ドコモ団塊倶楽部

お問い合わせ

« コラム:町田忍の団塊コレクション 20回  |  スペシャルトーク&ライブ のお知らせ »

昭和レトロシリーズ:団地特集!町田 忍さん 2009年01月12日

――――――――――――――――――――
◆     昭和レトロシリーズ「団地」     ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「ドコモ団塊倶楽部」は放送開始から
5年目に突入。
2009年1月放送5年目の第一回目の放送は、
久々の「昭和レトロ企画」

「学校給食」「喫茶店」「アイビールック」
「音楽教科書」に続く 第5弾は
昭和30年代に華やかに登場し、
団塊の世代とも縁の深い「団地」を取り上げました。

(弘兼)憧れの的でしたね。
    みんな平屋に住んでて、
    当時は「あのコンクリートの建物に
    住みたいな」と思いましたね。
    “高いところ”から景色を見られる
    という魅力もあったんですよね。

Hirokane_200901.jpg

 (続きを読む)

映画「3丁目の夕日」の時代(昭和30年代)に
登場した団地は
当時の主婦を過酷な家事労働から解放。
入居のための【抽選】は
「宝クジより当たるのが難しい」と言われ
後に「団地族」「団地妻」という言葉が誕生。

  やがて <団地ブーム> は日本中に巻き起こり
  団塊の世代の、ひいては日本人の
  ライフスタイルを根底から変えた「団地」。

その団地も、最初の建設から半世紀経ち、
建物の老朽化、住民の高齢化など
様々な問題を抱えています。

****************************************

パーソナリティーにお迎えしたのは
庶民文化研究家町田 忍さん。

Machida_200901.jpg
コラムでもおなじみの町田忍さん

「団地」の定義

昭和30年7月に設立された
「日本住宅公団」が作った集合住宅が
今回の放送で取り上げる「団地」です。

それまでの都営・区営住宅は
木造平屋で「12坪」が主流。

そこに登場した「団地」の新しさは・・・

 ・建物は「1坪」広くなり13坪に

(町田)この「ひと坪分」に
    ドラマがあったんです。

    (詳細は“ダイニングキッチンの項で)

 ・風呂付き(“家風呂”)

当時の都営・区営住宅にはなかった
風呂が各戸につきました。

(弘兼)「家風呂」という言い方をしましたね。
    当時は、銭湯に行く時代でしたから。

 ・ダイニングキッチン、水洗トイレが標準に

(町田)増えた“ひと坪”がダイニングキッチン。
(弘兼)ある時、椅子で食事をするようになって
    ものすごく“モダン”な感じがしましたね。

    ステンレスの台所が画期的で
    上から
(ワレモノを)落としても
    割れないんで、試したことがあります。

見上げる大きさ

当時、木造住宅は、その多くが2階建て。
3~5階建ての団地の「大きさ」には
強いインパクトがあったようです。

(弘兼)「見上げる」感じが・・・
    向うから「見下ろされる」という
    卑屈なイメージになっちゃうんです。

――――――――――――――――――――
◆        1坪にかけた夢         ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

団地といえば<2DK>
この DK=「ダイニングキッチン」
ついて掘り下げてみました。

アメリカに憧れて
 「ダイニングキッチン」は
 「ダイニングルーム(食堂)」+
 「キッチン(台所)」=
 「ダイニングキッチン」という和製英語。

(弘兼)台所があって、その同じところで
    食事をするというものですね。

(町田)「食寝分離」、食べるのも、寝るのも
    一緒だったものを、完全に分けてしまう
    という考えで、ひと坪に想いをこめて
    DKを作ったんです。

