2006年07月02日
エースの入口
これ、巨人戦の中継で見たことありませんか?
東京ドームのダッグアウトにある、ブルペンとの直通電話です。
投手コーチが、この受話器をとる機会がない試合は
大体エースが投げています。
以前、解説の西本聖さんから教わり、僕が深く胸に刻んでいる
『エースの条件』は、以下の通りです。
【9イニングを任せられる先発投手】
【調子が悪くても、大崩れしない投球でしのぐ】
【大事な試合は、必ず、勝つ】
【チームメイトから絶大な信頼を得る】
【1年だけでは、エースと呼べない】
【2年続けば、エース“格”】
【3年活躍して、ようやく、エース】
ですから、松坂大輔はルーキーで最多勝のタイトルを獲りましたが
しばらくの間、西武のエースは西口文也だったのです。
そう考えると、楽天・一場靖弘がエースなんてとんでもありません。
どんなに右肩痛で苦しんでいても、岩隈久志ということになります。
ならば、西本聖さんも、昔は巨人のエースです。
だから、本人のこの告白には、正直耳を疑いました。
「エースは江川さんだったんだよ。
“江川・西本”とは言われるけど
“西本・江川”とは言われなかったからね」
西本さんは、当時、江川卓との二枚看板でチームを引っ張っていました。
父の影響で、中学時代は熱狂的G党だったこの僕が断言します。
開幕投手を2人が交互に務めた時期は
西本のシーズンなら優勝、江川の年だとV逸だったのです。
そうでなくても大事な試合で勝っていたのは
江川ではなく“西本”でした。
ただ、悲しいかな、エースは周囲が決めるもの。
それ以来、西本さんの持論には
【エースはチームに1人だけ】が加わりました。
【だから“右のエース・左のエース”というのは間違いなんだよ】
とかく、エースを作りたがるマスコミ側の人間として
耳の痛い言葉だったことを記憶しています。
今、巨人のエースが上原浩治であることに
異論をはさむ余地はありません。
でも、宿敵・阪神相手にプロ初完封を成し遂げた内海哲也は
ついに、エースの入口に立ったと確信しています。
連敗を「10」で止めたのはいいが、今日勝たないと
全く意味が無くなってしまう大事な試合を、見事に制したからです。
次代のエースを目撃する幸せ。
この仕事をやっていて良かったな、と思える瞬間です。
ここは、ドームの入口。
長~い腰ひもに、汚れたジャビット人形を結わえつけて
地面をひきずりながら歩いてくる阪神ファンの姿を見かけました。
ゼッタイ、巨人をやっつけたるわ!っていう凄まじい執念です。
このマスコット達が目撃していないことを願います。
投稿者 斉藤一美 : 2006年07月02日 23:25