8月10日~8月14日の邦流は、田口トモロヲさん
今週の「邦流」のゲストは、田口トモロヲさん!
8月10日≪月≫:映画少年だった学生時代
田口トモロヲさんの子供時代は、ごく平凡で、人見知りが激しく、満たされない日々だったそうです。中学・高校時代には、親の仕事の都合で引っ越しを繰り返すようになりますが、転校生として女子生徒に注目されたことが理由で、思わぬイジメに遭うことも多かったとか。そんな田口さんが楽しみにしていたことと言えば、得意だった漫画を描いて表現欲を満たすことだったそうです。また、映画館には連日通い詰め、今村昌平さん、大島渚さんの監督作品が持つ「もやもやした感じ」にのめり込んで行きました。
8月11日≪火≫:漫画・バンド・芝居
親の希望で大学に入学したものの、ほとんど授業には出ず、ついに「4年間1年生だった」という田口さん。一方で、当時台頭し始めた「アングラ演劇」の世界に衝撃を受け、「自分もその周辺にいたい」と思いつめます。21歳の時、当時「状況劇場」と並ぶと見られていた「発見の会」に美術助手として参加するチャンスに恵まれ、いよいよお芝居の世界に入ります。最初の芝居はぬいぐるみの中に入る役だったとか。
こうして4年が過ぎる中、就職しない理由を見つけるために、得意だった漫画を描いて投稿することに。その結果、「官能劇画家」としてのデビューを果たし、1年間で100万円貯金することに成功。このお金をパンクバンドとアングラ演劇に注ぎ込む生活が始まります。
8月12日≪水≫:運命の映画デビュー
バブル時代には、インディーズバンドを「青田買い」する動きが広がったため、田口さんらのバンド「ばちかぶり」も活発に活動。しかし、インディーズ・ブーム時代が、バブルとともに崩壊すると、方針を転換し、1990年にはメジャー・デビューします。しかし、続かず2年後には活動を停止してしまいます。
バンドと並行して俳優として活動していた田口さんでしたが、1989年に公開された映画「鉄男(てつお)」に主演したことがターニングポイントに。この作品はローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを獲得し、海外で高い評価を受けます。日本ではほとんど報道されませんでしたが、この後、海外の映画祭に招待され、VIP待遇されたりして驚くことも。こうして田口さんは映画の世界にのめり込んで行くようになります。
8月13日≪木≫:プロジェクトXでのナレーター
田口さんがNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」でナレーションをするようになったきっかけは、NHK側からオーディションの形で「読んでみませんか」と話があったことだったそうです。内容が「裏方で活躍する人々に光を当てる番組」ということだったので、田口さんが演じてきた役柄にも近く、やってみることを決意したといいます。あの独特のナレーションスタイルは、スタッフとプロデューサーらとの手さぐりで創り出したものだということ。収録の場面で涙を流さないで済むように、前日に自分でも驚くほどの涙を流して練習してから本番に臨んだということです。
8月14日≪金≫:映画監督 田口トモロヲ
映画監督は以前から夢ではあったという田口さんも、その厳しさを身近に見て痛感していました。しかし、親友でもあるみうらじゅんさんの原作を読んで感動し、映画化しないともったいないと感じていたところ、進んでいた映画化の話がつぶれたと知り、飲み屋の川の中で「じゃあ僕が」と引き受けることに。作品は「アイデン&ティティ」。
第二作となる「色即ぜねれいしょん」は、みうらじゅんさんの自伝的小説を映画化したもの。作品は、田口さんならではの文科系の童貞男子に向けた作品で、普遍的な青春像に迫る内容です。スポーツに熱くなることもなく、かと言ってグレる訳でもなかった多くの人々の青春像が描かれます。
<田口トモロヲ>
1957年、東京都出身。大学中退後、漫画家やライター、イラストレーターを経て、82年『俗物図鑑』でスクリーンデビュー。84年にはインディーズのパンクバンド「ばちかぶり」を結成。89年に塚本晋也監督の「鉄男」に出演。94年にはみうらじゅんとバンド「ブロンソンズ」を結成。03年、「アイデン&ティティ」で初監督、00~05年にはテレビ「プロジェクトX~挑戦者たち~」(NHK)のナレーターを務める。
投稿者 joqr : 2009年08月09日 16:00