2005年12月31日

来年の目標、発表します

箱根駅伝の準備を進めながら
横目でPRIDEを盗み見ていると
いつの間にかK-1も始まってしまいます。
大みそかに仕事をしなければいけない立場を軽く恨みながら
結局、出前の年越しそばを食べて、紅白の勝敗を確認していると
きっと、僕の1年は終わっているのです・・・。
こう書くといかにも淋しげ政孝ですが
この時間に家にいないのも、何となく落ち着かないので
たぶん、これが幸せというヤツなんでしょうね。

紅白歌合戦といえば、
加山雄三の曲紹介
「白組のトップバッターは、少年隊!“仮面ライダー!!”」
久宝瑠璃子が歌い始めた瞬間の画面スーパー
『海老一染之助・染太郎』が忘れられません。

今年は、仲良くしてもらっている渡辺美里さんが
スキウタ枠で初出場を果たします。
ああ見えて
「根が関西系なので、常に笑いをとりたい性格」(本人談)だけに
何をやってくれるか楽しみなのですが、おそらくムリはしないでしょう。
「ファンの方に選んでいただいた」ことを意気に感じて
“My Revolution”を朗々と、情感豊かに歌い上げるに決まってます。
大ヒットから20年経ったあの名曲は、今や生で聴くとド迫力ですよ。
新年まで1時間を切った深い時間の登場に“大御所”感が漂いますね。

さて・・・

新聞に【来年こそはと思ったら、年間目標は大みそかまでに】
という記事が載っていました。
何事もスタートダッシュが肝心だから、だそうです。

おととし・・ピアノの弾き語りをマスターして、ディナーショーを開く
去年・・・・みっちり体を鍛えて、ボディービルショーを開催する
今年・・・・大の苦手・パソコンのあれこれを学び、ブログを作る

てな具合に、達成したことのない目標を設定して
何とかクリアしてきましたが,全て半年以内のものばかりでした。

そこで、来年1年間をフルに使って成し遂げたい目標を
発表させていただきます。

2006年の斉藤一美は・・・・・

ラジオ実況の本を書きます。

出版社も全く決まっていません。
完成したら編集者に持ち込むつもりです。
『上手な司会・スピーチの仕方』なんて本が星の数ほどあるならば
実況のマニュアル本が1冊くらいあってもいいですよね。

誤解を恐れずに言うならば
実況は、ラジオこそが最高峰だと僕は信じています。
この世界で本格的に揉まれるようになって来シーズンで10年目。
あれこれ本番で試してきた中で
これは間違いない、という持論と具体的な表現方法を
後世のために残しておきたいのです。
受験生にとっての『出る単』のような
“ラジオ実況アナのバイブル”として語り継がれる本を書いてみせます!


言っちゃったよ。
ホントに言っちゃったよ。
もう後には引けないぞ。
この気持ちが変わらないうちに
明日“てっぺん”のオープニングでも喋っちゃえ!


どうぞ良いお年をお迎え下さい。

投稿者 斉藤一美 : 20:37

2005年12月27日

Mの苦悩

村主の逆転優勝で燃えたクリスマスも終わり
とうとう2005年もカウントダウンに入りました。
ハァ~~~~~~~ッとため息が出てきます。

箱根駅伝まで1週間を切ったこの時期は
まるで受験勉強をしているかのように根を詰めて
シコシコと実況の準備をするからです。
悲しいことに、心に余裕がなくなってくるんですね。

全く成長していない!
人間としての器が小さい!!
修行が足りん!!!

