2006年03月31日

球場へダッシュ!

小学生の頃、観に行った巨人戦。
試合の中身は、もうほとんど覚えていませんが
水道橋駅の改札を抜けた瞬間
後楽園球場のナイター照明に向かって一目散にダッシュしたことは
なぜか、色鮮やかな記憶として残っているんです。

照明塔の後ろは真っ暗なのに、前は、ガッ!と照らされていて
その境界線が、ボーっとした仄かな明るさで。
あれを見ると、いてもたってもいられなかったですね。
友達は一緒に走ってくれるのですが、父は
「そんなに急がなくてもいいじゃないか。
 プレーボールまで1時間もあるんだからさぁ」と
後ろからゆっくりと歩いてきたものでした。

ナイター照明が、遠くから目に飛び込んでくるだけで
子供の野球気分はこんなに盛り上がるのに
今や、ドーム球場が当たり前の時代。
どんなに近づいても『箱』しか見えてきません。
21世紀の野球小僧たちは、大きな楽しみを一つ奪われているのです。

それならば、最寄りの駅を変えるしかない!と思ってくれたのでしょうか。
福岡ソフトバンクホークスが、今年、さりげない演出を見せました。
市営地下鉄・唐人町(とうじんまち)駅のホームを降りると・・・ほら!
むしろ女性ファンが喜びそう。ウフッ。
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改札を左に曲がると、大手スポーツメーカーのものですが
こんなポスターもあったりして。
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国民的スターの勇姿に見とれてどこに来たのか忘れないように
念には念を入れて、ご案内。
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へぇ~、この雰囲気、いいなぁ、と思いながら
階段を上がっていたら、後ろから
  『オレ、松中!』
  『オレも松中!』
  『じゃあオレも!』
  『(2人一斉に)マネすんなよっ!』
などとワイワイ騒ぎながら走って来た小学生の男の子3人組に
あっという間に追い越されました。
ただ、僕より先に地上に出たのですが
どうやら、ここへ来たのは初めてのようです。
『ドームって、こっちでいいんだよね?』と不安そうに足を向けた先が
まるで逆方向だったので、思わず叫んでしまいました。

  違う違う、あっちだよ!
  そこの信号を渡って右、川沿いにまーっすぐ歩いていけば
  でっかいドームが見えてくるから!

口々に『ありがとうございます!』と言いながら、再び僕を追い抜き
横断歩道を渡ったところで、こちらを振り向いたので
OKマークを出して、右方向を指差すと
一斉にコクリとうなずいて、三たび全力疾走!
途中『本当にこっちでいいの?』とばかりに何度も僕を振り返るので
その都度、僕は頭の上に大きな○を作りながら
彼らの後を歩いてついていきました。

試合が始まるまで、あと4時間もあったので。

この3人は、開始1時間前に走っていた子供の頃の僕を
はるかに凌ぐ野球狂です。

球場へと走る子供たちの背中で
小さなリュックが大きく揺れていました。
これこそが、昔、僕の父が見ていた光景なのです。
きっと、幸せな気分だったんだろうな。
今度、訊いてみよっと。


川沿いをひたすら直進すると、海。
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行き過ぎた!福岡Yahoo!JAPANドームは後ろだった!
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実況前の腹ごしらえに、和田毅弁当。
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彼の大好きな海苔弁・チキン唐揚・卵焼き・スパゲッティがてんこ盛り。
超美人の奥様もこういうのを作ってくれるのか・・・うらやましーぞ!
な~んて妄想を膨らませただけで、すでにお腹いっぱい。
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今度生まれ変わったら、こっちのサイトウカズミになりたいな、と。
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こんな感じで博多に3泊しているうちに、桜も咲きました。
“世界有数の歓楽街”中州にも春が訪れています。
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もう1枚、どうぞ。
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明日から4月。
気分も新たに、お互いがんばりましょう!

投稿者 斉藤一美 : 23:10

2006年03月24日

38才。でもおっちょこちょい。

一応、報告です。

もう日本に帰ってます。

王JAPANのメンバーがそれぞれのチームに合流したように
僕も、帰国翌日に出社。
よくわからないけど、同僚から拍手とかもらったりして。
全て、日本代表のおかげです。

選手たちは次のシーズンへ目を向ける中
僕は、おびただしい数の領収書と格闘。
この海外出張の精算を済まさなければ
ペナントレースに集中できないのです。
This is 会社勤め!

明日からパ・リーグが開幕します。
で、あさっては同期の披露宴の司会と
日曜の番組の最終回というダブルヘッダー。
さらに週明けは、福岡遠征で今シーズン初実況。
ハハハ、体がもう1つ欲しい。ホントに。
でも、それは、おっちょこちょいを
この世に1人増やすだけなんですよ。

