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フォー・セインツ スペシャルトーク&ライブ! 2009年02月11日
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◆ 放送50回記念!スペシャルトーク&ライブ ◆
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ドコモ団塊倶楽部は2月の放送で50回目を迎え、
これを記念しまして、初めての公開生放送を
開催しました。
題しまして
ドコモ団塊倶楽部 50回記念
スペシャルトーク&ライブ
~ 今よみがえるカレッジ・フォークの薫風 ~
会場となる文化放送12階の
文化放送メディアプラスホールには、
定員をはるかに上回る応募の中から
抽選で選ばれたお客さんにお集まりいただきました。
生放送では、ライブに酔いしれ、
トークに笑い、そして会場一体となっての合唱、
さらには(本当に)サプライズのアンコールあり、
2時間弱の生放送+αの、楽しい時間を
共有することができました。
ライブの主役は昨年、約40年ぶりに活動を
再開した、かつてのカレッジフォークの
草分け的フォークグループ、
フォー・セインツの皆さん。
さらに特別ゲストとして、
伝説のフォーク&GSシンガー
ザ・ブロードサイド・フォーの黒澤久雄さん、
ザ・ワイルドワンズの鳥塚しげきさん、
ヴィレッジ・シンガーズの小松 久さんが
初めてトリオでの演奏を披露してくださいました。
――――――――――――――――――――
◆ フォー・セインツ結成秘話 ◆
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◇フォー・セインツ メンバー◇
上原徹さん(リーダー、ヴォーカル&ギター)
ダニー石尾さん(ヴォーカル、ギター/バンジョー)
志賀正浩さん(ベース)
荒木しげるさん(ドラムス)
(弘兼)僕が大学時代、最初に
“洗礼”を受けたグループが
フォー・セインツですね。
(志賀)そんなたいしたことありませんよ。
ただ、古いだけなんですから(笑)
●デビュー当時を振り返って
1968年のデビュー曲「小さな日記」を
作ったのは上原さんたちの学校の後輩。
そしてフォー・セインツが歌うことになり
ラジオに出演すると、
“アマチュア・ヒットチャート”で
10週連続1位を獲得。
(上原)知らないうちに、ヒットしていったんで、
あまり“ヒット”という(実感は)
なかったですね。
その後、さまざまなレコード会社から
声がかかり、当時の東芝レコードから
リリースされることが決定。
(弘兼)学業がおろそかになったのでは?
(上原)みんな・・・
(志賀)両立してました!
(ダニー)“やっと”だよ!
(荒木)“ボロボロ”でしたよ。
(上原)ゼミに出るのがやっとでしたね。
●「小さな日記」ヒットの真相?!
(上原)「小さな日記」は
ギターを演奏する方はわかると思いますけど
最初に覚えたてのアマチュアの方が
歌いやすい・演奏しやすいということで
ヒットしたんだと思います。
(志賀)ところが、サビにいくと
「F」が出てくるんです。
そこで、挫折する人が多いんです。
●「小さな日記」レコーディングメンバーは5人だった
メンバーの出会いは・・・
上原さん、志賀さんは、同じ成蹊高校。
お二人と同学年のダニーさん大学進学時に
成蹊大学に進まれますが、それ以前から、
学生主催のコンサートに
“当時のフォー・セインツ”と
ダニーさんのグループが参加してことで
交流がありました。
そして「プロデビュー」にあたって、
メンバーの再構成が行われ、
ここでダニーさん、荒木さんが合流。
当初は5人のメンバーだったそうですが
プロデビューにあたり、一人は脱退。
(上原)レコーディングをしてやめたんです。
「小さな日記」のジャケットを見ると
5人いるんです。
(志賀)プロになると聞いて、一人脱退、二人脱退…
僕と上原だけ残って、ダニーを誘って、
3人だとルックス的にイマイチかな、
と思って荒木を(誘ったんです)。
そして1968年「小さな日記」で
レコードデビューを果たすと、
たちまち大ヒットを収め、
カレッジフォーク・ブームを巻き起こしました。
●当時の収入は??
(弘兼)ぶっちゃけた話、そのころの収入は
どうだったんですか?
(志賀)お値段はね・・・
(ダニー)“お値段”って通販じゃないんだから!
当時の大卒の初任給が18,000円の時に
30,000円の収入があったそうです。
(ダニー)あまりに忙しいんでグレて、
ゴネたら、次55,000円になりました。
(志賀)そんな話をする番組なんですか?!