当時の公団開発の際に、
参考にされたのがアメリカの住宅。

(町田)アメリカのドラマを見ると
    すばらしいダイニングルームがあって
    憧れましたね。

プラス1坪
 それまでの住宅の「12坪」から「13坪」へ
 「1坪」広くなったことで 
 実現
したのが「DK」。

この「プラス1坪」をどのように活用するか
――これには多くの議論が交わされたようです。

また、従来は北側にあった
キッチンが、明るい南側
移動したことも画期的なことでした。

(弘兼)キッチンがおうちの中心になるべきだ
    ――という考え方がありましたね。

(町田)お母さんが働きやすければ
    お母さんの気分もいい。すると
    お父さんも気分が良くなる
    =“家族円満”ということですね。

ステンレス流し台登場
 従来のキッチンでは「ジントギ」とよばれる
 人造石の研ぎ出しが使われていましたが
 団地誕生の頃から、今ではおなじみの
 「ステンレスの流し台」が
 大量生産され始めました。

――――――――――――――――――――
◆      ご近所づきあいがあった      ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

30年前に新聞配達をされていたという
リスナーの方からメールをいただきました。

『冬でも短パンとTシャツで配っていたため
 元気な新聞屋さんで結構有名になっていて、
 集金に訪問した時に
 奥さんからおやつを貰ったり、
 お小遣いを貰ったり「上がってお茶でも」
 と言われたこともありました。

 あの頃の団地は、近所付合いが盛んで、
 良き時代だったと思います』

団地に限らず、近隣住民の交流が
盛んに行われたあの頃・・・

(町田)醤油の貸し借りとかありましたね。

(弘兼)団地の中庭などでバザーなどをする
    “コミュニティ”がありますよね。
    今、隣の人
(の名前)
    全部言える人、少ないんです。
    実は私も知らない・・・。

(石川)生活スタイルがバラバラになって
    顔を合わせるべき時間が違うんですよね。

Ishikawa_200901.jpg

――――――――――――――――――――
◆   リスナーの皆さんの団地の思い出   ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

今回の放送では、スタッフの予想を
大きく上回る数のメール、FAXを
お寄せいただきました。

○(58才・女性)
12階建ての11階に住んでいて
左右を建物で囲まれていたので
とても暖かかったです。
その後 引っ越して
「一戸建てはなんて寒いんだろう」と
思いました。

(弘兼)コンクリートの寮に住んだ時
    冬、暖房が要らないんです。
    大学時代に住んでいた木造住宅は
    すきま風がビュンビュン入ってきて、
    部屋の中なのに、コップの中に
    氷が張っていました。
    コンクリートの建物はそれがないので
    「暖かいな!」という気持ちがありました。

(町田)温室の中にいる感じですね。

○(46才・女性)
昭和40年頃、親戚の家に泊まりに行った時、
隣の人が「お風呂あきました」と言いに
来るので「どうして?」と思いました。
お風呂だけは共用だったんです。

(町田)お風呂を借りにいきましたよね。
    お風呂を「いただく」って言うんです。
    出る時は「ごちそうさま」と・・・
    あれ、不思議ですね。

(石川)飲んでないのに(笑)
    「先にいただきました」とか言いますね。

○(45才・男性)
団地といえば車の駐車場の確保が大変でした。
当時は、駐車場を世帯数分 確保している
団地はありませんでした。
毎年、抽選日が近くになると
近所の神社に何度もお願いしたり、
抽選当日は一番クジ運の強い子どもに
引かせたりしたものです。

(弘兼)団地ができた頃、車が「一家一台」
    となるのは予想してないですよね。

(石川)入居する時の倍率も高くて
    さらに、入居してからも駐車場の

    (抽選があるなんて)。

――――――――――――――――――――
◆    電話リポート・松戸市立博物館    ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

松戸市立博物館の2階には
昭和37年当時の「常盤平団地」の2DKが
再現されています。

市内の住民の方や“団地マニア”が
見物に訪れるという博物館を
西野七海さんがリポートしました。

(西野)温かくて、懐かしくて、
    今でも人が住んでるみたいです。

◇◆常盤平団地◆◇

当時のデータ

●昭和35年、入居開始
●当時の世帯数、4839世帯
●家賃は5千円
 その「5.5倍の月収」という所得制限あり
 (当時の大卒初任給:18,800円)
●世帯主の平均年齢、20~30代
 
