« 稽古の芸と、本番の芸 ~ 正統ってなに? ~ | メイン | 11月23日は火焔太鼓!その前に、火焔太鼓を☆ »
2007年11月12日
東西芝居噺というエンタテインメント ~東のブラック、西の吉坊~
先月、2日続けて東西の噺家さんによる、芝居掛かりの高座を聞きましたが、これがどちらも東西芝居噺の神髄を感じさせる口演でありました。
最初に聞いたのが快楽亭ブラック師匠の『英国密航』。浜松町かもめ亭での口演。
『英国密航』は元来、浪曲で故・廣澤瓢右衛門老の十八番で、立川談志家元が絶賛していたネタで、私も東横劇場などで瓢右衛門先生の口演を聞いています。それを現在の国本武春先生が復活継承した後、台本を小佐田定雄氏に依頼してブラック師匠が落語化したとか。
井上聞太(後の井上馨)や伊藤俊輔(後の博文)ら、長州藩の若い武士5人が藩主から命じられ、幕府の御禁制を破って、英国密航を企てる幕末青春ストーリー。途中で村田蔵六(後の大村益次郎)に金策を頼んだり、英国商人に密航を頼んだりと、テンヤワンヤの挙句、日本を出港して英国ロンドンに着きます。特に、横浜を出港してから、遠州灘・上海・大西洋・ドーバー海峡・ロンドンまでの航路が英語混じりの道中付けになり、これが珍無類で楽しく、瓢右衛門先生のいわば聞かせ所になっておりました。
ブラック師は序盤から快調に、5人の若い武士のテンヤワンヤを、ブラック師ならではの諧謔を入れて、熱くおかしく語ってくれましたが、今回は節になっていた最後の導中付けをやめ、今回はまず5人の後の人生を紹介するパートを新たに挿入。いわば、映画の『アメリカン・グラフィティ』や『フロント・ページ』のラストみたいなものをプラスしています。
そこから再び小佐田氏の台本に戻ると、これがラスト、ロンドンに着いた5人がテムズ川河畔に立つ場面に置き換えられているという具合。しかも歌舞伎の『白浪五人男』の「稲瀬川勢揃い」の場のパロディになる大胆な改作!で、5人の武士が名乗りを上げる。これが無茶苦茶に面白かった!更に今回は、かもめ亭の松本尚久氏の提案もあり、ラストのツラネが「下座入り・完全版」のスタイルになっていました。このラストの下座入り「稲瀬川勢揃い」の場のパロディが、近年の東京型芝居噺の傑作!
だいたい、東京の芝居噺や芝居掛かりを使う噺は、ネタの切れ場(ラストシーン)で、下座が入り、それまでの噺口調から、歌舞伎の七五調科白に変わるのが特徴です。
演劇史的な歴史考証でいうと、「値段の高い歌舞伎を見られない庶民に、歌舞伎の雰囲気を味合わせることで人気を集めた」という事になりますが、それはあくまでも歴史考証。演者の心得はちょいと違うと思います。
東京の芝居噺の場合、芝居そのものを見せるのではなく、あくまでもパロディ。
そこで後ろ幕を落として遠見の背景を出したり、七五調科白を演者の特異な役者の声色で言ったりしたものであります。つまり、大切なのは「おとなの遊び心」なのですね。
だから、下座の音はあくまでも寄席の三味線や太鼓で構わないし(幕末に三遊亭圓朝師匠は、高座脇に長唄の三味線を数人置くという演出をしたこともありますが、それはまた別のイベント)、下座の音が多少ズレでも平気。あくまでもお客が楽しめればよいのです。
故・三遊亭圓生師匠は、そりゃあ決めの形などは実に綺麗でござんしたが、音が真面目な方だったため、本格的な芝居の三味線や鳴り物を使おうとしたり、下座のキッカケにもうるさかったそうです。それじゃ芝居噺の本道であるパロディが後ろに隠れてしまうというか、寄席の芸としては「ヤ~ボ」ってもん。あくまでも「ご趣向」なんですから。
