2月9日~2月13日の邦流は、東尾修さん
今週の「邦流」のゲストは、東尾修さん!
2月9日≪月≫:東尾修さんの少年時代
和歌山で生まれた東尾修さん。
野球との出会いは小学4年生だったそうです。
おじいちゃん、おばあちゃん子だった東尾さんは、
それが原因で野球の強い平安高校に入れなかったんだとか。
東尾修さんの少年時代のお話を伺っています。
2月10日≪火≫:高校野球からプロ野球の世界へ
高校野球で活躍された東尾修さんは、プロ野球を夢見るようになりました。
しかし、いざプロ野球の世界に入った東尾さんは、すぐに自信を失ったそうです。
バッターに転向しようか考えていた2年目、ある事件で
東尾さんは主力として投げざるを得なかったんだそうです。
高校時代からプロ入団当時のエピソードです。
2月11日≪水≫:東尾修さん日本一への道
プロ2年目から主力ピッチャーとして投げた東尾さん。とにかく負け続けたそうです。
そんな中でも、東尾さんは前向きに考えるようにしていたとか。
チームが西武ライオンズになり、いよいよ初めての優勝を経験します。
弱小チームから日本一まで、東尾さんのピッチャー人生をうかがっています。
2月12日≪木≫:西武ライオンズ監督・東尾修
野球解説をなさっていた東尾さん。1994年のオフにライオンズの監督に就任されます。
当時はいろいろな選手に恨まれたそうです。そんな時、松坂投手が入団します。
今日は、松坂投手が入団した頃のウラ話をお聞きしています。
2月13日≪金≫:2009年、野球界はどうなる?
東尾修さんが気になっているWBCの出場選手は、やはりピッチャーなんだそうです。
そして、国内でのプロ野球の今シーズンはどうなるのか?期待している選手は?
今日は今年の野球界についてうかがっています。
<東尾修>
箕島高校から1969年ドラフト1位で西鉄ライオンズに入団。
「黒い霧事件」によりエースを欠いたチームで、入団2年目に11勝8敗の成績を残すと、その後エースとして活躍。
弱小球団ながら1975年には23勝をあげ最多勝を獲得し、西武となった後の、1983年には18勝9敗2セーブ、防御率2.92で最多勝と防御率1位の2冠を獲得、MVPに選ばれた。
1977年100勝、1980年150勝、1984年200勝を達成。
通算与死球165は史上最多だが、一方でコントロールは抜群によく通算無四球試合33の記録を残している。
大胆な内角攻めから一転し、外角いっぱいに得意とするスライダーを決める投球で通算251勝247敗、通算防御率3.50の成績を残し、1988年に現役を引退。
1995年西武ライオンズ監督就任。
就任1年目、2年目は3位に終わるも、西武主軸の清原が去り、チームの若返りを強いられた3年目には、松井(稼)、大友、高木大ら若手野手、さらにはエースとなる西口を育て、1997年、98年と2年連続リーグ優勝を成し遂げた。
2001年監督退任後、評論家として活動。
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投稿者 joqr : 2009年02月08日 16:00