(西野)若い割に、高収入の
    都心に勤めるサラリーマン家族の方が
    入居していたようです。

(弘兼)だから“団地族”は、
    かっこよくみえたんですね。

松戸市立博物館に再現された常盤平団地

○広さは、約30平米
ダイニングキッチン(ステンレス流し台)
 床からの高さは80センチ。
 現在の一般的なキッチンと比較して 低いです。

 (弘兼)日本人の平均身長が伸びたから
     (今のキッチンは“高くなった”の)ですね。

○6畳間、4畳間
 (部屋には木目調のステレオ)
○浴室(小判型 木製風呂桶、煙突あり)
○水洗トイレ
 (入居時のしおりには トイレの使用上の注意が)
 
☆テレビ(14インチ/当時のCM映像)
☆冷蔵庫(1枚扉)
☆洗濯機(手動脱水)

 テレビ、冷蔵庫、洗濯機の
 “三種の神器”がそろっています!

(町田)洗濯機は一層式のローラー付きですね。
********************

アクセス 新京成線 八柱駅
     JR武蔵野線 新八柱駅から
     新京成バス・小金原団地行き
     「公園中央口」下車すぐ
     (「もりのホール21」に隣接)
休館日  月曜日
    (月曜日が祝日の場合は翌日)

毎月 第4金曜日は館内の整理日

観覧料 
一般300円/高校・大学生150円/小・中学生 100円


(弘兼)行ってみたいですね!

――――――――――――――――――――
◆  FOMAテレビ電話リポート・高島平団地  ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

遠藤理沙アナウンサーが、東京・板橋区の
“団地の中の団地――キング オブ 高層団地”
「高島平団地」をリポート。

(遠藤)ものすごく広くて大きい団地ですね。

今回、案内して下さったのは、
「住宅都市整理公団」というグループを
2002年に結成し、全国の団地を訪ね歩いている
大山 顕(けん)さんです。

今回、大山さんが高島平団地を選ばれた理由は?

(大山)好きなんです。大好きです。
    毎日通いたいくらい、
    僕にとってテーマパークです。

建物の色

スタジオでは、FOMAのテレビ電話で
映像を見ながらリポートを聴きました。

TV-PHONE_studio.jpg
モニターを見上げながらの進行

まず、最初のチェックポイントは「色」。
最近、壁を塗り替えた「高島平団地」ですが
大山さんの感想は?

(遠藤)「白」というより
    ベージュ、ピンクがかっていたり
    茶色がかっていたり・・・。

(大山)住んでいる方には申し訳ないんですが
    ちょっと“さえない”色が
    たまらないんです。
 ※好意的な意見です

(遠藤)一棟一棟、微妙に色が違うんですね。
(大山)酔っぱらったお父さんが間違えちゃいますから(笑)
(弘兼)昔、昭和48年に見に行ったんですけど、
    最初は、真っ白でしたよね。

(大山)よくご存じですね!

ここでのポイント「色」――、
大山さんをして“たまらない”という
色でしたが、「団地マニア」によって
意見が分かれる、大きなポイントなのだそうです。

TV-PHONE_reporter.jpg

タワー部って何?!

大山さん命名の団地の「タワー部」。
これは、エレベーターの上部――
住宅フロアの最上階より 一階層 飛び出した
部分で「巻上機」や「制御装置」などを収納する
「機械室」といわれる部分。
(最近は、機械室レスのエレベーターが多いようです)

(大山)出っ張り具合、色、形が団地によって違い、
    なぜか“タワー”の部分だけ(建物部分と)
    別の色にするのが不思議で、
    団地らしくてグっとくるんです

階段のカーブ

大山さんにとって、高島平団地の
最も好きなポイントは、
「階段のカーブ」

(遠藤)ゆるいカーブになってますね。
(弘兼)漫画で高島平団地を
    よく描くんですけど
    このカーブが描きづらいんですよ。

(大山)当時のデザイナーが
    なんとか“こじゃれよう”とした結果
    角を丸めたり、というのが意地らしくて…。

団地は すっぴん?!

