ドコモ団塊倶楽部

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ちばてつやさん 2008年11月24日

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◆ちばてつや×弘兼憲史 漫画家対談が実現◆
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2008年11月放送の「ドコモ団塊倶楽部」は
漫画界の巨匠ちば てつや さんを
パーソナリティーにお迎えして
漫画の「魅力」と「パワー」をトコトン研究!

この日の放送ではテーマに2つの柱をご用意しました。
 
まずは 団塊の世代を目覚めさせ、奮い立たせた
    “あしたのジョー”がスタジオで蘇る!!

そして 追悼、サヨナラ!赤塚不二夫さん
 
「あしたのジョー」は なぜ、団塊の世代に
熱狂的に受け入れられたのか!?

ちばてつやさんは当時、どのような想いで
ペンを握っていたのでしょうか?

そして、今年8月に亡くなられた
赤塚不二夫さんと ちばてつやさんの
友情を育んだ「トキワ荘」のお話も
たっぷり伺いました。

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◆  ちばてつやが 弘兼憲史に与えた影響  ◆
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放送4年目を迎える「ドコモ団塊倶楽部」。

番組スーパーバイザーに
漫画家の弘兼憲史さんを迎えながらも
「漫画」をテーマにするのは
意外にも今回が初めて。

今回ようやく「漫画」がテーマとなり、
では「どなたをお呼びするか?」
という時に
「ちばてつや先生がいいのでは」
――と提案したのが、
ちばさんの作品を読んで育った弘兼さん。

(弘兼)子供の頃にものすごく影響を受けた
    「紫電改のタカ」という、
    すごくいい漫画がありまして、
    私は初期に“戦記物”を2本
    描いたんですが「紫電改のタカ」を
    参考にさせていただきました。

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このように、ちばてつやさんをはじめ、
“伝説”のトキワ荘に住んでいた
漫画家の先生たちは、
団塊世代に、大きな影響を与えました。

子供の頃に夢中になった漫画は、
やがて弘兼さん世代が大学生になる頃は
その年代が読める作品が登場。
さらにサラリーマンになる頃には
「青年誌」が登場。

(弘兼)僕らが成長するのにあわせて
    ちばさん、トキワ荘の皆さんや出版社が
    僕らが読める本を作ってくれた

(ちば)そういうことを
    意識したわけではないですが
    自然にそうなったんでしょうね。

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【 ちばてつや さんの プロフィール 】

1939(昭和14)年のお生まれで
今年69歳の ちばさんは、
幼年時代、旧満州で過ごし、
終戦の翌年に日本に引き上げます。

4人兄弟の長男で、高校時代に
大好きな漫画で家計を助けるべく一念発起。
漫画家デビューを果たすと、以後、
「ちかいの魔球」「ハリスの旋風」
「おれは鉄平」「あした天気になあれ」
「のらり松太郎」など、
漫画史に残る名作を次々に発表。

特に、高森朝雄こと梶原一騎さん原作の
ボクシング漫画「あしたのジョー」は、
従来の漫画とは一線を画した文学的な香りが
団塊の世代の圧倒的な支持を獲得。
後にテレビアニメや映画にもなり、
40年経った今でも根強いファンを持つ
不朽の名作に。

2005年からは栃木県の
文星芸術大学の教授に就任し、
漫画界の後進の指導にあたる傍ら
今年5月には「ビッグコミック」(小学館)に
創刊40周年記念特別読み切りとして
「赤い虫」を執筆。
11月には「ヤングマガジン」(講談社)に
トキワ荘仲間との友情を描いた
「トモガキ」を発表。

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◆     「紫電改のタカ」を熱く語る!     ◆
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弘兼少年に大気な影響を与えた
「紫電改のタカ」
(1963年~65年 週刊少年マガジンに連載)