――――――――――――――――――――
◆ 解散後の、それぞれの「第二の人生」 ◆
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フォー・セインツは1978年に解散。
その後、メンバーの皆さんは
どのような人生を歩まれたのでしょうか。
◇上原徹さんの場合◇
上原さんは、解散後、フジテレビに入社。
ディレクターとして「スター千一夜」
「ミュージックフェア」「夜のヒットスタジオ」
などの音楽番組をはじめ
女子プロレス中継、「ラブラブショー」なども
担当されました。
1989年~2002年はイギリスに。
(上原)外国で音楽の番組を作りたい、と
イギリスに赴任しました。
●現在 音楽出版会社 社長
現在は、フジテレビ関連会社の
フジパシフィック音楽出版の代表取締役社長に。
(上原)「小さな日記」をうちの会社で
管理してるんです。
この業界の“入り口”と“出口”に
共通性があって、これもひとつの
“運命”だと思ってます。
****************************************
◇ダニー石尾さんの場合◇
ダニーさんは、解散後も
カントリー&ブルーグラス系の
ミュージシャンとして活躍。
最近は、2007年に亡くなられた
作詞家の阿久悠さんが遺された詞に、
ダニーさんが曲をつけられた
「地球が笑う日」をリリース。
(ダニー)阿久さんの未発表の詩が
100篇くらいあったんです。
見せてもらったら、ほとんどが
演歌、アイドル用の詩だったんですけど
残ってる中に この詩があったんです。
彼独特の切り口で「いいな」と
思って、作らせてもらったんです。
※6曲入りミニアルバム「地球が笑う日」は
「stone garden」から 2,000円で発売中
●スタジアムDJとしてもご活躍
1993年のJリーグ スタート時から
鹿島アントラーズのスタジアムDJを担当。
(ダニー)Jリーグ元年からホームゲーム全試合で、
シャウトしています。
スタジアムに足を運ばれた人は
必ず僕の声を聴いているはずです。
試合前の選手紹介から、
大型ビジョンを使って
スタジオアムのグルメの紹介とか・・・
「ここの煮込みはうまい!」とか、
そういうことまでやってるんです。
****************************************
◇荒木しげるさんの場合◇
荒木さんは解散後、モデルを経て俳優として大活躍!
「仮面ライダー ストロンガー」に“城 茂”役で主演!
これをキッカケに、芸名を
本名の“荒木生徳 <いくのり>”から
“荒木茂”後に“しげる”に改名されました。
(荒木)本名が“カタかった”ので、
「荒木」は残して、役名からもらって、
「茂(しげる)」にしたんです。
その後「暴れん坊将軍」
「特捜最前線」などにも出演。
(荒木)9年続いた「特捜最前線」は
3年で殉職したんですけど・・・
「暴れん坊将軍」は4年やって、
今でも再放送してるでしょ。
アメリカみたいに「再放送料」も
キッチリいただいたら“御殿”が建ってる。
●「仮面ライダー ストロンガー」撮影裏話
“変身後”のストロンガーは
“格闘技”“トランポリン(ジャンプ)”
“オートバイ”と、シーンごとに、
3人が演じていたそうですが、
時として、荒木さんが衣装を着て、
この3つを演じたこともあったそうです。
また“変身前”の 城 茂 は、
ほとんど吹き替えなしだったとか。
(荒木)トランポリン、崖から落っこちる…
これは、ほとんど、吹き替えなかったです。
(ダニー)お願いがあるんだけど荒木に
「変身!とぉーっ!」っていうの
やってほしい!
(荒木)60になって“変身”なんて
できるわけないじゃない。
しかし・・・
(荒木)天が呼ぶ!地が呼ぶ!人が呼ぶ!
悪を倒せと俺を呼ぶ! 俺は正義の戦士
仮面ライダー ストロンガー!
とぉーーっ!!
(弘兼)“照れ”が入ってましたね。
****************************************
◇志賀正浩さんの場合◇
志賀さんは、1980年代前半にテレビ東京系の
「おはようスタジオ」で司会を担当、
女性や子供たちから“志賀ちゃん”と親しまれ、
レコードも出して一躍 人気者に。
現在は、司会業の他、
芸能プロダクション「ポルマーニ」を経営。
社名の“ポルマーニ”とは??
