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2008年11月15日
戦後最大の新作落語家・三遊亭圓丈師匠
三遊亭圓丈師匠は70年代後半以降の落語界に多大な、というより、最も大きな影響を与えた落語家さんであり、戦後という広いスパン考えれば、林家三平師匠に次ぐ「落語の改革者」「落語の本質への回帰者」というべきかもしれないと私は思っている。
70年代後半、『実験落語会』を率いて、『わからない』、『ぺたりこん』、『即興詩人』、『国際噺家戦略』『パニック・イン・落語界』『自殺便り』をはじめ、『グリコ少年』『悲しみは埼玉へ向けて』などの“演者一人称落語”と、毎月のように斬新な新作を発表された。
また、池袋演芸場では、「三題噺」の十日間興行を行って、『パタパタ』、『インドの落日』などの佳作を生み、興行的にも成功を収め、当時の先代柳家小さん落語協会会長から直々に「良く演ってくれた」とお褒めの言葉を頂戴もしている。
更に、口演時間3時間余に及んだ、超大河イベント落語『ギャグを訪ねて三千里』の発表も印象に強く残っている。
類型からの脱出
圓丈師の創作の何処が斬新だったかといえば、いわゆる「サラリーマン物新作」に登場するような、「類型的な人物」が全く登場しなかったことにある。
戦前戦後を通じて、「サラリーマン物新作」の場合、落語作家側が「お客に分かりやすい笑い、親しみやすいストーリー」という無難さを狙ったものなのか、観客の印象に全く残らないキャラクターばかりが登場していた。
この場合、故・柳昇師匠のように、演者自身に強烈なキャラクターがないと、噺自体も印象に残らなくなってしまう。
一方、圓丈師の作品では、
★机と手がくっついた男
★ひたすら悲しみにくれるうちに死刑にされる男
★死ぬ前に芸者遊びがしたいとタクシーで東京中飛び回る末期ガン患者、
などが次々と登場して、類型的な人物は、まず出てこない。
寧ろ、「異形」に近い、「圓丈的典型」の人物ばかりである。
尤も、そうした人物造形の中に、私などは却って、「人間という生き物に共通する普遍的なリアリティ」を感じていたものだが・・。
圓丈作品にみる「落語の本質」への回帰
落語の登場人物は総じて「変な人」が多い。
というより、「落語とは、“人間とは何処か歪んでいるものである”ってことを、面白おかしく語る芸である」というべきかもしれない。
但し、人情噺の場合は、ストーリー展開が落語より遥かに芝居っぽく(演劇的とまではいえねェいえねェ)、その分、人物像は類型的である場合が多い。
ある噺家さんと、「圓朝師匠の人情噺は落語の人物や情景の描写の基本」と話したことがあるけれど、確かに人情噺の人物造形は落語話術の基本型である。
だが、あくまでもそれは基本型であって、落語家さん個々の手による応用型に変化しなければ、落語の人物表現とはなりえない。
圓丈師がそうした「人情噺的類型を脱した典型」の人物造形に到達したのは、六代目圓生師のお弟子さんとしては稀有な例だと思う。
圓生師自身は、人物や情景の描写に優れた方だったが、『包丁』の熊や、『なめる』・『蛙茶番』の主人公など、少数の例を除いて落語的人物の一般的評価が高い訳ではなかった。
評価が高いのは人情噺的な人物造形に多く、河竹黙阿彌の世話物に顕著な悪婆や小悪党などの人物造形を模した、「江戸市井の普通の人々」を描こうとしていたように思えてならない。この人物造形は圓生師の落語に対して、私などがちと物足りなさを感じた原因でもあった。先代尾上松緑丈が「圓生の落語は下手な歌舞伎みてェだから好きじゃない」と仰有った、というのも私は頷ける。