僕は、こうして自分を追い込んで、闘志を燃やしています。

タイプで言えば、明らかにМ

今苦しんだ分、現場でしゃべるのは最高に楽しいので
レース前日の1月1日まで、あと4日間の辛抱です。

年末に僕が精神的にテンパる前に
家族でディズニーシーへ行きました。
「もう4年生なんだから、これぐらいへっちゃらだよ」と
息子を口説いて乗せた“センター・オブ・ジ・アース”で
恥ずかしながら絶叫。
怪物に遭遇した瞬間、猛スピードで頂上まで駆け上がり
一気に落下する作りは、マジで勘弁してもらいたいです。
隣に座っていた息子は、怖くてずっと目をつぶっていたそうです。
僕が10才の時は、浅草花やしきのジェットコースターでさえ
泣いて父に抗議して絶対に乗らなかったぐらいなので
「パパよりよっぽど勇気があるぞ」と素直にホメてしまいました。

何でも僕に勝ちたがる息子は、この一言ですっかりいい気分になり
ディズニーリゾート初の宙返りコースター
“レイジング・スピリッツ”に乗ることもOKしてくれたのですが
140㎝の身長制限にほんのわずか足りませんでした。
でも、ここで終わらないのがディズニーシー。
入口のお兄さんが
「背が伸びたら、この【次回優先乗車券】を持ってきてね。
 どんなに並んでいても、すぐに乗せてあげるよ」となだめながら
カードに息子の名前と日付を書き入れてくれたのです。
家族一同、感激。
結局、僕だけで乗ってきました。
いわゆるお一人様なので、スキー場のリフト乗り場みたいな感じで
60分待ちのところをスイスイ進んで
わずか5分で乗れちゃうんですよ!
ただ、追い越す時に「一人で来てる・・」と囁かれたり
係員から何かにつけて「シングルライダーの方!」と呼ばれるのが
かなり恥ずかしかったです。

そろそろ閉園、というタイミングで3人で乗ろうとしたのは
ヤドカリの背中の上でクルクル回る“スカットルのスクーター”。
それまでカミさんと2人で乗っていた息子が
いきなり「僕、一人で乗るよ」と言い出しました。
「いつまでも甘えん坊でいられないから。自立の練習、かな」


えーーーーーーーっ!
もう親離れ!?


確かに嬉しいけど、これほどメチャメチャ淋しいものとは。
カミさんと2人でクルクル回りながら
「こっちも子離れの準備を始めないとまずいのかなぁ・・」と
しみじみ語り合ってしまいました。

あれから息子との距離感に、結構気を遣っています。
親の子離れの方が、明らかに難しいものですね。

投稿者 斉藤一美 : 23:58

2005年12月23日

修造の真っ赤なブレザー

知りませんでした。
松岡修造が英語ペラペラだったとは。
世界を転戦してきたテニスプレーヤーだったことを
久しぶりに思い出しました。

今日、マリア・シャラポワ・ジャパンツアーを見てきたのですが
司会の彼は、シャラポワと流暢な英語で会話を交わし
すぐにファンに向けて日本語に翻訳する、という
見事な仕事ぶりだったのです。
普段、テレビで見せる(と言うか要求されている)
熱血まっしぐらなイメージを抑えた
まさに“スマートなお坊ちゃま”でした。
よっ、東宝グループの御曹司!って感じ。

それでいて、舞台転換の20分間
自分から客席の中に突入してお年寄りをいじりまくる
“スポーツ界の毒蝮三太夫”ぶりもちゃっかり見せるんですよ。
シャラポワより、修造を見ている方が面白い一日でした。

現役オリンピック選手でも
フジテレビのものまね番組の司会でもないくせに
真っ赤なブレザーが日本一似合うんだもんなぁ・・全く。
ニクいぜ、修造!

えっ、オレと同学年なの!?ショック!!

