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2020年01月07日

第162回直木賞直前予想②  『熱源』


次は川越宗一さんの『熱源』です。
今回の候補作の中で唯一の歴史小説で、
「第9回 本屋が選ぶ時代小説大賞」受賞作です。

明治維新後の樺太(サハリン)を舞台に、
歴史に翻弄されるアイヌの人々を骨太な筆致で描いた歴史小説。
ずっしりとした読み応えでいえば、候補作中ナンバーワンです。

樺太出身のアイヌであるヤヨマネフク(山辺安之助)と、
ポーランド人でサハリン(樺太)に流刑となった
ブロニスワフ・ピウスツキの二人が本作の主人公です。

ヤヨマネフクは和人から差別されていますし、
ピウスツキは大国ロシアの人間から軽んじられています。
ピウスツキは流刑地サハリンで民族学と出合い、
先住民族のひとつギリヤークやアイヌと深く関わります。
その過程でヤヨマネフクと知り合い、
二人はアイヌのための学校をつくろうと奔走するのです。

ただ、学校建設のエピソードは
本書のほんの一部に過ぎません。
本書が扱うテーマはもっと大きなもの、
ひとことで言えば「近代文明との出合い」です。

生まれたての国家どうしの争い、
文明人と野蛮人といった差別的思考、近代医学と呪術の対立など、
世界が近代文明と出合ったときに生じた様々な問題が描かれています。
教育の問題(学校建設)もそのひとつです。

二葉亭四迷や大隈重信、金田一京助、
また千徳太郎治や知里幸恵といったアイヌ文化に
多大な貢献を果たした実在の人物も登場します。
フィクションを通じて歴史が学べるところは本作の大きな魅力です。

本作が発するもっとも重要なメッセージは、
「世界は多様である」ということでしょう。

樺太(サハリン)にも多種多様な人々が住んでいました。
トナカイを飼うオロッコ(ウィルタ)、
犬橇を駆るニクブン(ニヴフ、またはギリヤーク)、
アイヌ、ロシア人、和人。

アメリカの政治学者ベネディクト・アンダーソンは、
近代国家のナショナリズムを「想像の共同体」と呼びました。
わたしたちは「日本」や「日本人」を自明のものとみなしがちですが、
実はそれは幻想のうえに成り立つものに過ぎません。
本書に登場する樺太だけでなく、この日本列島にも太古の昔から
さまざまなルーツを持つ人々が暮らしていました。
異なるルーツを持つ者どうしが出会い、子をなし、家族をつくり、
その繰り返しの先に今のわたしたちがいるのです。

わたしたちが考える以上に、世界は多様です。
偏狭なナショナリズムが幅を利かせ、
社会から寛容性が失われている今だからこそ、
この作品が読まれる意義は大きいでしょう。

ただ、大きな歴史のうねりを描く際に陥りがちなことですが、
登場人物が点景のようになってしまうということがあります。
歴史に翻弄されるのは人間の常ですが、小説の場合、
その描き方があっさりしていると、登場人物が歴史の駒に見えてしまう。
本作もその落とし穴にやや嵌ってしまっているようなところがあります。

とはいえ、本作は広く読まれるべき作品です。
タイトルの「熱源」とは故郷のこと。
ふるさとは魂に生きる熱を与えてくれる存在です。
郷土愛をパトリオティズムと言いますが、
本作は、ナショナリズムが席巻する世にあって、
高らかにパトリオティズムの旗を掲げてみせた一作といえるでしょう。

投稿者 yomehon : 2020年01月07日 06:00