(志賀)アルマーニを着て、ポルシェに乗るくらい
頑張ろう!
(弘兼)4人の皆さんのお話を聴いてると
“オチ”をつくるのが志賀さんですね。
●文化放送でもおなじみ
文化放送では「ダイナミック・サタデー」など
数多くの番組にもご出演。
(志賀)昨日、(文化放送の)
三木社長にお会いしまして
「また喋りたいんで、お金払うから
“枠”ちょうだい」って言ったんです。
(石川)いわゆる“改編期”が迫ってますからね。
そういう機会があったら、
またよろしくお願いいたします。
(志賀)(番組が実現したら)一緒にやってください。
トークコーナーを大いに盛り上げてくださった
志賀さん、石川アナウンサーの
「いよいよライブなんですけど」の声には・・・
(志賀)(しゃべりすぎて)疲れちゃいました。
荒木は“変身”しちゃって
ドラム叩けないと思いますよ。
4曲もやるんですよ。
2曲しか ヒット曲ないのに。
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◆ フォー・セインツ LIVE ◆
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◇ 小さな日記 / フォー・セインツ◇
いよいよライブ スタート!
1曲目はデビュー曲の「小さな日記」
<演奏後>
(志賀)昭和43年、昭和の時代を思い出して
いただければ、と「小さな日記」を
生で演奏させていただきました。
番組進行上、2曲続けてやってくれ、
ということなんですけれども、
40年ぶりなので、この年ではできません。
指がつります。荒木も腱鞘炎手前まできてる…
という雰囲気でございます。
◇ 希望 / フォー・セインツ◇
“少し休んで”2曲目はデビュー曲に続いて
1969年に発表された「希望」
<演奏後>
(志賀)2曲聴いていただきました。
以上、フォー・セインツでした。
(会場) 笑
◇ 冬物語 / フォー・クローバース◇
3曲目は、「フォー・クローバース」と改名後
日本テレビ系列のドラマ「冬物語」主題歌として
1972年に発表された「冬物語」。
<演奏前>
(志賀)そこそこヒットして、4人はバラバラの道へ。
去年あたりから、久会うようになって
楽屋で話すのは、病気の話、
お医者さんの話…、体の話です。
僕も血圧が高くて、眼圧が高いんで…
低いのは“背”だけですけれども、
皆さんも健康に気をつけて!
◇ この街で / フォー・セインツ◇
<演奏前>
(上原)解散してから今年で42年。
2年くらい前に還暦を迎える年を迎えまして
その頃に、自分の家内が病気になりまして、
その病気と闘いながら、
両親の面倒を見ていたんです。
その時に、この曲と出会ったんです。
「この街で」は、「千の風になって」の
新井満さんと三宮麻由子が作曲。
2005年に日本ペンクラブ(新井満常任理事)
「平和の日・松山の集い」の舞台で、
作詞:新井満さん、
作曲:新井満さん・三宮麻由子さんの合作で誕生。
(上原)詩の中に「おじいちゃん・おばあちゃん」
という言葉が出てくるんです。
学生の頃から、歌詞の中で歌ったことが
なかったんで、抵抗もあったんですけど
この時代になりますと“非常にいい曲”だな、
と(思いまして)。
最後に「いつまでも好きなあなたと
歩いていきたい」というフレーズがありまして
そういうのをオーバーラップしながら、
我々が育った(東京)武蔵野の吉祥寺
――自分たちのふるさとのような街も
“変わってほしくない”とよぎりながら・・・
家内のことも含めて
“できるだけ長く一緒に過ごせればいいな”と
思いながら、この曲を皆さんに
聴いていただきたいと思います。
<演奏後>
(石川)会場の皆さんも、一緒に
口ずさんでいらっしゃいましたね。
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◆ 黒澤久雄、小松久、鳥塚しげき登場 ◆
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特別ゲストの皆さんにもお越しいただきました。
○60年代のカレッジ・フォークの旗頭
ブロードサイド・フォーの黒澤久雄さん。
○ミスター団塊
ザ・ワイルドワンズの鳥塚しげきさん。
○グループサウンズの貴公子
ヴィレッジ・シンガーズの小松久さん。
お三方は、小松久さんを通じて
接点があり、それぞれユニットを結成。
鳥塚しげきさんとは「とりづか+こまつ」。※1
黒澤久雄とは「黒澤久雄&ローガンズ」。※2
※12003年結成
※2「老眼」に由来するそうです。
実は、3人がひとつのユニットとして
ステージで演奏するのはこの日は初めて。
(鳥塚)生ギターでやるというのは初めてなので
“どうなることか?!”ということなんです。
●ザ・ブロードサイド・フォー
大ヒット曲「若者たち」リリース後は
活動していなかった!