投稿者 斉藤一美 : 22:59

2005年12月20日

清原、魂の記者会見

一美さんって何才でしたっけ、と訊かれた時は
必ず「清原・桑田と同学年です」と付け加えます。
それが自慢だからです。
2人が現役を引退すると
高1の夏から続く僕の青春も終わってしまいます。
だからこそ、1年でも長くプレーを続けて欲しいのです。
桑田は、契約更改でギリギリセーフでしたが
清原は、もう辞めてしまうのではないか、と
さすがにハラハラしてしまいました。
「巨人は初恋の相手なんです」と言い残し、古巣・西武を退団して
子供の頃から憧れた伝統のユニフォームに袖を通した時
まさかポイ捨てされるとは夢にも思わなかったでしょう。
「泥水を飲む覚悟で」非常識な大減俸を受け入れてまで
“巨人”にこだわり、もうちょっとでナベツネを見返せるはずだったのに
全てはケガで台無し・・・。
彼の無念は、僕たちの想像を遥かに超えるところにあったはずです。

清原がオリックス入りを表明しました。
フラッシュを浴びすぎてハレーション!
清原.JPG
絵になる男はシルエットもカッコいいッスね。
企業のイメージキャラクターとしてのお披露目会見の場が
“清原、パ・リーグ復帰宣言!の場”に変わった瞬間です。

実は原監督よりもずっと深いのでは?と思うほどのジャイアンツ愛を
なお垣間見せるシーンもありましたが
彼の中で、今やそれを軽く凌ぐのが
『仰木愛』であることが痛いほど伝わってくる魂の記者会見でした。
『お前の最後の花道は俺が作ってやる。とにかく大阪へ帰ってこい!』
という1年前の言葉が心に響き
「孤独のドン底にいた」身には大きな支えとなったそうです。
“仰木さん”という名前を最初に口にする直前は声が震え
「これからは仰木さんにかけてもらった言葉を
 一つ一つ思い出しながらプレーしていきたい」と言い切る姿は
誤解されることも多いが、純粋で、傷つきやすく、情に厚い
清原ならではの人間味が凝縮されていました。

僕は、誰から何と言われようと
感情をぶつける実況を絶対に辞めることはありません。
だとすると、オリックス戦のライオンズナイターで清原が凡退したら
清原が打ち取られました・・・と喋ってしまいそうで、大いに心配です。

あと、交流戦で清原の頭に豪速球をぶつけたのに
チームメイトになってしまった山口和男のことも、ちょっと心配。
何事もありませんように。

投稿者 斉藤一美 : 21:05

2005年12月18日

ボログ その2〈投げ込み花束〉

GPファイナル・フリーで、僕が浅田真央に投げ込んだ花束です。
バラ.JPG
これって会場で売っているんですけど
話を聞くと意外な事実が判明しました!

投稿者 斉藤一美 : 23:40 | トラックバック

2005年12月17日

箱根中毒

今週は、箱根駅伝に出場する大学の取材で忙しかったんです。
金曜は、優勝大本命の東海大学
(僕らの年代だと野球の原辰徳や柔道の山下泰裕の
印象が強烈っスね)へお邪魔しました。
広大な湘南キャンパスには美しいイルミネーション!
クリスマスツリー.JPG
ただ、ここに着くまで
新宿から小田急線の急行に乗っても丸1時間かかります。
まぁ、大学の陸上部はどこも遠いところばかりなので
これぐらい当たり前ですけどね。
おかげで『日本女子フィギュアスケート・オフィシャル応援ブック』を
読破することができました。

安藤美姫は荒川静香から
“ウーパールーパーに似てる”と言われているそうです。
なぜなら、口が大きくて目が離れているから。ハッハッハ!
で、安藤も“ウーパールーパー、大好きです”だって。
2人ともナイスなセンスですね。
あと、GPファイナルの浅田真央。
スッゲェーーーー!
何か、一人だけモノが違う感じ。伸び伸びしてて、超うらやましい。
完全無欠という言葉がピッタリはまる。
もはや国民的アイドル、一歩手前ですね。
いい意味で挫折を知らない笑顔だから、こっちも笑ってしまいます。

挫折。
箱根駅伝とは、切っても切れない間柄です。
この、関東ローカルな大学対抗戦に
全国が熱狂の賛辞を惜しまないのは
たった1日、20キロ余りを走るためだけに、364日を犠牲にする姿に
心を激しく揺さぶられるから。
だから、伝える側にいる僕たちも
彼らの生き様を直撃しないことには『箱根』に携わる資格はないのです。
毎年、この時期に選手を取材するたびに
入社当時のピュアな気持ちを思い出します。

