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2007年12月01日
師走といえば『芝浜』と『文七元結』 ~その2 圓丈版落語『文七元結』~
『芝浜』と並び、師走の大ネタとして忘れられないのが『文七元結』である。
私は、『文七元結』『唐茄子屋政談』『火事息子』の三席を、「東京落語の三大市井人情落語」だと勝手に考えている。
順番をつけると『火事息子』が一番好きなんだけどね。あんまり長い噺じゃないのも良いし、第一に『火事息子』って題名がいい。因みに『芝浜』は「三大市井人情落語」というには、ちと新参者すぎて、まァ「準三大」というところだろうか。
『文七元結』に話を戻して、これも大好きな噺であることに変わりはない。
ただし、『芝浜』と違い、私の場合、聞けたのは大体がホール落語や独演会の類で、寄席で聞くことは滅多になかった。吾妻橋から後半だけ演じる方法もあるとはいえ、長兵衛が家に戻った件から全編通せば、1時間はかかる長い噺だからね。
寄席で私が全編通して聞いたことがあるのは、談志家元、金馬師匠くらいかなァ。
あとは、先代春風亭柳朝師匠が昔の池袋演芸場の主任で演じていたのを聞いたって知り合いがいる程度である。先代馬生師匠の『文七』は余り長くなかったけれど、テープで聞くと、志ん生師など25分くらいのテープもある。実演でもそんなに短いことはあったかなァ? 今年、山本進さんから「先代可楽師の『文七元結』を第四次落語研究会で聞いている」と伺った。先代可楽師はネタの短い師匠だったが、『文七元結』も23~4分だったとか。長い『文七』しか知らないので、短い『文七』には興味が沸く。
今年の秋冬版『文七元結』の初体験は、10月の県民ホール寄席で柳家喬太郎師匠が演じた高座だった。佐野槌の女将がシビアなのを含め(女将に良い科白もあんだけどね)、前半はさん喬師匠がベースだけど、吾妻橋から後は家元型がかなりプラスされているという印象。勿論、独自の細かい工夫も色々とあり、同日の番組にあった『うどん屋』や『くしゃみ講釈』もギャグに取り込み、泣かせ、笑わせた。近江屋の旦那が文七に説教している最中に携帯を鳴らした大馬鹿者がいたけれど、「定吉、電話かい?ちゃんと切っとかないとダメだよ」と軽く受け流して拍手大喝采!
家元的な長兵衛のキャラクター、文七の若さ、特にお久がメソメソし過ぎずにドラマティックなのに落語らしく、「かなり佳い物を聞かせて貰った」という印象だった。
しかし、なんたって驚いたのは三遊亭圓丈師匠の『文七元結』である。
しかも、それが口演ではなく朗読。11月11日の「圓朝座」で口演する予定だったのだが、昼間、横浜で独演会を入れてしまわれたため、浚う暇がなくて口演が出来ず、自作の『文七元結』台本を朗読するという破天荒な結果になった。
会の後で伺ったところ、昨年、国立演芸場でネタ卸しをされてから一度も演ってないそうである。圓丈師ご自身、「元々、長い噺の上に、自分で工夫した部分を足したから、どう詰めてもマクラから55~6分はかかる。だから、演るところがないんだよ」とボヤかれていた。しかし、自作の台本朗読であったがために、圓丈師が工夫された所がまったく抜けることなく聞けたのは、ある意味、観客として得をしたともいえる!