ちばてつやさんがおっしゃるには
当時の「少年マガジン」の中では
“地味な作品”なのだそうです。

日本が敗戦に向かって進んでいた時代。
日本軍の活躍が描かれたわけでは
なかった――というのが
その理由ですが、弘兼さんに言わせると…

(弘兼)最終巻に「反戦」とか
    「戦争はいかん」という訴えが出てきて、
    ラストの32ページは感動的です。

(ちば)それが描きたかったんです。

(弘兼)一番最後のコマはしびれました!
    ずいぶん、参考にさせてもらいました。

(石川)カット割り、構図がドラマティックですよね。
    セリフ以外の色々なことが語られていて
    すばらしいな、と思いました。

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日本が戦争で失った宝

「紫電改のタカ」で描かれる人物は
二十歳くらいの将来有望な若き飛行機乗り。
彼らは、目はいい、頭はいい、まさにエリート。

(ちば)そういう人たちが死んでいった…。

若くして戦死する特攻隊――。
彼らが遺した手記を読んだ ちばてつやさんは
「こういう人たちの事を忘れてはいけない」と
感じて、作品が誕生しました。

(ちば)こういう人たちが生き残っていたら
    日本はずいぶん違っただろうと思うんです。

    あの時、日本の宝を
    ずいぶんなくしていたんだろうな。

(弘兼)主人公は子供に「戦争はいかん」と
    教えたくて学校の先生になって、
    そして次の日に特攻・・・
    読んでいて、悔しかったです。

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◆     漫画家ちばてつや 誕生秘話     ◆
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このパートのキーワードは
『漫画家ちばてつやさんの誕生秘話』

漫画との出会い

ちばてつや少年は、親に隠れて
漫画を読んでいたほど、漫画が好きでした。

初めて漫画を手にしたのは小学校上級生の頃。
道に落ちていた、杉浦茂さんの
「アラビアンナイト」という付録の豆本を
拾って見たのが漫画との最初の出会い。

「登場している人物の“人生”が全てわかる」
という漫画の魅力に触れました

(ちば)こんなに情報量が入っていて すごい!
    と思いました。

漫画の描き方を学ぶ

絵を描くことが好き、そして漫画が大好きだった
ちばてつやさんは高校生の頃
貸し本屋さんで初めて漫画の描き方を
学びます。

この時、漫画のイロハを教えたのが
石橋国松さん。
(あれ?このお名前、どこかで聞いたような??)

  「試しに描いてごらん」といわれ、
  15ページ描くと・・・

  「続きを描いて」
  約3ヶ月で128ページの作品をかきあげ…
  お金を渡されて驚く ちばてつや少年。

(ちば)漫画を描くとお金をくれるんだ!

当時の大卒の給料とほぼ同じ、
12351円という
大金をもらって、頭の中が真っ白になり、
しばらく、お金を手に握りしめながら
歩いていたそうです。

その際、友達に「早くしまえ!誤解されるぞ」と
言われた――というエピソードには
スタジオは爆笑。

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ここで一曲、
近所の おばさんたちのバンド「おばんど」の
一員として、ウクレレを担当しているという
ちばてつやさんのリクエストをおかけしまいた。

(ちば)簡単な曲なんです。

  知床旅情 / 加藤登紀子

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◆   「あしたのジョー」が支持されたのは   ◆
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(石川)きょうは ジョーと島耕作が
    対談してるみたいですね。

ちばてつやさんの代表作のひとつ
「あしたのジョー」
なぜ団塊の世代に支持されたのでしょうか。


人気キャラクター 力石徹の設定

力石徹は、矢吹ジョーとの試合直後に
命を落とします。
すると読者は、実在の人物を失ったかのように
悲しみにくれ・・・
なんと「告別式」が行われました。

(弘兼)話題になりましたね。

ところで、力石はなぜ
「死」という結末を迎えたのか――。

実は、はじめから決まっていたわけでは
なかったそうです。

物語の初期に、少年院にいたジョーと力石。
力石は“その中でだけ”登場すると
思っていたそうですが…

(ちば)力石が登場するエピソードは
    少年院だけの話だと思ったんです。
    僕が描いたキャラクターを
    原作者の梶原さんが
    気に入ってくれて、
    話が変わっていったんですね。

