« 第166回直木賞エントリー作品 | メイン | 直木賞候補作② 『新しい星』 »
2022年01月11日
直木賞候補作① 『同志少女よ、敵を撃て』
では候補作をみていきましょう。
トップバッターは逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』です。
逢坂さんは本作で第11回アガサ・クリスティー賞を受賞しています。
新人作家がデビュー作でいきなり直木賞にエントリーされたことになります。
いやはや凄い作品です。とてもじゃないですが、新人作家のデビュー作とは思えません。
物語の主人公は、第二次世界大戦で、ナチスドイツとの戦闘の最前線に送り込まれた
ソ連の女性狙撃手セラフィマです。
小さな村で幸せに暮らしていたセラフィマをある日悲劇が襲います。
母親と狩猟に出ていた時、村がドイツ兵に襲撃されたのです。
村人たちが皆殺しにされるのを見かね、応戦しようとした母親は、
ドイツの狙撃兵に射殺されてしまいます。セラフィマはすんでのところで
ソ連の部隊に命を救われ、女性兵士だけで構成された部隊に編入されます。
そして戦闘の激しさで知られる独ソ戦の最前線へと駆り出されるのでした。
物語にはいくつかの柱があり、それがこの作品を読み応えのあるものにしています。
ひとつは、復讐譚です。母親を殺した狙撃兵への復讐が大きな柱になっています。
また、狙撃兵という特殊な戦闘要員への考察も読みどころのひとつとなっています。
スナイパーは、標的を仕留めるためには何時間でも、時には何日でもひとつの場所で
じっとしています。ひとりの時間が長いということは、そこに自己との対話が生まれます。
つまり個人の内面がクローズアップされるのです。
軍隊というのは一糸乱れぬ規律が求められる組織なわけですが、
狙撃兵は組織の中にあって例外的に個の力が求められる存在です。
狙撃手小説では『極大射程』という傑作がありますが、主人公のボブ・リー・スワガーは
巨大な陰謀にひとりで立ち向かっていきます。この『同志少女よ、敵を撃て』でも、
怒りや迷い、悲しみといったセラフィマの内面が丁寧に描かれていて、
軍隊の中での個の存在を浮かび上がらせることに成功しています。
さらにこの小説は、女性兵士の連帯もうまく描いています。
友情ではなく連帯であるところに注意してください。
軍隊という男性中心の組織の中で、女性たちが生き抜いていくのはただでさえ大変です。
だから時には互いの好き嫌いを超えて女性同士、助け合うことがある。
本作はそうしたシスターフッド(女性の連帯)を見事に描いた作品でもあります。
第二次世界大戦でソ連は100万人近くの女性兵士たちが従軍しました。
この小説もそうした史実をベースにしているわけですが、加えて、
以下の本が元ネタとなっています。
ひとつは、ノンフィクション作家として初めてノーベル文学賞を受賞した
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』です。
当時戦争に関わった多数の女性たちへのインタビュー集で、
この本は、女性が戦争に参加するとはどういうことかを教えてくれます。
そしてもうひとつがリュミドラ・パヴリチェンコの
『最強の女性狙撃手 レーニン勲章の称号を授与されたリュミドラの回想』です。
こちらは第二次大戦でわずか一年の間に確認されただけでも
300人以上のドイツ兵を殺した女性狙撃手の回想録です。
ドイツ軍きっての狙撃兵を射殺するなど、ゴルゴ13の実録版みたいな
迫力のあるノンフィクションです。
これらのノンフィクションは元ネタというだけでなく、
物語の中にも著者が登場したりします。
小説を楽しんだ後は、ぜひこれらの本も手にとってみてください。
投稿者 yomehon : 2022年01月11日 05:00