雨水などを排水する管=雨水管が
外から見えている点について話題になると
再び大山さんから絶賛の意見が。

(大山)新しいマンションは外から見えないように
    “隠す”と思うんですけど
    縦横無尽に走っている…、
    団地の飾らないいいところで
    “すっぴん” なんです。

団地酒?!

団地の中にはサクラが植えられていて
隠れた花見の名所なのだとか。

(大山)お花見の季節になると、団地マニアは
    必ず行くんです。 団地というのは
    知られざる桜の名所ですね。

(遠藤)そこで飲んだりするんですか?

(大山)“団地酒”ですよね。

団地のイメージ一新

(遠藤)団地のイメージが変わりました。
    すごく興味深いです。
    部分部分をよく見ると・・・
    なめらかに曲がっている――とか。

(大山)見に行けば、かわいかったり
    面白かったりするので…。

(石川)興味をひかれるものって、
    気づいていないだけで、
    “ちょっとしたところ”に
    いっぱいあるのかなと思いましたね。

――――――――――――――――――――
◆       団地ならではの生活       ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

このコーナーでは
団地で育ち、団地をこよなく愛するグループ
「団地っ子」のメンバーで、
「団地っ子の同窓会」(東邦出版株式会社)
という本の共同執筆者でもある
フリーライターの
眞形 隆之(まがた・たかゆき)さんに
団地ならではの特別な生活 と 団地の魅力
についてお聞きしました。

Takayuki_Magata_200901.jpg

米軍の住宅地(グラントハイツ)跡地に
建設された光が丘団地 (光が丘パークタウン)は
昭和58年(1983年)に
都営住宅・公団住宅で第一次入居が開始。
(平成3年/1991年に完了)

面積は186ヘクタール、約1万2000世帯、
約4万人が暮らす東京都区内では最大規模の団地。

その“広さ”がよくわかるエピソードを
生まれてから高校2年生までの17年間
東京・練馬区光が丘の団地に住んでいらした
眞形さんがご紹介くださいました。

(眞形)建物も同じようだし
    郵便配達の方が大勢
    迷子になってましたね。
    建物が大きすぎて、自分がどこにいるか
    わからないんです。

ゴミの焼却炉の煙突が“ランドマーク”となって
自分の位置の確認に役立っているそうです。

年功序列を学んだ団地

眞形さんが子供時代にハマッた遊びは
「ドロケイ」。
(鬼ごっこ系の遊び/地域により呼称が異なります)