デジカメ、サンディエゴでなくすし。

ロサンゼルス→サンディエゴ便から降りた直後
右尻のポケットに何も無いことに気づき
すぐに機内に戻ると・・・・・・・・・・
席にあったんです、デジカメが。

これでホッとしたのが運の尽き。

空港からホテルへ向かうタクシーを降りて
右尻のポケットに何も無いことに気づき
すぐにタクシーに戻ると・・・・・・・

タクシーが、いないのです。

レシートにはタクシーNo.も運転者名も入っておらず
探しようがありません。ジ・エンド。

以上、サンディエゴでの写真がアップされていない理由でした。
前回ブログのアメリカ国旗は、アナハイムのものです。
あしからず。エヘッ。

帰りのサンディエゴ→ロサンゼルス便も散々。
所要時間40分という近距離のため
20人も乗れば満席というちっちゃな飛行機に
大柄なアメリカ人と一緒に詰め込まれるのはガマンするとして
荷物棚までミニサイズなので困りました。
でも、行きの便で、旅慣れた方々が
まるでタクシーのトランクに預けるような感じで
滑走路上の係員に、手荷物を渡していたのを
僕は覚えていました。
僕は“スマートな利用法を心得た日本人”と思われたかったので
タラップ(わずか3段。ほとんど脚立)を上がる前に
特大のリュックサックを渡し、身軽な状態で颯爽と機内へ。

ほどなく、ロサンゼルス国際空港に到着。
滑走路に降り立ち、リュックをもらおうとしたら

  チガウ、チガウ。ココジャナクテ、ムコウ。

と言わんばかりに、整備士のお兄さんが
空港内の手荷物受渡場の方向を指差しているのです。

  そんなはずはない
  行きのサンディエゴ空港では
  このタイミングでもらっていたはずだ

とは思いましたが、渋々、バスに乗りました。
しかし、ターンテーブルに出て来る荷物は、全て
このロサンゼルスで降りる人のものばかり・・・。

人生初の、ロスト・バッゲージ!

焦ったなんてもんじゃないっすよ。
近くのカウンターに駆け込んで、もう、必死。

「僕は、3つの荷物を持ってました!
 スーツケースはサンディエゴで預けて成田まで行きます!
 そこでロサンゼルスへの飛行機に乗る際に
 でっかいリュックは預けて、この小さいリュックを持ち込んだんです!
 なのに・・・・・どうにかしてくださいよ!!!
 もうすぐ成田への飛行機に乗んなきゃいけないんですよ!」

慣れない場所で、慣れないことをやってしまった激しい後悔の念と
“ひょっとしたら今日は日本に帰れないかも”というアタフタ感とともに
身振り、手振り、ペンと紙で図解入り。
文法は一切無視のハチャメチャな英語を交えて
陥ってしまった状況と格闘しました。

10分後、けたたましいブザーとともに荷物が出て来て、やれやれ。
係員に、取り乱した非礼を詫びようと思い、再びカウンターを訪れると

「あぁ!さっきサンディエゴ便に乗ってた方でしょ!」

と慌てて僕にすがってくる日本人のオバサマが。

事情を聞けば、僕と全く同じ過程をたどり
荷物をなくしてしまったとのこと。

そういえば、僕のリュックと一緒に
茶色いキャリーバッグが出て来たっけ。

「あぁ!それよ!!それそれ!!!」

しかも、この後、僕と同じ便で帰国と聞いてさらにビックリ。
それから成田行きの飛行機に乗るまで
ずっとオバサマと行動を共にしたのは自然の成り行きというものです。

お互いにお土産を買うのを待ったり、荷物番をしたり
軽い食事をしたりであっという間の2時間。
オバサマは、まるで僕の母のように見えました。
僕と同い年の息子さんがいらっしゃると伺って
「どうりで、ねぇ?」と2人で大笑いです。
この仲の良さは、傍目には親子にしか見えなかったかも。

実の母とさえ、最近、こんなにゆっくり喋ったことはありません。
もちろん、父とも。
オバサマと別れた後、妙におセンチになりました。

まだ忙しいので、両親との会話は、もうしばらくお預けです。

38才の誕生日の夜。
相当おっちょこちょいで恥ずかしい息子だろうけど
こんな僕を産んで、育ててくれた2人に、心から感謝します。


投稿者 斉藤一美 : 19:31

2006年03月21日

We are the champions!

今までに、あれほど美しい球場を見たことはありません。

サンディエゴの街中に響き渡るフレディ・マーキュリーの歌声と
体の芯を冷やす夜気いっぱいに舞い降りた七色の紙吹雪。
その全てを包み込む、天然芝のペトコ・パーク。

日本代表が世界一に輝いた瞬間、僕の目に飛び込んできた光景です。

まさか本当に世界一になるとは思いませんでした。
もちろん嬉しいに決まってますけど
5勝3敗で頂点に立ったのが、どうしても信じられなかったのです。

でも、王監督が金メダルをかけられるのを見たら
やけに涙があふれてきました。
“僕らの王さん”が
選手としても、監督としても世界一になったからです。
756号を打った時よりも、感激しました。
そういえば、今夜の始球式はハンク・アーロン。
野球の世界一が決まる試合で
755本のホームランを打った大打者が
旧友・王貞治にエスコートされてマウンドへ向かうのを見ていたら
いやぁ~、そりゃもう泣けたなんてもんじゃありませんでした。

そして、松坂大輔。
かつて僕は、彼の【衝撃!155キロのデビュー戦】を
実況する幸運に恵まれました。
以来“松坂登板ゲーム”は
全てスクラップとして残すことを決意したほど
この、一人の投手に魅せられています。
だからこそ、彼が記者会見で
『大事な試合で先発して
 初めて結果を残せたことに満足しています』と口にしたのを聴いて
完全に、文句なしの大エースになったんだな、と心が震えました。
松坂大輔の7年間を表現できる立場にいられたことに感謝します。

