« 2021年01月 | メイン | 2022年01月 »
2021年07月14日
第165回直木賞が決定しました
今回は芥川賞・直木賞ともに2作受賞でした。
あわせて4作受賞というのは10年ぶりだそうです。
さすがにこれは予想できませんでした。
直木賞は佐藤究さんの『テスカトリポカ』は的中でしたが、
澤田瞳子さんの『星落ちて、なお』は外してしまいました。
澤田さんはこれまでのキャリアからいえば、いつ受賞してもおかしくない方なので納得です。
砂原浩太朗さんの『高瀬庄左衛門御留書』はおそらく
「次の作品も見てみたい」ということで見送られたのでしょうね。
ついでに予想した芥川賞は、
李琴峰さんの『彼岸花が咲く島』は的中しましたが、
石沢麻依さんの『貝に続く場所にて』は外してしまいました。
『貝に続く場所にて』は物語の中でコロナ禍と東日本大震災を扱っていて、
そこが「ちょっと盛り込みすぎでは」と気になって推さなかったのですが、
もしかしたらそのあたりが同時代性として評価されたのかもしれません。
ともあれ、今回は力作揃いで
ひさしぶりに充実した予想となりました。
4作品のどれもオススメです!
受賞者の皆さん、おめでとうございます!!
投稿者 yomehon : 23:08
2021年07月13日
第165回直木賞最終予想
ここまで各候補作をみてまいりました。では最終予想といきましょう。
まず『スモールワールズ』は、今回の力作長編が揃った中では、
ちょっと分が悪いかなと思います。むしろ本屋大賞のほうに期待がもてます。
次に時代小説ですが、今回は『星落ちて、なお』と
『高瀬庄左衛門御留書』という素晴らしい作品が被ってしまいました。
個人的には『高瀬庄左衛門御留書』のほうが上だと思うのですが、
ここは選考委員の票が割れるんじゃないでしょうか。
当然、『星落ちて、なお』を推す人もいるでしょうし。
時代小説が食い合うことによって、
『おれたちの歌をうたえ』と『テスカトリポカ』の
一騎打ちになるのではと予想します。
ではこのどちら?ということになると……うーん。
先日、『テスカトリポカ』を取り上げた際に、
すべての候補作の中で、もっとも遠くまで
想像力という名のボールを飛ばした作品であると紹介しました。
今年は大谷翔平選手が大活躍しています。
『テスカトリポカ』が描く放物線は、
大谷選手のあの豪快なホームランを彷彿とさせるものがあります。
『おれたちの歌をうたえ』も見事なホームランなのですが、
『テスカトリポカ』は同じホームランでも飛距離が違うと思うのです。
この作品はすでに山本周五郎賞を受賞していて、
過去ダブル受賞は、熊谷達也さんの『邂逅の森』くらいだと思いますが、
そうしためったにないレアな感じも大谷イヤーにふさわしいと思います。
ということで、第165回直木賞は、
佐藤究さんの『テスカトリポカ』が受賞すると予想します。
最後に芥川賞にもちょっと触れておきましょう。
こちらもフレッシュな顔ぶれでまったく予想がつきませんね。
ですが、こちらは李琴峰さんの『彼岸花が咲く島』を受賞作と予想します。
たくさんの声や言葉が聴こえてくるポリフォニー(多声音楽)のような小説。
21世紀の文学はきっとこっちの方向なんだろうなと思わせてくれた作品です。
芥川賞と直木賞の選考会は、7月14日(水)に行われます。
投稿者 yomehon : 05:00
2021年07月12日
直木賞候補作⑤『高瀬庄左衛門御留書』
最後は砂原浩太朗さんの『高瀬庄左衛門御留書』です。
この本は、今回の候補作の中ではもっとも早く、今年の1月に出たのですが、
読み終えた瞬間に「直木賞はこれで決まりかも」と思ったのをおぼえています。
(もっともその後『おれたちの歌をうたえ』や『テスカポリトカ』も読んで
判断保留になるわけですが)
まるで清冽な湧水でのどを潤したような読後感が味わえる作品です。
神山藩で郡方(村々をまわり米の出来具合などを調べる役人)を務める
高瀬庄左衛門は、妻に続き、一人息子も不慮の事故で喪ってしまいます。
息子の啓一郎は、子どもの頃から俊才として知られ、立身出世を夢みて
藩校の助教の座をかけた試験に臨むのですが、神童に破れ、次席に終わります。
このため、心ならずも父の跡を継いで小役人になり、
時に妻の志穂に手をあげるなど、鬱々とした日々を送っていました。