同時に圓生師ばかりでなく、桂米朝師匠の描く品格のある人物像や、先代文楽師匠や古今亭志ん朝師匠の描いた“小綺麗な類型的人物像”にも私は物足りなさを感じている。それらの人物は、古今亭志ん生師匠や六代目笑福亭松鶴師匠の描いた“無茶苦茶な人たち”の迫力と存在感、余りにも落語的な面白さと魅力には、到底かなわないと思っている。
あくまでも私見だが、圓生師の一門方が語る「圓生落語の登場人物」も、自分流の応用型でなく、圓生師の類型をなぞったものであるため、しばしば人物像の奥行きや存在感が希薄になり、「話術としては精緻で巧いけれど、落語らしいおかしさに乏しい」という、大半の「圓生落語」の持つ弱みが更に増殖していた。
圓丈師の『ギャグを訪ねて三千里』の最後、“最高の笑い”として登場したのが、何と「五代目小さん全集」だった!というのは、尊師・圓生落語の「巧いと言われる噺であればあるほど、実は落語的なおかしさに乏しい」という弱みに対する、圓丈師の絶望と諦観の現われだったのかも・・(単なる“苦しまぎれ”だったのかもしれないけどね)。
「落語の魅力はストーリーではなく、落語家の語り口にこそある」という言葉は、矢野誠一氏唯一の卓見だと私は思うけれど、語り口の個性、その人にしか描けないキャラクターこそが、「芝居じみたリアリティ」より落語には大事なのではあるまいか。そして圓丈師にはその「語り口」が厳然としてある。
落語家として頭の良い人
圓丈師が圓生門下で、描写力や人物造形など話術の骨法を修業され、数々の古典落語を習得されていたのは事実である。
「話術の基本は、巧い人に習うべし」という真実が、入門時に分かっていたのは、圓丈師の「落語家としての頭の良さ」ゆえだろう。この明晰さは、柳家さん喬師匠に入門した柳家喬太郎師が良く似ていると思う。
『茶金』『茶の湯』などは、二ツ目時代から得意ネタにされていたものだが(二ツ目地代、池袋演芸場の代バネで『茶金』を聞いたことがある)、他にも、板橋の大山では長い間、今の柳亭小燕枝師匠・金原亭馬好師匠と「ワールド御三家タイトルマッチ」(笑)という勉強会を開き、毎回のように大ネタを仕込まれていた。
その他、最近は伺っていないが真打昇進前後に、『五人廻し』、『突き落とし』、『雪とん』、『粗忽の釘』、『三人旅(跛馬)』、『短命』などを伺ったし、東横落語会の「六代目圓生追悼公演」では『豊竹屋』を演じられている。
こうして、落語家として“ごく普通の修業”を積みながら、三遊亭圓楽師匠のように人物を“おやかす”のではなく、圓丈師はあくまでも“自分流の語り口が生むリアリティ”によって「圓生落語」を脱し、自分流の典型を描き出してきたと言えるだろう。
落語を科学しない心
そうした圓丈師独自の人物表現は、立川談志家元が『らくだ』の屑屋をアル中の精神錯乱者のように描くなどして、「古典落語」に“自分の理解出来る整合性”を求めたのとは明らかにスタンスが違う。
談志家元の描く精神錯乱の屑屋は「アル中からくる精神錯乱者」というイメージの類型であり、典型ではあるまい。
柳家小三治師匠の人物造形にも感じられるが、落語を演劇的・心理描写的に分析して掘り下げた結果、そこに表される人物像は、「(演者自身の知識や情報によってだが)科学的に分析されてきた資料的人格」の範疇に留まりやすいのではあるまいか。
「十人十色」とは良く言ったものだが、“人は一人一人違う”ってことと、演劇的・心理描写的な人物造形は、必ずしも一致しないのではあるまいか。