近年、東京で芝居噺を演る方は、どうも圓生師型の「芝居を本格的に見せなきゃいけない病」に罹るようで、生真面目で洒落っ気に乏しいのが難。稽古段階で、キチンと覚えるのはいいけれど、それはあくまでも稽古の芸。実際の高座では「自分の噺」をしなきゃいけません。
だいたい、悪いけど歌舞伎の役者さんと噺家さんではご面相が違いましょ。「そこまで本格が好きなら、いっそ歌舞伎の化粧でもすりゃいいのに」と私などは思ってしまうのですね。そこは下座でキッカケがズレても平気で、自分がズレた下座に合わせていた林家彦六師匠の方が「落語の芝居噺」としては本道であります。
で、今回のブラック師は銅鑼の音、波音、鳴り物を背景に、出港後、ロンドンまでの船旅の場面で5人の武士の明治以降の姿を語るとロンドン到着。
そしていよいよ最後のテームズ河畔へ。5人の武士がロンドンブリッジに立つと、スコットランドヤード(笑)が取り囲み「フリーズ!」と声を掛ける!という大パロディで笑わせる。この小佐田台本の抜群のパロディ精神は凄い!三谷幸喜氏の傑作に匹敵します。
そこに太鼓が入り、「ホワット・ユア・ネーム?」(笑)と、捕り方に問われた5人が、「稲瀬川の場」と同じ鳴り物で(当り鉦も入る)、歌舞伎をパロったツラネを語り、それぞれが見得をするとツケ打ちも入る!最後に5人全員の「ならば手柄に、捕らえてみよ」の科白で再び太鼓を打ち、ツケ打ちで立ち回り。最後にトンカランと決まると、拍子木をチョンチョンで、「英国密航まずこれまで」という幕切れ。
ブラック師は落語界NO.1の歌舞伎通として有名ですが、噺家が「マジで芝居する」ことにテレちゃうという「正しい東京人感覚」の持ち主。であるからして、己の歌舞伎知識に縛られず、形はあくまでも歌舞伎風にとどめ、悠々と嬉しそうにツラネを語り、楽しげに見得をして、ツケ打ち主導で立ち回りを演じるといった具合なんです。
かくして、大仕掛けながらテンポのよい、軽い洒落っ気が溢れた芝居噺を演じて、彦六師系の正しいパロディぶりを発揮!という絶妙のセンスをみせてくれましたし、その「おとなの遊び心」の楽しさが客席にも伝わってくるのが、「落語」として素晴らしかった!これぞ、落語ならではの超エンタテインメント!
声色が得意な人なら、5人のツラネを役者(今なら有名人でも構わない)の声色で演じるという展開も考えられ、また東京の芝居噺では下座さんの弾く曲はあくまでもBGMで、上方版『立切れ』で使われる地唄の「雪」のように、作品内容と絡まないのが惜しいとも思いますけれど、まずは近年、この『英国密航』以上に面白い東京型芝居噺はありませんでしたね。
江戸から伝わる東京落語の洒落っ気、パロディ精神、エッセンスがタップリで、50分の長丁場にも大満足!であります
さて、その翌日聞いたのが上方の桂吉坊さん。浅草見番寄席「吉坊の会」での『蛸芝居』。
実は前日の『英国密航』でツケを打ってくれたのが吉坊さん。さすが米朝一門!踊りや鳴り物に関する修練が違います。
で、『蛸芝居』の話。『七段目』などに近い、芝居好き(というより芝居オタク)が集まった商人の家で、登場人物ほぼ全員が次から次へと芝居掛かりで遊び始めちゃう。遂には、魚屋の持ってきた蛸までが芝居を始めるという、これはまた落語でないと出来ないという、バ~カバカしさに溢れた、上方落語ならではの怪作、いや快作。たしか、ブラック師の『英国密航』の台本を書かれた小佐田定雄氏も、「一番好きな上方落語」に挙げていらした筈です。
ただし、正式にいうと上方の芝居噺は“ある芝居を一幕、30分ほどで演じてみせるネタで、ギャグは非常に少ない”もの。『蛸芝居』はあくまでも「芝居掛りになる落語」というべきかな。とはいえ、芝居掛りになる場面の豊富さは東京の芝居噺より遥かに多く、多彩なネタです。