その後はご存じのとおり、
ジョーとのライバル関係を築くことに。

しかし、二人には体格差がありすぎました。
力石がボクシングの試合でジョーと
対戦するには無理な減量を必要。
結局それがたたって最期を迎えてしまうのですが…

(弘兼)だからヘロヘロになって、
    無理して試合をして、亡くなる、
    という形になっちゃうんですね。

(ちば)ストーリーっていうのは
    最後までできているわけじゃなくて
    キャラクターが決まると、
    その日記を描いているようなもので…、
    あした どうなるかわからない
    描き方ですから、時には思いもかけない
    ストーリー展開になります。


力石が生きていたら・・・

力石の死に対して、テレビ関係者から
反対の声があがりました。

「あしたのジョー」は、
ジョーと力石との試合を連載している頃に
アニメ化され、力石はジョー以上の人気を獲得。

スピーディーに展開するアニメは、
やがて原作の連載の追いつきそうになり・・・

梶原さん、出版社との話し合いでも
「力石を死なせないでくれ」
「テレビが始まるから、なんとか生かせないか」

このような声があったそうです。

(ちば)テレビの都合で
    漫画を描いてるんじゃないんだから。
    死ぬ運命にあるんだったら
    このままで、と思ったんです。

血気盛んな漫画家魂でこれを突っぱねた
ちばてつやさんでしたが、今になると
少し考えも変わってきたようです。

(ちば)みんなの意見を聞き入れて、生かしたら
    まったく違う展開の「あしたのジョー」が
    できたかもしれないし、
    もっと面白くなったかもしれませんね。


有名なラストシーンでジョーは・・・

漫画界においてもとりわけ有名な
ラストシーン、
ホセ・メンドーサとの試合直後、
リングのコーナーに座るジョーが
“真っ白”になって・・・

死んでしまったのでしょうか?

苦悩の末に描かれたラストシーン

連載当時、ラストに向かう3ヶ月前から
“息切れ”してしまったちばさんは
ラストシーンをどうするか・・・
20~25通りものアイディアを考えながらも
「あれでもない、これでもない」と
結論に至らない苦悩が続きました。

そこに、当時の担当の編集者 吉田さんの
指摘がありました。

ジョーがたった1回、ノリちゃん(林紀子)と
デートしたシーンに
“なぜ自分がボクシングを続けるのか”
ということが描かれている・・・
ちばさん自身も「忘れていた」という
このシーンで、ジョーのセリフとして
登場するのが「真っ白な灰」

こうして“答え”がみつけた ちばさんは、
ラストシーンを一気に描き上げることが
できたそうです。

(ちば)吉田さんがヒントを言ってくれたおかげで
    ラストシーンを描くことができたんです。


ジョーは生きている!

(弘兼)印象的な絵なので、僕だったら、
    髪の毛を“白抜き”で描いて
    死んでるわけじゃないけど、

    (戦い抜いて)“疲れて御苦労さん”という
    もので表そうと思いますが、
    あれは「一気に白髪になった」という説もあって
    本当のところはどうなんですか?

(ちば)あの時、ラストが浮かばず
    本当に疲れきっていたんです。
    だから
(ジョーも)ぐったり疲れきって
    “もしかしたら死んだかな?”という
    気持ちで描いていました。

けっして読者の意見に任せるのではなく
「死んだのではないか…」という思いで
描いていたそうですが、
あとから考え方が変わってきたそうです。

(ちば)あとで自分が元気になって読み返すと
    「“あした”のジョー」なんだし、
    「死んでないな」と思えるように。
    全力を出し切って“抜けがら”の
    印象がありますけど・・・

   ここで、テレビ番組の企画で
   「ジョーは生きてます」と鑑定された
   エピソードをご紹介。

(ちば)背中や足の筋肉などを診て…
    “少し微笑んでいる”
    “死んだ人は座っていられない”からと、
    「完全に生きています」と
     鑑定してくれたんです。

 
    それがうれしかった!

