7月27日~7月31日の邦流は、角田信朗さん
今週の「邦流」のゲストは、角田信朗さん!
7月27日≪月≫:イジメられっ子だった子供時代
一流企業の創業者の血縁という家庭に育ちながら「子供のころは辛い思い出ばかり」
と言う角田信朗さん。お父さんの仕事の関係で引っ越しが続き、友達もできず、
いつも人の輪に入り込めませんでした。
成績が良かったことへのやっかみもあって、ひどい「いじめ」を受けていたという
ある日、父親の何気ない一言が、角田さんに転機をもたらします。
7月28日≪火≫:空手バカ一代な学生時代へ
父親の言葉に「強くなること」への思いを強くしていた角田信朗さんは、
中学1年生のとき、当時大ヒットしていたブルース・リーの映画と出合います。
映画のサントラ盤を何度も聴き続け、ついに英語で「ブルース・リーそのまま」の
モノマネが出来るほどのめり込んで行きます。
しかし、そのブルース・リーの空手を「軍鶏(しゃも)の喧嘩」と評する
大山倍達(ますたつ)さんの雑誌記事を読み、大山さんを主人公にした劇画
「空手バカ一代」を知ったことで、角田さんは空手の世界に導かれます。
7月29日≪水≫:大学卒業からの低迷期
当時まだ無名の流派だった「正道会館」に所属し、他流試合に明け暮れていた大学時代。
最初の試合では、後ろ回し蹴りで「技あり」を取ったものの、勢い余って相手の顔面に
チョップを入れてしまい「反則負け」に。
就職先としては、まだ「空手のプロ」という選択肢がありえなかった当時、
英語の教員を目指した角田さんでしたが、教育実習先の指導教官が言ってくれた
ある一言が、角田さんにとって大きな分岐点になります。
7月30日≪木≫:K-1のリングにて
一流商社の内定を蹴って、K-1の立ち上げに尽力していた角田さんですが、
慣れない外国人との契約や、損益の壁といった経営上の課題に直面します。
そして、K-1ファイターとしてのデビューは、永遠のライバル・村上竜司さんとの
ナゴヤドームでのドリームマッチでした。
生涯終わることのない角田さんの闘いの日々が始まります。
7月31日≪金≫:角田信朗さんの素顔
何事にも深くのめり込む角田信朗さんは、趣味もやはり多彩です。
ダンボールいっぱいの模型やフィギュア、ゴジラの脚はご自宅で履いてみることも
多かったそうです。ただ、飽きるのも早く、やはり戻ってくるところはトレーニングと
鍛錬の世界でした。来るべき50代にファイター・角田信朗が挑戦するものとは?
<角田信朗>
1961年、大阪府堺市生まれ。 高校2年の時に極真空手の芦原道場入門。
関西外語大学進学後、正道会館の独立を支える。 大学卒業後、サラリーマンとして
働きながら空手を続ける。1995年からK-1参戦。闘志あふれるファイトスタイルで、
現在の格闘技ブームの礎を築いた。
現在は、K-1競技統括やレフェリーを務めているほか、タレント・俳優としても活動。
投稿者 joqr : 2009年07月26日 16:00