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2020年07月08日
第163回直木賞直前予想②『じんかん』
次は今村翔吾さんの『じんかん』です。
今村翔吾といえば、いま乗りに乗っている時代小説作家ですね。
この本の帯にも「著作累計100万部突破 今村翔吾 キャンペーン実施中」とあります。
さて、そんないまをときめく作家が取り上げたのは、マニアックにも「松永久秀」です。
大河ドラマ『麒麟がくる』では吉田鋼太郎が演じている人物ですが、
この松永久秀、戦国時代の武将の中でも、ひときわ評判の悪い人物として知られています。
その悪評は、久秀が犯したとされる「三悪」(三つの悪業)からきています。
その三つの悪業とはすなわち「主家である三好家を乗っ取ったこと」
「将軍足利義輝を殺したこと」「東大寺を焼き討ちしたこと」の三つ。
いくら情け容赦のない戦国の世とはいえ、ひとつならともかく、
三つもの悪業を犯すのは余程の極悪人であろう、というわけで、
松永久秀の悪名は後世まで伝わることになってしまいました。
一方、ただの悪人かと思えばさにあらず。久秀は戦国を代表する趣味人でもあります。
武野紹鷗に茶の手ほどきを受け(ということは、久秀は千利休の兄弟子)、
大名物として知られる九十九髪茄子を所持し、織田信長に献上。
最期は信長の所望した、これも大名物の平蜘蛛とともに爆死したという伝説を持っています。
そうそう、信長といえば、久秀は信長に対して謀反を起こしたことがあるにもかかわらず、
なぜか許されているというのも不思議。松永久秀という武将は、巷間伝えられているような
悪人というレッテルだけではとらえきれないスケールの大きさを持った人物のようです。
実はこの松永久秀、三好長慶の家臣として歴史に登場するまでは、
どこで何をしていたのか、よくわかっていません。
作者はこの「歴史の空白」を、大胆な想像力で埋めてみせました。
久秀がなぜ武将となるに至ったのか、その過程が生き生きとした筆で語られます。
松永久秀を血の通った人物として造型してみせただけではありません。
作者は久秀の例の「三悪」でさえも、180度見解をひっくり返して見せます。
つまりある事情があって、久秀があえて悪評を被ったというふうに描くのです。
これが実に読み応えがあります。
物語の語り手が信長であるというのにも意表を突かれます。
信長が小姓を相手に、松永久秀の半生を語って聞かせるという設定になっているのです。
この作者のアイデアが上手くはまっています。
最後にタイトルの「じんかん」についても触れておきましょう。
幸若舞の演目のひとつ「敦盛」は信長が好んだことで知られていますが、あの
〽️人間五十年、化天(下天)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
の「人間」が「じんかん」です。
「じんかん」とは「人と人との繋がりが織りなす俗世」、つまり「この世」のこと。
敦盛は、「人の世の五十年など、天上界に比べれば夢幻のように短い」と唱っているわけです。
文句なしの力作ですが、もしかすると選考会では、この作品の長さが議論になるかも。
なにしろ509ページもあります。読んでいて、少しダレるところもありましたので、
もうちょっと削れるのではないかという指摘は、選考委員からありそうな気がします。
投稿者 yomehon : 2020年07月08日 07:00