そんな折、啓一郎は仕事の途中、崖から転落し亡くなってしまうのです。
息子を亡くし、志穂も実家に返した庄左衛門は独り暮らしとなります。
ふたたび郡方の仕事に戻ったものの、独居の侘しさをひととき慰めるのは、
独学ではじめた絵筆を執るときだけでした。そんな舅を慕って、
志穂は時折、弟の俊次郎を連れて、絵を習いにやって来ます。
寂しさはあるものの、穏やかに毎日を送っていたある日、
志穂が相談を持ちかけてきます。もうひとりの弟、宗太郎の様子が
おかしいというのです。宗太郎を調べ始めた庄左衛門は、
気づかぬうちに藩を揺るがす陰謀へと巻き込まれて行くのでした……。
若き日に仲間と結んだ友誼、淡い恋情、組織に対する諦観、
忍び寄る老いと過ぎ去った日々……。丁寧に描きこまれた細部が、
高瀬庄左衛門のキャラクターをくっきりと浮かび上がらせています。
なにより素晴らしいのは、
庄左衛門がごく普通の人物として描かれているところでしょう。
小役人だけど実は抜群に剣の腕が立つとか、
藩主や家老から直々に裏の役目を仰せつかっているとか、
庄左衛門はそういうスーパーマンではありません。
物静かな初老の男に過ぎない。
でも、いざという時の肚の座り方は、尋常ではないところがある。
この胆力がどこから生まれてくるかといえば、それは庄左衛門が
自分自身をよく知っているというところから来ているのだと思うのです。
自分をよく知っている人間は強い。
対して、己を過信している人間は往々にして失敗するものです。
ある人物と数十年の時を経て再会するする場面があるのですが、
「おすこやかでおられましたか……あれから」と問われた庄左衛門は
こう答えるのです。「……悔いばかり重ねてまいりました」
その後のセリフがいい。「つまり、ふつうということでござろう」
頭が抜群に切れるわけではないし、腕っ節が強いわけでもない。
役人としての地位も高いわけではない。
にもかかわらず、高瀬庄左衛門という人物は、
誰もが一目置かざるを得ないような実質を備えている。
自分がどういう人間かをよく知っているからこそ、
見栄を張ることもなく、上役にこびへつらうこともなく、いざという時に
自らの命を投げ出すような覚悟をみせることができるのでしょう。
高瀬庄左衛門は、すぐれたハードボイルド小説の主人公にも似た、
実に魅力的なキャラクターです。
物語とリンクした装丁も素晴らしい。
この本を読み終えた人はきっと、
表紙に描かれた画を感慨深く眺めることでしょう。
本作は発表されるやいなや「すごい作品が出た」と本好きの間で
大評判となりました。山本周五郎や藤沢周平といった時代小説の大家が
世に出た時もまたこんな感じだったのだろうかと想像します。
いずれにしても、藤沢周平の海坂藩のように、
今後も「神山藩シリーズ」が続くことを願っています。
投稿者 yomehon : 05:00
2021年07月09日
直木賞候補作④『星落ちて、なお』
次は澤田瞳子さんの『星落ちて、なお』です。
幕末から明治にかけて活躍した絵師・河鍋暁斎の娘、
河鍋暁翠こと、とよを主人公にした作品です。
まずタイトルがいいですね。
河鍋暁斎は不世出の絵師でした。その偉大な父が亡くなった後、
なお絵師として生きていかなければならない娘の物語です。
その道のりが平坦なわけがなく、ストーリーを知らずとも、
イメージが湧いてくる良いタイトルです。
絵師とその娘を題材にした作品というと、
葛飾北斎の娘、葛飾応為こと、栄を主人公にした
朝井まかてさんの『眩』や、杉浦日向子さんの『百日紅』のような
素晴らしい先行作品があります。
美術評論の名著に辻惟雄さんの『奇想の系譜』という本があります。
「奇想」というコンセプトで日本美術史を再解釈した本で、
今ではすっかり有名になった伊藤若冲の再評価は、この本から始まりました。
(ちなみに澤田さんには『若沖』という作品もあります)
辻さんは本の中で、長らく美術史の中で異端とされてきた奇想の画家こそが、
日本美術を牽引してきた前衛に他ならないと述べています。
河鍋暁斎もこの「奇想の系譜」に位置付けられる絵師です。
かたや暁斎は、葛飾北斎ばりに描きまくる人でもありました。
昨年から今年にかけて東京ステーションギャラリーで開催された
「河鍋暁斎の底力」という展覧会は、本画(完成品の絵のこと)ではなく、
暁斎が戯れに描いた素描や下絵などを集めたもので話題になりましたが、
