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2022年07月13日

直木賞候補作③ 『爆弾』

次は呉勝浩さんの『爆弾』です。
おそらくこの作品は、年末の各種ミステリーランキングでも
1位、2位にランクインするでしょう。それくらい完成度の高いミステリーです。

些細な傷害事件で、ある酔っ払いが野方署に連れられてきます。
酔っ払いは、坊主頭で小太りの中年男。腰が低く、卑屈な笑みを浮かべています。

男は自らを「スズキ タゴサク」だと名乗ります。
いかにも偽名ですが、男は本名だと言い張ります。
見た目も冴えないし、たかが酔っ払いの戯言と見くびる警察ですが、
男は取調べの中で「十時に秋葉原で爆発がある」と言います。
直後に秋葉原で本当に爆発が起こります。
男は「次は一時間後に爆発します」と予告します。

警察は男を止めることができるのか。そもそも男は何者なのか。
限られた時間の中、男と警察との頭脳戦が始まります……。

本作の「スズキ タゴサク」なる人物は、
ミステリーにおける悪役キャラの歴史の中でも
「不気味さ」という点で際立っています。
ニコニコと愛想よくしゃべりながら、目の奥は笑っていない、みたいな。
それでいて、いつの間にか相手をとりこんでいる。実に恐ろしい人物です。

まずこの「スズキ タゴサク」という
類稀なる悪役キャラをつくりあげた点が評価できます。
「動機が不明」というのは、いかにも現代的なテーマでしょう。

ミステリーの歴史の中で、画期的な悪役といえば、
トマス・ハリス『羊たちの沈黙』のレクター博士でしょう。
でも、いかにもおそろしげなレクター博士と比べても、
にこやかに爆弾を起爆させる「スズキ タゴサク」のほうが
よっぽど恐ろしい。
また日本のミステリーで稀代の悪役と言えば、
貴志祐介さんの『悪の教典』の主人公、蓮見聖司が思い浮かびます。
有能な教師の仮面をかぶった大量殺人鬼です。

ただ、蓮見は共感性が欠如しているために
簡単に人を殺せるのだということが、作中でも明かされています。
理由がわかっていると、それほど怖さは感じません。
これと比べると、「スズキ タゴサク」の正体のわからなさは実に不気味。

ミステリー小説なので多くは明かせませんが、
事件について、ある程度読者が納得できる種明かしをしつつ、
しかも不気味さを引っ張るという本作の終わり方も見事だと思います。

選考委員の中でもし議論になるとすれば、
「スズキ タゴサク」の扱いを巡ってではないでしょうか。

ネタバラシを避けるためにもってまわった言い方しかできず
申し訳ないのですが、物語の中心にいた「スズキ タゴサク」が、
ある時点からそうではなくなるところがあります。
それまでの何とも言えない気味の悪さがちょっと薄まるんですね。
このあたりは本作の評価を巡って議論になるのではないでしょうか。

投稿者 yomehon : 2022年07月13日 09:00