『文七元結』は元のストーリーが良く出来ているためか、そこに手をつけた演者はほとんど記憶になく、長兵衛のキャラクター、佐野槌の女将のキャラクター、文七のキャラクターに個性の違いや、個性を出そうとしている印象が強い。
しかし、圓丈師匠は果敢にもストーリーそのものに手を入れていた。
それは「文七とお久が夫婦になるのに、之までの演出やストーリーだと、ダレが演っても親のいいなりになったみたいな夫婦で、2人のラブストーリーが描かれていないのが不満だったから」だそうである。
圓丈師の演出は、噺全体を大晦日の夕景から除夜の鐘が鳴り終わるまでの出来事としている。長兵衛はまだ夕景前の達磨横丁を出て佐野槌に向かう。ちなみに佐野槌の女将から、「達磨の長兵衛」という、長兵衛の腕前を褒めた異名も紹介される。
そして、肝心要のお久・文七の恋物語は、それぞれ願い事のあった文七とお久が本所中の郷の南蔵院にある「しばられ地蔵」へお参りに行き、そこで出会って仄かな恋心を芽生えさせていた、という風に描かれる。
それらは全て、吾妻橋の上の文七の述懐で分かる。その述懐によると、大晦日、文七は「しばられ地蔵」でお久と会う約束をしていた。佐野槌へ身売りに行く前に、文七に最後の暇乞いをしようというお久の哀れな心根からの約束である。
しかし、大晦日の掛取りに出かけた小梅の水戸様で、文七は囲碁の相手を命じられ、約束に遅れそうになって気もそぞろになり、慌てて水戸様を飛び出す拍子に50両の金を忘れてしまった、という伏線にもなっている。なるほど、これだと文七が単に碁にかまけて、大事な掛取りの金を忘れる大間抜けにはならない! だから、「何をしても半人前、私なんぞ死んだ方が」と泣き崩れる文七が切ない。また、50両の金を長兵衛は文七の懐にねじこみ、叩きつけたりはしない。これもよき演出だと思う。
そのほか吾妻橋の上では、文七の身投げを止めようと2人がもみ合う際、文七が言う「髷を掴むのは反則です」、50両をやろうかどうか迷うと長兵衛に文七が言う「身投げの冷やかしは止めて下さい」、さらに長兵衛が「50両の金が要るなら芝の浜へ行け!革の財布に50両」などと、おっかしなクスグリも実に楽しい。
お久が長兵衛の娘だと文七が知るのは、最後の達磨横丁の場面になり、近江屋にみうけされたお久が・お召し縮緬に文金高島田の姿で駕籠から出てきてから。
その伏線で、吾妻橋の上で長兵衛は佐野槌の名前は出すが、娘の名前を言わない。この長兵衛の料簡れまた、江戸っ子らしくてカッコ良い。しかも、この展開がラストシーンで活き、「お久さんの言っていた、“ろくでもないヤクザものの親父”というのは親方のことだったんですか!?」という文七のセリフに、長兵衛が怒り出すという、抜群におかしいシーンを作り出している! この『文七元結』は落語である。
話が少し戻って、金があったと知った文七と近江屋の旦那が両国橋を渡り(吾妻橋は渡らない)本所へ入るのは深夜。
そこで近江屋の旦那が「さすが、大晦日だ」という。
このひと言で、道の両側の商店が掛取りを迎えるためつけた灯が、明るく街を照らしだす、江戸の大晦日の風景が眼前に浮かび上がった・・・・圓丈師には昔から独特のポエティックな良さがあるが、その魅力がサラッとひと言で表現され、無限の効果を挙げている。街が単に明るいのではなく、終幕のハッピーエンドを予期させる温かみが街を彩っている・・・三代目三木助師の笹の葉が触れ合う大晦日より、私は好きだ!
達磨横丁を訪れた近江屋は50両の金と、角樽、切り餅を長兵衛に手渡す。正月に相応しい餅の白さが感じられるのがいい! こういうのを「文学的」というのだろう。
しかし、近江屋には「手代までは色恋はご法度」の家訓があり、お久と付き合っていたと分かって文七に暇を出そうとする(「深い付き合いではない」と文七は弁解する)。
この家訓が「近江屋の若い頃の悲恋から生まれたものだ」という述懐が入るけれど、この述懐のみは今回の新演出で、やや蛇足かなと思う。分かりやすいけどね。
みんなが思案投げ首のところへ、浅草寺の除夜の鐘が鳴る。
その音を聞いた近江屋が「私も考えを少し曲げようかと思います。年改まって、少し早いが、約束通り今から文七は番頭。誰と付き合おうと構わない」と文七を許す。
このセリフの伏線として、近江屋の場面で旦那が文七に「来年になったら、上の2人の手代を抜いて番頭にしてやるといってあるだろう」と言ってあるのだが、何という、予定調和の素晴らしさだろうか。
屏風の陰に隠れていた長兵衛の神さんも登場してハッピーエンドになるが、ここで近江屋が「申し送れましたが、新年明けましておめでとうございます」というひと言も実に効果的! 「大晦日」の設定が、全ての憂さを吹き払い、目出度く終わる。
こんなに面白く、落語である『文七元結』を聞いたことがない。大圓朝の時代から、江戸っ子の侠気、憧れを描いW来た『文七』に、新たな血が通い始めた。
これから『文七元結』の新たな時代が始まる予感を感じずには要られない。
長々と妄言多謝
石井徹也 (放送作家)
◇ 三遊亭圓丈公式HP http://enjoo.com/rakugo/ ◇
投稿者 落語 : 2007年12月01日 00:03