(石川)なるほど!!
    ご自身でも、描かれた直後の心持ちと
    その後とで、捉え方が違うことが
    あるんですね。

(ちば)キャラクターひとりひとりの
    気持ちになって、疲れきっているのか、
    絶望しているのか・・・そういう気持ちに
    ならないと表情や仕草を描けないですよね。

(弘兼)ファイトシーンを描くときは
    歯を食いしばり、
    悲しいシーンを描くときは
    ポロポロ泣いてることもあるんです。

    自分の作品を描きながら
    ポロポロ泣いてるって、
    変なおっちゃんですよね。

(石川)まっさらな、何もない状態から
    作品が生み出されていくわけですから
    読ませていただきながら
    とても「凡人にはできないな」と
    思っております。

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◆         団塊リポート          ◆
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大阪市の「あいりん地区」(いわゆる「釜ケ崎」)で
財団法人「西成労働福祉センター」に勤めながら
日雇い労働者向けの広報誌「センターだより」に
31年間、4コマ漫画「カマやん」
描き続けている
漫画家の ありむら 潜(せん)さんに
電話でお話を伺いました。 
 
「カマやん」とは・・・
  ちょっぴりメタボで、
  タオルをバンダナにしているキャラクター。
  ホームレスでありながら お人好しで楽天家、
  戦災孤児で天涯孤独、
  1945年に3歳くらいで
  現在は66歳――という設定。

  連載は400回を超え、単行本も7冊発売
   ※08年11月時点

Q:ありむらさんが漫画を描くキッカケは?

   センターに就職して“そこの状況”を見て
   「漫画にしよう」と思ったんです。
   それまでは、漫画を描いたことがなく、
   25才になって「漫画の描き方入門」を
   買ったんです。


ありむらさんとちばてつやさんは
過去に交流があり「カマやん」は
ちばさんも好きなキャラクター/作品
なのだそうです。

(ちば)わたしも「カマやん」が好きで
    「カマやん」と「丹下段平」が
    つながってるような気がして…。

「あしたのジョー」では
東京の「山谷」が描かれていることから
共通点がある――として、ちばさんは
「カマやん」に親しみを感じています。

(弘兼)(あしたのジョーには)
    あのあたりの泪橋が出てきますよね。


Q:不況で、日雇い派遣の問題もあり、
  大変なのでは?

  状況は悪化してます。
  この状況を放っておけないので
  “街づくり”のためのNPOをたちあげました。
  それに「漫画」がとても役に立っているんです。

Q:カマやんの「モデル」はいるの?

    4~5人います。
   暗い状況の中にも、キラリと光る人はいて、
   人間が本来持っている“どん底での強さ”を
   を描きたかったんです。
   それを描くには「漫画しかない」と
   思ったんです。

Q:「カマやん」は今後どうなる?

  (社会が)今、こういう状況にある限り
  描きたいですけれど・・・
  この「先」をどうするか、定年まで
  あと3年なので、自分の身の振り方も含めて
  「どうしようか」と考えています。

(弘兼)ぜひ描き続けてほしいですね。

(ちば)漫画を描くのに定年はないですから。
    カマやんのキャラクターは見るだけで
    元気になります。
    ぜひ続けてほしいですね。

  力がわいてきます。

(石川)ありむらさんの作品を通じて
    力をもらっている読者の方も
    多くいらっしゃると思います。

(弘兼)絵柄がとっても暖かくて
    暗い状況にあるかもしれないけど
    「カマやん」を読んでいると
    「人生、もっと楽しく生きられるぞ」と
    勇気が与えられる作品ですね。

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◆        トキワ荘の思い出        ◆
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漫画界の“聖地”として有名な「トキワ壮」。

かつて東京都豊島区に
1952年~1982年まで存在した
木造アパート。

手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、
藤子不二雄(藤本弘・安孫子素雄)といった
錚々たる顔ぶれが同居していた伝説のアパート。

  また、入居した漫画家が次々と
  ヒット作を放ったことから、
  漫画界の“梁山泊”として語り草に。

  漫画家の聖地として人気になった
  トキワ荘には見学者が相次ぎ、
  観光(巡礼)ツァーが組まれたほど。

なお、現在は取り壊されていますが・・・

記念碑を建てるべき!

