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2020年01月06日

第162回直木賞直前予想① 『嘘と正典』


それでは候補作をみていきましょう。
最初は小川晢さんの『嘘と正典』です。

小川晢さんはもともとSFの分野で高く評価されてきた作家で、
近年では『ゲームの王国』という傑作で山本周五郎賞を受賞しています。

本作は「時間」をテーマにした6作が並んだ短編集。
冒頭の「魔術師」と表題作の「嘘と正典」がずば抜けています。

「魔術師」は、稀代のマジシャンが前代未聞のマジックに挑戦する話です。
マジックのタブーとされる「演じる前に説明してはいけない」
「同じマジックを繰り返してはいけない」「タネ明かしをしてはいけない」の
3つの禁忌を破ってもなお成立するマジックとして、過去へ飛び、
証拠の映像を撮ってくることに挑戦するのです。

「嘘と正典」は、歴史の“if”を切り口にした作品。
「もしマルクスやエンゲルスがいなかったら共産主義は生まれなかったか」という視点から、
冷戦時代のスパイ合戦が、時空改変をめぐる物語へと展開していきます。

エンゲルスは「共産党宣言」を書く前、あることで裁判にかけられ、
オーストラリアに流刑となる可能性が高かったのですが、
土壇場でエンゲルスの無実を証明する目撃者が現れ、救われています。
歴史的な事実に作者の想像力が加わって、驚くような密度を持った物語が誕生しました。

本作を読んで感じたのは、近年のSFの快進撃についてです。
SFは長くマイナージャンルとされ不遇をかこってきました。
ところが近年その活躍は目覚しく、SFが一般の文学賞をとることも珍しくありません。

本作の作者である小川晢さんは、前述したように山本周五郎賞を受賞していますし、
藤井太洋さんは『ハロー・ワールド』で吉川英治文学新人賞を受賞しています。
(世界に目を向ければ、昨年は華文SFと呼ばれる中国のSF『三体』も大ヒットしました)

おそらくこれは世の中の複雑化と関係しています。
テクノロジーが物凄いスピードで進化し、社会がますます複雑化していく中で、
普通の小説家の想像力は、もはやその変化に追いつけなくなっているのではないでしょうか。
SF作家だけが、その猛スピードの変化にキャッチアップ出来ているように思うのです。
いや、キャッチアップどころか、SF作家の想像力は、
この現実のさらに先の未来すらも先取りして、作品に描き出しているのです。

ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグ、イーロン・マスクといった世界的なテクノロジー企業を率いる人々が、
こぞってSF読みであるという事実をよく考えてみましょう。彼らはSF作品の中に未来のビジョンを見ているのです。

直木賞の選考委員をみると、大変失礼ながら、もはや世の中の変化に追いつけなくなっているのではないかと
思われる作家も見受けられます。日本のSFは伊藤計劃という天才作家の登場を機に(悲しいことに彼は若くして
亡くなってしまいましたが)一般の文学を追い抜いたのではないでしょうか。
しかも小川哲さんは、これまで見るところでは、伊藤計劃の亡き後を継げる才能の持ち主とも言える作家です。

本作への評価は別にして、この最先端のSF作品をちゃんと読み解けるかが、
直木賞の選考委員にふさわしい資格の持ち主かどうかの踏み絵となるような気がします。

投稿者 yomehon : 2020年01月06日 06:00