ルールは、リーダー的な子供が
「きょうは“○階~○階まで”」などのように
細かく設定するそうです。

(眞形)上下関係とか年功序列を学びました。

二段ベッドが定着

石川アナウンサーが眞形さんの本
「団地っ子の同窓会」を読んでの感想です。

(石川)団地特有の“生活観”
    当時感じていたであろう“におい”
    “音”がリアルに伝わってきます。

そこで具体例として揚げたのが
「押入れ」「二段ベッド」

(石川)居住スペースをうまく使う家具や
    生活スタイルが、
    そこで定着したみたいですね。

(眞形)僕はひとりっ子でしたが
    友達の家には、二段ベッドが多かったですね。

    子供が多い家庭は
    「押入れ」がそのまま二段ベッドになるんです。

団地は長屋

(眞形)生活音がよく聞こえますね。

夫婦喧嘩の声や、テレビ、音楽、
上の階の住人の足音、掃除機の音…などが
よく聞こえてくるのも団地の特徴。

(眞形)どんな生活をしてるか
    「音」でだいたいわかりますね。

(町田)“長屋”を“縦”にしたようなものですね。

元気よく あいさつ

集合住宅の良さとして
揚げられたのが「あいさつ」。

(眞形)「あいさつ」は子供もみんな
    元気よく できていましたね。

一方、弘兼さんのお住まいでは
どうか というと・・・

(弘兼)今は集合住宅・マンションで会っても
    「あいさつ」をしない人がいますね。
    僕は必ず するんですけど、相手は、
    若い20代の人とかは しないんです。
    そうすると、僕も「もうしない」となって
    結局 しなくなってしまって
    さみしいですよね。

団地住まいで得たことは

団地住まいで「得たもの」「役にたったもの」を
伺いました。

(眞形)いろんな「情報」が多く入りますね。
    自分は興味がなくても、友達のお兄さんの
    趣味で、それを教えてもらったり・・・
    情報が入ってくるので、
    それを「知識」としてを得られることが
    多かったですね。

団地住まいで気をつけたいこと

これまで集合住宅に住んだ経験がない方が
新たに団地・集合住宅に入居する際
心がけた方が良い――と思われることを
紹介していただきました。

・小さなことから、
 常にコミュニケーションをとる。
・「引越しのご挨拶」はした方がいい!
 “会話のきっかけ”になる。

(眞形)子供同士の仲がいいと
    親同士が仲良くなったり・・・
    その逆があったり・・・、
    何か“きっかけ”があって
    一人と仲良くなれば
    十人、二十人…と仲良くなれると思います。

(弘兼)一番不気味なのは、
    10年住んでて
    「あの人、何してる人?」と
    わからないことですね。

(町田)僕は そう見られてますね。

――――――――――――――――――――
◆団塊リポート/高島平団地 再生プロジェクト◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

昭和46年に高島平団地に入居、
37年間にわたって<団地新聞>を発行し続けている
「高島平新聞」社長の 村中 義男さんに
電話でお話を伺いました。 
 
Q:村中さんが社長を務める「高島平新聞」の
  発行部数はどのくらい?

  22,500部です。
  (団地の人口5万7000人、2800世帯、
   その75%(2万2500人)が購読)

Q:記者は何人?

  女性記者が5人、編集長は私の息子です。

Q:購読料はいくらですか?

  無料です。郵送で送る場合は送料をいただいています。


Q:当時“東洋一”と言われた高島平団地、
  村中さんが入居された昭和47年当時の
  家賃は?

  2DKタイプで2万5~6千円
  3DKタイプで3万7~8千円でした。

  最初は安く設定して、
  5年間で普通の賃料に上げていきました。
  “頑張って”抽選に当たって入ってきても
  家賃が払えなくて出て行った人もいますね。

Q:入居当時(昭和47年)の
  高島平団地のセールスポイントは?

  地下鉄の駅が団地の目の前にあって、
  都心に直結する通勤の便利さに
  皆さん、魅力を感じたと思います。

  (東京・大手町まで30分)
  
  今は「緑が多い」ということもあります。

Q:10年ほど前に、
  村中さんたちが中心になって作られた
  「助け合いの会」とは?

   高齢化が進んできまして
  「助けて欲しい」「助けてあげてもいい」
  という人が会員になる事務局のようなものを
  作りました。

  たとえば、動けないお年寄りに代わって
  蛍光灯を替えたり、病院へ薬を取りに行ったり…
  ということをしています。

  これには250~350円程度の料金が発生し、
  一部は事務局経費に、 差額は
  ボランティアの人がいただけるシステムです。

Q:一人暮らしのお年寄りの方も
  たくさんいらっしゃいますか?

  増えてきました。
  70才を過ぎると半分くらいの人が独居老人になります。

(弘兼)ポットにセンサーをつけるなどして
    もし倒れられて時に、駆け付ける――という
    システムは考えておられますか?