4年生の石川友靖君。最後の箱根です。
前回は復路・8区(平塚~戸塚)を走るはずだったのに
前の日の夜9時に、コーチから「1年生に走らせる」と告げられました。
2人の力が全く互角だっただけに、コーチも最後まで悩んだそうですが
決め手は、石川君のケガ。
しかも、今ではなく、夏場のケガ。
その分、1年生の方が、3週間だけ多く練習していたからです。

彼は、気丈にもその足で1年生の部屋を訪ね、激励しました。
言葉にならない声で、無念を押し殺して。
そして、外へ出て、思い切り泣いたそうです。
明日、応援に来てくれる両親に早く連絡しなきゃ、と分かっていながら
「オレ、明日、走らない」
この一言が、どうしても言えなかったそうです。

石川君は、この挫折をバネにして、一年間懸命に走りました。
そして、再び、16名の中に選ばれました。
彼が箱根に出られるかどうかは、わかりません。
でも、ここまで仲間と一緒に頑張れたことこそが
人生最大の財産ですよ。
どちらにせよ、胸を張ろう!と僕たちは固い握手を交わしました。

文化放送でスポーツに関わる社員は
こうやって箱根中毒にかかっていくのです。

投稿者 斉藤一美 : 04:48 | トラックバック

2005年12月16日

名将、逝く

仰木彬さんが亡くなった。

ついこの前まで
僕の愛するライオンズとプレーオフ出場権を激しく争っていたのに。

監督・仰木彬としての最後の試合。
僕はインボイス西武ドームでしっかりと見届けた。
なぜなら、もうユニフォームを着ることはないだろうと感じたから。
それほどまでに、練習中の顔色は芳しくなかった。
なのに、我々の前では、ずっと笑顔。
とても柔らかい笑顔だった。
“近鉄とオリックスの統合球団1年目を何とか乗り切る”という
大仕事を終えつつある満足感の中に
少々の後悔の念が散りばめられた表情だった。
シーズン中から体調が優れず
136試合フルイニング、チームを叱咤激励できなかった分
表情は柔らかかった。

あんな仰木さんを見たことがなかった。
あぁ、終わりなんだな、って思った。
だから、あの時の仰木さんは忘れられない。

パ・リーグ命の一ファンとして、悲しい。
悲しすぎる。

イチローが日本代表として大活躍する姿も
清原とノリのバファローズ入団の行方も見届けず
現代野球・希代の名将は天国へ逝った。


心よりご冥福をお祈り致します。

投稿者 斉藤一美 : 01:07 | トラックバック

2005年12月14日

明らかに変わった

今、朝食を食べる手が止まってしまいました。

姉歯元建築士の髪型が
明らかに変わった。

分け目を変えただけではなく、全体的なボリュームもすっきりした。
だから、あれから3週間も人前に出てこなかったのか、と
アホなことでも思わない限り、
今までの行動は納得がいかない。

ただ、悪いのはこの人だけではないよな・・・


とか考えていたら、もう出社時間です!

投稿者 斉藤一美 : 09:40 | トラックバック

2005年12月12日

『愛の流刑地』映画化

今、人前で読めない新聞連載といえば
日刊スポーツ競馬面の『ひと肌脱ぐわ』
G1予想が外れるたび
矢部美穂が服を1枚ずつ脱いでいく、という企画です。
土曜にこの紙面を開く時に限って
いつもカミさんが隣にいるので、ゆっくり読めません。
予想も全く当たらず
有馬記念を前に、ついに脱ぐものがなくなってしまいました。
今から24日のニッカンを、どこでならじっくり読めるのか、検討中です。

そして、もう一つが日本経済新聞の小説『愛の流刑地』
案の定ですね、映画化。
おととしの秋から読み始めた日経が
がぜん楽しくなり始めたのが、その1年後。
『愛ルケ』連載スタートと同じタイミングなのは
今まで誰にも言えませんでした。
何せ話も挿絵もエッチなもので。

“渡辺淳一作・日経連載・人妻との不倫”
という三種の神器が揃えられた以上
『失楽園』を思い出すのは当然です。
だからって、主演・役所広司はないっしょ!

