« 第167回 直木賞候補作 | メイン | 直木賞候補作② 『夜に星を放つ』 »

2022年07月11日

直木賞候補作① 『絞め殺しの樹』

では河﨑秋子さんの『絞め殺しの樹』からまいりましょう。
いきなり本命候補の登場です。

河﨑さんは今回初ノミネートながら、デビュー以来、着実に力をつけてきた作家です。
もともと北海道のご実家が酪農を営んでいて、河﨑さんご自身もニュージーランドで
緬羊の飼育を学び、実家で羊飼いをしながら小説を書いていました(現在は執筆に専念)。

『颶風の王』で三浦綾子文学賞ほかを受賞し、
『肉弾』で大藪春彦賞、
『土に贖う』で新田次郎文学賞を受賞しています。
作品を発表するたびに大きな文学賞を受賞しています。

なぜ河﨑さんがこれほど評価されるのかといえば、
それは彼女にしか書けない物語を書いているからに他なりません。
では、河﨑さんにしか書けないものとは何か。
一言でいえば、「北の厳しい自然と向き合って生きる人々の物語」です。

今回の『絞め殺しの樹』も、舞台は北海道の根室です。
主人公のミサエは、両親の顔を知らず、根室の元屯田兵の吉岡家に引き取られ、
下働きとして奴隷のようにコキ使われます。昭和10年のお話でミサエは10歳。
現在なら児童労働は大問題になりますが、
この時代にはこうしたことは珍しくなかったのかもしれません。

このミサエが徹底的に苦しい目にあいます。それはもう、これでもかというくらい。
年配の読者の中には、ドラマ『おしん』を思い浮かべる人もいるかもしれません。
そう、まさにあれです。

やがてミサエは、吉岡家に出入りしていた富山の薬売りに助けられ、
札幌の薬問屋で奉公しながら看護を学んだのち、保健婦として根室に戻ることになります。
ようやく人生が明るい方向に開けたかと思いきや、
ミサエの身にまたとてつもない悲劇が降りかかります。ここまでが第一部。

第二部は、時代も現在に近くなり、ミサエの息子の視点で物語が進みます。
ある事情で息子はミサエのことを知りません。ですが、息子の目を通して、
ミサエという人物の本質が浮かび上がって来る仕掛けです。
とても読み応えのある大河小説です。

タイトルを見て「絞め殺しの樹」ってなんだろう、と思った人も多いはず。
実はこれ、シナノキのこと。菩提樹といったほうが日本では一般的かもしれません。

蔓性の植物というのは、なにか他の木に巻きつかないと生きていけません。
他の木にからみついて、養分を吸い、やがてその木を枯れさせてしまいます。
だから別名がシメゴロシノキ。
私たちがイメージする菩提樹には空洞がありますよね。
あれは、巻きつかれた木が枯れてしまったためです。

ミサエはいわばツルに巻きつかれる木でした。
いろんな人がミサエを利用し、騙し、痛めつけます。
でも見方を変えれば、巻きつかれる側の木は、真っ直ぐで強く伸びるからこそ、
ツルも巻きつくことができるわけです。

作中、ある人物がミサエに、
「あなたは、哀れでも可哀想でもないんですよ」と語りかける場面が出てきます。
またお釈迦様が悟りをひらいたのが菩提樹の前だったということも
象徴的なエピソードとして出てきます。人生について深く考えさせられる作品です。

唯一気になったのは、ある時点まで非常に重要な役どころとして出てきた
富山の薬売りの男性が、途中からまったく影が薄くなって、
あるところで亡くなったと説明されるところ。このあたりは、
やや登場人物が物語の駒っぽく扱われていると感じました。

投稿者 yomehon : 2022年07月11日 15:38