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2007年11月27日
師走といえば『芝浜』と『文七元結』 ~その1 三木助『芝浜』の功績~
「師走」という言葉が飛び交うようになると、東京の落語界は歳末の風物を描いた噺の季節に入る。
冬の落語には『富久』『鼠穴』など、名作が多いが、この20年程で頓に演者が増えたのは『芝浜』だろう。
昭和29年の三越落語会で三代目・桂三木助師匠が演じ、芸術祭奨励賞を授与されてから50年余り。今や若手真打からベテランまで数多くの人が『芝浜』を演じる。
特に今年は、12月の上野鈴本演芸場中席で、10日間、日替わりで主任8人(入船亭扇遊師匠だけが3日間演じられる)が『芝浜』を演じる企画がある。どういう個性が発揮されるか、これはちょいと楽しみだ。
私が生で『芝浜』を聞いた記憶があるのは、先代柳家小さん師匠・先代金原亭馬生師匠・三遊亭金馬師匠・先代橘家圓蔵師匠・立川談志家元・古今亭志ん朝師匠・三遊亭圓楽師匠・柳家小三治師匠・三遊亭圓窓師匠・三遊亭圓彌師匠・柳家小満ん師匠・五街道雲助師匠・鈴々舎馬桜師匠・柳家権太楼師匠・古今亭志ん輔師匠・林家正蔵師匠・・・ちょいと数えただけでも、これくらいの高座を拝聴している。
テープでしか聞いていない中では、三代目三木助師が亡くなった時、古今亭志ん生師匠が東横落語会で代演した『芝浜』が印象的である。
談志家元・志ん朝師匠から下の世代には非常に演者が多く、先代小さん師までの世代が非常に少ないのは、三代目三木助師への遠慮だろうか。我ながら意外だったのは、柳家さん喬師匠と春風亭小朝師匠の『芝浜』を聞いてないことかな。
寄席で聞いた『芝浜』も多い。寄席の主任でも出来る長さの噺なのである。
圓窓師など、12月28日、昔の池袋演芸場における下席最終日仲入りでの口演! 因みに、その日の主任の談志家元。高座に上がるなら、「一年の楽日だから『芝浜』を演ろうと思ってきたんだけど、先に演られちまったら仕方ない」とボヤきながら、「『芝浜』じゃないけど、金に因んだ噺を演る」といって『三軒長屋』を演じていた。
『芝浜』に関しては、談志家元の問題提起以降、三木助師匠の「文学的芝浜」に対する反対意見や、「あんな嫁さんじゃ息が詰まる」といった意見が増え、演者それぞれに工夫を凝らして対抗している。ある師匠から「明けて行く空の色を色々と描写するなんて落語じゃない」と直接、聞いたこともある。
私も三木助師の演出が特に素晴らしいとは思わない。だいたい、「文学的」というほどの描写ではない。「文学的」なんて小説に失礼である。せいぜいが「文芸調」くらいのところではあるまいか。尤も、私は談志家元の「飲んじゃえ!」というお神さんと、「この子がお腹にいて」と言い訳をした小三治師のお神さんも苦手なのであるが。
で、逆に私の印象に残っている『芝浜』は三遊亭圓楽師と林家正蔵師の2人。
圓楽師の『芝浜』では、神さんに「お前さん、芝の浜でお金を拾った夢をみたことがあったろう?」と言われた魚勝が「思い出したくねえ。嫌な夢だ」と吐き捨てたのが印象的。「これは圓楽師の性根だな」と感じいった。正蔵師の場合は初演時、「人間は真面目に働かなきゃいけねェ」と魚勝が言った途端、台所で洗い物をしていた手を止めて振り返り、「お前さん今、なんていったの?」と笑顔で言った神さんが印象的だ。可愛くて、抱きしめたいような神さんで、「正蔵師の理想の女性かな」と思った。
「よそう、また夢になるといけねえ」というサゲが、余りにも良く出来すぎているため、どうしてもサゲに向かって行く噺になりがちなのだが、この2人の高座には、「別にサゲなんかなくてもいいや」と思わせる料簡があった。
さて、私の今シーズン最初の『芝浜』体験は10月の『讀賣GINZA落語会』の林家正蔵師匠。寄席では、11月の池袋演芸場夜席。主任で三遊亭金太郎師匠が演じた高座になる。正蔵師の高座は初演とは演出が違い、上記の神さんのセリフがないスタンダードな好演だった。一方、金太郎師匠の高座は寄席サイズで、マクラから30分くらいの口演だったが、久しぶりに聞く純三木助師型の『芝浜』だった。
その高座を聞きながら、私は三代目三木助師のことを思っていた。
『芝浜』はテープや記録の類で調べると、戦後でも八代目桂文治師匠、三代目春風亭柳好師匠、林家彦六師匠、先代三勝亭可楽師匠、先代三遊亭小圓朝師匠、四代目柳家つば女師匠と、演者のかなりいた噺だが、別に主任でなきゃ出来ない大ネタではなかった。
元々が三題噺から始まり、音曲師の演じる噺だったそうだから、サゲの良さだけを変われて気楽に演じられてきたのだろう。圓生師など、「初代の圓右師匠は、僅か12~3分で『芝浜』を演っていた」と、その著作に書かれていた筈である。
しかし、それを立派な大ネタ、主任ネタにしたのは、やはり三代目三木助師の功績である。どんなに文学的過ぎると言われても、初演当時の時代性や「落語」の社会的な扱われ方を考えれば仕方ない面もある。結果的に、賛否両論を呼んだことを含めて、ここまで論じられるネタにしたのは、三木助師一代の力ではあるまいか。
戦後の東京落語界で、演者一代で大ネタにグレードアップしたり、一寸他の演者や若手が手の出しにくい大ネタに変わった噺が幾つあるだろう。『芝浜』の他は、私が思うに、圓生師の『包丁』と、志ん生師の『お直し』『火焔太鼓』くらいではないだろうか。談志家元にも志ん朝師にも、そういう一代で作り上げたネタがあるだろうか?
私も『竃幽霊』や『宿屋の仇討』の方が、三木助師のネタとしてはレベルが上だとは思うけれど、『芝浜』以上の存在感を落語界に提示したネタはない。
歴史的にみて、やはり、「三木助芝浜、恐るべし」なのである。
妄言多謝
石井徹也 (放送作家)
投稿者 落語 : 2007年11月27日 16:16