さて、会見前。
イチローと着席した松坂は、王監督の到着を待つハメになったので
最前列に座った僕は、公の場で質問できないことを訊きました。

  一美「何か、シャンパン臭くない?」
  松坂「すごい匂いでしょ?」

日本のビールかけ=こっちではシャンパン・ファイト。
どちらにしても、終わった後は強烈なアルコール臭が残ります。
  
  松坂「これ、全部イチローさんですよ」

イチローは会見に遅れないようにするために
シャワーを浴びる時間を惜しんで来てくれたのです。
でも、松坂は浴びていたので
この匂いは“自分発”ではないことをアピールしてきました。

  イチロー「・・・監督、遅くないか?・・・」
   松坂 「シャワー、浴びてると思いますよ」
  イチロー「ウソ!何でオレだけ浴びてないの!?
        こんなに余裕があるなら誘ってくれてもいいのに!
        オレ、もしかして嫌われてる?」

7分後、王監督が到着。
一人だけ、さっぱりとした私服姿だったので笑いました。

最後に、アメリカの記者が、彼のメジャー志向を知ってか知らずか
「ミスター・マツザカ。いつアメリカに来てくれるのですか?」
と質問した時のこと。

   王  「今すぐ、って言えばいいじゃないか」
  イチロー「監督、それ、爆弾発言ですよ!」
   松坂 「(照れ笑い)」

何と和やかな雰囲気でしょう。
チームメイトだからこそのやりとりです。


でも、イチローと松坂は、奇しくも同じことを言っていました。

世界一になった瞬間、喜びとともに
このチームと別れなければならない、という淋しさが湧いてきた、と。

名残惜しいですが、しょうがありません。
皆、またライバルに戻るのです。

さらば、日本代表!
さらば、アメリカ!
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投稿者 斉藤一美 : 20:38

2006年03月20日

1974年・WBC日本代表

同じユニフォーム姿の王貞治とイチロ-とのツーショット。

こんな夢みたいなことが実現したなんて
何て素晴らしいことだったのだろう・・・・・・てなことを
心底、決勝前日の記者会見で感じ入った一日でした。

2009年の第2回。
2013年の第3回。
この先、ワールド・ベースボール・クラシックが開催され続けても
もう“昭和&平成のスーパースター揃い踏み”は
見られないかもしれないのです。
だから今日の会見はしっかりと目に焼きつけよう、と思いました。

イチローは、王監督の「プライベートとパブリックのイメージ」が
全く変わらないことに大きな驚きを覚え
バッティングを簡単に思えたことはあるのか、と尋ねた時に返ってきた
“そんなことはなかった”という言葉が
「勇気を与えてくれた」と明かしていました。
世界の王貞治も自分と同じだったことが分かったからです。

王監督は、日本では、イチローが
自分のことしか考えていない男と見られていたが
このWBCで、とても熱い感情を
持っている人間であることが分かってもらえて
「誤解が解けた」と喜んでいました。

さらに、イチローは、ハッキリと語るのです。
「メジャーのダッグアウトは汚い。日本を見習って欲しい(爆笑)。
 でも、ゲームへの情熱はメジャーの方が大きい。
 野球に対して冷めた人間がほとんど見当たらないので
 自分がついていくのが精一杯なくらい」
この言葉を、日本のプロ野球選手たちが
どう解釈するのか楽しみです。

ハンク・アーロンやバリー・ボンズといった歴代のスラッガー達の中で
自分はどういう位置にいると思うか、という
米国メディアならではの問いかけに
王監督は、たっぷりと感慨を込めて口を開きました。

同じ時代に、同じ場所でプレーしてみたかった、と。

どんなにホームランを打ったって
所詮、日本の狭い球場での出来事だろ?
・・・とアメリカで言われ続けたことを思い出したかのようでした。

こういう時、どうしても思いを馳せてしまいます。
王貞治は、メジャーリーグでプレーしていても
ほぼ同じくらいの数のホームランを打ち続け
イェーッ!エクセレント・フラミンゴ!
という名物アナの絶叫を引き出していたに違いないのです。

どうせなら、王監督の現役時代にWBCがあったら良かったのに!
史上初の2年連続三冠王を獲得することになる
1974年・3月を基準に勝手に選考してみました。

 1番・センター・福本豊(阪急)
 2番・ライト・柴田勲(巨人)
 3番・ファースト・王貞治(巨人)
 4番・サード・長嶋茂雄(巨人)・・引退イヤーですが、ここは定位置!
 5番・指名打者・張本勲(日本ハム)
 6番・レフト・長池徳次(阪急)
 7番・キャッチャー・野村克也(南海)・・当然、田淵幸一(阪神)でも。
 8番・ショート・藤田平(阪神)
 9番・セカンド・山崎裕之(ロッテ)
    
    ピッチャー・江夏豊(阪神)
           堀内恒夫(巨人)
           山田久志(阪急)
           鈴木啓示(近鉄)
           平松政次(大洋)
           星野仙一(中日)
           高橋一三(巨人)

ああっ!オレはサンディエゴまで来て何やってるんだ!?
すっかり盛り上がってしまった!
考えるだけでワクワクして、目がさえて、眠れないぞ!

全く、明日は日本が決勝を戦うというのに。
でも、1974年・WBC日本代表も
こうして決勝に進んでいた気が・・・・・・
な~んて考えるだけで夢がありますよね。

2006年3月20日。
こちらの夢は現実にならないものでしょうか!?