ブロードサイド・フォーは1964年、
黒澤久雄さん鶴原俊彦さん、横田実さんで
「ザ・ブロードサイド・スリー」を結成。
1965年に山口敏孝さんを加え
「ザ・ブロードサイド・フォー」と改名。
1966年には、同名ドラマ主題歌
ヒット曲「若者たち」を発表しますが・・・
実は、レコーディング前に
すでに解散していたのだとか。
(黒澤)「テレビの主題歌を歌ってくれ」って言われて
歌ったら、評判がよくて、しょうがなく
(レコーディングを)やったんです。
●皆さんの音楽観は一致している??
(鳥塚)楽屋で誰かがギターを弾き始めると
みんなで歌っちゃいます。
三人とも音楽が好きなので
何かというと「あのCD聴いた?」
「あの映画の主題歌よかったね」
という話になりますね。
エルビス・プレスリーが好き――という
黒澤さんからは、思わぬお話も飛び出し・・・
(黒澤)きょうも“エルビス”をやったほうが
よっぽど楽なんだけど
“フォーク”という発注だから仕方ない。
「若者たち」は歌いたくないんだ。
“生”だから本番中、全然違う曲をやったら
ビックリするだろうな。 ※
(弘兼)それはそれで面白い!
(石川)ある程度、時間に収めていただければ
大丈夫です。
(弘兼)ホント?!
※文化放送のみ生放送でお送りしました
●話術も磨かれました
長年、ステージに立たれていますと、
演奏以外の「MC」も鍛え上げられていくようです
(鳥塚)ワイルドワンズで最初にステージに立った時
“曲の紹介”くらいしかできなかったけど、
年を重ねるに従って、
寒ければ「きょうは寒かったね」というフレーズや
きょうも「(会場の)皆さん、昔は若かったでしょうね」
ということが自然に出るように(なりました)。
(弘兼)ワイルドワンズでは植田(芳暁)さんが
80%くらい しゃべってましたね。
(鳥塚)僕が「2」ふると、彼は「10」返して
きますから、彼の占有率が高くなります。
(黒澤)フォー・セインツでいう「志賀」みたいなヤツです。
ちょっとふったら、ずっと喋ってますから。
フォー・セインツも大変だと思います。
●ダンスパーティー「ザ・ダンパ9」
「とりづか+こまつ」のお二人が中心となりまして
開催されます「ダンスパーティー」のお知らせです。
『ザ・ダンパ9』
日程:2月25日 水曜日 (18:45受付開始)
会場:グランドプリンスホテル高輪 プリンスルーム
チケット:15,000円 (お食事、フリードリンク付き)
特別ゲストは 黒澤久雄さん、まきみちるさん
特別ゲスト ギタリストは北原照久さん
(鳥塚)昔のダンパというと、椅子が壁際に並べられて
ほとんど座れませんでしたが
我々と同じ世代の人が みえますので、
テーブルとイスを用意しました。
(黒澤)踊れるのかよ?