ただ、ハマリ役なのは間違いありません。
読んでいて、役所さんの顔しか思い浮かばなかったのです。
そのたびに、我ながら安易な想像力だな
と苦笑いしていましたがそうでもなかったのですね。
見方を変えれば
「渡辺先生、“第二の失楽園”を書きましょう!
そして、映画にしましょうよ!」という
最初から映像化ありきの作品で(村上龍『半島を出よ』もこの口でしょう)
主演・役所もすでに決まっていたのかもしれませんよね。
こうやって、巨匠が、特定の俳優をイメージさせる原稿を仕上げていく。
読者は感情移入しやすくなる。
う~ん、非の打ちどころが見当たらない!

しかも、僕、最近、役所さんのファンになりつつあるんですよ。
テレ東『ガイアの夜明け』で演じる
一人二役(時には五役!)の芝居と、案内役の使い分けが
あまりに絶品なもので・・・。
いつも同じ薄手の黒いコートを着ているのに
全くの別人になりきってしまうとは、恐るべし、無名塾。

てなわけで、何だかんだ言っても、この予想されたキャスティングを
『愛ルケ』読者は受け入れてしまうんですね。

さぁ、相手役・入江冬香はいったい誰だ!?
37歳・三人の子持ち。
製薬会社に勤める冷淡な性格の夫とは見合い結婚。
スリムな体形・控えめな性格。
女性としての悦びを感じた経験、一切なし。
しかし、主人公との逢瀬を重ねることで劇的に変貌を遂げ
ついには絶頂の最中で死んでしまう・・

こんな難しい役に体当たりするのは一体誰だ!?

ダメだ・・・夫役しか浮かんでこない。
意外な線で、小日向文世。どうでしょう?


投稿者 斉藤一美 : 19:39 | トラックバック

2005年12月11日

フェンシングに挑戦!

TFS(東京フェンシングスクール)で、基本のフルーレを教わりました。
日本代表・飯田雅也コーチは大の文化放送リスナーで
昔から仲良くしていただいています。
コーチの厳しくも的を射たアドバイスで、型は何とかなりました。
ただ、胴着とマスクをつけると、息苦しいことこの上なく
動けないったらありゃしない!何てハードな格闘技なんだ!
それでも攻める!攻めるんじゃあーっ!

ウリャッ!
ウリャッ!.JPG

フンッ!
フンッ!.JPG

でも、有効打ゼロ。息がホントにゼーゼーいってました。


『最後に記念撮影な。
 こんなカッコすること、そうはないだろ。ハイ、笑って~』

作り笑顔ですけど。
ニカッ!.JPG

『よし、右手右足そのまま我慢だ!いいぞ!もう1枚!』
うぅ、もういいです・・・とは言えない・・・・・
ウゥ・・・.JPG

『これが最後だ!2死満塁・カウント2-3!バッターは誰だ!?』
えっ?・・・・・・・カブレラ・・・・・・・
『ピッチャーは誰だ!?』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松坂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『凄ぇぞ!松坂vsカブレラ!松坂は何を投げる!?』
スライダーです!
『よし!実況してみろ!!』
塁は全て埋まっている・・2アウト、2-3・・・
バッター・カブレラ踏ん反り返った・・・
日本一の剛腕・松坂大輔、振りかぶる・・・第6球を投げた!
空振り三振!!!

