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2007年10月08日

寄席の色物に、本当の名人芸あり!

 最近は、寄席にあまり馴染みの無かった新しいお客さんが増えたせいか、曲芸や音曲などの色物に感心したり、驚いたりする姿をよく見かける。
 寄席というのがヴァラエティの場所だって意味では真に嬉しいリアクションである!

 だいたい、落語は同じ噺家さんでもネタによって変化がつくけれども、色物さんのネタは数が少ないから大変だ。しかも、噺家さんと違い、「最初は前座レベルの芸でいい」という訳には行かず、さらに「落語の合間の息抜き」って良さが何処かにないと寄席の色物としては重くなる。で、そういう芸が成熟すると、“中毒するような面白さのある名人芸になる”のが寄席の色物さんの最大の魅力なんだよね。

 私が寄席に通いだしてから30年程の間で、個人的な“色物さんダントツ第1位”は紙切りの現・林家正楽師匠。寄席色物界の至宝と呼びたいくらい好きなんである。
 ナニが魅力って、正楽師は注文を断らない。先代・正楽師匠は「藤娘」「土俵入り」など決まりきったレパートリー以外は殆ど切ってくれなかったけれど、正楽師は前々名の一楽時代から、新しい話題を取り入れ、お客の注文に必ず挑戦してくれていた。この精神が、二楽師匠たち後輩にも引き継がれているのは嬉しい。

 その代わり、難題だと切るのに時間もかかりますよォ。昔の池袋演芸場なんて、私も含めて“寄席変態”みたいな客ばかりだったから、とんでもない注文が出る。私が実際に見た高座では、一楽時代に最高で10分くらいかけて切った事がある。その注文は「鉄腕アトムとオバケのQ太郎が並んで飛んでるとこ」ってんだから、これを見事に切った正楽師は凄い。「ドラエモンの顔」は早くから師の十八番で、子供のお客に大受けだったけれど、矢張り一楽時代、池袋に正楽師が注文に応えてドラエモンを切り始めたら、いきなりお囃子さんが「あったまテカテカ」と『ドラエモン』のテーマを弾きだした。一瞬、切っていた師の手が止まり、ビックリして囃子場を見たのを今も記憶している。寄席のお囃子さんがお客の注文にちなんだ曲を弾くようになり、寄席の楽しさを更に増したのも、正楽師あっての事なんである。

 最近は注文されないけど、先代小さん師匠や林家彦六(先代正蔵)師匠の顔を正面から切った作品も絶品!私は20年以上前、池袋で注文をして切って戴いた彦六師匠の顔を、今も『正蔵一代』の本に挟んで、宝物のように保管しておりまする。

 第2位は漫才のあした順子・ひろし先生。私が寄席に通いだした頃、既に面白い漫才だったし、面白さは今も変わっていない。当時は今ほど売れてなかったから、割と浅い出番が多く、普通のお客さんもテレビとは殆ど無縁だった2人を知らないから迎え手も少なかった。けれど、客席爆笑のうちに高座が終わっての送り手は図抜けて多かった辺り、「聞けば分かる」名手だった。
 御2人の漫才は短いネタが千変万化しながら繋がって15分の高座になる。順子先生がパッとネタを振ると、ひろし先生が見事に受ける。どのネタからどのネタに飛ぶかの妙味が、その日のお楽しみ。だから毎日聞いても全然飽きさせない。一定の流れのストーリーは聞いてて飽きちゃうのである。
「ヨット鉛筆」「手頃な店だな」「小銭をよ」「宝塚出身なの。雲組」など、黒門町の文楽師匠に匹敵する順子・ひろし先生のフレーズの多さ。寄席の漫才はこうでなくちゃね。最近、大瀬ゆめじ・うたじさんやWモアモアさんの  漫才が「如何にも寄席の漫才」らしくなってきたのは嬉しい。

 第3位は個人的な好みだけれど、手品のアダチ龍一先生。特に龍一先生のチャイナリングは毎日見ても私は飽きないくらい好き!「外れる訳のない物が外れる。この瞬間が手品なんです」という温顔の口上には惚れたね!
 特に、昔の池袋などで子供のお客がいると畳敷きの客席まで降りて、子供の目の前でチャイナリングを外す。ビックリして子供の目が真ん丸になる。この瞬間が寄席だった。

 その他にも、亡くなった春風亭枝雀師匠の音曲や千加松人形・お鯉コンビの女道楽、全く口をきかない東富士夫先生の曲芸や海老一染之助・染太郎の笑わせる曲芸、現在も健在の林家ペーさんの漫談、昭和のいる・こいるさんの漫才など、私の年齢でも心に残る「寄席の色物名人芸」は少なくない。良い色物さんってのは、寄席の流れをスムースにしてくれる、大切な存在なのであります。


                                    石井徹也 (放送作家)

投稿者 落語 : 2007年10月08日 14:23