(ちば)「碑」が残っているという噂を聞いて
   探したんですけど、見つからなかった。

(弘兼)建てましょうよ。

(ちば)人によっては「聖地」というくらいの
    「トキワ荘」が、今、
    形もなにもないのはおかしいので
    そういう声があがるのはうれしいです。

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漫画家を目指す若者が集結

ちばてつやさんは、
東京で家族と一緒に暮らしていたため、
「トキワ荘」に入居したことはありません。

では、他の漫画家の先生は
どうしてトキワ荘に集まったのでしょうか。

(ちば)地方から一人で出てきた人達は
    仲間と一緒にいたいんです。
    はじめに住んだ手塚治虫さんを慕って
    いろんな人たちが集まったんです。


忘れられない思い出を描いた「トモガキ」

ちばてつやさんが「トキワ荘」にまつわる
エピソードの中で
“忘れられない思い出”を描いた作品が
「トモガキ」
(講談社・ヤングマガジン)
(前後編あわせて90ページ!)


この作品では、今回初めて明かされた
エピソードが描かれています。

  ちばてつやさんがある時、
  手をケガして描くことができなくなり
  締め切りが迫って困った編集者が
  かきかけの“下書き”だけの原稿を
  持ってトキワ荘に駆け込んだ・・・。

  トキワ荘に住む漫画家の人たちに
  「仕上げてほしい」と頼むものの、
  みんな、徹夜明けでヘトヘトになって
  いたため、断られましたが・・・

やがて赤塚不二夫さんが切り出しました。

  「困った時はお互い様。
   人の原稿に触れるのも
  勉強になるかもしれない」

さらにリーダー格だった石森章太郎さんが賛同。
ついには、5人ほどで手分けして手伝い、
二日間徹夜して、完成したのです。

その「お礼」をした時が
石森さん、赤塚さん、トキワ荘の人たちと
ちばてつやさんとの初めて出会い。

(ちば)お互い名前は知ってましたが
    会うのはその時が初めてでした。
    そこで友達になって、
    長い付き合いが始まったんです。

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◆       追悼 赤塚不二夫さん       ◆
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今年2008年8月2日に肺炎のため
72歳で亡くなられたギャグ漫画の天才
赤塚不二夫さん。

番組をお聴きのリスナーの方からも
赤塚不二夫さんの作品の思い出や、
好きなキャラクターについてなど
数多くのメッセージをお寄せいただきました。

  「天才バカボンの本官さんが好きでした」
  「レレレのおじさんの影響で
   掃除大好き人間になりました」
  「おそ松くんに登場するイヤミの
   “シェー”をよく真似しました」

(石川)シェーはどの世代もやりますよね。
(弘兼)昔は写真に写るときによく
    “シェー”ってやっていましたよ。

(石川)レレレのおじさんの使っている
    ホウキが欲しかったんです。


とても「2枚目」だった赤塚不二夫さん

(ちば)昔は「女性がいるのか?」というほど
    目鼻立ちのくっきりしたいい男でした。
    彼自身は、それがいやだったみたいです。

(弘兼)シャイな方でしたよね。


トモガキのラストシーンは赤塚不二夫さんの葬儀

赤塚不二夫さんが亡くなられた時、
ちばてつやさんは・・・

(ちば)一番長生きすると思っていたんです。
    病室にいた時には、
    お酒、タバコをやめていたから
    顔色がすごくよくて。

    元来、丈夫な人でしたから
    フッと喋れるようになって起きた時に
    我々はみんな逝ってしまって
    “浦島太郎”のように、
    「みんな死んじゃったよ」と言うように
    それくらい、赤塚さんが一番最後まで
    長生きするだろうと思っていたのに…。

