2007年04月11日
《ヒーロー》こそMy Song
今、早春の仙台に来ています。
榴ヶ岡(つつじがおか)公園は、名物の枝垂桜がほぼ満開。
楽天イーグルスの本拠地・フルキャストスタジアム宮城は
ここから目と鼻の先です。
昭和の香りを色濃く残していた仙台宮城球場を一新して
増改築を繰り返していましたが
3年目の今年、ついにダッグアウトに手を加えました。
ほら!
まるで飛行機の座席です(m`∀´)m
革張りで、お尻もポカポカと温かく座り心地は100点満点。
おまけに背もたれは“リクライニング可能”ときました( ̄ー+ ̄)
この、野球のベンチとしては半ばムダなオプション機能に
西武ライオンズの選手たちは子供のような笑顔で
入れ替わり立ち代わり試し座り。
試合中にうっかりのんびりしてしまい、スポーツ選手に不可欠な
戦闘意欲が削がれるのではないか、と心配です。
さて・・・
僕は、文化放送のアナウンサーの中でも
かなり暑苦しい“武闘派”だと自負しています。
たぶん学生時代にラグビーをやっていたからでしょう。
でも、大した運動神経も持ち合わせていないうえに
中学校では帰宅部だった男が競技を楽しめるほど
高校のラグビー部は甘い世界ではありませんでした。
毎日、何かに怯えながら練習していた記憶が
今でも生々しく残っています。
そんなヘタレラガーマンの僕が変わるきっかけを作ってくれたのが
ご存知スクール☆ウォーズ。
その中のワンシーンに・・・・・
『ボールを持ってこちらに突進してくる相手が
怖くて怖くてたまらない。
だから、どうしても
試合でタックルすることができないラグビー部員が
深夜、一人で神社の大木に向かってタックルの特訓を繰り返す』
・・・・・というものがあったのです。
ハハ・・・バッカじゃねーの・・・・
そんな練習・・・・・肩を痛めるだけじゃん・・・・・・・
と思いながら号泣したあの高1の夜は
何と安易で単純な、と言われようとも、臆病だった僕の心に
「戦いの種」を植えつけてくれた大切な瞬間だったのです。
バックにかかっていたのは、もちろん《ヒーロー》。
大学のクラブチーム時代には、試合に向かう小田急線の車内で
テープが擦り切れるくらい何度もリピートして聴きました。
3年前、番組の企画でピアノの弾き語りをした時には
「自分が一番感情的になれる曲」という理由で選んだこともあります。
《ヒーロー》は、僕の原点なのです。
【斉藤一美 ラジオ☆かぶりつき】最終回のエンディングで
リスナーの皆さんから頂いたメッセージを読んでいたら
いきなり、速射砲のようなエレクトリック・ドラムの音に続いて
リズミカルにキーボードの鍵盤を叩く曲のイントロが聴こえてきました。
え?《ヒーロー》じゃん!
何これ?あ、そう!今日限定のエンディング・テーマなんだ。
しかもこの音質はボニー・タイラーの原曲じゃないな。
スクール☆ウォーズの主題歌の方だよ!
『この物語は・・・』
ハハハ、芥川隆行のナレーションやっちゃうよ!
ダメダメ!この曲に乗って喋るなんてムリだよ。
オレにとって大切な歌だもん。
それではお聴き下さい。
麻倉未稀・・・《ヒーロー》!
(~▽~@)♪♪♪愛は奇跡を~
・・・・って何で“生”の声が聞こえてくるの?
うわっΣ( ̄ロ ̄lll)
この期に及んで、まさかの『ご本人と一緒』に腰を抜かしてしまいました。
“スクール☆ウォーズ”ファン多しといえど、麻倉未稀さんから
サイン入りラグビーボールを手渡された方って
そうそういないですよね(≧ω≦)b
相方・仁井聡子に促されるまま、その場で助走をつけて
スタジオ内で回転トライを決めてしまいました。ほとんどアホです。
こんなハチャメチャな最終回、一生忘れることができません(#^.^#)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
1週間後の4/7、麻倉さんのライブを拝見しました。
フラメンコ・ギターの情熱的な調べに乗せて激しく語りかけるように唄った
《ヒーロー~スパニッシュ・バージョン~》に思わず身震い。
日々「戦っている」からこその歌声に、力をもらった気分です。
あ・・・出演情報の3/31の欄・・・事前に見なくてよかった┓( ̄∇ ̄;)┏
投稿者 斉藤一美 : 2007年04月11日 23:45