救急車 用意しておいた方がいい。
(会場) 笑
(鳥塚)皆さん“自分の好きな歌!”っていうのが
どこかにあって、“ある曲”がかかると、
スイッチが入ったように踊りだす人が
いらっしゃいます。
演奏曲目は、オールディーズ中心。
ニール・セダカ、「ダイアナ」「ベンチャーズ」など。
(鳥塚)とにかく、聴いてるだけでも楽しいし、
僕らもオールディーズを歌う機会がないので
たまにダンスパーティーを企画するんですけど
皆さん「昔を思い出す」と、喜んで、
踊れなくても、雰囲気を楽しんで・・・
(黒澤)あんたも よくしゃべるね。
NHKのアナウンサーみたい。
――――――――――――――――――――
◆ 黒澤久雄と仲間たち LIVE ◆
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3人だけでの、生ギターによる演奏は初めて
という、黒澤さん、小松さん、鳥塚さんの
“ニュートリオ”ユニット名は「黒澤久雄と仲間たち」。
◇ さらばジャマイカ / 黒澤久雄と仲間たち◇
<演奏後>
(小松)これはハリー・ベラフォンテが本家ですね。
きょうは、クロパン、鳥塚しげき、小松久の
ニュートリオ・・・
(鳥塚)“ニュー”には見えない。
(黒澤)どこが“ニュー”なんだ。
◇ 亜麻色の髪の乙女 / 黒澤久雄と仲間たち◇
<演奏前>
(黒澤)ヴィレッジ・シンガーズは清水道夫という
僕の同級生が歌ってたんですけど
きょうは、小松さんの“ギター”を
ぜひ聴いていただきたい。
(小松)君は清水道夫の“ニセモノ”ということで。
(黒澤)もうちょっと、いいニセモノを・・・
◇ 想い出の渚 / 黒澤久雄と仲間たち◇
<演奏前>
(鳥塚)ワイルドワンズとヴィレッジ・シンガーズは
同じ1966年にレコードを出したんですけど、
その前に、夏のイベントが軽井沢であって、
その時に初めて、一堂に会したわけです。
当時「フォーク・ロックというジャンルを
目指そう」ということで、ママス&パパス、バーズ
というレパートリーを取り入れていたんですけど、
僕らの前に小松さんたちが演奏したら、
それらの曲を全部やってしまったんです。
(小松)同じ志向だったんですね。
(鳥塚)「同じことを考えている人がいるんだ」と。
僕らも、やる曲がないんで同じ曲をやりましたけど
そういう思い出があります。
その年の秋、1966年11月5日に発表した曲が
「想い出の渚」です。
<演奏後>
(黒澤)この曲が一番“青春”ぽいね。
“いいとこ とってる”よ。
◇ 若者たち / 黒澤久雄と仲間たち◇
<演奏前>
「想い出の渚」の思い出を語った鳥塚さんが
「それでは・・・」と次の曲へと移ろうとすると
(黒澤)そんな慌てなさんなよ。
やりたくないんだよ。
今さら“若者たち”っていうのもおかしな話で
お客さんの層を見てみろよ、ここでどうして
「若者たち」をやらなきゃいけない?!
君たちの歌は“過去形”だからいいけど、
これは“現在進行形”みたいな曲ですから。
(小松)「元」をつければいいじゃない。
(黒澤)「元若者たち」お送りいたしましょう。
――――――――――――――――――――
◆ 「この街で」合唱 ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
公開放送もクライマックスに近づき
ステージには、この日のオールキャストが勢ぞろい。
(ダニー)俺は「さらばジャマイカ」一緒にやりたかった。
(志賀)これで全国を回ろうか!
(黒澤)俺は、志賀とはいやだ!
(志賀)俺もいやだ。
最後の楽曲は、
フォーセインツ、黒澤久雄さん、小松久さん、
鳥塚しげきさんの皆さんと、
フォー・セインツのふるさと 武蔵野市吉祥寺から
応援に駆けつけてくださったコーラスグループ
「コールコスモ」の皆さん、
そして、会場の皆さんと一緒に
「この街で」を大合唱♪♪
――――――――――――――――――――
◆ エンディング ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
番組エンディングで感想を伺いました。
(初めてのトリオでの演奏を終えて)
(小松)ドキドキしながらやりました。
録音したのを後でチェックしたいと思います。
どうだったのかな?と。
(黒澤)今さらチェックしてどうする。
(ダニー)“ライブはライブ”でしょ!
(フォー・セインツの皆さんは、必死に練習を?)
(ダニー)練習、全然しないの!
(志賀)だって、ベース持ってないんだもん。
(上原)しばらくやってないと、歌よりも
手がいたんですよね。ギターのタコがなくなっちゃって。
(志賀)本当に痛いのよ!弦が固いから。
(荒木)君には何も聞いてない!
(志賀)そろそろ、時報(放送終了)じゃない?
(会場の皆さん、ラジオでお聴きの皆さんへ)
(上原)我々と同世代の方がいらして、うれしかったです。
年を超えても、舞台に建っていると、
皆と一緒に歌えるという感じで、
本当にありがとうございました!
(鳥塚)年を重ねても、いつまでも
“ときめく心”を持って、毎日を過ごしたいと
思っています。
(演奏は“変身”されたままで?)