    その前に二人の奥さんが亡くなられて
    「もういいや」と思ったんでしょうね。
    口に入れていた管をはき出すようになって
    後を追うように逝ってしまったので
    覚悟の死だったんでしょうね。
    

(石川)葬儀の時に
    ギャグ漫画の明るいテーマソングに
    お見送りされている
    赤塚不二夫さんの“存在”が、
    “作品が世に残ることのすばらしさ”を
    伝えているようでした。

(ちば)キャラクター達は
    みんな元気ですからね。

(弘兼)歴史を作った人ですからね。
    永遠に漫画史に残りますね。

「トモガキ」のラストシーンは、当初の予定から
変更され、赤塚不二夫さんの葬儀に
ちばさんら仲間が訪れた様子が描かれています。

まだご覧になっていない方は
ぜひ「トモガキ」をお読みになってみてください。

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◆       文星芸術大学教授         ◆
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ちばてつやさんは2005年4月から
栃木県の「文星芸術大学」で学生の皆さんに
「漫画」を教えています。

学生は皆、漫画家になることを夢見ている人たち。
教える ちばさんも真剣に向き合っています。

「漫画」の難しいところは“読ませ方”

学生は“描きたいこと、言いたいこと”が
ありすぎて、たくさん詰め込んでしまうのだとか。

そこで ちばさんのアドバイスは
「漫画が“濃縮ジュース”だと読みにくいよ」


漫画家に必要なもの

(ちば)絵も描けなければいけない、
    お話も作れなくてはいけない、
    演出も必要。
    背景も、場面に合ったものを…、
    季節感を出す…、など
    キリがないくらい やることがあるんです。

(弘兼)自分たちで言うのもなんですけど
    ある種“スーパーマン”ですよね。


合宿にも参加

ここでいう「合宿」とは
漫画を学ぶためのものではなく
学園祭のための準備や
音楽の練習などで行うもの。

(弘兼)文星芸術大学はメチャクチャ得してますね。

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◆         「漫画」の未来          ◆
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「“漫画”を読むとバカになる」

このように言われること少なくない
「漫画」ですが・・・
次のようなメッセージをいただきました。

  「漫画」はヴァーチャルな世界よりも
  想像する部分が多い。
  最近の漫画は完成度が高い。
  時代考証がしっかりしていて
  専門的なことなど勉強になる。
  漫画から多くの知識を吸収している。

  
  世界にも高く評価されながら
  日本の漫画人口は減少…。

  憂いるべきことでは?


(弘兼)戦後間もない頃、子供の娯楽は
    ほとんど漫画でした。
    漫画で勉強して育ったようなものですが、
    今は娯楽が漫画以外にたくさんあるんです。
    “興味”が分散して、
    本来、漫画家になるような人が
    違う業界にいってしまうと
    衰退して、読者も減る――という
    かたちになってくるんですよね。

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(ちば)“衰退”というより
    “正常”になったんだと思います。
    昔「漫画」は“出版すれば売れる”
    “バブル”のような状態でしたが
    落ち着いてきたことで、
    いい作品が作られるのではないか
    と思います。


広がる世界

漫画の現状を見つめる上で、
昔とは変わってきたこととして
ちばさんは、漫画を取り巻く環境について
言及されました。

(ちば)雑誌の発行部数が減った半面
    インターネットやケータイで
    漫画を発表したり、読むことが
    できるようになって“紙”だけではなく
    発表する媒体が変わってきましたね。


漫画は何でも表現できる

(石川)漫画にないのは「匂い」と「音」と
    言われますが、
    匂いも音も“描き込む”ことができます。

(弘兼)擬音語、擬態語で
    音が“見える”ようになってますよね。

(ちば)昔は「バナナの皮で滑って転んだ」
    というのを笑う「ギャグ」でしたが、
    今は「漫画」で“詩”を描く人もいる。
    “歴史”や“政治”など
    いろんな世界を表現しています。
    “音楽”の世界も漫画で描いたり
    “哲学”を語る人もいる。
    そういう意味では、まだ“黎明期”です。

