウ゛ァージョンなのにコクがあるのは年輪。

◆1月31日 道玄坂落語会「白酒 初春の会」(マウントレーニアホールプレジャープレジャー)
扇『寿限無』白酒『お見立て』喜多八『やかん舐め』//~仲入り~//白酒『』
★白酒師匠『お見立て』
杢兵衛大尽のハイテンションな声と大きな仕種は可笑しいが恋心故でなく粗暴に聞こえるのが惜しい。中盤、喜瀬川が死んだと聞かされて泣き出してからも恋心が弱い。惚れボケじゃないんだな。喜助のキャラクターが一番出ているから喜助が主人公の噺に聞こえる。廓噺で客と花魁の両方がツールになってる事がギャグの浮く原因だし、食い足りない。
★白酒師匠『寝床』
終始爆笑。三語楼師匠から志ん生師匠が受け継いだ世界を更にパワーアップして、物凄くドライな可笑しさを炸裂させている。アンツル的ウェットを拒絶した愉しさである。
★喜多八師匠『薬缶舐め』部分的小三治師匠が作った「間」が残っている件、一~二箇所は流れが止まり掛かるが、其処以外は見事に喜多八師の噺になっている。女中の真摯さと侍の馬鹿馬鹿しいハイテンション、その遣り取りを目にして馬鹿笑いしている可内の存在がクッキリとマンガになっていりのは素晴らしい。

石井徹也(放送作家)

投稿者 落語 : 2011年02月08日 23:29