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

一夜明けて、決勝当日の朝になっても
まだ74年のラインアップを微調整している自分がいます。

野球発祥の国で
野球世界一決定戦のファイナルを目前に控えながら
野球の思い出に浸る

何と贅沢な時間の過ごし方でしょうか!
まぁ、ヒマなだけですけど。


投稿者 斉藤一美 : 18:14

2006年03月17日

アナハイムの奇跡

メキシコのおかげで、奇跡が起きましたね。

見納めだったのはイチローではなく、アメリカ代表でした。
背番号2はデレク・ジーター。
以下、1人おいて左へ。
ケン・グリフィー。レジー・スミス。デーブ・ジョンソン。
ケージの中は、ケン・グリフィーJr.。
まさに豪華絢爛。
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今回、評判倒れに終わったアレックス・ロドリゲス。
ヘルメットと革手袋です。
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思い出すのも忌まわしい、あのアメリカ戦で
このA・ロッドにサヨナラヒットを打たれた藤川球児が
その前に送りバントを3塁で封殺して
グリフィーJr.を三振になで斬った、あのアウト2つがあったからこそ
“失点率”で辛くもアメリカを振り切って
準決勝へ進むことができたわけです。

取れる時に、アウトを取る。
この、当たり前の大切さが身に沁みます。

信じられない誤審で始まったアナハイム・ラウンドでしたが
悪いことばかりじゃありませんでしたね。
野球の神様は、日本の頑張りを見届けて下さっていたようです。

そして、誤審、再び。
あそこで0点に終わらなかったメキシコは凄い!
日本は、よくあんなチームに快勝できましたよね。
それは、この人のおかげです。
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【アメリカが、8イニング2失点以上で敗戦】という
わずかな希望を捨てずに、午後、サンディエゴへ移動した日本ですが
出発直前、セーフティーボックスに
貴重品を預けたままだったことに気づき
『しまった!』とホテルのフロントへダッシュしてから3分後
照れ笑いを浮かべて戻ってきた・・・という微笑ましい光景を目撃。
思わずシャッターを押してしまいました。ハハハ。

次の出番は、決勝のマウンド。
もう1回、松坂大輔を拝むことができる幸せを噛みしめています。


え?


その前に韓国と準決勝?


大丈夫です。
今度こそ、日本が勝ちます。
わずか2週間足らずで、これだけ様々な屈辱を味わった男達が
同じ相手に3回続けて負けるわけがありません。
どちらにせよ、日韓両国は
アジアの野球レベルの高さを全世界に見せつけてくれるはずです。

断言します。
ワールド・ベースボール・クラシックで
韓国に初黒星をつけるのは、日本です。


投稿者 斉藤一美 : 19:39

2006年03月16日

テ~ハミングック!(♪デデンデデンデン♪)

アナハイム周辺にはこんなスーパーマーケットがあるので・・・
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こういったものも買えたりしますし・・・
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中にあるフードコートでこんなものも食べることができます。
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近々、こちらの大スターもリサイタルを開くそうです。
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ここまで日本人が根づいている街なのに
あそこまで『大韓民国!』コールが
エンゼル・スタジアムを支配するとは、ね。
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日本の攻撃中でもテ~ハミングック!(♪デデンデデンデン♪)
球場の雰囲気に敏感なアメリカ人まで調子に乗って
テ~ハミングック!(デデンデデンデン♪)
そんなこんなで、のべつまくなし3時間
テ~ハミングック!(デデンデデンデン♪)

全く、いい加減にしてほしいっすよ!
サッカーと野球の応援を一緒にするなっつーの!

イチローの打席では必ずブーイングが起きるし。
確かに、彼はWBC開幕直前に
『“向こう30年間日本には勝てない”と思わせるような勝ち方をしたい』
って言いましたけど・・・
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別に、韓国だけに向けてのコメントじゃないのになぁ。
あと“30年”の上に描いてある“100年”のことって
ここで主張すべきことなのかなぁ。

でも、この《打倒・日本!》という執念が
ファン1人1人からもひしひしと感じられるくらいですから
韓国になかなか勝てないわけです。

決勝打を放ったイ・ジョンボムが記者会見場に入ってきた瞬間
彼の水色のユニフォームが
ヘッドスライディングで赤土色に染まっていたのを目にして

1点差でも、完敗ってあるんだな

と認めざるを得ませんでした。

準決勝で、三たび韓国とあいまみえる可能性は残しています。
この打席が、日本代表・鈴木一朗の見納めとなりませんように!
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投稿者 斉藤一美 : 19:10

2006年03月15日

蟹江敬三!?

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・・・・・んなこたあない。
エンゼル・スタジアムで僕の隣にいらしたメキシカンです。
でも似てる!

寡黙な方でした。
まぁ、無口になるのも分かりますけど。ヘッヘッヘ。

日本代表が強豪・メキシコに6-1で勝ちました。
国際試合で母国が勝つのを生で観るのは、格別ですね!