(荒木)??・・・えぇ、まぁ・・・ね。あの…まぁ…
(志賀)長屋の爺さんじゃないんだよ。
(黒澤)「まぁ」しか言ってないよ。
(石川)間近で拝見して、40年のブランクも
“ブランクではない”んだな、と
改めて思いました。
(弘兼)聴いている方が、一緒に年を重ねているので
前と変わらない雰囲気ですよね。
(上原)当時、一日に何十回と歌いましたから
40年たっても、自然と手が覚えてるんです。
(志賀)40年たって、皆さんも技術的なものを
求めてないと思うんですよ。
(黒澤)お前には求めてない!誰も。
(志賀)昔から、どぉーーーも 気が合わないんだよ、
クロパンとは。
(ダニー)この会話をずっと聞いてたいんだ。
笑いと懐かしさに包まれた2時間弱の公開放送――
会場にお集まりいただいた皆さんの温かい拍手とともに
無事終了、と思ったら・・・
――――――――――――――――――――
◆ サプライズ! アンコール ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(生放送終了の瞬間)
(黒澤)もう1曲いこう!!
スタッフの誰もが把握していなかった
“ボーナストラック”
「THIS LAND IS YOUR LAND」の演奏が
突如スタート!
これには全員ビックリ!そして次の瞬間
笑顔と歓声、大拍手です!
今回の公開生放送は、定員の倍以上の
ご応募が殺到し、抽選で当選した
幸運なお客様だけしか、
味わうことができなかったことが
本当に残念に思える、素晴らしい演奏!
サプライズの興奮と、オールキャスト7名の
豪華なメンバーによる演奏と歌声に
会場の盛り上がりは最高潮に達しました。
終演後
「いつ打ち合わせしたの??」
「練習なんてしてないんじゃない??」
と興奮さめやらないスタッフの間では
「事前に言ってくれば、エンディングで
一部を放送に乗せることもできたのにね。
もったいない!!」
と悔やむ声もあがるほどでした。
こうして、初の試みとなりました
「ドコモ団塊倶楽部」の公開生放送
『ドコモ団塊倶楽部 50回記念
スペシャルトーク&ライブ』は
大盛況のうちに幕となりました。
今後再びこのような機会がございましたら
ぜひ会場で一緒に盛り上がりましょう!
――――――――――――――――――――
◆ 次回の放送のお知らせ ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
次回の「ドコモ団塊倶楽部」は
パーソナリティーに 喜劇役者・タレント・
俳優の 伊東 四朗 さんをお招きして
てんぷくトリオ、電線音頭から 熱海五郎一座まで
喜劇役者・伊東四朗が古希過ぎて
なお、追い求める究極の笑いとは!?
と題しましてお送りします。
どうぞお楽しみに!
【放送日】
文化放送:3月20日(金)11:00~12:55
信越放送:3月20日(金)14:05~16:0
新潟放送:3月21日(土)13:00~14:55
山梨放送:3月22日(日)13:00~14:55
――――――――――――――――――――
●ドコモオリジナルグッズ プレゼントのお知らせ
ご応募受け付けは終了しました
ドコモ団塊倶楽部50回を記念して、ドコモから
番組をお聴きの皆さんに抽選で
ドコモオリジナルグッズをプレゼントをします。
・甲州印傳トートバッグ (5名)
・印鑑ケース (30名)
ご希望の方は「ドコモ団塊倶楽部 50回記念
スペシャルトーク&ライブ」の感想・ご意見を
ご記入の上、メール dankai@joqr.net、
またはハガキで、お聴きの放送局の
「ドコモ団塊倶楽部プレゼント係」まで
ご応募ください。
※郵便番号、住所、氏名、電話番号を
お書き添えください。
ご応募受け付けは終了しました
――――――――――――――――――――
ようこそドコモ団塊倶楽部へ
「ドコモ団塊倶楽部」は熱い青春時代からラジオを お聞きいただいている団塊世代の皆様に、心地よい 音楽と話題にのせてエールを送り続けている番組です。 番組は毎月1回の放送で、2005年1月よりスタート、 あの頃も、そして今も輝き続ける団塊仲間の方のお話 を伺ったり、懐かしい時代を紐解いてみたり・・・・。 レトロに浸る心地よさと同時に、今をそしてこれからを 楽しんで生きる気分をお届けしています。 番組のスーパーバイザーは1947年生まれ団塊ド真ん中・ 漫画家の弘兼憲史さんと団塊ジュニアを代表して石川真紀アナウンサー。
番組へのお問い合わせ
dankai@joqr.net<<放送レポート一覧に戻る
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