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2022年01月13日
直木賞候補作③ 『塞王の楯』
次は今村翔吾さんの『塞王(さいおう)の楯』にまいりましょう。
今村さんはすでに時代小説の分野で人気作家の地位を確立しています。
デビュー以来、ほぼ全作品を読んでいると思いますが、
どれも文句なしの面白さ。ストーリーテリングに長けた作家だと思います。
本作の主人公は、穴太衆(あのうしゅう)の若きリーダーです。
穴太衆というのは織豊時代に活躍した石工の集団のこと。
石工とは城や寺院などの石垣をつくる職人のことですね。
穴太衆は、近江の穴太(現在の滋賀県大津市)を本拠に活躍した技術者集団で、
安土城の城壁の普請に関わったことで知られるようになりました。
自然のままの形状を活かした石をそのまま積み上げる方法を
「野面積み(のづらづみ)」といいますが、穴太衆はことにこの積み方がうまく、
後に穴太衆が手がけた野面積みの石垣は、「穴太積み(穴太衆積み)」と
呼ばれるようになったほどです。
自然石を積み上げ、堅牢な石垣を築くには、石の声を聴き、
その声に従って組んでいくのが極意らしいのですが、本作の主人公、
匡介(きょうすけ)には、幼い頃からこの能力が備わっていました。
ふるさとの越前・一乗谷を信長に滅ぼされ、父母と妹を失った匡介は、
石の声に導かれて山中を逃げる途中、石工の源斎に助けられます。
源斎は穴太衆の中でも一目置かれる飛田屋の頭目で、
匡介は長じて後継者と目されるようになりました。
戦によって家族を奪われた匡介は、絶対に破られない石垣をつくれば、
世の中から戦をなくせると考えていました。
ところがここに正反対の考えを持つ者が現れます。
鉄砲職人の国友衆の若き頭目・彦九郎は、最強の兵器である銃が
あまねく天下に行き渡ることで、戦はなくせると考えていました。
秀吉が病死し、世にふたたび戦乱の気配がしのびよる中、
匡介は京極高次から琵琶湖畔にある大津城の石垣の改修を依頼されます。
京極高次は世間から凡将と軽く見られている武将でしたが、
匡介はこの依頼を引き受けます。
一方、毛利元康の軍勢がこの大津城を攻め落とそうとします。
難攻不落の城を落とすのに、毛利は国友衆に鉄砲づくりを依頼しました。
かくて大津城を舞台に、「最強の楯」と「最強の矛」との
戦いの火蓋が切って落とされるのでした。
有名な「矛盾」の故事をこれほどまでに面白い物語に
仕立て上げるとは、やはり今村さんの物語る力には凄いものがあります。
楯と矛の戦いという構図が、あまりに図式的というか、
単純すぎるというツッコミがあるかもしれません。
それはその通りなのですが、物語の豊かなディテールが、
その点をあまり気にならないものにしています。
たとえば、石工集団の仕事がきっちり描かれているところ。
山から石を切り出す「山方」、それを運ぶ「荷方」、
そして石を積む「積方」。そのうちのどれが欠けても石垣はできません。
どのように石を切り出し、現場までどう運ぶか。
物語を通じて、当時のロジスティクスが見えてくるのが面白い。
楯と矛の戦いの描写だって想像を超える面白さです。
国友衆きっての天才・彦九郎が開発した新兵器が石垣を傷つけると、
穴太衆がすぐさま修復をする。穴太衆の仕事は石垣をつくって終わりでは
ないのです。このような攻防は、他の時代小説でもみたことがありません。
また、生死をかけた戦いの描写の中で、
魅力的な光を放つのが京極高次のキャラクターです。
高次の人生は負けの連続でしたが、妹を豊臣秀吉の側室として差し出し、
淀君の妹を正室に迎えるなどして地位を挽回させます。
そのため、閨閥の七光りによって出世したとして
「蛍大名」と陰口を叩かれるような存在でした。
ところが歴史上では、大津城の戦いは、
西軍1万人を食い止め、関ヶ原に向かわせなかった
非常に重要な戦いでもあったのです。
世間では愚将とされた京極高次を、
作者は有能なリーダーとして描いています。
信長に二度も謀反を起こし、東大寺焼き討ちなど「三悪」を犯した
「悪人」とされた松永久秀を描いた『じんかん』もそうでしたが、
今村さんは世評の低い人物の印象を180度変えてみせるのがとても上手いですね。
手に汗握る読書体験を味わいたければ、
候補作の中で本作の右に出るものはありません。
投稿者 yomehon : 2022年01月13日 05:00