『そうだ、斉藤!それでこそプロだ!!』
・・・・・こんな意味不明の体育会的掛け合いをしながら
全身をプルプルさせつつ、パチリ。
んんん・・・.JPG

つい挑発にのってしまう性格のため、余計に疲れました。
やっぱり飯田コーチは、いつお会いしても
触れたらヤケドしそうなほど熱い方です。
masaya.JPG
ね。あまりに熱いので僕と肩を組むのを忘れるくらいなのです。
興味があればこちらまで
行ったが最後、あなたも飯田コーチにのせられますよ。
幼児教室もあります。お子さんのいらっしゃる方は、よろしければどうぞ。

投稿者 斉藤一美 : 22:58 | トラックバック

2005年12月10日

ブラジル上等

ドイツW杯、ブラジルと同じF組ですか!
抽選役の闘将・マテウスも粋なことをやってくれますね。
“世界最高の舞台で、世界最強の相手と、真剣勝負”
これこそ、サッカー後進国だった
日本のオールドファンが待ち望んでいたはずですよ。
まぁ、こんな考えは、もうテレビの生中継が
終わろうとしていた時間に辿りついたもので
やっぱり決定の瞬間は「マジ!?」とビビッてしまいました。
別に自分がロナウジーニョとマッチアップするわけでもなかろうに。
皆が、ブラジル?上等じゃん。望むところよ!ぐらいの気持ちを
自然に持てるようになれば日本もかなりのものですよ。
ブラジルのことだから、クロアチア・オーストラリアに連勝で
決勝トーナメント進出を決めるとして
最後、日本戦はメンバーを落として臨む可能性は捨て切れません。
僕は、胸を張ってサッカーファンだと言えるほどの知識はありませんが
日本も、絶対2戦2勝で晴れの日を迎え
王者の本気を引き出して欲しい、って思うのは
決して的外れではないですよね?
ただ、ヒディンク監督のオーストラリアが、ちょっとイヤな存在・・・。

このファイナル・ドロー(最終組み合わせ抽選会、というとちょいヤボ)、
民放ラジオの実況は、何と僕だったんです。
こっぱずかし~!!!!!
仮にあなたが他局に浮気しようとも
『日本、何とブラジルのF組!』の声は、日本全国、永久に僕。
文化放送という組織の偉大さを感じます(笑)。

それにしても、ホントにW杯でブラジルとやるんですね。
ジーコ、嬉しいんだろうな。

投稿者 斉藤一美 : 11:08 | トラックバック

2005年12月08日

1週間のメガネ生活

最近、やけに目が乾くので、使い捨てコンタクトレンズを
潤い成分を含んだタイプに変えようと思い、眼科に行ってきました。
「あ~~~」
医者の、こういう時の“あ~”ほどイヤなものはありません。
「新しいヤツ買う前に、コンタクトは1週間禁止だね」
何があったんスか!?
「血管が伸びてるんだよ」
ビヨーンって感じで?
「いや、本来血管がないはずの
黒眼のあたりまで、ツーッって伸びてる」

ビヨーンでもツーッでもいい。

原因は黒眼の酸素不足。
血管を伸ばすことで酸素を取り込めるようにするという
人間の立派な営みに関心してしまいました。
血管新生(けっかんしんせい)という症状なのだそうです。
なぜこんなことになってしまったのか。
そう、パソコンやりすぎだからです。

皆さんが通ってきた道を、PC初心者の僕も通るだけの話なんでしょうね。
ブログ始めて3週間。夢中でキーボードを叩きまくっていた証拠です。
『慣れないことを習慣づけるには、最初が肝心』
『一度突き抜けてから、力を抜く』
これが僕の20年来の生き方なので
血管新生はむしろ“WELCOME!”です。

というわけで、しばらくはメガネが手放せません。

小3から小5にかけて、視力が0.9→0.5→0.1とガタ落ちとなり
当時はハ-ドタイプしかなかったコンタクトを使うも
激痛に耐えられなかったので渋々買った、メガネ。