この『蛸芝居』、近年では故・六代目笑福亭松鶴師匠の十八番でしたが、私は残念ながら直接拝見する事は出来ず、これも亡くなった桂文枝師匠が落語研究会で東上された際、拝見しおります。そして、吉坊さんの師匠である故・桂吉朝師匠も得意にしていたネタでした。
因みに東京の圓生師も子供時代、上方出身の三代目圓馬師匠から習って、この噺を演じられており、文枝師が研究会で口演された際、「子供の頃に演ってたんだ。懐かしいな」と、彦六師を誘い、揃って高座の袖から文枝師の口演を聞いていたというエピソードも残ってます。
吉坊さんの『蛸芝居』は多分、吉朝師譲りでしょうが(すみません。吉坊さんに確かめるのを忘れました)、科白や鳴り物に関しては、松鶴師や文枝師と殆ど違いません。
たとえば、芝居好きの魚屋が手に持った手拭いをクルクルと回しながら、派手に登場する辺りは二代目実川延若の芸風を取り入れた松鶴師系の演出でしょう。
また、店の小僧が赤ん坊を抱きながら芝居の真似を始め、見得をした瞬間、赤ん坊を放り投げる演出は、なんと明治時代の三友派の演出を殆ど引き継いでいます(元々の演出は赤ん坊をおぶっていたのではなかったかな)。米朝師は三友派の流れを引く方ですから、これはいわば直系の演出ですわ。
演出の話はさておき、童顔という持ち味もあって、店の小僧から蛸に至るまで、芝居オタクたちが「いい気持ち」になって芝居に興じる様子が如何にも可愛らしく楽しいのが、吉坊さんの『蛸芝居』の特徴。私が聞いた印象では、文枝師匠より吉坊さんの方が面白かったです。
吉坊さんの方が面白かった訳の一つには、上方の芝居噺の特性があると思います。
元来、上方の芝居噺は明治時代、初代桂文我師匠が始めたものですけれど、その後は、声変わりの時期に子役の噺家が「声を整え、形を覚えるために演じるもの」になりました。
米朝師も書かれていましたが、確かに戦後、東西で上方の芝居噺を演じた先代桂小文治師匠、笑福亭福松師匠、四代目桂文枝師匠、先代三遊亭圓馬師匠、花柳芳兵衛師匠(元先々代・桂小春團治)は、子役からの噺家さんばかりです。
つまり、先ほどのブラック師の『英国密航』が示してくれた、東京の芝居噺の「おとなの遊び」とは真逆の、「子供ならではの出し物」という点に、上方の芝居噺は展開したのですね。
この「芝居噺は子役が演じるもの」というスタイルをさらに遡ると、上方歌舞伎の古い「ちんこ芝居」にたどりつくのかな?と、私などは思います。「ちんこ芝居」も声変わりの時期の子供がするものですが、こちらはチョボの太夫さんに任せて科白は全く言わず、身振りだけをして「義太夫物」の基本を覚えるための芝居です。でも、その可憐さが、ちゃんと観客を集められる一つの興行ジャンルになっていたようです。
吉坊さんの「ニコニコ」という言葉がピッタリの童顔を彩る表情と(『サザエさん』のカツオみたいな顔してはりますねん)、小柄な体を一杯に使って決まる形の良さには、まさしく「ちんこ芝居」を思わせる可憐さ、可愛さ、楽しさがありました。
その可愛さが醸し出す楽しさは文枝師の『蛸芝居』や、林家染丸師匠の『昆布巻芝居』にはなかったもので、上方の芝居噺をこんなに楽しんだのは、私にとっては初めてであります!
いえば、上方の芝居噺や芝居掛の落語は「童心」を楽しむ、伝統のエンタテインメントなのかもしれません。その意味では、吉坊さんの『蛸芝居』、まさにピッタリでした!
ブラック師の『英国密航』も、吉坊さんの『蛸芝居』も、東西を通じて芝居噺の楽しさとは、科白や踊りの精巧なテクニックを楽しむのではなく(テクニックはあくまでもベースです)、「おとなの遊び心」や「童心」の描き出す無邪気さから生まれるものなのかも・・・そんな思いを感じている今日この頃の私なのであります。
長々と妄言多謝
石井徹也 (放送作家)
投稿者 落語 : 2007年11月12日 14:28