2009年02月23日
神宮の奇跡
この本には、昭和33年の秋に起きた
まさに『奇跡』としか言いようがない出来事が書かれています(;゜O゜)
アマチュア球界の最激戦区・東都六大学野球の一部リーグで
たった一度だけ、学習院大学が優勝したことをご存知でしょうか?
スポーツ推薦の枠がないため、プロを目指す選手はおろか
甲子園の経験者も見当たらず
公立高校出身の浪人生も少なくありません。
ましてや、合宿所もなければ雨天練習場もなく
専用のバスも持っていないため
試合会場には重い荷物を背負って各自が電車でやって来ます。
これだけ恵まれない環境にあった学習院大学・野球部が
昭和33年・秋の東都六大学リーグ戦で
中央大学・日本大学といった強豪との
「三者同率・優勝決定戦」を制したのです。
あろうことかこの戦いは
一度ならず二度に渡る総当たりでも
3チームが並んでしまい決着がつかず
ようやく3回目の優勝決定戦で
名も無き選手が集まったチームが頂点に立ちました。
どう考えても“奇跡”ですよね。
主人公はいません。
ただし、3年生のエース・井元(いのもと)俊秀投手の
数奇な人生については多くのページが割かれました。
分厚いレンズの黒縁メガネをかけて、サイドスローから
決して速くはないクセ球を投げるタイプだったので
威圧感はありません。
しかし、彼はどんな場面でも決して臆することなく
打者へ勝負を挑んだのです。
第二次世界大戦の後、朝鮮半島から引き揚げて来るまで
過酷な少年時代を経験した人物ならではの「度胸」が
彼のピッチングを支えていました。
ソ連軍に捉えられた後、収容所から
家族全員で命を懸けた脱走を図りながら
幼い妹を2人も亡くし、挙句の果てには父まで失い
悲しみに暮れる当時まだ9才だった井元投手は
【火垂るの墓】の清太の姿とダブってしまいます。
真夜中に朝鮮半島の“38度線”を
海岸線から歩いて突破しで、祖国・日本へ戻るような
ギリギリの人生を子供の時に味わった彼にとって
マウンドでピンチを迎えるたびに
『命までは取られるわけじゃない』と考えることは
極めて自然だったのかもしれませんね。
キャプテンは、ショートストップ・田辺隆二選手。
紀伊国屋書店の創業者・田辺茂一(もいち)さんの次男です。
“銀座の帝王”と呼ばれ、破天荒な生涯を送った父親は
彼が3才の時に離婚したため
田辺選手は母親の顔を知らずに育っていきました。
その寂しさを紛らわせてくれたのが、野球です。
抜群のセンスで、学習院・中等科時代から目立つ内野手でした。
高等科に進んだ田辺選手は、同じグラウンドを使う縁もあって
大学の野球部員から直接指導を受け、メキメキと頭角を表していきます。
そこには、当時の大学球界を代表するピッチャー
草刈廣(ひろし)投手の存在があったのです。
草刈投手は、現在の天皇陛下
(当時=明仁皇太子殿下)のご学友でした。
お側に仕える教育係の男性が
東宮御所で、中等科に在籍していた皇太子殿下に
野球の手ほどきを行なった縁から
一緒にキャッチボールをしたのが野球との出会いです。
共に大学へ進み、草刈投手がエースとして活躍する野球部へ向けて
現在の天皇陛下は、4年間、神宮球場のスタンドから
大きな拍手と声援を送られました。
その間に、東都六大学野球名物である
熾烈な入れ替え戦に勝った学習院は
昭和27年・春のリーグ戦の後、悲願だった
「一部への昇格」を果たすのです。
大黒柱・草刈投手の卒業後、野球部には
早稲田実業で甲子園、早稲田大学では早慶戦
社会人時代は巨人軍の沢村栄治投手と何度も対戦した経験を持つ
島津雅男監督が就任します。
帝国陸軍の軍人として“二.二六事件”“南京攻略戦”など
多くの歴史的事件に関わりながら命を永らえ
東京大空襲の真っ只中でも辛うじて生き延びてきた
とんでもない強運の持ち主です。
こうして、学習院大学が起こす
【神宮の奇跡】へのお膳立ては整えられていきました。
とはいえ“戦国東都”でのし上がることは決して簡単ではありません。
念願の昇格から6年間、辛うじて一部に踏みとどまっていた学習院は
昭和33年・春のリーグ戦でとうとう最下位に沈み
二部リーグの優勝校・芝浦工大との入れ替え戦に廻ってしまうのです。
『奇跡』は、その年の“秋”に起こります。
つまり、春の入れ替え戦で“一部残留”を決めていなければいけません。
そういった流れは理解しているのに、ページをめくるたび
「本当にこれで勝てるのだろうか?」と
読者が疑ってしまうほどの窮地に学習院は立たされます。
≪第9章 血染めのボール≫で描かれていた風景は
まさに修羅場そのものでした。
文字通りの死闘で生き残ったチームには
最後の最後まで勝利を追及する”真の粘り強さ“が芽生えます。
だからこそ、秋のリーグ戦で「第2週までは勝ち点ゼロ」という状況から
『奇跡』は起きました。
そして、優勝決定戦のスタンドにお出ましになり
後輩に大声援を送られた現在の天皇陛下は
『奇跡』からわずか3日後の昭和33年11月27日
突然、ご婚約を発表されたのです。
母校野球部の逆転劇と、まるで同時進行していたかのようなお話は
≪第15章 もう一つの「逆転劇」≫として収録されています。
当時の部員達は、皆、70才を過ぎました。
彼らのその後を描いたくだりも、心にじんわりと染み渡ります。
壮大なファンタジー小説にも思えるノンフィクションです。
野球ファン・日本史マニアの方にオススメします。
投稿者 斉藤一美 : 2009年02月23日 11:31