カリフォルニア州は、メキシコのご近所さんのせいか移住者が多く
ここアナハイム周辺は、マクドナルドよりも
タコス&ナチョスのファストフード店の方が幅を利かせています。
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だからメキシコ応援団が多いのは当たり前なのです。
でも、我らが松坂大輔の快刀乱麻のピッチングに
シ~ンと静まり返った時は
アメリカ戦のモヤモヤがほぼ帳消しになるほど、気分爽快でした。

【寺島尚正・ラジオパンチ】で
試合終了後の出来立てホヤホヤレポートを入れた場所は
記者会見場を抜け出した、エレベーターの前。

僕は、複雑な条件が絡み合う“日本代表・準決勝進出の条件”を
『明日の韓国戦で日本が6失点以内で勝てば確定です』
と大声で強調しました。
WBC試合規定を熟読した上で
何度も計算し直したので自信があったんです。
ところが、レポート終了後、一人の男性が近づいてきて
5失点でいいんじゃないか?』と
指摘されて、ビックリ。

王貞治監督です。

メキシコの会見が長引いていたため、外で待っていたところに
聞き捨てならない数字が耳に入った以上
一言言いたかったのでしょう。

『だってさ、もうメキシコ戦は関係ないよね。日本と韓国とアメリカだよね。
 明日、日本が韓国に勝って2勝1敗で3チームが並ぶでしょ。
 そうしたら総失点が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 でも、監督、失点ではなく、失点率ですよね?
 そうなると、日本はサヨナラ負けしたアメリカ戦のイニングは
 8回と3分の2であって・・・・・

何と“世界の王貞治”に意見してしまいました!
部屋にサイン入りパネルを張って、僕もいつかは、と
小さい頃から心底憧れていた“王選手”に
話の成り行きとはいえ、まさか異を唱える日が来るとは
夢にも思いませんでした!!!!!!!!!!!!!

結局、韓国に2点差以上つけて勝てば
日本の準決勝進出が決まると聞き、納得。

でも、あんまりややこしいとスポーツの魅力も半減ですよ。
全ての人が一発で分かるルールでなきゃ、ね。

投稿者 斉藤一美 : 17:20

2006年03月14日

Like a holiday

今日はWBC日本代表の試合はありませんでした。
番組へのレポートの依頼は、ゼロ。
まるで休日です。

こんな時は、とりあえずスタバでしょ。
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よ~く見ていただければ分かるのですが
紙コップに僕の名前が書いてあります。
これなら、他のお客さんのものと間違えません。
ただし、最初はKasumi(カスミ)と書かれた跡が残っています。

店員が“Your name,please.”と来たので
待ってました!とばかりに、こう答えました。

 かずみ・さいとう

よし!
生まれて初めて、英語に染まらず日本語で発音できたぞ!!

・・・と心の中でガッツポーズをしていたら、この有り様です。
やっぱり、これからは

ミ・イトウ

・・・に戻した方がいいのでしょうか?
早くも決心がぐらついています。

僕と違い、揺るがない心を持っていたのは
千葉ロッテマリーンズの薮田安彦投手です。
昨日のアメリカ戦。
3-3、同点。7回裏・2死3塁。
4番打者のアレックス・ロドリゲス(以下、A・ロッド)を迎えた
大ピンチの場面で、彼は起用されました。
カウント0-2から小さく落ちるフォークボールは
見送られて、ストライク。これで1-2。
『その時ね、A・ロッドがフムフムフムと3回うなずいたんですよ。
 “何が分かったんやろ?”とは思いましたが
 “あれこれ考えてもしゃあない。いつも以上に腕を振ったれ!”って
 すぐに考えることが出来たんです』
結局、大きな変化のフォークボールを連投して空振り三振。
世界のA・ロッドならではの【打ちそうな雰囲気】を無視して
完全に手玉に取りました。お見事。

男たるもの、こうでなきゃ。
僕はまだまだ弱い男です。

夜はアメリカVS.韓国戦を観戦しました。
今日のお隣さんは、こちらのカップル。
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陽気なメキシコ人のホセ君とチェコ人看護婦のレナタちゃんです。
彼は、明日のメキシコvs.日本は日帰りスキーのため
(カリフォルニア州にもSnowValleyというスキー場があるとか)
残念ながら、このエンゼルスタジアムには来れません。
こんな身の上話をしてしまうほど、緊張感の薄い試合でした。

やっぱり韓国は素晴らしいチームだとは思うけど
あまりに情けないぞ、アメリカ!
なるほど。
弱いから、審判とグルになって日本にズルしたんだね!
これじゃ、準決勝でもう1回当たって勝ったとしても喜びは半減だよ!
全く、ガッカリだよ!!

こうして、人気芸人の口グセを借りれば
僕のマスコミらしからぬ稚拙な暴言も、いくらかマイルドになりましたか?
そのくらい、アメリカ代表の惨敗が腹立たしいです。

あ、一応、日本代表の練習は取材しました。
証拠として写真くらいは残しておかないと
ウチの会社の人事部に目をつけられますからね。ハハッ。
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投稿者 斉藤一美 : 18:30

2006年03月13日

Kazumi in the USA

太平洋を5年ぶりに渡ったぜぃ!
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アメリカに来ています。丸2日が経ちました。
初・ロサンゼルスです。

『さてさて~、トシちゃん・マッチ・ヨッちゃんは
 ロサンゼルスで写真集の撮影があったんですよね~。
 その模様をVTRでご覧下さい!・・・・・・・・・・・・・・・
 いや~、3人とも青空の下、元気いっぱいでしたね!
 以上、ロサンゼルスin“たのきん”でした』
   (生島ヒロシ。ザ・べストテンの司会で)
『え~、先ほどの私の英語は文法表現として誤りがありました。
 正しくは“たのきん”inロサンゼルスです。
 どうもすいませんでしたっ!』
   (生島ヒロシ。CМ後にお詫びと訂正)