    これからはもっといろんなことが
    「漫画」で語られるのではないかと、
    楽しみにしているんです。

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続々と映画化される漫画作品

映画の原作になることも多い「漫画」。
日本の漫画がハリウッド映画になることも
珍しくなくなりました。

(弘兼)日本映画の興行収入の70%は
    漫画が関係しているって言いますね。

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◆      キャラクターが変化するワケ     ◆
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放送の中で最後のおかけした曲は
ちばてつやさんの作品「ハリスの旋風」の
アニメ テーマソング。

主人公・石田国松は連載が進むにつれて
小さくなっていくような・・・そのわけは?

(弘兼)ちば先生の作品は、
    主人公がだんだん小さくなりますよね。

(ちば)描いているうちに かわいくなってきて、
    さらに かわいく描いていると
    キャラクターが小さくなって
    三頭身になったり…。
    時々、読者から怒られます。

――――――――――――――――――――
◆         エンディング          ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
2時間弱の放送もエンディングを迎え・・・

(ちば)懐かしい話がたくさん出てきて、
    ありむらさんとも久しぶりに
    お話ができて・・・、
    ありがとうございます。

(弘兼)ちばさんとは、いつも
    ゴルフとか、お酒を飲んででしか
    お話しできないんですけど
    きょうは面と向かってお話できて
    うれしかったです。

    遊んでいる時に
    「漫画」のことを聴けないですからね。

dankai_081123.jpg
放送を終えて

以前、ご病気をされてから
『漫画家を続ける限りは
「運動しなくては」と意識して運動しています』

という ちばてつやさん。

今もゴルフ、テニス、野球などをされるそうで
この日も放送が終わるとテニスの予定が。
「本当に楽しかったです」とスタジオを出てこられると
さっそく次の「楽しみ」へと向かわれました。

――――――――――――――――――――
◆      夢の顔合わせが実現!!      ◆
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「ドコモ団塊倶楽部」のリスナーのために!

ちばてつやさんが矢吹ジョーを!
弘兼憲史さんが島耕作を!
この二人のキャラクターの競演が実現!!

ちばさん、弘兼さんが
「ドコモ団塊倶楽部」リスナーのために
ジョーと耕作が向き合うシーンを
色紙に描いてくださいました。

この色紙を次回配信の「ドコモ団塊倶楽部」の
メールマガジンに掲載いたします。

メールマガジンの登録・配信は無料ですので
ぜひともお見逃しなく!!

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◆       次回の放送のお知らせ       ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
次回の「ドコモ団塊倶楽部」は
泉谷しげるさんをお迎えします。

次回のテーマは、題して・・・

『 団塊世代よ、
  土日は不良になれコノヤロー!
   還暦ロッカー泉谷しげるの
     野生パワーは今も全開! 』

【放送日】

文化放送:12月23日(火)11:00から
信越放送:12月23日(火)14:05から
新潟放送:12月27日(土)12:10から
山梨放送:12月28日(日)13:00から 

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◆     番組の中でおかけした曲目      ◆
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知床旅情 / 加藤登紀子
ミセス・ロビンソン / サイモン&ガーファンクル
空よ / トワ・エ・モワ
ハリスの旋風 / ガチャトリアン
 
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テーマは「漫画」 ちばてつやさん登場! 2008年11月19日

11月放送「ドコモ団塊倶楽部」のテーマ

 「団塊の世代を目覚めさせ、奮い立たせた
  “あしたのジョー”がスタジオで蘇る!」

 「追悼 赤塚不二夫さん」

パーソナリティーは「あした天気になあれ」で
知られる漫画界の巨匠ちばてつやさんです。

◆ 放送内容 ◆

○漫画家ちばてつや誕生秘話
○時は 東大安田講堂事件、新宿駅西口のフォーク集会…
「あしたのジョー」は何故、
 団塊の世代に支持されたのか!?
○ちばてつやさんが語る「あしたのジョー」制作秘話
○「トキワ荘の友情と思い出」
 手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄
 そして ちばてつや…錚々たる顔ぶれが
 ひとつ屋根の下に暮らしたトキワ荘を語る
○追悼!サヨナラ&ありがとう 赤塚不二夫さん
○文星芸術大学 教授ちばてつやが教える漫画論


ラジオをお聴きの皆さんのご参加もお待ちします!

