2006年03月20日

1974年・WBC日本代表

同じユニフォーム姿の王貞治とイチロ-とのツーショット。

こんな夢みたいなことが実現したなんて
何て素晴らしいことだったのだろう・・・・・・てなことを
心底、決勝前日の記者会見で感じ入った一日でした。

2009年の第2回。
2013年の第3回。
この先、ワールド・ベースボール・クラシックが開催され続けても
もう“昭和&平成のスーパースター揃い踏み”は
見られないかもしれないのです。
だから今日の会見はしっかりと目に焼きつけよう、と思いました。

イチローは、王監督の「プライベートとパブリックのイメージ」が
全く変わらないことに大きな驚きを覚え
バッティングを簡単に思えたことはあるのか、と尋ねた時に返ってきた
“そんなことはなかった”という言葉が
「勇気を与えてくれた」と明かしていました。
世界の王貞治も自分と同じだったことが分かったからです。

王監督は、日本では、イチローが
自分のことしか考えていない男と見られていたが
このWBCで、とても熱い感情を
持っている人間であることが分かってもらえて
「誤解が解けた」と喜んでいました。

さらに、イチローは、ハッキリと語るのです。
「メジャーのダッグアウトは汚い。日本を見習って欲しい(爆笑)。
 でも、ゲームへの情熱はメジャーの方が大きい。
 野球に対して冷めた人間がほとんど見当たらないので
 自分がついていくのが精一杯なくらい」
この言葉を、日本のプロ野球選手たちが
どう解釈するのか楽しみです。

ハンク・アーロンやバリー・ボンズといった歴代のスラッガー達の中で
自分はどういう位置にいると思うか、という
米国メディアならではの問いかけに
王監督は、たっぷりと感慨を込めて口を開きました。

同じ時代に、同じ場所でプレーしてみたかった、と。

どんなにホームランを打ったって
所詮、日本の狭い球場での出来事だろ?
・・・とアメリカで言われ続けたことを思い出したかのようでした。

こういう時、どうしても思いを馳せてしまいます。
王貞治は、メジャーリーグでプレーしていても
ほぼ同じくらいの数のホームランを打ち続け
イェーッ!エクセレント・フラミンゴ!
という名物アナの絶叫を引き出していたに違いないのです。

どうせなら、王監督の現役時代にWBCがあったら良かったのに!
史上初の2年連続三冠王を獲得することになる
1974年・3月を基準に勝手に選考してみました。

 1番・センター・福本豊(阪急)
 2番・ライト・柴田勲(巨人)
 3番・ファースト・王貞治(巨人)
 4番・サード・長嶋茂雄(巨人)・・引退イヤーですが、ここは定位置!
 5番・指名打者・張本勲(日本ハム)
 6番・レフト・長池徳次(阪急)
 7番・キャッチャー・野村克也(南海)・・当然、田淵幸一(阪神)でも。
 8番・ショート・藤田平(阪神)
 9番・セカンド・山崎裕之(ロッテ)
    
    ピッチャー・江夏豊(阪神)
           堀内恒夫(巨人)
           山田久志(阪急)
           鈴木啓示(近鉄)
           平松政次(大洋)
           星野仙一(中日)
           高橋一三(巨人)

ああっ!オレはサンディエゴまで来て何やってるんだ!?
すっかり盛り上がってしまった!
考えるだけでワクワクして、目がさえて、眠れないぞ!

全く、明日は日本が決勝を戦うというのに。
でも、1974年・WBC日本代表も
こうして決勝に進んでいた気が・・・・・・
な~んて考えるだけで夢がありますよね。

2006年3月20日。
こちらの夢は現実にならないものでしょうか!?

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一夜明けて、決勝当日の朝になっても
まだ74年のラインアップを微調整している自分がいます。

野球発祥の国で
野球世界一決定戦のファイナルを目前に控えながら
野球の思い出に浸る

何と贅沢な時間の過ごし方でしょうか!
まぁ、ヒマなだけですけど。


投稿者 斉藤一美 : 2006年03月20日 18:14

 

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