2006年07月03日
エースの入口
【9イニングを任せられる先発投手】
【調子が悪くても、大崩れしない投球でしのぐ】
【大事な試合は、必ず、勝つ】
【チームメイトから絶大な信頼を得る】
僕が深く胸に刻む『エースの条件』です。
以前、解説の西本聖さんから教わりました。
投手コーチが、この受話器をとる機会がない試合は
大体、エースが投げているものです。
【1年だけでは、エースと呼べない】
【2年続けば、エース“格”】
【3年活躍して、初めて、エース】
だから、松坂大輔はルーキーで最多勝のタイトルを獲りましたが
しばらくの間、西武のエースは西口文也だったのです。
そう考えると、楽天・一場靖弘がエースなんてとんでもありません。
どんなに右肩痛で苦しんでいても、岩隈久志ということになります。
ならば、西本聖さんも文句なしで巨人のエースでした。
しかし「それは違う」と聞かされた時は、ホントに驚きましたよ。
当時、江川卓さんとの二大看板でチームを引っ張っていましたが
確か、開幕投手を2人が交互に務めた時期は
西本=優勝 江川=V逸 だったはずです。
「でも、エースは江川さんだったんだよ。
“江川・西本”とは言われるけど“西本・江川”とは言われなかったからね」
大事な試合で勝っていたのは、江川ではなく、西本でした。
ただ、悲しいかな【エースは周囲が決めるもの】なのです。
それ以来【エースはチームに1人だけ】という持論を、西本さんは強く訴えています。
【“右のエース・左のエース”というのは間違い。右だろうと左だろうと、エースは1人】
とかく“エース”を作りたがるマスコミ側の人間として
耳の痛い言葉だったことを記憶しています。
原ジャイアンツのエースは、間違いなく上原浩治です。
でも〈今日勝たないと、昨日の勝利の意味がなくなる大事な阪神戦〉で
プロ初完封を成し遂げた内海哲也は、ついに、エースの入口に立ちました。
チームの大先輩としのぎを削っていけば、また、強いGの歴史が創られる。
力感あふれる内海のピッチングに目を奪われながら、僕はそんなことを考えていたのです。
早出特打。左・スンちゃん。右・由伸。
〔斉藤一美〕
投稿者 文化放送スポーツ部 : 2006年07月03日 01:39