  部分的には、私自身も考えてますが
  システムがどう機能するか、
  誰が管理するか、難しい面があります。
  それから、住んでいる方が、
  対外的交流を求めない――という問題があって
  (システム導入の)話もできない、
  ドアもあけてくれない・・・となると
  システム自体が難しいですね。

Q:「高島平再生プロジェクト」を立ち上げて、
  大学生を積極的に
  受け入れていらっしゃるとか?

  ※4年前から町の有志が大東文化大学と協力して
   学生や留学生を受け入れています。
   
  空き家があるので、これを何とかしたい。
  若い世代が入ってこないと、団地が高齢化しますので、
  大東文化大学と連携しまして、
  大学の教授、学生と話をして
  「再生プロジェクト」の試作をつくっています。

  そのひとつが
  「大学生を団地に入れる」というもの。
  大学が契約し、16名の学生が入っています。

  ※1DKの場合は一人
   2DKの場合は二人でルームシェア
  ※日本人同士では入らず、住宅問題を抱える留学生と
   日本人学生がルームシェア

  このシステムは学生同士の文化、語学の交流に
  役立っているそうです。
 
  また、応募者が多く、2~3倍の競争率だそうで
  「ボランティアをする」などの条件で
  審査があるそうでで、春には入居者は
  30名になる予定だそうです。

  餅つきや、団地祭りの準備など
  団地の行事を若い学生が手伝うなど、
  新たしい交流が生まれています。


※高島平団地の近所に住んでいらっしゃる方から
 番組宛てにメッセージをいただきました。

 今は高齢者が増え、
 入居者・人口の減少で 商店街は
 シャッターを閉めたままのところも多く、
 閉校になった学校もあります。
 
 一方、団地の再生プロジェクトも進行していて
 大学のプロジェクトによる
 カフェやコミュニティづくりもあります。
 若い人が住んでくれる街づくりが待たれます。
 子供たちの声がたくさん聞こえる
 元気な街になってほしいです。

(石川)村中さんのように団地の中に住んで、
    注目し続けていらっしゃる方もいれば
    近所の方たちも このように
    見守っていらっしゃるんですね。

――――――――――――――――――――
◆  多摩ニュータウンの地域コミュニティ   ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 

「団地」は建設から半世紀経って、
全国各地の「団地」は建物の老朽化に伴う
建て替えの時期を迎え、
新たな21世紀のステージに入ろうとしています。

  去年の夏には
  「都営戸山団地が限界集落になった」
  と話題になりました。

 【 限界集落とは 】
  住民の半数以上が65歳以上の高齢者で
  占められている地域。 これまでは
  過疎の村などが対象とされてきました。

そこで東京の真ん中での限界集落の出現。
今後の日本人の生活を考える上で、
このような「団地」や集合住宅での
コミュニティーを、どのように再生させるか――
これが大きな課題となっています。

  実は そうした地域のコミュニティー再生に
  取り組む市民活動が各地で動き始めています。
  
そして、その活動の中核を 団塊の世代の
皆さんが担うケースも少なくありません。
 
このパートでは、
急激な勢いで高齢化社会を迎える中、
団地を舞台に新たなコミュニティを
模索
している方をご紹介しました。

「住民が主役で、
 住民が住民のためにできること、
 それを実現するために必要なサポートは何か」
   
 
このようなテーマを掲げて、
1999年、多摩ニュータウンに誕生した
NPO法人「フュージョン長池」
富永 一夫さんにお話を伺いました。

Kazuo_Tominaga_200901.jpg

多摩ニュータウンの特徴

多摩ニュータウンは
多摩市から作られ、となりの八王子市、
町田市、稲城市と、4市にまたがり、
さらに今でも作っていて完成していない――
というのが特徴です。

(弘兼)“ある地域”に収まっているのではないんですね。
(富永)作った単位ごとにはまとまりがありますが
    今では“街づくり展示場”みたいなものです。

富永さんが今のお住まいに入居されたのは
多摩ニュータウン初期入居から23年がたった
1994年。

(富永)“団地族”といわれた時代から
    “環境共生型”の団地でなければいけない
    ――と趣が変わってきているんです。

(町田)多摩ニュータウンに行くだけで
    “団地の歴史”が見えますね。

地域活動を始めたきっかけ

(富永)オヤジの心配です。
    子供たちやお母さんは
    地域で人間関係ができますが
    お父さんは、毎日駅に行って
    仕事して帰ってくるだけ・・・。
    定年後、会話を交わす人がいるか――
    という心配です。