「坊主頭にメガネだから、かくれんぼしててもすぐ分かる」
と友達に笑われた、メガネ。

入社6年目に、女性の先輩から
「へ~、一美君もそういう顔だと頭良さそうに見えるわね」
と言われた、メガネ。

投手役のウチの息子の剛速球が当たって
左のレンズが破壊された、メガネ。

カゼの予防でマスクをして電車に乗ると
自分の息で曇ってしまう、メガネ。

「新人タレントが、オーディションの書類選考で
 メガネをかけた写真を送っておくと
 この女の子の素顔が見てみたい、と思わせるメリットがあるの」
ということを、あるメガネ女優から聞いたことがあります。

僕の場合・・・うーん・・・・・
メガネかけてて得したこと、何も見当たらない。
早いとこ、治しとこっと。

投稿者 斉藤一美 : 17:09 | トラックバック

2005年12月07日

ボログ その1<スローピング>

2006年1月9日(月)に
“蟹瀬誠一・ネクスト”のピンチヒッターを務めた際
誰にでも、今すぐできる健康法スローピング をご紹介しました。
ポロッと、ホントに、さわり程度。

で、昨日(30日)聞いたのですが
まだ文化放送にお問い合わせの電話を頂戴しているようで・・・。
どうもありがとうございます。
このボログを聴いて下されば、もっと詳しいことが分かります。
字、間違えてないですからね。
これは“ボログ”です。

今や容疑者となってしまった「あの人」を
褒めたたえているのが恥ずかしいけど、しょうがありません。
彼のとった行動はともかく
『行動力』は目を見張るものがあったのですから。

それでは、始まり、始まり~っ!

投稿者 斉藤一美 : 18:13 | トラックバック

2005年12月06日

ポラリスはどこ?

月曜日、会社の真ん前で見た冬の空。
あまりに夕暮れが美しかったので
このブログ初PHOTOとさせていただきます。

若葉.JPG

三日月と北極星の距離感に、なぜか心を奪われました。
若葉1丁目の風景も捨てたもんじゃありませんぜ、ダンナ。

浜松町への移転、ちょっと惜しい気がします。

あ、三日月は中央の白い傷みたいなやつ。
北極星はそこから遥か右、電線の左です。
サイズを小さくしたら、全然見えませんね(笑)。

こんなポラリスじゃ、ユジンは口説けないッス・・・
な~んて想像してたら、冬ソナ、久々に見たくなってきた。
息子のお母さん仲間から、DVD借りようかな。

投稿者 斉藤一美 : 00:36

2005年12月04日

参った

もう寝ようかと思ったけど、これは少しでも書かないと眠れない!

村主章枝に感動した。

「感動」は
“てっぺん”コメンテーターの荻原次晴さんが
安易に使うのを戒めている言葉です。
この前Qちゃんが勝った時には
さすがの彼も『これぞ感動』と大納得だったなぁ。

それから、僕はこの常套句を使うのを意識的に避けてきました。
左脳で変換すれば、いくらでも違う表現ができるからです。


なのに
録っておいたNHK杯・フリー演技のビデオを視終えた今
右脳が、この右脳が・・・
プロのアナウンサーの理性をジャマするんです!

村主に感動した。
フィギュアスケートを観て、生まれて初めて心が震えた。

古くはカタリーナ・ビットの妖艶さにKOされ
ミシェル・クワンとタラ・リピンスキーの鼻の穴の大きさに驚き
最近では、浅田真央が唇に人差し指を当てる
“シーッ、静かに”ポーズに萌えていた・・・
そんな自分が、超恥ずかしい。

股関節を痛めて、ロクに練習ができていなかったから
最近はジャンプの着地で転んでばかりいたのに
フリー、完ペキでしたもんね。
不調だった期間は比べものにはならないけど
僕の中では、Qちゃんクラスの衝撃でした。
最悪の状態で、最高の結果を出すなんて
やっぱり信じられないですよ。
積み重ねてきた月日の重さを感じました。