あれ以来、英語を使う時、どっちだったっけ?と迷ったら
【ロサンゼルスin“たのきん”の逆】を言えばいい、と
思えるようになったんだよなぁ・・・としょうもないことを 
カリフォルニアの青い空を見上げて、ふと考えてしまいました。
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で、ハイウェーでタクシーをすっ飛ばして1時間。
WBC日本代表が練習している
アナハイムのエンゼルスタジアムへ直行!
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しばらくすると、大雨に変わってしまいました。
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けっこう、寒いんですよね。
厚手のジャケットを家に置いてきたことを、今でも悔やんでいます。

一夜明けて、アメリカとの決戦の日。
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長い間、日本の野球選手が憧れ続けたメジャーリーガー達と
今日、ついに、日の丸をつけて真剣勝負を戦うんだ・・と
感慨もひとしおの方が、ここにいらっしゃいました。
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あの先頭打者ホームランの美しい弾道を
スタジアムの真横から目撃したことは、生涯忘れえぬ僕の財産です。
と同時に、イチローには
もう日本の球場は似合わないことも分かりました。
東京ドームにいた時より、明らかにになっているのですから。
僕の5年前の渡米は、イチローのメジャー1年目の取材。
何か、別の選手を見ているようでした。

そして・・・・・・・・・
岩村・小笠原・川崎の巧打と好守!
上原・藤田・薮田の激投!
王監督の抗議!

惜しかったなんてもんじゃないですね。
タッチアップの判定が覆ってなけりゃ、勝ってたと思う人!ハ~イ!

嬉しかったのは、試合展開だけでなく
スタンドの応援も日本がアメリカの先、先を行っていたところです。
終盤、日本が勝ち越しのチャンスをつかむと
“ニッポン、チャチャチャ”(あぁ、文字にすると情けない)が自然発生。
負けじとアメリカ人が“USA!USA!”と野太い声の大合唱。
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それからというもの、明らかに少数派の日本人が
大多数のアメリカ人を引っ張る、という流れは
王監督の、極力怒りを抑えた抗議まで変わりませんでした。

そう、あれで全てが変わったのです。

でも、日本代表は皆ガムシャラでした。
アメリカ戦直前の僕の心配は
確かに敗れたとはいえ完全にハズレました!

次、準決勝で当たったら、間違いなくアメリカに勝てます。
ただし、メキシコVS.韓国を目の当たりにすると
そこまでたどり着くには
並大抵の心構えではダメだ、と思い知らされました。
あと2試合、勝つのは簡単ではありません。

それにしても、アメリカで観戦する野球は最高です。

乾いた空気に響く、打球音と捕球音。
フィールドとの垣根が低いフェンス。
DSC00264.JPG
今行われているプレーについて隣人と熱く語らい
かつ選手に大声援を送る姿勢。
DSC00274.JPG
野球に全く興味がない人をこういう場所に連れて来たい、と
切に願ってしまうほど、楽しいのなんのって。

隣に座った年配のご夫婦と、ずっと話しながら観戦しました。
トムさんとメアリーさんです。
DSC00278.JPG
中1の英語の教科書に出てきそうな名前のカップルに
ついに出会えました。

誰とでもすぐに仲良くなれるのが、アメリカのボールパーク。
野球狂に国境はありません。


投稿者 斉藤一美 : 19:28

2006年03月09日

ガムシャラで行こう

まさか、カナダがアメリカに競り勝つとは!
ワールド・ベースボール・クラシックが、ますます面白くなってきました。

絶対的優勝候補にひるむことなく立ち向かうカナダの闘魂と
0-8の劣勢を、たった1イニングで6-8まで盛り返す
開催国・アメリカのプライドとが激しくぶつかりあった好ゲームでした。

国際試合でまずお目にかかれないランニングホームランも飛び出し
終盤にはファインプレーの応酬で、さらに目が離せなくなりましたよ。
この試合はDVDに録っていたので
スコアをつけながら、早送りして観るつもりでした。
ところが、そういったやっつけ仕事的観戦法は許されない
“繰り返し、巻き戻し”連発の内容だったので
勝手に口が動いちゃう!
そこでまた、《実況》と《絶叫》のトレーニングになっちゃうものだから
かえって時間がかかってしょうがありませんでした。

アメリカは、選手30人全員がメジャーリーガー。
こんな怪物チームに、カナダが注ぎ込んだ投手5人の内訳は

     3A(メジャーの1ランク下)・・2人
     2A(2ランク下)・・・・・・・・・・2人
     台湾球界・・・・・・・・・・・・・・・1人

という、世界に名前が知られていないプレーヤーばかりです。
打者にしても、アメリカほどの華やかさはありません。

でも、勝ってしまうんです。
ここが、野球の面白いところ。

メジャーリーグでは通算2安打の実績にもかかわらず
この日だけで3安打・4打点のアダム・スターン(カナダ)は
『レギュラーシーズンなら、162試合を通じて
 ここまで熱く戦えるかどうか。
 たった1試合ならガムシャラにやるしかない。
 その結果が、これなんだ!』と興奮気味。

WBCを、箱根駅伝のようなノリでとらえている彼らを目の当たりにして
僕は、強く思いました。

このままでは
日本代表は絶対に勝てない
と。

下手すると、3戦全敗です。
それくらい、世界の野球の壁は、厚い。
日本が、カナダのように
ガムシャラに戦ってくれることを信じています。

真剣勝負をテレビ観戦した後は、後楽園ホールで
ハッスル・ハウスを大いに楽しみました。
プロレスは「体を張った最高の芝居」であることを前面に出す
アメリカ・WWEのテイストをたっぷり取り入れて
なおも爆笑を提供する、この“日本版・アメリカンプロレス”は
まさに、今が旬です!
2時間、ずっと笑いっぱなし。
でも、オールドファンを満足させる演出もちゃんと用意しています。

秀逸だったのは、伝説の夫婦漫才師みたいなリングネームの
恐(きょう)イタコ
すでにこの世を去った名レスラーが、突然、体の中に“降りて”来ると
彼は、無類の強さを発揮しました。

  ジャンボ鶴田のジャンピングニーパッド!
  ジャイアント馬場の16文キック!
  ブルーザー・ブロディーのキングコング・ドロップ!

