2006年02月27日

紅天女

長野オリンピックの仕事をしていた頃だから、8年前。
有楽町のラジオ局のディレクターと仲良くなりました。
確か、スノーボード会場へ行くバスの中で
マンガについて熱く語り合ったことがあったんです。

その方は、長髪、パーマにサングラスで
ヒゲを生やし、黒ずくめの服。
70年代の洋楽に傾倒している、個性的な風貌の男性でした。
世界中が注目するイベントの中枢部に出入りするには
あまりにも怪しすぎる容姿のため
金属性のものを一切ポケットに入れていないにも関わらず
ゲートをくぐるたびに
ピンポ~ンと音が鳴ってしまうほどだったのです
(「係員がボタンを押しているのが見えた」と本人は苦笑していました)。

そんな彼が、僕に「ダマされたと思って、絶対、読むべきだ!」と
強烈にプッシュした作品が

『ガラスの仮面』でした。

こともあろうに、少女マンガ。
この展開は、話の流れからいっても、絶対にダマされるべきです。

閉会式の翌日に帰京。その足で本屋へ直行。即、購入。
これがもう面白いのなんのって!
連載開始が、王選手が715号を打った1976年。
今年でジャスト30年経ってもなお完結していない
文字通りの大河ドラマ。

この中に出てくる架空の芝居が“紅天女”(くれないてんにょ) です。

将来有望な女優・北島マヤと姫川亜弓。
〈見た目は平凡な少女〉と〈お嬢様〉。
〈演技にかけては天才〉と〈ケタ外れの努力家〉。
どこまでも対照的な2人が“紅天女”主演の座を賭けて
激しくしのぎを削りあう、というのがザックリとしたストーリーです。

“紅天女”はその全貌が完全には明らかになっていないため
読者は果てしなく興味をそそられて
1冊、また1冊と読んでしまうんですわ、これが。

そんな“紅天女”が現実の世界で舞台化されたら、マニアは卒倒します。
で、ホントに舞台化されちゃったんで、皆、ビックリ!

しかも 。

「その内容が、まさに能そのもの」という
専門家のお墨付きがきっかけで綿密な構想が練られ
先週末、国立能楽堂で上演されたのを
確かにこの眼に焼きつけてきました。

時は南北朝時代。
戦は絶えず、度重なる天災も追い討ちをかけ
乱世ここに極まれり、という世の中。
一人のイケメン仏師が立ち上がり
「樹齢千年の梅の霊木で天女像を彫って、日本を鎮めてみせる!」
と旅に出ます。
ところが、かぐわしき紅梅の香りに誘われているうちに
彼は道に迷ってしまったところで美しい女性に助けられ
2人は恋に落ちるのです。
でも、彼女は“千年の梅の木”の化身であることが分かり
仏師は胸をかきむしられるほど悩みます。
木を伐ることは、彼女の命を奪うことを意味するからです。
彼女は、彼を説得します。
「我を伐れるは、汝のみ」
愛し抜いた男性に命を捧げることで
この世の中が平和になるのであれば本望である、と。
仏師は意を決して、斧を振り下ろします。
カツーン。カツーン。カツーン。
やがて女は天女に姿を変え、昇天すると
乱れた世の中は嘘のように鎮まっていきましたとさ・・・。

“紅天女”のあらすじです。

これが能の舞台にかかると
天女ですら、男が面をかぶっての演技となります。
でも、そこには、信じられないほど幻想的な世界が広がっていました。
後ずさりしているだけなのに、空を飛んでいるように見えるだけでなく
小さな能面から顔がハミ出ているのに、全く気にならないんですね。
客席に顔を見せた人形遣いが操っているのに
違和感ゼロの文楽とその点は同じです。
伝統芸能の底力を、これでもか!って感じで見せつけられました。

しかし、能の懐の深さは、歌舞伎や文楽とは比べものになりません。
だって、5分くらい居眠りしていても、全く問題ないんですよ。
何せ、セリフ回しも役者の動きも遅いから
ぜんっぜんストーリーが進まないんです。

また、笛と鼓の音が睡魔を呼び込む、呼び込む。
もう、最高のBGMです。
さすがの『ガラスの仮面』マニアの方々も
皆一度はノックアウトを喰らっていました。

それでも、その魅力に引き込まれるのが、能。
少女マンガとのコラボ、素晴らしかったです。
マヤと亜弓が観ていたら
きっと計り知れないプレッシャーとなったに違いありません。

投稿者 斉藤一美 : 2006年02月27日 21:32

 

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