前から、TVを観るたび思ってたんです。
村主って、いつも泣きそうな顔して滑ってるなーって。
結局、泣かないですけど。

それが、今回は、泣いた。
最後の最後に、泣いた。
「泣いちゃいけない」とわかっていたのに、泣いた。

参った。
ど根性アスリート・村主章枝に泣かされた。

優勝した中野友加里も素晴らしかった。
でも、僕は、村主に感動した。

投稿者 斉藤一美 : 03:05 | トラックバック

2005年12月01日

7つの幸運

何か、僕、表彰されるみたいです。
集英社の“Sportiva”っていう雑誌、ありますよね。
そこで今年の6月から
ケータイの「着うた」ならぬ「着実況」コンテストの
『感動スポーツ実況大賞』
誌面展開しているのですが
僕の実況が、優秀賞に選ばれたそうなんですよ。

でも、バンブー竹内部長から言われた瞬間、うれしさよりも先に
最優秀賞を獲れないのが
オレらしいなぁ

と考えてしまいました。
バチ当たりなのは百も承知。
でも、これぞ負けず嫌いの面目躍如っすよ。 
まだ、何かが足りないんですね。
しゃべりの神様は、宿題をお与えになったようです。
ただ、2年前のフジテレビ『実況格闘』で1回戦敗退を喫して以来
虎視眈々とリベンジの機会を探り続けている身としては
素直に喜ぶことができました。
そういえば、あれから『実況・・』の続編、やってないんですよ。
あのときの借りは、あそこでないと返せないんです。
このまま0勝1敗で終わるのかと思うと、くやしくてしょうがありません!


あー、すっきりした。

そう、優秀賞。
幸運以外の何ものでもありません。

幸運その①
“西武ライオンズ・西口がノーヒットノーラン目前で
 巨人・清水にパカーンと打たれたホームラン”を実況した
先輩アナの作品がノミネートされそうだったところを
菅野詩朗デスクが「いや、あの時の一美のヤツで行こう」と
プッシュしてくれた。

幸運その②
この時、ワイドショーで特集が組まれるほど大ブレークしていた
“おかわりクン”中村剛也のホームランだった。

幸運その③
ホームランは、中村が打ったこの試合2本目のアーチだった。

幸運その④
彼のアーチは、カブレラと違い“打球の滞空時間”が長いので
ありったけの言葉をぶつけることができた。

幸運その⑤
言葉に加え、僕の実況の生命線である“感情”を存分に注ぎ込めた。
なぜなら、愛するライオンズにとって貴重な勝ち越しの一発だったから。

幸運その⑥
選手のキャッチフレーズは自分で考えたもの以外使わない
という信念があるため、あのホームランに出逢うまでは
“おかわり!”という絶叫を封印していた。

幸運その⑦
放送席が
グラウンドより遥か高い位置にあったり
窓ガラスで仕切られているせいで
熱気が伝わりにくい今どきのドームではなく
選手の息づかいや観客の声援をダイレクトに感じることができる
神宮球場のブースで実況することができた。

そんなこんなが重なり合っての受賞・・・7つの幸運に感謝、感謝です。


半年前のことなので、もう細かい部分は思い出せませんが
『頼むっ・・・・・言わせてくれっ!
 これがホントの・・
“おかわり”だぁーーーーーっ!!!』

と声を限りに叫んだこと。
で、その日の酒がメチャメチャ美味かったことはハッキリと覚えています。
興味のある方は、お手持ちのケータイのサイトへ
アクセスに、アクセス(貴水博之風に)!

あ、今度の日曜の「てっぺん」で放送しよっか?
手前ミソだけど、自分の番組だもん。いいですよね?


受賞を一番喜んでくれたのは、菅野デスクです。
ド新人の頃からお世話になっているので、少しは恩返しできたかな
と思うと、やっとうれしさがこみ上げてきました。

投稿者 斉藤一美 : 03:40

 

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