このようなささっと描いたスケッチの類だけでも展覧会が開けるほど
暁斎は膨大な作品を遺しました。それは言葉を換えれば、
絵を描くことにそれだけ取り憑かれていたということでもあります。
そんな暁斎を世の人々は「画鬼」と呼びました。
偉大すぎる親を持った子どもというのは、苦労すると言われますが、
とよもまた例外ではありませんでした。
なにしろ父・暁斎は「最後の浮世絵師」とも呼ばれたような偉大な絵師です。
とよも5歳の頃から父に絵を仕込まれたものの、同じ絵師として比べた場合、
暁斎の背中はあまりに大きすぎました。
しかも折悪しく日本は近代国家への道を歩み始めており、
江戸の伝統を受け継ぐ絵は古臭いと相手にされなくなっていました。
西洋絵画の技法をパクった絵が持て囃されるような風潮の中、とよは
河鍋暁斎の血を引く絵師として、どう生きていけばいいか足掻き続けます。
女性の生きづらさも描かれていますし、時代が変化する中で、
クリエイターはどんなスタンスであるべきか、といったようなことにも
作者の目は向いています。
派手さはありませんが、通好みの良い小説だと思います。
澤田さんは大学院で、奈良仏教史を学んだ方で、
他の作家があまり手がけない奈良時代を舞台にした作品も多いのですが、
案外、賞をとるのは、こうした専門ではない分野だったりするかもしれません。
投稿者 yomehon : 05:00
2021年07月08日
直木賞候補作③『テスカトリポカ』
次は佐藤究さんの『テスカトリポカ』にまいりましょう。
想像力という名のボールを、どれだけ遠くに飛ばせるかを競う
ゲームがあったとしたら、すべての候補作の中で、
もっとも遠くまでボールを飛ばしているのがこの作品です。
なにしろ、古代文明と現代の資本主義の暗黒面とを結びつけ、
見たこともない犯罪小説に仕立て上げてみせたのですから。
まるで豪快な場外ホームランを目にしたような衝撃です。
この作品も初めて読んだ時に、直木賞の候補になるだろうと思いました。
海外ドラマの『ナルコス』や映画の『ダークナイト』が好きな人は、
きっとどハマりするでしょう。
メキシコの麻薬カルテルに君臨していたバルミロ・カサソラは、
対立組織との抗争の果てに国を追われ、東南アジアへと逃亡します。
潜伏先のジャカルタで、日本人の臓器ブローカーと出会ったバルミロは、
日本を拠点に新たな臓器ビジネスを立ち上げます。
やがてバルミロは、土方コシモという少年と出会います。
メキシコ人の母と日本人のヤクザとの間に生まれ、
人間離れした膂力を備えたコシモに、
バルミロは殺し屋としての才能を見出します。
バルミロはまた、古代アステカの神を信じる祖母に深く影響を受けていて、
古の神々の中でもっとも大きな力を持つとされる「テスカトリポカ」の信奉者でした。
ふたりは父と子のような関係となり、コシモはバルミロからアステカの神についての
教えを授かります。
臓器密売ビジネスという資本主義の暗黒面と、古代アステカの神がこの日本で出会う時、
壮絶な暴力の悪夢が幕を開けるのでした……。
作品を読むと、古代アステカの神々や宗教儀式の話がディープに
描かれていることにまず驚かされます。古代の神を信じる人々は、
生贄の人間の心臓を取り出して「テスカトリポカ」に捧げるのです。
テスカトリポカはナワトル語で「煙を吐く鏡」を意味します。
作者はここで、古代の神に捧げられる心臓に対置して、
現代の資本主義の暗黒神に捧げられる心臓を持ってきます。
心臓移植を必要とする世界の富裕層のために、
行き場をなくした子どもたちから取り出した心臓を売るビジネスです。
臓器の密売の中でも、心臓はダイヤモンドと呼ばれ、高値で取引されるといいます。
古代の神話と資本主義のダークサイドを合わせ鏡のように対置させ、
そこに幼児虐待や無戸籍者、中国黒社会、イスラム過激派、
麻薬、半グレなどの要素をぶちこんだら、誰も見たことのない
異形の暗黒小説が生まれてしまった、という感じでしょうか。
ただただ、読む者を圧倒する小説です。
凄まじい暴力描写の連続に耐えきれず、
選考委員の誰かの心臓が止まったりしないか、心配です。
投稿者 yomehon : 05:00
2021年07月07日
直木賞候補作②『おれたちの歌をうたえ』
2番目は呉勝浩さんの『おれたちの歌をうたえ』です。
近年の野球では2番に良いバッターをもってきますが、
