2006年11月30日
ケーブルカーで大喜び
仲の良い親戚一家が春に転勤した縁で
生まれて初めてサンフランシスコに行って来ました。
ただ、一度夏休みを頂いた身です。
しかも管理職(恥ずかしながら次長補佐)。
この時期、おおっぴらに長期休暇を取るわけにもいかず
日曜の夕方に日本を発ち、水曜の夜に帰国する2泊4日の日程で
半ば強引に遊んできた、というわけです。
W杯の弾丸ツア-と比べれば明らかに恵まれていますが
時差ボケになるヒマもなかったので
“地味な強行軍”だったのかもしれません。
さて、サンフランシスコ。
日本の緯度で言うなら新潟や佐渡島。
シュワちゃんが知事再選を果たしたカリフォルニア州の中でも
西海岸のド真ん中にあります。
《霧の街》としてあまりにも有名です。
夕暮れのゴールデンゲート・ブリッジ。
遠くから眺める霧がこれほど幻想的だとは思いませんでした。
日が沈んだ後の夜景も美しく
ホテルの部屋に帰るのがもどかしいくらいです。
夏は涼しく、冬が暖かい理想的な気候・・・
都会と表現するにはやや小ぢんまりとした街の大きさ・・・
目の前に広がる海の恵みをフルに生かしたシーフードマーケット・・・
アメリカ人の国内観光地として人気№1なのもうなずけます。
しかも、アップダウンの激しい起伏に富んだ地形です。
代表格は、S字カーブが続くロンバードストリート。
アジサイの季節なら、もっと綺麗だったでしょうね。
このくらいの坂はここら辺ではミドル級です。
サンフランシスコで駅伝をやったら
箱根よりも劇的なドラマが生まれそうな気がしませんか?
だからこそケーブルカーが重宝するわけです。
今から150年近く前、この街で重い荷物を引いていた5頭の馬が
事故で命を落としたのをきっかけに
『急な坂の多い土地に合った交通網を創るのが急務だ!』
という機運が高まりました。
結局、線路の下に張り巡らせたケーブルを強力なモーターで回転させて
時速15㌔前後で乗り物を引っ張る仕組みが開発され
今なお、サンフランシスコの象徴として働き続けているのです。
ところが、1906年に起きた大地震で街は壊滅的な打撃を受け
8路線あったケーブルカーも使いものにならなくなりました。
これをきっかけに、より速く、より多くの人を運べる
バスや路面電車が走るようになったのですが
『それじゃあ
味気なかろうぜ!』
と市民の皆さんが立ち上がり募金、募金、募金の嵐。
おかげで20年ほど前に3つの路線が復活したからこそ
趣深いサンフランシスコの街並みが維持されているのです。
2両編成の車内は観光客を中心に超満員。
先頭に座っている僕の体は歩道を向いています。
進行方向は左側です。
ゆっくりと坂を登るごとに、僕のお尻もジリジリと右側にズレていくので
目の前のデッキに立つ外国人のオバチャンたちもニヤついています。
背後には、真っ黒なグリップ1本でケーブルカーを動かす運転手。
『ハッハーッ!オレはランDMCのメンバーだぜぃ!』と言われれば
何となくうなずいてしまいそうな年恰好の大柄な黒人です。
ということは・・・・・
やっぱりノリが
ファンキーでした。
尖塔のビルとして有名なトランスアメリカピラミッドが
同じ目の高さで見える坂の頂上から・・何と、何と、ノンブレーキ!
その時の模様を聴いて下さい。
これぞ、ジャパニーズ・バカ。
アジアの恥。
ま、楽しかったからどうでもいいですけど。
これだけ笑えて目的地にも着いて5ドルなんて
ゼッタイお得です。
投稿者 斉藤一美 : 2006年11月30日 14:27