こういった技が、故人の登場テーマソングとともに繰り出されので
会場は、もう乱痴気の大騒ぎです。
僕も含めて、プロレスファンって、ホント、単純。ハハハ。

巨体コンビ・ババ・レイ&ディーボンの凄まじいストリート・ファイトを
しっかりと受け止めたエリカには
超一流レスラーならではの、試合運びの巧さを感じました。

そして・・・レイザーラモンHG&RG!
ちなみに、RGの登場テーマは【ゴールドフィンガー99/郷ひろみ】。
リッキー・マーティンのカバー曲を使い、どこまでもHGに寄生。
決め言葉の『フォフォフォフォ~ッ!』で
本家と同じポーズを決めるのですが、交差した両足はグラついてしまい
HGほどは鍛えていないことがバレバレのヘナチョコぶり。
でも、これはこれでキャラが立っているのです。
だから、皆がRGを受け入れていました。
今日はマイクパフォーマンスに徹したHGと合わせて
彼らは、これからもレスラーとして立派にやっていけます。
 
どうですか!このお客さん達の喜びようは!?
3、2、1、ハッスル、ハッスル
フォーッ!!!!!!!!!! 
DSC00229.JPG
ハッスルだって
ファンを楽しませるために必死に頑張っています。
何でもガムシャラにやると
人の心を打つのですね、きっと。

投稿者 斉藤一美 : 23:03

2006年03月07日

笑うイチロー

WBC日本代表がアリゾナに入りました。
いよいよ、僕の渡米も近づいてきたということです。

先週末は、東京ドームに入り浸り
ず~っと野球を、しかも国と国との真剣勝負を堪能しました。

それにしても韓国は、強い

日本の強力打線を沈黙させた、磐石の投手リレー。
2死満塁、西岡のヒット性の当たりを
バックハンド・ダイビングキャッチの超美技で防いだ
イ・ジンヨンの打球判断と瞬発力。
そして、日本の野球を2年間経験したからこそ
『打者有利なカウントだから、変化球を投げてくる』と確信し
『バットの先っぽなら、強く振ってはファールになる』ので
とっさに軽いスイングに変えて、値千金の逆転2ランにしてしまう
イ・スンヨプの読み・技術・パワー。

宿敵とはいえ、惜しみない拍手を送りたくなるプレーばかりでした。

だからといって、次にぶつかる時は同じ結果になるとは限りません。
それが,野球というスポーツです。
勝った方がアメリカとの準決勝に進めるであろう
2次リーグの日本vs.韓国は
“3.15アナハイムの死闘”
として、いつまでもファンの記憶に残る試合となりそうです。

今回、イチローの笑顔に何度も触れることができました。
12球団選抜戦でベンチからチームメイトを励まして、声を枯らすと
『いかに今まで声を出していなかったか、ということです』
と恥ずかしそうに話し
『このハスキーな声も、結構いいかなって思ってます』とニッコリ。
ファンの声援には、必ず手を挙げてニコッ。
1次リーグ終了直後は、さすがに険しい表情でしたが、しばらくして
『声援に後押しされてコレ(打率.231)ではちょっとマズい』
と告白しながら、明石家さんまを彷彿とさせる
意外な“ひきつり笑い”まで披露。

イチローって、実は朗らかな人だったんですよ。

それを、野球サイボーグのような人間に変えてしまったのは
間違いなく、我々マスコミです。

しかも、ここ数年、選手がバラバラの方向を向いているだけでなく
監督までが不可解な采配を振るい
チームが空中分解状態にあるシアトル・マリナーズに
イチローが失望していることは誰もが知っていました。

やる気を失いかけた自分を、必死に奮い立たせる作業の一つとして
時に人は、クールに振る舞うことを選択します。
でも、イチローは
本当の自分を取り戻したような気がしてしょうがありません。
全ては、ワールド・ベースボール・クラシックのおかげなのです。

自分では気づいていないかもしれませんが
イチローは、韓国の強力投手陣についてコメントした時
チラッと、こんな本音をこぼしています。

『さすがにメジャーリーグでやっている選手が多いので 
自信を持ってマウンドに立っている雰囲気がしました。
普段は、彼らも、違う習慣の中で
孤独と戦いながらプレーしていると思いますが
今は、韓国代表としてみんなが結束していますから
普段よりも力を出せる状況にあるはずです』

やっぱりそうだったのか、と僕は嬉しくなりました。
アメリカで、イチローは
『孤独と戦いながらプレーしている』
のですね。

次から次へと人間臭い素顔を見せ始めたイチローが引っ張り
世界の王貞治がまとめるWBC日本代表は、やっぱり凄い集団です。
あぁ、アメリカ行きが楽しみだ!