本作もなかなかの強打者です。本が出たのは2月ですが、
読み終えた時に「これは直木賞の候補になるだろうな」と思った一冊です。
元刑事で、デリヘルの送迎の仕事をしている河辺のもとに、
ある日、知らない男から連絡が入ります。男は茂田というチンピラで、
河辺の親友・佐登志の死を伝えてきたのでした。
佐登志は暗号のような五行詩を遺していました。
生前の佐登志の言動から、茂田はその詩が金塊の隠し場所を示すものだと主張します。
また、遺体をあらためた河辺は、佐登志は何者かに殺されたと確信します。
茂田とともに五行詩の謎を追ううちに、
40年前に故郷で起きた、ある未解決の殺人事件が浮かび上がってきます。
当時、河辺や佐登志も含め5人の幼馴染みがいました。
かつて「栄光の五人組」と呼ばれた親友たちのその後の歩みも、
事件の謎解きの中で炙り出されていきます。
やがて新旧ふたつの殺人事件は、意外な真相とともに結びつくことになります。
この小説のテーマは、私たちにはどうすることもできない「時の流れ」です。
時の流れとともに変わってしまう人間関係、
もう二度とあの日には戻れないという寂しさ、
あの時、別の選択肢があったのではないかという後悔の念。
そうした残酷な時の流れをめぐる出来事や思いが、
昭和、平成、令和という現代史を背景に、しっかりと描かれています。
骨太な大河ミステリーであると同時に、
ほろ苦く、胸に沁みる余韻を残す大人の小説でもあります。
一方で、気になった点もあります。
主人公の故郷は長野県小県郡真田町(現在は上田市)なのですが、
子ども時代の描写で、言葉が全然方言じゃないのが気になりました。
本作はハードボイルド小説でもあるので、子ども時代の回想が標準語でも
いいのですが、ここは方言のほうが味わいが増したのではと思いました。
また幼馴染みの家にみんなで集まる場面があるのですが、おそらく
幸福な子ども時代を描こうという意図で描かれたと思われるこの場面が、
どうにも浮いているように思えました。
例えば、子どもたちが「キョージュ」と呼んで慕うこの家の主人は、
やたらテンションが高く、子どもたちを「問答無用でむぎゅっと抱いて、
最悪キスされるおそれがある」ようなところがあり、「うほん」と空咳をついては、
時代がかった口上を述べる。この「キョージュ」のキャラといい、
子どもたちのはしゃぎぶりといい、「むぎゅっ」とか「「うほん」といった
言葉のチョイスといい、ここだけ、アニメや漫画っぽいトーンになっていて、
小説の中で浮いているのです。
ダークな描写では作者の筆は冴え渡るので、もしかするとこういう
ほのぼのとした場面を描くのは慣れていないのかも、と思ってしまいました。
このように多少気になった点はあるものの、
時代と時代に翻弄される個人を描き切った手腕や、物語の重厚さは素晴らしく、
本作が直木賞の有力候補であることは間違いありません。
投稿者 yomehon : 05:00
2021年07月06日
直木賞候補作①『スモールワールズ』
トップバッターは、一穂ミチさんの『スモールワールズ』です。
いくつかの書店で熱の込もったPOPも見かけましたし、すでに書店員さんの心をがっちり
掴んでいるようですね。もしかしたら本屋大賞でも有力な候補になるかもしれません。
この本には、全部で6つの短編がおさめられています。
非常に巧い作家だと思います。どれひとつとして同じ作風の作品がありません。
でもあえて一言でこの本をくくるとすれば、「ピタゴラスイッチみたいな短編集」という
表現が個人的にはいちばんしっくりきます。
あさっての方向にボールを転がしたのに、思いもよらない仕掛けによって方向が変わり、
気がつけば収まるべきところにボールが収まっていた、というような。
あのEテレの傑作子ども番組『ピタゴラスイッチ』に出てくる装置のように、
ボールは意外なルートを辿って、見事にゴールにたどり着くのです。
どの短編を読んでも、まるでマジックを見ているかのような巧さがあります。
ただ技巧が前に出過ぎてしまうと、これはこれでちょっと引いてしまうんですよね。
読者というのはわがままなもので、作者がドヤ顔で技を繰り出してくると、
逆に反発をおぼえてしまったりするものなのです。
でもこの短編集にはまったくそういうところがありません。それは技巧云々以前に、
この作家が、人間を見る確かな目を持っているからではないでしょうか。