  
    もうひとつ、95年に
    阪神淡路大震災があったことから
    「近所でもう少し人間関係を作って
     おかないとたいへんなことになる」
    と思ったのが最初のきっかけです。

 
最初の活動は?

(富永)マンションの管理組合の役員を
    務めることで、お父さん達の
    人間関係を作りました。

   
(弘兼)男は、年が違っても、職業が違っても
    話さないですよね。
    それをくっつけるのは難しいですね?

(富永)「子育て」がテーマになります。
    子供たちのために何かをすると
    お父さん、お母さんとの交流も続くんです。

dankai_200901_01.jpg

NPO法人として目指したものは

月日の流れとともに老朽化する建物を
自分たちの手で“自主管理”できないか――?
すると・・・

(富永)“人”はいるんです。
    団地は“人材の宝庫”なんです。


一級建築家、大手ゼネコンの現場監督さん
弁護士さん、お医者さん・・・
様々な職種の方が住んでいる団地。

(富永)この人たちを束ねれば“社会貢献型”の
    事業ができるんじゃないか――というのが
    NPOを作るときのきっかけです。

    様々な分野で、レベルの高い
    人材がいます。
    大学がたくさんあるので
    大学の教授も大勢いるんです。

    ボランティアだけでなく、
    街の活性化に具体的に“事業”として
    使えないか――というのが
    NPOを作った発想の原点です。

(弘兼)市民講座もできますね。

「フージョン長池」の名称の由来

「フージョン」とは【融合】

(富永)みんな“溶け合うように”仲良くして
    欲しいという願いをこめました。

仲よくするための障害となるのが
“議論”という名のけんか。

(富永)議論をしすぎると、議論に
    “勝った・負けた”が出てきてしまう。

もし議論をしすぎてしまった場合の仲裁法は?

(富永)議論をする気がなくなる
    キャッチコピーをつけるんです。

    「平成狸合戦ぽんぽこ」が作られた
    街なので「ぽんぽこ活動」と言っています。

    もめそうなことがあると・・・
    「ここは“ぽんぽこ”な気分で・・・」
    「“ぽんぽこ”な活動で・・・」と言っていると
    バカバカしくなって、議論しなくなるんです。

(石川)皆さん、胸の中にに思っていることを
    表に出すことで、形にななるための
    ヒントになりそうなことは、
    まだ、ありそうですね。

(富永)「マンション管理」は
    お父さんたちにとって興味のあること。
    いい管理をすれば資産価値が下落しない、
    子供たちのあふれる、安心安全で、
    「いい街だ」と思われたら、
    “資産価値の下落”を
    支えられるんじゃないか――と、
    身近に納得・共感できるものを
    見つけて「みんながいれば
    “こういうことができる”」と
    具体的に示していけば
    みんなが仲良くできるんです。

※地域コミュニティのことでお困りのことがあったら
 「フュージョン長池」の活動を参考にされては
 いかがでしょうか。
 詳しくはフュージョン長池のサイト
 ご覧ください。
――――――――――――――――――――
◆         エンディング          ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

今回は、2時間半にわたって
お送りいたしました。

(弘兼)団地ができた時、
    集合住宅が“終末の形”を
    想像しながら作ったわけではないので
    これから我々が“末期”になった時に
    どういう風に暮らしていくか、
    というのを学ぶことができました。

