『裁判』
今回は『裁判』を見てきました。
『裁判員制度』導入後の『裁判』は、どうなっているのか・・・。
何が変わったかっていっても、そうは変わらない。
『裁判』というものの本質は変わらない。
確かに傍聴しようって人はチラホラ増えているかな。
注目されるのはいいことだ。
そして、ギャラリーが増えると、人は張り切る。
検事も弁護士も判事も人間だ。
張り切るっていうのは、悪いことじゃない。
誰だって、自分の仕事を人に見てもらいたい。
そう、ある意味で裁判も『晴れ舞台』なのだ。
でも、人前で訴追したり弁論したりするのは、
緊張する。
リハーサルで出来ても、本番ではあがってしまって、
出来ないなんてことも多い。
なので、『裁判』にも『演劇』の訓練が必要だ、
とオレは思う。
あと、いくつかの『裁判』を見て、つくづく人間っていうものは、
理屈じゃないんだなと感じさせられた。
情状酌量を訴える局面で(事実関係の認定よりも、
もう事実はわかっているので、情状酌量をどう訴えるか、
というケースの方が多かった)、一番強く弁護士の
論調のバックに流れているのは、『演歌』だった。
「こいつもバカなことやっちまったけど、
それにはいろいろと仕方ない事情があった。
反省しているから、どうか許してやってくれねえか」
という、減刑の嘆願だ。
時には、判事や検事までもが『演歌』な判例もあり、
とても興味深かった。
日本人は『演歌』で動くんだ。
上野発の夜行列車にズンズンズンドコ乗りながら、
お酒はぬるめで、着てはもらえぬセーターを
涙こらえてヘイヘイホー・・・な、そんなあいつが
憎い、恋しい、憎い、恋しい・・・巡り巡って今は恋しい。
雨、雨降れ降れ、もーっと降れ♪
私のいい人連れてこい・・・
(つづく)
(by 清水)
投稿者 ごぜんさまスタッフ : 2009年09月24日 12:34