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2016年10月03日
箱根駅伝2区を走った大谷遼太郎選手がトライアスロン転向
■10月3日の放送は・・・
陸上・長距離から トライアスリートへ
大谷遼太郎選手 登場!
この日のゲストは、青山学院大学OBで
「出雲駅伝」「箱根駅伝」にも出場し
大学卒業、実業団入りから3年後の今年
トライアスロンに転向した大谷遼太郎選手。
競技を変えた理由や、
転向して感じたことなどを伺いました。
◆◆ 大谷遼太郎選手 プロフィール ◆◆
1990年、埼玉県出身、現在25歳。
1歳から水泳を始め
小学5年の時には「50メートル自由形」で全国大会出場。
中学時代はバスケットボール部に所属。
浦和実業入学と同時に陸上を始め
青山学院大学では
3年時の「箱根駅伝」で10区・区間7位。
4年時の「出雲駅伝」で4区区間賞(当時の区間新記録)で
チームの初優勝に貢献。
2013年の最後の「箱根駅伝」では、エース区間2区で区間5位。
大学卒業後は、実業団・トヨタ紡織に進み
今年まで3年連続「ニューイヤー駅伝」に出場。
その後、トライアスロンに転向し、
3月の 日本トライアスロン連合(JTU)認定記録会で、
日本歴代3位相当の好記録をマークし、
JTU強化指定選手の資格を取得。
今年7月のデビュー戦では、バイクで落車し途中棄権。
2020年 東京オリンピックでのメダル獲得が目標。
10,000mの自己ベストは「28分46秒02」。
(年齢、記録は 放送日時点)
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◆ トライアスロン転向
陸上・長距離からトライアスロンに転向した最大の理由は
「東京オリンピックに出たい」から。
大学時代の目標「箱根駅伝」は
努力次第で勝てると思えたそうですが
実業団入りして目標が「オリンピック」へと変わった時、
そのあまりにも大きな夢の前では
勝てるイメージができなかったそうです。
また、大学時代に参加した実業団の合宿に
トライアスロンで北京オリンピックに出場した
山本良介選手が参加していたことから
選択肢の一つとして意識していたとのこと。
岩本 「決断に、勇気いった?」
大谷 「異業種に挑戦する怖さはありました」
◆ トライアスロンの魅力
スイム、バイク、ランと3つの種目を連続して行う
トライアスロンは
「ゲーム性、駆け引きがあるところが面白い」と語る大谷選手。
また「足し算」のスポーツではなく
何か一つの種目がダメでも
「×1」「×0」になってしまう。
「掛け算」のスポーツ――と感じたそうです。
トライアスロン転向後「驚いたこと」としては
「スイム」でのスタート直後などに、
ほかの選手と、腕が接触することや
足を引っ張られることも当たり前であること。
岩本 「水の中だから・・・」
大谷 「わかんないんですよね。
それも戦略なんで、
足を引っ張られながら
『面白いな』と思って・・・。
陸上ってそういうのなかったんで」
◆ 箱根駅伝のコースを通って・・・
転向1年目の夏、大谷選手は
埼玉の自宅から、片道約80kmの逗子まで
自転車で通い、海で2時間泳いだのち
自転車で帰る――という練習をしていたそうです。
この時、かつての箱根ランナーは
練習のモチベーションを上げるために、
「箱根駅伝」1区、2区のコースを
選んで走りました。
大谷 「昔の(箱根駅伝優勝を目指した)
そういう気持ちを忘れないように
やってたんです」
大谷選手は現在
実業団の所属を離れフリーで活動。
練習はひとりで行うこともあれば
サポートしてくれる仲間の力を借りたり
ほかの選手の練習に参加したりと
大谷 「オリンピックに出た方や
青学の原(晋)監督、
前の実業団の監督、
いろんな方が支えてくれて
ワガママができているので
そういうことを忘れずに、
しっかりやって(いきたいと思います)」
投稿者 文化放送スポーツ部 : 2016年10月03日 18:30