◇あなたの大好きな漫画キャラクター
 どの作品の誰ですか?
 
 力石徹、矢吹丈(あしたのジョー)、
 エッコ、かあちゃん(あした天気になあれ)
 アトム、御茶ノ水博士(鉄腕アトム)
 赤胴鈴之助、ゲゲゲの鬼太郎、はだしのゲン
 ニャロメ、イヤミ、バカボン、
 チビ太、ハタ坊、ひみつのアッコちゃん(赤塚作品)
 
 なぜ好きなのか? 好きな理由も一緒に教えて下さい。
      
◇あなたが幼年時代にハマッた漫画も一緒に教えて下さい。

 作品名、忘れられないシーン、漫画から学んだこと、
 暮らしに影響を与えた…など
 漫画に関するエピソードもお待ちします。

◇今年8月に亡くなられた赤塚不二夫さんへの
 追悼メッセージ
もお寄せ下さい。

ちばてつやさん、弘兼憲史さんへの質問・メッセージ
  番組の感想、ご意見も大歓迎です。

 メールアドレスは dankai@joqr.net

◆ 放送日 ◆

文化放送:11月24日(月)午前11:00~12:55
信越放送:11月24日(月)午後 2:05~ 4:00
新潟放送:11月30日(日)午前 9:45~11:40
山梨放送:11月30日(日)午後 1:00~ 2:55
 
※信越放送、新潟放送、山梨放送でお聴きの方は
 11月24日午前中までに番組宛にメールをお送りください。
※放送でご紹介させていただいた方の中から5名の方に
 3千円分のミュージックギフト券をプレゼントします。
※メールには必ず、郵便番号・住所・氏名・年齢を
 忘れずにお書き添えください。
 
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コラム:町田忍の団塊コレクション 18回 2008年11月08日

『蒸気機関車』
 
 今でこそ蒸気機関車(SL)といえば
主に観光用列車として注目されている。
 通常運転の旅客列車としては
北海道の室蘭本線において活躍していた
C57型が、1975年12月14日に最後の運行を終えた。
 
 ここに紹介した写真は1969年の2月に
北海道の函館本線を走っていた
D52型というSLで、その前に立っているのは
実は、私自身ということになる。
 当時、私は鉄道研究会に所属しており、
全国のSLを記録していた時の一枚である。
 
SL.jpg
39年前の函館にて…D52型と私
 
 戦前から昭和30年代にかけて
全国津々浦々で、ひたすら頑張り続けていた姿は
「人間に最も近い機械」とまで
表現されていたほどであった。

特に有名なD51型(デコイチまたはデゴイチ)は
戦前から昭和30年までになんと
1115両も生産された日本一多いSLだった。
その理由は、保守点検が容易だったことや
運転台からの見通しがいいことなどの
利便性の高さ、
それから「力」があったためであった。
 
 トンネルに入るときに
窓をいっせいに閉めたことは
今は昔となってしまった。
 
(町田忍)
 

ようこそドコモ団塊倶楽部へ

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「ドコモ団塊倶楽部」は熱い青春時代からラジオを お聞きいただいている団塊世代の皆様に、心地よい 音楽と話題にのせてエールを送り続けている番組です。 番組は毎月1回の放送で、2005年1月よりスタート、 あの頃も、そして今も輝き続ける団塊仲間の方のお話 を伺ったり、懐かしい時代を紐解いてみたり・・・・。 レトロに浸る心地よさと同時に、今をそしてこれからを 楽しんで生きる気分をお届けしています。 番組のスーパーバイザーは1947年生まれ団塊ド真ん中・ 漫画家の弘兼憲史さんと団塊ジュニアを代表して石川真紀アナウンサー。

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