ところで・・・・・
あの上原と渡辺俊介がデッドボールを与えたり
親指にロジン(滑り止め)をつけなかっただけで
松坂の右手からスポッ!と抜けてしまう【WBC使用球】は
こんなボールです。
DSC00193.JPG
ハハハ、ハレーション起こしてら。
こら、デジカメ!
いくら滑りやすいボールだからって、ハゲ頭が被写体じゃないんだから
しっかり写しなさい!!
DSC00196.JPG
日本と同じ牛の皮ですが、加工方法に違いがあるそうで
確かにツルツルしています。
それでいて、日本のボールよりも少し重いので
登板後に肩やヒジが疲れやすいらしいのです。

蛇足ながら、ご参考までに。

投稿者 斉藤一美 : 21:30

2006年03月04日

ドラえもんの呪縛

春休みロードショーの先陣を切って
『ドラえもん・のび太の恐竜2006』が
今日、ついに公開されます。

「な~んだ、ドラえもんか」と思った方。
あなたは、僕とほとんど同じ人間です。

「え!ドラえもんシリーズの最高傑作がリメイクされたの?」
「うわ~っ、なつかしいなぁ!
 生まれて初めて観た映画が『のび太の恐竜』なんだよ」
と反応された方。
僕は、あなたが心底うらやましい。
リアルタイムでこの映画をみていれば
もうちょっと違う子供時代を過ごせていたかもしれないからです。

人への思いやりに満ちた、より素晴らしい子供時代を。


お父さんの仕事の関係で手に入れた
ティラノサウルスの爪の化石を自慢するスネ夫。
ジャイアンとしずかちゃんには見せるのに
のび太にはちゃんと見せません。
腹立ちまぎれにのび太の口から出た言葉は
「爪ぐらいで騒ぐな!
 僕は恐竜丸ごとの化石を発掘してみせる!!」

というとんでもないものでした。

激しく後悔するのび太。
それでも、ひょんなことから卵型の特大の石を見つけると
「恐竜の卵の化石だ!」と小躍りします。
ここで、ドラえもんの出番。
「何をバカなことを・・・ただの石だよぉ」とか言ってグチりながらも
さりげなく、部屋の外にタイムふろしきを置く絶妙なアシスト。

で、孵化させてみると、恐竜が生まれているわけでして。
のび太の大冒険の始まり、始まり~・・・ってな感じなんです。


原作の藤子・F・不二雄によると
『野生のエルザ』を読んだ時の感動をドラえもんの世界で再現しよう、と
意気込んで描き上げたわずか25ページの短編が
この『のび太の恐竜』なのだそうです。
TVアニメ化→映画化は自然の流れでしたが
ドラえもんに長編はなかったので
後日談を加えて劇場公開したのが1980年。
それから、声優陣が一斉に交代するまで
四半世紀にわたって続くドラえもんシリーズの
記念すべき第1作となりました。

当時、僕は小学校を卒業したばかり。
リバイバルされた『あしたのジョー』に心酔していて
“メルヘンチックなアニメ”を意識的に遠ざけていた時期でした。
『ドラえもん』は、何となく、そのグループに入ってしまったのです。
中2で、再放送の『キャンディ・キャンディ』にハマったくせに、全く。

1作目を観ていないと、2作目も観ない、という妙なこだわりも邪魔して
生まれてこの方、ドラえもんシリーズとは無縁な生活を送ってきました。

ところが、おととし、息子の小学校の友達家族に誘われて
25作目『ワンニャン時空伝』を観に行くと
笑い・スリル・涙の“面白映画・3つの条件”を
全て兼ね備えているので、仰天。
よし、来年も!と意気込んだら

大山のぶ代の声で
再来年、また会おうねぇだって。

声優陣・若返り計画のあおりを受けて、出端をくじかれた形でした。

半ばスネたように、テレビの新シリーズも一切無視していたのに
映画を観て、また後悔!
今の声優の方々も、完全にキャラクターに溶け込んでいたのです。

個人的には、ジャイアンがピカイチ。
映画になると、彼はナイスガイに変身しますが
今回も、情に厚い、最高に頼れる男として、グループを引っ張ります。
この難役を、15才(木村昴。ドイツ人とのハーフ!)が
吹き替えているとは、ホントに驚きです。
71才・たてかべ和也から56才の若返りは、大成功ですよ。

もちろん、ドラえもん役の水田わさびも◎。
降りかかるトラブルにあたふたしながらも
のび太を温かい目(ここで観客は100%大爆笑)で見守るるさまが
ちょっと不思議な声と絶妙にフィットしています。

まだ、ドラえもんの映画は・・・というあなた。
ぜひ一度、ご覧あそばせ。
この『のび太の恐竜』に触れたスティーブン・スピルバーグが
のちに『E.T.』『ジュラシック・パーク』を撮った理由が分かります。
それほどまでに、大人の鑑賞に堪えうるものなのです。

試写会後、近くのファミレスへ入ると、注文を取りに来たウェイトレスが
僕がテーブルに置いたパンフレットを見つけ、話しかけてきました。

「ドラえもん、ご覧になったんですか?
 私“のび太の友人A”役で出演しました!」

何たる偶然。そこでまた、一盛り上がり。
この国で暮らす限り、ドラえもんからは逃れられないのです、たぶん。

投稿者 斉藤一美 : 03:22

 

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