(町田)団地に限らず日本全体の
    社会の縮図みたいなもの・・・、
    富永さんが担っているようなことが
    これから我々が目指す社会で、
    その実験的なお話を聞けたと思います。

(石川)自分が経験してきたことを
    社会に還元したい、とか
    知り合いをもっと増やしたい、と
    思っていらっしゃる方は
    多いと思います。
    

(弘兼)60才はまだまだ元気!
    60になって自分の持ってる“技術”を
    閉じ込めてしまうのは
    もったいない!
    地域活動に生かしたいですよね。

◎環境問題の視点から、
 “コンパクトな団地住まい”が
 見直されるかもしれません。

(石川)お風呂はコンパクトですけど、
    その分、使うお湯が
    少なかったかもしれないですしね。

(弘兼)これから地球環境を考えると
    団地を参考にしながら
    “ちょっと昔”に戻っていく方法も
    ありますよね。

◎団地住まいのコミュニケーション

(石川)いつもご近所で、気になっていて
    話をしたいんだけど、
    きっかけがつかめない――、
    あいさつしそびれたままになってる方も
    いらっしゃるかもしれません。

(弘兼)引っ越した時に 何かを持っていく習慣を
    復活させたいですね。おそばとか。

(町田)途中からだとやりにくいから
    最初からやっておけば、いいですね。

(弘兼)ただ、“わずらわしいからイヤだ”と、
    こういうコミュニケーションを望まない人が
    多いんですよね。

◎きっかけは何から?

(弘兼)“あいさつ”はやった方がいいですね。
    自分を隠さないで、さらした方が
    いいですよね。

(石川)皆さん”笑顔”が素敵なのに
    それを見せないようにしているのは
    さみしいですよね。

    何かあった時に、助け合えるような
    基盤を、日ごろ培っておきたいな、と
    思いますよね。

dankai_200901_02.jpg
放送終了後のショット

松戸市立博物館をリポートしてくれた
西野七海さんも間に合いました

――――――――――――――――――――
◆       次回の放送のお知らせ       ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
次回の「ドコモ団塊倶楽部」は50回記念

文化放送の放送は、
ラジオをお聴きの方にご参加いただく
公開生放送でお送りいたします。

どうぞお楽しみに!

【放送日】

文化放送:2月11日(水)11:00から
信越放送:2月11日(水)14:05から
新潟放送:2月14日(土)13:00から
山梨放送:2月15日(日)13:00から 

――――――――――――――――――――
◆     番組の中でおかけした曲目      ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ジョニー・エンジェル / シェリー・フェブレー
明日があるさ / 坂本九
カントリー・ロード / オリビア・ニュートン・ジョン
遠い昔 / 森高千里 ※「団地」という歌詞あり
シェリー / フォー・シーズンズ
アクロス・ザ・ユニバース / ザ・ビートルズ
 
――――――――――――――――――――
「ドコモ団塊倶楽部メールマガジン」でも
番組裏話やリスナーからのメッセージ、
出演者の声をお届けしています。
登録されていない方は「メルマガ」のボタンから
登録フォームへお進みください。登録・配信は無料です。

ようこそドコモ団塊倶楽部へ

profile

「ドコモ団塊倶楽部」は熱い青春時代からラジオを お聞きいただいている団塊世代の皆様に、心地よい 音楽と話題にのせてエールを送り続けている番組です。 番組は毎月1回の放送で、2005年1月よりスタート、 あの頃も、そして今も輝き続ける団塊仲間の方のお話 を伺ったり、懐かしい時代を紐解いてみたり・・・・。 レトロに浸る心地よさと同時に、今をそしてこれからを 楽しんで生きる気分をお届けしています。 番組のスーパーバイザーは1947年生まれ団塊ド真ん中・ 漫画家の弘兼憲史さんと団塊ジュニアを代表して石川真紀アナウンサー。

番組へのお問い合わせ

dankai@joqr.net