「科学するというのは、物事を客観的にみることだけど、物事を客観的に見るくらい寂しい、つまらないことはないんだよ」と、20年くらい前になるか、早稲田大学の教授である社会学の泰斗から伺ったけれど、「落語」も科学してはならぬジャンルらしい。
「日本の殆どの学者は、資料のあるものしか“真実”と見ようとせず、推論を重視しなさすぎる」とは、『逆説の日本史』の著者、作家・井沢元彦氏の卓見である。
戦後、文学者や落語通人たちから(早い話が安藤鶴夫氏や飯島友治氏レベルの人)、「名人」と称された落語家さんの大半や、その周辺に屯してきた「落語評論家」の人間の捉え方も、“日本の殆どの学者”と同じじゃないのかしらん。その中で、五代目小さん師匠と先代金原亭馬生師匠は違うと、私は思うけれど。
圓丈師の新作の登場により、戦後、文楽・圓生型を「本道・本流」として語られてきた落語は、漸く人情噺的世界の呪縛から解かれた。
そして、圓丈師匠の「類型を脱した人物造形」は、柳家喬太郎師匠や春風亭昇太師匠の世界へと継承されている。喬太郎師が『夜の慣用句』で、昇太師が『ストレスの海』や『夫婦に乾杯』でサラリーマンを演じても、かつての「サラリーマン物」と明らかに違うのは、圓丈師の拓いた道、圓丈師が世間に認めさせた“普通でない人々の普通な世界”を受け継いでいるからだろう。
「こういう人がいると面白いなァ、いたら良いなァ」「こういうことがあると面白いなァ」という「その落語家さんにしか描けない落語の本質」は、かくして東京では志ん生師(と晩年の先代馬生師)から、隔世遺伝的に圓丈師へ伝わって広まったと言えるだろう。
尤も、「その人にしか描けない」という在り方は、反面、「圓丈師の口演した噺は、他の落語家さんが演じても面白くなりにくい」という弱みも持っている。
その点、「やや普通度の高い人々」を、今っぽいストーリーの中に描く桂三枝師匠の新作と違い、他の落語家さんに取り上げられ難く、量販性に乏しいのも事実だろう。
古典落語におけるキャラクター性再構築への期待
近年の圓丈師は再び、「古典落語」の再構築にも力を注がれている。
『文七元結』や『らくだ』、12月に口演予定の『百年目』をはじめ、寄席の高座でも『蟇の油』などを口演される機会が増えている(本質的には、時分が演りたい落語しか演らない、という良き強情さを保った噺家さんである)。
特に、『文七元結』は近年、数多くの落語家さんが口演された中でも、傑出した作品だ。文七とお久の間に新たな恋愛関係を与えた展開は、新作活動で発揮・蓄積された創作力が、見事に新たな息吹を物語に与えたものだと私は思っている。
また、それ以上に面白かったのが、圓丈師のある面を髣髴とさせる長兵衛のキャラクターである。
圓生師・林家彦六師匠をはじめ、談志家元・志ん朝師・小三治師といった師匠方は、あくまでも江戸以来、黙阿彌以来の世話物の範疇にある長兵衛像を、如何に自分が納得出来る範囲で「人情噺的な主人公」として描くかに腐心をされていた。
一方、圓丈師の長兵衛、特に吾妻橋の長兵衛は明らかに「娘の身に代えた大切な金を、初めて会った他人にくれてやっちゃう変な人」である。それは私の知る限り、志ん生師の長兵衛以来の「落語らしい、変な人キャラ」の長兵衛だと思う。
その長兵衛の存在によって、圓丈師の『文七元結』は、見事に「落語の『文七元結』」という、あるべき姿になっていた。
圓丈師による「一席物人情噺」や「古典落語」の再構築は、新作の創作と相俟って、東京落語の未来に、また新たな活力を与えてくれるものではあるまいか。
私などは、圓丈師によって再構築された「落語としての『芝浜』」が是非伺いたい。
妄言多謝
石井徹也(放送作家)
投稿者 落語 : 2008年11月15日 21:12