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2008年09月03日
浜松町かもめ亭 八月怪談噺の会 無事終了!
8月も押し迫った29日、「第20回 浜松町かもめ亭 怪談噺の会」が文化放送メディアプラスホールで開催されました。
今回は昨年に引き続いての恒例となりました怪談噺の会。
雲助師匠の十八番「もう半分」と喬太郎師匠の新作怪談噺「猪怪談」を事前予告していたため、チケットは売り出し10分でSOLDOUT! たくさんのご来場を有り難く御礼申し上げます。
(会の詳しいレポートは近く「浜松町かもめ亭」公式サイトにUPされます)
さて。
本日は「かもめ亭」の舞台裏を少々ご案内。
芝居や寄席で怪談を上演するときは、出演者の皆さんが神社やお寺にお参りに行くことが慣例になっています。これは言うまでもなく、怪談噺の上演が無事に終わることを祈願し、また噺に出てくる人々の霊を慰撫する目的があります。圓朝ものの怪談をするときは谷中の全生庵、圓朝師匠の墓所を訊ねるのが一般的です。四谷怪談を上演するときは、四谷の田宮神社にお参りすることがお約束です。(八代目正蔵師匠は「累」など、四谷怪談に直接関係のない噺の場合も、田宮神社に足を運び、落語の奉納をしていたそうです)
今回はスタッフが田宮神社で頂いてきたお札をホールに飾り、会の無事を祈願いたしました。
そして一番太鼓、二番太鼓が囃され、会は立川こはるの「ちはやふる」で無事にスタート。
雲助師匠の下座入り演出による「もう半分」、中入りをはさみ、喬太郎師匠の自作で、現代人の生活を襲う怪異を描いたホラー「猪怪談」が口演されました。
迫力のある二席に客席はヒンヤリ・・・。
このままで終わるのはあまりにもダークなので、トリである喬太郎師匠の「猪怪談」に続いて、番外として立川こはるの踊り(梅にも春)が追加されました。
これも寄席や芝居の慣習にもとづいたものです。
寄席では怪談噺ではねた場合、邪気を払うのと、お客様の雰囲気を変えるため、明るくて短い出し物をそのあとに付け足すことが慣習になっています。(現代ではこれをしないケースも多いですが)
一般的には、怪談を口演した本人が踊りを踊ったり、若手を交えて謎かけをしたりするのが一般的です。
こうした形態は昔の芸能にもあり、歌舞伎の上演年表をみると、怪談劇のあとには「かっぽれ」などが付け足されることが多かったことがわかります。(現代でも三本立て、四本立ての番組の場合、怪談が最終幕におかれることはあまりありません)
もっと古い芸能であるお能にもこの約束事は残っていまして、その日の最後の曲が鬼退治物や「道成寺」「鉄輪」のような怨霊物であった場合に「付祝言」と言って祝言曲である「高砂」や「猩々」の一節を短く謡います。(余談ですが落語「首提灯」の侍が猩々を謡うのも同様の意味でしょう) この習慣は江戸期に発生したそうですが、落語の大喜利と同じことで、邪気を払い、最後はおめでたく終わるという意味があります。今回、前座であるこはるが踊ったのは少々異例ではあるのですが、そのような意味でありました。
会場の外は、「猪怪談」の公演中から篠突く雨。落雷の音がホール内にも鳴り響きました。みなさまは無事に帰宅できましたでしょうか?
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「かもめ亭」終演後は隣のホールで打ち上げが催されました。
今回は鳴り物の手伝いに三遊亭司さん(右)、鈴々舎馬るこさん(左)が参加してくださいました。真ん中は追っかけのまちゅくみさん。三味線は落語協会の松尾あさ師匠でした。みなさん有り難うございました。
次回もご来場をお待ちしています!
松本尚久(浜松町かもめ亭)
投稿者 落語 : 2008年09月03日 09:40