たとえば「花うた」という作品。
この短編は、書簡体小説のスタイルをとっています。
手紙のやりとりだけで進行する小説を、書簡体小説といいます。
これ、とっても難しいんです。
純粋な書簡体小説ではないのですが、昔読んだ恋愛小説で(あえて作品名は伏せます)、
手紙ではなくメールのやりとりだけで進行する場面がありました。
このメールが長くて理屈っぽいんです。
男女の間で友情は成立するか、といったようなことを、延々と述べている。
作者は書きたかったテーマをメールのやりとりに代弁させているのでしょうが、
もし現実社会でこんな理屈っぽい長文メールを何度も送りつけたりしたら、
絶対に恋なんて始まりません。
まあこれはあまりに下手な例ですが、書簡体小説というのは、
ただでさえ観念的なものになりがちです。
ところがこの「花うた」は実に巧い。どう巧いか。
物語は殺人事件の加害者の男性と被害者の女性の手紙のやり取りで進行します。
加害者は、子どもの頃から盗みや喧嘩を繰り返してきた、いわゆる半グレ的な人物です。
そんな人間に被害者は兄を殺されました。「カッとなってやった」というパターンです。
兄はたいした理由もなく殺されてしまった。だからこそ被害者の女性は、加害者を問い詰めます。
「なぜ」と。
読んでいるうちに、加害者はちょっと変わった刑務所で服役していることがわかります。
これにはモデルがあります。「島根あさひ社会復帰促進センター」という男子刑務所です。
ここは「セラピューティック・コミュニテイ(回復共同体)」と呼ばれるプログラムを
取り入れ、犯罪者の更生に高い成果をあげていることで知られています。
どんなことをやっているのか興味を持つ人もいるかもしれません。
例えば、サークル状に並べられた椅子に座り、受刑者たちは、
幼少期の経験や犯してきた罪について率直に語り合います。またある授業では、
受刑者自身が犯した犯罪を再現したりもします。被害者役を演じるのは他の受刑者です。
被害者役から「どうしてこんなことをするのか」と質問が飛びます。
それに答えるうちに加害者の受刑者が、涙を流し始めたりします。
もういちど犯罪を再現することを通じて、自分がいかに大変なことをしてしまったか、
気づいたのです。それだけではありません。被害者を演じた受刑者も、
理不尽に暴力をふるわれることがいかに被害者の心を傷つけるか、身をもって知るのです。
受刑者たちが学ぶのは、他者の痛みを想像する力、「エンパシー」です。
「花うた」では、加害者が少しずつ人間性を取り戻していく様子を、
手紙の文面だけで(しかも無学な青年の書いた拙い文章というスタイルで)
巧みに表現しています。
加害者の青年は、被害者の女性に返事を書くために、辞書を手にいれ、
懸命に言葉を学び始めます。書ける漢字も少しずつ増えてきて、
それなりに文章も整ってきます。ところが、ある時から、ひらがなだらけの文面になるのです。
この青年にいったい何が起きたのか。そこから物語は予想もしなかった方向へと舵を切ります。
このように、現実社会で犯罪者の更生に高い成果をあげている刑務所の取り組みを
さりげなく物語の下敷きにしていることからもわかるように、この小説の作者は、
人間への確かな洞察力を持っています。そうした素養がベースにあるからこそ、
ひねった技巧がスパイスとして効いてくるのでしょう。
本書におさめられた6つの短編に外れは一切ありません。
トップバッターでいきなり広角打法の好打者が登場した感じ。
この後に続くバッターにも俄然期待が高まります。
投稿者 yomehon : 05:00
2021年07月05日
第165回直木賞の候補作は超充実のラインナップ!
7月の声を聞くと「直木賞の季節が巡ってきた!」と思います。
直木賞が決まらないと本格的な夏はやってきません。
候補作はすでに発表されていますが、今回は非常に充実したラインナップです。
選考会でも議論が白熱するのではないでしょうか。
候補作は以下の通りです。
事前に読んだ本の中で、「これは候補作になるだろうな」と思ったものが
複数入っています。ですので、このラインナップには心から納得なのですが、
同時に、「いったいこの中からどうやって選べばいいんだ」とも感じます。
でもこういう”嬉しい悲鳴状態”は大歓迎!これから各候補作を紹介していきましょう。
投稿者 yomehon : 05:00